96年天皇賞・春、有馬記念Vサクラローレル死す
96年に天皇賞・春、有馬記念のG12勝を挙げたサクラローレル(牡)が24日、老衰のためけい養先の新和牧場(北海道新ひだか町)で息を引き取った。29歳だった。
同馬は94年1月にデビュー。95年の日刊スポーツ賞中山金杯を制し、重賞ウイナーの仲間入りを果たした。翌96年には中山記念、天皇賞・春、オールカマーと重賞3連勝を飾り、暮れの有馬記念では1番人気に応えた。若駒時代の2度の骨折を乗り越えて、同年の年度代表馬に選出された。
連覇を狙った97年天皇賞・春ではマヤノトップガンの直線強襲にあう2着に終わったものの、秋にはフランス遠征を敢行。凱旋門賞の前哨戦であるフォワ賞8着後に右前脚の屈腱不全断裂が判明し引退、種牡馬入り。12年まで種牡馬生活を送った後、新和牧場で余生を過ごしていた。主な産駒には重賞3勝馬サクラセンチュリーをはじめ、ロングプライドやローマンエンパイアなどがいる。
騎手、調教師として同馬に携わった小島太元師は「自分が乗った中では最高の馬だった。かき込みが強いのに時計も出る。力とスピードを兼ね備えていて、初めてまたがった時に、こいつはヨーロッパで通用すると思ったよ。ただ体質が弱くてダービーも権利を取ったら骨折、その後も天皇賞の追い切りでまた骨折。長期休養があったが、よく再起して天皇賞・春、有馬記念を勝ってくれた。自分が管理するようになって凱旋門賞を目指したが、前哨戦のフォワ賞で夢は散った。あの馬だけは最後まで乗っていたかった。そう思わせる馬でした」と話した。
新和牧場の谷岡毅場長は「多くのファンに愛された馬でしたので、非常に残念です。ファンの方からいただいたリンゴを一口でほおばる様子が懐かしいです。会いに来てくださいました多くのファンの方々、応援してくださった方々には、この場を借りてお礼申し上げます」とコメントした。