日刊スポーツ

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どうなるバレーVリーグ、会長交代 目の前を明るく照らすような抜本策は

今月から会長職に就任した日本バレーボールリーグ機構の国分氏

国内最高峰バレーボールリーグのVリーグは、今後どうなるのか。4月下旬に運営の日本バレーボールリーグ機構(Vリーグ機構)のオンライン会見で、嶋岡健治会長の後任に、全日空商事副社長でVリーグ副会長の国分裕之氏が就任すると発表された。リーグの顔が変わっての新たな船出に、取材した1人としては期待よりも不安が募った。

日本協会の会長と兼務していた嶋岡氏は、開催まで残りわずかとなった東京五輪へ最大限力を注ぐために辞任を決めたという。「今のポジションでは時間的に不足の部分が出て、じくじたる思いがあった」と話した。

地域密着型の推進や日本のトップアリーナスポーツにする構想を託された国分氏は「選手、監督としては大きな実績はないが、50年にわたるバレーボール愛がある」。企業人として培った経験を生かしていきたいとした。

「このタイミングでの(嶋岡氏の)辞任は職を投げ出しているのではないか」「(バスケットボールの)Bリーグとの違いをどう感じているのか」など、出席した記者からの質問は手厳しかった。「プロ化など見える形での変化が必要になるのではないか」との質問には、国分氏が「プロ化ありきではなく、地域一緒になってできることが大事」と説明。リーグが大きく変貌を遂げると感じられるような回答はなかった。

一説によるとバレーボールの世界競技人口は5億人を超える。サッカーやバスケットボールよりも多いが、国内人気は後者に先を越されている。男子プロバスケットボールのBリーグ1部の観客数は2019-20シーズン114万人に対し、同シーズンのVリーグ男子1部は21万人、女子1部は18万人。参加チームや試合数に違いはあるものの、大きく離されているのが現状だ。

2018年に新リーグが立ち上がったVリーグでは、ホーム・アンド・アウェー方式が導入された。チームにホームゲームの興行権を全面的に委譲して地域密着を推し進め、競技普及と強化を目指した。

ただ、選手の1人は「あの時新リーグになって何が変わったのか。選手たちも分かっていなかった」。プレーしている選手たちにも伝わりづらいリーグ改革が変化の妨げになったのではないかと振り返り、「JリーグやBリーグとか他競技の運営を見習ってほしい。プロ化だって選択肢の1つとしてあってもいい」と話していた。

来季もコロナ禍で迎えるだろう。今季のように一部の試合で無観客になったり、試合延期・中止になったり。選手、ファンに引き続き大きな影響を与えることが予想され、チーム関係者の中にもリーグの未来に不安を感じている声が少なくない。先行きの見えない暗い状況の中、目の前を明るく照らすような抜本策はないのか。担当記者としても考え続けたい。【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

東京五輪がやってくる

海の森水上競技場 コース内で発生判明のカキ対策は?/あの問題どうなった

オリンピック(五輪)会場でとれたカキは食べられないの? 東京五輪のボート、カヌー会場として新設された海の森水上競技場(江東区)。コースに設置された消波装置に、大量のカキが発生していたことが明るみになったのは約5カ月前のことだ。同会場でボートの五輪切符をかけた戦いが6日から始まる。カキ対策はどうなったのか。カキを食材として利用できないのか-。管理する東京都や、カキの専門家に聞いてみた。

消波装置に付着した大量のカキを除去する作業スタッフ(東京都提供)

乳白色の身が豊富な栄養素を含むことから「海のミルク」とも称されるカキ。磯の香り漂う高級食材で、とろりとした独特の食感も魅力の1つだ。

そんなカキが、五輪運営で邪魔者になってしまった。問題発覚の場所は、東京五輪会場として新設された海の森水上競技場だ。水面に設置された消波装置に大量のカキが付着。重みによってその装置は沈み、波の発生を防ぐ機能に支障が出た。

ボート競技ダブルスカル(21年1月11日撮影)

東京都オリンピック・パラリンピック準備局によれば、19年8月、ボート競技の国際大会時に指摘を受けて点検した結果、カキの存在が判明。その後、カキの「旬」となる冬場を迎えるにつれ、事態は深刻化した。東京都は19年12月から20年3月にかけて、合計約14トンものカキを一時的に除去。その費用は約1億4000万円に及んだ。

なぜカキが大量発生したのか。調査した都は、多くの植物プランクトンを含む水質や、海水と淡水が混じり合う塩分濃度がカキの繁殖に適していると推測。今年1月の時点で担当者は、想定外の事態を認めつつも、「頭を抱え込んでいるわけではありません。専門家の意見も聞きながら、今後の対策を検討中です」と話していた。

過去にカキなどが付着して沈んだ消波装置(撮影・河野匠)

それから半年近くが経過し、解決の見通しは立ったのか。再び担当者を直撃したところ、「現時点で大きな進展はないですね…」。それでもカキの付着が目立ったコース北側などの消波装置はしばらく陸に揚げていたことで、被害拡大はなかったようだ。

同会場では6日、ボートの東京五輪アジア・オセアニア大陸予選が、強風による中止から仕切り直して1日遅れで始まる。消波装置の再設置に取りかかっていた4月下旬時点で担当者は「競技への影響はありません」と断言。カキ問題解決に向けては、拙速に結論を出すつもりはないとし、「一番大事なのは、この競技場が東京五輪後も長く使われること。維持管理コストも考慮しながら、最も効率的で効果的な方法を探しています」。

日本牡蠣(カキ)協会オイスターズジャパンの三村代表

大量発生したのはマガキという種類で、生食のほか、鍋やフライなどにも使われる。都は廃棄物として焼却処分したが、食材として活用することはできないのか? 日本牡蠣(カキ)協会オイスターズジャパンの三村大輔代表(38)は、下水などが流れ込む東京湾奥は衛生面に大きな懸念があると指摘する。「加熱すれば、ただちに食中毒になる可能性は少ない」としつつも、「何が含まれているか分からない環境で育ったカキを口にすれば、死に至るおそれもあります」。

国内で流通しているマガキのほぼすべては養殖生産で、天然ものはゼロに近い。安全性のみならず、味や品質にも雲泥の差があるとの見方が一般的だ。採れたものを“東京五輪カキ”として販売すれば、収益につながらないだろうか? 三村代表は「まず売れないでしょうね」とにこやかに一蹴。記者の浅はかなアイデアは、海の藻くずと消えていった。【奥岡幹浩】

◆カキの種類 国内の代表的な種類といえるのがマガキ。産卵期は6~9月で、旬の季節は冬。肉質は厚く、濃厚な味わいが特徴とされる。市場に出回るほとんどは養殖生産されたもの。夏に旬を迎えるのはイワガキで、粒が大きく、身は厚くてジューシー。こちらは天然漁獲が中心だが、養殖生産されたものも流通する。ほかにもスミノエガキ、イタボガキなどが存在する。

◆海の森水上競技場 ボートとカヌー・スプリントの競技会場として、東京都の臨海部にある水路を整備し、19年6月に完成披露式が行われた。五輪各会場の建設整備費見直しの中で、当初計画されていた約491億円から約308億円に削減。仮設観客席は屋根の大部分が省略された。水門の管理コストなどから、年間の赤字試算額は約1億6000万円。コースの特徴としては、強い風が吹くことが珍しくなく、波も高くなりやすいとの声が多い。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

東京五輪がやってくる

野老朝雄氏、エンブレムのコロナ風刺の過去を初言及/あの問題どうなった?

自身の作業場で作品への思いを語った東京五輪エンブレム制作者の野老氏(2021年4月19日撮影)

東京2020オリンピック(五輪)・パラリンピックのエンブレム「組市松紋」を制作した美術家、野老(ところ)朝雄氏(51)が5日までにインタビューに応じた。大会延期を受け、あらためて「多様性と調和」を発信する象徴となったエンブレムに込めた思いを紹介。昨年5月の新型コロナウイルス感染拡大下で「わが子」と愛する作品が風刺に遭い、傷つけられた時の心境も初めて打ち明けた。【取材・構成=木下淳】

   ◇   ◇   ◇

都内では、やはりタクシーが最も多いだろうか。東京2020大会の1年延期に伴い、エンブレムが街中で見られる期間も延びた。制作者の野老氏は「不思議な気持ち。去年の夏、ポスターが一斉に剥がされる日を覚悟していたので」と胸の内を語った。延期が決まった昨年3月まで丸刈りだったが、今は長髪。「コロナに対する験担ぎで1度も切っていないんです。感染拡大後、次々とプロジェクトが中止になり人と会う機会も減ったので、髪をそる必要がなくなって。いっそパラリンピックが閉幕する9月5日まで伸ばして結ぼう」と継続している。

そう大会成功を願う一方で開催への機運は高まらない。「感染症拡大の影響でグッズ売り場も一時的に閉鎖されたと聞きました」と実感はしつつ、前を向く。「1920年のアントワープ大会もスペイン風邪を乗り越えましたし(教壇に立つ)東大の学生にはニュートンの話をしたんです。17世紀、4度目のペスト大流行でケンブリッジ大が閉鎖され、帰省していた時に万有引力の論文を書いたことを。学生には重要な機会と思ってほしいし、アスリートも懸命に努力されている。エンブレムも、地方ではまだ見たことがないという方も多いですが、本大会が始まって初めて見られるもの。正直、見ていただきたい」と率直に打ち明けた。

「5歳の誕生日を迎えました」。そう頬を緩め、柔和に話すのは、実子ではなく「組市松紋」のことだ。16年4月25日が、佐野研二郎氏のデザインが白紙撤回されてから8カ月後の新エンブレム発表日。10日前に丸5年が経過した。当時、野老氏が会見で「わが子のよう」と言った作品。取材中も、木材で作ったパーツをパズルのように優しく動かしながら「3種の四角形45個(大9中18小18)は、配置を変えればオリンピックにもパラリンピックにもなる」。その形に「平等」の精神を込めて制作した。

組み替えのパターンはオリンピックが約53万通り以上、パラリンピックが同335万通り以上あると数学者によって立証され、算数や数学の教科書に載るなど広がりも見せている。オリパラのエンブレムでは初の展開で、違う形のものが何通りも姿を変え、輪になることで「多様性と調和」を表現した。くしくも、今年2月に組織委会長が森氏から橋本氏に交代し、クローズアップされた理念と重なって意義が再確認された。

01年の9・11(米同時多発テロ)で「断絶を見た世界を『つなげる』ために」幾何学、紋様(パターン)の制作を続けてきた。「今年で20年も何かの縁」。コロナ禍で人と人が分断された社会へのメッセージにもなる。かつて「地味」とも評された単色も「黒の次に退色しないのが藍色」で、発表から5年たった今も街のポスターの組市松紋は色あせていない。「戦国武将が『勝色』として愛した」日本伝統の色でもあった。

その「わが子」を傷つけられたことがあった。昨年5月。日本外国特派員協会の月刊誌が、エンブレムをコロナに見立てたデザインを表紙に掲載した。「サタイア(風刺)の件は忘れられない。当時、怒りと悲しみで感情的になっていたので、メディアの取材依頼は全て断りました」。あの時に言及するのは初めてだ。

「子供の顔に落書きされたようなもの。頭にきました。生みの親として」と、穏やかな口調に怒気がこもる。「納得いかないのはFCCJ(外国特派員協会)がすぐ取り下げたこと」だった。組織委の抗議を受けて数日であっさり撤回したことが理解できなかった。

協会の釈明会見も生で視聴したが「引いた理由が分からなくて。ジャーナリズムで描いたのであれば命懸けで闘ってほしかった」。偶然、自身もコロナと禁止マークを掛け合わせたり、ウイルスを一刀両断するデザインを考案していたタイミングだった。比べて中途半端な風刺画に「神聖なもの」を汚された気がした。

手掛けた、東京在住という英国人デザイナーに対しては「いつか話をしてみたい。大会を中止しろという意味だったのか、単なる注意喚起だったのか」など聞きたいことは山ほどある。「1年たっても、この話題になったらカッとなってしまいました」と恐縮した野老氏は「大会後に語るべき重要なこと」と強調した。欧米ほど風刺に寛容ではない日本の現状も踏まえた上で「議論する前に終わってしまった。もったいない」と、レガシーになり得る今後の議論発展に期待した。

エンブレムを手掛け、人生は変わったか。「コロナ後は右往左往しましたけど『つなげる』ことを自分は息絶えるまでやるんだ」と再認識した。続けて「オリンピックの勉強もするようになりましたし」と言い「エケケイリア」を挙げた。交戦が相次いだ古代ギリシャの「休戦協定」。近代オリンピックでは94年のリレハンメル大会から国連が休戦決議を採択し、この東京大会にもつながっている。

「大発明。冬季もあり戦争をしにくくなった。平和の祭典。ただ、そこには健康も含む、ということを今は思い知らされています」

コロナ禍のエケケイリアとは、他者との分断の解消だろう。「仲の悪い人も大会の最中だけは仲良く」。エンブレムも「個」である四角形の角が点で接していくうちに「群(グループ)」になり「律(ルール)」を守って円(輪)になる。

開幕まで3カ月弱。野老氏は、使い捨てプラスチックを再生利用して作る表彰台のデザインも任されている。こちらは19年6月の計画発表から延期をへて、お披露目を待つ段階。「表彰台は、特別な存在が立って初めて美しいものとして成立する。そこにアスリートが立つ姿を見たい」。開催されて、次代にバトンを渡す大会になることを「象徴の親」として願っている。

◆野老朝雄(ところ・あさお)1969年(昭44)5月7日、東京都生まれ。父は建築家の正昭氏、母はインテリアデザイナーの春子さん。東京造形大で建築を専攻し、英国留学をへて江頭慎氏に師事。代表作は大名古屋ビルヂング「下層部ファサードガラスパターン」や東京体育館前「HARMONIZED TOWER」など。紋様や柄デザインの第一人者。サーフィン日本代表の公式ウエア、プライドハウス東京のロゴも手掛けた。11日に美術出版社より初の作品集「野老紋様集2001-2021→」を出版。17日は「グラフィックトライアル2020-Baton-」でオンライントークイベントを開催。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

自身の作業場で作品への思いを語った東京五輪エンブレム制作者の野老氏(2021年4月19日撮影)
ピッチマーク

【コラム】稲見萌寧の勢い加速「夏場にピークを」コース外の動きも活性化

稲見萌寧

今年9戦で4勝をあげている稲見萌寧(21=都築電気)の勢いが止まらない。4月は06年の大山志保、19年の鈴木愛に次ぐ史上3人目の月間3勝を達成。昨年と統合されている今季の獲得賞金も1億円を突破した。昨年までの優勝は19年7月のセンチュリー21レディース、20年10月のスタンレー・レディースと年1度ペースだったが、今年は9試合中、トップ10を逃したのはわずか2試合のみ。初日で出遅れようが最終日までには常に上位へと浮上し、ツアーを盛り上げている。

そんな活躍に呼応するようにコース外の動きも活性化している。4月29日にはIT大手の楽天とスポンサー契約を結ぶことを発表。楽天はこれまでサッカーの元ドイツ代表FWルーカス・ポドルスキーや米プロバスケットボール、NBAのスター選手であるステフィン・カリー、男子バスケの河村勇輝、馬場雄大の4人とパートナーシップ契約を結んでいるが、同社によると「パートナーシップ契約はスポンサー契約よりも広い取り組み」とのこと。ゴルフ界の枠を超え、他競技のアスリートらとも交わしていなかったスポンサー契約を初めて結んだことに、強い期待が感じられた。

同社はチーム単位ではプロ野球の楽天やJ1のヴィッセル神戸の運営なども行っており、稲見も田中将大やイニエスタらの名前を挙げた上で「私で大丈夫なのかなと思ったりもしますけど、うまく貢献できたらいいなと思います」と意気込んだ。

4月26日には従来のスポンサーでもある日本生命サポートのもと、同社公式YouTubeチャンネル内のコンテンツとして「稲見萌寧のゴルフチャンネル」がスタート。第1回ではショットの練習方法や実戦での取り組みなどを公開した。加えて4月27日発売のゴルフ雑誌「週刊パーゴルフ」では初の表紙にも抜てき。稲見は以前、YouTube参戦を問われた際に「自分はあまり面白いこととかできない。私は裏で練習で頑張ります」と話すなど、積極的には前に出ないタイプ。関係者によると徐々に周囲の反応も変わってきているといい、昨今の成績が目に見える形となってきている。

心配されるのは多忙による体調面だろう。19年から本格的にツアー参戦し、ここまで上位争いを続けながら連戦をこなすのは初めて。大会中の会見では疲労の蓄積を口にすることも増え、先週のパナソニック・オープン(4月30~5月2日)時には休み週をつくることも「検討しています」と話した。

一方で「夏場にピークをもっていきたい」とも語っており、稲見の関係者も「まだまだチャンスはあるし、ここからです」とさらなる飛躍を期待している。直近の目標は、まだ制覇したことのない国内メジャーでの優勝。その第1戦でもあるワールド・サロンパス・カップ(5月6~9日)が明日開幕する。これまで通りの調子で国内メジャーのタイトルも手にするのか。決戦の行方に注目していきたい。【松尾幸之介】(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)

東京五輪がやってくる

卓球水谷隼はノーパン継続 五輪も「もちろん」/あの問題どうなった?

卓球東京オリンピック(五輪)代表の水谷隼(31=木下グループ)がインタビューに応じ、下着をはかずにプレーする理由を明かした。リオ五輪シングルスで銅メダルを獲得した後、競技中はノーパンであることを告白し、話題になった。今も変わらずにプレーする理由は何か? 水谷なりのこだわりを語った。

 ◇  ◇  ◇

水谷は16年リオデジャネイロ五輪で、日本卓球界初の五輪シングルスのメダル(銅)を獲得した。48回のラリーを制すなど熱戦を繰り広げた3位決定戦。サムソノフ(ベラルーシ)を撃破した瞬間、両手を突き上げながら大の字に倒れ込み、喜びを表現した。

16年8月、リオデジャネイロ五輪・卓球男子シングルス3位決定戦で勝利し銅メダルを決めて倒れ込む水谷

その際、話題になったのがユニホームの下に下着をはいてなかったこと。その習慣は今も継続しているのか? 「今も変わりませんよ」とサラリ。理由について「まずはパンツの締め付けがキツイ。あと毎試合汗をかくので洗濯が面倒なんですよ」と語った。

青森山田中の時から習慣で、大人になったからといって簡単には変えられない。「卓球って多くて1日7試合やる時もあった。汗をかいたパンツは次の試合ではいたら気持ちが悪い。でもユニホームの短パンは汗吸わないんで大丈夫なんです」。

今まで「ポロリ」の経験はないのか? リオの銅メダル時も国際映像のスローモーションでは絶妙なアングルでヒヤヒヤした。「意識的に僕が見えないように倒れてるんですよ。そっちもプロっす(笑い)」。

ただ青森山田中高、明大と直系で5年後輩の丹羽孝希に水谷が聞くと「『そんな伝統はない』って言うんですよね」と笑う。五輪代表では丹羽も張本智和も下着ははいているという。「僕が青森山田を卒業するぐらいでちょうど、その伝統が終わっちゃったんですよ」。むしろ水谷より上の世代は「山田以外の選手もノーパンでしたね」と解説した。

欧州のリーグに所属した際はユニホームの内側に通気性の良いインナーパンツが付いていた。水谷には持ってこいの機能だと思うのだが「はいたらもう1枚あるのが気持ちが悪い。だから切って捨てるんですよ」と笑った。

東京五輪でも下着をはかずに出場するのか? 「もちろんそうっすね」とキッパリ。「卓球に限らず東京に出る選手でパンツをはいてない選手はなかなかいないでしょうね」と聞くと「消えていくんでしょうね、ノーパン派の伝統が」と、しみじみと語った。

夕日を背にポーズをとる東京五輪・卓球男子日本代表の水谷(撮影・菅敏)

◆水谷隼(みずたに・じゅん)1989年(平元)6月9日、静岡県磐田市生まれ。5歳から父信雄さんが代表を務める豊田町スポーツ少年団で競技を始め、青森山田中-青森山田高-明大。07年全日本選手権シングルスを17歳7カ月で当時、史上最年少制覇。172センチ。家族は妻、長女。血液型B。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

東京五輪がやってくる

卓球水谷隼、視力低下は「悪くなっている印象」/あの問題どうなった?

卓球東京オリンピック(五輪)代表の水谷隼(31=木下グループ)がインタビューに応じ、かねて不調を訴えていた目の近況について「悪くなっている印象」と明かした。レーシック手術がきっかけで試合中の球が見えづらくなる現象に約2年前から悩んできた。多くのサングラス、コンタクトを試しながらも先日、コロナ以前に通っていた眼科での治療を再開すると、最近では裸眼でのプレーに最も手応えを感じていることも明かした。苦悩の2年を振り返る。

 ◇  ◇  ◇

19年3月、自らの告白で水谷の目の不調は明らかになった。20年以降、表だって目のことは口にしていない。「自分の弱さを見せつけることは、相手に付け入るチャンスを与えてしまう。自分の問題なので自分で解決したかった」。

鋭い目でポーズをとる東京五輪・卓球男子日本代表の水谷(撮影・菅敏)

ショーアップされる昨今の卓球競技会場。コート周りにあるLED看板や、照明によるコートと客席の明暗差で、水谷はボールを正確に見ることが難しくなった。五輪までわずか2カ月半余りだが、状況は芳しくない。

「2年前より、悪くなっている印象。最近はLED看板がなくても普通の会場で見えづらい環境が多くなっている。(代表合宿をする)ナショナルトレセンでも見えづらい」

トレセンの卓球台に反射した照明の光がその原因だというが、他選手から同様の声は聞こえない。だからこそ最近では表だって言わず1人で悩み、自身で解決するしかないと言い聞かせてきた。

13年の全日本選手権。丹羽孝希に敗れた決勝で見えづらさを感じた。検査をすると右目2・0、左目0・3と、左右で大幅に視力が違っていた。まず左目のレーシック手術を受け、1・5まで回復。しかし18年ごろに「また見えづらい」と視力を測ると今度は右目が0・7ほどに落ちていた。

「昔、レーシックで良くなったから右目もやったら良くなるのでは」と思って同年に手術を受けた。現在の症状について医師や専門家からはレーシックが原因と言う人もいれば、そうでない人もいる。

ある医師からの診断によれば、水谷は暗い場所で普通の人より1・5倍、瞳孔が大きく開くという。だから客席が暗く、卓球台周りだけが明るい昨今の競技会場で視点を移すたび、余計にまぶしく感じる。さらに「レーシックの影響で角膜が少し凸凹しているから乱反射が起きている可能性があると、聞いている」という。右目(2度目)のレーシックについては「手術後に違和感が出たのは間違いない。もう少し考えればよかったなと後悔はある」。

ただ後には戻れないため最善策を模索。瞳孔(黒目)の部分まで覆うカラーコンタクトを試すと「視界が暗くなる分、ボール自体は見えやすくなる。でも暗いと回転などボールの繊細な部分が見えにくくなる」。

サングラスもいくつも試着し、試合に臨んだ。「視界は良いが、途中から汗で曇りパフォーマンスが低下する。サーブでボールを上げる時に装着部分の境目で視線がはずれて、ボールがずれる」。双方、長所と短所がある。

コロナ禍前に通っていた眼科に先日、久々に通院すると「治療を再開して明らかに視界が良くなった」といい「今は裸眼が調子が良い。このままいければ五輪は裸眼で挑みます」と本来の水谷が戻りつつある。「目のことも卓球のことも精いっぱいやって今の状態を受け入れる。オリンピックまでの期間、全力でやって、あとは試合で自由に卓球をするだけです」。卓球界のキングらしく堂々と言った。【三須一紀】

東京五輪への思いを話す卓球男子日本代表の水谷(撮影・菅敏)

◆水谷隼(みずたに・じゅん)1989年(平元)6月9日、静岡県磐田市生まれ。5歳から父信雄さんが代表を務める豊田町スポーツ少年団で競技を始め、青森山田中-青森山田高-明大。07年全日本選手権シングルスを17歳7カ月で当時、史上最年少制覇。172センチ。家族は妻、長女。血液型B。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

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バッハ会長発言で悪者化進む東京五輪、開催するには国民感情にも配慮すべき

五輪会館前の五輪マークと国立競技場(2020年3月25日撮影)

IOCバッハ会長の発言が、東京五輪への「逆風」になっている。東京都などに発出された緊急事態宣言を「大会とは無関係」と発言。さらに「これまで逆境を乗り越えてきた日本人なら、厳しい状況も乗り越えられる」という精神論までぶち上げた。3度目の緊急事態宣言下にある日本国民の怒りも無理はない。

ただ、誤解を恐れずに言うなら「感染状況と五輪開催は別」というのが、IOCや組織委委員会の本音でもある。正確に言えば、感染状況にかかわらず安全な大会を開催する準備を進めている。「感染拡大したので開催できません」とならないようにするのが、組織委のミッションでもある。

4月28日には、参加する選手らの行動ルールを定めた「プレーブック」第2版が公表された。徹底した検査が義務付けられ、選手村と会場など定められた範囲以外には出ることもできない。この1年、多くのスポーツイベントで行われてきた「バブル方式」、東京大会も選手や関係者をクリーンな泡(バブル)の中だけで行動することになる。

開催地や都市、国など市中から「隔離」し、ウイルスのない環境で大会を行えば、選手への感染リスクは抑えられる。選手や関係者のいる「バブル」を完全に隔離できれば(東京でやる意味があるのかという考えもあるけれど)確かに日本国内の状況がどうあれ、大会開催に影響はない。

もっとも、現実的に完全な形のバブルを作るのは不可能だ。これまで行われた国際大会でも、感染者が続発した例はある。選手数百人規模の単一競技の大会でも難しいのだから、33競技に1万人もの選手が集まる大会にリスクがないとは言い切れない。

ルール違反を犯した選手には資格停止などペナルティーも課される可能性もある。ただ、過去の大会でも必ずと言っていいほど選手の「悪さ」はある。大会側が厳格に対応しても、それを破る選手は出てきそう。さらに、バブル外からの人流も避けられない。完全なバブルを作るのが難しいのだから、やはり外部の感染状況が落ち着いていることは、不可欠な要素になる。

何よりも五輪を迎える国民感情が大切になる。バッハ会長の発言に逆風が吹く中で、看護師500人派遣要請が浮上。ますます東京五輪が「悪者」になっている。4月中旬に共同通信が行った世論調査では「中止すべき」が39・2%、「再延長」が32・8%、「今夏開催」が24・5%。現実的に「再延長」はないが、感染拡大で「中止」を求める声はさらに大きくなっているに違いない。

まずは感染を抑え、多くの人が心に余裕を持てるようになることだ。緊急事態宣言も人流は思うほど抑えられず、深夜まで酒を出す店には客が押し寄せ過密になっている。連休明けに爆発的に感染者が増えるようなら、今月末にかけて重要患者や死亡者も増える。そうなれば、ますます国民の心から五輪が遠ざかる。

IOCや組織委は、開催地の国民に向けての発信をするべきだ。バッハ会長の「無関係」や「精神論」の発言は、世界中のアスリートの安心のため。組織委員会のプレーブックも選手向けだ。いずれ観戦者向けも公表するというが、観客制限の決定も6月にずれ込んで、チケットもペンディング状態。残念ながら国民は置き去りになっている。

「アスリート・ファースト」は、もちろん重要。選手が参加を取りやめる事態だけは避けたい。そのために大会側は「安全」を強調するが、国民感情にも配慮すべき。IOCは開催地選定の際に支持率を重視してきた。開催地の国民が望まない大会が、成功するはずはないからだ。

政府や東京都が本当に五輪をやりたいなら、中途半端な自粛など要請せずに厳しい対応で感染拡大を抑えることだ。今の状況では、心から五輪を楽しむこともできないのだから。「新型コロナに打ち勝った」大会にするには、ワクチン接種の出遅れもあって時間がなさすぎる。世界の状況も厳しい。ならば国民たちの賛同を得て「新型コロナの中でもできる」大会に。IOCも組織委も日本人に向き合う姿勢が必要だ。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)

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飛び込み玉井陸斗 衝撃デビューから2年、紆余曲折経て五輪スタート位置に

玉井陸斗(2020年9月26日撮影)

飛び込み界の「超新星」玉井陸斗(14=JSS宝塚)が3日、ついに五輪切符をかけて台の上に立つ。五輪世界最終予選を兼ねたW杯東京大会で、高飛び込みに出場する。衝撃デビューから約2年。紆余(うよ)曲折をへて、東京五輪へのスタート位置についた。

玉井は19年4月、シニアデビューの日本室内選手権で12歳7カ月の史上最年少優勝。しかも2位以下に60点以上の大差をつけるぶっちぎりだった。前宙返り4回転半抱え型(109C)など高難度の技を6本そろえて、17年世界選手権7位相当の474・25点。衝撃デビューの中学1年生は、東京五輪候補に浮上した。

しかしそこからが長かった。同大会は19年世界選手権の代表選考を兼ねていた。ただ玉井は同選手権開催時に12歳で、国際水連が設けた年齢制限ルールにひっかかった。8位入賞で五輪代表に内定する同選手権は出場できず。また優勝=五輪内定となる同9月のアジア杯も、同じく年齢制限ルールで出場できなかった。

ただ20年夏の東京五輪は出場可能だった。出場すれば、13歳10カ月。夏季五輪日本男子最年少出場記録の14歳10カ月(1932年ロサンゼルス五輪の競泳北村久寿雄)を更新する可能性があった。

五輪切符がかかるのは、20年4月に予定された五輪世界最終予選兼W杯東京大会だった。同2月の日本代表選考会では、しっかりと同最終予選の出場権を獲得。東京五輪に王手をかけて、2カ月後を待っていた。

東京五輪まであと1歩。そのタイミングで、コロナ禍が襲った。五輪は1年延期となって、北村の五輪最年少記録の更新も幻となった。

現在、中学3年生になった玉井は、身長155センチ、体重51キロになった。デビューVを飾った12歳7カ月の時から身長12センチ、体重15キロアップした。失意の間も、基礎練習に励んで、成長していく体を演技の中でコントロールする術を磨いてきた。「まずモチベーションを落とさないように。五輪に向けて考えて。今までできない基礎練習もやって五輪でいい演技ができればと思っていた」。

だが今春、再びコロナ禍による不確定要素に襲われた。20年4月から1年後に仕切り直しとなった五輪世界最終予選を、国際水連が大会2週間前にいきなり中止する意向を発表。その理由は、日本側の感染症対策を不服としたものだった。

大会主催者は、あくまで国際水連で、決定の権限は日本側にはない。中止になれば、19年世界選手権のランキングを基に、五輪出場を決める選択肢も浮上していた。関係者は「このルールはIF(国際競技団体)がきめること。IFが決めてしまうと、もうこちらでは決められない。陸斗はつらいなあ」と口にした。

19年世界選手権の結果が反映されると、国際水連の年齢制限ルールで出られなかった玉井に可能性はなくなる。玉井は、競技の実力以外のところで、挑戦もできないまま、東京の道を断たれる危機だった。事態はその後、日本側による必死の働きかけもあって、五輪世界最終予選の2週間延期で何とか決着した。

14歳にとって、東京五輪はつかみどころのない蜃気楼(しんきろう)のようなものだっただろうが、やっとチャンスが巡ってきた。

男子高飛び込みは、飛び込みの花形種目だ。予選は3日午後0時半スタートで49人がエントリー。競技時間は約3時間超の長丁場になる。そのうち上位18人が準決勝に進出。玉井は予選を突破して、同午後6時45分からの準決勝で演技を終えて、リザルトが残った時点で五輪代表に内定する。

玉井の自己ベストは、528・80点で16年リオデジャネイロ五輪銅メダル、19年世界選手権4位相当だ。国内ジャッジと国際ジャッジで採点の違いは存在するが、その実力に疑いの余地はない。アクシデントがなければ、五輪切符を確実視されている。【益田一弘】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆益田一弘(ますだ・かずひろ)広島市出身、00年入社の45歳。五輪は14年ソチでフィギュアスケート、16年リオで陸上、18年平昌でカーリングなどを取材。16年11月から五輪担当キャップとして主に水泳取材。

東京五輪がやってくる

バレーボールの守備、元日本代表リベロが解説/五輪を楽しむキーワード

「五輪を楽しむためのキーワード」4回目は、バレーボール編。バレーボールは迫力あるスパイクに目が行きがちだが、守備にも見どころは多い。リベロとして活躍し、今季現役引退した元男子日本代表の古賀幸一郎さん(36)に、ディフェンスの用語を中心に解説してもらった。【取材・構成=平山連】

Vリーグ女子1部NECを訪れ、指導に当たる元男子日本代表リベロの古賀さん(撮影・平山連)

古賀さんはVリーグで計6度のサーブレシーブ賞や、6季連続でベストリベロ賞を獲得。守備へのこだわりは強く「得点競技だから間違いなく攻撃が大事ですが、より良い攻撃にはより良い守備が欠かせないんです」と指摘する。

レシーブは主に2種類ある。サーブを受ける「レセプション」と、スパイクを受ける「ディグ」だ。

レセプション

サーブレシーブのこと。直訳すると「歓迎会」「受付」だが、海外からバレーボール用語として広まった。Vリーグなどでは選手や監督が試合後のインタビュー、会見などでよく口にする。知っておくと、テレビ観戦の際に役に立つ。

古賀さんは「プロの間で『サーブレシーブ』を使うことはほとんどなかったですね」と振り返る。自身も学生時代は「サーブレシーブ」を使うことがほとんどだったが、大学卒業後にVリーグでプレーすると用語の使い方が変わってきたという。「外国人監督や選手と話し合ううちに『レセプション』を使う頻度が増えましたが、ママさんバレーや子どもたちに教える時は『サーブレシーブ』と使い分けていましたね」と説明した。

果たして公式用語は「レセプション」なのか「サーブレシーブ」なのか? 日本協会は「レセプション」について「一般的にはわかりづらい。一般に知られ、トップレベルでも普通に使用されている『サーブレシーブ』に統一する」としている。現場と協会で、ややずれが生じているようだ。

古賀さんは、レセプションについて「相手との駆け引きができるのが『ディグ(後述)』との大きな違い」と指摘する。9メートル四方のコートを6人で分担して守る中、どうやったら自分の守備範囲にボールを呼び込めるか。相手の顔色やしぐさ、アナリストからのデータ分析などフル活用し、どこにボールが来るかを予測するという。

レシーブする内瀬戸真実

ディグ

スパイク、アタックを受けること。一説には掘る(dig)動作に似ていることから名付けられた。古賀さんは「ボールが床に落ちなければ失点しないのがバレーボール。シンプルに拾うことだけを念頭に置くと、どんな受け方でもいい」と柔軟だ。

サーブレシーブと比べて駆け引きがしづらく、守備する上でブロッカーとの意思疎通が肝心。現役時代に考えていたことは失点を覚悟するギブアップボールと、チャンスボールを見極めること。鋭角に放たれた強打は、どんなに頑張っても取れない時は取れないと諦める。代わりに後者をしっかりと拾い、思い描いた攻撃につなげる。

レシーブする井上琴絵

リベロ

レシーブのみを行うスペシャリストで、後衛の位置の選手と審判の許可なく交代できる。イタリア語で「自由」を意味する。他の選手と異なるユニホームを着てプレーし、1998年から国際ルールで認められた。五輪では2000年シドニー大会から採用された。

コートに自由に出入りすることができるので、試合中は監督の意思をコートに反映させる役割も担う。古賀さんは「(リベロは)スパイクを打てないので得点を取ることはできないけど、コート内外でできることを探そうとするとたくさんある」と守備の魅力を説明した。

レシーブする浅野博亮

   ◇   ◇   ◇

バレーボールの試合を読み解く上で、データ分析が活発化している。選手個々の得点、ミス、ブロック、レシーブなど細分化した記録の中で、古賀さんが最も重視したのは「アタック効果率」だ。

▼アタック効果率 アタックの決定数-失点(アタックミス数+被ブロック数)÷打数×100で算出される確率で、「試合の勝敗に直結する数値」(古賀さん)。

例えばVリーグの今季プレーオフ男子1部準決勝。試合は名古屋が3-1でパナソニックに勝ち、1勝1敗(アドバンテージ含む)で並び、1セット制のゴールデンセットはパナソニックが勝った。試合全体の効果率は、名古屋の49%に対し、パナソニックが38%。ゴールデンセットでは、名古屋が41%、パナソニックが70%。パナソニックが、最後に意地を見せたことがデータからも明らかだ。

古賀さんは「試合中はアナリストが選手別に効果率など細かく出してくれます。それを見ながら攻め方を変えていく。データバレーを知っていると、試合後にまた新しい発見があるで楽しいです」と話した。

◆古賀幸一郎(こが・こういちろう)1984年(昭59)8月30日生まれ、長崎県佐世保市出身。佐世保北高卒業後、国際武道大でリベロにコンバート。NEC、豊田合成(現名古屋)で活躍。21年春に現役引退。同じポジションでプレーする弟の太一郎(31=東京)は、東京五輪代表候補に名を連ねている。

■五輪へバレーボール協会用語を統一

日本バレーボール協会は18年に競技の統一用語を発表し、東京五輪に向けて混在を避けるために用語整理した。「使用を推奨する、、推奨しない統一用語」や「併用する、しない用語」に分けて役割や技術を細かく定義した。

◎フロントロー、バックロー

△前衛、後衛

伝統的に日本では前衛、後衛と言われてきたが、将来的には「フロントロー、バックロー」を主流にする。

◎チャンスボール

×フリーボール

強打ではなく、威力がない緩いボール。「フリーボール」は使用しない。

◎ブロックフォロー

×ブロックカバー、スパイクカバー

スパイクがはじかれた時にサポートに回り、レシーブすること。ブロックカバー、スパイクカバーは使用しない。

○スパイカー

○アタッカー

ジャンプして攻撃する選手のこと。こちらは2つを併用する。

○レシーバー

○ディガー

レシーブをする人を指す。戦略的に呼称が変わるため、併用する。

◎リリーフサーバー

×ピンチサーバー

試合途中にコートに入るサーバー。「ピンチサーバー」は使わない。

◎リリーフレシーバー

×ピンチレシーバー

守備強化で試合途中にコートに入る選手。「ピンチレシーバー」は適さない。

◎アウトサイドヒッター、スパイカー

×ウイングスパイカー、サイドアタッカー

アタッカーの役割の呼称。「ウイングスパイカー」、「サイドアタッカー」は使わない。

◎タッチネット

×ネットタッチ

手や体がネット当たること。「ネットタッチ」は使わない。

◎ダブルコンタクト

×ドリブル

1人の選手が2回連続でボールに触れること。ドリブルとは言わない。

◎キャッチ

×ホールディング

ボールをつかんだり、投げたりすること。「ホールディング」ではなく、ルール用語に従って「キャッチ」を推奨する。

◎=推奨する用語

○=併用してよい用語

△=推奨しない用語

×=適さない用語

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

スポーツ百景

【コラム】東京五輪本当にできるのか 目に浮かぶ中止後の責任のなすり合い

2月19日、都庁を訪問した丸川五輪相(左)は小池都知事と笑顔で肘タッチ

これで東京五輪は本当に開催できるのだろうか。新型コロナウイルスとはまた別の疑念が生じた。27日の丸川珠代五輪相の会見での発言である。医療体制について東京都に対して「当事者としてどのようにするおつもりなのか、お示しいただきたい」と訴え「(東京都が)どう責任を果たすのか。国はどう支援すればいいのか非常に戸惑っている」と苦言を呈した。

2週間前の問い合わせに回答がないとのことだが、電話やメールで催促して直接聞けないのだろうか。そもそも準備段階の当事者同士の内輪もめを会見で公表する必要があったのか。開幕まで3カ月を切ったこの時期に、五輪相と都知事のかじ取り役2人が一枚岩でないことを国民に露呈してしまい、肝心の医療体制も国と都で連携が取れていないことが明らかになった。

組織委員会が日本看護協会に大会期間中に看護師500人の確保を要請したと報じられ、強い批判にさらされたタイミングでもあった。責任のなすり合いと思われても仕方がない。これでは開催に懐疑的な多数派の不信感はさらに深まるし、開催を望んでいる人たちまでしらけてしまう。最前線で尽力している現場スタッフのやる気もそぎはしまいか。

4月中に判断する方針だった観客の上限は、28日の5者協議で6月まで先送りになった。変異株のコロナ感染者が急拡大し、医療が逼迫(ひっぱく)している現状をふまえて、もはや開催は「無観客」以外の選択肢はないと思っていたので拍子抜けした。観客50%でも連日約20万人が首都圏に押し寄せるので、現実的ではないし、結論を先延ばししたところで、7月末の感染状況が予測できるわけではない。

観客数が決まらなければ、医療スタッフやボランティア、警備員の配置や人数も決められず、観戦チケットを確保している人たちにも影響を及ぼす。準備期間を考えると時間の余裕はないはずだが、国も都も組織委も覚悟を決めて決断することができなかった。

気になるのは東京大会のリーダーの顔が見えないことだ。もし今以上にコロナ禍が拡大した場合、開催の可否はどんなプロセスで、誰がいつ最終判断を下すのか。菅首相は23日の会見で「東京五輪の開催はIOCが権限を持っています」と言葉を濁した。開催都市契約では中止する権利はIOCの単独の裁量と定められてはいるが、リスクを背負うのは日本国民。首相の発言として無責任すぎないか。日本で最終決断をした上で、IOCに通達するのが筋だろう。

コロナ禍という経験のない状況で、判断が難しいのは理解できるが、五輪開催を推進している当事者たちの発言はどこか責任を回避しているように聞こえる。コロナ禍という未曽有の災厄の中で迎える大会を開催するために、すべての責任を引き受けてやり抜く覚悟が伝わってこない。何だか中止後の責任のなすり合いが、目に浮かんできてしまう。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)

東京五輪がやってくる

バドミントン多彩なるショットの世界/五輪を楽しむキーワード

今週は「五輪を楽しむためのキーワード」を特集する。3回目はバドミントン編。トッププレーヤーたちは高い打点から強く打ち下ろすスマッシュ以外にも、多彩なショットを繰り出して相手から得点を奪う。日本代表としてオリンピック2大会出場の池田信太郎さん(40)のコメントも交えながら、さまざまなショットの特徴や、独特のバドミントン用語を解説する。【取材・構成=奥岡幹浩】

バドミントン元日本代表で、五輪2大会に出場した池田信太郎さん

◆ヘアピン ネット際に落とされた球を、相手のネット際へと返すショット。シャトルの軌道が髪の毛を留めるヘアピンに似ていることからこう呼ばれる。日本代表の桃田賢斗も得意としているショットで、守りから攻めへと転じる起点や得点を奪う決め球にもなる。「ただネット際に落としているように見えても、実は羽根ではなくコルクを打っている。シャトルがクルクルと回転している中で、タイミングよくコルクを捉えないと、きれいに返りません」(池田さん)。逆サイドに返すクロスヘアピンも存在する。

◆ドロップおよびカット いずれもネット際に球を落とすショット。ふわりとした軌道のドロップに対し、カットはラケットの面を斜めにして振り抜き、鋭角に落とす。使い分けのポイントについて池田さんは「シングルスでは打ち終わった後、コート中央に戻るのがバドミントンの基本。テニスや卓球と違い、そうしなければ効率的に動けない。自分に余裕があれば速いカットで攻める。そうじゃないときは、ドロップでつないで自分が戻る時間を稼ぎ、次のプレーに備えます」。

◆ロブ(ロビング)およびプッシュ いずれもネット際から放たれる。「ロブは下から大きく上げて、自分の体勢を整える狙いがあります。一方のプッシュは、ネット前に来た甘い球を鋭くたたく攻撃的なショットです」(池田さん)。軌道自体はクリア(ハイクリア)と同じようにも見えるロブだが、「アンダーハンド」で「ネット際」から繰り出されるのが特徴となる。

バドミントンのショット

◆クリア 相手コートの奥へと飛んでいくショットで、身体を大きく使って上から打つ。ハイクリア(高い弾道)とドリブンクリア(低い弾道)に分けられる。遠くへ飛ばす球をうまく活用することで、自身の体勢を立て直して次の攻撃につなげることができる。バックハンドで高く放つハイバックは、さまざまなショットのなかでも難易度が高いとされる。

◆サイドバイサイドおよびトップアンドバック ダブルスの試合中における2人の並び方。横に並ぶサイドバイサイドは守備時、縦に並ぶトップアンドバックは攻撃時の陣形。攻撃を行っている際は前衛の選手がゲームメークする役割を担い、後衛の選手がアタックを繰り出す。

◆ドライブ 床と平行するような弾道で、ネットすれすれの高さを飛んでいく速いショット。ダブルスで使われることが多いが、「次のプレーを予測するのがうまいギンティン(インドネシア)のような選手は、シングルスでもドライブなど速くて低い球を多用して相手のポジションをずらすのが得意」(池田さん)。

◆「セット」とは呼ばない バドミントンには「セット」という言葉はなく、「ゲーム」と呼ぶ。試合(マッチ)は3ゲームで構成され、2ゲーム先取したほうが勝ち。サーブ権の有無にかかわらず点数が入るラリーポイント制が採用され、1つのゲームはどちらかが21点を取れば終了。20-20となった場合は延長戦となり、2点差がつくか、30点に到達するまで続行される。各ゲームとも、どちらかが11点に到達した時点で60秒以内のインターバルに入る。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

We Love Sports

【コラム】引退の近鉄WTB正面健司、体の限界まで戦い抜いた泥臭い姿

神戸製鋼時代のFB正面(2011年10月29日撮影)

かつてのスター選手は、現役最後の試合を客席から見届けた。高校時代から幾度となく観衆を沸かせた花園ラグビー場。大阪に3度目の緊急事態宣言が発令されたその日は、観客はまばらだった。25日のトップリーグ(TL)プレーオフトーナメント2回戦。近鉄は強豪パナソニックに後半6トライを許し7-54で敗れた。チームの今シーズンが終わったと同時に、引退を決めていたその選手の現役生活も静かに幕を閉じた。

引退会見はないという。せめて最後に記事を書きたくて、近鉄のWTB正面健司(37)に電話をかけた。

「引退する選手がスタメンで出ているのを見ると『いいなあ』とは思いますよ。でも、今の自分は試合に出られるレベルではなかったです。まして真剣勝負のトーナメントで、消化試合じゃないんでね」

駆け出しの記者の頃、京田辺市にある同志社大学の練習場によく足を運んだ。東海大仰星時代、1年生WTBとして全国制覇。同大でも1年から活躍していた彼が「タックルは得意じゃないんです」と話していたのを、覚えている。この日も17年前と同じように「タックルが苦手やったんでね」と言いつつ、こう続けた。

「30を過ぎた頃から脳振とうが多くて、頭痛が残るようになったんです。手もしびれるようになって、それから思い切りタックルに行けなくなってしまった」

大学時代はドレッドヘア、TLではイナズマのヘッドキャップがトレードマークだった。それはタックルが苦手だという男が、果敢にタックルに入る覚悟のようなものだったのかも知れない。今年1月の脳振とうで復帰が遅れ、ふくらはぎのケガも重なった。高校、大学、TLで花園を沸かせたスターは、今季は1度も出場機会が訪れなかった。出番はないと分かっていても、最後の姿を目に焼き付けたかったのだろう。花園には、両親が駆けつけていた。

大学の同学年で、神戸製鋼でも一緒にプレーをした山本翼(38)は、子供が同じサッカーチームに所属していることで今でも週に1度は顔を合わせる。ポジションは正面が華やかなWTBなら、山本はスクラム最前線のプロップ。無名の芦屋高校から1浪して同大の門をたたいた努力家の山本にとって、正面は同世代の憧れの的でもあった。

「彼は僕らのスターですから。でもスターやのに、偉そうにしているのは見たことがない。プレーも人間性も素晴らしかった。バックスで37歳まで第一線でやるのは、かなりスゴイ。最後、試合に出ているのを見たかったです」

誰よりもうまく、どこまでも器用な選手だった。ただ、その器用さゆえに日本代表には定着できなかった。高校も大学も社会人も、1年目からレギュラー。本来、SOが定位置だが、どの監督にも、すぐに試合に使いたいと思わせる天才的な能力があり、司令塔としてチームに融合する前にWTBやFBで起用された。

当時、東海大仰星の監督だった土井崇司(現東海大相模校長)は、こんな話をしている。

「能力も高い、足も速い、何でもできる。SOで入ってきたけど、WTBで目立ってしまって『正面=14番』になった」

ただ、進学する際、土井は同大の首脳陣に「日本のSOになる逸材。SOで育ててくれますか」と頼んだ。同大1年時の02年10月13日の韓国戦で、日本代表として初キャップを得る。当時、代表を率いていたのは向井昭吾監督で、土井とは同じ東海大の出身。その時も土井は、向井に連絡を入れている。すると「それなら、日本のSOに育てましょう」と返事をもらい、代表デビューの韓国戦はSOとしての起用だった。だがチームに戻るとやはりWTBやFBで使われ、SOには定着しなかった。土井は「SOやったら多分ずっと来ていた(代表で活躍した)と思う」と漏らしている。

それでも本人は、歩んできたラグビー人生に後悔はないという。

「未練は全然、ないです。高校も大学も社会人でも1年目から試合に出してもらって、ほぼ先発。32歳くらいからリザーブ(控え)になったり、メンバーから外れたり。その時は少しネガティブになりましたけど。(19年に)神戸製鋼をクビになって、1回死んだ身になって。その時に『残りの現役生活は楽しもう!』と思ってやってきました」

高校時代に花園で全国制覇1回、8強が2回。同大では大学選手権4強が3回で、遠ざかっていた決勝に最も近づいた世代だった。トヨタ自動車、神戸製鋼から近鉄と、常に第一線で活躍した。思い出に残る試合を問うと、意外な答えが返ってきた。

「7人制日本代表として出場したアジア大会(10年11月)で、金メダルを取ったことです。決勝戦(日本28-21香港)で、レッドカードが出て6人になってしまったのに勝てた。普段、感情を出さない僕が大きなガッツポーズをして、大号泣したんです。あれが1番かなあ」

静かな口調で、当時を思い出すように話していた。電話の向こうでは、ボールを蹴る音が響いている。聞くと、愛息のサッカーの練習を見ているという。自分がしてきたラグビーを無理にさせないところが、いかにも正面らしかった。

「僕、四柱推命で占ってもらったことがあるんです。そうしたら『あなたは、ラグビーには向いていない』と言われたんですよ。子供には本人がやりたいと言えば、ラグビーでも全力で応援します。僕に似て、向いていないかもですが」

近鉄が敗退した前日、ヤマハ発動機もクボタに敗れ、今シーズンが終わった。同じく引退を表明していた元日本代表のFB五郎丸歩もまた、客席で試合を見ていた。大学ラグビー界が生んだ2人のスターは、グラウンドに立つことなく現役生活に別れを告げた。

正面は心から言う。

「ずっと、楽しかったです」

もう少し早く、余力を残したまま身を引く道もあったかも知れない。

ただ、タックルが苦手だった男は、それでも果敢にタックルに入り、燃え尽きた。華麗に見えた選手の最後は、体の限界まで戦い抜いた、泥臭い姿だった。(敬称略)【元ラグビー担当 益子浩一】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆正面健司(しょうめん・けんじ)1983年(昭58)5月1日、大阪・守口市生まれ。守口四中(樟風中に統合)時代に競技を始めるもラグビー部は廃部。バスケットボール部に入りながら、週末だけ大阪ラグビースクールに通う。東海大仰星(現東海大大阪仰星)から同大に進学。社会人は社員契約で06年にトヨタ自動車入り。09年にプロ契約で神戸製鋼に移り、19年から近鉄。日本代表は向井体制の02年10月13日、カーワン体制の06年11月25日(ともに韓国戦)に出場し、キャップ2。175センチ、85キロ。

ピッチマーク

優勝に必要な精神や調整、技術…改めて感じた「ゴルフは繊細なスポーツ」

ゴルフは繊細なスポーツだと、あらためて感じた。静岡・川奈ホテルGC富士で25日まで行われた、国内女子ツアーのフジサンケイ・レディース。第2ラウンド終了後の、高橋彩華(22=東芝)の言葉は印象的だった。

首位と3打差の5位で最終日に臨むことになり、初優勝への思いを問われると「逆にもう考えなくなりました。毎週トップ10でいいやという気持ちに切り替えました。お母さんが『毎週トップ10が目標でいいんじゃない』と言ってくれて、そこから心が軽くなった気がします」と、ほほ笑みながら話していた。

高橋は前週のKKT杯バンテリン・レディースで、最終日を首位からスタートして15位に終わっていた。それだけではない。その2週間前のヤマハ・レディースも、同じく最終日を首位で出て3位。今年8戦のうち7戦は、どこかのラウンド終了時点でトップ10に入っている。初優勝が、ほぼ毎週ちらついていた。フジサンケイ・レディースも結局、7位に終わった。「毎週トップ10」という新たな目標はクリアしたが、それが本当の目標ではない。

「(優勝を)無意識に考えてしまって、自分のプレーが思うようにできなくなってしまったのかな…」。今年だけで何度も近づいては、逃し続けている初優勝。優勝を意識しないために心がけることは「まだ試行錯誤中で…」と、答えは見つかっていない。

今年は好調を持続しているが、大会を通じて成績が右肩上がりで終わったのは、3日間を42位→7位→3位で終えたアクサ・レディースの1試合しかない。技術的には、各大会の優勝選手と遜色ない。今年は稲見萌寧が8戦で4勝しているが、わずかな心の持ちようの差で、それが高橋に替わっていたかもしれない。

初優勝への思いの強さを知る、母真由美さんは重圧を少しでも取り除きたいと「毎週トップ10が目標でいいんじゃない」と、前週の大会後の帰り道に声を掛けた。悩める娘に対し、夢をあきらめろと言っているかのような言葉をかけるのは、身を切るような思いだっただろう。だが変わりたい高橋は、そんな母の心の内も察した上で受け入れ、賛同し「心が軽くなった」という境地に達したように思う。精神面での成長を目指し、試行錯誤が続く。

田辺ひかり(24=伊藤園)も、フジサンケイ・レディースでは内面と戦っていた1人だ。この大会では、普段はコーチとして指導を受ける佐伯三貴が、約1年半ぶりにツアー出場。2位と好発進した第1ラウンド終了後は「すぐにイライラしちゃうので、落ち着いてプレーするよう、昨日メッセージをいただきました」と、佐伯からのアドバイスに感謝した。その日のうちに佐伯から「ナイスプレー。明日も笑顔で頑張ってね」とのメッセージが届き、第2ラウンドは首位と2打差の3位につけ、初優勝を射程にとらえた。

最終日を前に「三貴さんが会場にいるだけで心強いです」と話していた。第2ラウンドのスタートが10分以上遅れた関係で、偶然にも18番でバーディーを取ってホールアウトする佐伯の姿を、最終組の田辺は1番のティーイングエリアから見ていた。「すごく感動しました。私に気付いて手を振ってくれたので、すごくうれしくて、落ち着いて良いショットを打てました」。この日、佐伯は全体2番目の66の好スコア。田辺も第1ラウンドの66に続く69と、師弟ともに伸ばしていた。「笑顔で」のアドバイスも「楽しくラウンドできました。イライラする場面はなかったです」と、ニコニコしながら話していた。

だが最終ラウンドは、笑顔が消えていた。1番パー4のティーショットから「アリソン・バンカー」と呼ばれる、アゴの高いバンカーにつかまった。第2打は出すだけで精いっぱい。辛うじてパーを拾ったが、徐々にスコアを落として迎えた17番パー3で、このバンカーに苦しみダブルボギー。イライラを通り越して、表情は凍り付いていた。後半40と崩れ、13位に終わった。

「今年は優勝したい気持ちが強い」と話していた田辺。「逆にもう考えなくなりました」という高橋。各選手がさまざまな精神状態で挑みながらも、なかなか初優勝の壁を越えられない。一見、ずぶとい神経の持ち主のように振る舞う優勝経験豊富な選手も、本当は違うのだろう。優勝するには繊細な精神、調整、もしくは他の選手を圧倒する繊細な技術が必要なのだと、敗れた選手の葛藤から、強く浮かび上がってきた。

【高田文太】(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)

東京五輪がやってくる

ドグソ?SPA? これで明解!蹴球辞典/五輪を楽しむキーワード

東京オリンピック(五輪)で先陣を切って開幕するサッカー競技。他競技と同様に、聞き慣れないカタカナ表記の専門用語が増えている。さらにサッカーを楽しく観戦するために知っておくといい用語は何か? テレビ解説や選手の話で耳にするワードから担当記者が選んだ用語20選を紹介します。【取材・構成=岡崎悠利】

あ行

(1)アーリークロス

相手陣内に入ったエリアの両サイドからゴール前に送る、ロングキックによるクロスのこと。通常のクロスは相手陣内深くまで攻め込んでから送られるものを指す。アーリーは「早い」の意味。

(2)アウトスイング

ゴールから遠ざかっていく球筋になるキック。たとえば右CKをインフロントキックで蹴る場合、右足で蹴ればアウトスイングとなる。逆に左足で蹴るとゴールに向かっていく軌道になる。これはインスイングと呼ばれる。

(3)アジリティ

敏しょう性のこと。単純に走るのが速いというよりも、方向転換の際の反応速度のような瞬発力を指すことが多い。特に1対1の局面などで要求される。U-24日本代表候補は久保建英、三笘薫、三好康児などアジリティ◎が勢ぞろい。

三笘アジリティ◎

(4)アタッキングサード

左右にゴールを置いたピッチを均等に縦に3分割したときに、相手ゴールに近い3分の1のスペースを指す言葉。ゴールに近いエリアであるため、ここでの精度の高さが得点に直結する。

(5)ウノゼロ

1-0で勝利すること。一般的に親しまれているカードゲーム「UNO」と同じウノで、イタリア語で1の意味。イタリア代表は鉄壁の守備「カテナチオ」を伝統とし、1-0での勝利を美学としてきた。同国代表のスタイルはすでに守備重視から変わっているが、なぜか今になって日本でよく使われている。

(6)オーバーエージ(OA)

五輪など国際大会に出場する選手の中で、年齢制限の上限よりも年上の選手のこと。特に五輪のサッカーといえば必ず出てくる。16年リオデジャネイロ五輪では開催国ブラジルがスター選手のネイマールをOAで招集して優勝した。

ネイマール(中央)OAでリオ五輪金

(7)オフサイドディレイ

副審はオフサイドかどうか疑わしいと判断した場合はそのままプレーを続行させ、プレーが止まった段階で旗を上げることができる。この行為がオフサイドディレイ。誤審によって得点機が失われることを防ぐことが狙い。実際に試合で目にすると、はじめは戸惑いがち。

副審のオフサイドディレイに抗議!?

(8)オフ・ザ・ボール

ボールを持っていないことを指す。「オフ・ザ・ボールの動きがいい」といった使われ方。主に攻撃陣の選手に求められる能力で、クロスに合わせてDFのマークを外す、仕掛ける走りをしてDFを引きつけて味方のパスコースを作るといった動きも含まれる。関連ワードはデコイ。

か行

(9)くさび

前線にいる選手に縦パスを出すこと。用例は「くさびを入れる」など。受けた選手がDFを背負いながら味方の上がりを待ったり、空いたところにパスを出したりと、攻撃の局面で重要なプレー。日本でのくさびの受け役としてはFW大迫勇也が最強。ぜひオーバーエージで出場してほしい。

大迫くさび最強

(10)クリーンシート

試合を無失点で終えること。直訳すると「白紙の用紙」になる。試合の記録用紙に記入をする際に無失点なら何も書く必要がなく白紙の状態になることから、無失点の試合を表す言葉になった。最近のJリーグでは名古屋が8試合連続のクリーンシートでJ1記録を更新した。

名古屋8戦連続クリーンシート

さ行

(11)絞る

守備をする時のポジショニングの1つ。サイドにいる選手が中央に寄ったり、全体として一方のサイドに寄ったりすることで1つのエリアを集中的に守ることをいう。反対に中央からサイドへ展開していくことを「開く」という。

(12)スパ(SPA)

反則の基準の1つで、相手の大きなチャンスとなる攻撃を妨害すること。「Stopping a Promising Attack」の頭文字をとってスパと呼ばれる。これに当てはまると判断された場合は警告が出されることが多い。関連ワードはドグソ(後述)。

た行

(13)ダイアゴナル

斜めの方向を指す。主に「ダイアゴナルラン」など、斜めに走ってゴール前に入っていく動きなどに使われる。FWなど攻撃の選手がよく行う。前出のオフ・ザ・ボールの動きの基本。間違えて「ナイアナゴル」と言いがち。

(14)デコイ

もとは、狩猟に使われるおとりのこと。サッカーでは、DFをひきつけるためのおとりの動きを意味する。これもオフ・ザ・ボールの動きの1つ。積極的にデコイの役割を果たすというよりは、味方がボールを出してくれなかったから結果的におとりになった、ということもあるらしい。

(15)ドグソ

日本人からするとなんとなく品がなさそうな響き。「Denying an Obvious Goal-Scoring Opportunity」の略=DOGSO(ドグソ)で、「決定的な得点機会の阻止」という意味の反則基準のこと。レッドカードが提示されることが多い。

は行

(16)バイタルエリア

ざっくり言うとペナルティーエリア周辺の場所で、DFラインとボランチの間くらいのエリア。ここに効果的なボールが入ると守備側はDFラインが崩れがちになることから、得点につなげるための重要な攻略ポイント。

(17)フェアプレーポイント

1次リーグ突破のための順位決定基準の1つ。勝ち点、得失点差、総得点、直接対決での勝ち点、得失点差、総得点、それでも数字が同じだった場合に減点方式で用いられる。警告で1点、警告2度の退場で3点、一発退場が4点、警告からの一発退場が5点で、減点が少ない方が上位。これも同じなら抽せん。

(18)フリック

英語で「軽くはじく」の意味。サッカーでは受けたパスを素早く方向転換させるプレーのことを指す。「きたパスに軽く触れてボールの方向を変える」くらいの感覚。スマホでも、画面をタップしてから任意の方向にすばやくはじくようにして入力することを「フリック入力」と言う。

ま行

(19)ミラーゲーム

同じ陣形を採用するチーム同士が対戦すること。各ポジションでマークする相手がはっきりするため、1対1の局面を迎えやすい。

ら行

(20)リトリート

「退却、撤退」の意味。守備において、相手にボールを奪われた際に素早く自陣に戻り、態勢を整えること。これに対して奪われたらすぐにプレッシャーをかけ、相手ゴールに近い位置で奪い返そうとする守備をフォアチェックという。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

伊藤華英のハナことば

オンラインは便利だが、やはり「人のつながり」を感じたい/伊藤華英

「東北『夢』応援プログラム」で水泳を指導した

少し時間がたってしまったのだが、今年の3月11日で東日本大震災から10年を迎えた。私が大切にしている活動の1つである、公益財団法人東日本大震災復興支援財団が立ち上げた「東北『夢』応援プログラム」について書きたい。

私は岩手県大船渡市の子供たちにスマートコーチシステムを使用し、毎月タブレット端末を通して遠隔で水泳の指導をしている。もう5年もやらせてもらっているが、このプログラムこそが被災地のみなさんとのつながりそのものであるのだ。

2020年度は何もかもがイレギュラーだった。なかなかこのプログラムも開始されず、結局半年間という短い期間となった。通常ならば、始まりと終わりには大船渡を直接訪問していたが、今年はどちらもオンラインだった。

それでも、毎月の動画で子供たちの成長は明確にわかるものだ。水の中と外からを動画で撮ってもらっているので、よく動作がわかる。大船渡のmacメイワエアロビクスクラブの先生たち、親御さんには本当に感謝している。受けとる側、提供する側のお互いの熱量がないと、オンラインでの化学反応は大きなものは生まれないと私は思っている。

私にはこうした大船渡とのつながりがあるが、大船渡だけではなく、被災地の方からしたら、10年目というだけで節目でもなんでもないだろう。こんなに時がたってもすべてが復興したわけではない。ココロの復興も追いついていないと、岩手県紫波町の熊谷さんが以前言っていたことを時折考える。

私でさえ今でもあの時を思い出して、地震が来るとドキッとする。

2011年3月、私はまだ現役選手で、翌月の日本選手権に向けた調整を富山県で行っていた。あの日はちょうど、オフの日だった。バスに乗って街中に行く途中で、携帯にチームメートから「親に電話しな!地震だよ!」と連絡がきた。不安になり、すぐ埼玉の実家に電話をしたが、電話がつながらず「どうしよう」と思った。

バスを降りて周りを見ると、アーケードの大画面に津波で家や車がものすごいスピードで流れる映像が映されていた。言葉が出なかった。映画のワンシーンかとも思った。練習していたプールの水は半分なくなった。そのとき住んでいた千葉の新浦安は液状化でマンホールが浮き上がっているというニュースも見た。

そんな中、日本選手権は行われた。振り返ってみれば、改めてさまざまなことを考えた時間だったと思う。自分自身にとっても、2011年3月11日は忘れられない日になった。

当時「スポーツができること」をアスリートたちは考え、アスリート側から被災地訪問を提案した。それが、JOCのオリンピックデー・フェスタだった。被災地を訪問し、地域のみなさんと運動を通して触れ合うというものだ。

こうしたさまざまな活動で、私も被災地を何度も訪問させてもらっている。ラグビーワールドカップ2019のために建設された釜石市の鵜住居(うのすまい)復興スタジアム。2018年8月の「こけら落とし」イベントにもうかがい、たくさんの方に話を聞いた。その時、宝来館の女将の岩崎昭子さんは、釜石シーウェイブスの選手たちが被災後一番早く手伝いに来てくれたと話していた。苦しい状況の中でも温かい気持ちになったと言っていた。

現在、新型コロナの影響で訪問することができずにいるのが私自身はもどかしい。「雰囲気」を感じられない。空気感を感じられないことが悔しい。人と人とのつながりがこんなにも大切だと思ったことはないほどだ。

イベントはオンラインが主流になり、ニューノーマルとも言われている。しかし、気兼ねなく人に会える、話せる世界になってほしいと心から願っている。まずは今を受け入れ、今のベストを見つけることが大切なことだろう。(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)

東京五輪がやってくる

ツッツキ?チキータ?卓球用語を仮想決勝戦で解説/五輪を楽しむキーワード

今週は「五輪を楽しむためのキーワード」を特集する。1回目は卓球編。多くの人が1度はラケットを握ったことがあるだろう、なじみ深い競技だが、試合解説で飛び交う用語は専門的で難しい。日本と中国の世界ランキング最上位選手による「仮想決勝戦」をもとに、日本卓球協会の宮崎義仁強化本部長(62)に用語を解説してもらった。【取材・構成=三須一紀】

■女子仮想決勝 伊藤美誠VS陳夢

伊藤美誠(2019年11月10日撮影)

伊藤がサーブ(1球目)を打った後のレシーブ(2球目)で陳夢はツッツキを仕掛けてくる。返ってきた3球目は伊藤にとって強打したくなる球だが、チャンス球と誘われてはだめ。陳夢の思うつぼだ。下回転が強く、伊藤が普通に打ち返せば球は下に落ちる。そのためラケットをこすり上げて打ち返す必要があるが、山なりになって球のスピードが落ちる。陳夢はあらかじめその4球目をカウンターで狙っている。

陳夢攻略法は(1)ツッツキには誘われず先に強打で打ち返さない(2)ロングサーブを中心にし、ツッツキをさせない(3)陳夢のカウンターはバックハンドで待っているので、フォアやミドルを狙う。この3つが大きな柱になってくるだろう。

 

◆用語解説

▼ツッツキ 球に下回転をかけるレシーブ。卓球台の中で行う台上技術の1つ

▼カウンター 相手強打の威力を利用して反撃する

▼ロングサーブ 相手コートで1バウンドした後、卓球台から大きく球が出る長いサーブ。ツッツキ、チキータなどの台上技術を封じられる。強いサーブなのでエースを狙える。一方、台から大きく球が出るので相手に強打で返されるリスクがある

▼フォア(フォアハンド、フォア側) 右利き選手なら自身の右側。肘を伸ばして相手側に手のひらを見せて球を打つこと

▼バック(バックハンド、バック側) 右利き選手なら自身の左側に肘を曲げて相手側に手の甲を見せて球を打つこと

▼ミドル 体正面付近のコース。フォア、バックどちらで返球するか迷うため返球が難しい

■男子仮想決勝 張本智和VS馬龍

張本智和(2019年4月6日撮影)

経験豊富な16年リオデジャネイロ五輪金メダリストの馬龍には、左右に揺さぶり、足を止める作戦をとりたい。まずは張本に分があるバック対バックに持ち込みたい。馬龍はバック側に打ち込んでも、回り込んで得意のフォアを打つ傾向がある。相手の目を見て、その気配を感じ取り、張本は逆を突いて馬龍のフォア側を狙う。張本は手首だけでヒョイッと相手フォア側に打つのがうまい。

すると馬龍は自分のフォア側に踏み込みが遅れる。そこで決まれば得点だし、球が返ってくれば張本は次々にバック側、フォア側へと揺さぶりをかけるべき。フォア側を警戒した馬龍は特徴であるフットワークが落ち、バック側での回り込みフォアハンドが打てず良さが消える。

馬龍はここ2年でチキータを減らしてストップレシーブに変えてきている。張本は10本中4本ぐらいをロングサーブにしてストップを封じるか、逆に馬龍にストップをさせておいて、それを狙ってチキータを打っていく手もある。

 

◆用語解説

▼回り込みフォアハンド 相手からバック側に打ち込まれている球に対して、バックハンドではなくバックステップで下がりながらフォアで打ち返す技術

▼チキータ バックハンドで順横回転(右利きなら時計回り)をかけて返球する。チキータバナナのように曲がる軌道が由来。コルベル(チェコ)が名付け親

▼ストップ 相手コートで2回以上バウンドする短い返球で下回転もかかっている守備的技術。相手は強打しにくい

■戦術多様性に富む 宮崎強化本部長

日本卓球協会の宮崎義仁強化本部長(2020年2月5日撮影)

卓球のラリーは0・2秒で返ってくる。その間に相手の目線や姿勢、特徴などを判断し、次に来る球を読み、戦術を考えている。体格が良ければ勝てるスポーツでもない。体が小さければ伊藤のように卓球台に近い場所で前陣速攻型で戦う。ラバーを表裏で変えて、打つ面によって球に変化が出るようにする。体格を頭脳や戦術、用具で補える。多様性に富むのが卓球競技だ。

<卓球用語解説・技術編>

◆サーブ

▼逆横回転 右利きでは反時計回りの回転

▼順横回転 右利きでは時計回りの回転

▼下回転 バックスピン。ラケットに当たると下に落ちる

▼YG 右利きでは逆横回転がかかる。ラケットを下向きにし、手首を支点として振るので回転量が多くなる。身長が低い選手が使うとラケットが台に当たる可能性があり身長が高い選手に多い

▼巻き込み 右利きでは逆横回転がかかる。YGと違い手首を内側に巻き込むようにして回転をかける。上、横、下回転をほとんど同じモーションで打てるため、相手に読まれにくい。体のねじりと肘支点でラケットを振るので、回転量はYGより落ちる。ラケットが横か上向きのため台に当たる恐れがなく、身長が低い女子選手に多い

◆レシーブ

▼逆チキータ 右利きならバックハンドでボールの右側をこすり逆横回転をかける。チキータの逆。高度な技術で伊藤が得意

◆ラリー

▼ブロック 相手の決めてこようとする強打を止める。ラリーを継続させ相手を揺さぶる

▼スマッシュ 無回転の強打。伊藤が得意

東京五輪の卓球男女代表のタイプ

<卓球用語解説・タイプ編>

◆戦型

▼前陣速攻型 台の近くでテンポの速さとスピードで勝負する。左右に振られないようラリーになる前に勝負を決めたい戦型。小柄な選手に適している

▼ドライブ主戦型 男子選手主流の戦型。台から少し距離をおき、球に前回転をかけて強打する。台から離れる分、フットワークが大事になる

◆ラバー

▼表ソフト 表面に並ぶ小さな粒の影響で球とラケットの接地面が小さくなるため、相手球の回転の影響を受けにくい。半面、自身でも回転をかけにくい。ナックルボールなど打球に変化が出やすく相手を惑わせる

▼裏ソフト 表面は粒がなくフラットで球との接地面が大きく、回転をかけやすい。回転をかけた威力あるボールを打てる半面、相手球の回転の影響を受けやすい

▼粒高 表ソフトよりさらに高い粒が表面に並んでいる。効果は表ソフト同様だが、より高い効果が出る

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

We Love Sports

池江、松山で高まる五輪ムードも水谷隼「実感ない」開催動向に揺れ動く心

水谷隼(19年4月撮影)

東京オリンピック(五輪)の開幕まで3カ月を切ったが、国民の間でその実感はあるだろうか。新型コロナウイルスの感染拡大が収まらない状況に、25日、3度目の緊急事態宣言が発令された。「実感はない」と答える人の方が多いのだと思う。大会運営の中枢、組織委員会を担当している私ですら、その実感が湧いてこない。

この感覚は一般人だけなのか-。卓球担当としてその疑問を東京五輪代表選手に聞いてみた。08年北京五輪から4大会連続代表で、16年リオデジャネイロ五輪では日本卓球界で初となるシングルスのメダル(銅)を獲得した水谷隼(31=木下グループ)は「実感はないですね」と率直に言った。

「時期によって、2週間おきぐらいに大会が『やれそうだな』とか『どうなるんだろう』と、行ったり来たりしている感じ」と本音を明かした。

4月は競泳日本選手権で白血病から復活した池江璃花子が東京五輪代表権をつかんだり、ゴルフの松山英樹がアジア人で初めてマスターズを制覇したりと五輪ムードが高まった。一方で、自民党の二階俊博幹事長が中止の可能性に言及したり、コロナの再拡大で緊急事態宣言が発令されたりと、開催への不安要素も露呈した月だった。

12年ロンドン五輪から3大会連続の代表となる丹羽孝希(26=スヴェンソン)も「本当に五輪があるのか実感が湧かない」と答えた。「開催するかしないかをはっきりしてほしい」とも。国際オリンピック委員会(IOC)や政府、東京都、組織委も「開催する」と表明しているが、それが伝わってこないという。選手にとって当局の発表よりも、国民世論の声の方が影響が大きいと感じた。

直前期にもかかわらず開催動向に心が揺れ動く、精神面で苦しい状況。それでも五輪で完璧なパフォーマンスを出せるよう、しっかりと準備している。国民の意見に耳を傾けながら。【三須一紀】

東京五輪がやってくる

侍アスリート“五輪書”試合前のマル秘駆け引き/あなたの知らない世界4

「あなたの知らない世界」第4回は、試合の前から始まるさまざまな駆け引きを紹介する。競泳では選手がレース直前に集合する招集所でもドラマがある。また計量会場、入場口など試合に備えるエリアでも、さまざまな心理戦が繰り広げられている。あなたが見ている、アスリートの真剣勝負。実は始まる前に決着がついているかもしれない。新旧オリンピック(五輪)選手のエピソードを紹介する。

■“風”格の巻「決闘の気迫」競泳 北島康介

04年アテネ五輪 競泳男子の北島はライバルのハンセンを練習場からにらみ続け、心理戦を仕掛けていた

北島康介は、ライバルをずっと見ていた。04年アテネ五輪男子100メートル平泳ぎ決勝。練習場からブレンダン・ハンセン(米国)を凝視。1カ月前に世界記録を更新されたライバル。「目を合わせてこない。何より言葉は悪いけど『ぶっ殺す』ぐらいの気迫だった」。優位にあることを確信したのはレース直前。「コース台に上がる位置がいつもとは逆。こいつ緊張している」。金メダルで「チョー気持ちいい」が飛び出した。引退して5年の北島氏は「ハンセンは世界記録を出した後は態度が大きくなった。でも不安そうだと小さく見える。相手にどれだけ自分を意識させるか。やっぱり勝てないと思わせること。それが絶対王者の条件」と勝負のあやを語った。一方で「でも僕は絶対王者じゃなかった。勝つか、負けるか。そういうハラハラ感で皆さんが興奮してくれたのかな」と振り返った。【益田一弘】

04年8月、アテネ五輪競泳男子100メートル平泳ぎで雄たけびを上げる北島

■“水”面の巻「信は力なり」競泳 鈴木大地

88年9月、ソウル五輪男子100メートル背泳ぎで金メダルを決めガッツポーズする鈴木

88年ソウル五輪男子100メートル背泳ぎ決勝。招集所に緊張感と沈黙が満ちていた。当時21歳の鈴木大地は、同じく決勝に出場する田中穂徳と特に言葉はかわさなかった。いよいよプールに向かう直前、田中から健闘を誓い合う意味で、右手を差し出された。しかしぬっと伸びてきた手でそれを握っていたのは、隣に座っていたバーコフだった。デビット・バーコフ(米国)は予選で世界新をマーク。ばりばりの優勝候補だった。しかし田中の右手を握ったバーコフは顔面が真っ青で、目はうつろだった。「とても戦う選手の表情ではなかった」と田中。鈴木は持ちタイムで1秒以上劣ったが、直接対決で負けたことはなかった。バーコフによる世界新のビデオを見ても「おれ、こいつには負けませんよ」と鈴木陽二コーチに言ったという。「バサロ」を25メートルから30メートルに伸ばした秘策で金をもぎとったのは必然だった。

■“空”間の巻「怪物の所作」競泳 三木二郎

04年8月、アテネ五輪競泳男子200メートル個人メドレーで決勝進出を決めた三木二郎。手前はマイケル・フェルプス

04年8月14日、アテネ五輪競泳男子400メートル個人メドレー決勝。当時21歳の三木二郎(現日大コーチ)は招集所にいた。レースに出る選手が最後に点呼される場所。コーチらから最後の見送りを受けて、招集所からトップ8人だけの空間になる。三木は「皆が人生をかけて挑んでくる」。ピリピリした緊張感があった。その中でひときわ大きな男が思わぬ行動に出た。1人1人に「グッドラック」「グッドラック」と握手を求めていく。三木は「何がグッドラックやねん」とカチンときた。「怪物」マイケル・フェルプス(米国)だった。「余裕をぶっこいていた。皆に『自分が勝つレースだよ』と言い聞かせたかったのかもしれない」と三木。フェルプスは4分8秒26で金メダル。7位の三木は「金を争う選手は自己ベストが高いレベルにある。僕は決勝に残れるかどうか。余裕がなかった」。怪物の余裕はライバルたちにプレッシャーを与えた。

■香“水”の巻「臭わせ返し」柔道 向翔一郎

19年8月、柔道世界選手権の男子90キロ級で2位の向翔一郎(左端)はメダリストたちと記念写真に納まる

柔道では「臭(にお)い」も武器となる。試合で組んだ際に、汗を含んだ柔道着に触れると独特の臭いが鼻に突く。東京五輪男子90キロ級代表の向翔一郎(25=ALSOK)は試合前夜、海外勢の臭い対策としてお気に入りの香水を道着にかける。「なぜか海外選手は汗をかいても道着を洗わないで香水をつける。試合で脇を持ったり、寝技をかけたりするとその臭いが強烈で…」と苦笑い。多くの日本代表はこだわりの柔軟剤を使って洗濯しているが「臭いが弱く道着もペラペラになる」として、向は臭いでも相手を制圧するために“香水戦術”をとっている。【峯岸佑樹】

■“火”花の巻「割込み御免」レスリング屋比久翔平

19年12月、レスリング全日本選手権 男子グレコローマンスタイル77キロ級1回戦で一郷雄徳(上)を投げる屋比久翔平

試合の朝に計量が行われるレスリング。そこでは「横入り」がたびたび見られるという。先の東京五輪アジア予選で代表権を手にした男子グレコローマンスタイル77キロ級の屋比久翔平(26=ALSOK)は「体重を量るために列に並んでいると、堂々と横から割り込んでくる選手がいます」と証言する。過酷な減量、一刻も早く何かを口にしたい。その思いは皆同じだが、ずぶといというか、節操がないというか…。列車の乗り方1つでもきちんと列に並ぶのが日本だが、海外ではさまざま。ライバルより早く楽になりたいというけん制も含め、計量会場には毎回、「列争い」が繰り広げられている。【阿部健吾】

■境“地”の巻「沈黙は金」陸上 飯塚翔太

16年8月、リオデジャネイロ五輪 陸上男子400メートルリレーで銀メダルを獲得し喜びを爆発させる日本の、左から山県亮太、飯塚翔太、桐生祥秀、ケンブリッジ飛鳥

国内における陸上男子短距離の招集場は、周囲との駆け引きよりも、自分の世界に入り込むことを重視するようだ。飯塚翔太(29=ミズノ)は「特に100メートルは、みな基本的に走り終わるまで一言も話さない。レースのイメージを高め、集中を解きたくないとの意味が大きい」。海外は少し勝手が違うようで「特にアフリカの選手は仲のいい人同士で歌ったり踊ったり、ワイワイしている」という。ただ時代によって変化する部分もあり、過去には相手を目で威嚇したり、やや横柄な態度で“風格”を出し、その場の空気を支配しようとした人もいたようだ。【上田悠太】

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

東京五輪がやってくる

アスリートの「脱毛論」先駆者向に聞いてみた/あなたの知らない世界3

「あなたの知らない世界」第3回は、男性アスリートの脱毛事情を紹介する。近年、性別や競技にかかわらずアスリートの脱毛が当たり前になりつつある。東京オリンピック(五輪)柔道男子90キロ級代表の向翔一郎(25=ALSOK)もその1人。「脱毛=身だしなみ」だけでなく、そこには毛と競技力の意外な関係があった。【取材・構成=峯岸佑樹】

オンライン取材に応じる向翔一郎

柔道選手が脱毛!? 一昔前なら考えられなかったことだ。さらに毛深くない塩顔の向がなぜ…。謎は深まるばかりで、気になったので本人を“直撃”した。

向は開口一番、「柔道家ではたぶん自分が一番早いと思うけど、最近は脱毛をしている柔道選手も多い。他競技を見ても、美容室や肌のケアと同じ感覚でやってる」とさらりと言った。

きっかけは2年前。知人に誘われて、都内の店舗に月1回ペースで通い始めた。体毛は薄いが「肌が弱いのが弱点」で、ひげ剃(そ)り後の肌荒れ防止のために顔周りを中心に脱毛する。周囲では、テーピングを剥がす際の痛み軽減を理由に腕や足を脱毛する選手が多いという。ストレスで肌荒れも起こすため美容外科にも通う。入浴後などには、お気に入りの化粧品で入念に手入れするほどの徹底ぶりだ。

向翔一郎が使用してるスキンケア用品(ALSOK提供)

美意識の高さが、競技人口の普及や競技力向上の問題解決の糸口になる可能性があると主張する。いまだに「柔道=汗臭い」の根強い偏見はあり、「だからこそ清潔感が大事。自分の場合、身だしなみ以上の個性を出してしまうが、『強さ+かっこいい』と思われる日本代表が増えれば、柔道のイメージも変わると思う」と力説した。そのお手本の例として、常にダンディーな雰囲気を漂わせる男子代表の井上康生監督や、個性を大事にするスノーボード五輪2大会連続銀メダルの平野歩夢らを挙げた。

一方で、格闘技である柔道は相手を威圧する容姿も大きな武器となる。「胸毛が生えている選手は強い」との持論を持つ向は、大学院に進学して「胸毛と競技力の関係」を研究する考えもあった。「非常に興味深いテーマ。いつかはこの関係を検証して、答えを導き出したい」と、今も研究願望を抱く。

コロナ禍以降の国際大会は、代表最多の3戦に出場して経験値を上げた。現在は猛稽古に励んだ日大時代の「初心」をテーマに、3カ月後の大舞台に備える。「目立つのは畳の上。胸毛がなくても強いことを証明する。向翔一郎の柔道スタイルを突き詰めて頂点に立ちたい」。柔道界の異端児が、自分らしさを貫き一世一代の大勝負に出る。

■ウルフ 剃ると生やすのに力が必要と聞いた

東京五輪男子100キロ級代表のウルフ・アロン(25=了徳寺大職)は近年、トレードマークの胸毛に悩んでいた。17年世界選手権直前、約15キロ減量した肉体美を披露する目的でバリカンで胸毛を刈って初優勝した。これを機に「毛がない=けがない」との験かつぎで、翌18年大会でも剃ったが5位に沈んだ。「結果と胸毛は関係ない」と受け止めた一方、女性ファンから「胸毛だけは剃らないで」と書かれた手紙をもらい悩んだ。

18年9月、胸毛をそって世界選手権に臨んだウルフ・アロン

ある日、知人から「胸毛を剃ると生やすのに力が必要らしい」と聞いて、19年全日本選手権は体力温存の意味を込めて剃らずに臨んだ。そのかいもあってか、初の全日本王者の称号を手にし「胸毛はむしろ武器。五輪では名前の通りワイルドな感じでいく」と決意。姓のウルフを表すように25歳のオオカミは、金メダルという“獲物”を狙っている。

19年4月、胸毛をそらずに全日本選手権に臨んだウルフ・アロン

■競泳井狩 45分間の「剃毛ルーティン」

競泳選手は、当然のように体毛に気を使っている。東京五輪代表で男子400メートル個人メドレー井狩裕貴(20=近大イトマン)は、レース前夜に全身を剃り上げる。風呂場に入って、まずは「マイバリカン」で丸刈り。かみそりで手足の毛を剃り、背中の毛は仲間に剃ってもらう。45分間の「剃毛(ていもう)ルーティン」が、勝負レースへのスイッチだ。井狩は「音楽もいつもルーティンがあって、それをかけてやってます。水の抵抗が減る、物理的に軽減させる意味はあります」。丸刈りの20歳は、瀬戸大也とともに五輪メダルを狙っている。

井狩裕貴(21年4月撮影)

■ベッカム氏の美意識 メトロセクシュアルブーム

日本エステティック振興協議会は、男性脱毛の背景に関してさまざまな要因があると分析する。アスリートの場合、競泳は水の抵抗を防ぎ、フィギュアスケートは見た目の美しさ、サッカーやラグビーは外傷時の短時間処置の理由がある。欧米ではエチケットとして浸透しているが、国内では00年頃の「メトロセクシュアルブーム」が脱毛熱の火付け役となった。外見や生活様式へ強い美意識を持ち、その代表格がサッカー元イングランド代表のベッカム氏だ。ファッションの多様化も進み、短パンやクールビズにより半袖ワイシャツを着用する日が増えて一般男性にも拡大。コロナ禍でのオンライン会議で、自身の顔を見る機会が増加したことも一因と推測する。同協議会担当者は「自己投資の変化もあり以前の車などのモノではなくなってきた。年齢問わず美容に関心を持つ男性が増えている」と話した。

■5年で2倍以上の伸び

エステサロン大手「TBCグループ」は、男性専門店を99年にオープンした。現在は全国に48店舗を展開し、同社広報は「脱毛の新規申し込み件数はこの5年で2倍以上。時代とともに変化し、ひげの場合はデザイン脱毛などオシャレ目的も増えている」と説明。オーストラリアでサッカー選手として活躍した湯沢大佑さん(28)は昨年9月、都内に美容サロン「ORO」を開業した。現役時代に全身脱毛を経験し「むだ毛処理が不要になり、日々の時短生活につながる」とメリットを強調した。

◆向翔一郎(むかい・しょういちろう) 1996年(平8)2月10日、富山県生まれ。6歳で柔道を始める。富山・高岡第一高-日大-ALSOK。17、19年選抜体重別優勝。19年世界選手権銀メダル。左組み。得意技は背負い投げ。趣味は愛犬の散歩。容姿はカズレーザーに似ている。178センチ。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

東京五輪がやってくる

山本博が語る、どうなの?抜き打ちドーピング検査/あなたの知らない世界2

アスリートが身の潔白を証明し、競技の公平さを保つためのドーピング検査は、競技場内だけではない。代表クラスの選手たちにはいつ、どこで行われるのか分からない競技会外検査(抜き打ち検査)が待ち受ける。アーチェリー、オリンピック(五輪)2大会でメダルを獲得し、現在は24年パリ五輪出場を目指す山本博(58=日体大教)に話を聞いた。【取材・構成=平山連】

難解なドーピング検査について実体験を交えて語る山本博(撮影・平山連)

「日本アンチ・ドーピング機構(JADA)」のアスリート委員を2008~16年まで務めた山本は、競技者としても実務の観点からも検査についてよく知る人物だ。「一般の人に理解してもらいたいのはドーピング検査は競技場内のルールであって、犯罪ではありません」と強調する。

-初めてドーピング検査を受けたのは

山本 金メダルを取った82年アジア大会。それまで出場した国内外の大会では検査を受けたことがなかったから、当時のことはよく覚えている。88年ソウル五輪のベン・ジョンソン失格は、五輪という舞台でまさかドーピング違反があるとはと一番衝撃を受けたね。

-自身の五輪で印象に残っている体験は

山本 今でも覚えているのは84年ロサンゼルス五輪で銅メダルを取った時。検査ルームに冷蔵庫があって、中にはキンキンに冷えたビールが用意されてた。一日中屋外で試合してたから喉が渇いてて、1、2位のアメリカ人選手から「ヒロシ、どうだ」と渡されてさ(笑い)。3人で「Cheers(乾杯)」って言って、ぐいっと2、3本くらい飲んだかな(笑い)。あの時のビールの味は忘れられない。04年アテネで銀メダルを取った時は入ってなかったね。

-海外ではなぜ違反が絶えないのか

山本 オリンピックが国別対抗戦のようになってしまい、国の威信をかけて戦う考えが強くなった。メダル獲得で巨万の富を得るシステムになっている国もある。検査の手をすりぬけられるとうたうブローカーもいて、選手関係者に口利きする事例もあるとかうわさも聞く。

-日本は違反例が少ない理由は

山本 スポーツにおいて正々堂々と戦う道徳観が根強くあるのが背景にあると思う。不正を働いてまで勝って喜べるのかという考え方が浸透しているのは良いこと。世界に誇るべきことだね。

-他競技と比べアーチェリーの違反例が少ない

山本 薬を使って筋肉や酸素を蓄える量を増やしたって、アーチェリーには意味がない。精神面を安定させる薬はどうだと言われることもあるが、素の自分をコントロールした方が一番シューティングしやすいと思うね。闘争心を失っちゃったら、元も子もないよ。

-コロナ禍で従来の検査態勢のままでよいのか

山本 知らない人に排尿を見られながら、尿検査するのは嫌だよね。鏡がついたてになって後ろから眺めるような策もあるとはいえ、「濃厚接触」だよね。アスリートだけではなく、PCR検査で陰性が確認された検査員しか競技場内に入れない仕組みにするのが最低限の条件だよ。

一方でいつどこで来るのか分からない「抜き打ち」検査は、そういうわけにはいかない。国際大会に出場するような選手は、「ADAMS」と呼ばれるサイトに毎日の居場所情報を登録する。登録された場所に行っても検査ができない場合は「検査未了」となり、それが複数回あると資格停止など厳しい処分が科されることもある。山本自身も2度経験している。

山本 高校の教諭をしてた時、アーチェリー場にいた部員から「スーツ姿の大人の方々が山本先生を探してる」と連絡があった。行ってみると検査で指示に従ってやったけど、良い気持ちはしなかったね。部員たちは先生が何か悪いことしたんじゃないかと心配していた。プライバシーを保護する議論もしてほしいですね。

競技の公平性を期す上でドーピング検査は欠かせない。アスリートたちは、フェアなスポーツを守るために、競技外でも苦心している。

アテネ五輪・アーチェリー男子個人で銀メダルを獲得した山本博(2004年8月19日撮影)

◆ドーピング検査 アスリートから尿や血液といった検体を採取し、分析する施設へ送るまでを指す。禁止薬物使用の有無などは、世界反ドーピング機関(WADA)が認定した分析機関が行う。東京五輪を含む全ての国際大会ではWADAが公開する規定に基づき行われ、試合会場で行われる「競技会検査」と抜き打ちの「競技会外検査」の2つがある。

国際競技連盟(IF)などから検査対象者リストに登録されたトップアスリートは、毎日の居場所情報を提出する義務が生じる。1日1回、午前5時から午後11時までのどこかで「60分時間枠」を指定し、この枠で入力した時間と場所で検査に対応できなかった場合は、「検査未了」となる。12カ月で3回違反すると1~2年間の資格停止になる可能性がある。

<米陸上コールマンが居場所申告3度怠り>

抜き打ちドーピング検査の手続きに違反し、すでに東京五輪出場が絶たれた選手もいる。陸上男子100メートルの金メダル候補だった19年世界選手権覇者のコールマン(米国)は、スポーツ仲裁裁判所(CAS)から18カ月(20年5月~21年11月)の資格停止処分を科された。コールマンは19年1、4、12月の3度、検査に必要な居場所情報の申告を怠っていた。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

中川真依のダイビング

飛び込みW杯 最後の五輪きっぷに挑む注目選手/中川真依

今月18日から東京で開催される予定だった飛び込みワールドカップ(W杯)。コロナ禍の影響で延期になり、5月1日からの開催に変更になった。状況が状況なだけに、中止という選択肢もあったと思う。それでも、何とか開催へとつなげてくれた関係者の方々には、本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

特に今回は、東京オリンピックをかけた最後の舞台。私の経験からも、選手たちは試合を終えるまで、いつもとは比べものにならないほどのプレッシャーや緊張が続く。精神的にも肉体的にも、かなり追い込まれた状態になっていることを考えると、試合日程が変わってしまう事はかなりのストレスだと思う。

しかし、ここが踏ん張りどころ。みんな条件は同じだと腹をくくって、何とか最後まで走り抜けてほしい。

そこで今回は、オリンピック最終選考会であるW杯に出場する選手たちをご紹介したい。

3月の選考会で演技をする西田

<男子3メートルシンクロ>

まずは、ベテランの寺内健(ミキハウス)と坂井丞(ミキハウス)の2人から。ご存じの方も多いと思うが、寺内選手は5度のオリンピックを経験している飛び込み界のレジェンドだ。東京オリンピックでは、すでに3メートル個人とシンクロの両種目での出場が決まっている。しかし、今回はシンクロのみに出場する。シンクロのパートナーである坂井も、前回のオリンピックを経験している実力者。ベテラン2人の息の合った演技は、初めて飛び込み競技を観戦する方でも、十分にすごさを分かって頂けるだろう。

<男子3メートル板飛び込み>

残り1枠をかけ、須山晴貴(松江DC)と伊藤洸輝(日大)が世界の大舞台で日本人対決を繰り広げる。2人とも初のオリンピック出場を目指し、難易率の高い技を取り入れて挑戦する。須山の持ち味は、長身を生かしたダイナミックな演技。小柄な選手が多い日本では、その存在感を大いに発揮しているが、世界でどこまで通用するのか。一方で、伊藤は柔らかくしなやかな動きが持ち味。オリンピック出場資格は、準決勝18位以内に入ることが最低条件。そこからさらに、順位の良かった方が最後の1枠を獲得する。狭き門をくぐるのはどちらなのか。

<男子10メートル高飛び込み>

今回最も注目される種目だろう。若きホープである、玉井陸斗(JSS宝塚)と西田玲雄(近大)の2人が出場する。史上最年少でのオリンピック出場が期待されていた玉井。そんな中での延期だったが、開催が1年延びたことによって、さらに実力を高めた。演技の安定性にも磨きがかかり、W杯ではパワーアップした彼を見ることができるだろう。西田は成長期を乗り越え、体がしっかりと出来上がったタイミング。ここにきて高い難易率の技に安定性が出てきている。成長が著しい2人の活躍を、願わずにはいられない。

<男子10メートルシンクロ>

村上和基(JSS白子)、伊藤洸輝(日大)ペアが出場する。村上はオリンピック経験こそないものの、国際大会での経験が豊富なベテラン。経験の浅い伊藤を、どこまで引っ張っていけるかがカギとなるだろう。コンビを組んでからまだ日は浅いが、安定感のある演技とノースプラッシュを武器に、初のオリンピック出場を目指す。

3月の選考会で演技する榎本

続いて女子。

<女子10メートル高飛び込み>

W杯初出場の安田舞(日体大)と、既に東京オリンピックの出場権を獲得している荒井祭里(JSS宝塚)が出場する。若さの勢いで今回のチャンスをつかんだ安田は、挑戦者の気持ちで堂々と戦ってほしい。荒井は決して種目の難易率は高くないが、どんな状況でも安定した演技を見せてくれる。世界で活躍するためには、欠かせない精神力の持ち主だ。

荒井は、板橋美波(JSS宝塚)と組んでシンクロにも出場する。板橋は1度オリンピックを経験している分、荒井にとっては心強い存在だろう。2人は同じ所属で、長年一緒に練習している幼馴染。本番でも、息ぴったりの演技を披露してくれるに違いない。

<女子3メートル板飛び込み>

三上沙也加(日体大)に注目してほしい。2019年の世界選手権で5位という素晴らしい実績を残し、すでに東京オリンピック出場権を獲得している。大舞台を経験したからこそのプレッシャーもあるだろうが、彼女は世界でも数人しかできない大技「5154B(前宙返り2回半2回ひねり)」という武器を持っている。ぜひ、強い日本を今回も示してほしい。そしてもう1人は、最近、特に存在感を放っている榎本遼香(栃木DC)だ。国内では三上と優勝争いをするほどの実力がある。三上に続く個人の出場枠を獲得できる可能性を十分に秘めている。

榎本は、宮本葉月(近大)との3メートルシンクロにも出場する。仲のいい2人。姉妹のような関係をうまく活用し、息の合った演技を披露してくれることを期待している。

どんな状況下でも、選手の役目は試合に向けて己と戦い続けること。さまざまな意見があることは、選手たちも分かっている。それでも、前を向いて進むしかないのだ。目標や夢に向かって頑張っている選手たちの姿は、きっと胸に響くものがあると思う。スポーツの力を信じて、ぜひ温かい声援を送ってあげてほしい。(中川真依=北京、ロンドン五輪飛び込み代表)

チェンジ

現役最年長75歳プロボウラー「ビッグジュン」コロナに負けず後進に道つなぐ

現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一

現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一(75=中野サンプラザ/(株)LTB)は今も、家族やトレーナーのサポートを借りて現役を続けている。プロ54年目を迎える自身にとっても、かつてない影響を及ぼしたのが新型コロナウイルスだ。若手選手を中心に先行きの見えない状況に不安の声も聞こえる。このままではボウリング界がさらに下火になってしまわないか。列島中を湧かせたブームを知っている数少ない現役選手として、後進のために何かできないか。コロナ禍というかつてない状況が、矢島の心に大きな使命感を抱かせている。

大きな弧を描いたボールを何度も放つ現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一

放たれたボウリングボールはまるで意思が備わっているかのように、大きく弧を描き10本のピンへと吸い込まれていく。レーンの先から「カラン、カラン」と小気味よい音が聞こえ、全ピンが倒れたことを告げた。

ストライク、ストライク、ストライク…。幾度となく訪れる快感に浸ることはない。矢島は額にうっすらと汗をにじませながら、約20メートル先のピンを目掛けて黙々と投げ続けた。いつしか周囲から呼ばれた「ビッグジュン」の由来は定かではないが、176センチの体格がプレー中はひときわ大きく見える。「大事なのはいかに自分の思った所にボールをコントロールするか。スピードがあっても、狙った所に行かなければストライクは取れません」。練習先拠点の東京・中野サンプラザ地下にあるボウリングセンターに週3回通って調整を重ねている。

現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一の投げたボール。全ピンを倒し「ストライク」を決めた

国内優勝41個という歴代1位のタイトル保持者。2016年にはシニアの国際大会で日本男子選手として初金星を勝ち取った。そんな現役生活54年目を迎えた矢島にとっても、新型コロナウイルスは大きな影響を及ぼした。今季出場した公式戦はわずか3試合。10試合以上が中止や延期を余儀なくされた。

デビュー当時からけんしょう炎に悩まされ

将来は酒屋を営む実家を継ぐのが親の方針だったため、大学進学の選択肢はなかった。ただ、高校卒業後、働くにしても、体を動かすことは続けたいと、各地でボウリングセンターができるなどブームが起きつつあった競技を始めた。

元々は趣味だったが通い詰める内に、インストラクターから腕を褒められた。「プロを目指さないか」と誘われ、19歳の1年間余りをプロテストに向けた練習に費やした。ボウリングセンターのスタッフとして働きながら、朝方や客が来ない時に練習に励んだ。1日400球以上投げ込んだ成果が実りプロテストに合格した。

喜んだのもつかの間、矢島の右腕はデビュー当時から悲鳴をあげていた。

「デビュー戦にどうしても出たいと医者に無理を言って痛み止めを頼んだ時には、医者から『試合に出れば壊れるよ』と脅されました」。それでも試合に出て優勝するのだから、歴代1位のタイトル保持者の片りんはデビュー当時から健在だった。手首の痛みは付き合っていかなければならないと覚悟し、試合前にはコンディションに応じてテーピングを替えたり、主治医と相談しながら競技に打ち込んできた。

練習前にテーピングを巻く現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一

70年代のボウリングブームをけん引

60年代後半から70年代前半にかけて、空前のブームが到来した。52年に国内初の本格的競技場「東京ボウリングセンター」が開場した。増加の一途をたどり、72年にはセンターの数は3697カ所(日本ボウリング場協会調べ)と最盛期を迎え、プレーするのに長時間待つことが当たり前だった。矢島は「公式戦に来るお客さんの数は今の10倍以上。一種の社会現象でした」と振り返る。

自身は日本プロボウリング協会創設第1期メンバー19人に名を連ねた。「さわやか律子さん」で名をはせた中山律子さんらとともにブームをけん引した。今では第1期の仲間たちは続々と引退し、第一線として残るのは矢島のみとなった。

50代半ばで肉体の衰え。かすむ「引退」。肉体改造と食生活の改善に着手

危機はあった。限界が来たのは50代半ば。試合中にも手の痛みを感じることが多くなり、若い頃のような無理がきかなくなった。思うようなプレーができなくなり、「引退」の2文字が頭をよぎった。

納得のいくプレーをもう1度したいー。往年の輝きを再び手に入れるため、肉体改造と食生活の改善に着手した。

パーソナルトレーナーの中村博さんが提唱する「筋肉を柔らかく強く」することに特化した独自トレーニングと出会って20年近くたつ。今も週3回取り組んでいる。間近でサポートしてきた中村さんも、矢島の変化をはっきりと感じている。

現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一の手

「最初の頃は『年だから』と弱音を聞いたこともありましたが、ここ10年間は聞きません」と語り、自身の理論を実践して年齢を感じさせないパフォーマンスを発揮していると敬意を示す。

妻の邦子さんは、競技中にも集中力が切れることなく好パフォーマンスを継続させる上で「糖質」に着目した。米よりパスタの方が長丁場の試合でも低血糖になりにくいと聞いて、日頃の食事メニューを変えた。「(夫は)すし屋に行っても米は食べない。意志が強くなければできないことです」。不断の努力で引退危機を乗り越えた。

「今もプレーできているのはあの時に変化を恐れず、新しいものを取り入れたから」と語るように、75歳を迎えてコロナ禍に見舞われても向上心は衰えることを知らない。最近はボールの穴のあけ方で軌道がどう変わるかに関心を寄せる。

練習や試合で欠かさず持って行く現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一の道具箱

ドリルでボールに穴を開けることも請け負う現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一

「良いボウラーは、優れたドリラーでもあります」と笑う。顔には、ボウリングに人生をささげてきた自負が見えた。

ブームをけん引し、数々のタイトルを取るなど、すべてをやり尽くしたように見える。高齢者にとって、より重症化リスクの高い新型コロナウイルスがまん延する中で、なぜ現役にこだわるのか。「けんしょう炎に悩まされながら、ずっとプレーしてきました。いろんな苦労をしたからこそ、コップやバッグが持てなくなるまで現役を貫きたいと覚悟ができました」。競技を続ける理由をさらに深掘りすると「やっぱりボウリングが好きなんです。今もずっとそのことを考えていますし、始めた時からずっと変わりません」と力強く語った。

手のひらはしわが目立つものの皮が分厚く、ボウリングと真剣に向き合ってきた足跡が垣間見える。矢島のモットーである「限りなき前進」は、閉塞(へいそく)感が漂う今の世の中だからこそ人々を前向きにさせる。

ボウリング場にも影響及ぼすコロナ

コロナ禍は選手だけではなく、拠点とするボウリング場にも大きな負担を強いる。2019年の現存する数は全国で738カ所(日本ボウリング場協会調べ)。最盛期の約5分の1まで減少した。各ボウリング場は経年劣化する全レーンの切り替えが数十年に1度必要で、その都度数億円の改修費がかかる。店主たちがなんとかつなぎ留めてきた経営を、コロナが廃業へと追い込まないか。ボウリング場に人を呼び込むために教室を開講するなど力を貸したいが、感染症対策でなかなかできないことでモヤモヤした気持ちが募る。

現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一が、練習拠点とする東京・中野サンプラザボウル

ボウリング人気低下に拍車をかけないか懸念

選手にとっても同様だ。矢島のようにボウリング場所属の選手でさえ、施設が開かなければ仕事にならない。所属先がない選手の場合はなおさら。死活問題に直面している。

現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一が、練習拠点とする東京・中野サンプラザボウル

公益財団法人笹川スポーツ財団の「新型コロナウイルスによる運動・スポーツへの影響に関する全国調査」(21年2月)によると、コロナの感染拡大前と後で実施率が減少した種目は、散歩に次いでボウリング(3.6%→2.0%)が2位に入った。

3密(密閉・密集・密接)の条件がそろう場所での運動が避けられている傾向があるようだが、矢島はコロナが競技の人気低下に拍車をかけないかと心配している。一般客になんとか戻って来てもらえるよう、各地で体験教室が開催できる日を心待ちにしている。

東京・中野サンプラザボウルで練習に励む現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一

「全盛期知る私には責任がある」

コロナ禍に負けるわけにはいかない。その思いを体現するかのように、75歳にして新たな試みを始めた。今年1月にスポーツギフティングサービス「Unlim(アンリム)」に加わった。資金面で苦労しているアスリートを応援する取り組みで、ファンから寄付という形で支援を募る。参加アスリートの中では最年長で、ボウリング界では初めて加わった。「今度公式戦にご招待しますよ」「現地で一度観戦してみて下さい」と担当者に伝えるなど、地道な営業活動を続けている。

矢島と交流があり、ボウリング通で知られる歌手でサザンオールスターズの桑田佳祐のポスター

ボウリング好きの歌手サザンオールスターズの桑田佳祐にはマイボールをプレゼントしたり、一緒にプレーしたりと交流を重ねる。桑田のリリースした「レッツゴーボウリング」の歌詞には、往年の選手とともに矢島の名も登場する。友人の粋な計らいに感謝しつつ、矢島自身が広告塔になることでボウリング界に関心を寄せる人が増えてほしい。そんな思いも新たな挑戦につながった。

華麗なフォームで練習に励む現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一(写真はすべて平山連撮影)

「ビッグジュン」との呼び名で親しまれるプロボウラーは、後期高齢者であることを全く感じさせないバイタリティーにあふれている。「私ができることはささいなことしかありませんけど、後輩たちがより良い活動につながることがしたい。全盛期を知る私には、その責任がある」。力強い言葉とともにどんな活動ができるかと模索する姿が印象に残った。

【平山連】

ピッチマーク

18歳竹田麗央にワクワク 叔母は元賞金女王の平瀬真由美、母哲子は指導者

キャディーを務める母・平瀬哲子さん(左)と話す竹田麗央(2021年4月17日撮影)

KKT杯バンテリン・レディースでアマチュア竹田麗央(りお、18=熊本国府高3年)が4位になった。

元賞金女王、平瀬真由美(51)のめいっ子。平瀬の姉で、これまたプロの哲子(さとこ、52)の娘はツアー出場まだ4戦目。第1ラウンド(R)でツアー競技初のアンダーパー、71を出すと、翌第2Rでは大会コースレコードタイ記録「65」を出した。

何よりの魅力は「250~260ヤードぐらいです」という飛距離だろう。最終日に同組で回った優勝者、新世紀世代の山下美夢有を40ヤード前後も置いていく場面があった。見た限り、笹生優花にはかなわなくても、原英莉花、渡辺彩香ら飛ばし屋プロとどっこいどっこいか。そんな印象だ。

狙うアングルが違う。ドッグレッグホールでは1人だけ「え? そこ?」と思うような向きで構え、林越えを狙ったりする。身長166センチ、たくましい下半身。スイングのトップは決して深くない。インパクトからフォロー、フィニッシュにかけての「前」が大きい。ミート率は18歳だし、まだばらつきはあるが、芯を食った時は本当にすごい。弾道の高い「ビッグボール」でキャリーが出る。

第1Rスタート前のドライビングレンジで見た時、2球目のドライバーがすごかった。約220ヤード先(紙面で約210ヤードと書いたが、修正します)の高さ約20メートルの防球ネットを越えた。たまたま近くにいた平瀬が「ね、今、越えたよね?」と聞いてきた。「ここ、飛ぶ人はたまにネット越えるんだけど…」と恐れ入ったように笑った。

平瀬はツアー通算19勝で93年から2年連続、24、25歳で賞金女王になった。米ツアー参戦経験もある。ただ、プレーヤーとしてのタイプはめいっ子と違う。豪快ではなく、ステディー。つまり安定した、隙のなさが武器だった。「私は飛ばなかったからね。でも、この子は飛ぶのよ」。何度か一緒に回ったそうだ。「小学校、中学…だったかな。3回ほど。その時から飛ばしてた」。結構教えたのか? 「全然。そこはずっと見てる姉の役目じゃないですか。姉に“スイングはやっぱ打ち込まないとね。払い打ちじゃダメよ”なんて言っちゃったことはあるけど…」。練習中、プレー中に何度もめいっ子を見に来たが、近寄らず、離れて見ていた。たまに動画を撮ったりする。「だって、緊張させたらかわいそうじゃない」。とても大切な存在を見守る気持ちが伝わってきて、心が温かくなった。

平瀬と対照的に、母の哲子は実績あるプレーヤーではなかった。ツアー出場96戦で、ベストフィニッシュは96年雪印レディース東海クラシック19位。優勝、シード経験はなく、予選落ちの方が多かった。しかし、34歳だった02年を最後にツアーから身を引き、同年に導入された「ティーチングプロ資格A級」を取得。その後にLPGAジュニアゴルフコーチの資格も取り、一般ゴルファー、ジュニア、そして娘を教えてきた。

超一流のキャリアを持ちながら、一線を引き、見守る叔母。地道にティーチングプロの経験を積んできた母。粗削りで未知数の18歳がどんな選手に育つのか。わくわくする。【加藤裕一】

We Love Sports

陸上男子100m、世界10傑の7人がドーピング“クロ”栄光の光と影

19年9月、世界陸上の男子100メートルで優勝し、雄たけびを上げるクリスチャン・コールマン

地球の海が占める面積の割合、ビールと泡の黄金比率、運転免許の保有者。

それぞれ、約70%、7対3、10人中7人。パッと分かりやすい例えが頭に浮かばず、恐縮だが、「7割」と聞けば、おそらく、ほとんどの人が「多い」とイメージするだろう。

このたび、陸上界のあるデータが「10人中7人」になった。名誉なトップ10のリストは、視点を変えると、悲しき現実を浮き彫りにする。

陸上男子100メートルで東京五輪の金メダル最有力候補だったクリスチャン・コールマン(25=米国)が、21年11月までとなる18カ月の資格停止処分を受け、東京五輪に出られなくなった。19年世界選手権覇者であるコールマンの場合、居場所申告を3回怠ったことにより、ドーピング失格の同等の扱いとなった。実際に禁止薬物を使用したかは定かでないが、守らなくてはならぬアスリートの義務を破ったのだから、厳しい処分は当然だ。

この結果である。

男子100メートルのベストタイム世界歴代10傑のうち、7人がドーピング検査の資格停止処分の経験者になった。

そして“シロ”なのは、たった3人になった。

<世界歴代10傑>

○は歴なし。×は歴あり。

(1)9秒58 ウサイン・ボルト(ジャマイカ)○

(2)9秒69 タイソン・ゲイ(米国) ×

(2)ヨハン・ブレーク(ジャマイカ) ×

(4)9秒72 アサファ・パウエル(ジャマイカ) ×

(5)9秒74 ジャスティン・ガトリン(米国) ×

(6)9秒76 クリスチャン・コールマン(米国) ×

(7)9秒78 ネスタ・カーター(ジャマイカ) ×

(8)9秒79 モーリス・グリーン(米国) ○

(9)9秒80 スティーブ・マリングス(ジャマイカ) ×

(10)9秒82 リチャード・トンプソン(トリニダード・トバゴ) ○

ドーピングには「うっかり」の例も存在する。競技力向上とは関係ないヒゲの育毛、興奮剤、サプリメント、飲料に意図せずドーピングの成分が含まれていたなど。とはいえ、「7/10」という数字はどう考えても多すぎだ。

過去には、ともに当時の世界記録を塗り替える9秒79のベン・ジョンソン(カナダ)、9秒78のティム・モンゴメリ(米国)もドーピング陽性反応により、記録を抹消された。

資格停止処分などの制裁の代償を払ったとしても、罪を完全には拭うことはできないだろう。ドーピングのやっかいな点は、薬が抜けた後も、完全な公平性が保たれているとは言い切れないこと。1度ドーピングで力を出すことを覚えた体は、薬がなくとも、そのパフォーマンスを再現する可能性が高まるとも言われる。それを知って、上記のデータを目を通すと、心が痛くなる。栄光の影に闇が混在する。ボルトが世界中から称賛される理由は、実績はもちろん、クリーンを貫いたことも大きい。

スポーツの感動、興奮は、その瞬間に宿る。その筋書きなきドラマも、ドーピングによって、スポーツの精神に反し、本質をゆがめることが判明すれば、興ざめになる。

04年アテネ五輪男子ハンマー投げ。現スポーツ庁の室伏広治長官は、アドリアン・アヌシュ(ハンガリー)がドーピング違反により優勝剥奪となって、銀から金メダルに繰り上がった時、「うれしく思う」とした上で、「直接、表彰台で受け取りたかったのが本音」とも述べている。

その会見で、室伏氏は自筆のメモを報道陣に配った。「真実の母オリンピアよ。あなたの子供達が競技で勝利を勝ちえた時、永遠の栄誉(黄金)をあたえよ」。メダルの裏にギリシャ古代語で書かれた文章の訳だった。そして「金メダルより重要なものがある。本当の真実の中で試合が行われることが、どれだけ大切かと思って引用した」と力説した。

薬物使用によって競技力を上げるドーピングは、公平の精神に反し、応援してくれるファンの疑念を生み、そして自身の健康も害す愚かな行為だ。真摯(しんし)に向き合うアスリートの努力が正しく報われず、損をする。そんな事が、決して許されていいはずはない。【上田悠太】

◆上田悠太(うえだ・ゆうた)1989年(平元)7月17日、千葉・市川市生まれ。明大を卒業後、14年に入社。芸能、サッカー担当を経て、16年秋から陸上など五輪種目を担当。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

東京五輪がやってくる

柔道高藤の過酷な減量、栄養士助言で独自の方法/あなたの知らない世界1

今週の「東京五輪がやってくる」は、「あなたの知らない世界」を紹介する。第1回は、階級制競技の過酷な減量について。16年リオデジャネイロオリンピック(五輪)柔道男子60キロ級銅メダルで東京五輪代表の高藤直寿(27=パーク24)は、独自の減量法で最終調整を続ける。トップアスリートの失敗しない減量の極意とは-。中2から60キロ級で活躍する実力者は、試行錯誤を繰り返して最善策を見いだした。

昨年12月に体重を60キロまで落とした高藤直寿(パーク24提供)

高藤が進化に自信を見せている。今月上旬、1年2カ月ぶりの実戦となったアジア・オセアニア選手権(キルギス)を優勝で締めくくった。オリンピック(五輪)前の最終戦を終えて「この1年間の積み上げは間違っていなかった。残り3カ月はやり残しがないように、人生をかけて死に物狂いで準備する」と決意を示した。

95日後に迫る大勝負に向け、コンディションを左右するのが減量だ。最も過酷な最軽量級で15年間トップに君臨する27歳は、17年12月のグランドスラム(GS)東京大会決勝で全身がつるアクシデントに見舞われた。体に負荷をかける急激な減量に原因があった。これを機に、東海大の先輩の羽賀龍之介(29=旭化成)に栄養士を紹介してもらい、18年1月から助言を受けている。3年間計測したデータを参考に、試行錯誤を重ね、自身に適した減量法を編み出した。

本格的な減量は、試合1カ月前から始める。それまでに通常69キロ前後ある体重を、下地とする64キロまで落とし「ガチガチの減量」を開始。1日3回の食事の栄養管理を徹底し、心身の負担を軽減するために1週間1キロ目安で落とす。早く落としても、パフォーマンス低下が懸念されるため62キロ程度で現地入り。最終調整後、ホテルの湯船などで発汗して50グラム単位で水分調整し、試合前日の計量を59・7~59・9キロでパスする。

これが高藤流の減量で、ポイントは3点ある。

(1)食事のメリハリ 通常は制限なく好きな物を食べる分、減量期に入ると「減量=仕事」と割り切って前向きに励む。ご飯の量を減らして野菜を増やし、おかずも薄く味付けする。大好きなジュースもNG。試合数日前のご飯の量は500円玉サイズになり、フルーツなどで調整する。

(2)ストレスをためない 減量初期が最も空腹になり、満腹感を得るものを工夫して食べる。朝食は栄養価が高く、胃に優しいオートミールをおかゆ風に。好みでグラノーラやツナ缶、ホットミルクなどを加える。昼食は元柔道家の妻が考案した、糖質オフ麺など使った減量めし「高藤丼」を口にする。我慢の限界を超えたら食事制限なしのチートデーを作り、その分体を動かす。

(3)目標設定 「大会で優勝して、帰りに○○(店名)のステーキを絶対に食べる」などと最終ゴールを決める。精神面の支えとなり、大きなモチベーションになる。特に国際大会の往路の機内は「地獄」で、食事の際は寝たふりやゲームでごまかしながら「帰りは腹いっぱい食べてやる」と自身に言い聞かせる。

 

昨年12月には試合がないのにあえて60キロに落とした。コロナ禍で五輪が1年延期となり、試合勘と同様に減量の感覚を取り戻すためだった。全ては五輪で夢をかなえるため-。1年前に吉田秀彦総監督(51)からもらった手作りの金メダルを“本物”に変えることを誓う。

「リオ五輪の時よりも確実に強くなっている。吉田監督には『五輪で金メダルを獲得したら本物だ』と何度も言われているので、心技体全てにおいてもう1段上げて7月24日を迎えたい。五輪の借りは五輪で返す」

己の体と向き合う27歳の柔道家は、万全の準備を整えてリベンジの夏を迎える。【峯岸佑樹】

<自ら考えさせ食生活向上へ>

森永製菓トレーニングラボ(東京・港区)のアドバイザーで公認スポーツ栄養士の清野隼さん(35)が、高藤直寿の減量をサポートする。

大会7週間前から週1日を目安に胸囲や大腿(だいたい)囲、皮下脂肪の厚さなどを細かく測定。試合日から逆算して計画を立て、毎週の目標値を設定する。清野さんは感覚を大事にする高藤の性格を理解し、行動を押しつけるのではなく、注意点のみを伝え自律支援に徹している。それが自ら考える力を伸ばし、体重変化に応じた食行動の向上につながっている。

普段は筑波大体育系助教を務める陰の立役者は「年齢を重ねても、減量期間で体重がスッと落ちるのは高藤選手のトレーニングのたまもの。目標達成に向けたお手伝いができればと思います」と、金メダル獲得を期待した。

高藤直寿の減量をサポートする清野隼さん(撮影・峯岸佑樹)

◆柔道の計量 公式計量は試合前日に実施。30分前に仮計量があり、本番と同じ体重計に乗れる。試合当日に大幅な体重増の選手が多いため、無造作に選ばれた選手は当日計量も行う。規定体重の5%を超えると失格。60キロ級なら63キロ以内。服装は男子が下穿きのみ、女子が下穿きとTシャツを着用。全日本柔道連盟は国際大会の計量で失格した選手には、強化指定除外の罰則を科している。

◆高藤直寿(たかとう・なおひさ)1993年(平5)5月30日、埼玉県生まれ。栃木県で育ち、神奈川・東海大相模中、高-東海大-パーク24。11年世界ジュニア選手権制覇。13、17、18年世界選手権優勝。16年リオ五輪銅メダル。世界ランク4位。左組み。得意技は小内刈り。趣味はゲーム。好きな食べ物はラーメン。家族は妻、長男、長女。160センチ。

<レスリング高谷は慣例打破 8キロ以上は階級アップ>

減量がつきものの競技に挑む選手は、試合直前の過酷さを当たり前と捉える傾向は根強いが、レスリング界ではその慣例打破を掲げる選手がいる。男子フリースタイル86キロ級の高谷惣亮(32=ALSOK)は「体重の4%を超えると体にダメージが残る。8キロ以上は階級を上げた方が良い」と中高生に助言を続けている。

高谷惣亮の74キロ級当時の肉体。約10キロの減量が必要だった

体験談がある。12年ロンドン、16年リオデジャネイロの2回の五輪は74キロ級で戦った。最大減量幅は10キロ。めまい、手に力が入らないなどの症状の経験がある。そして何より「体重を落とすために、休むことが恐怖になる」。精神面のダメージが大きかったという。

18年1月から国際連盟が計量を前日から当日に変えた。従来は前日からの体重の戻し幅が勝負の分かれ目だったが、短時間ではもう戻せない。転機になった。「10キロ減らすので、戻らないですよね。それでは戦えない」。階級を上げた。

すると故障もしなくなった。効用を感じるからこそ、いまは「自分が勝てば、ナチュラルに近い階級でも勝てると思ってもらえる」と使命感がある。4月上旬のアジア予選では57キロ級の樋口黎が計量オーバーで失格になる姿も目の当たりにした。自身は準決勝に惜敗し、5月の世界最終予選に3度目の五輪をかける。【阿部健吾】

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

We Love Sports

宇野昌磨のコメントはいつも興味深い 世界歴代3位の記録に「何でだろう」

世界フィギュアスケート国別対抗戦エキシビション エキシビションで演技する宇野昌磨(代表撮影)

小学生の頃に算数で「コンパス」を使った。支点となる針を紙に刺し、鉛筆の部分で、ある場所に印を刻む。

4月18日、丸善インテックアリーナ大阪。18年平昌オリンピック(五輪)男子銀メダルの宇野昌磨(23=トヨタ自動車)は、今季最終戦となる世界国別対抗戦を終えた。オフシーズンへと入る節目に、約10カ月後に迫った22年北京五輪への思いを問われた。宇野はこのように言った。

「僕はやっぱり先のこととか、過去のこととか、あんまり気にしないというか…。気にしないというより、僕は今を一番気にしたいし、気にしてしまう性格なので。僕が今いるこの場所、昨日までの試合、そしてシーズンオフに入るにあたり、どうするべきかとかは具体的に考えています。先のことになると、その時、自分がどういう状態で、どういうコンディションで、(五輪に)出場できるのかも全然決まっていない。(五輪に対し)深くイメージすることは何もないです」

この言葉を、取材者の1人として、次の1年への「支点」にしたいと思った。

1156日前にさかのぼる。2018年2月17日、宇野は平昌五輪のフリーを終えて銀メダルを手にした。取材エリアで次々に質問が飛んだ。「五輪の雰囲気」を問われ、こう言った。

「五輪に最後まで特別なものは感じなかったです」

ここだけを切り取れば「五輪軽視」のようにも捉えられた。だが、取材歴1年足らずだった当時でも、その言葉が一貫した考えで成り立っていることは分かった。前年夏の時点から「五輪」「メダル」という質問に対して「僕の中ではどの試合も悔しい思いをしたくない。いい演技をしたい。それは、どの試合もかかわらず思う」と答えた。実際に五輪のリンクに立っても「1つの試合」というスタンスは変わらなかった。

宇野のコメントはいつも興味深い。勝手に想像したものと、違う答えを聞くことが多いからだと考える。

319・84点、世界歴代3位-。

国際スケート連盟(ISU)の公式サイトを開けば、今も17-18年シーズンまでの自己最高得点を確認できる(同シーズン終了後に新ルール採用でリセット)。宇野が羽生結弦(ANA)、ネーサン・チェン(米国)に次ぐ高得点を記録したのは、17年ロンバルディア杯(イタリア)だった。

得点を見た時に「大満足では?」と思った。だが、同杯に向けた練習の自己評価以上に高得点が出たことで、喜びは控えめだった。

「うれしさよりも『何でだろう』っていう気持ち。自分ができること、実力を出して、満足したい」

「見る者」と「する者」の、ギャップが興味深い。

逆の意味では、今季最終戦も同じだった。世界国別対抗戦はショートプログラム(SP)が9位、フリーが6位。演技を見て心配する声も多くあった。宇野は思いのほか前向きだった。

「もちろんふがいなさはありました。練習ができて、本番ができなかったら悔しい。(今回は)悔しいというより、ふがいない。この試合で気持ちが落ち込んだとかは、あまりありません。この試合に向けて練習してきた自分に、気持ちが入っていなかった。今後の教訓にして、生かしていきたいと思っています」

演技に対する一喜一憂ではなく、過程を反省した。

シーズンオフを経て、7月から来季が幕を開ける。

夏、秋、冬…。北京五輪は刻一刻と近づいてくる。

「今」を大切にする宇野の思いは、変化していくのだろうか。その答えは、現時点で誰にも分からない。

コンパスでいう「鉛筆」の部分。その着地点を楽しみに追いたい。【松本航】

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大ではラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月からは西日本の五輪競技やラグビーが中心。18年ピョンチャン(平昌)五輪ではフィギュアスケートとショートトラックを担当し、19年ラグビーW杯日本大会も取材。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

世界フィギュアスケート国別対抗戦エキシビション 演技をする宇野昌磨(代表撮影)
世界フィギュアスケート国別対抗戦エキシビション エキシビションで演技する宇野昌磨(代表撮影)
世界フィギュアスケート国別対抗戦・男子SPで演技する宇野昌磨(2021年4月15日 代表撮影)
世界フィギュアスケート国別対抗戦・男子SPの演技を終えて日本チームに向かって手を合わせる宇野昌磨(2021年4月15日 代表撮影)
米PGAツアーティーチング

トップコーチも絶賛する「パッシブトルク」提唱者 サショ・マッケンジー

ここ数年、欧米ゴルフティーチング界で注目集めているゴルフスイング研究者にサショ・マッケンジー教授がいる。日本ではあまり名前が知られていないが、欧米のゴルフ界ではパッシブトルクの提唱者として知られており、クリス・コモ(タイガーウッズ前コーチ、デシャンボーのコーチ)やショーン・フォーリー(タイガーウッズ元コーチ)、キャメロン・マコーミック(ジョーダン・スピースのコーチ)など、多くの一流指導者のティーチングに大きな影響を与え、ゴルフティーチング界の最先端をリードする存在だ。

■クリス・コモら一流指導者に大きな影響

サショ・マッケンジー教授

サショ・マッケンジー教授は現在、カナダのノバスコチア州にある聖フランシスコ・ザビエル大学で教鞭をとりながら、ゴルフに重点を置いた「スポーツエンジニアリング」と「バイオメカニクス」の研究をしている。ゴルフクラブの「パッシブトルク」に関する研究論文を発表すると、ゴルフ界に大きな影響を与え、欧米のトップコーチやPGAツアー選手に指導を行うようになった。欧米の研究者やコーチが参加するゴルフバイオメカニクスのコミュニティーでは中心人物としてリスペクトされている。その他に、ゴルフクラブやゴルフスイング測定機器の開発を行い、地面反力を効率的に使うためのゴルフシューズの開発にも関わってきたという。

私は以前からマッケンジー教授のスイング研究に興味があり、共通の友人であるクリス・コモに紹介してもらって勉強会などに参加するようになった。マッケンジー教授の研究は非常に興味深く、欧米のトップコーチたちが「ゴルフサイエンスの最前線だ」(クリス・コモ)、「私のレッスンメソッド・レッスン哲学に最も影響を与えたのはマッケンジー教授の研究だ」(ショーン・フォーリー)などと、称賛した意味が理解できた。

クリス・コモを指導するマッケンジー教授

ゴルフスイングはゴルフクラブという道具を使ってボールを打つ競技のため、クラブの動きを無視することはできない。身体の動きだけではなく、クラブに加わる三次元のフォースやトルクの働きを理解することで、ゴルフスイングのメカニズムを理解することができる。現代のゴルフティーチャーには「目に見えないもの」がどれだけ見えるようになるかが問われている。旧来のスイングプレーンや体の動きなどの目で見えるものではなく、バイオメカニクスなどの知識によって、フォースやトルクなどの「目に見えないものが見える」状態になることで、最適解を導くことができるようになる。私自身、マッケンジー教授の研究を学ぶことで、今まで学んできた多くのスイング理論に対しての理解が深まり、ゴルフスイングを分析し修正することが容易になった。

■スイング改善に欠かせないパッシブトルクの原理

ここ数年、ゴルフスイングにおいて「パッシブトルク」という言葉がすっかり定着した。トルクという言葉は以前から自動車のエンジンの性能を表すときなどに使われているが、回転軸を中心に発生する力のことだ。パッシブトルクの「トルク」とは回転やねじれの力のことで、「パッシブ」とは「受動的」だから、パッシブトルクとは「受動的に発生する回転の力」という意味になる。つまり自分で生み出すのではなく自然発生的に起きる力のことだ。この回転の力が正しく発生すると、クラブを自然とプレーン上に戻し、フェースを閉じていく。

パッシブトルクは誰でも知らないうちに発生させているもので、別に新しい打ち方でも、特別な人だけが使いこなせる力でもない。これまでも多くの名選手が経験に基づいて使ってきた力を、理論的に裏付けたものに過ぎない。アマチュアゴルファーも意識せずにパッシブトルクを使っているのだ。

ただ、パッシブトルクの原理を理解し、上手に使わないと適切なスイングができないだけではなく、ミスショットの原因にもなる。逆に言えば、パッシブトルクを正しく発生させればスイングの改善は容易にできるということだ。パッシブトルクを適切に使えれば、スライスの改善を行うことができるし、効率的にヘッドスピードを高めることができるので、飛距離を伸ばすことも可能だ。

■アマの手本はジェイソン・ダフナー

マッケンジー教授によると、PGAツアー選手の中では、セルジオ・ガルシアやジョン・ラームなどがパッシブトルクを効率的に使っているという。しかし、ガルシアのスイングは個性的すぎるし、ラームのスイングはスピードが速すぎてアマチュアが真似するには難しい。

彼がアマチュアの参考になる選手として名前を挙げたのは、ジェイソン・ダフナーだ。2013年の全米プロゴルフ選手権の覇者で、当時、ゴルフ界で流行した「ダフナリング」で覚えている人もいるかもしれない。ダフナーはフラットな1プレーンスイングの持ち主で、低くシャローなダウンスイングを行い、インパクトに向けてパッシブトルクを使ってクラブを振り戻している。アマチュアにとって体に無理なストレスを与えない1プレーンスイングなら真似をすることも可能だろう。

ゴルフチャンネルをはじめ、多くのメディアに出演

サショ・マッケンジー教授のスイング研究は高度でアマチュアには少しレベルが高いかもしれない。ただ、パッシブトルクの原理を理解することで、クラブの使い方を学びゴルフ上達に役立てることができる。「なぜ、そうなるのか」という原理原則を知ることでゴルフインテリジェンスを高め、ゴルフスイングのレベルを高めてほしい。

(ニッカンスポーツ・コム/吉田洋一郎の「日本人は知らない米PGAツアーティーチングの世界」)

◆吉田洋一郎(よしだ・ひろいちろう)北海道苫小牧市出身。2019年度ゴルフダイジェスト・レッスン・オブ・ザ・イヤー受賞。欧米のゴルフスイング理論に精通し、トーナメント解説、ゴルフ雑誌連載、書籍・コラム執筆などの活動を行う。欧米のゴルフ先進国にて、米PGAツアー選手を指導する100人以上のゴルフインストラクターから、心技体における最新理論を直接学び研究している。著書は合計12冊。書籍「驚異の反力打法」(ゴルフダイジェスト社)では地面反力の最新メソッドを紹介している。書籍の立ち読み機能をオフィシャルブログにて紹介中→ http://hiroichiro.com/blog/

We Love Sports

フィギュア海外選手の印象コメント トゥクタミシェワ「日本の匂い感じる」

演技を終え笑顔で引き揚げるエリザベータ・トゥクタミシェワ(代表撮影)

<フィギュアスケート:世界国別対抗戦>◇15日◇第1日

目の前に映し出される光景の、尊さを再確認した。

15日に大阪で開幕したフィギュアスケートの世界国別対抗戦。2年に1度行われる団体戦だ。日本の他にロシア、米国、フランス、イタリア、カナダが参加。新型コロナウイルスの影響で、19年大会と同じようにはいかない。観客数には制限が設けられ、ペン記者も現地取材は1社1人。写真も代表撮影となっている。

福岡で行われた前回大会は、現地で取材を行っていた。2年前を思い返しつつ、今大会の初日は、会社で映像を見ながらオンライン取材に入った。現地取材を複数人でできないもどかしさを感じながら、海外の選手たちの声を聞いていた。そこで印象に残ったコメントを、いくつか挙げたい。

   ◇   ◇   ◇   

◆アイスダンス

ガリアビエバ&トーロン(フランス)

「会場に入ってすぐに『本当に人がいる! すごいことだ!』と思いました」

ソシーズ&フィラス(カナダ)

「2人のコーチ以上の大人数の前で、長い間、演技をしていなかった。とても楽しかったです」

ハワイエク&ベーカー(米国)

「本当に私たち、ずっとずっと『日本でまた演技がしたい』と待ち望んでいました。最後に日本で滑ったのは世界選手権(19年、さいたまスーパーアリーナ)。日本で滑ることは、選手生活の中でも最高の経験です」

◆女子シングル

シェルバコワ(ロシア)

「世界選手権は無観客でした。日本はフィギュアスケートに対して、とても関心が高い国と理解しています。その応援を受けて、演じることができました」

トゥクタミシェワ(ロシア)

「日本に来ることができて、大変うれしい。日本の匂いを感じる。それがとてもうれしい」

◆男子シングル

ブラウン(米国)

「スケートをするのが楽しい国に、長く来られなくて苦しかったです。これだけのいい思いができる、日本に来られて良かった。今日の演技は日本のファンの皆様のためのものでした」

   ◇   ◇   ◇

思い返せば今季、グランプリ(GP)シリーズは「母国か練習拠点国、および近隣国の大会に出場」と制限があった。3月の世界選手権は無観客開催だった。

世界から選手が集い、観客が、その背中を押す-。

あらためて考えてみると、今季のフィギュア界において初めての光景がシーズン最終戦で広がっている。もちろん、最も大切なのは新型コロナウイルス対策。昼夜問わず難題に向き合い、運営に尽力する人たちへの感謝を胸に、最後まで取材を続けたい。【松本航】

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大ではラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月からは西日本の五輪競技やラグビーが中心。18年ピョンチャン(平昌)五輪ではフィギュアスケートとショートトラックを担当し、19年ラグビーW杯日本大会も取材。

演技を終え笑顔で拍手に応えるアンナ・シェルバコワ(代表撮影)
東京五輪がやってくる

五輪世代U24代表候補の人物相関図 OA枠3人なら15枠争う

人物相関図のサッカー編は、国内組を左、海外組を右に配置し、年齢を縦軸に据えました。五輪代表は24歳以下の年齢制限があり、25歳以上のオーバーエージ(OA)を3人まで加えることができます。18人枠をめぐって、こんな選手たちが東京五輪を目指しています。【取材・構成=岡崎悠利】

U-24人物相関図

五輪世代とはいえ、この相関図内では19人がA代表を経験している。兼任する森保監督は2つの代表を「1チーム2カテゴリー」と表現しており、多くの選手が経験を積みやすい環境となっている。最年少の候補は17歳のDF中野。3月の代表活動で抜てきされた、鳥栖U-18所属の現役高校生だ。MF久保は2学年上の先輩になる。

五輪世代の部活出身組は7人と少なくない。一方で海外挑戦を実現している選手だけで見れば不在だ。とはいえOA候補に入る選手も複数が部活出身であり、この7人の中から代表の中心になる選手が出てくる可能性も十分ある。

Jリーグを席巻中の川崎Fに縁を持つ選手も多い。現所属が3人、久保ら下部組織出身も含めれば6人と最大勢力だ。またG大阪の下部組織出身もMF堂安を筆頭に5人おり、この世代では育成の2大巨頭となっている。

U-24人物相関図(一部抜粋)

OA枠で上限の3人を起用することになれば、五輪世代で出場権を勝ち取るのはわずか15人。チームは6月にOA組を合流させて国際親善試合を2試合こなし、7月に本大会のメンバーを決定する。選手にとっては、次の活動が最後のアピールの場になる。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

We Love Sports

海老沼匡がいるといないでは全然違う 誰もが一目置き尊敬された柔道家

15年5月、単身修業のためにフランスへ。手には煎餅の紙袋が下げられていた

「柔道家」海老沼匡(31=パーク24)を巡る証言の中で最も印象に残っている言葉がある。

「本当の強さは優しさだということをみんなに伝えたんじゃないですか」

中学から6年間研さんを積んだ柔道私塾の「講道学舎」。会長を務めていた「ママさん」こと中山美恵子さんに当時の様子を聞いた時だった。引退を発表したいまだからこそ、その言葉が頭の中を駆けた。

強さは優しさ。「普通は厳しさが度を越していじめになったりするんだけど、彼はそれをすべて守ってましたね。自分が上級生になったときに、一番弱いことかを守っていく、正義感が強い」。高3では主将だった。寄宿制の寮部屋の主将部屋にまで、畳を模したフローリングを敷いた。寝ても覚めても「道場」だった。そのストイックな姿を後輩、仲間には決して強要しなかった。「魂のレベルが高い子。いやらしさがない。ねたみとかもまったくない。ただ柔道のことを真剣に考える。邪念がない」。ただ、無言で仲間に語りかけた。

己には厳しく、他人には優しく。それは、柔道の本質を体現していた。ママさんは当時、こうも語っていた。「彼がいる、いないでは日本のチームは全然違うと思います。彼がいることで日本が一番良い状態に仕上がると思います」。16年リオデジャネイロ五輪までの4年間、日本男子チームを取材して、この言葉の意味を常々感じた。誰もが一目置き、尊敬していた。「匡先輩は…」という言及を、他の選手から何回聞いただろう。

15年5月、フランスに単身修業に向かう、出発、帰国の成田空港での姿も思い出される。「殻を破る」。柔道一直線の青春。11、13、14と世界選手権3連覇。結果も残しながら、柔道以外の修業が、畳でも生きると井上監督に勧められた。旅立つ姿に1人で姿を見せた。空港のチェックインの仕方にも少し戸惑うなか、その右手にはフランスの柔道関係者への手土産という煎餅の紙袋。「これがいいかなと思って」と照れくさそうにした。きまじめさと、その何とも古風なチョイスに「柔道家らしさ」を感じた。

再び、約2週間後の成田空港。アプリも駆使しながらの刺激たっぷりのフランス生活を終えて帰国した。真っ先に言及したのは柔道の練習方法の違いについて。「僕ら日本人はきついことしてなんぼ、なところがあると思うんですけど、フランス人は楽しめばいいという感じがあって。みんな練習前とかじゃれ合って技の掛け合いとかしてるんです。好奇心でやっているのかなと」。知見が広まり、少し考え方も変わったのかと思ったが、続いた言葉は…。「いままで練習で楽しいことというのはなかった。ただ、日本が一番練習はしている。負けたくないと思いました」。その誇りと覚悟。やはり、海老沼匡は海老沼匡だった。

小学生の時。先に講道学舎に入門していた兄たちの試合を会場で観戦していた。熱心に誰よりも応援しながら、手にはノートが握られていた。兄たちの試合に限らず、見られる試合はすべて詳細を書き記していた。日本代表になり、井上監督、コーチ陣との情報共有のノートが渡された。試合の振り返りなど、事細かに、最も密度濃く書いてくるのは海老沼だった。ファイルは誰よりも厚くなった。

小さい頃から、変わらない。それは優しくあることも、柔道家としてどう屹立(きつりつ)していたかも。

「彼がいるといないでは、日本のチームは全然違う」。間違いない。指導者という立場で、ずっと日本を支えてほしい。【阿部健吾】

「講道学舎」の先輩になる古賀氏(右)と記念撮影。右から2人目が海老沼