坂口正則元師、エイシンとの出会い刺激に時代先取り

連載「明日への伝言 先人から競馬界の後輩へ」引退調教師編の最終回は、坂口正則元調教師(70)が飾る。エイシンヒカリで香港、フランスのG1を制した国際派。オーナーとの出会いにも刺激を受け、時代を先取り続けた競馬人生だった。【取材・構成=柏山自夢】

重賞27勝(JRA)ですか。少ないな、というのが本音です。30年以上、調教師をやってきて、40、50と勝たないといけなかったでしょう。

一方で、出会いにはたくさん恵まれました。エイシンさん(故平井豊光オーナー)がそうですね。知り合ったのは、開業して間もない頃。野元(昭)さん、湯浅(三郎)さんの厩舎によく預けていらして、そこからの紹介でした。

やはり記憶に残っている馬も多いですね。エイシンサニーは小さい馬でした。オークスを勝った時でも、馬体重は414キロ。頑張ってくれましたね。G3しか勝てませんでしたが、本当に強かったのはエイシンバーリン(※1)。日本馬で初めて、芝1200メートルを1分6秒台で走ったんですから(97年シルクロードS1着=1分6秒9)。

バーリンもそうですが、エイシンさんは外国産馬をたくさん買っていました。5、6人の調教師を連れて、海外のセリに足を運んでいましたね。アメリカだけで20回は行ったと思いますよ。湾岸戦争の危ない時にも、何人も乗っていないような飛行機で海を渡っていました。人が少ない時こそ、いい馬を手に入れるチャンスだと思われたんではないでしょうか。今より外国産馬の値段が高かった時代。熱心でしたよ。

当時は、外国産馬といえばエイシンさん。海外に出走となると香港まででしたが、息子さんの代になり、エイシンヒカリでフランスとイギリスの遠征に携われたのは印象深いです。勝つか惨敗かという馬でしたが、それにしてもフランスのイスパーン賞(※2)は本当に強かったですね。

外国産馬を買う“はしり”だったエイシンさんとは違いますが、私も時代に合ったことを、とは考えてきました。2歳馬の小倉滞在もそのひとつです。昔の馬は早くても3月生まれでしたが、今では2カ月くらい早い。早い時期に勝てなかったら、今は厳しいです。勝てる時期を逃さないために、みんなが使わないところを使って勝とうというのが狙いでした。今は馬運車に冷暖房が完備され、輸送環境は格段に良くなりました。それでも、やっぱり夏の輸送はかわいそう。特に新馬などはそうです。最近では滞在馬の数も少なくなりましたが、私としては利があると考えてやってきました。

この世界は毎週、運動会が行われるようなもの。19歳から約50年の競馬人生、長いようであっという間でした。引退して、急に頭を使わなくなってしまうのも良くないでしょう。実は勝負ごとがあまり好きではなく、パチンコもしない私ですが、これからは競馬ファンとして馬券を買って応援してみたい。そんな気持ちはありますね。(談)

◆坂口正則(さかぐち・まさのり)1948年(昭23)9月2日、宮崎県生まれ。67年に伯父の坂口正二厩舎(栗東)で騎手見習い。74年から騎手、81年引退。JRA通算525戦44勝。同厩舎で調教助手となり83年に調教師免許取得、85年開業。JRA通算8385戦678勝。JRA重賞は27勝、うちG1は90年オークス(エイシンサニー)の1勝。他にエイシンヒカリで海外G1・2勝(15年香港C、16年イスパーン賞=仏)。今年3月開業の坂口智康調教師は息子。

※1=エイシンバーリン 1992年3月11日生まれ、米国産。牝、芦毛。父コジーン、母ブレイドオブラック(母父ブレイド)。通算成績28戦6勝。重賞は95年クイーンC、アーリントンC、97年京都牝馬特別、シルクロードS(以上G3)の4勝。G1では97年高松宮杯2着が最高着順。総収得賞金4億620万2000円。17年4月19日に蹄葉炎(ていようえん)のためこの世を去った。

※2=16年イスパーン賞 G1、芝1800メートル、5月24日=仏シャンティイ競馬場、出走9頭。武豊騎手騎乗のエイシンヒカリ(牡5=当時)は2番手追走からラスト400メートル付近で先頭。ぬかるんだ芝をものともせず、後続を突き放し、10馬身差で圧勝した。ヒカリは一時、世界ランク1位の評価も得た。

15年10月、エイシンヒカリで毎日王冠を制した坂口正則調教師
15年10月、エイシンヒカリで毎日王冠を制した坂口正則調教師