松元茂樹師、華麗なる転身 歌手デビューもしていた

歌手からの華麗なる転身でもあった。連載「明日への伝言 先人から競馬界の後輩へ」引退調教師編の第2回は短距離女王ビリーヴなどを手がけた松元茂樹調教師(70)。レコードデビューした元歌手のほか、会社起業も経験した異色のキャリアを振り返る。【取材・構成=太田尚樹】

父が京都競馬場で調教師をしていましたので、厩舎の中で生まれ育ちました。小学校低学年から馬に乗って、パドックで速歩(はやあし)を乗ったりもしていました。それでも競馬界に入るつもりはなくて、音楽の道に進みたいという夢がありました。

父からは「音楽をやるなら大学へ行け」と言われ、高校卒業後は進学しました。姉の友人が歌手をしていて、その縁で東京のバンドを紹介してもらい、大学2年の時にはレコードを出させてもらいました。一緒にデビューした新人がもう1人いて、それが千賀かほるさん(※=「真夜中のギター」で69年の日本レコード大賞新人賞受賞)。どちらを売り出すかの選考で僕が負けたんです(笑い)。

東京では新聞社で広告営業の仕事をしたり、知人と会社を起業したりもしました。25歳の時に父から「いいかげんに帰ってこい」と言われ、トレセンへ入ることにしました。ちょうどハイセイコーブームの時で「やっぱりこの世界もいいな」と思っていた時期でもありました。馬に乗るのは中学2年以来でしたから最初は怖かったですね。父の厩舎へ入ってすぐに兄が調教師になり、厩舎の事務作業を任されました。調教師と従業員の間に立つことになって、外の社会での経験が生きたと思います。

調教師試験にはなかなか受からなくて、10度目ぐらいの挑戦の時に「これで駄目ならやめよう」と腹をくくりました。40代前半でまだやり直しもきく。妻も「何でもする」と言ってくれました。その年にようやく合格したんです。

厩舎を開業してからは、馬を故障させないことを最優先にやってきました。当初から調教は前脚に負担がかからない坂路が中心。無理にレースを走らせることはしないようにしました。まずは無事に競馬で走らないと、厩舎も従業員もやっていけませんから。

周りの方々に恵まれていい結果も残せましたが、うちの厩舎で最高に活躍してくれたのがビリーヴです。セレクトセールで前田幸治オーナーが「いい馬がいたら買えよ」とおっしゃられて選んだ馬で、セリの時も隣に座っていました。牝馬でしたがどんどん値段が高くなって、6000万円を超えた時にはオーナーの袖を引いて「社長、もういいです」と言いました。それでも落札していただいて、やはりすごい馬でした。平地G1初制覇となったスプリンターズSは感動しましたね。机をたたきすぎて手が真っ赤になりました。

もうすぐ定年です。運もあったと思いますが、故障する馬が少なかったのはよかったです。引退したら馬券も少しは買ってみたいですし、もう1度、ギターも初歩から習ってみたいです。この世界に入ってから、歌うのは年に4、5回ぐらいでしたが、近場で楽しく歌えるお店も探したいですね。(談)

◆松元茂樹(まつもと・しげき)1948年(昭23)10月21日、京都府生まれ。父正雄さん、兄省一さんは元調教師。洛南-日大。「五条茂樹」「京しげき」の芸名で歌手として活動した。74年に父の厩舎で厩務員。92年に調教師免許を取得し翌93年に開業。JRA通算550勝、重賞32勝、G1・6勝(障害含む)。

92年2月、調教師免許を取得した松元茂樹調教師
92年2月、調教師免許を取得した松元茂樹調教師