湯窪幸雄師「競馬しかない」苦悩続くも変わらぬ思い

2月末で引退する調教師が語る「明日への伝言」に湯窪幸雄師(70)が登場する。騎手としてデビューしたが苦悩の連続。迷える心を50年も競馬界につなぎ留めていたのは父親、馬への感謝の気持ち、そして競馬しかないという熱い思いだった。【取材・構成=藤本真育】

父が鹿児島で繁殖、育成の牧場をやっていました。その影響もあって、昔から空胎の繁殖牝馬を乗り回して遊んでいましたね。この世界に入ったのは、父が勝手に馬術試験に応募していて、受けたら受かっちゃったんです。それなら騎手を目指そうと思いました。

19歳の時に(競馬に)乗り出したんですが、大変なことばかりでした。70年3月にデビューして、6月に札幌のゲート練習で馬がひっくりかえり、骨盤、恥骨、鎖骨を骨折。札幌で半年間入院です。始めの3、4カ月は寝返りすらできなくて。つらかったです。

その骨折がやっと治ったと思ったらデビュー2年目(71年)に飛行機の事故で師匠(柏谷富衛元調教師)を亡くしました。入院の期間もあり、師匠と過ごした時間は少なかったですし、本当につらかった。今思うと師匠との時間をあまり過ごせなかったことが、僕の人生の歯車を狂わせたのかなとも思いますし、師匠との時間は本当に大切にしないといけないなと今でも思います。

騎手ではあまり成績を残せなかったのですが、僕には競馬しかないと思っていましたし、自分から調教師試験を受けました。しかしなかなか受からず、18回も試験を受けてようやくです。“これ(競馬)しかない”の思いが強かったからですかね。父に勝手に応募されて入った競馬界ですが、その頃には感謝しかなかったです。やめたいと思ったことも1度もないですし。あらためてこの世界に入って本当に良かったと思います。

調教師になり、シンコールビー(03年フローラS)や障害重賞を勝ったエムエスワールド(12年京都HJ、小倉サマーJ)、最近ではカフジテイク(17年根岸S)など思い出に残る馬にたくさん出会えました。シンコールビーは確かセリを見に行って、預けてもらった馬。そういう馬が勝つと格別ですよね。また、ルビーの娘シンコーメグチャンも昨年までやらせてもらってましたし、自分の預かった馬の子どもがやれるというのもよかったと思える瞬間でした。

あっという間の約50年でした。さみしいなと思いますが、後悔はありません。調教師で70歳までやれて、本当によかったなと思っています。父親、そしてともに走ってくれた馬に感謝です。「競馬に携われてよかった」と、それだけは即答できます。毎週、毎週、勝っては負けての繰り返し。できるだけ負けを引きずらず、前を向くことを大切に皆さんも頑張ってください。(JRA調教師)

◆湯窪幸雄(ゆくぼ・さちお)1950年(昭25)11月9日、鹿児島県生まれ。70年騎手デビューし、JRA通算1867戦141勝。90年の調教助手転身以前から18回の調教師試験受験を経て01年に厩舎開業。初重賞制覇の03年フローラSシンコールビーは単勝14番人気、165・4倍での大金星。JRA通算269勝、重賞5勝。

湯窪幸雄調教師(2016年2月6日撮影)
湯窪幸雄調教師(2016年2月6日撮影)
16年6月、夏至Sを制したフジテイクと写真に納まる湯窪師(左)
16年6月、夏至Sを制したフジテイクと写真に納まる湯窪師(左)
03年のフローラSを制したシンコールビー(右)
03年のフローラSを制したシンコールビー(右)