谷原義明元師 「競馬を見ろ」師匠の教え胸に55年

「明日への伝言」引退調教師編の第6回は、騎手で118勝、調教師で225勝を挙げた谷原義明元調教師(70)だ。最後の重賞となったダイヤモンドSのサンデームーティエは逃げて2着。師匠・大久保末吉師の「競馬を見ろ」という教えを胸に、突っ走った55年の競馬人生を振り返る。【取材・構成=水島晴之】

2月16日、谷原元調教師はダイヤモンドSに8番人気サンデームーティエで挑んだ。積極的な逃げで2着に粘り、穴をあける。

谷原元調教師(以下谷原) この馬は逃げないと駄目なんだ。出遅れたけど江田照(騎手)が頑張ってハナに行ってくれた。あの形だと強い。

馬の癖を見抜き、競馬で生かす。これは師匠である大久保末吉師の教えだ。この世界に入ったのは中学を卒業した15歳の時。下乗りとして、当時は東京競馬場(府中市)に近い大久保師の家に居候していた。

谷原 先生はあまり口うるさく言う方ではなかったが「競馬を見ろ」「馬の性格を知れ」と言われたのは覚えている。土日は必ず競馬場へ連れて行ってもらった。あの時代は馬主席を各厩舎が管理してね。寒い時期は下乗りが七輪(しちりん)の炭や布団を運ぶんだけど、厩舎に戻らずそのまま残って見ていたよ。

保田(隆芳)先生、古山(良司)先生。お手本がたくさんいた。先輩の騎乗姿勢やムチの使い方などしっかり目に焼き付けた。また「逃げの増沢」「追い込みの吉永」といった、個性派も多かった。教科書通りではないけれど、だから走った馬もいたと思う。今の若い子はよく勉強しているし上手だけど、みんな同じで個性を感じない。そこは寂しい気がするな。

80年スプリングSを制したサーペンプリンスは、忘れられない1頭だ。たたき合いの末、ハワイアンイメージ(増沢騎手)に半馬身差で勝った。

谷原 実は直前の追い切りも2頭で併せてね。遅れたことのない馬が競り負けたんだ。相手は510キロ超の大型馬。並んだら勝ち目はない。レースで内から馬体を寄せられた時は外へ外へ逃げたよ。向こうは寄せる、こっちは逃げるで。ゴールの瞬間、増さんは笑ってたね。「やられた」って。馬の性格を知らなかったら負けてたと思う。

サーペンプリンスで3冠に挑戦し、ダービーは6着。

谷原 悔しい思いをしたけど、先生は「日本で6番目に走る馬だぞ」と慰めてくれた。その後、1週間は肩や背中、足腰がガタガタで。これがダービーなんだ、と思ったよ。

大久保末吉師は競走馬を「走る労働者」と言ってスパルタで鍛えた。

谷原 76戦(8勝)したイナボレスなんか、追い切りも8ハロンからびっしりやった。それでも無事に走り続けたのは、日頃のケアができていたんだね。

89年に厩舎を開業して6年目、ウインドフィールズで初めて重賞を勝った。

谷原 最初見た時は脚長でそんなに走ると思わなかった。初戦も10着に敗れたし。でも、2戦目で馬が変わったんだ。筋肉がついて幅が出た。「これなら」と2勝目を挙げた後は、迷わずセントライト記念(94年=1着)挑戦を決めた。菊花賞でも4着に善戦してくれたし、馬の成長に気付けたから、あの重賞制覇があったと思う。

何度もやめようと思ったが頑張ってこられた。オープン馬もたくさんやらせてもらったし、悔いはない。これからも競馬は見続けていきたいね。

◆谷原義明(たにはら・よしあき)1948年7月28日、北海道生まれ。70年に大久保末吉厩舎所属で騎手デビュー。通算118勝を挙げ、重賞4勝。89年に調教師免許を取得。JRA通算4771戦225勝。94年セントライト記念のウインドフィールズ、09年福島記念のサニーサンデーで重賞2勝。

思い出の馬、サーペンプリンス(左)とイナボレスの写真を手に語る谷原元調教師
思い出の馬、サーペンプリンス(左)とイナボレスの写真を手に語る谷原元調教師