「いい調教師生活を送ることができたなあ」応援してくれた人々、走ってくれた馬、家族に感謝
<藤沢和雄師 Happy People Make Happy Horse(12)>
歴代2位のJRA通算1570勝を挙げた藤沢和雄調教師(70)が先月いっぱいで引退した。昨年4月から月1回連載でお届けしてきた名伯楽のコラム「Happy People Make Happy Horse 幸せな人間が、幸せな馬を作る」も今回で最終回。引退後に思い浮かぶこと、応援してくれた人たちへの感謝の思いを伝える。
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2月28日に調教師を引退しました。88年3月の開業から34年間を振り返ると、「いい調教師生活を送ることができたなあ」と思います。先日も「もう1度調教師をやることができたなら、もっといい成績を残しますよ」と答えました。そういう心構えを持つことは大事だと思っています。これから調教師を続けていく人、調教師を目指す人の目標となる成績を残すことができたのなら、と思います。
本質は変わりませんが、時代は変わり、競馬の形は少しずつ変わっていく。これに対応しなければ、勝つことはできません。ちょうど私の時代はクラブ法人のオーナーが増えた時代でした。オーナーと出資会員では立場は異なりますが、1頭の馬には何十人、何百人の出資会員さんがいて、それぞれに競馬への熱い思いがある。後輩の調教師には伝えてきました。「会員全員の気持ちに応えることはできない。でも、みんなが夜、布団の中に入って、自分の出資した馬がどんなレースに出るのかな、どんな調子かな、どんなレースをしてくれるのかな、とワクワクしているのを忘れないようにしよう。決してないがしろにしてはいけないよ」と。応援してくれる個人オーナーの馬でG1を勝つことはもちろん、計り知れない喜びがあります。一方、クラブの馬で勝ったときも「こういう形で多くの人に喜んでもらうのもいいものだ」と感じました。バブルガムフェロー、タイキシャトル、ダンスインザムード、レイデオロ、ソウルスターリング、グランアレグリアなど、私の厩舎ではクラブの馬でたくさんG1を勝たせてもらいました。
調教師を引退し、調教メニューを考えて眠れない日はなくなりました。自宅では犬を飼っているので生き物たちとの日々は続きますが、しばらくはゆっくりした時間を送れそうです。調教師として、いろいろなところへ連れて行ってもらうことができましたから、今すぐ旅行に出かけたいという気持ちはありません。ただ、いつか私のホースマンとしての原点であるニューマーケットをまた訪れることができるといいですね。
最後になりますが、この場を借りてお礼を言わせてください。若い頃に出会い、この道をすすめてくれた人、オーナー、厩舎スタッフ、騎手、牧場のみなさん、装蹄師、獣医師、同僚の調教師などホースマンの仲間たち、お亡くなりになられた方も多く、1人1人、名前を挙げることはできませんが、数え切れないほどたくさんの方に惜しみない応援をしていただきました。一生懸命走ってくれた馬たち、1頭1頭にも感謝の気持ちでいっぱいです。私の仕事に理解を示してくれた妻と息子、娘にも感謝を伝えたいと思います。3月1日から調教師ではなくなりましたが、これからも競馬を楽しんでいければと思います。それでは、またどこかでお会いしましょう。

21年10月、言葉を交わす藤沢和師(左)と蛯名正師
[2022年03月04日]
- 藤沢和雄
- 藤沢和雄(ふじさわ・かずお)1951年(昭26)9月22日、北海道生まれ。1977年に菊池一雄厩舎、1982年に佐藤勝美厩舎、1983年に野平祐二厩舎で調教助手を経て、1987年に調教師免許を取得し、1988年開業。同年4月に初勝利を挙げる。1993年に初の全国リーディングトレーナーを獲得。以降リーディングトレーナーの常連となった。初重賞制覇はシンコウラブリイで1992年のニュージーランドT、初G1勝利も同馬で1993年のマイルCS。
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