<明日への伝言>

「花の15期生」最後のホースマンがターフを去る。連載「明日への伝言 先人から競馬界の後輩へ」引退調教師編で作田誠二調教師(70)が語る。同期は岡部幸雄、福永洋一、柴田政人、伊藤正徳ら多士済々。今でも毎年同窓会を開くなど強い絆で結ばれている。【取材・構成=太田尚樹】

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いわゆる「花の15期生」で競馬界に残っているのは、もう僕だけのようですね。現役時代から毎年、同窓会を開いていて、1年おきに東西でやっています。仲がいいから続けてこられたんでしょうね。8年前には「福永洋一記念」に合わせて高知で集まったこともありました。「みんなで洋一に協力しよう」って企画したんです。ファンの方も喜んでくださったし、あれはよかったですね。

僕が騎手を目指したのは、父の勧めがきっかけでした。青森生まれで競馬の知識はなかったんですが、子供の頃から農耕馬に乗ったことはありました。もともと体を動かすことが好きで、試験を受けたら合格できたので、とんとん拍子で進んでいった感じでした。

馬事公苑にいた当時から、休憩時間に野球をしたりして同期の仲は良かったです。熱血教官がいて、今ではありえないほど厳しくしごかれましたが、同期16人は誰も音を上げませんでした。これは今だから言えることですが、みんなで教官にいたずらをして“仕返し”をしたりしたこともありました(笑い)。

当時の洋一はちょっと人を寄せつけないような感じがありました。岡部はとにかく真面目。政人は僕と同じ東北出身で口が重かったですね。ただ、みんな騎手になってから人間ができていったように思います。活躍することで人としても成長したんでしょうね。

同期の活躍はやはり刺激になりました。「花の15期生」と呼ばれるようになって、あのネームバリューはありがたかったですね。それを重荷に感じることはなかったです。それぞれ成績には差が出ても、お互いにそれほど気にすることはありませんでした。だからこそ、ここまで仲良くやってこられたのだと思います。

僕らが馬事公苑に入ったのは前回の東京オリンピック(五輪)が開催された1964年でした。馬事公苑が馬術の会場だったので、五輪が近づくと、みんなで白井(現競馬学校)へ移ったのを覚えています。そして再び東京五輪が開催される年に定年を迎えます。何か縁を感じますね。同窓会は今年の春が最後になる予定です。もちろん、これからも同期の絆は大切にしていきたいですね。(談、つづく)

◆作田誠二(さくた・せいじ)1949年(昭24)3月7日、青森県生まれ。68年に東京・見上恒芳厩舎所属で騎手デビュー。93年の引退まで騎乗成績は通算2830戦218勝(重賞2勝)。調教助手を経て96年に調教師として開業。JRA通算4589戦289勝(重賞2勝)。

◆花の15期生 64年に馬事公苑騎手養成所の第15期生として入苑した16人。67~68年にデビュー。福永洋一は70~78年に9年連続リーディングを獲得。伊藤正徳(77年ラッキールーラ)、岡部幸雄(84年シンボリルドルフ)、柴田政人(93年ウイニングチケット)の3人がダービーを制した。

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