伊藤雄二元調教師が17日、老衰のため亡くなった。85歳だった。19日に日本調教師会から発表された。

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伊藤雄二さんには調教師時代に1度、取材拒否を受けたことがある。93年の菊花賞。ダービー馬ウイニングチケット(伊藤雄厩舎)、同2着ビワハヤヒデの対決ムードで沸いていた。その「連載コラム」を担当し、ビワハヤヒデは雪辱できるのか、というテーマで書いた原稿の一部にチェックが入った。

何度か説明にうかがったが、話し合いは平行線のまま。ただ、この時の先生の対応には驚かされた。「あんたはアカンけど、ほかの(日刊スポーツの)記者の取材は受ける」。名伯楽と呼ばれ、自分がコメントすることがファンサービスになる。また、紙面で大きく扱ってもらえば、競馬人気にもつながる。そのあたりまで考えて、取材を受けていたのだと思う。

私の“出禁”が解けたのは約1年後。何もなかったかのように会話をしていただいた。あとから思えば取材も、原稿も甘かった。何でもかんでもストレートに書けばいいというものではない。「もっと深みをもたせなさい」。そう言われていたような気がする。あの一件があったから、記者として一皮むけたのかもしれない。ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。【中央競馬担当・水島晴之】

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