藤沢和雄師 もう1度調教師ができるなら・・・「引退まで馬のことを考えていきます」

2月末で定年、引退する調教師が語る「明日への伝言」は最終回となり、美浦の藤沢和雄師(70)が締めくくる。現役最多JRA通算1568勝(20日現在)と日本を代表する名伯楽がもう1度調教師ができたとしたら・・・。今週の中山記念(G2、芝1800メートル、27日、1着馬に大阪杯優先出走権)にはコントラチェック(牝6)、ゴーフォザサミット(せん7)、レッドサイオン(せん6)と3頭出しの予定。最後まで勝ち続ける。【取材・構成=木南友輔】

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初心は忘れずにやってきたけど、開業当初のことはあまり記憶にないというのが本音です。それだけ目の前のことに一生懸命だったのかもしれません。ただ、初めてダービーの権利を取った時に「ああ、ダービーに行ける」と思ったのはよく覚えているなあ。ロンドンボーイが青葉賞(89年)で2着になった時ですね。それと、ダービーについて言えば、シンボリクリスエスが青葉賞(02年)を勝った時に武君(武豊)に「秋になったら良くなりますよ」と言われたのも忘れられません。クリスエスは秋になったら、本当に良くなった。レイデオロでダービー(17年)を勝った時は本当にうれしかったですよ。

ブリーダーズカップ(タイキブリザードでBCクラシックに96、97年と2年連続挑戦)やベルモントS(08年カジノドライヴでレース当日に出走取り消し)へ挑戦させてもらったこと、タイキシャトルでヨーロッパ(98年ジャックルマロワ賞)で勝たせてもらったこともいい経験になりました。シャトルはデヴィルズバッグの産駒。アメリカの血統で欧州に挑んだことも勉強になりました。

引退が近づいて、実感は湧いてきましたよ。さみしいと言えばさみしいけど、まだ最終週まで出走馬があるので、自分のことは考えないように、今まで通り、馬のことを考えていきます。引退が近づいてからは本当に早かったです。あと10年、あと5年と言われ、本当に慌ただしく過ごさせてもらったけど、オーナーから最後まで期待している馬たちを預けられて、管理させてもらったので、感傷に浸る暇はなくて、いい緊張感で最後までやらせてもらっています。

あの馬もこの馬も思い出すので、思い出に残る馬を聞かれても、1頭の馬を言うことはできません。大成させることができずに終わってしまった馬のことを思い出すこともあります。こうやっておけばとか、失敗したなあとか、そういうことを思い出すのが多いです。

つらかった時期というのは・・・。特に思いつかないけど、(レースで)過剰に期待されて、負けちゃって、へこんだ月曜が多かったかな。人気して、新聞で勝つぞ勝つぞ、って書かれてね。ファンの人たちは馬券を取れたんだろうかって。すごく応援してもらったことで気が抜けなかったし、張り合いがありました。

やり残したことはたくさんあります。もし、もう1度、次に調教師をやる時はもっと成績を出せると思っています。長い間成績を出せたのは馬のおかげです。走るのは馬ですからね。多くの馬主にバックアップしてもらったなと思います。そうでなければ、こんなにたくさん勝つことはできません。いい馬主に応援してもらいました。わがままをたくさん言ったけど、寛大な馬主さんが多かったです。調子に乗るから言わないようにしてきたけど、スタッフのおかげもあります。私がカイバをあげたり、ブラッシングをしたりするわけじゃない。馬を一番近くで世話をしているのはスタッフたちですから。

今後は何かやりたいことは今はないけど、世話になった社会、競馬界に何か手助けになることがあれば恩返しをしなきゃいけないと思ってます。海外で調教師生活を続けることも考えたことはあったけど、コロナの時代ですし、過保護なJRAのおかげで・・・。もちろんジョークですが、無事に最後まで調教師をやらせてもらったわけですからね。競馬会(JRA)はこのような状況でも競馬をストップすることなく、続けてきましたし、引き続き繁栄してもらいたいと思います。ファンの競馬の楽しみ方も増えてきたと思います。調教師生活で自分もいろいろと勉強させてもらいました。調教師になりたいと思って、調教師を始めて、やりがいのある仕事でしたよ。

▼C・ルメール騎手(42) 藤沢和先生はJRAのレジェンド。引退されるのは私にとっても大きなことで、ショックです。私は彼の馬でたくさん大きなレースを勝たせてもらいましたが、中でも思い出に残っているのはレイデオロで勝ったダービー(17年)です。とても馬のことをよく見て、理解していた先生で、馬を強くしました。彼が育てた馬は競走生活が長かったように感じます。私はとても彼とのマッチングが良かった。とても感謝しています。

▼武豊騎手(52) 藤沢さん(藤沢和師)はどっちかというとライバルだったね。同じレースで相手が藤沢和厩舎の馬、なんてことがよくあった。一緒に勝ったので印象深いのは、ダンス(インザムード)の桜花賞(04年)かな。完璧な勝利だったね。ゼンノロブロイもいい思い出。イギリス(05年インターナショナルS2着)は勝ちたかったな。藤沢和厩舎の馬でG1に乗るときは妙なプレッシャーがあったことを覚えていますよ。ジョッキーとしても学ぶことが多かったし、ホースマンという感じの人でした。

▼騎手時代にゼンノロブロイの英国遠征に同行した鹿戸雄一師(59) 長い間家族ぐるみでお世話になりました。悩みがあった時も相談にのっていただいたり、一緒に海外も行かせていただいたり貴重な経験でした。ホースマンとして、1人の人間として尊敬しています。教えていただいたことを糧に、少しでも近づけるように頑張っていきます。

▼騎手時代に96年天皇賞・秋をバブルガムフェローで制した蛯名正義師(52) バブルガムフェローでG1を初めて勝たせてもらったことが、自分がステップアップするきっかけになりました。自分の引退の花道を用意してもらったり(21年中山記念ゴーフォザサミット4着)、ありがたい気持ちでいっぱいです。今の調教師はビジネスマンであることも必要だけど、あの方はずっとホースマン。馬を優先して、なおかつ数字も残す。すごいことですし、情熱も変わっていない。僕も調教師として精進していきたいです。

▼調教師転身前に調教助手として藤沢和厩舎に所属した古賀慎明師(56) すべてにおいて先生には一から教えていただきました。馬にも人にもいい環境の現在の競馬サークルをいい方向に整えていただいたと思っています。成績に関しては言うまでもないですが、レースの功績だけではなく、競馬サークル全体に対しての貢献も同じように意味合いは強いと思います。最後までいっぱい勝っているし、引退する雰囲気ではないよね(笑い)。

▼99年に藤沢和厩舎でデビューした北村宏司騎手(41) 先生から教えていただいたことはたくさんあり、一言ではとても説明できませんが、例えば1つ取り上げるとすれば、よく先生から言われていて自分の心に留めていることがあります。それは、調教や競馬で馬に乗っている時はもちろんのこと、それ以外の馬に乗っていない時にどれくらい馬のことを考えている時間を作れるかが、大切ということです。毎日調教に乗せていただいたし、たくさんレースにも乗せていただき、先生が引退された後のことはなかなか想像がつかないですが、いつ見てもらっても恥ずかしくない調教や競馬をしていきたいです。

▼厩舎所属の木幡育也騎手(23) 馬に何がベストかを決めつけず、常に新しいことを探している人でした。「ロスなく回って、最後は詰まってもいいからなるべく外を回さない競馬をしなさい」。先生に言われたこの言葉が胸に残っています。失敗をおそれず挑戦することの大事さを、間近で学ばせていただきました。

▼厩舎所属の杉原誠人騎手(29) 馬も人も、よく見ている方でした。定年までアイデアをふくらませて、工夫して、より良いものを突き詰め続けたあの探求心は、まねしようと思ってもなかなかできないのでは。日々の調教でも毎日学ぶことが多かったです。競馬学校生のころを入れたら12年以上。本当にお世話になりました。

▼角居勝彦元調教師(57) 憧れの先生で、目標にさせてもらいました。それまで全然関係のなかった僕でも(開業前の技術調教師時代に)研修を受け入れてくださりました。日本の競馬界になくてはならない偉大な方。たくさんの人がならいましたし、これからも影響を与え続けていくと思います。

◆藤沢和雄(ふじさわ・かずお)1951年(昭26)9月22日、北海道生まれ。英国ニューマーケットのプリチャード・ゴードン厩舎で4年間修業後に帰国。77年から菊池一雄厩舎へ。佐藤勝美厩舎、野平祐二厩舎で調教助手をへて87年に調教師免許を取得。88年開業。同年4月にJRA初勝利を挙げる。93年に初の全国リーディングトレーナーに輝き計12回獲得した。JRA重賞初制覇は92年ニュージーランドT、G1初制覇は93年マイルCS(ともにシンコウラブリイ)。JRA通算1568勝、G1・34勝を含む重賞126勝(20日現在)。海外重賞はタイキシャトルで98年仏G1ジャックルマロワ賞、ダンスインザムードで06年米G3キャッシュコールマイル、カジノドライヴで08年米G2ピーターパンSを勝利。

藤沢和師(撮影・木南友輔)
藤沢和師(撮影・木南友輔)
17年、日本ダービーを制したレイデオロ、左からC・ルメール騎手、藤沢和師
17年、日本ダービーを制したレイデオロ、左からC・ルメール騎手、藤沢和師