夏の名物「サマーシリーズ」1年で終了覚悟だった

<2006年:サマーシリーズ>

 平成の競馬史を振り返る連載「Legacy ~語り継ぐ平成の競馬~」。今回は平成18年(2006年)から始まったサマーシリーズを取り上げる。現在は夏競馬の名物シリーズとなったが、創設時は1年で終わることを覚悟しての手探り状態でのスタートだった。シリーズ開幕戦の函館SSで2着のシーイズトウショウ(牝6=当時、鶴留)が、初代サマースプリント王になった。【取材・構成=三上広隆、木村有三】

 平成18年7月2日、13回目の函館SSが行われた。それまでは単なるローカルの短距離重賞。だが、この年から決定的に違う意味を持った。新たに創設されたサマースプリントシリーズ。その第1弾を飾るレースだった。

 今でこそ夏競馬の名物となったサマーシリーズだが、導入は手探りだった。JRA競走部番組企画室の高松知之企画課長は感慨深げに振り返る。「正直ここまで盛り上がるとは当時思いもしませんでした。単年で終わるのも覚悟していましたから」。06年以前「夏競馬の盛り上げ」はJRAの課題だった。「サマーシリーズは05年の番組研究会で決定しましたが、それまでも問題意識は持っていて、4、5年前から声は上がっていました」と言う。札幌記念、新潟記念など各場の目玉となるレースがあるサマー2000シリーズは、あまり心配がなかった。問題はスプリント路線だった。

 下半期の短距離王を決めるスプリンターズSが、00年にそれまでの12月から9~10月に移設された。秋のG1シリーズ開幕戦を盛り上げるため、夏の短距離路線を充実させる必要もあった。当時夏の短距離重賞は函館SSと新潟のアイビスSDだけ。番組変更が行われたが、重賞に格上げされたキーンランドCは別にして、距離を1800メートルから1200メートルにした北九州記念はJRA内部でも反対意見があった。スプリンターズS、そしてサマーシリーズが盛り上がらなければ、また一から考え直さないといけない。

 第1回のサマースプリントシリーズを制したのはシーイズトウショウ。3連覇を狙った函館SSは2着に敗れたが、キーンランドC2着、セントウルS1着とシリーズを通して活躍した。池添騎手は言う。「秋のスプリンターズSまでスプリント路線がつながるようになったのは、良かった」。幸い、サマーシリーズはファンからの反応が良かった。翌年すぐにJRAのお客さま係の提案でジョッキーズシリーズを開始、12年にはサマーマイルシリーズも加わった。単年で終わる覚悟でスタートした夏の目玉企画は、改良を加えながら歴史を重ねている。

 ◆サマーシリーズ 06年スプリントシリーズと2000シリーズでスタート。07年には騎手を対象としたジョッキーズシリーズを創設。12年にマイルシリーズが新設された。今年は6月17日~9月9日をサマーシリーズとしてスプリント(対象6レース)、マイル(同3レース)、2000(同5レース)が行われる。騎手はシリーズの計14競走が対象。スプリント・2000シリーズの優勝馬主に3200万円、マイルの同馬主に2400万円、優勝騎手には100万円の褒賞金が交付される。

06年函館スプリントS2着のシーイズトウショウ(奥)がサマースプリントシリーズ初代王者になった
06年函館スプリントS2着のシーイズトウショウ(奥)がサマースプリントシリーズ初代王者になった