大井・西啓太騎手 野馬追の舞台、南相馬市で被災 17歳で志した「絶対に騎手になる」

西啓太騎手(23年2月24日撮影)
西啓太騎手(23年2月24日撮影)

今年もあの日が来る。東日本大震災が起きた11年3月11日から12年。今回の「ケイバラプソディー」は特別編として地方・南関東の大井所属、西啓太騎手(29)を、南関東担当の牛山基康記者が取材した。

相馬野馬追(そうまのまおい)の舞台、福島県南相馬市で17歳の時に被災。震災によって、より強い意志を持って騎手となり、当時の思いを胸に騎乗を続けている。

   ◇   ◇   ◇

震災前と変わらない父や祖父らの姿があった。相馬野馬追。震災直後こそ規模を縮小したが、原発事故にも途絶えることなく行われてきた。舞台の南相馬市は父康志さんの故郷。小学6年で移り住んだ。近所に住む祖父護さんは長年、野馬追に携わってきた功労者。父も祖父も参加する。コロナ禍で無観客となったが、昨年は通常の規模で開催すると聞いた西騎手は、数年ぶりに帰省。「ホッとしました。自分が知っている野馬追だなと」。見慣れた夏の風景に安堵(あんど)した。

岩手競馬の騎手だった父は04年に引退した。当時、小学5年だった西騎手は「騎手に憧れはありましたが、まだ漠然としたものでした」。職業としての騎手をはっきり意識したのは、進学した高校の進級がきっかけだった。「総合学科だったので2年生からは将来を考えて選択科目を決めるのですが、そこで『自分は騎手になりたかったんだな』と気づいて・・・」。

だが、高校2年の11年3月11日。志半ばで被災した。原発事故で外出できない日々が続いた。「目の前のことでいっぱいいっぱい。夢がどうのとか考えられなかった。先が見えなかったですから」と不安に襲われた。海から離れていた自宅に津波の被害はなかった。高校が再開されると、その恐ろしさを実感した。「同級生に亡くなった人がいたり、いまだに行方不明の人もいて・・・」。今でもあの時を忘れていない。

震災後、騎手を目指す意志はより強くなった。「やりたかったことをやれない人がいる中で、自分は周りの応援もあって騎手を目指すことができた。やれない人たちのためにも『自分は絶対に騎手になってやろう』と思いました」。高校卒業と同時に地方競馬教養センターの騎手課程に合格。14年4月に晴れて大井競馬の騎手となった。

震災にもコロナにも負けず、相馬野馬追は続けられてきた。西騎手ももうすぐデビューから丸9年。これからも震災への思いを胸に秘め、騎手の道を歩み続けていく。

◆西啓太(にし・けいた)1994年(平6)1月14日、岩手県水沢市(現奥州市)生まれ。東京都騎手会所属。14年4月1日に小林の橋本和馬厩舎からデビュー。16戦目にトーセンクリオネで初勝利。地方通算5214戦330勝、重賞はクルセイズスピリツで制した18年優駿スプリント(S2)の1勝(6日現在)。勝負服の「桃・胴紫玉あられ」は父から継いだ。血液型O。家族は妻と1男。

◆相馬野馬追 福島県相馬地方に伝わる民俗行事。旧相馬藩主相馬氏の祖とされる平安中期の武将・平将門が、野の馬を敵に見立てて武芸を磨いたのが起源とされる。1000年以上の歴史があり、500騎以上の甲冑(かっちゅう)騎馬武者が出場。行列、競馬、神旗争奪戦などが行われる。毎年7月下旬に開催。国の重要無形民俗文化財。

◆福島県南相馬市 福島県浜通り北部に位置し、太平洋に面している。ブロッコリーは県内でも有数の生産量を誇る。南相馬産の酒米「夢の香」で作った日本酒「御本陣」は市の特産品。人口5万7128人(2月1日現在)。

(ニッカンスポーツ・コム/競馬コラム「ケイバ・ラプソディー」)

 [2023年03月07日 09時40分 紙面から]

一覧

一覧へ