古賀史生師 サーガノヴェルなど外国産馬で重賞6勝「米国の馬は走る気すごい。放牧地広いから」

2月末で定年、引退する調教師が語る「明日への伝言」の第4回は、美浦の古賀史生師(70)が登場する。6日現在、手にしたJRA重賞10勝のうち、3頭の外国産馬で6勝を挙げている。米国競馬を好むなど、89年の開業からこれまでを振り返った。【取材・構成=三嶋毬里衣】

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馬が好きでこの世界に入ったんだ。最初の大学で馬術部に所属していて、その時に素晴らしい獣医師がいた。もう亡くなられたんだけどカナダで開業された方で、米国の新しいものを日本に取り入れた。例えば、ごつごつした馬が注射を打つと、次の日にしゃんとしたりするわけ。すごいなと思ったよ。それで、馬の臨床をやりたいと思って獣医師の大学に入り直した。その間にJRAの総研などに行かせてもらっていたけれど年齢の問題で採用してもらえず、開業獣医師のもとに入ろうとしたが、当時は開業獣医師がいっぱいいて入れなかった。でも飯を食わなきゃしょうがないと思って、(80年に)斎藤籌敬厩舎の調教助手になった。だからもともと競馬が好きで、というよりは馬が好きで入ったんだ。相手関係を見て違うレースに移すということには興味がなく、ベストの状態に仕上げて送り出すことが大事だと思っている。

これまでで印象的な馬は(いずれも外国産馬の)シンコウスプレンダとサーガノヴェル。シンコウスプレンダはすごく爪が悪かった。よく重賞を勝ったなと思う。もう少し爪がよかったらもっと走った気がするよ。あとはみんなサーガノヴェルの話をよくするよね。俺は米国競馬が好きで、速くて(距離が)短いところの馬を多く買っていたから、余計そういう馬ばかりになった。好きな馬を好きなように買ってくれた時代だったから面白かった。1回マル外が厩舎に19頭入ったことがあったよ。米国の馬は、走ろうという気持ちがすごい。それはなぜかというと放牧地が広いから。日本の馬は走っているけど、狭いしラチがあるから止まる。放牧地の広さの差は大きいと俺は思っている。

30年前からしたら変わった。競馬の世界に入ると母親に言ったら「なんであんなところに」と言われる時代だった。それを考えると今は競馬学校でちゃんと教育されて、馬の質も変わっているわ、調教道具も変わっているわ、全然変わって来ちゃった。手綱ひとつにしても昔は布手綱だったので全然違うよ。俺らみたいなアナログ人間は、デジタル化したらついていけないな。最近、特にそういうのを感じる。馬の出し入れがすごいじゃない。放牧に出してレースを使って、また出して。なんで自分の手元で調教しないんだろうと思う。そういう流れについていけなくなった。だから、ちょうどやめ頃だと自分で思うよ。

今の若い世代に伝えたいのは、調教師は調教師たれということ。要するに自分できちっと仕上げるということだね。調教“師”だから。経営者であると同時に技術者。技術者としての部分を忘れないでほしい。

◆古賀史師と外国産馬 シンコウスプレンダ、トキオパーフェクト、サーガノヴェルの米国産3頭でJRA重賞を6勝した。シンコウスプレンダは96年デビュー。重度の蟻洞で迎えた4戦目の菖蒲Sは、後に国内外G1・5勝を挙げるタイキシャトルに0秒3差の2着。98年京成杯AH、00年エルムSと芝、ダートのタイトルを手にした。通算33戦9勝。トキオパーフェクトは97年のデビューから4連勝でクリスタルCを制覇。98年に中日スポーツ賞4歳Sも勝ち、JRA通算28戦7勝。02年秋に地方・岩手に移籍。サーガノヴェルは01年のダート2歳未勝利戦で初陣を飾り、2戦目で芝に転じてフェアリーSとクリスタルCを連勝。通算17戦4勝。

◆古賀史生(こが・ふみお)1951年(昭26)10月4日、広島県生まれ。斎藤籌敬厩舎と古賀末喜厩舎の調教助手をへて88年に調教師免許を取得。89年開業。90年にアラブ系のセイユウ記念をトキノリバティーで制してJRA重賞初制覇。同年に優秀調教師賞を受賞した。その他の重賞勝ちは16年ショウナンアポロンのマーチSなど通算10勝。JRA通算6133戦531勝(6日現在)。犬が好き。以前はブリーダー。今は10匹のイタリアングレーハウンドを飼っている。

厩舎の前で笑みを浮かべる古賀史師(撮影・三嶋毬里衣)
厩舎の前で笑みを浮かべる古賀史師(撮影・三嶋毬里衣)
2月末で引退する調教師
2月末で引退する調教師