元騎手で元調教師の嶋田功(しまだ・いさお)さんが19日午前中に都内で死亡した。74歳だった。

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嶋田功さんと初めて話したのが、11年前のことになる。美浦トレセンで取材を始めたばかりの頃だ。「俺、日刊スポーツのすぐ近くに住んでるんだよ」と柔和な笑顔を向けてくれ、いろいろな話を聞かせてくれた。2年前、シニア向け紙面の取材で初めて自宅を訪れた。東京・築地の日刊スポーツ新聞社東京本社から徒歩数分。玄関にはトロフィーと家族の写真があり、きれいに整頓された部屋が印象的だった。

冷蔵庫の野菜室には1週間分、自らが調理した野菜料理が入っていた。「野菜が好きなんだ」と言って、目の前でおいしそうに食べていたのが印象的だった。「もちろん騎手をしていて、落馬は痛かったけど、競馬だから当たり前のことだったさ。それ以上に大変なのは減量だった。毎週3、4キロ絞らなければいけないんだ。あぁ~って思ったね。普段55キロだったのを51キロへ。気持ちを保つのが大変だったよ。あくびをすればあごがつってしまうほど。朝の調教を終えて食事する。厩舎で仕事をして、走って、お風呂に入って、夕ご飯。騎手時代は1日2食だった。ほら、君も食べなさい」。そう言われて、一緒に温野菜をほおばった。

12年に調教師を勇退後も、毎朝起きると、ヒゲを剃り、体重計に乗るのが日課。毎日2時間歩き、地下鉄に乗ってあちらこちらに出かけて散歩するのが楽しいと話していた。

言葉に華がある人だった。ある年のダービー週に、「先生はタケホープでハイセイコーファンにけんかを売ったんですよね?」と聞いたら、「脚の本数は同じだって言っただけさ」とおどけた顔で答えてくれた。調教師時代は北島三郎オーナー(名義は大野商事)の馬を多く管理した人。キタサンブラックの活躍も自分のことのように喜んでいた。

第1次競馬ブームと呼ばれた時代を彩ったジョッキー。昭和の競馬ファンに嶋田功を知らない人はいない。「距離でも天気でも確かに馬には適性ってのがあるけど、馬場が悪かったら、馬場のいいところを見つけて走らせてくるのがジョッキーだよ」。騎乗論になると、目つきは一変し、語気が強くなる。そして、「俺は勝負の世界に生きてきたから」と何度もつぶやいていた。安らかにお眠りください。【木南友輔】

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