ノーザンファーム吉田俊介副代表もクロフネの死を悼んだ。00年に入ったばかりのこと。00年5月まで米フロリダ州のナイルブレイン・ステーブルズで研修していた若き日の副代表は、2歳時の芦毛馬を気にかけていた。

「もう20年以上前の話ですからね。98年から半年ごとにいろいろな牧場で研修させてもらっていたんですけど、最後にいた牧場がクロフネが育成されていたナイルブレイン・ステーブルズでした。そこでたまたま見ていた馬で、いい馬だなと思っていたんですよ」。

同牧場内でも評判は高かった未来のダート王。小さな興味は、後に日本で衝撃を与えることになる。

00年2月にトレーニングセールでノーザンファームに同馬が落札されると、日本へやってきた。翌01年には、外国産馬にもダービーの出走できることが決まっていた。JRAによる門戸開放-。新時代の訪れを願った金子真人オーナーはクロフネという名を授ける。「そういうときに金子さんがその名前をつけて、活躍するんだからすごいですよね」。01年ダービーは5着に敗れたが、同年のNHKマイルCとジャパンCダート(現チャンピオンズC)を制して、芝とダートのG1優勝。3歳にして2つの山の頂を見た。

同年12月26日に屈腱炎による引退が発表されてから、20年と少しがたった。クロフネは19年を最後に種牡馬としての務めも終え、社台スタリオンステーションの功労馬馬房で穏やかな日々を送っていた。代表産駒はカレンチャン、アエロリット、白毛のソダシ・・・。白みがかった毛色、高い能力を受け継いだ馬たちは日本の競馬を今でも盛り上げている。

「セリに来ていたうちのスタッフが買った馬でしたけど、その後の活躍を見ることができた。いい馬だと思っていた馬が、当時日本で活躍してくれたのはすごくうれしかったです。種牡馬を引退してからは落ち着いた環境で余生を過ごしていました。芦毛なので晩年は年を取って見えたけど、本当に頑張ってくれました。感謝していますよ」。

大牧場の次世代を担う吉田副代表も思い入れが深い1頭。きっと天国から産駒の活躍を見守っているはずだ。

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