元騎手で元調教師の嶋田功さんが19日午前中に都内で死亡した。74歳だった。日刊スポーツOBでレース部長や編集局次長を歴任した山岡孝安(のりやす)氏(75)は記者時代、取材であの「4本脚」エピソードを直接聞き出すなど多くの思い出がある。

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あれは1973年(昭48)のオークス当日でした。ハイセイコー人気に沸くダービーを1週間後に控え、タケホープの日曜追いを早朝の東京競馬場に見に行きました。すると馬なりで36秒で上がってきた。まさに糸を引くような動きで、素晴らしかった。直後に嶋田功騎手に聞くと、「ハイセイコーも4本脚、俺のタケホープも4本脚なんだから、勝負にならないわけないだろう」と返ってきた。「こんなに仕上がったのは初めてだ」とも言っていた。よほど自信があったのだろう。その日のオークスはナスノチグサで前年のタケフブキに続く連覇を飾り、ダービーはご存じのように9番人気のタケホープでハイセイコーを負かした。

落馬とけがを繰り返して、そのたびに不死鳥のようによみがえった。テンモンでオークス5勝目を達成した時の後書きで、こう書いた。

騎手生命を奪うような大落馬が3度。中でも72年9月の落馬では、頭蓋骨5センチひび、肩甲骨2カ所、肋骨(ろっこつ)11本、前歯2本が折れた。恐怖をものともしない騎手としてのファイトが、人馬一体の好騎乗となり、現役最多のクラシック8勝のレコードに結びついた。

「1着と2着とは全然違うんだから。芝の上で死ぬなら本望」。とにかく何度落ちても怖がらない。不死身だった。

当時、ダービーポジションもオークスポジションも10番手以内とされていた。今と違って20頭を超える頭数も当たり前だったから。オークスを優勝した5頭は、俗に言う「嶋田功コース」を走った。どの枠からでもダッシュ良く飛び出す。徐々にポジションを下げ、向正面では中位か後方のインコースでスタミナを温存。3コーナー手前から馬群を縫って上昇し、4コーナーで外に持ち出す。そして直線、末脚を一気に爆発させる。「1コーナーまで仕掛けていって、いいポジションを取るんだ。それからインコースでじっと我慢して、4コーナーで外に出す。スタートの200~300メートル無理しても、道中息を入れられれば、お釣りが来る」。東京2400メートルの乗り方を熟知していた。

「タケフブキとテイタニヤは本番の前から状態が上向き、オークスのために生まれてきたような馬。ナスノチグサは差し脚が強烈だったし、トウコウエルザは良い脚を長く使った。長距離向きで一番実力があったのはテンモン。故障しなければ有馬記念でも好勝負しただろう」

ズブい馬に乗る時は拍車を着けたり、いろいろ研究していた。ライバル陣には公言しないけれど、記者にはそっと打ち明ける人の良さがあった。競馬が終わると中華や肉などカロリーの高い食事を取り、焼き肉も3、4人前は平気。週末までに5~6キロの減量はざらだった。あか抜けてスマートで、牝馬を預かる調教師や女性ファンにも人気があった。昭和を彩った名ジョッキー。謹んでお悔やみを申し上げます。

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