キングカメハメハ突然の幕、今も悔しい/神戸新聞杯

<2004年(平16)>

平成の競馬史を振り返る「Legacy~語り継ぐ平成の競馬~」は今回、歴史的名馬であり、大種牡馬でもあるキングカメハメハを取り上げる。史上初めてNHKマイルCとダービーを制した変則2冠馬にとって、結果的に最後のレースになったのが平成16年(04年)の神戸新聞杯。管理した松田国英調教師(67)が、愛馬の栄光と挫折を振り返る。【取材・構成=木村有三】

さらなる飛躍を誰もが確信するような、若き王者の走りだった。04年9月26日。ダービー以来4カ月ぶりの実戦で、キングカメハメハが躍動した。ひと夏を越して8キロ増、502キロの馬体は迫力満点。序盤は後方をゆっくり進み、残り800メートル付近から徐々に加速する。4コーナーで大外を回りながらスピードに乗ると、最後は余裕十分にケイアイガードを差し切った。

直後の松田師は「これで、天皇賞・秋を勝つという目標に近づけた」と言った。ゼンノロブロイなど古馬の強豪と初対決する次走へ、自信を膨らませた。ダービーを制した3日後に決まっていた夢プラン「史上初の同一年ダービー&天皇賞制覇」が現実味を帯びてきたと思われた。だが、しかし・・・。天皇賞・秋の8日前に右前脚の浅屈腱炎で引退。その雄姿を再び見ることはできなかった。歴史的名馬にとって、神戸新聞杯が最後のレースになった。

松田師は、しみじみと振り返る。

「ダービーに使った馬が夏を無事に過ごすことは、あの当時はめちゃくちゃ難しかった。ダービーというレースは無理をして走っていることもあるし、脚部の検査方法も確立されていなかった。触った感触でエビ(屈腱炎)とかを判断する、そういう時代でしたから。今はMRIとか腱ドックとか、いろいろ充実して、設備も獣医師も整っているけど、以前はそこまでなかった。今なら神戸新聞杯を使わずに、もっと長く(現役で)使えたかな・・・」

当時のダービーレコード、2分23秒3で走り抜けていた分、脚の負担も大きかったのかもしれない。14年の長い月日が流れても、悔しげな表情が浮かぶ。だが、師の名を最大限に高めたのも、キングカメハメハに違いなかった。皐月賞に出走せず、NHKマイルC→ダービーを連勝。厩舎の先輩馬クロフネ、タニノギムレットでも成し遂げられなかった史上初の変則2冠で“マツクニローテ”を成功させた。

「昔から海外競馬の本をたくさん読んでいて、マイルの距離を勝つ馬が一番強い、それゆえにダービーも勝てるという考えでした。英国の3冠も、1600メートルの2000ギニーから始まるでしょ。キンカメの場合は、京成杯で負けたので(同じ中山芝2000メートルの)皐月賞は無理だと思いました。でも、東京マイルは向正面と最後の直線が長く、ダービーにもつながると」

短くても濃密だった現役時代に劣らず、その存在感は今も絶大だ。種牡馬としてのJRA通算勝利数は、9月17日時点で1736勝(歴代3位)。JRA・G1馬を11頭(計21勝)も輩出。

引退後の活躍には、師も自然と笑みが広がる。

「ディープインパクトなどサンデーサイレンス系の牝馬と種付けができますから。子供は芝、ダート、短距離、長距離と幅広く走っている。牡馬でも牝馬でも、2歳でも古馬でも。キンカメはコントロールが利きやすい性格だったし、子も調教がしやすいんですよ」

変則2冠馬の血は、まさに万能。14年前、突如ターフを去った“大王”キングカメハメハは、名種牡馬として第一線を走り続けている。

04年、神戸新聞杯を制したキングカメハメハ(左)
04年、神戸新聞杯を制したキングカメハメハ(左)