ナイスネイチャ35歳で死亡 有馬記念3年連続3着の個性派 存命中のJRA重賞勝ち馬で最高齢

  • 【イラスト】ナイスネイチャの3年連続有馬記念3着
  • 京都新聞杯を制したナイスネイチャ(1991年10月13日撮影)
  • 第37回有馬記念の1着メジロパーマー(左から2頭目)、2着レガシーワールド(左)、3着ナイスネイチャ(右)(1992年12月27日撮影)
  • 高松宮杯で優勝したナイスネイチャと松永昌博騎手(1994年7月10日撮影)
  • 鳴尾記念を制したナイスネイチャと松永昌博騎手(1991年12月8日撮影)
  • ナイスネイチャ(1991年12月撮影)
  • 1991年11月、菊花賞の調教後に馬体を洗ってもらうナイスネイチャ
  • 1991年11月、菊花賞を制したレオダーバン(岡部幸雄騎手)。中央は2着のイブキマイカグラ、左は4着のナイスネイチャ
  • 1991年12月、有馬記念に向けた調教後のナイスネイチャ
  • 1991年12月8日、第44回鳴尾記念を制したナイスネイチャ(松永昌博騎手)
  • 1994年7月10日、高松宮杯を制したナイスネイチャと松永昌博騎手
  • 1991年12月、有馬記念に向けた調教後のナイスネイチャ
  • ナイスネイチャ全成績

91~93年有馬記念で3年連続3着に入るなど、個性派として人気を集めたナイスネイチャ(せん)が30日、北海道浦河町の渡辺牧場で死亡した。35歳だった。認定NPO法人引退馬協会がホームページで発表した。

人間では100歳以上に相当するとみられ、存命中のJRA重賞勝ち馬では最高齢だった。今月に入って体調を崩し、熱発などの症状があり治療が続けられていた。同ホームページによると、30日の朝から心拍数が上がり、腸の動きも鈍化し、体力的にも限界だったため、午後0時40分に安らかに旅立った。

引退馬協会・代表理事の沼田恭子氏は「本当に長い間、最後の最後まで頑張ってくれたナイスネイチャに、ありがとうの言葉しかありません。ナイスネイチャのおかげで、多くの引退馬たちが、新しい未来を作ることにつながりました。支えてくださったたくさんの皆さま、最後までお世話してくださった渡辺牧場の皆さま、ありがとうございました」とコメントした。

現役時代は松永善晴厩舎に所属して通算41戦7勝(重賞4勝)だった。主戦の松永昌博騎手(現調教師)が手綱をとり、90年12月にデビュー。3歳時(当時表記4歳)の翌91年8月に小倉記念で重賞初制覇を果たし、同年の菊花賞(勝ち馬レオダーバン)では4着に好走した。同期のダービー馬はトウカイテイオー。

重賞4勝を挙げる活躍を見せた一方で、G1では惜敗が多く、有馬記念では91~93年に3年連続3着。勝てないながらも懸命に走り、上位に食い込む姿が、多くのファンから支持されるきっかけとなった。G1には通算16回挑戦。3着4回、4着4回、5着1回と合計9回も掲示板に載った。96年のアルゼンチン共和国杯(15着)がラストランとなった。

現役引退後は種牡馬となり、種牡馬を引退した後は故郷の渡辺牧場で余生を過ごしていた。「ウマ娘 プリティーダービー」のキャラクターとしても人気を集めた。近年は認定NPO法人引退馬協会の「広報部長」を務め、17年からは毎年4月16日の誕生日に「バースデー・ドネーション」として引退馬支援の寄付を募り、今年は7402万2066円を集めていた。

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