ウオッカ64年ぶり牝馬Vの陰にトレーナーの提案

<角居勝彦調教師 Thanks Horse(4)>

来年2月末で引退する角居勝彦調教師(56)が、競馬を語る月イチ連載コラム「Thanks Horse」の第4回は、ウオッカで制した07年ダービーを振り返る。戦後唯一となる64年ぶりの牝馬V。運と縁に導かれた歴史的偉業の裏側を明かす。

私にとってウオッカは、すごく強い運と縁を感じる馬です。松田国英先生の厩舎で助手をしていた時から、谷水オーナーとは仲良くさせていただいていて、調教師になってすぐに“開業祝い”のような形で「タニノシスターの子供は全部やってくれ」と言われました。後から知りましたが、厩舎の初勝利を挙げてくれたスカイアンドリュウはシスターの半弟にあたります。

その4番目の子供がウオッカです。大きく生まれて形のいい馬でした。脚が長くヒョロッとした感じで、ストライドが大きくて手足がきれいに伸びる。2歳夏の時点で、もうデルタブルースやハットトリックといった年上のG1馬と併せていました。オーナーの要望で、デビュー直前のクラシック登録の時に、牡馬3冠にもエントリーしました。

阪神JFは勝ってくれましたが、桜花賞ではダイワスカーレットに負けてしまい「これで(ダービーへは行かず)オークスなんだろうな」と思いました。ただ、桜花賞の後も、オーナーはトレセンへ馬を見に来るたびに、牡馬のクラシック戦線の話をしていました。「あの時計なら届く」とか「今年の牝馬は強い」とか。ダービーをあきらめていないことが伝わってきました。だから、4月の終わりに電話で「君に任せる」と言われた時に「ダービーに行かせてもらっていいですか」と提案しました。

まだなりたての調教師で、そこまで深くは考えていませんでした。ダービーは初出走で、その重みも大きさも分かっていなかったと思います。出走を公表した後で、批判の声もあると聞きました。他の陣営からしたら、出走枠が1つ減るわけですから。レース当日も心のどこかに肩身の狭さを感じていました。ただ、オーナーにとっては、先代がダービーを2回も勝たれ、ご自身も牧場を引き継いでから生産や育成に投資されてきました。オーナーブリーダーとして夢を見る資格はあったと思います。

走破時計からすると、やれるのではないかと思ってはいました。距離については分かりませんでしたが、お母さんが短距離馬だった割に、預かった子供はみんなストライドが大きく、1つ上のタニノベリーニは2200メートルで勝ちました。だから「走れるんじゃないか」というのはありました。

レースは四位騎手にお任せでした。ハミをかんで行きたがる面がありましたが、3番枠だったので「馬の後ろで我慢できれば」と考えていました。直線で先頭に立って突き放した時には「勝てる」と思いました。もちろん、うれしかったですが、私はいつも、良かったことはあまり細かく覚えてないんです・・・。記憶にあるのは、翌朝にスポーツ新聞をすべて買って「夢じゃないんだ」と確認したことです。レース直後は実感がなくて、寝る前には「明日の朝起きて、まだレース前だったらどうしよう」と思っていましたから(笑い)。まさに夢見心地でした。

格言にある通り、ダービーは「最も運のある馬が勝つレース」だと思います。私自身も1番人気だった馬は2頭とも負けた一方で、去年は12番人気のロジャーバローズで勝つことができました。結果論ですが「強い」と思って出した馬が勝てず「どうだろう?」と半信半疑だった馬が勝ちました。分からないものです。

ウオッカには感謝しかありません。彼女のおかげで名の通る調教師にしてもらいました。大本命のG1で出走取り消しになったり、いろいろと勉強させてもらいました。できれば、その子供で大きなタイトルをとりたかったですが・・・。去年に彼女が亡くなり、同じ時期に私が調教師をやめるというのも、何か縁を感じずにはいられません。(JRA調教師)

◆レースVTR 3番人気のウオッカは1コーナーで頭を上げる場面もあったが、中団の内ラチ沿いで折り合った。直線ではばらけた馬群をさばいて外から脚を伸ばし、残り100メートル付近で先頭へ。2着アサクサキングスを3馬身も突き放す圧勝をおさめ、四位騎手は右手人さし指を突き立てて喜びを表した。

※次回は6月19日(金)予定

07年、ダービー制覇から一夜明け、ウオッカをたたえる角居調教師
07年、ダービー制覇から一夜明け、ウオッカをたたえる角居調教師