春季神奈川大会の組み合わせ抽選会 6日開幕、5月4日決勝 上位2校が関東大会へ
高校野球春季神奈川県大会の抽選会が行われた。
6日に開幕し、5月4日に決勝予定。上位2校が春季関東大会(群馬、5月18日~)に出場する。
高校野球春季神奈川県大会の抽選会が行われた。
6日に開幕し、5月4日に決勝予定。上位2校が春季関東大会(群馬、5月18日~)に出場する。
野球のU18(18歳以下)日本代表候補の強化合宿が4日、奈良県内のグラウンドで始まった。
侍ジャパン井端弘和監督(48)が合宿を視察した。視察後の取材で、記者からの質問で今秋ドラフトの上位候補で右の強打の遊撃手・花咲徳栄の石塚裕惺内野手(3年)について問われ、「みんなうまいし、肩強いなと思います。高校生が一気に伸びるんで」とし「ここからまた夏に、1つ2つ伸びてきたら楽しいかなと思います」と答えた。自身もかつては「守備職人」と呼ばれていた守備の名手。3月の欧州戦でトップチームに大学生が参加したが、高校生のトップチーム参加について問われると苦笑い。「大学生に限らず、それに負けない高校生が出てきたら考えます」と語った。
5日には紅白戦が行われる。紅白戦に備える石塚は「当たり前の全力疾走はしっかりやって、自分のスイングができるように強く振っていきたい」。また、石塚自身が今年掲げた3つの目標「甲子園出場・プロ入り・U18入り」に近づくべく、アピールに励む。【中島麗】
侍ジャパン入りへ猛アピールする。野球のU18日本代表候補選手強化合宿が4日から3日間、行われる。
北海道からは最速142キロ左腕の高橋幸祐投手(北照3年)が唯一参加。自慢の直球、カーブ、スライダーに加え、新球チェンジアップも駆使し、日本代表が2連覇を目指すU18アジア選手権(台湾)への生き残りを誓った。
関東合宿中の北照は3日、多くのプロ野球選手を輩出してきた横浜と練習試合を行った。高橋は4回無失点に抑え、代表候補合宿先に向かった。「夏に上林(弘樹)監督を甲子園に連れていくため、全国レベルのピッチャーの投球の全てを吸収してきます」と力強く言った。
今春のセンバツ甲子園出場がかかっていた昨秋の全道大会1回戦で、旭川実に敗れた。タイブレークの延長10回裏にロッテ育成・田中楓基投手の弟で、プロ注目の右腕・田中稜真投手(2年)に136キロ直球をはじき返された。逆転サヨナラ2点二塁打で、春の大舞台への夢が消滅した。「あの時から人が変わった。(冬のトレーニングで)体重も6~7キロ増えたんじゃないか」と神林監督は言う。
入学時に120キロ程度が限界だったバーベルは、170キロが上がるようになった。3月に練習試合で久々にユニホームを着ると、太ももがはち切れそうなほどだった。「出力が上がって、真っすぐ(直球)のボールの質が着実によくなっている」。この時期の練習投球で早くも142キロを計測するなど、成長は数字にも表れている。
直球、カーブ、スライダーの3種だった球種に、右打者からシュート気味に逃げていくチェンジアップを加えた。中学時代にソフトバンク前田悠伍投手の球を受けていたチームメートの寺畑旺盛捕手(3年)から前田のチェンジアップの握りと投げ方を教えてもらい、投球の幅が広がった。「小さい時からの夢ですし、秋のドラフトも意識しています」と言う。
小学校時代に料理教室で学んだ得意のお菓子作りは、しばらく封印。「甲子園も、アジア選手権の代表も、プロ選手になる夢も全てかなえるので、今は他のことは考えていません」。“候補”の文字を消し、本物の“侍”になるまで、野球道を究める。【中島洋尚】
◆高橋幸佑(たかはし・こうすけ)2006年(平18)12月31日、札幌市生まれ。横浜茅ケ崎台小1年の時に茅ケ崎エンデバーズで野球を始める。茅ケ崎中3年で横浜市選抜に選出され、県大会優勝で全国大会出場権を得るも、新型コロナウイルス感染拡大のため大会が中止。北照高では2年春の小樽地区予選で初のベンチ入り。目標の投手はオリックス宮城。左打ち左投げ。178センチ、81キロ。家族は両親と姉。
高校女子硬式野球の名門・開志学園が新監督の佐藤忠行監督(49)の下で3日に始動した。
高校野球の現場に身を置いてきたが、22年間勤めた県高校教員を辞して未知の世界に跳び込んだ。「白紙の状態で挑戦したい」。新潟市白根野球場での初練習は紅白戦で選手の可能性を探った。
開志学園は21年春の全国高校女子硬式野球選抜大会で優勝し、22年夏の同選手権では準優勝。佐藤監督は長岡向陵で甲子園を経験し、松井秀喜のいた星稜(石川)と92年夏1回戦で闘っている。日体大卒業後は青年海外協力隊員としてパラオで野球指導。「パラオの純粋な姿勢。高校野球の厳しさ。2つをベースに指導したい」と抱負を話した。
<高校野球・練習試合:帝京長岡21-0未来富山〉◇2日◇新潟・帝京長岡グラウンド
帝京長岡(新潟)のプロ注目右腕、茨木佑太投手(3年)が、未来富山(富山)との練習試合に先発した。プロ複数球団のスカウトが視察する中、力強い直球を軸に5回4安打無失点の好投をみせた。
ひと冬越えて進化した姿を披露した。187センチ、92キロの恵まれた体格から投げ下ろす直球は、この日、同校のスピードガンで最速141キロをマーク。「しっかりコースに投げることを意識した」と、やや力をセーブしながらも、真っすぐは常時135キロ以上。昨秋の平均速度は120キロ台後半で、5キロ以上アップした。
一方で「高めに浮いた。出来そのものはあまりよくない」と、初回に2死満塁のピンチを招くなど、4回まで毎回走者を背負った。それでも要所でチェンジアップ、スライダーをコーナーに決めてホームは踏ませず。元日本ハムの芝草宇宙監督(54)は「あと1本を出させない投球ができている」と及第点をつけた。
ここまで練習試合で10イニング以上投げて無失点。冬場の筋トレは上半身を中心に行い、体重は約10キロ増えた。もともとのオーバースローだったが、昨秋はスリークオーターに変更。この春、再び上手に戻した。茨木は「下半身と連動して投げられるようになって、腕も上がった」と、筋肉増量の成果を口にした。
見守った楽天の井上純スカウト(53)は「体が大きいしポテンシャルもある。のびしろがすごくある」と潜在能力の高さを評価。阪神の筒井和也スカウト(42)は、帝京長岡OBで一昨年のドラフト4位右腕、兄秀俊(19)と比較し「秀俊より3、4センチ身長が高く、スケールの大きさを感じる。将来的に本格派になる面白い存在」と話した。
今季のキャンプインを1軍で迎えるなど、成長株の兄について茨木は「越えなければならない存在」と言った。それだけに「兄が出られなかった甲子園に今年は必ず出る」。意識を高めてシーズンを迎える。【斎藤慎一郎】
◆茨木佑太(いばらぎ・ゆうた)2006年(平18)5月9日生まれ、北海道出身。手稲中央小1年から手稲ヤングスターズで野球を始め、以来、ほぼ投手。手稲中では少年硬式野球の札幌東シニアに所属。3年の時に東日本選抜大会に出場した。帝京長岡では1年の夏からベンチ入りし、秋から背番号「1」。憧れのプロ野球選手はドジャース大谷翔平。187センチ、92キロ。右投げ右打ち。
高校野球の甲子園大会に春夏35回出場し、計40勝を挙げた阪口慶三氏(79)が関商工(岐阜)の特別顧問に就任して指導に携わることが1日、分かった。週に数回グラウンドで選手や監督のサポートする。
健康上の理由で、昨年限りで大垣日大(岐阜)の監督を退任していた。同氏は母校の東邦(愛知)を38年間率い、2005年から大垣日大の監督を務めた。一昨年のセンバツで昭和、平成、令和の3元号で甲子園勝利を達成。関商工とは、江崎大輔監督にかつて指導法を教えたことがあり、その縁で今回の就任につながった。
日本一に導いたダブルエースに次ぐ、新戦力を発掘する。高崎健康福祉大高崎(群馬)は1日、春夏通じて初の甲子園優勝から一夜明け、紫紺の優勝旗を故郷へ持ち帰った。
群馬県勢初のセンバツ優勝を成し遂げた同校は、左の佐藤龍月投手、右の石垣元気投手(ともに2年)のダブルエースが軸。佐藤は準々決勝で中指の血マメがめくれるアクシデントを乗り越え、計309球、準決勝、決勝に先発した石垣は計368球を投げ抜いた。
「夏に甲子園に出られる保証はありませんので」と繰り返す青柳博文監督(51)は、力投した2人は春季大会では多投させることなく、新たな戦力を備えて夏に挑む方針だ。「1回ちょっと休ませて。佐藤は血マメをやっていますので、佐藤や石垣がいなくても勝てるチームをつくっていかないと夏は無理だと思いますので。春の大会はあんまり使わずにいければ。部員は90人くらいいますので、競争して」と、新たな投手力の台頭が必須と語る。
この日はナインをひと目見ようと、高崎駅に約500人の市民が駆けつけた。同監督は「5年前に『高崎から日本一』を合言葉にしてやっと夢がかないました」と感謝。高崎市役所では、富岡賢治市長(77)から「我々の誇りですよ、みなさんが。語り尽くされるよ」と、ねぎらいの言葉をかけられた。
最後は春休みながら約100人の在校生らが待ち受ける高崎市内の同校へ。主将の箱山遥人捕手(3年)は「みなさんの応援が心のエネルギーになりました。これからも応援よろしくお願いいたします」と感謝を伝えた。【佐瀬百合子】
U18日本代表候補強化合宿(4月4~6日)のメンバーに選出された高崎健康福祉大高崎・箱山遥人捕手(3年)と高山裕次郎内野手(3年)が1日、意気込みを語った。
箱山は「すごい選手の中で選んでいただいた。個々の意識の高さをしっかり吸収して、参考にしていきたい」。高山は「すごい選手ばかりで自分がアピールできるか少し不安はありますけど、バッティングをアピールして、見せられたらと思います」と笑顔で話した。
光泉カトリック(滋賀)の硬式野球部が1日、公式X(旧ツイッター)で24年度の指導体制を発表した。伊藤文隆監督(69)が退任し、新監督には前任の古沢和樹氏(38)が20年夏以来4年ぶりに復帰する。
伊藤前監督は77年ドラフト1位で阪神に入団し、投手として54勝を挙げるなど活躍。引退後はプロ野球の解説、社会人チームの監督を務め、20年から同校の監督を務めていた。
第96回選抜高校野球大会で2年連続の準優勝を飾った報徳学園(兵庫)が1日、西宮市の同校で報告会を行った。野球部員、OB、保護者に加え、この春入学する新入生も参加した。
講堂の壇上で大角健二監督(43)は「日本一に手の届くところまで来て、そのチャンスを逃したというのは本当に私は反省しかありません」と悔しい表情をみせながらも、「報徳は水準が上がってきている。『日本一』という言葉を口にできる、実行できるレベルまで来ている。さらにレベルアップして、夏にしっかり戦い抜いて、あの場でみんなでプレーできるようしっかり頑張っていきましょう」と投げかけた。
高崎健康福祉大高崎(群馬)との決勝に先発して8回3失点と力投した今朝丸裕喜投手(3年)は「悔しい気持ちはありますけど、もう切り替えた。夏に絶対日本一を取ることを意識して、練習をやっていきたい」。間木歩主将(3年)は「日本一にこだわるチーム、大会ごとに成長して、負けないチームを作りたい」と力強く誓った。
2024年からさわかみ関西独立リーグに参戦する姫路イーグレッターズは1日、元楽天、ヤクルトの榎本葵氏(31)が、打撃兼外野守備走塁コーチに就任すると発表した。
榎本氏は九州国際大付(福岡)から10年ドラフト4位で楽天に入団。17年にヤクルトに移籍し、この年限りで退団。18年は社会人野球を経て、月から独立リーグのBC・富山(現日本海リーグ)に入団し、19年に退団していた。
榎本氏は球団を通じて「今まで経験してきたことを生かし、結果はもちろん選手たちが思い切りよくプレーできるようサポートしていきます」とコメントした。
元オリックスで姫路の海田智行監督(36)は「共通の知人を通して紹介していただき、会話を通じて彼の人柄にまずひかれたのが第一印象。選手個々に合った指導方法で、ドラフト指名選手、優勝に貢献してくれる選手の育成を期待しています」と話した。
<センバツ高校野球:高崎健康福祉大高崎3-2報徳学園>◇3月31日◇決勝◇甲子園
高崎健康福祉大高崎(群馬)が悲願の初優勝を果たした。野球愛好会の顧問からスタートした青柳博文監督(51)も涙した。
優しい人だ。2月10日、千葉・館山市で行われた合宿の取材へ行った。
「創部したころは大変でしたね。お金もなかったし。そこでつらくなって高校野球の監督を辞めてしまう人もいるから、もったいないなって」
初対面ながら、丁寧に思い出話をしてくれた。監督は「じゃ、ゆっくりしてってください」と練習を見に行った。1時間後、私はグラウンドの死角でぼーっと眺めていた。遠くにいた青柳監督が部員に何かを指示している。2人ともこっちを見ている気がした。
その部員が笑顔で走ってやってきた。「監督さんが、先にごはんを召し上がってくださいとおっしゃってます!」。勝手に押しかけた初対面の記者を、遠くからわざわざ気にかけてくれた。優しい人だ。中華丼をいただいた。
熱心に選手を指導している姿はない。複数のコーチに任せている。
「コーチに分担して、会社のような形で組織的にやるってことで。いろんな意見を聞きながら。自分1人だと間違えが起きるんですね。裸の王様になっちゃうので。意見を言ってもらいたいんで、自分は。風通しのいい野球部にしたい」
苦労も多く、長かった。野球愛好会の顧問からスタートし、すぐに部員が辞めたり、ボイコットされたり。「生活指導面ばかりで、野球にたどり着くには正直5年くらいかかりましたね」と今だから笑える。
大型バスを運転できる免許を取った。全国の強豪校に電話をかけた。星稜(石川)に仙台育英(宮城)、どこまでもバスを走らせた。「弱いチームに、強い高校を見せたくてね。甲子園に出るような監督さんは断らないですよね。快く試合をしてくれました」と感謝する。「断られた高校は今も覚えてますけどね」とオチも忘れない。
コーチを信頼し、会社のような組織を目指しながら、自身のことは「社長まではいかないですね。部長くらいですね」と決して大きく出さない。
「選手がコーチの方を向いても良いんですよ。勝てれば。自分の方を向けとか、そういう気持ちは全くないんですよ。組織として、選手が勝って良い思いできればいいなってだけ」
そんな優しい人の、見えない努力が報われるのも甲子園だ。【金子真仁】
センバツ優勝から一夜明けた1日、高崎健康福祉大高崎の生方(うぶかた)啓介野球部長(42)はもう頭を切り替えていた。
「夏に向けてどういうふうにチーム作りをしなきゃいけないかとか、コンディショニングも含めてどう持っていくべきか、そんなことをずっと考えてます」
05年から同校の指導に携わり、野球部長として青柳博文監督(51)を支えてきた。優勝が決まると、両こぶしの力を腰の横で凝縮。青柳監督に歩み寄り、抱き合った。
「監督と二人三脚でやってきて、OBたちのことも思い出しながら。すごく感極まりましたね」
健大高崎は母校ではない。県北の沼田高校を卒業した。四半世紀前、99年夏の群馬県大会決勝。
「3番、センター、生方君」
夢の甲子園まであと1勝と迫っていた。立ちはだかったのが桐生第一の左腕、正田樹投手だ。「カーブえぐかったですね。打てなかったです」。第2打席で直球をセンター前に運んだ。4打数1安打。1対10で敗れた。
自身の夢を夢で終わらせた相手が8月、甲子園で優勝した。春夏通じて、群馬県勢の初優勝だった。どんな感情だったか。
「まぁ、基本的には桐生第一を応援してたので。ともに戦った仲間たちですし。日本一になってくれておかげで私たちの名前もパッと出たりしたので」
そう笑う。あれから25年目となる春に「甲子園優勝」に並んだ。
「まぁ、現役と指導者の立場は違うので。ともに戦ってますけどね。この代で勝ったというよりは、今まで作り上げてきた健大高崎の野球で勝ち取った日本一という思いの方が私は強いです。もちろん、結果を出した選手たちには敬意を表しますけど」
投手を中心に指導し、試合運びも担ってきた。決勝では初回、連投の石垣元気投手(2年)がいきなり2点を先制された。
「2巡目くらいで継投に入ろうと準備してたんですよ」
一夜明け、ベンチとしての構想を明かす。しかし箱山遥人捕手(3年)は言った。「インコースが使えるようになって、変化球も定まってきています」。もう1回、もう1回。石垣には「出し切って行け」と指示し、8回まで2失点で投げ抜いたのが優勝につながった。
エースの佐藤龍月投手(2年)に負けじと、最速150キロ右腕の石垣は球の質にこだわってきた。でも生方部長は石垣に言った。
「投球をしろ。ゲームを作れるようになれないと佐藤に追いつけねえぞ」
決勝の大舞台でそれをやりきった教え子をたたえながら、桐生第一の大エースの姿を回想する。
「正田もゲームを作るのがすごくうまかったです。ゲームを作れる投手、タフな投手がそろっているのが優勝するために絶対条件なんだなとあらためて思って。それを支える仲間のバランスも大事。あの時の桐一も捕手がすごくいいリードして。ただ力があるだけじゃ優勝できるわけじゃない。タイミングとかバランスとかいろいろなことがかみ合って、と思いました。あの時の桐一もそんな感じだったなって」
負けも知るから、勝ちの意味が分かる。高校生じゃなくても夢をかなえられるのが、甲子園だ。【金子真仁】
4月1日になった。街にフレッシュマンの姿があふれる。日刊スポーツにも新入社員がやって来た。そのうちの1人が言った。
「箱山主将のような人間になれるよう、頑張ります!」
箱山主将とは、3月31日のセンバツ高校野球決勝で日本一になった、高崎健康福祉大高崎(群馬)の箱山遥人捕手(3年)のこと。歓喜から一夜明け、携帯電話には100件くらいのお祝いが届いたという。
2月の千葉・館山合宿で大きなことを言っていた。
「選手宣誓して優勝インタビューして、自分の大会ではないですけど、自分が主役になれるような大会にしたいです」
緑の香りが濃いグラウンドで迷いなく、濁りなく、言い切った。抽選に外れた選手宣誓以外が、現実になった。振り返る。
「自分は昔から、けっこう大きなことを言って自分にプレッシャーをかけて、有言実行できなかったらちょっと恥ずかしいというか、大口をたたいているって思われるんで。それが嫌だから、自分にかまをかけて、成長するように」
そこまでするからつらくなることもあるけれど、限界値は確実に上がる。
「チームとしても日本一を取るって大きいことを言って、注目されて、プレッシャーの中で戦って。それで勝って日本一を取れたというのは、普通の日本一よりも価値のあることだと思います」
それでも春の甲子園では「力がついてきたことを証明するだけの大会に過ぎない」と、また自分に重圧をかける。「信念を続けていけば、夏の苦しい大会でも試合でも、力は発揮できると思うので」。
個人としては高校日本代表候補にも選ばれ、ますます大きくなって戻ってくる。お世話になった大阪市内のホテル。チームを代表してあいさつした。
「また夏、戻ってこられるように、自分たちの後輩も戻ってこられるように、頑張っていきます」
自分たちだけじゃない。この場で「後輩たち」とサッと言えるのが、そういう時間軸で言葉を出せるのが、箱山の大きさだ。新風吹く4月、組織がまた強くなるチャンス。堂々と群馬へ戻る。【金子真仁】
NHKで3月31日に放送されたセンバツ高校野球・決勝「高崎健康福祉大高崎-報徳学園」(午後1時5分)の平均世帯視聴率が6・2%(関東地区)だったことが1日、ビデオリサーチの調べで分かった。平均個人視聴率は3・4%だった。
同1時31分から104分間の平均世帯視聴率は5・8%(平均個人視聴率は3・2%)。NHK・Eテレで放送された午後0時20分から45分間の平均世帯視聴率は2・5%(平均個人視聴率は1・4%)。
関西地区の平均世帯視聴率は6・3%、平均個人視聴率は3・7%だった。同1時31分から104分間の平均世帯視聴率は5・1%(平均個人視聴率は2・8%)。NHK・Eテレで放送された午後0時20分から45分間の平均世帯視聴率は2・9%(平均個人視聴率は1・7%)だった。
試合は1回に2点ずつを取り合って迎えた3回裏、健大高崎が1死三塁から3番高山裕次郎が右前適時打を放ち勝ち越した。先発の2年生右腕・石垣元気が1回に2点を失ったが2回以降8回まで無失点に抑え、9回は同じ2年生の左腕、佐藤龍月が登板し無失点に抑えて逃げ切ちした。群馬県勢初のセンバツ制覇、投手2年生だけのセンバツ全試合継投Vは大会史上初めてとなった。接戦の末に敗れた報徳学園は、1933年の明石中以来91年ぶりの2年連続準優勝となった。
センバツ大会本部は3月31日、応援団の最優秀賞に耐久(和歌山)を選び、団長の山本絢花さん(3年)が表彰を受けた。
初出場で創部120年目。校名のイニシャルが浮かび上がる応援を評価され「感動と喜びがいっぱい。卒業生のご尽力が大きい」と語った。
優秀賞は別海(北海道)、豊川(愛知)、田辺(和歌山)。閉会式の司会を務めた鹿児島純心女子の竪道夕夏さん(3年)は「緊張しても楽しんで読めた」と達成感をかみしめた。
<センバツ高校野球:高崎健康福祉大高崎3-2報徳学園>◇31日◇決勝◇甲子園
高崎健康福祉大高崎(群馬)が甲子園で初優勝した。OBで西武育成選手の是沢涼輔捕手(23)も「おめでとうございます」と祝福のコメントを寄せた。
チームメートには同校先輩でもある柘植世那捕手(26)もいる。「柘植さんと『すごいですね』と試合のたびに話していました」。是沢はテレビ中継で見た柘植の姿に憧れ、三重県から越境入学したほどだ。
優勝メンバーでは、やはり同じ捕手の箱山遥人主将(3年)が気になったという。「記事とか読んでも発信力、発言力がすごいですよね。みんなを引っ張っていく力とか」。
是沢自身、高校時代も法大時代も控え捕手だった。「ベンチから見ている景色、それが一番印象的ですね。自分が出ていない悔しさも、試合に出ても何もできないかもしれないみじめさも、両方です」と苦笑いしながら振り返る。
それでも青柳博文監督(51)は是沢のことを「本当に誰よりも一番練習していましたよ」と認める。プロになった今もそれは変わらず、誰よりも多く室内練習場でバットを振っている。
母校が勝った。恩師が喜んだ。「刺激になります。優勝して、控えの子の気持ちもすごく分かります」。育成契約の捕手としてプロ2年目。吉報に気合を入れていた。【金子真仁】
<センバツ高校野球:高崎健康福祉大高崎3-2報徳学園>◇31日◇甲子園◇決勝
高崎健康福祉大高崎(群馬)が、春夏通じて初の甲子園優勝を果たした。報徳学園(兵庫)とのセンバツ決勝は1回に2点を先制されるも、逆転勝利。かつて“機動破壊”で注目を浴びたチームは、低反発バットが導入された今大会で強い適時打を重ねるほど進化した。野球愛好会の顧問からスタートした青柳博文監督(51)は涙。群馬県勢はセンバツ初優勝で、競り負けた報徳学園は戦後初の2年連続準優勝に終わった。
◇ ◇ ◇
優しい人だ。青柳監督は夢がかなうと、すぐ隣にいた補助員の肩をたたいた。生方野球部長と抱き合い、またメンバー外の部員の肩をたたいた。「仲間とかコーチ、いろんな方々の支援があって。本当に感謝しかないです」。甲子園のお膝元、兵庫・西宮に校舎を構える相手を後押しするような球場の空気に、全員で勝った。
1回に2点先制され、すぐに森山の2点適時二塁打で追いつく。エース佐藤が負傷し、先発は連投の石垣だった。監督は「不利かも」とこぼしたが、その石垣が化けた。8回2失点。「ピンチを楽しんで投げられました」と石垣。最後を締めたエース佐藤は、心技とも強くなったから1点を守り切れた。
青柳監督にとっては、あの頃が懐かしい。01年冬、野球愛好会の顧問になった。会員15人。「あいさつしたら5人やめた。生意気言ったかな。丸刈りの話をしたら今度は3人やめた。練習をボイコットされたり」。創部2年目の夏、試合後に1期生の3年生と泣いた。「お前たち、本当にありがとう。絶対これから野球部を強くしていくから、これからもずっと応援していてくれ」。
誓いを果たそうと色を出した。学生時代は7番打者、盗塁もバントもなし。「それがトラウマでね」。勝つために機動力を選んだ。やがて“機動破壊”が高校球界で話題になる。「機動破壊、機動破壊って言われて、そうしないとまじぃのかな~って。甲子園でも『走れ』って、背中から聞こえる気がして」。雰囲気にのってサインを「盗塁!」に変えてしまったことも今は昔。打てる選手や優秀なコーチが多く集まり、個性重視の方針で機動破壊の先へ行った。
「本当にいろんなOBたちの顔が思い浮かんで、涙が出ました」。感慨深く聞いた「Be Together」の校歌。教え子たちと寄り添って羽ばたいた。夢の時間に、甲子園には7羽のハトが舞っていた。【金子真仁】
◆青柳博文(あおやぎ・ひろふみ)1972年(昭47)6月1日、群馬県吾妻郡東吾妻町出身。前橋商では3年春のセンバツに「4番一塁」で出場し、初戦で新田(愛媛)に敗れた。東北福祉大に進み、3学年上の阪神元監督の金本知憲、同期で現中日コーチの和田一浩らとプレーした。計7年間の会社員生活を経て、02年4月に高崎健康福祉大高崎の監督に就任。11年夏に甲子園に初出場。12年春のセンバツで4強入り。甲子園には春夏で計10回出場し、通算19勝。
<センバツ高校野球:高崎健康福祉大高崎3-2報徳学園>◇31日◇甲子園◇決勝
高崎健康福祉大高崎の投手陣は佐藤龍月、石垣元気の2年生だけで優勝した。それも全試合継投。センバツの全試合継投Vは、55年浪華商(投手=谷本、広島、佐川)、87年PL学園(野村、橋本、岩崎)、94年智弁和歌山(松野、笠木)に次ぎ4度目だが、過去は全員3年生。2年生だけのオール継投Vは大会史上初めてだ。
佐藤は大会で初となる1点リードの決勝戦最終回から登板。厳しい場面を切り抜け胴上げ投手となったが、優勝投手を決めるには意見が分かれそう。優勝投手の定義はなく、投球回数は石垣が1回多い。ここでは先発3度でチーム最多の3勝を挙げ、無失点の佐藤とした。無失点でのセンバツV投手は38年野口二郎(中京商=36回)、40年大島信雄(岐阜商=36回)、52年田所善治郎(静岡商=36回)、21年石田隼都(東海大相模=29回1/3)に次ぎ5人目になる。【織田健途】
<センバツ高校野球:高崎健康福祉大高崎3-2報徳学園>◇31日◇甲子園◇決勝
高崎健康福祉大高崎(群馬)が初優勝した。主将を務める箱山遥人捕手(3年)を中心に、心技とも強いチームになった。
箱山は強肩強打で今秋ドラフト候補に挙がる。青柳博文監督(51)も「現時点なら捕手では歴代で一番いい」と評する。その歴代もすごい。阪神・長坂拳弥捕手(29)西武・柘植世那捕手(26)是沢涼輔捕手(23)広島清水叶人捕手(19)とプロ野球選手だけでも4人の捕手を輩出している。
箱山は「歴代捕手が全員すごくて、先輩を見て学ぶというか。隣で練習を見て学べる環境がすごいです」とし、さらに「それにやはり、木村コーチの指導が大きいと思います」と言う。柘植や是沢も木村コーチの名を挙げている。
木村亨コーチ(54)は17年からバッテリー部門を担当し、主に捕手育成に尽力してきた。基礎練習も徹底的に仕込むが、それ以上に「一番は『どれだけ大人としゃべれるか』ですね。コーチも含めて、自分の考えをしっかり答えられる子が試合に出ていると思います」と話す。例えば柘植は、入学直後から会話ができる1年生だったという。
いくら配球を練っても投げるのは投手だ。「こっちの意図するところをいかに投手に表現してもらえるか。自分のことばかり考えると態度やしぐさに出ます。うまく導けないと、投手を乗せてあげられない」。いかに気持ち良く投げさせるか。それを教え込む。
原点がある。帝京(東京)でプレーし、高3時には主将として春夏連続で甲子園に出場。バッテリーを組んでいたのは芝草宇宙投手(54=現帝京長岡野球部監督)だった。
個性的な名前で全国的な人気を博したエースに、何度も言われてきた。
「やる気分にさせてくれる捕手だよね」
当時からそんなスタンスでいた。「投手が怒ってもいいボールは来ない。厳しいボールを投げさせたいなら厳しい言葉よりも、投手をいい気分にさせてあげたほうがいいんです」。芝草氏と深めていった信念を、健大捕手陣に伝授する。
「捕手本人の感性の部分はすごく強いし、なかなか(指導も)難しいんですけどね」
そう笑いながらも、次々と好捕手を育て、DNAをつなぎ、健大を日本一にまで導いた。【金子真仁】
<センバツ高校野球:高崎健康福祉大高崎3-2報徳学園>◇31日◇甲子園◇決勝
高崎健康福祉大高崎(群馬)が、春夏通じて初の甲子園優勝を果たした。
甲子園では東日本の高校が4連続Vを果たしている。最近の甲子園では夏の大会を含め22年夏の仙台育英から山梨学院、慶応に次ぎ東日本勢が4連覇。東日本を富山、岐阜、愛知、三重以東の24都道県、西日本を石川、滋賀、奈良、和歌山以西の25府県とすると、夏に全国47都道府県代表が定着した78年以降、東日本の4連覇以上は04年夏から駒大苫小牧-愛工大名電-駒大苫小牧-横浜-早実-常葉学園菊川と6連覇したのに次いで2度目。
<センバツ高校野球:高崎健康福祉大高崎3-2報徳学園>◇31日◇甲子園◇決勝
高崎健康福祉大高崎(群馬)が、春夏通じて初の甲子園優勝を果たした。報徳学園(兵庫)とのセンバツ決勝は1回に2点を先制されるも、逆転勝利。かつて“機動破壊”で注目を浴びたチームは、低反発バットが導入された今大会で強い適時打を重ねるほど進化した。競り負けた報徳学園は戦後初の2年連続準優勝に終わった。
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閉会式で日本高野連の宝馨会長が今大会を振り返った。能登半島地震の被害を受けた、石川県の日本航空石川と星稜へ「被災地に元気と勇気を届けた」と語った。21世紀枠の別海(北海道)と田辺(和歌山)2校を「チームの力を存分に発揮した」と講評。導入された新基準バットの戦いぶりには「各チームが盗塁やバントなど確実に得点する野球になった」と語った。
<涙は夏のため>
<センバツ高校野球:高崎健康福祉大高崎3-2報徳学園>◇31日◇甲子園◇決勝
センバツが100年を迎えた。敗れて甲子園を後にする敗者には、今夏の甲子園へとつながっていくドラマがある。「涙は夏のため~新しい夢のため~」と題し、さまざまな角度から敗れたチームの物語を紡ぐ。
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報徳学園の4番斎藤は、「甲子園の決勝」という独特の雰囲気にのみ込まれた。「優勝を意識してしまった」と力みが生じ、初回、3回と凡退。「打てなかった時にダメージがいつもより来て、そのまままたズルズル行ってしまいました」。1点を追う5回2死満塁で遊ゴロに倒れるなど4打数無安打。試合後は自然と涙があふれていた。
前回大会ではベンチ入りも決勝での出番はなかったが、新チームでレギュラーをつかんだ。副主将の福留は「斎藤はいつも朝練やって、放課後も最後まで自主練で残ったりして、めちゃくちゃストイックです」と認める努力家。大角監督も「この冬で斎藤はかなり伸びた」と成長に目を細める。今大会は愛工大名電(愛知)との1回戦では延長タイブレークで放ったサヨナラ打を皮切りに、3試合連続で決勝打をマークするなど勝負強さを発揮。ただ、決勝では涙をのんだ。
悔しさを味わった決勝で、新たな課題を発見した。斎藤は今大会で9安打を放つも、長打は0本だった。高崎健康福祉大高崎は長打を起点に得点を重ねるシーンを目の当たりにし、心に誓った。「夏は僕が長打を増やせるようにしていきたい」。夏は長打力を武器として暴れ回り、甲子園で悲願の金メダルを奪い取りにいく。【古財稜明】
<センバツ高校野球:高崎健康福祉大高崎3-2報徳学園>◇31日◇甲子園◇決勝
高崎健康福祉大高崎(群馬)が、春夏通じて初の甲子園優勝を果たした。報徳学園(兵庫)とのセンバツ決勝は1回に2点を先制されるも、逆転勝利。かつて“機動破壊”で注目を浴びたチームは、低反発バットが導入された今大会で強い適時打を重ねるほど進化した。野球愛好会の顧問からスタートした青柳博文監督(51)は涙。群馬県勢はセンバツ初優勝で、競り負けた報徳学園は戦後初の2年連続準優勝に終わった。
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野球部1期生でOB会長を務める倉持雄太さん(38)も、甲子園に駆けつけアルプスから声援をおくった。「青柳監督は当時から熱血監督。少しずつ部員に寄り添い技術だけでなく人間形成を大事に指導してくれた」。当時は専用グラウンドがなく、青柳監督自らマイクロバスを運転し練習会場も日替わりだった。「苦労してここまできた。本当によかった」と、初優勝に大きな拍手をおくった。
<春季高校野球静岡県大会予選>◇3月31日◇代表決定戦◇焼津球場ほか
昨秋優勝の藤枝明誠が島田樟誠を9-0の8回コールドで下し、4年連続の県大会出場を決めた。先発の日吉結雅投手(3年)が7回3安打無失点と好投し、勝利に貢献した。浜松開誠館は袋井商に7-0で快勝し、4年連続の県切符獲得となった。静岡市立、聖隷クリストファーも勝利するなどこの日、26校の県進出が決定。敗れたチームは6日の敗者復活戦に回る。
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左腕エースの松井隆聖(3年)が、投打で勝利に貢献した。最終回こそマウンドを譲ったが、8回5安打無失点、11奪三振と好投。序盤から緩急をつけて、テンポの良い投球を披露したエースは「内容はまあまあ。今日は直球主体に投げ込めることができた」と満足げ。球の回転数を意識した直球に磨きをかけるためこの冬、投球フォームを修正。この日、球速こそ120キロ台後半も、力感あふれた投球フォームから伸びのあるストレートで相手打線を99球でねじ伏せた。打っては4回に中前適時打を放ち2打点を記録。「これで自分を楽にできた。バッティングも好きですね」と笑みを浮かべた。
3月1日から佐野心総監督(57)に代わり、指揮を執る浜野洋監督(49)は「エースらしいピッチングで丁寧に投げ込んでくれた」とたたえるも、10安打を放った打線については「バットも変わり、なかなか安打が続かなかった。県大会に向けてもう1度、調整していきたい」と、今大会から使用の低反発バットへの対応を口にした。【山口昌久】
春季高校野球県大会予選◇31日◇代表決定戦◇焼津球場ほか
昨秋優勝の藤枝明誠が島田樟誠を9-0の8回コールドで下し、4年連続の静岡県大会出場を決めた。先発の日吉結雅投手(3年)が7回3安打無失点と好投し、勝利に貢献した。浜松開誠館は袋井商に7-0で快勝し、4年連続の県切符獲得となった。静岡市立、聖隷クリストファーも勝利するなどこの日、26校の県進出が決定。敗れたチームは6日の敗者復活戦に回る。
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藤枝明誠のエース候補が、好発進した。今大会初登板初先発の日吉が、7回無四球無失点と好投。チームを県大会へと導いた左腕は「テンポ良く、しっかり(ストライク)ゾーンで強気に勝負できた。素直にうれしい」と笑顔を見せた。
県王者として臨んだ昨秋の東海大会は、4強に終わった。準決勝で愛工大名電(愛知)に6-10で敗れた。3回途中から2番手で登板した日吉も3回2/3を投げ、8安打5失点を喫した。「(球に)キレがなく、かわしにいった変化球も打たれてしまった」。
冬は握力や手首などを徹底的に鍛えた。課題克服に励むと、この日、スライダーを軸に相手打線を翻弄(ほんろう)。単打のみの散発3安打に封じた。「スライダーでカウントも空振りも取れた。感覚は良かった」と成長を実感。光岡孝監督(45)からも「無四球で抑えたことが良かった」と褒め言葉をもらった。
創部初のセンバツ出場まであと1歩だったチームは「最低でも県4強」を目標に、今春の戦いに挑んでいる。日吉は「夏に向けて、もっと弾みがつくような投球、試合をしていきたい」と浮かれず、先を見据えた。【前田和哉】
<センバツ高校野球:高崎健康福祉大高崎3-2報徳学園>◇31日◇甲子園◇決勝
高崎健康福祉大高崎(群馬)が、春夏通じて初の甲子園優勝を果たした。
報徳学園(兵庫)とのセンバツ決勝は1回に2点を先制されるも、逆転勝利。かつて“機動破壊”で注目を浴びたチームは、低反発バットが導入された今大会で強い適時打を重ねるほど進化した。野球愛好会の顧問からスタートした青柳博文監督(51)は涙。群馬県勢はセンバツ初優勝で、競り負けた報徳学園は戦後初の2年連続準優勝に終わった。
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エース佐藤龍月投手(2年)(好救援で今大会22イニング連続無失点)「(準々決勝で左手中指の血マメがつぶれ)指の痛みもあったけど、最後は気持ちで投げた。石垣は心強かった」
<センバツ高校野球:高崎健康福祉大高崎3-2報徳学園>◇31日◇決勝◇甲子園
“泣き虫コーチ”は最後も涙だった。試合終了後、待機していた赤堀佳敬コーチ(31)がグラウンドに足を踏み入れると、目の前にアルプスにあいさつを済ませた選手たちがいた。「赤堀さん!」。1番に駆け寄って来たのは田中陽翔内野手(3年)だ。「本当にありがとうございました」。泣きながら抱き合った。「僕も涙が止まりませんでした…」。3月いっぱいで退任し磐田東(静岡)の監督に転任する。このセンバツが高崎健康福祉大高崎で最後の大会だった。
19年、盛岡大付(岩手)からコーチに就任した。当時のチームは機動力でゆさぶる「機動破壊」で有名だった。「盛岡大付は強打がウリ。僕が伝えられることはあるのかな、とすごく不安でした」。20年のコロナ禍には、選手に付き切りで打撃指導した。「タイミングと体のしなりでバットをボールのラインに入れることを徹底させました」。
昨秋、新基準のバットが導入されると「分厚く当てなさい」と指導。「軌道にバットを合わせライナーで飛ばす感覚です」。この試合、3回に先頭の斎藤は初球のカーブを右越え三塁打に。勝ち越しのチャンスを作った。斎藤は「後ろの手を押し込むイメージ。ボールを長く見てバットに接着させて乗せた。赤堀さんの教えが土壇場で出ました」と笑った。就任5年。機動破壊に強打をプラスし、日本一の強力打線を育てた。
選手たちと共に泣き、共に笑った5年間だった。寝食を共にし、練習はとことん付き合った。「実は8割は世間話(笑い)。それが楽しかった」と田中。誰よりも身近にいた、いいアニキ分だった。今大会、選手は全員、帽子のつばに「赤堀コーチのために」。赤堀コーチは「この仲間と日本一しかない」と、選手全員の名前を記した。選手66人とスタッフ11人の熱い思いが日本一を実現させた。「時代は変わっても、泥くさく魂を込めて“漢らしく”生きて欲しい」。赤堀コーチはそう話すと、再び涙をこぼした。【保坂淑子】
報徳学園主将で背番号1の間木歩投手(3年)は、準優勝旗を手にした。先発今朝丸の投球を横目に、8回からブルペンで準備した。
「優勝だけ目指してやってきたので、結果が出なくて悔しい」。大角健二監督(43)の「夏に帰ってこよう」との声かけに再び奮起する。「走攻守、全てレベルアップして最後は夏の甲子園に出たい」。一から出直し、今朝丸とのダブルエースで夏の聖地に舞い戻る。
<センバツ高校野球:高崎健康福祉大高崎3-2報徳学園>◇31日◇決勝◇甲子園
高崎健康福祉大高崎(群馬)が甲子園で初優勝を果たした。
OBの西武柘植世那捕手(26)は「甲子園で優勝することはこれまで成しとげられなかったことなので、本当にすごいこと。後輩たちを誇りに思います。夏の甲子園にも出場して、春夏連覇する姿が見たいですね。僕もプロで日本一になれるよう頑張ります」とコメントを寄せた。
柘植は高校時代、3年の春と夏に甲子園に出場。計10打点を挙げた。西武育成の是沢涼輔捕手(23)は、テレビに映る柘植の姿に憧れて、希望進路先として決意したほど。同校に脈々と引き継がれる好捕手誕生の地盤を作った選手でもある。