03、04年池添デュランダルで連覇/マイルCS

<2003、04年(平15、16)>

平成の競馬史を振り返る大型連載「Legacy ~語り継ぐ平成の競馬~」は今回、平成15、16年(03、04年)のマイルCSを連覇したデュランダルを取り上げる。4歳となった03年の秋から手綱を託された池添謙一騎手(39)は当時、まだデビュー6年目。名馬との出会いはのちに、自身が3冠ジョッキーとなることにつながった。【取材・構成=辻敦子】

池添騎手が毎年、欠かさず通う場所がある。03、04年にマイルCSを連覇した相棒、デュランダルのお墓だ。「原点です。自分を全国区にしてくれた馬。毎年、手を合わせにいっています」。今でも感謝の気持ちでいっぱいだ。

03年秋、スプリンターズSでG1初制覇を果たし、マイルCSに向かった。「マイルの方が末脚をさらに引き出せる」。自信はあった。ただ、勝負の直線では逃げたギャラントアローとの差が50メートル以上。絶望的に見えた。が、その位置から上がり最速33秒5の脚で差し切った。「いつも最後は脚を使う。届くと思っていた」。信じていた。ゴール後、うれしさのあまり、スタンドへ、カメラへ何度もガッツポーズをした。「あの時は喜び過ぎでしたね(笑い)。でも、いつもゴールを過ぎると気持ちが良かった」。特別な馬だった。

連覇のかかった04年は1番人気に推された。「直線を向いてから、追い出しを待つ余裕がありました」。上がり最速で後続に2馬身差。チャンピオンとして貫禄を見せる勝ち方だった。

ただ、「この馬ならできる」と信じて3連覇に挑んだ05年は8着に敗れた。管理した坂口正大元師は「もともと爪が弱く、05年の春には社台ファームがアメリカから特別な装蹄(そうてい)師を呼んだくらいだった」と振り返る。10月のスプリンターズS(2着)がその05年初戦。出走自体が奇跡に近かった。続くマイルCSの敗戦後、池添騎手は引退を知らされた。「あの末脚なら東京でと思っていたし、安田記念や天皇賞・秋を走りたかったですね」。G1が行われるコースの中で直線が最も長い東京での出走はゼロ。その点だけは悔いが残っている。

初コンビを組んだ03年セントウルS(3着)当時、池添騎手はまだデビュー6年目、G1は1勝だった。

「競馬をデュランダルに教えてもらいました。『追い込み馬とはこういうものだよ』『鼻差でも勝ちは勝ち。後ろにいても道中は焦らず、最後に勝っていればいいんだよ』と」

騎手人生において、大きな転機となる出会いだった。のちに自身は3冠ジョッキーになった。

「デュランダルやスイープトウショウのように気難しさのある馬に乗っていたので、それを見て池江先生がドリームジャーニーを任せてくれました。ジャーニーで宝塚記念や有馬記念を勝ったことで、その弟のオルフェーヴルにも乗ることになりました」

中世フランスの叙事詩に登場する聖剣の名に由来する“デュランダル”。平成の競馬史に残る切れ味の感触は、池添騎手の心に今も刻み込まれている。

◆デュランダル 1999年5月25日、社台ファーム(北海道千歳市)で生まれる。父サンデーサイレンス、母サワヤカプリンセス(母父ノーザンテースト)。馬主は吉田照哉氏。栗東の坂口正大厩舎所属。通算成績18戦8勝(うち海外1戦0勝)。重賞は03年スプリンターズS、03、04年マイルCS(いずれもG1)の3勝。03、04年にJRA賞最優秀短距離馬。主な産駒は11年オークス馬エリンコート。13年7月7日に、種牡馬として供用されていた北海道日高町のブリーダーズ・スタリオン・ステーションで14歳の若さで急死。

04年、マイルCSを連覇した池添騎手
04年、マイルCSを連覇した池添騎手
03年マイルCSを制したデュランダル
03年マイルCSを制したデュランダル