ギネス登録の96年売り上げ875億円/有馬記念

96年の有馬記念を制したサクラローレル(左)
96年の有馬記念を制したサクラローレル(左)

<1996年(平8)>

平成の競馬史を振り返る「Legacy~語り継ぐ平成の競馬~」は有馬記念スペシャル!! 1回目はレース史上最高売り上げとなる約875億円を記録した平成8年(96年)にスポットを当てる。【取材=山田準、木南友輔】

有馬記念史上、最も入場が多いのが伝説の「オグリラストラン」の90年(17万7779人)なら、最も売れたのはサクラローレルが優勝した96年。91年にバブル崩壊が始まって5年後には、875億104万2400円というギネスにも登録された空前絶後の売り上げを記録した。当時、中山競馬場の投票課係長だった現お客さま部の石川豊上席調査役は「電話投票の抽選倍率が3~6倍で、多くのファンが競馬場かウインズでしか馬券を買えなかった時代。全国の投票端末が終日フル稼働していた。発売能力限界の売り上げだったと思う。各地のウインズでは、混雑し過ぎで入場すらあきらめてしまったお客様も多かった。ウインズ新宿の南口まで並ぶ行列が風物詩のようになっていたのが懐かしい」と振り返る。

96年の有馬記念当日の売り上げは約1192億円。その約82%が競馬場かウインズのもので、ネット環境が整備された現在とは様相が異なる。馬券発売の過渡期に、JRAは利便性の向上こそ最大のファンサービスとばかりにまい進。石川上席調査役は「電話投票により多く加入できる環境を整え、競馬場などの滞留を良くするなど、購入を希望されるお客様全員にスムーズに買っていただくために、発売能力の最大値を上げる必要があった」と言う。

日本の労働者人口は97~98年にピークを迎え、実収入(税込み収入)も97年に最高値(月額約59万円)に達するなど、バブル崩壊後も、日本に勢いのあった時代。JRAの売り上げも97年に4兆円に達した。サクラローレル、マーベラスサンデー、マヤノトップガンなど豪華メンバーの激突もあるが、875億の金字塔の裏に時代背景の影響が大きい。キタサンブラックが勝った昨年の売り上げは96年の約半分の約441億円。石川上席調査役は「当時目指していた環境が、今まさにできあがっている。あとはあの頃のように売り上げが伸びてくれれば」と願いを込めた。

 [2018年12月17日 12時00分 紙面から]

一覧

一覧へ