伊藤雄二元調教師が17日、老衰のため亡くなった。85歳だった。19日に日本調教師会から発表された。93年ダービー馬ウイニングチケット、97年天皇賞・秋制覇のエアグルーヴなど多くの名馬を育てあげた名トレーナー。最近は体調が優れなかったが、最後は苦しむことなく眠るように息を引き取ったという。故人の遺志により、葬儀は19日に親族のみで執り行われた。

    ◇    ◇    ◇  

伊藤さんは大阪府生まれで、1955年に騎手見習いとして伊藤正四郎厩舎に入門。59年に騎手デビューし、535戦72勝の成績を残した。66年に義父の急逝を受け、急きょ騎手を引退し調教師免許を取得。29歳と若くしてトレーナーに転身した。

調教師としては歴代8位となるJRA通算1153勝を挙げた。G1級勝利は13勝。2冠牝馬マックスビューティ、名手・柴田政人騎手をダービージョッキーにしたウイニングチケット、17年ぶりに牝馬で天皇賞・秋を制したエアグルーヴ、天才少女ファインモーションなど数々のスターホースを育て上げた。

それまでの競馬界の常識にとらわれず、視野を常に広く世界に向けていた。海外から有力馬の参戦が多かった当時のジャパンCでは、自厩舎からの出走馬がいない年でも週中から東京競馬場を訪れ、海外の一流厩舎の調整方法、強豪馬の馬体をじっくりと観察した。

柔軟な考え方も成績を伸ばした要因だった。「G1を狙うような馬は、夏場に気候のいい(暑くない)北海道で始動するのが体も楽なんですよ」。G1クラスは夏場完全休養が通常だったローテもひと工夫。札幌記念をステップに97年天皇賞・秋を制したエアグルーヴは、翌年も札幌記念を連覇した。札幌記念を使って、秋G1や凱旋門賞遠征に向かう近年のローテの土台をつくったともいえる。そのエアグルーヴは繁殖牝馬としてアドマイヤグルーヴ、ルーラーシップなどを産み、その血は近代競馬の主流血脈として広がっている。

「ファンに貢献したい」がモットーだった。83、84、87年と3回、年間最多勝を記録。最多賞金獲得調教師賞を2回、最高勝率調教師賞を7回、優秀調教師賞10回受賞など実績を残した。これらの功績が評価され、平成26年度の顕彰者にも選ばれている。調教師引退後は長い間、日刊スポーツの競馬面コラム「雄二の流儀」でG1を中心に馬券予想をした。

◆伊藤雄二(いとう・ゆうじ)1937年(昭12)1月14日、大阪府生まれ。29歳の66年に調教師転身。07年2月の定年引退までJRA通算1153勝、重賞級は77勝。初のG1級勝利は77年ハードバージの皐月賞。14年に顕彰者に選出され、競馬の殿堂入りを果たした。JRA元騎手、元調教師の伊藤正徳氏(故人)は義弟。娘の夫は栗東の笹田和秀調教師。

  1. お得な新入会プラン登場! 競馬情報サイト【極ウマ・プレミアム】
  2. 競馬予想に【ニッカンAI予想アプリ】