中舘の人生変えたヒシアマゾン圧勝/阪神3歳牝馬S

<1993年(平5)>

平成の競馬史を振り返る「Legacy~語り継ぐ平成の競馬~」は、平成5年(93年)阪神3歳牝馬S(現阪神JF)で、5馬身差の圧勝を飾った外国産馬ヒシアマゾンを取り上げる。主戦の中舘英二騎手(53=現調教師)の名を、一躍全国に知らしめた同馬の圧倒的な能力。中舘にとっても初のG1制覇となった。手綱を取った馬の中で、NO・1と断言する。【取材=久野朗】

調教師になった今でも、中舘は25年前のあの日を鮮明に覚えている。「強かった。勝手に走っていった」。京成杯3歳S(G2)から挑んだヒシアマゾンは2番人気。1番人気をシスターソノに譲っていた。レースはヒシアマゾンと同馬主・阿部雅一郎氏が所有するシアトルフェアーが逃げた。シスターソノと同じ好位の2、3番手。だが直線ではライバルが失速するのを尻目に、1頭だけ次元の違う脚で伸びた。

「4コーナーまで引っ張ったままで来た。こんなに手応えがいいなんて。追ったらどこまで伸びるかでした」と懐かしんだ。2着に5馬身の差をつけた。阪神3歳Sが、91年に牝馬限定の阪神3歳牝馬Sへ名称変更後の最大着差。阪神JFのレース名になっても記録は更新されていない。この時期の3歳(現2歳)G1は各馬の実力差が小さく、着差は大きくは開かないと言われる。常識を覆すようなパフォーマンスだった。

父は芝向きのシアトリカル。快勝した新馬戦、2着の2戦目(江田照騎手騎乗)はダートを使った。「ソエと脚元に不安があった。デビュー戦の1200メートルなんかは合わない馬。普通の馬という感じ」。その感覚は、脚元が良くなり初めて芝に挑戦した3戦目の京成杯3歳Sで変わった。「返し馬から、いいなと感じた」。首差の2着に惜敗したが、3着には4馬身差をつけていた。G1制覇への布石になった。

阪神3歳牝馬S圧勝から「ヒシアマゾン&中舘」は全国区になった。「そのおかげで関西でいっぱい乗れた」。当時の外国産馬は、クラシックに出走できない規定があった。裏街道を歩み、94年エリザベス女王杯(G1)を含めJRA重賞は通算9勝。結果を残しても外国人騎手への乗り替わりが多い今とは違い、20戦中18戦の手綱を取った。「ずっと乗せてくれた。何回か失敗しても乗せてくれたことに感謝している」。

86年にアサヒエンペラーで皐月賞、ダービーとも3着に泣いた。「勝てそうで勝てない。日の目を見ないのかなと思った時もあった」。騎手人生が変わったヒシアマゾンとの出会い。JRA通算1823勝を挙げたかつての名ジョッキーは「ぶっちぎりのNO・1じゃないですか」。数え切れないほどの騎乗馬の中で、“彼女”への評価だけは別格だった。(敬称略)

◆ヒシアマゾン 1991年(平3)3月26日、米国生まれ。父シアトリカル、母ケイティーズ(母父ノノアルコ)馬主は阿部雅一郎氏。美浦・中野隆良厩舎に所属。生産者はM・アベ氏(米国)。通算成績は20戦10勝。重賞は93年阪神3歳牝馬S(G1)94年クイーンC(G3)クリスタルC(G3)ニュージーランドT4歳S(G2)クイーンS(G3)ローズS(G2)エリザベス女王杯(G1)95年オールカマー(G2)京都大賞典(G2)の9勝。総収得賞金6億9582万9000円。

93年12月、阪神3歳牝馬Sを制したヒシアマゾンと中舘騎手
93年12月、阪神3歳牝馬Sを制したヒシアマゾンと中舘騎手
93年12月、阪神3歳牝馬Sを制したヒシアマゾン(左)
93年12月、阪神3歳牝馬Sを制したヒシアマゾン(左)
93年 第45回阪神3歳牝馬S
93年 第45回阪神3歳牝馬S