<ザ・道キュメンタリー>

ホッカイドウ競馬の第32回ブリーダーズゴールドカップ(BGC)が13日、門別競馬場で行われた。現在は牝馬の交流重賞だが、当初は中央、地方の精鋭が集結する“ダート日本一決定戦”として誕生した。第1回は1989年10月10日、札幌競馬場で開催。中央と地方の垣根を越え、生産者主導で創設された画期的なレース。ジャパンブリーダーズカップ協会(JBC)の初代会長を務めた豊洋牧場の古川博氏(92)が当時を振り返った。

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秋晴れの札幌競馬場が、興奮と感動に包まれた。名手、岡部幸雄騎手騎乗の中央馬レインボーアカサカが先頭に立ってレースを引っ張る。最後の直線、地元道営勢2頭が競り合うなか、安藤勝己騎手とのコンビで「ダートの怪物」と称された笠松のフエートノーザンが、豪快に差し切って初代王者に輝いた。

優勝賞金3000万円は、当時の道営競馬史上最高額。中央馬2頭、他地区の地方馬2頭が招待され、地元道営勢8頭が迎え撃った。中央、地方の交流がほとんどなかった時代。「ダート日本一決定戦」と呼ぶにふさわしい歴史的レースだった。入場者数は当時の道営競馬札幌開催の1日平均数の3倍超となる1万6112人。売り上げも1日平均を約3億円上回る7億4015万3800円を記録した。

古川氏 日本競馬界の未来にとっても、非常に大きな出来事だったと思います。こう言うと語弊があるかもしれませんが、中央と地方は以前は壁があったから。互いに手を取り合って成功させてくれました。橋渡し役をやってきて報われた瞬間でもありました。

89年に設立されたJBC協会は、日本のオーナーブリーダーを中心に構成された。ブリーダー(生産者)の資本で賞金を出すことから始まった米国競馬の祭典「ブリーダーズカップ(ブリーダーズカップ・ワールド・サラブレッド・チャンピオンシップス)」を模範にしたレースの新設に動いた。当時、オグリキャップ人気など空前の競馬ブームで、地方も中央に負けじとさまざまな取り組みをしていた。

古川氏 「生産界から応援団を」という観点からスタートした。そのころ、地方馬が中央で活躍するには芝のオールカマー(G2、中山)しかなかった。ダートのG1級レースを招致して、地方を盛り上げようと考えたのです。しかし、ふたを開けてみると拠出する賞金が集まっていない。最初は大変だった。借金をして、もう、みんなで腹をくくったものです。

そして第1回BGCの開催から10年計画で準備を進めてきた最大目標のJBC競走が、01年に大井競馬場で第1回が行われた。1日に複数のG1競走を行うダート競馬の祭典で、以後、盛岡、名古屋など地方の競馬場で行われ、18年には史上初めてJRAの京都競馬場で開催された。20回記念となる今年(11月3日)は、門別競馬場で新設の2歳カテゴリー「JBC2歳優駿」(1800メートル)、大井でクラシック(2000メートル)スプリント(1200メートル)レディスクラシック(1800メートル)と初めて同日2場開催となる。

古川氏 私たちが思い描いてきた理想に近い形に、また1歩、大きく前進しましたね。人のため、馬のため、信念を持って取り組んできて、今の盛況ぶりを見ると本当にうれしく思います。

「開放元年」と呼ばれる95年以降、中央、地方問わず全国各地で中央地方交流レースが設置された。地方所属のまま中央のG1に挑むこともできる。31年前の第1回BGCは、今の日本競馬界につながる転換点だった。【奥村晶治】

◆ブリーダーズゴールドカップ ホッカイドウ競馬で施行される中央競馬と地方競馬の全国交流重賞(ダートグレード競走)。89年10月10日、札幌競馬場(ダート2400メートル)で第1回が開催され、95年から施行時期を夏季に移行し、旭川2300メートルで実施された。09年より門別2000メートルに定着。06年から外国産馬も出走可能になった。第1回の1着賞金は3000万円で、最も高いのは98年(第8回)から01年(第13回)までの5000万円と、道営における最高賞金レースとしての地位を保ち続けている。97年からダート競走格付け委員会によってG2に格付けされ、14年から3歳以上の牝馬限定戦(Jpn3)に変更された。20年度は1着賞金3100万円で13日に行われた。

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