沖芳夫師、初G1制覇より弟子渡辺の重賞初Vが一番

連載「明日への伝言 先人から競馬界の後輩へ」引退調教師編の第4回は、99年の菊花賞馬ナリタトップロードを管理した沖芳夫調教師(69)が登場する。馬を愛し、弟子である渡辺薫彦騎手(現調教師)を育てた師の、競馬への思いを聞いた。【取材・構成=辻敦子】

この世界に入って40年以上がたちます。小さい頃から動物が好きで、小学校の寄せ書きに「将来、北海道に行きたい」と書いていたくらいです。初めて馬を触ったのは高校生の時。入りたかったサッカー部がなく、馬術部に入りました。大学では授業にも出ず、馬術とアルバイトの日々。卒業後は牧場で働き、28歳で栗東トレセンに入りました。

お世話になったのは大久保石松厩舎です。師匠は高い馬を買ってもらう人ではありませんでした。我慢、我慢という感じで、馬を育てる人でした。私は攻め専(調教専門の助手)をして、最後は1頭持ち(基本は攻め専だが1頭だけ担当馬がいる)。もともと乗ることが好きでした。自分で馬に乗って、扱って・・・。楽しい時代でしたね。

97年のエリザベス女王杯では、エリモシックがG1を勝ってくれました。母エリモシューテングは、その大久保石松厩舎にいた馬。現役時は3戦2勝で終わってしまい、心残りがありました。師匠の馬の子どもで、G1を初めて勝てたので、思い入れがありますね。

それでも、一番の思い出と聞かれれば、弟子である渡辺(薫彦騎手=現調教師)が初めて重賞を勝った時。うれしかったですね。99年のきさらぎ賞、ナリタトップロードの重賞初勝利でした。力があるのは分かっていたので、結果を出せないとオーナーに対しても申し訳ない気持ちでした。結果に結びついていってくれたので良かったです。

亡くなった先代の山路秀則オーナーには感謝しています。周りからは、なぜ新人のようなジョッキーを乗せるんだと言われていたでしょう。それを私も分かっていました。ただ、ひと言も騎手変更については言われなかったですし、その話をすることはありませんでした。それが一番ありがたかったです。

皐月賞は雨もあり3着に負けましたが、ダービーは十分に力を出しての結果(2着)でした。悔しいという思いはありませんでしたね。勝った馬(アドマイヤベガ)が強かったですし、豊くん(武豊騎手)がうまく乗ったと思います。菊花賞の時には、特に指示は出していません。ずっと乗っている渡辺が、この馬のことをよく分かっていたからです。ただひと言、「レースに向けて迷っていることは何かあるか」と聞き、渡辺は「大丈夫です」と言いました。逆に、ああしろこうしろと言われた方が、楽な時もあるでしょう。何か迷っていれば、はっきり指示しようと思っていましたが、大丈夫という返事で、あとは任せました。

その渡辺がデビューした時に、言ったことがあります。どんなに馬の気性が悪く、苦労して競馬を終えても、絶対に馬を悪く言わないようにということです。まずは人として、周りからかわいがってもらわないといけません。昔はオーナーがこのジョッキーをかわいがってやるんだ、というのもありましたから。

そして、私たちは馬で生活をしていますが、馬も命懸けで走っています。私はこれまで、そういうことにたくさん接してきました(※=90年のダービーに出走したダイイチオイシが最後の直線で競走を中止。予後不良となった)。どこか痛いところがあっても、レースで痛い思いをしたとしても、またゲートに入る。それはすごいことです。ほとんどの馬がしんどい思いをしながら、またスタートを切る。本当にえらいと思います。これからも馬など、何か生き物に接していければと思っています。(談)

◆沖芳夫(おき・よしお)1949年(昭24)2月28日、東京都生まれ。77年に栗東・大久保石松厩舎で調教助手となり、86年に調教師免許を取得。87年開業。JRA通算5923戦478勝(18日現在)。JRA重賞13勝、うちG1は97年エリザベス女王杯、99年菊花賞の2勝。

管理馬の様子を見る沖芳夫師
管理馬の様子を見る沖芳夫師