清山宏明助手、26年後キセキで運命の凱旋門賞挑戦

「ケイバラプソディー~楽しい競馬~」で凱旋門賞(G1、芝2400メートル、10月6日=仏ロンシャン)に挑戦するキセキ(牡5、角居)の担当清山宏明助手(51)に注目した。騎手時代にその名も“ロンシャンボーイ”で重賞を初制覇。当時は遠い夢に思えたロンシャンの地へ。まずは今週15日、同舞台でのG2フォワ賞に臨む【取材・構成=辻敦子】

“ロンシャン”に立つことは運命だったのか。今から26年前、キセキを担当する清山助手は騎手だった。93年京阪杯で重賞を初制覇。コンビを組んだのがロンシャンボーイだった。1カ月後の宝塚記念でG1に挑戦(11着)。馬場入場のアナウンスで「夢は凱旋門賞!」と紹介された。清山助手は「夢のまた夢でした」としみじみ思い返す。

鹿児島で生まれ育ち、ジョッキーを目指した。同期は横山典騎手、松永幹騎手(現調教師)。活躍するライバルたちに追いつけるかと不安に思う日もあった。そんな時、ロンシャンボーイで重賞タイトルを手にした。「調教師(小原師)が所属騎手として乗せてくれていたのが大きかった」。師匠小原師と、ロンシャンボーイとの出会いが焦りを和らげていった。

この世界に入って30年以上、積み重ねてきた経験から今では「自分の思うように馬を動かしたいなら、どれだけ馬に信用してもらうかが大切だと思っている。時間を惜しまず、信念を曲げずにやってきたつもりです」と言える。今の相棒キセキには「たくさんいい馬を担当させてもらったけど、その中でも別格です」と特別な思いがある。

昨秋はG1で惜しいレースが続き、この春のG1でも大阪杯、宝塚記念と2戦連続2着。1着に届かないもどかしさもあった。「悔しくて、何でやねんって思ったことも。でも、あの子は頑張ってしんどい思いをしている。それでも『また次、頑張ろうよ』と言ってくれる気がする。気持ちを前向きに、穏やかにしてくれる。そういうオーラを持っているんです」。キセキは透き通った瞳でいつも清山助手を見つめていた。

ともに歩んできた軌跡が、信頼関係を深めてきた。「初めて乗った時、鳥肌が立った。2歳の8月。まだ弱々しさがある中で、体幹の安定感があった。このぶれないものは何! と思いました」。その1年後、G1を勝った。今回は異国での大一番。これまでの積み重ねた絆も、世界最高峰レースを走る武器になる。

◆清山宏明(きよやま・ひろあき)1968年(昭43)3月13日、鹿児島生まれ。JRA競馬学校騎手課程2期生として86年にデビュー。同期は熊沢重文騎手、横山典弘騎手、松永幹夫調教師ら。JRA通算2178戦141勝。重賞は93年京阪杯、高松宮杯(ロンシャンボーイ)、鳴尾記念(ルーブルアクト)、95年函館3歳S(プラウドマン)の4勝。02年に引退し、領家厩舎で4年間攻め専として働いた後、服部厩舎へ。12年前から角居厩舎の助手となった。

◆パリロンシャン競馬場 スタンドを改装し、昨年の凱旋門賞は3年ぶりの開催だった。芝2400メートルは1、2コーナーの中間からスタート。長い直線を1000メートル近く駆け上がった後、2段階に分けて右にカーブする。最初は緩やかに坂を下り、カーブの角度がきつくなったところから始まるのがフォルスストレート(偽りの直線)。最後の直線は約533メートル。

キセキと清山宏明助手
キセキと清山宏明助手