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元ファイターズガール滝谷美夢さん中継ゲストリポーター ジャンプ体験促されるも「絶対に無理」

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元ファイターズガール滝谷美夢さん中継ゲストリポーター ジャンプ体験促されるも「絶対に無理」

ランディングバーン横で選手のジャンプを見る元ファイターズガールの滝谷さん(撮影・黒川智章)

<ノルディックスキー・ジャンプ:HTB杯兼コンチネンタル杯>◇20日◇札幌市大倉山ジャンプ競技場(ヒルサイズ=HS137メートル)◇男子ラージヒル

日本ハムの球団公式チアリーダー「ファイターズガール」の元メンバー滝谷美夢さん(25)が、“ゲレンデ”を彩った。20日、札幌・大倉山ジャンプ競技場で行われた、HTB杯のテレビ中継ゲストリポーターを務めた。

120メートル付近のランディングバーン横からリポートしたが、中継内では事前にスタート地点付近にある展望台を訪れた姿も紹介された。解説者の98年長野五輪団体金メダリスト岡部孝信氏(52=雪印メグミルク監督)から、ジャンプを実際に体験してみてはと促されると「飛べないです! 絶対に無理」と苦笑い。序盤は雪がちらつき、氷点下の気温ながら、最後まで笑顔を絶やさずに中継を盛り上げ、「大迫力でしたし、感動しました」と振り返っていた。

ランディングバーン横で声援をおくる元ファイターズガールの滝谷さん(撮影・黒川智章)
ランディングバーン横で選手のジャンプを見る元ファイターズガールの滝谷さん(撮影・黒川智章)
ランディングバーン横で選手のジャンプを見る元ファイターズガールの滝谷さん(撮影・黒川智章)
ランディングバーン横で選手のジャンプを見る元ファイターズガールの滝谷さん(撮影・黒川智章)

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元ファイターズガール滝谷美夢さん雪山で「きつねダンス」披露 ゲレンデで初体験「最初で最後」

ランディングバーン横で声援をおくる元ファイターズガールの滝谷さん(撮影・黒川智章)

<ノルディックスキー・ジャンプ:HTB杯兼コンチネンタル杯>◇20日◇札幌市大倉山ジャンプ競技場(ヒルサイズ=HS137メートル)◇男子ラージヒル

日本ハムの球団公式チアリーダー「ファイターズガール」の元メンバー滝谷美夢さん(25)が、“ゲレンデ”で初体験した。20日、札幌・大倉山ジャンプ競技場で行われた、HTB杯のテレビ中継ゲストリポーターを務めた。

中継内ではファイターズガール時代に大流行となった「きつねダンス」を雪上で披露。「雪山で踊るのは最初で最後だと思う」と笑いながらも、キュートなダンスを見せていた。

大会にはW杯個人通算569試合出場の51歳、葛西紀明(土屋ホーム)も出場。日本勢トップの9位だった。120メートル付近のランディングバーン横で、実際にジャンプを見ていた滝谷さんは「レジェンドのオーラを間近で感じました」と感激していた。

ランディングバーン横で選手のジャンプを見る元ファイターズガールの滝谷さん(撮影・黒川智章)
ランディングバーン横で選手のジャンプを見る元ファイターズガールの滝谷さん(撮影・黒川智章)
ランディングバーン横で選手のジャンプを見る元ファイターズガールの滝谷さん(撮影・黒川智章)
ランディングバーン横で選手のジャンプを見る元ファイターズガールの滝谷さん(撮影・黒川智章)
日本勢最高の9位に入り笑顔の葛西(撮影・黒川智章)
1回目、118メートルを飛ぶ葛西(撮影・黒川智章)
1回目、118メートルを飛ぶ葛西(撮影・黒川智章)

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米ツアー本格参戦の稲見萌音「最後の方はエネルギー切れしちゃった」後半崩れる

<米女子ゴルフ:ヒルトングランドバケーションズ・チャンピオンズ>◇18日◇フロリダ州オーランド、レークノナ・クラブ(パー72)

今季開幕戦の第1ラウンドが行われ、米ツアーに本格参戦した稲見萌寧は1バーディー、2ボギー、1ダブルボギーの75で32位と出遅れた。

今季から米ツアーに本格参戦した稲見は「どきどき感があった。新鮮な感じ」と心地よい緊張感の中で10番からスタートした。ショットは好調だったが、7番でダブルボギーをたたくなど後半に崩れ「最後の方はエネルギー切れしちゃった」と苦笑いした。プレー中には運営スタッフと気軽に写真撮影に応じる場面もあった。32位と出遅れたが、ホールアウト後は充実感に満ちた表情だった。「スタートダッシュはうまくいかなかったけれど、どんどん上にいけるようにしたい」と巻き返しを期した。

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張本智和、戸上隼輔ともに8強入り 卓球世界ツアーのコンテンダー・ドーハ

張本智和(2023年7月23日撮影)

<卓球世界ツアー:コンテンダー・ドーハ>◇18日◇ドーハ

男子シングルス2回戦で、張本智和(智和企画)、戸上隼輔(明大)がともに勝って準々決勝に進んだ。(共同)

23年11月、気迫のプレーを見せる戸上

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【フェンシング】江村美咲、ディオールコーデで華やかに 五輪金へ「死ぬ気で相手に食らい付く」

日本スポーツ賞競技団体別のフェンシング最優秀賞を受賞した江村は笑顔で手を振る(撮影・浅見桂子)

フェンシング女子サーブルの江村美咲(25=立飛ホールディングス)が18日、1年間で活躍したスポーツ選手、団体を表彰する「日本スポーツ賞」の「競技団体別最優秀賞」に輝いた。

「ベスト・ヘア2023」を受賞したトレードマークの金髪が映える、ディオールからの提供という黒衣装で登場。昨年に続く選出に「今年もいただけてうれしい。ますます頑張ろうと思います」と、声を弾ませた。

「自分に期待やプレッシャーをかけて挑んだ1年」という昨年は、世界選手権で2連覇を達成。「大事な場面でプレッシャーに打ち勝つことができて、自信につながった。成長できた1年だった」と、充実の年を振り返った。

日本勢初となるパリ五輪での金メダルへ、心技体をさらに磨き上げる。「まだまだ未熟なところがある」とし、メンタル面の強化へ「死ぬ気で相手に食らい付いていくような試合をしていきたい」と、思いを込めた。昨年悩まされた左足甲の痛みについては「かなり落ち着いてきて、すごくいい状態」と、笑顔で万全を強調。「女子もサーブルもメダルがないので、その両方を自分が」と、頂点へ目を光らせていた。

日本スポーツ賞競技団体別のフェンシング最優秀賞を受賞した江村は笑顔(撮影・浅見桂子)
日本スポーツ賞競技団体別のフェンシング最優秀賞を受賞した江村は笑顔(撮影・浅見桂子)
日本スポーツ賞競技団体別のフェンシング最優秀賞を受賞した江村は笑顔(撮影・浅見桂子)

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コラム

OGGIのOh! Olympic

技の進化に警鐘鳴らす声も ショーン・ホワイトから王座を継承した平野歩夢の新たな役割

スノーボード男子ハーフパイプ決勝の2本目でエアを決める平野歩夢(ロイター)

平野歩夢の金メダルには、震えた。2回目が終わって2位。「もしかしたら、勝たせないつもりかな」とも思った。トリプルコーク1440は成功させたことはすごいが、ジェームズの2回目もすごかった。ジャッジへのアピールでは平野歩夢以上だったかもしれない。

トリプルコーク1440は確かに超大技だ。軸を斜めにしながら回転(縦に1回転しながら横に1回転)するコーク技を3回、前後に180度ずつ回り計1440(4回転)。前回の平昌五輪では平野歩夢とホワイトがダブルコーク1440の連続技で金メダルを争ったが、今は多くの選手が楽々とこなしている。

技の進化はすさまじい。初めてHPが採用された98年長野五輪ではマックツイスト(横1回転半の間に体を前転させる)が注目された。その後、大会ごとに1回転ずつ増えているような感覚だ。平野歩夢自身も「トリックがすごいことになっている」と話していた。

もっとも、大会ごとに大型化するパイプの形状によるところも大きい。今大会はこれまで最大級とされていた半径7メートルを超えるパイプ。長野大会時の倍だ。コースが大きくなれば、大きな技ができるようになる。

もっとも、技が大きくなれば危険度は増す。冗談ではなく選手は「死も覚悟する」という。パイプの底まで7メートル、パイプの上部から6メートルも飛び上がる。底からならビルの5階ぐらい。固められた固い雪に体を打ち付けての大けがも多い。

スノーボードなどエクストリームスポーツは、もともと隣り合わせの危険を楽しむ部分ある。ただし、五輪は別。Xゲームにはない年齢制限が、五輪はある。年齢制限を設けなかったスケートボードで13歳の金メダリストが誕生したが、いずれは制限されるだろう。

さらに、スノーボード界には技の進化に警鐘を鳴らす声もある。ジャッジの採点は「全体の印象」。技の難度だけでなく、安定感や独創性などさまざまな要素が含まれる。歌舞伎の「見得」のようにスタイリッシュに「決める」ことも必要。回転数だけで勝負が決まることは競技の本質ではない。

さらにパイプが大きくなれば、ビッグエアで見られるような5回転技も出てくるだろう。ただ、それがHPで受け入れられるかは疑問。回転数だけを求めてはスノボの「カルチャー」さえ壊しかねない。今後のHPがどこを目指すのか、ホワイトから王座を継承した平野歩夢の新たな役割でもある。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム 「OGGIのOh! Olympic」)

男子ハーフパイプの競技を終え、ショーン・ホワイト(右)と笑顔で話す平野歩(AP)
OGGIのOh! Olympic

「ゴン攻め」流行語ノミネート 多様性テーマの五輪、受け入れた社会の変容

スケートボードの瀬尻稜(2015年9月28日撮影)

「ゴン攻め」「ビッタビタ」が、再び注目された。4日に発表された新語・流行語大賞ノミネート30語に入ったからだ。東京オリンピック(五輪)スケートボードのテレビ解説で、プロスケーターの瀬尻稜が放った言葉だ。

「カエル愛」「エペジーーン」…。東京五輪・パラリンピック関連は実に9個も選ばれた。五輪の年に関連の言葉が入るのは恒例だが、今回は全体の3分の1と圧倒的に多かった。

30語の中にはあまり一般的ではなく「新語」や「流行語」としては首をかしげたくなる言葉もあったように思う。新型コロナ関連の言葉は昨年多く出たし、経済が止まり、社会が停滞した。言葉も「不作」の年だったのかもしれない。

そんな中で「ゴン攻め」は広く知られた言葉といえる。瀬尻は「いつもの話し方で出た言葉がノミネートされて驚いている」とコメントした。「いつもの話し方」が、スケボーの世界を出れば「新語」になる。

「スケボー語」は多い。五輪採用が決まった直後、大会を見に行った。会場案内には「駅からプッシュ20分」とあった。「プッシュ?」。一方の足で地面を蹴りながらボードで進むことだが、それだけ書かれていても分からなかった。

子どもたちの会話にもついていけなかった。トリック名はもちろんだが「ぐにゃった」とか「まくった」とか意味不明。後から意味を聞き、会話についていくのがやっとだった。

挨拶も同じ。取材対象と会った時に握手をすることはよくあるが、スケボーのあいさつは独特。ハイタッチとグータッチを組み合わせた複雑なものを、子どもから大人までやる。それができないと「仲間」として認められてもらえない。

考え方から言葉、動作まで、すべてがスケボーの文化なのだ。スケボーだけではなく、サーフィンやBMXフリースタイルも同じ。これらのスポーツは、特に独自の「カルチャー」を大切にしてきた。

もちろん、すべてのスポーツに独自の文化があり、言葉がある。柔道では「練習」とはいわず「稽古」。年長者は「先輩」で、指導者は「先生」だ。クラブ育ちの多い競泳やサッカーでは年長者にも「クン」付けが多い。

ただ、競技がメジャーであれば一般的にも広く受け入れられる。スケボーは隔離された世界から五輪によって突然社会に放り出された。だから、社会にとってはその文化が特殊だし、言葉が「新語」になる。

スケボーやサーフィンは五輪採用に際して「我々のカルチャーは守る」としてきた。その1つが言葉だとしたら「ゴン攻め」は、そのカルチャーが一般に受け入れられた証拠なのだ。

東京大会は「多様性」がテーマだった。もし受け取る社会に多様性がなく、寛容さもなかったら「意味が分からない」「解説になっていない」と問題になったかもしれない。批判もされず、ポジティブに受け入れられたのは、社会の変容によるところも大きい。

以前、冬季五輪のスノーボード選手が服装で問題になった。「普段通り」の着こなしをしたのが、批判されたのだ。もちろん、今も選手団の制服で「腰パン」することがいいとは思わないが、もし今大会でスケボー選手が同じことをしていたら、どうだったか。「腰パン」自体がすたれたとはいえ、スノボと同じタイミングでスケボーが五輪入りしていれば、同じことが起こったかもしれない。

スケボーにとってはいいタイミングの五輪採用だった。もちろん、日本選手の活躍は大きいが、受け入れる大会や社会も変わってきている。新しいスポーツの「ゴン攻め」は、まだまだ続きそうだ。【荻島弘一】

(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)

OGGIのOh! Olympic

トライアスロン発祥は「ハワイ」 海兵隊員の酒席で「遊び」から「競技」へ

上田藍(2020年11月8日撮影)

「トライアスロンってのが宮古島であるから、取材してこい」。デスクに言われたのは、新人記者時代の1984年4月だった。聞いた事もない競技。「それ何ですか?」。恐る恐る聞くと「自分で調べろ」。ネットなどはなく、会社の資料室や図書館で分かったのは「3種目で争う耐久レース」くらい。不安を抱えたまま、宮古島に向かった。

第1回宮古島大会-。それが、初めてのトライアスロンとの出会いだった。物珍しさもあってNHKが全国中継したが、記者は地元紙くらい。東京からは数えるほどだった。もっとも、今ほどメジャーでない島はお祭り騒ぎ。観光での活性化へ期待は満ちていた。

スイム3キロ、バイク136キロ、ラン42・195キロ。五輪での競技(スイム1・5キロ、バイク40キロ、ラン10キロ)の4倍近い距離に、男女200人以上が挑んだ。8時間以上かけて初代王者に輝いたのは中山俊行(東京五輪強化対策チームリーダー)。新聞には「鉄人1号」の見出しが躍った。

「限界に挑戦したい」のは分かるが、これほど過酷な競技をしなくてもと正直思った。しかも、レース後は笑っている。制限時間15時間ギリギリにゴールした選手まで、息も絶え絶えに満面の笑み。自分で自分を追い込み、乗り越えたことを喜ぶ。「この人たち、絶対にMだな」。そんな思いは、今も変わらない。

新しいスポーツ。当時聞いた発祥は「ハワイ」だった。海兵隊員が酒席で「ワイキキ遠泳(3・8キロ)とオアフ島1周レース(180キロ)とホノルルマラソン(42・195キロ)のどれが1番過酷か」でもめたことが発端。「それなら、一度にやろう」というノリで、78年に第1回ハワイトライアスロン(アイアンマン)が行われたという。

実際には70年代初めから米カリフォルニア州で地元のサーファーやランナーを中心に大会をやっていたというが、いずれにしても最初は「遊び」だったに違いない。「競技」というよりも泳ぎ、こぎ、走ることを楽しみ、レース後みんなで健闘をたたえ合うお祭り。相手は常に自分自身だから「順位」よりも「完走」。今でも競技の理念は「完走者全員が勝者」にある。

もっとも、宮古島やハワイのような長距離では、商業的に難しい。何より五輪に採用されない。米国では総距離51・5キロの賞金レースが82年に始まり、日本でも85年10月に長崎・天草で初の51・5キロの大会が日本トライアスロン連盟会長だった長嶋茂雄氏の号砲でスタートした。宮古島のロングに続き、中山がショートでも初代王者に就いた。

「インターナショナルディスタンス」または「五輪ディスタンス」と呼ばれたこの距離で、トライアスロンは2000年シドニー大会から五輪入りする。その後は五輪の中核競技として発展、日本でも国体など各大会が「51・5キロ」で行われるようになった。

ただ、宮古島のような長距離種目も五輪とは別に盛んだ。ロングの世界選手権は94年から毎年開催されているし、ハワイのアイアンマンも毎年開催。国内外で多くのロングレースが行われる。五輪を目指して形を変え、スピード化したが、もともとは自身の限界に挑む耐久レース。根底に流れる競技マインドは、ロングにあるのかもしれない。

22日の日本選手権で五輪挑戦にピリオドを打った女子のエース上田藍(37)は、今後ロングディスタンスにも挑戦するという。「未経験だけらこそ、楽しみです」と挑戦する喜びを口にした。五輪の舞台でトライアスロンの素晴らしさを多くの人に伝えてきた上田が、今度は競技のルーツでもあるロングで魅力を伝えてくれるはずだ。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)

中川真依のダイビング

選手も驚く!トーマス・デーリーの「いつも通り」編み物姿/中川真依

演技の合間にプールサイドで編み物をするデーリー(右)

東京オリンピックが閉幕し、また新たにたくさんの歴史が刻まれた。

飛び込み競技でも、玉井陸斗選手が7位入賞という素晴らしい結果を残してくれた。10m個人種目での日本男子の入賞は21年ぶり。これからの飛び込み界を引っ張ってくれるスターが誕生した瞬間だった。

特に決勝では「これぞオリンピック」というハイレベルな戦いが繰り広げられた。しかしそんな中でも、彼はトップ選手に引けを取らない堂々とした演技を披露。弱冠14歳にして、世界中の人の心にその名を知らしめた。

オリンピックでは、まだ1度もメダルを獲得していない日本の飛び込み界。3年後のパリでは悲願のメダルも夢ではないと、期待が膨らんだ。

飛び込み競技は、女子は5本、男子は6本の異なる演技を順番に飛び、その合計点数で競う採点競技。そのため予選では2~3時間という長丁場になることも珍しくない。その時間をどのように過ごすかは選手の自由だ。

今回のオリンピックでは、男子10mシンクロで金メダル、10m個人でも銅メダルを獲得した英国のトーマス・デーリーの過ごし方に注目が集まった。大半の選手が、音楽を聴いたり、座ってリラックスした状態で過ごす中、なんとデーリーは編み物をしていたのだ。ネットやSNSでは、その愛らしい姿や編み物のクオリティーに、大きな反響が寄せられた。

オリンピックという大舞台。4度目の出場である彼にとってはもう慣れた場かもしれないが、その余裕ある姿に、オリンピックを経験している誰もがうらやましさすら感じたのではないだろうか。

正直、私にはその余裕が無かった。オリンピックはもちろん、オリンピック出場のかかった大会でさえ、足が震える始末。その時に毎回「いつも通り」ということの難しさを感じていた。

彼は、観客席から応援するときにも、合間に編み物をする姿がテレビに映っていた。きっと彼にとっては、その姿が「いつも通り」なのだろう。

私にもそういった発想があれば、もう少し余裕を持って世界と向き合えたのではないかと今更ながらに感じている。

今回は、世の中の状況的にも、耳に入ってくるのは温かい応援の言葉ばかりではなかった。ただでさえ大きなプレッシャーのかかるオリンピック。選手は行き場のない感情や、今までにないストレスに、心が折れかけた日々もあったはずだ。

そういったことも乗り越え、大会当日を迎えた選手たち。競技を終えた後の安堵(あんど)の表情や、あふれ出す涙を見て、ここにたどり着くまでの努力や、大きなプレッシャーに耐えてきた背景を感じずにはいられなかった。そして、お互いをたたえ合う姿。スポーツを通して、人間の限界を超える戦いの美しさは、涙なしでは見られなかった。

私もこういう中で戦ってきたのだと、誇らしい気持ちを感じたと共に、この感動こそがスポーツの素晴らしさなのだろうと思った。

私も何度も人から言われたり、自分にも言い聞かせてきたことだが、オリンピックの舞台で戦うこと自体が、本当にすごいこと。メダルを獲得した選手だけではなく、出場したすべての選手が胸を張り、これからの人生を歩んでいってほしいと願っている。

そして、今大会を開催するにあたり、大会関係者の方々や多くのボランティアの方々のご協力があってこそだと、本当に感謝の気持ちでいっぱいである。このような状況下にもかかわらず、いつも笑顔で温かな声援を送り続けてくれる姿に、どれだけのアスリートが救われただろうか。

スポーツは「する側、観る側、支える側」がそろって初めて成り立つものだということを、改めて感じた大会だった。

まもなく、パラリンピックが開幕する。選手にとって、応援の力は想像以上に大きなものとなって心を支えてくれる。引き続き、温かな声援を送り、選手の活躍に期待したい。

(中川真依=北京、ロンドン五輪飛び込み代表)

ピッチマーク

堀琴音、奈津佳姉妹は互いの存在が励み いつか見たい、頂点争う2人の共演

東京オリンピックは取材しなかったけど、取材したことのある選手は特に気になった。ボクシング男子フライ級銅メダルの田中亮明。判定負けした準決勝もグッと来た。サウスポーから前に出た。仕掛けた。3分×3ラウンド、ポイントの比重が高い短期決戦のアマチュアで、熱く前のめりなファイトだった。

地元の岐阜県多治見市の市役所では弟が、テレビ応援していた。元世界3階級覇者のプロボクサー田中恒成。「1回戦から“倒すボクシング”をすると言っていて、その気持ちが大振りにつながったかもしれない。でも、その気持ちだから、ここまで来れた。1回戦からの試合、全部良かったです」と話していた。

19年8月5日、名古屋市の畑中ジムで“兄弟スパーリング”を取材した。兄は東京五輪予選となる11月全日本選手権に向けて。WBOフライ級王者だった弟はサウスポー相手のV2戦に向けて。

「選択肢にプロはなかった。五輪だった。金メダルをというより、アマチュアボクシングが好きなんで」という兄は、弟を「有言実行で世界王者になって、3階級制覇して、5階級制覇を狙ってる。なかなかできることじゃない。度胸がある。勝負事に向いてる」と評した。

「五輪かプロかは高2まで迷ったけど“4年に1度”が待てなかった」という弟は、兄を「ボクシングに取り組む姿勢。1番遠回りの道を歩んで、挑戦し続ける。本当に逃げずに。マネできない。尊敬できます」と評した。

2人を空手から育て、弟のトレーナーを務める父斉(ひとし)さんにスパーの印象を聞いた。「スパーはう~ん…2年ぶりかな」。言葉は素っ気なかったが、うれしそうだった。

果たして2人は「五輪メダリストの兄」と「世界王者の弟」という、とんでもない兄弟になった。

さてコラムの趣旨から思いっきりそれたが、ここからゴルフの話だ。

7月末、有観客開催の楽天スーパー・レディース会場で、2週前のニッポンハム・レディースでツアー初優勝を飾った堀琴音の母貴久恵さんに会った。

「琴音ちゃん、良かったですね」。「ほんまにおかげさまで」。「なっちゃん(姉の堀奈津佳)も喜んでましたなあ」。「ねえ。“あんた、ほんまにわざわざ戻って来んでええから。練習しとき”て言うたんですよ。そやのに“いや、行く。絶対行く”言うて」-。姉は予選落ちし、開催地・北海道から東京に戻った翌日朝、飛行機で舞い戻り、妹の優勝を見届けた。

3歳違いの姉妹。姉奈津佳は13年にツアー2勝、14年もシードを守ったが、15年に落とした。妹琴音は15年に賞金ランク33位で初シード、16年は同11位、18年にシード落ちした。活躍した時期がズレたまま、ともにスランプに陥った。

18年4月、スタジオアリス女子オープン第2日、堀奈津佳は2年9カ月ぶりの予選通過を決めた。彼女は自分の近況を話しながら、妹に話が及ぶと「琴音の(ツアー)初優勝は絶対に見ます」と言った。貴久恵さんによると姉は過去2度、妹のチャンスにコースまで足を運んだ。三度目の正直だった。

3番、一緒に練習ラウンドする堀奈津佳(左)と堀琴音の姉妹(撮影・柴田隆二)

ツアー優勝を姉妹で成し遂げたのは88年のツアー制施行後、福嶋晃子・浩子に次ぐ2組目になった。互いの存在が励み、刺激になる。堀姉妹の場合、完全復活したと言っていい妹に比べ、姉は20-21年シーズンで出場7試合中、予選通過は1度しかない。まだまだ道は険しいが、楽しみにしていたい。いつか姉妹が優勝争いを繰り広げる風景を。【加藤裕一】(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)

プレーオフを制して初優勝を決めた堀(右)は、会場に駆けつけた姉の奈津佳と笑顔で記念撮影する(撮影・浅見桂子)