シーザリオの現役時代、僕はゴルフ担当だった。日曜日にトーナメントの取材が終わると、競馬好きなゴルフ関係者とともにテレビやラジオなどで重賞の結果を確認し、そこからゴルフの優勝原稿を書くのが“ルーティン”だった。

2005年オークス当日も、そうだった。岡山県で開催されていた「マンシングウェアオープンKSBカップ」を取材していた。優勝は藤田寛之プロ。藤田プロのホールアウトを待っていた宮本勝昌プロが競馬が好きで、オークスが始まる前に一緒にレースを予想する機会があった。「何が来るの?」と聞かれた僕は、普段なら「競馬は何が来るか分かりませんわ」と答えるのに、その時は迷わず「シーザリオが強いですよ。エアメサイアと2頭で大丈夫ちゃいますか」と即答。そして、シーザリオは圧巻の強さを見せてくれた。

その直後、宮本プロは僕のことを「プロ!」と呼んでくれた。そう、競馬予想の“プロ”というわけ。照れくさいし、そんな資格もないのだが、素直にうれしかった。すべては、シーザリオのおかげだ。

それから12年後の2017年に、僕は競馬担当になり、シーザリオの子サートゥルナーリアの強さを目の当たりにすることになる。気性の危うさもあってダービーでは4着に敗れてしまったが、調教の走りはいつも「さすがシーザリオの子やな」とほれぼれしたものだ。

日本競馬史に残る名牝の死は、本当に残念だ。だが、その血を後世に引き継いでいく馬は、うれしいことにたくさんいる。これからも、体にシーザリオの血が流れる馬を見るたびに、僕は興奮するだろう。そして、宮本勝昌プロの言葉を思い出して、ひとり静かにほほえみたい。【木村有三】

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