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素根輝が2連覇 同階級世界女王の朝比奈沙羅下す

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素根輝が2連覇 同階級世界女王の朝比奈沙羅下す

連覇を達成した素根はメダルを手に笑顔を見せる(撮影・鈴木みどり)

<柔道:世界選手権代表最終選考会兼全日本女子選手権>◇21日◇横浜文化体育館

女子78キロ超級アジア女王の素根輝(18=環太平洋大)が決勝で、同階級世界女王の朝比奈沙羅(22=パーク24)を下し、2連覇を達成した。

素根は朝比奈に対して5連勝となった。

朝比奈(右)を攻める素根(撮影・鈴木みどり)
優勝した素根(手前)の表彰を浮かない表情で見る朝比奈(撮影・鈴木みどり)

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富士通・山本HC初陣飾る「ゼロから出発」アメフト

富士通RBデレク・ウイリアムスのラン

<アメリカンフットボール:パールボウルトーナメント1次リーグAブロック:富士通51-0富士ゼロックス>◇21日◇富士通スタジアム川崎

4年連続日本一を目指す富士通が、新体制で白星発進した。

昨季まで14年間率いた藤田ヘッドコーチ(HC)に代わって山本HCが就任。

RB高口の44ヤード独走を皮切りにランで2、パスで4TDに1FG。守備でもDBアディヤミが63ヤードのインターセプトリターンTDをマーク。富士ゼロックスを51-0で下した。

昨季はRBに転向して大活躍のニクソンこそ米国帰国中で欠場も、エースQBバードソンは先発した。若手にチャンスを与えるところだが、山本HCは「昨季は夏からの参加。まだフィットしていない部分もあり、春からしっかりやらせる」と説明した。

2年間米サンディエゴ州立大にコーチ留学していた。帰国2、3年後にHCになるつもりだったが、昨年12月にHC就任が決まり、1月に帰国した。

「自分が先頭に立ってハードワークすることで、チームも動かしていきたい」。その信条通りに「ゼロからの出発だが、やるからにはしっかり勝つ。秋に向けてもっと高いレベルへ、総合力を上げていきたい」とも話した。

今年は強豪大のエース級を中心に、新人も10人が加わった。昨年入社もメンバー外だった選手もおり、現在の選手数は75人。「新人全員に期待し、チャンスを与えていきたい。やるべきことはできていた」。後半は積極的に起用し、法大出身のWR高津佐がTDパスなどで応えた。65人の登録メンバー争いを過熱させ、まずは9年ぶりの春の優勝を狙う。

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世界選手権で12位以内/玉井陸斗の東京五輪への道

男子高飛び込みで優勝した中1の玉井陸斗(撮影・益田一弘)

<飛び込み:日本室内選手権兼世界選手権代表選考会>◇21日◇最終日◇東京辰巳国際水泳場◇男子高飛び込みほか

東京五輪の超新星だ。男子高飛び込みで、中学1年生の玉井陸斗(12=JSS宝塚)が474・25点で初優勝した。回転の速さを武器に、高難度の技を連発。2位に60点以上の大差をつけシニアデビューV。日本水連によると12歳7カ月での優勝は、94年に13歳、中学2年生で日本選手権を制した寺内健(38)を上回る史上最年少。世界選手権(7月、韓国)は国際水連の年齢制限ルールで出場できないが、来年の東京五輪は出場可能。飛び込み界に驚異の12歳が誕生した。

◆玉井の東京五輪への道 日本水連は(1)世界選手権で12位以内(2)9月のアジアカップ(マレーシア)で優勝(3)20年4月のW杯東京大会で18位以内、を五輪代表選考の基準としている。玉井は12歳で迎える(1)は国際水連の年齢制限ルールのために出場できない。ただし(2)は日本代表入りが確実で出場可能。そこで優勝を逃しても、20年2月の日本代表選考会を勝ち抜いて(3)で18位以内に入れば東京五輪に出場できる。

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3歳の時にJSS宝塚で競泳を始める/玉井陸斗略歴

男子高飛び込みで優勝した中1の玉井陸斗(中)(撮影・益田一弘)

<飛び込み:日本室内選手権兼世界選手権代表選考会>◇21日◇最終日◇東京辰巳国際水泳場◇男子高飛び込みほか

東京五輪の超新星だ。男子高飛び込みで、中学1年生の玉井陸斗(12=JSS宝塚)が474・25点で初優勝した。回転の速さを武器に、高難度の技を連発。2位に60点以上の大差をつけシニアデビューV。日本水連によると12歳7カ月での優勝は、94年に13歳、中学2年生で日本選手権を制した寺内健(38)を上回る史上最年少。世界選手権(7月、韓国)は国際水連の年齢制限ルールで出場できないが、来年の東京五輪は出場可能。飛び込み界に驚異の12歳が誕生した。

◆玉井陸斗(たまい・りくと)2006年(平18)9月11日、兵庫県宝塚市生まれ。3歳の時にJSS宝塚で競泳を始める。小1の時に飛び込みを始め、小5から寺内らとともに練習する。今年4月に宝塚市立高司中学校に入学。好きな食べ物は焼き肉(牛タン)。143センチ、36キロ。

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玉井陸斗「夢は五輪でメダル」飛び込みで最年少V

男子高飛び込みで優勝した中1の玉井陸斗(中央)。右は馬渕コーチ、左はチームメートの寺内健(撮影・益田一弘)

<飛び込み:日本室内選手権兼世界選手権代表選考会>◇21日◇最終日◇東京辰巳国際水泳場◇男子高飛び込みほか

東京五輪の超新星だ。男子高飛び込みで、中学1年生の玉井陸斗(12=JSS宝塚)が、474・25点でシニアデビューVを飾った。回転の速さを武器に、高難度の技を連発。2位に60点以上の大差をつけた。日本水連によると、12歳7カ月での優勝は、94年に中2で日本選手権を制した寺内健(38)を上回る史上最年少。世界選手権(7月、韓国)は国際水連の年齢制限ルールで出場できないが、来年の東京五輪は出場可能。飛び込み界に驚異の12歳が誕生した。

   ◇   ◇   ◇

末恐ろしい12歳だ。4月に中学生になったばかりの玉井が、最後の6本目に出場選手中で最高の91・80点で最年少V。しかも日本水連が定める国際主要大会8位がめどの463点を上回った。17年世界選手権では、7位相当の474・25点に「めちゃくちゃうれしい。優勝を狙っていました」とうれし涙を流した。

世界レベルの種目構成だ。前宙返り4回転半抱え型(109C)など、高難度の技を6本そろえる。143センチ、36キロの身軽さもあり、回転スピードと正確な入水が武器だ。同じJSS宝塚で練習する五輪5大会出場の寺内も「(世界最強の)中国人選手を倒せる。同年代でこの難度を、このクオリティーでできる選手は世界にいない。初めて高跳びで世界チャンピオンを目指せる選手」と太鼓判を押した。

兵庫県宝塚市生まれ。3歳の時にJSS宝塚で競泳を始めた。小1で飛び込み教室を体験してはまった。「ノースプラッシュ、しぶきが立たない技ができると快感」。13年世界選手権代表の辰巳楓佳コーチの指導で成長し、小5から板橋、寺内らと同じ馬淵崇英コーチに師事。昨年5月から高飛び込みに本格的にトライ。「109Cが入った時に日本一になれるんじゃないか、と思った」。わずか1年で日本一になって、辰巳コーチは「109Cは最初から形になっていた。ロケットのような成長速度」とうなる。

年齢制限で世界選手権には出場できないが、東京五輪は出場可能。「夢は五輪でメダルをとることです」。五輪開催が決定した13年9月8日はまた6歳で「記憶にないです」。東京五輪は13歳10カ月で迎える。前回リオ五輪は15歳の競泳、酒井夏海が日本選手団最年少だった。まだ声変わりしていない12歳が飛び出してくれば、東京五輪の日本選手団最年少選手になる可能性がある。【益田一弘】

男子高飛び込みで優勝した中1の玉井陸斗(撮影・益田一弘)

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コラム

ラグビーW杯がやってくる

同大「楽苦美」代表に脈々と流れる岡・平尾イズム

85年1月、大学選手権決勝の同大-慶大戦で先制トライを挙げる同大の平尾誠二

<大学と日本代表(5)>

大学ラグビーに焦点を当てるシリーズ最終回は、同大。1982年度から大学選手権3連覇を果たしている。「自由奔放」なラグビーを作り上げ「自主性」を重んじたのが岡仁詩部長(享年77)であり、その中心選手だった平尾誠二(享年53)が、日本代表にそれを伝承した。前回ワールドカップ(W杯)の南ア戦の劇的トライこそが、岡・平尾イズムの象徴であった。

      ◇       ◇

同大ラグビー部は、1980年度に大学選手権で初優勝し、1年おいて82年度から前人未到の3連覇を果たした。

京都市左京区の比叡山を仰ぐ岩倉グラウンド。試合を前に、先発を選ぶABマッチ(1本目対2本目)は、味方同士が壮絶な戦いを繰り広げ、けが人が続出する激しいものだった。そんな全体練習が2時間ほどで終わり、あとは自主練習が比叡おろしでシンシンと冷えるグラウンドで、真っ暗になるまで続いた。大八木がベンチプレスで筋トレをし、平尾らプレースキッカーは、何度も角度を変えながらゴールめがけて蹴り上げる。ラインアウトのスロワーは、バスケットリングに投げ入れる練習をして正確なスローを磨いた。

「やらされる練習より、自分たちで考える練習が身につく」と言っていたのが、岡部長だった。岡さんはヘッドコーチでも監督でもなく、肩書は「部長」。日本代表監督の経験もあり、今では当たり前のようにやるショートラインアウトを考案したといわれている独創的で先進的な人だった。

そんな岡部長が常々言っていた。「私はせいぜいハーフタイムにアドバイスを送るだけで、試合中には何もできないからキャプテンを中心に自分たちで考え、自由にやらせるんだ。だから監督でもヘッドコーチでもなく部長でいいんだ」。

その岡部長の持論を忠実に体現したのが、平尾だった。3連覇の間、SOやCTBで縦横無尽に走り回った。意表を突くキックパス、突然のドロップゴール、パスとみせかけ自分で走る。飛ばしパスなど、型にとらわれない、見ていて楽しいラグビーをやった。のちに平尾は99年の第4回W杯で代表監督になるが、マコーミックを初の外国出身の主将に任命するなど、旧態依然の考えを捨てた、柔軟で先進的な指導者だった。これは恩師の岡部長からの教えであり、平尾が同大から神戸製鋼での現役時代に培っていったものだ。

自分たちの考えでプレーする意識も、平尾が代表監督時代から伝承してきた。W杯南ア戦の歴史的勝利はPGを狙わずリーチ主将を中心に考えた末、スクラムを選択、逆転トライに結びつけた。これこそ、フィールド内の自主性を持つ15人によるマネジメントだった。

現代表に同大出身者はいない。それでも脈々と岡・平尾イズムは流れている。そういえば、岡さんは色紙にこう書いた。「楽苦美」。楽しくて、苦しくて、美しい。そんなラグビーを、W杯の大舞台で日本代表もきっと見せてくれるはずだ。【町野直人】

◆同大ラグビー部 1911年創部、慶応義塾、京都三高に次ぐ、日本で3番目の歴史を持つラグビーチーム。61年度に日本選手権の前身であるNHK杯で初の日本一になり、63年度の第1回日本選手権で近鉄を破り、2度目の日本一に輝いた。関西協会会長の「空飛ぶウイング」坂田好弘氏や「ミスターラグビー」といわれた故平尾誠二氏ら数多くの日本代表選手を輩出している、関東の早慶明とともに、関西の雄といわれる大学ラグビーの伝統校。

◆W杯の日本代表に選出された同大出身選手 木村敏隆、広瀬務、大八木淳史、林敏之、宮本勝文、萩本光威、平尾誠二、松尾勝博、細川隆弘、弘津英司、中村直人、中道紀和、平尾剛史、大西将太郎、平浩二、宇薄岳央。

83年1月、日本選手権の新日鉄釜石-同大戦を見つめる同大・岡仁詩部長
ラグビーW杯がやってくる

才能を凌駕する努力 京産大は比叡山で心も鍛える

04年10月、同大戦で京産大SH田中史朗は2トライと大活躍を見せる

<大学と日本代表(4)>

大学ラグビーに焦点を当てるシリーズの第4回は京産大。大学選手権でいまだ優勝経験のない同校は、たたき上げの精神で多くのワールドカップ(W杯)メンバーを輩出した。プロップ田倉政憲、ロック伊藤鐘史(ともに現京産大コーチ)、CTB吉田明、SO広瀬佳司、WTB大畑大介らに加え、現代表候補にもSH田中史朗、プロップ山下裕史がいる。大西健監督(69)の信念は「努力は才能を凌駕(りょうが)する」。そのルーツに迫る。

  ◇   ◇   ◇  

84年秋、京都の吉祥院球技場で京産大の大西監督は高校の試合を眺めていた。その年の関西リーグは同大、天理大に続く3位。有名選手は関東の早慶明、関西なら名門の同大に流れる。選手探しに、どんな試合でも足を運んだ。公立の東宇治高は、次々とトライを浴びていた。だが点差が広がっても、1人だけ諦めずに走り、転んでは起き、起きてはタックルに入る選手がいた。後に日本代表として91、95年と2度のW杯に出場する田倉政憲だった。

35年が過ぎた今でも大西監督は鮮明に覚えている。

「(強豪の)伏見工とやったら100点差で負けるような高校にバンバン、タックルにいく生徒がおったんです。まだ体は小さいし、普通の選手。でも、その姿を見て、声をかけた」

入学するとプロップではサイズが足りず、当初はフッカーだった。連日、嘔吐(おうと)しながら、2時間もスクラムを組んだ。田倉が2年になると、大西監督はあえて、気が強いことで有名だった笹木栄を対面にしてスクラムを組ませた。笹木は定位置を譲りたくない一心で、組む瞬間に田倉に頭突きを食らわせた。2日連続で救急車で運ばれた。それでも練習を休むことはなかった。

95年から3大会連続でW杯に出場したSO広瀬は、大阪の公立校である島本高の出身。毎朝6時に始まる練習の1時間前から1人で走り込み、夜の練習後にはキックを100本蹴った。日本代表でスターになったWTB大畑は、東海大仰星高時代は高校日本代表の控え。京産大に拾われた選手の1人で、厳しい走り込みで才能が開花した。

心を鍛えることも取り入れ、今でも比叡山の明王堂に大阿闍梨(あじゃり)を訪ねる。夜2時に修行として獣道を30キロ歩く。真っ暗闇で、すぐ横は崖。部員同士が手を離せば転落する。広瀬、大畑らと同じ時期を過ごした加藤剛OB会長(44)は「特にFWの選手は、泣きながら練習をしていた。体力、肉体的な部分だけでなく、心も強くしてもらった」と明かす。

89年春に京産大を巣立った田倉は、三菱自動車京都へ進んだ。当時、日本代表を率いた宿沢広朗監督(享年55)は、田倉を抜てきする。同年5月28日。東京・秩父宮で行われたスコットランド戦が、桜のジャージーを着た初の試合になった。5年前に見た時と同じように、田倉は倒れては起き、起きてはタックルを繰り返した。ただあの頃より体は大きく、スクラムは見違えるほど強くなっていた。

日本は28-24で金星を挙げ、2年後のW杯ではジンバブエから初勝利を飾る。大西監督は「田倉のスクラムとタックルで、日本は強くなった」と振り返る。

スコットランドを破った日、歓喜に沸く秩父宮で、宿沢監督と目が合った。

「先生、ありがとうございました。おかげで、勝つことができました」

その言葉を聞いた瞬間、大西監督の頬を涙が伝った。【益子浩一】

◆京産大ラグビー部 1964年(昭39)に同好会として発足。関西3部リーグに所属した73年に、天理大コーチだった大西監督が就任。3季目の75年に1部昇格を決める。関西リーグは90年に初制覇し優勝4回。全国大学選手権は、計7度進出した4強が最高成績。シーズン中は大西監督が身銭を切って、毎日選手にちゃんこ鍋を食べさせる「栄養合宿」が伝統。同監督は定年となる今季が、最後のシーズンになる。明大出身で神戸製鋼で活躍した元日本代表CTB元木由記雄がヘッドコーチを務める。

◆W杯の日本代表に選出された京産大出身選手 田倉政憲、前田達也、広瀬佳司、吉田明、大畑大介、田中史朗、山下裕史、伊藤鐘史。

17年、大学選手権準々決勝で明大に敗れ選手をねぎらう京産大の大西健監督(左から2人目)
ラグビーW杯がやってくる

早大、常に進化する「伝統」 原点回帰ではなく挑戦

09年1月、早大・中竹監督(右)は豊田主将と肩を組み「荒ぶる」を歌う

<大学と日本代表(3)>

大学ラグビーに焦点を当てるシリーズの第3回は、大学選手権で最多優勝15回を誇る早大。日本選手権では大学チームで唯一、複数回(4回)の優勝を経験するなど、大学ラグビー界をリードしてきた。堀越正己や五郎丸歩ら数多くの日本代表選手も輩出。強さの裏には、伝統を守りつつ、伝統にとらわれないチャレンジ精神があった。

  ◇   ◇   ◇  

えんじと黒のボーダーに黄金の稲穂。伝統のジャージーは、土でも芝生でも、はたまた雪の上でも鮮やかに映えた。長い年月をかけて、多くの人の記憶に刻み込まれた“赤黒”。18年に創部100周年を迎えた早大は、常に大学ラグビー界を引っ張り続け、堀越正己、増保輝則、五郎丸歩ら多くの日本代表選手を輩出してきた。

同時に多くの名指導者も輩出してきた。そのうちの1人が、06年から4シーズンに渡って指揮した中竹竜二氏(45)。学生時代は主将を経験し、監督になってからは関東対抗戦3度、大学選手権を2度の優勝へと導いた。「僕が現役の時から早稲田は雑草集団。数人の天才と大半の雑草。狂ったように練習したから勝てた」と語る。高校時代は無名だった選手の中に、能力の高い選手が入って刺激を与える。激しいポジション争いが早稲田を強くした。

1927年のオーストラリア遠征をきっかけに「揺さぶり」戦法が芽吹いた。50年代から80年代まで3度にわたって早大を指揮し、日本代表監督も務めた大西鉄之祐氏(故人)は「接近・展開・連続」の理論を完成させた。小柄な日本人が世界と戦うヒントにもなった。軽量FW・BK中心の展開ラグビーは「横の早稲田」と称され、強力FWを擁する「縦の明治」と比較されながら、名勝負を繰り広げた。

90年近く早大の代名詞となった戦術が早大を強くしたが、伝統の圧力に押しつぶされそうになる時もあった。「とにかく揺さぶりだけやっている時代もあった。昔からやっている伝統さえやれば勝てるみたいな」と中竹氏。勝利への手段が目的化してしまった時期もあったという。

伝統に縛られがちの早大を、中竹氏は解放に努めた。指揮官3年目から、当時の日本代表のコーチ陣をチーム練習に招請。時にはジョン・カーワンHCを呼び寄せるなど、2年間で約20回ほど日本代表から最先端の技術を学んだ。革新的な環境で育てた教え子のFB山中亮平、CTB村田大志、フッカーの有田隆平らが日本代表に名を連ねた。

伝統を作っては壊し、新しいことに挑戦してきた。原点回帰ではなく常に進化を求める文化は、早大だけでなく日本代表にも影響を与えてきたことは間違いない。【佐々木隆史】

◆早大ラグビー部 1918年(大7)11月7日に創部。優勝は関東大学対抗戦23度、大学選手権15度、日本選手権4度。87年対抗戦での明大との「雪の早明戦」は名勝負として今も語り継がれる。大学選手権優勝時などに歌う「荒ぶる」が現役生の目標。主なOBは元日本代表の堀越正己、五郎丸歩、現日本代表候補の布巻峻介(パナソニック)、山中亮平(神戸製鋼)ら。

◆W杯の日本代表に選出された早大出身選手 栗原誠治、吉野俊郎、堀越正己、増保輝則、今泉清、辻高志、佐々木隆道、青木佑輔、矢富勇毅、今村雄太、畠山健介、藤田慶和、五郎丸歩

81年12月、早大・大西監督はスタンドで観戦する
チアの木曜日

B-ROSE「横浜らしく」海や海賊テーマに気高く

チアリーディングやチアダンスのチーム、選手などを紹介する「チアの木曜日」。今週は、プロバスケットボールB1中地区に所属する横浜ビー・コルセアーズの公式チアリーディングチーム「B-ROSE(ビー・ローズ)」です。「横浜らしさ」を前面に打ち出したパフォーマンスでブースター(ファン)を魅了しています。

横浜ビー・コルセアーズチアリーダーズ「B-ROSE」(C)B-CORSAIRS

チームイメージは「Noble Beauty」(気品ある美しさ)。横浜市花の「バラ」のように、気高く華やかに試合会場を彩るのがチアリーディングチーム「B-ROSE」だ。

ハーフタイムで披露するパフォーマンスは、チアリーディングの枠を超えたエンターテインメントの世界。「横浜らしさ」をキーワードに、海や海賊をテーマにしたオリジナリティーあふれるパフォーマンスで、誰もが心から楽しめる空間を演出する。

試合中や試合間も、ブースターとともにチームを勝利へと導く熱い応援をし、会場はいつも熱気に満ちている。ブースターとのコミュニケーション、アイコンタクトなど立ち居振る舞いも、スタイリッシュで洗練されている。

創設当初からプロデューサー兼ディレクターを務める植村綾子さんは「B-ROSEは、横浜女性の憧れの存在であり、ロールモデルとして輝く存在であるようにと、パフォーマンス指導のみならず、立ち居振る舞い全てにおいて、徹底して指導をしています」と言う。試合活動以外にも、地域密着イベントやメディア出演、学校訪問などの数多くの地域貢献活動を行い、横浜市全体を盛り上げている。

12、13日のホーム最終戦(横浜文化体育館)でも、「B-ROSE」の13人全員が気高く凜(りん)としたバラとなり、ブースターとともに、勝利につながるパワーを送る。

◆横浜ビー・コルセアーズチアリーダーズ「B-ROSE」 2012年創設。チームのホーム試合(メインアリーナは横浜国際プール)に出演するほか、神奈川県内でイベント出演やボランティア活動などを行う。メンバーは現在13人。週に2回、約3時間の全体練習を横浜市内で行う。

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芳田司、同じ柔道着の強くてカワイイ最高の“相棒”

柔道女子57キロ級世界女王の芳田司(つかさ、23)が最強の相棒をゲット!? 2連覇を狙う19年世界選手権東京大会(8月25日開幕、日本武道館)に向け、今春から同じ所属のコマツに入社した48キロ級の妹・真(さな、18)を練習パートナーに付けて稽古に励んでいる。

代表合宿で姉妹で稽古する芳田司(右)と妹の真(撮影・峯岸佑樹)

当然だが、2人とも柔道着のゼッケンには「芳田」「コマツ」の文字が並び、背丈や髪形も似ているためか、その光景を見ると妙にホッコリする。5歳上の芳田は柔道と同じぐらい妹をかわいがっている。16日の都内での代表合宿では打ち込みの際、真へ身ぶり手ぶりを交えて助言。専属コーチに見えるぐらいの熱量で指導していた。

「自分のこともあるけど、気になることが多くて、ついつい言いたくなってしまう。教えることで初心や基本に戻れてなんだか新鮮な気持ち。妹のおかげで自分自身も成長出来ている」

稽古後、芳田は笑みを浮かべて、うれしそうにこう振り返った。

代表合宿で乱取りする芳田司(右)と妹の真(撮影・峯岸佑樹)

京都府出身の芳田は“柔道留学”のため中学から寮生活を送った。真とは小学生以来となる共同生活だ。年齢も離れ、これまで再会するのは互いの大会ぐらいだった。真が全日本柔道連盟の強化選手ばかり集う強豪のコマツに入社することになり「先輩後輩」の上下関係が生じることで「姉妹の関係性が崩れてしまう。どうしよう…」と危機感を抱いていた。しかし、真が覚悟を持って入社したことで、その不安は払拭(ふっしょく)されて、プラスの作用が働いているという。

10日前にもこんな出来事があった。世界女王であっても、国内のトップ8で争う7日の全日本選抜体重別選手権直前には「本当に私って強いのかな」と自問自答した。これまで、メンタル面の浮き沈みを課題としていたが、真が練習パートナーとなったことで、世界女王、そして姉としての自覚や責任感も増したという。

「モジモジしてられない。やっぱり、強くなる」

こう覚悟を決め、吹っ切れて勝負に挑んだ。決勝では苦手の玉置桃(24=三井住友海上)を破って3大会ぶりの優勝を飾り、世界選手権代表に選出された。

代表合宿後、妹の真について語る芳田司(撮影・峯岸佑樹)

一方、真も姉の背中を追うように急成長を遂げている。芳田が得意とする内股をモノマネで得意技にして、18年講道館杯優勝や同世界ジュニア選手権準優勝などの輝かしい実績を誇る。しかし、目指すべき目標は世界一で「お姉ちゃんのように世界の舞台で勝てる選手になりたい」と常に向上心を持ち続ける。

内に闘志を秘める姉と勝ち気な妹。タイプが異なる「凸凹姉妹」だが、互いに切磋琢磨(せっさたくま)することで大きな成長へとつなげている。もしかしたら、23歳の世界女王は20年東京五輪を見据えた上で、最高のタイミングで最強で最愛の相棒を手にしたのかもしれない。【峯岸佑樹】

18年講道館杯女子48キロ級決勝で妹・真の試合を祈るように見守る芳田司(左)(撮影・峯岸佑樹)