ロジャーバローズが助けてくれた 19年ダービー12番人気V、サートゥル負けて正直複雑な心境

<角居勝彦元調教師 Thanks Horse(15)>

ロジャーバローズには「苦しい時に助けられた」という印象が強いです。私自身はあまり手をかけられませんでしたが、しっかり結果を出してくれました。

初めて見たのは当歳時のセレクトセールです。少し小さかったですがディープインパクト産駒らしく形のいい子でした。しかし、デビューした18年8月から3戦目の福寿草特別(19年1月)までは、私がペナルティー(※)を受けており、携わることができませんでした。

3歳春には高い能力の一方で、まだ体にゆがみがあって左へささるなど課題もありました。調教でも「バランスを整えてほしい」と伝えていました。それが日に日に良くなり、無駄な動きも減っていきました。

ダービーの前に歯の治療をしたのも覚えています。ハミが当たる臼歯の前にある狼歯が厄介な形で生えていて、ハミ受けに影響していたらしく、それを抜くとコントロールが良くなりました。

あのダービー(19年)には、ウチの厩舎からは無敗で皐月賞を勝ったサートゥルナーリアも出ていて、断然の1番人気でした。12番人気だったロジャーバローズは2番手でハミを抜いて走れていて「意外に頑張りそうだな」と見ていました。しかし、まさかサートゥルナーリアにかわされないとは想像しておらず、直線では「どうなってるんだ」という思いでした。

正直なところ、勝った後は複雑な心境でした。うれしかった半面、1番人気の馬が3着にも入れなかったわけですから。まだペナルティー明けで皐月賞の時には記者会見や表彰式にも出ておらず、久しぶりにインタビューを受けたこともあって、ファンの方々へ何と言っていいのか分かりませんでした。

浜中君にとっては初めてのダービー制覇となりました。京都新聞杯では予定していた別の騎手が騎乗停止で乗れなくなり、代わって彼にお願いすることになりました。「ダービーは運の強い馬が勝つ」ともいわれますが、運命のような流れもあったのでしょう。

その後は凱旋門賞への挑戦が決まりましたが、残念ながら右前脚の屈腱炎で引退となりました。今から思えば、まだ体のゆがみが直りきっていない状態で、結果的に頑張りすぎてしまったのかもしれません。

当時の私はすでに引退まで2年を切っており、ダービーへは「最後の挑戦になるのかな」という思いもありました。普通はサートゥルナーリアが負けたら終わりです。でも、もう1頭のロジャーバローズが助けてくれました。ペナルティーを受けたばかりの私も救われました。ダービーでは2勝を挙げることができましたが、ウオッカの時(07年)を含め、どちらも思い出深いレースで忘れられません。

※=道路交通法違反によりJRAから18年7月~19年1月の半年間の調教停止処分を受けた

◆ロジャーバローズ 2016年1月24日、飛野牧場(北海道新ひだか町)生産。父ディープインパクト、母リトルブック。牡、鹿毛。当歳時にセレクトセール7800万円(税抜き)で落札。馬主は猪熊広次氏。通算成績は6戦3勝。重賞は19年ダービーの1勝。現在は種牡馬としてイーストスタッドで繋養(けいよう)中。産駒は早ければ来夏にデビューする見通し。

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愛媛県今治市のNPO法人「菊馬会」が、同市内にホースセラピーの牧場を立ち上げるためのクラウドファンディング(CF)を呼びかけている。同市の加茂神社では毎年10月に少年が馬に乗って参道を駆け抜ける神事「お供馬の走り込み」を開催。17年からは角居元調教師が代表理事を務めるホースコミュニティと連携して、引退競走馬5頭を受け入れている。詳しくはCFサイト「CAMPFIRE」で「今治 引退馬」などと検索を。

19年、ロジャーバローズ<1>がダノンキングリー(左=<7>)の追撃を抑えダービーを制した
19年、ロジャーバローズ<1>がダノンキングリー(左=<7>)の追撃を抑えダービーを制した