<福永時代 前人未到ダービー3連覇へ(4)>

ワグネリアンが残したもの-。連載「福永時代 前人未到ダービー3連覇へ」の第4回は、福永祐一騎手(45)の初制覇となった18年ダービーについて、騎乗馬ワグネリアンを管理した友道康夫調教師(58)に聞いた。外の17番枠からイチかバチかの先行策や制覇後の福永騎手の変化、ワグネリアンとの突然の別れなどを振り返る。

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初騎乗から20年、福永騎手は18年ワグネリアンで悲願のダービージョッキーとなった。19度目の挑戦。圧倒的不利と言われた17番枠から意表を突く先行策だった。その舞台裏は、意外にもレース前日の京都競馬場の検量室にあった。枠順発表後、友道師は福永騎手とそこで初めて顔を合わせた。「お互い顔を見て、笑い合ってね。枠のことで。言葉はなかったけど『それしかないよね』という感じで。それをよく覚えている」。互いの意見は、言葉を交わさずとも一致していた。

皐月賞では追い込み届かずだった同馬を、外枠から促していって好位ポジションを取った。イチかバチかの作戦だった。「あの馬は引っ掛かる。ジョッキーは勇気がいったと思う。でも、勝つにはそれしかなかった」。まさに“神騎乗”。レース前には「馬主(金子オーナー)も調教師も父のディープ(インパクト)もみんな、ワグネリアンに関わっている周りはダービーを勝っているのにオレだけ勝ってへん」とも、話していたという。レース後、師は「おめでとう」と声をかけた。

友道師から見た福永騎手は、とても研究熱心だという。「自分が乗る馬だけじゃなく、他の馬のことも分かっている」。そこに、ダービー制覇で「余裕」も生まれた。「先々の大きなレースを勝つには、どうしたらいいかを考えながら乗っていると思う」。

別れは突然だった。今年1月5日。ワグネリアンは胆石による多臓器不全で急死した。友道師から連絡を受けた福永騎手は落馬負傷の療養で東京にいたが、翌6日の早朝、厩舎に駆けつけて解剖前の愛馬と最後の再会を果たした。「会話にはならなかったけどね。でも、何とかと思って。最後に会えたのは良かったよね」。

ワグネリアンは、福永騎手にダービージョッキーという称号以上のものを残した。友道師は「あのダービーを境に、その前後では全然違うんじゃないかな。福永祐一というジョッキーとしてね」。まさしく“福永時代”の起点である。師は今回、ライバルとしてドウデュースを送り出す。「あいつ、1つ勝ったら3つも勝っちゃって、うち抜かれたんだよ(笑い)。それに追いつけ追い越せで。早く3勝目に並びたいね」。昨日の友は今日の敵。今回は、3連覇へ大きな壁となる。【奥田隼人】(つづく)

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