【内匠宏幸】長期政権かGM就任か…連覇に挑む岡田彰布が描くその先のビジョン

野球界最大の関心事、それは大谷翔平の去就である。エンゼルスに残るのか、それとも新天地に移るのか。結論は数日の間に出るとされている。 このビッグ交渉で、クローズアップされているのがGMの存在。ゼネラルマネジャーの力は絶大で、それは現場の監督を上回る。球団の経営、運営、チーム強化、補強と、あらゆる分野での責任者という立場。決定権をすべて握るポジションということだ...
日刊スポーツ記者、フリーライターとして約50年にわたって阪神の戦いぶりを見続けてきた内匠宏幸氏。特に岡田彰布氏との縁は深く、6球団競合の末、早大からドラフト1位で阪神に入団した1980年に密着連載を担当。その後も選手、コーチ、第1次監督時代を通じて精力取材を続け、監督としてリーグ優勝を果たした2005年も日刊スポーツ紙面(大阪版)でコラムを連載した。その野球観、猛虎愛に触れてきた内匠氏が「岡田の野球」を追います。
野球界最大の関心事、それは大谷翔平の去就である。エンゼルスに残るのか、それとも新天地に移るのか。結論は数日の間に出るとされている。 このビッグ交渉で、クローズアップされているのがGMの存在。ゼネラルマネジャーの力は絶大で、それは現場の監督を上回る。球団の経営、運営、チーム強化、補強と、あらゆる分野での責任者という立場。決定権をすべて握るポジションということだ...
世の中、賃金が上がらず、物価高で苦しい師走を迎えているのに、ここだけは別世界? タイガースの好景気が続いている。 18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶりの日本一。沸き返る材料に事欠かないし、さらに「アレ」が流行語大賞に選ばれ、勢いが加速。選手たちの年俸が跳ね上がっている。 スポーツ新聞に「〇〇、〇倍増!」の活字が並ぶ。軒並みの大幅アップ。まさにバラ色のオフだ。例...
岡田彰布の話は実におもしろい。11月29日のトラ番の囲み取材。話題が個人タイトルに移ったら、「そら全部、取ったらエエんよ」と野手陣にタイトル独占指令を出すほど。これには思わず1年前を思い出してしまった。 「打線なあ…、そんなに期待してないわ。まず守りよ。攻撃は水もの。相手より1点でも多く取ればエエだけのこと。その1点はオレが取らしにかかるから」。こう語ってい...
やはり「日本一」は特別なんだ。そう強く思ったのが11月25日に開かれたOB会総会のこと。ファン感謝デーの後、大阪市内のホテルで4年ぶりの開催となった。出席したのがOB、関係者の230人。昔の総会とはまったく違う景色がそこにあった。 成績が伴わないと、OBも出席をためらったのだろう。チームと同じように、OBも鬱積(うっせき)した思いがあった。それが今回の38年...
誇らしげに手を振る。11月23日のパレードだ。オリックスとともに行われた5パレード。阪神の場合、ここに「日本一」の冠がつく。監督、コーチ、選手、球団関係者…。すべてが感激に浸ったに違いない。 日本一がこれほど喜ばしいことなのか。経験した者でしか味わえぬ感覚。岡田彰布は選手をここまで導いてこれたことに、体を震わせていた。そして、この喜びを来年も…と強く意識して...
阪神タイガースのオーナー、杉山健博について、監督の岡田彰布は語っている。「野球に詳しい。ホンマ、すごいわ、あの情熱というのかな。チームが強くなってほしい…という熱を感じるもんな」と。 杉山は1958年生まれ。岡田より1歳下で、11月20日に65歳の誕生日を迎えた。監督よりオーナーの方が年下というのが珍しい。岡田が球界最高齢監督というのもあるが、2人の関係は非...
38年ぶりの日本一輝いた。しばらくは余韻を楽しみたいところだが、チームは早くも2024年シーズンへ進みだした。 高知・安芸での秋季キャンプ。そこに見るスタッフの顔ぶれは変わっていなかった。日本一コーチ陣は全員留任。新たに上本と渡辺がコーチに就任。そこにうわさされていたOBの名はなかった。 鳥谷、藤川球児の入閣はあるのか…。彼らの名前は、コーチ人事の時になると...
大いに盛り上がった日本シリーズだった。関西ダービーは予想通り、力が拮抗(きっこう)し、第7戦までもつれ込む激闘になった。 互いに引かぬ2人の監督。岡田彰布と中嶋聡はベンチの中から火花を散らせていた。最も顕著に表れたのが11月1日、甲子園での第4戦だった。ゲームが始まる前。阪神からすれば1勝2敗で、絶対に五分に戻したい試合で、オリックスはここで一気に王手をかけ...
「もし可能なら、このチームに戻りたい…」と言い残し、ノイジーは機上の人になった。 オリックスとの頂上決戦。阪神日本一のヒーローは紛れもなく、この男だった。決戦の第7戦。難敵宮城を、彼は一発で仕留めた。あの難しい低めの変化球を、レフトスタンドに放り込んだ。見事な3ランで、日本一をグッと手元に引き込んだ。さらにタイムリーもあった。2023年の締めくくりに、想定外...
球界全体が若返りに進んでいる。監督もそう。今オフ、巨人の監督だった原辰徳が退陣となった。ソフトバンクの藤本博史、楽天の石井一久もユニホームを脱いだ。 代わって監督に就任したのが巨人の阿部慎之助、ソフトバンクの小久保裕紀、楽天の今江敏晃。彼は40歳。監督の平均年齢がまた下がった。そんな中、たったひとりになった60代の監督、岡田彰布がチームを日本一に導いた。年齢...
かつて指揮したチームの強さがわかった。「オリックス? そら強いやろ。なかなか続けてリーグ優勝はできんからな。それはわかっている」。日本シリーズに入る前、阪神監督の岡田彰布は素直な印象を打ち明けていた。 2010年から3年間、オリックスで監督を務めた。就任1年目、いきなりチーム改造に打って出た。先発投手として伸び悩んでいた岸田と平野佳を、それぞれ後ろに回した。...
1985年、阪神が日本一になった日本シリーズ。西武との頂上決戦は、すべての試合で指名打者制(DH制)が採用されている。そこで阪神は2番に弘田をDHで起用。6試合をこの打線で臨み、4勝2敗で頂点に立った。 翌年の1986年。この年はDH制はなし。広島と西武の激突は1試合目が引き分けで8試合を戦う激闘となった。広島が引き分けから3連勝。当時、赤ヘル番だった僕は、...
ドラフト会議の当日だった10月26日付のスポーツ新聞。各紙が阪神の1位指名候補を予想していたが、ページをめくってみると、新しい「ニュース」が報じられていた。 阪神の新コーチとして上本博紀の入閣が発表となっていた。来季、1軍か2軍か、また担当分野もまだ決まっていないとのこと。チームは28日から日本シリーズに向かう中、2024年シーズンへ、前に進みだしたというこ...
いまから59年も前のことになる。昭和でいうと39年、東京五輪が開催された年に、阪神対南海の日本シリーズが行われた。 その頃の自分は、文句なしに南海ホークスを応援していた。大阪のナンバ球場(大阪球場)の近くに住んでいたし、親しみのあるチームだった。 薄ぼんやりとしか試合の中身は思い出せないが、あれから半世紀以上もたった今年。ついに関西ダービー実現。昔はパ・リー...
クライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージの初戦。試合後のヒーローインタビューに現れたのが3人。先発し6回を1失点の村上、新人ながら4回に同点本塁打を放った森下、そして2点タイムリーの近本。順当な顔ぶれだったが、もうひとり、取り上げてほしかったのが坂本である。 3回表2死一塁で、ランナーの広島野間の二盗を冷静に刺した。広島の機動力を未然に防いだクレバー...
クライマックスシリーズ(CS)のファーストステージはセ・パともに白熱の戦いだった。セは広島が2試合とも、劇的な展開で連勝。新井カープが阪神とファイナルステージで激突することになった。 パ・リーグはこれを書いている時点で1勝1敗。ロッテか、それともソフトバンクか。それは数時間後に決定する。 改めて出場して、活躍する選手を調べてみた。ロッテには第1戦で働いた安田...
岡田彰布という監督は、選手を褒めたり、絶賛したりすることが、ほとんどなかった。最初の監督時がそうで、自分の心の中で、認める。そういうタイプの監督だった。 それが先日、驚いたことがあった。岡田と話していると、こう切り出した。「なあ、佐藤輝が変わったと思えへんか? オレにはホンマ、大きく変わったと思えるんよな。技術的な面もそうだし、精神面も。それが終盤のバッティ...
クライマックスシリーズ(CS)のファイナルステージまで、あと10日を切った。現在、阪神は甲子園で調整を続け、こののちに宮崎のフェニックスリーグで実戦調整に入る。そんな中、10月8日、甲子園をのぞいてみた。 番記者に囲まれた監督、岡田彰布は一塁側アルプススタンドに腰を掛け、取材を受けていた。一段落ついたところで、声をかけた。「ちょっと話しようか」と、別の場所で...
私の心の中は1点の曇りもない! 巨人の原辰徳がこう叫び、そして「辞任します」と明かした。10月4日のDeNA戦の試合後。ファンの前で退任を告げた。これは極めて珍しいケース。いかにも「さわやか」な原らしさが出ていた。 長い取材経験で、多くの監督の最後を目撃してきた。強く印象に残っているのは南海の兼任監督、野村克也だ。シーズン終盤、本社、球団は野村解任に進んでい...
呼び名の変遷がおもしろい。大昔は投手の分業制が不明確で、先発投手がリリーフに回るのは当たり前。そんな時代から、最後を任される投手が出現、確立された。最初は「抑えの切り札」とか「守護神」と呼ばれた。そこから時を経て「ストッパー」に。そしていつの頃からか「クローザー」に。実にカッコよく呼ばれるようになった。 日刊スポーツに入社して、野球記者になって初めて担当した...
優勝決定後、久しぶりに岡田彰布と話した。その前に番記者から「ご機嫌斜めですよ」と聞かされていた。ここのところの試合内容、そして結果。岡田は確かに不機嫌だった。とにかく得点が少ない。原因はつながりの悪さだ。タイムリーが出ないのだからどうしようもない。 「まあ、これから立て直していくしかないわ」。苦笑いの岡田に、こんな質問をしてみた。「監督が選ぶとしたら、MVP...
さあ、岡田彰布と原辰徳の一騎打ち! と注目された昨年のドラフト会議。当日の朝、原から岡田のもとにメールが届いた。高松商の浅野を巡る駆け引き。岡田の監督カムバックに際し、「こういうところで争うことになるんですね」といった趣旨の中身に、岡田はあえてスルーした。 巨人はすでに浅野1位を公言。一方の阪神は明らかにしていなかった。だから「メールで、そうやな…とか返信し...
11月(25日)には66歳になる。年を重ねるごとの丸くなったといわれる阪神監督の岡田彰布。試合中、ベンチの中をテレビカメラが映せば、非常に穏やかな感じが伝わってくる。 だが、しかし…。「いやいや、あの時はかつての監督の迫力をみました」と興味深い話をしてくれたのがヘッドコーチの平田勝男だった。 あの時とは8月18日を指す。横浜でのDeNA戦、例の9回表に起きた...
いい光景が続いた。9月14日の甲子園。監督の岡田彰布が6度、宙に舞った。そのあとだった。いったんベンチに戻る監督、コーチ、選手、裏方を、多くの本社、球団関係者が出迎えた。2003年、2005年にはなかったことだ。 さらに優勝のあいさつ。「アレ」を「優勝」とやっと言い換えて、岡田はスタンドのファンから大きな拍手を浴びた。さらに場所をホテルに移してのビールかけ。...
いよいよ、だ。阪神がマジックを1にして、岡田彰布が宙に舞う。 ここからは「優勝」と書いてもよくなる。18年ぶりの優勝を決めれば、スポーツ紙の1面から最終面まで、タイガースの記事であふれる。そこで今回は何を書くか。ファンの間で、すでにささやかれている「MVPは誰だ?」を推理する。 長い歴史で、まず優勝チーム以外からMVPが選出されたのは、セ・リーグで3度ある。...
本拠地甲子園で広島に3連勝。これで最終決着。マジックが「5」になった。もう行く手を遮るものはない。さあ、岡田彰布の胴上げが待っている。 阪神岡田彰布監督(2023年9月10日) 1カ月ほど前だった。岡田はこんなことを言った。「ホンマな、たいしたもんよ。みんなが力をつけて、自分のやるべきことを理解して、ホンマな、強くなったよな」。自分のことではない。選手を褒め...
「これからは内容より結果よ」。監督の岡田彰布はトラ番に囲まれて、こうコメントしている。9月、勝負の時を迎えての心持ちを表した。 ところが勝ちという結果なのに、岡田はかなり怒っていた。9月6日の中日戦。スミ1で逃げ切った試合後、試合内容に不満を募らせていた。内容より結果…といっていたのに、と思うのだが、やはりこのあたりが岡田らしさ全開ということか。 とにかくマ...
もう足踏みはしない。優勝マジックが15に減った。ここからはとんとん拍子でいく。取材経験上、ここまでくれば、一気に進むと確信している(近本の状態が心配だけど)。 「そんなん、スポーツ新聞も内容より、勝った負けたの記事ばかりになるやろ」。監督の岡田彰布は笑う。その通り、中身より結果だ。またこう言う。「タイトルホルダーなしでのアレって書くやろ」。いやいや、タイトル...
8月30日、甲子園球場。午後2時30分、一塁側アルプス横の通路から、監督、岡田彰布は姿を見せた。その後ろに、さあ、何人だろうか。ざっと20人、番記者が続く。 風雲急を告げてきた。そんな風情が漂う。前日(8月29日)、DeNAに敗れ、追ってくる広島は巨人に劇的勝利。これでゲーム差は「6」になった。ザワザワと空気が揺れる。ところが岡田は番記者と楽しげに話していた...
阪神で14年、オリックスで2年。16年に及ぶ現役生活で、岡田彰布はタイトルに見放されてきた。新人王、ゴールデングラブ、ベストナインには選ばれているが、個人タイトルとはまったく無縁。最大のチャンスは1985年の日本一シーズン。打率は3割4分2厘。この高い数字でも首位打者になれなかった。 立ちはだかったのはバースだった。競り合う2人に対し、当時の監督、吉田義男は...