日刊スポーツ

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ビーチ転向の石島雄介、北京五輪の雪辱揺るがぬ決意

「RAIZIN CUP IN宮下パーク」に出場し、仲間のファインプレーに感情を爆発させる石島(撮影・平山連)

バレーボールの元オリンピック(五輪)代表選手で、ビーチバレーボールに転向して4年目を迎えた石島雄介(36=トヨタ自動車)が27日、2度目の五輪出場に向け、揺るぎない決意を語った。

08年北京五輪のバレーボールでは、1勝もできず予選敗退。「北京があったからこそ、僕は今ここで五輪を目指して戦っている。今度は出るだけじゃダメ。成績にこだわらないと」。自身初、日本ビーチ界初のメダル獲得へ意欲を見せる。

東京の都心に新設されたビーチコート一帯で、愛称の「ゴッツ」コールが自然と湧き出てくる。27日に東京・渋谷区立宮下公園で行われた「RAIZIN CUP IN宮下パーク」に出場した石島らを一目見ようと、大勢の観客が集まった。

観客の声援に、石島はプレーで応えた。198センチの長身から繰り出される鋭いスパイク、ボールを頭上高くまで上げて放たれる強烈なサーブ、壁のように眼前にどっしり立つブロック。競った場面でファイプレーが決まると「ヨッシャー」と雄たけび。うまくレシーブできず失点すると、地面をたたいて悔しさをあらわにする。躍動感あふれるプレーは、インドア時代と変わらない。

普段は同じチームに所属する白鳥勝浩(43)とペアを組んでいるが、この日は試合機会を増やそうと個人参加。各試合でペアを入れ替えて、個人成績で順位を競った。4人で争われた決勝リーグでは1人全勝。今季初戦だった20日の千葉市長杯決勝で敗れた庄司憲右・倉坂正人組にも雪辱を果たし、大会の初代王者に輝いた。

17年にビーチへ転向後、インドア時代の勢いそのままにトップを駆け上がってきた。18年、19年ジャパンツアーファイナルで連続優勝、個人ランキングは1位になった。現在は2位に付け、ペアを組む白鳥は1位。チームランキングは堂々のトップで、五輪代表の筆頭格の1組に名を連ねるが、慢心はない。

石島は「インドアの時とは違って全部やらないといけないんで大変ですが、日々課題が出てくるのが逆に面白いんです。バレーボールを始めた中学のころみたいで、勉強の毎日です」。目を輝かせて話す口ぶりには、充実感が満ちていた。

36歳を迎えてもなお向上心を持って臨めるのは、北京五輪での雪辱を期す思いが強いからだ。予選を勝ち抜き当時16年ぶりに本大会出場できた経験は競技人生のハイライトだ。だが「あの時は出場権を得るだけでもハードルが高かった。オリンピックで勝つことを目指しているチームと差があった」と振り返る。1勝もできずに終えた当時の悔しさは、今も忘れることはない。

だからこそ、目標は高く険しく、あくまでメダル獲得にこだわる。ビーチ日本男子は96年アトランタ、08年北京、12年ロンドンの3大会に出場しているが、これまでメダル獲得できていない。08年朝日健太郎・白鳥組の9位が最高成績だ。

そんな状況でも、石島の信念は揺るがない。「他の人が無理だよ、難しいと言われることにも挑戦しなきゃ」。戦う舞台は変わっても、五輪に懸ける思いはひときわ強く、愛称通りゴッツかった。【平山連】(日刊スポーツ・コム/スポーツコラム「WeLoveSports」)

「RAIZIN CUP IN宮下パーク」女子の部で優勝した坂口・鈴木組と、男子の部(個人戦)で優勝した石島(左から)(撮影・平山連)
ピッチマーク

渋野日向子 笑顔の裏にある葛藤…胸締め付けられる

渋野日向子(2019年6月1日撮影)

質問すれば、予想以上に良い答えが返ってくる。女子ゴルフの渋野日向子(21=サントリー)の取材は、それが日常茶飯事のように感じる。頭の回転が速く、何よりも人がいい。誰かを傷つけるようなコメントもなければ、成績が伴わない時でも「自分に対して怒っている」と話すにとどめ、ピリピリとした雰囲気を封じ込める。常に報道陣の先にいるファンを見据えて話す。とても21歳とは思えない気遣いには恐れ入る。

そんな理想的な取材対象のはずの渋野の取材を、最近は難しく感じている。頭が良すぎる、人が良すぎるからだ。順風満帆に成績が伴っていれば「しぶこ節」全開の明るい記事で構わないだろう。ただ今年は、3戦連続予選落ちから始まり、その後の最近2戦は予選は通過したが、課題も残った。それでも持ち前のサービス精神と明るさで“予想以上の答え”を返す。歯がゆさ、悔しさがあるのは、痛いほど分かるが、それを上回る前向きな言葉、独特の感性、表現を求めて、こちらも質問してしまう。

メジャー第2戦、ANAインスピレーションでのことだ。今年4戦目で初めて予選を通過して迎えた第3日は「67」の好スコアに「100点に近いゴルフができた」と語った。だが翌日の最終日は一転して「78」とたたいた。特に後半は乱れ、大きくスコアを落とした。前日の流れもあり、最終日のプレーにも「あえて点数を付けるなら」と、自己採点を求めた。すると「前半のゴルフが30、40点だとしたら、後半はゼロに近い。むしろマイナスと言っていいぐらい」と返ってきた。正直、ここまで強い言葉が返ってくるとは思わなかった。

初めての米国での試合、しかもメジャーを4日間戦い終えて「今、やりたいことは」とも聞いた。五輪などの大舞台を終えた選手は「とりあえず、ゆっくりしたいですね」といった答えが多い。渋野はまず「家族に会いたいですね」と答えた。続いて「やりたいことか。うーん、ベッドにダイブしたいですね」と、笑って話した。

出身の岡山で同時期に行われた、国内メジャーの日本女子プロ選手権コニカミノルタ杯にも出たい気持ちは強かったが「5大メジャー制覇」の夢を追って米国を選んだ。それでも夢に近づくことができず、約2カ月に及ぶ欧米遠征のほぼ中間地点で家族の顔がよぎっていた。直後に思い直して「ベッドにダイブしたい」と加えた。「ゆっくりしたい」と同じ意味だが、家族やファンに心配させまいと明るいキャラクターを演じた。笑顔の裏にある心の葛藤がかいま見えて、こちらも胸が締め付けられる思いになった。

昨年は日本人42年ぶりのメジャー制覇を果たし、国内ツアーでも4勝を挙げた。今年からゴルフ担当になった自分にとっては、トッププロの渋野しか知らない。だが、まだ21歳。どんなに納得のいかない成績で終えても、必ずリモートの記者会見に応じ、笑顔を見せようと努める。高確率で“良い答え”が返ってくるので、いろいろと聞きたくもなる。ただ、スコアの悪かった時は、質問すればするほど心が痛む感覚になった。渋野が落ち込む内心とは反対に、意識的に明るく振る舞おうとしているのが見て取れたからだ。

気丈に答えた結果、インターネット上などでは「こんなスコアなのにヘラヘラして」といった声も出る。「もしも自分が、あんなことを聞かなければ」と、申し訳ない気持ちになった。これまで身に覚えのない感情だ。頭が良すぎるから、質問した人が求める回答を瞬時に見抜き、リアクションも含め、それに寄せてくることもあるように思う。人が良すぎるから、全ての質問に全力で答えてくる。しかも独特の表現や、強い意思を感じる言葉も多い。注目度も高く、渋野の多くの言葉は世に出る。

質問によっては、真相とは異なる印象を、世間に与えてしまう回答も出るかもしれない。本音ではない取りつくろった明るさを引き出してしまったことで、日本人2人目のメジャー女王が軽んじられる可能性もある。非常にありがたい取材対象だが、同時に難しさも感じる。多くのゴルフファンから将来を期待される21歳。反省の弁ばかりが頭をよぎることもあるだろう。それでも技術も言葉も力のある逸材。たとえ反省の弁であっても、ノビノビと話せる環境、雰囲気づくりへ、自分はもちろん、取材する側も努力を続けなくてはいけないと感じる。【高田文太】(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)

米PGAツアーティーチング

ブライソン・デシャンボーは異端児か、革命家か

ブライソン・デシャンボーが別次元のゴルフを展開し、全米オープンを制した。難コースで知られるウィングドフットGC(ニューヨーク州)を一人だけ4日間オーバーパーなしでラウンドし、同コースの全米オープンの優勝スコア記録(1984年・ファジー・ゼラーの4アンダー)を更新する6アンダーを叩き出した。これまでの全米オープンのコースマネジメントのセオリーを覆し、「ラフに入れない」から、「ドライバーで飛ばして短いクラブで打つ」という戦略を採用し、ルイ・ウーストヘイゼンに「一人だけ小さなゴルフ場でプレーしているようだ」と言わしめた。まさに完勝という言葉がぴったりな歴史的勝利だった。

全米オープンを制したデシャンボー(AP)

ブライソン・デシャンボーの活躍ぶりは全米オープン前から大きな話題となっていた。PGAツアーが新型コロナウィルスによって中断している間、グレッグ・ロスコフによる筋力トレーニングの成果で体重を9キロ増量し、約110キロとなった体で大きく飛距離は伸ばした。7月第1週に行われたロケットモーゲージ・クラシックでは、2位に3打差をつけて優勝を果たし、飛距離アップがスコアに直結することを証明した。

■ゴルフに科学的アプローチ

ゴルフをとことん理詰めで考えることから「マッドサイエンティスト(イカれた科学者)」とも呼ばれ、異端児扱いされがちなデシャンボーだが、とにかくゴルフへの向き合い方は科学的である。道具に対しては、使用するボールを塩水に浮かべて重心位置を測定したり、同じ長さのワンレングスアイアンを使用するなどこだわりを見せる、練習では弾道測定機器を2台使って正面と後方で測定するといった徹底したデータ主義だ。

私は2年ほど前からデシャンボーがどのような取り組みをしているのか興味がわき、デシャンボーの技術を支えるブレーンたちと交流を深めてきた。

12歳からデシャンボーを指導するマイク・シャイ

デシャンボーは12歳から大学進学までの間、現在も指導を受けるスイングコーチのマイク・シャイと毎週約30時間を共に過ごしていたという。デシャンボーは欧米のゴルフコーチでも理解するのが困難と言われるスイング理論書・ゴルフフィングマシンを読み込み、毎日シャイと議論を交わしていたという。シャイはゴルフィングマシン理論とともに、ゴルフに取り組むうえで重要な哲学も植え付けたという。

「ブライソンには自分の頭で考え、物事を判断する重要性を伝えてきた。例えば、ボールの結果が良いから、良いスイングなのか?それとも理想的なスイングをした結果、良いボールが打てるようにするべきなのか、という具合にね」

高度なスイング理論と、常に物事の本質をとらえる考え方はマイク・シャイによって植え付けられたのだろう。

パッティングに関しては、デシャンボーが使用するパターブランドSIKゴルフのメンバーがフィッター兼コーチとして指導をしている。測定機器を使用し、ミリ単位でパターの入射角や軌道をチェックし、毎回同じ動きができるようにパッティングストロークを整備する。パターもグリーンの速さによってロフトや重さを調整する。パッティングの距離感は、振り幅によってボールが何メートル転がるかを細かくチェックし、データに基づいた独自の計算を行って振り幅の数値を算出する。実際に私も指導を受けたが、自分の感覚と数値のズレがあり驚いた。徹底的に感覚を排除し、自らをマシン化することで再現性を高めているからこそ、プレッシャーのかかる中で難コースを制することができたのだろう。

このような、科学や理論を前提としたデシャンボーの取り組みは、練習や経験で技術を磨いてきたゴルファーにはなかなか理解できない。あるトーナメントの練習グリーンでベテランのパット・ペレスが、デシャンボーの取り組みについて話を聞いていた。しかし、終始理解できないという表情を浮かべ、最終的には「クレイジーだ。そんなこと考えていたらプレーできない。」と言い残して去っていった。しかし、ペレスの反応は当然のことだと思う。もはや、デシャンボーの取り組みや考え方は物理やバイオメカニクス(生体力学)などの学問レベルのため、理解できないのも無理はない。しかし、最先端のゴルフティーチングを理解していれば、デシャンボーの取り組みは実に理にかなっていると思うはずだ。デシャンボーは欧米の大学研究者やトップゴルフコーチ並みの知識を持っているからこそ、異端児と言われるような取り組みができるのだ。

■自らを理想形に変革できるニュータイプ

デシャンボーは2018年半ばからタイガー・ウッズの前コーチだったクリス・コモに指導を受けスイング改造を始めた。大きくなった体ばかりが注目されるが、筋肉隆々の人が皆ボールを遠くに飛ばせるわけではない。筋肉がつけばボールが飛ぶというほどゴルフは単純ではなく、筋力をスイングスピードに返還させるための効率的なスイングが必要になる。デシャンボーは飛んで曲がらないスイングを構築するために、地面反力を使った下半身と、今までのゴルフィングマシン理論による上半身を組み合わせるニュースイングを作り上げた。両方の理論に精通しなければできない、非常に難しいスイング改造を成し遂げたコモのスイング知識には驚かされる。肉体改造とスイング改造に成功した結果、デシャンボーは2017年には302.5ヤード(34位)だった飛距離が、昨季は平均飛距離が20ヤード以上もアップし、322.1ヤードでPGAツアー平均1位の飛距離を得た。

そんなデシャンボーについて、コモは「彼は常に常識にとらわれることなく、枠を越えて考えることでゴルファーとしての成長を目指してきた。そのために、徹底した分析を行い、独自の戦略を組み立てる。その戦略を実現するために、彼は肉体の改造に取り組んだが、この半年間で費やした時間と労力は大変なものだった」と語っている。

タイガー(右)のコーチを務めたクリス・コモがデシャンボーをメジャー制覇に導いた

私はデシャンボーのスイング改造や体重増による飛距離アップより、自らを変える戦略やプロセスに注目をした。デシャンボーはこれまでのツアープロとは違い、自らの感覚には頼らない。「球を数多く打って、感覚を磨く」というこれまで多くの選手が取り組んできた方法ではなく、科学的なデータに基づいて、ゴールを設定し、実現するための戦略を練る。そして、理論を熟知した適切な人物を招いて自らを変革し、結果を出す。

デシャンボーは異端児やマッドサイエンティストと呼ばれるが、私にはデシャンボーの取り組みは結果を出すことにフォーカスし、合理的な選択をしているだけにしか見えない。

ツアープロが結果を求め、合理的な判断をして自分を変えるのは当然だと思われるが、変化には痛みも伴うため慎重にならざるを得ない。スイング改造や肉体改造は上手くいかないリスクもあるため、多くのツアープロはこれまでの感覚を失わない「常識」の範囲で取り組む。デシャンボーのように別人のように肉体改造をして飛距離を伸ばそうとしたり、今まで長年取り組んできた方向性重視のワンプレーンスイングへのこだわりを捨てて、全く違うコンセプトの地面反力を取り入れて飛距離アップをしようなどとは思わない。

だからこそ、デシャンボーのようにメジャーで勝つために常識の範囲を超えて自らを大きく変革し、理想の自分を作り上げることは並大抵のことではない。自らを適切な方向へ変化させながら、結果も出すためには自分一人の力では難しい。優秀なブレーンとともに最も効果的な戦略を採用し、理論や事実に基づいた方法で自らを変えていくのが効率的だ。スイングコーチのクリス・コモをはじめとして、デシャンボーの周りにはそれぞれの分野に優秀なブレーンが揃っている。このブレーン選びでその選手の知識レベルやセンスがわかるものだが、デシャンボーの人選はネームバリューや実績ではなく、理論に精通したプロフェッショナルを重用する、実にセンスの良い人選をしている。知識レベルが高く、本質を理解しているからこそできる人選だ。そして、いくら優秀な人材が集まっても、トップが意見を聞きいれることができなければチームは機能しない。デシャンボーは常にチームメンバーと議論を交わし、常識の枠を取り払って実験と検証を重ねている。

ゴルフを科学的に究めようとしているデシャンボーは異端児どころか、数年先のスタンダートを先取りしていると思う。タイガーが多くの選手に影響を与えたように、デシャンボーの取り組み方が今後のPGAツアーのスタンダードとなるだろう。そして、続々とデシャンボーの取り組みに感化されたニュータイプの選手が自らを変革し、ますますPGAツアーのレベルが高まっていくことだろう。

(ニッカンスポーツ・コム/吉田洋一郎の「日本人は知らない米PGAツアーティーチングの世界」)

デシャンボーの技術についてはチョイス11月号(10月1日発売)でも特集しているので、興味のある方はぜひ読んでいただければと思います。

◆吉田洋一郎(よしだ・ひろいちろう)北海道苫小牧市出身。2019年度ゴルフダイジェスト・レッスン・オブ・ザ・イヤー受賞。欧米のゴルフスイング理論に精通し、トーナメント解説、ゴルフ雑誌連載、書籍・コラム執筆などの活動を行う。欧米のゴルフ先進国にて、米PGAツアー選手を指導する100人以上のゴルフインストラクターから、心技体における最新理論を直接学び研究している。著書は合計12冊。書籍「驚異の反力打法」(ゴルフダイジェスト社)では地面反力の最新メソッドを紹介している。書籍の立ち読み機能をオフィシャルブログにて紹介中→ http://hiroichiro.com/blog/

伊藤華英のハナことば

ここでオリンピズムを感じてほしい/伊藤華英

山下泰裕JOC会長と筆者(写真:アフロスポーツ/JOC)

日本オリンピックミュージアム開館から、早いもので1年がたった。

昨年9月14日にオープン。私も完成前からいろいろな側面で協力させて頂いたこともあり、感慨深かった。あれからあっという間に時間がたったように感じる。

オリンピックムーブメントの発信拠点として作られた。コンセプトは「みんなのミュージアム」。オリンピズム(オリンピック精神)を自身で体験、体感したアスリートと、日本オリンピック委員会(JOC)、来館者が一緒にムーブメントを作りあげる場所だ。

JOC主催のムーブメント事業はさまざまなことが行われているが、以前はその拠点となる場所がなかった。そういった意味でも、ここはアスリートやスポーツファンだけでなく、多くの人が「オリンピック」を感じられる場所になっている。

たとえば「オリンピック・パラリンピックの歴史や意義を知り、オリンピックとは何かを来館者が自ら考え、体験し、学ぶことができる展示や映像」「オリンピアン自身が運営・企画へ参加し、オリンピアンと国民とのコミュニケーションか活動の場として活用」「オリンピック研究の活動拠点として、オリンピックに関わる研究・教育機関との連携による学びの支援・研究・教育の推進」などが主な特徴となっている。JOCのウェブサイトにも記載がある。

オリンピックについて知ること、体験したアスリートから直接話を聞くこと。私はとてもおもしろいと思う。このコロナ禍の状況で止まってしまっているものも多いが、少しずつ動きだしていければと願っている。

「オリンピック」と聞くと、「金メダル!」と答える子供たちが多い。

小学校を訪問したり、さまざまな子供たちと話していて感じるが、一番のイメージは「メダル」、つまり「勝利」なのだろう。しかし、オリンピズムを知っていくと、そのイメージは変わるかもしれない。

なぜオリンピックが作られたのか。「近代オリンピックの父」と呼ばれたフランス人のピエール・ド・クーベルタン男爵が「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍などさまざまな差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」と提唱したのだ。

有名な言葉がある。1908年ロンドン大会で「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することである」と語った。これは、戦うな、勝負するなということではなく「人生にとって大切なことは成功することではなく努力すること」という意味だった。

私は現役時代、オーストラリア人の同じ種目の友人に助けられた。オリンピックで泳いだ後、「メダルが取れなかったから意味がない」と落ち込んでいたら、「4年間私たちは頑張ったじゃない。こんなに努力して、ここまでこれた。私は自分を誇りに思うよ」と言われた。この言葉は今も忘れられない。「努力って誇れるものなのだ」と私は初めて知った。海外の選手に言われたことにも衝撃を受けた。「ライバルじゃないの?」。こんなすてきな考え方を、たくさんの人に知ってもらいたいとも思った。これもオリンピズムの1つなのだろう。

日本オリンピックミュージアムには11月1日まで、東京オリンピック・パラリンピック競技大会の聖火が展示されている。私もこの聖火を見たとき、ほっと優しい気持ちになった。現在は事前予約制だが、ぜひここにきて本当のオリンピックの意味を感じてもらえたらと思う。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)

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手越にリフティング教えたギネス記録男の新たな挑戦

「テックボール(Teqball)」日本代表のWASSEさん(撮影・平山連)

「元ジャニーズの手越さんにリフティングを教えました。ギネス世界記録も持ってます」

19日に千葉・稲毛海浜公園で行われたビーチバレーボール大会取材の合間、隣接会場から大音量のマイクから聞こえてきた内容に興味を持った。声がする方へ足を運んでみると、ユニホーム姿の男性がステージ上でサッカーボールを巧みに操りリフティングしていた。卓球とサッカーの特長をミックスした『テックボール(Teqball)』日本代表のWASSE(35=本名早稲昭範)さんだ。

もともとフリースタイルフットボーラーとして頂点を目指していたが、3年前にテックボール代表入りしたことがきかっけで普及活動に取り組んできた。巧みなボールテクニックは今も健在で、寝ころびながらリフティングをどのくらいできるか競うギネス世界記録保持者でもある。

WASSEさんは手越率いるフットサルチーム「TGS」のメンバー。別のチームでプレーしていた時、手越祐也(32)から直々にオファーを受け快諾した。これまでTGSの一員として大会に出場するなど交流を深めてきた。

今月には150万人以上が登録するYouTubeの「手越祐也チャンネル」でリフティング上達企画のゲストとして出演した。手越が真上にあげたボールを逆立ちしてキャッチする難技に見事成功した様子を振り返り「(手越は)身体能力がめちゃくちゃ高くて、どんどん吸収していく。チャレンジする気持ちの強さはテレビで見ていたまんまでした」。

手越のひたむきに頑張る姿は、自身が高校卒業後から始めたフリースタイルフットボールへのささげた情熱と重なる。小学1年でサッカーを始めて高校卒業でプロになろうと目指していたが、度重なる腰のけがなどに悩まされ高校時代は満足にプレーできなかった。

当時からリフティングには自信を持っていたため、その世界でプロになりJの舞台に立つのを目標にした。ただ、まだ「フリースタイルフットボール」という言葉すら定着していなかった。知り合いに掛け合ってJリーグのスタッフを紹介してもらい、自力の営業活動を続けた。

努力も実りこれまでJリーグ試合前のセレモニーで20回以上公演した他、18年ロシア大会に合わせて放送された企業CMで技を披露してきた。WASSEさんは「大観衆の中でやるのは緊張しますが、無事終えた時の達成感はすさまじいです」とやりがいを語る。

新たに情熱をささげる「テックボール」は、黎明(れいめい)期のフリースタイルフットボールと似ているという。「どちらもかっこよくて心が震え『絶対に流行る!』と思ったんです。文化として根付かせたいんです」。千葉の砂浜で出会ったギネス世界記録保持者の夢が今後どうなるのか。陰ながら見守っていきたい。

【平山連】(日刊スポーツ・コム/スポーツコラム「WeLoveSports」)

◆テックボール 卓球とサッカーとを組み合わせたハンガリー発祥の新しいスポーツ。湾曲したテーブル上でリフティングやヘディングを行い、繰り広げられる。手や腕でボールコントロールするのは禁止で、最大3回までのボールタッチで相手に返さなければいけない。

「テックボール(Teqball)」で華麗なプレーを披露するWASSEさん(左から2人目)(撮影・平山連)
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「カヌーの聖地」で宣言後初開催された日本選手権

13日まで行われたカヌー・スプリントの日本選手権。表彰式では選手もマスクを着用し、ソーシャルディスタンスをしっかり確保(撮影・奥岡幹浩)

緊急事態宣言後にオリンピック(五輪)競技として初めて実施された「日本選手権」は、成功裏に幕を閉じた。

9日から13日にかけて5日間、石川県小松市の木場潟カヌー競技場で行われたカヌー・スプリントの日本選手権。男子カヤックフォアで東京五輪出場を決めている4人のメンバーをはじめ、東京五輪を目指すトップ選手らが集い、熱戦を展開した。最終日にはパラカヌー・スプリントの日本選手権も同時に行われ、東京パラリンピック代表の瀬立モニカ(江東区カヌー協会)らが奮闘。日本カヌー連盟の古谷利彦専務理事は「日本選手権が開催できる喜びを、今年ほど感じることはなかった」。言葉に実感があふれた。

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、国内外のあらゆるスポーツ大会が次々に中止や延期となった。カヌーも例外ではなかったが、伝統と格式を持つ今大会については、実施に向けての道筋を模索し続けてきた。「1年後に延びた東京五輪パラリンピックにつなげていくためにも、まずは国内大会を安全で安心な形でやり遂げることが重要。そのためにも開催をあきらめなかった」(古谷専務)。

コロナ禍での大会実現に至った要因の1つとして、長い年月を経て構築された競技団体と開催地との信頼関係があったことは間違いない。スプリントの日本選手権の固定開催地である小松市は「カヌーの聖地」と呼ばれ、日本代表の強化拠点が置かれている。数々の国際大会も行われ、ワールドカップや五輪大陸予選などの舞台にもなってきた。市や県が競技に対する理解を持っていたことで、連盟の熱意がしっかり伝わった。

だからといって、大会実施への道のりは決して平たんではなかった。8月には小松市内の一部でクラスターが発生し、感染者数が増加。複数の選手が「本当に大会が開かれるのか心配した」と明かしたように、開催を案じる声もあった。状況は刻々と変化するなか、難しいかじ取りを強いられつつも、主催者は冷静に状況を見きわめ、勇気を持って判断した。

今大会が無観客ではなく、一般来場者を受け入れて実施されたことも特記事項といえる。会場は県内有数の入園者数を誇る広大な公園内の一部で、完全にクローズドな状態をつくることは難しい環境。ならば閉め出すのではなく、万全の対策を取ったうえで門戸を開いた。会場入り口では1人1人の体温を測定。観戦時におけるマスク装着や声援自粛の要請はもちろん、互いの距離を保つために考案された、両手を広げての“ソーシャルディスタンス体操”の呼びかけが場内放送で流れるなど、工夫がこらされた。

通常とは異なる状況下で、真っ先に行われた国内主要イベント。その大会運営は、1年後に向けて大きな意味を持つ。大会3日目には東京五輪パラリンピック組織委員会が遠路訪れ、感染症対策や会場マネジメントなどをじっくり視察した。

感染拡大防止のため、選手のエントリーは1人2種目まで。制限を受けながらの出場となったが、不満の声は一切聞こえてこなかった。カヤックシングル200メートルで優勝した小松正治(愛媛県競技力向上対策本部)は、「この大会に向けてモチベーションを上げていた。開催してもらえて本当に良かった」と感謝。相次いで大会がなくなり、目の前の目標を失いつつあった選手たちにとって、日本選手権の存在は明確な道しるべとなった。そして久しぶり実戦を経験したことで、新たな課題を見つけ、現在地を把握した。

17日にはフェンシングの全日本選手権(東京都・駒沢体育館)が開幕した。来月1日からは陸上の日本選手権(新潟市・デンカビッグスワンスタジアム)が始まる。パラ陸上の日本選手権(埼玉県熊谷市・熊谷スポーツ文化公園陸上競技場)は一足早く行われ、今月6日に閉幕した。

来夏に向けて踏み出した1歩目の足音が、各地で響きつつある。【奥岡幹浩】(日刊スポーツ・コム/スポーツコラム「WeLoveSports」)

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Wリーグ本橋菜子、自分変えチームも変え開幕臨む

練習で後輩を指導する東京羽田ヴィッキーズの本橋菜子(左)(提供:東京羽田ヴィッキーズ)

女子バスケットボールWリーグの20-21年シーズンが、18日に開幕する。昨季8位の東京羽田ヴィッキーズは初戦(19日)でシャンソン化粧品と対戦する。チームを引っ張り、日本代表でも中心として昨年9月のアジア杯4連覇に貢献した本橋菜子(26)は、チームが目指す4強進出に加え「意識している」という東京オリンピック(五輪)に向けた、大事なシーズンをスタートさせる。

昨季はコロナ禍で途中打ち切りとなったが、5勝11敗と負け越した。「接戦に持ち込んでも勝ち切る力がない。大事な場面で自分たちのバスケができていなかった」と反省する。本橋は代表活動もあって、過密日程の中でのシーズンとなり、満足はしていない。

本橋 チームとしては後半になるにつれて、成長を実感していたので、途中で終わって物足りなかった。個人的にはモチベーションが維持できず、心身ともに疲れちゃった部分もあって、迷惑かけちゃったかな。

東京羽田に入団し、2年目の17年から主将を務めるなど、責任感は強い。普段は笑顔満載の明るい本橋だが、コートに入ると真剣な表情に変わる。もともと学生時代は主将でも「まとめるのは苦手だった」とプレーで引っ張るタイプだった。成績も上がらず、若手の士気が低いのを感じ、主将2年目で意識が変わり、厳しい言葉を発するようになったという。

本橋 これまでは自分がやらなくてもいいと思っていたが、主将として何をすべきかを考えるようになった。若い選手たちがもう少し自覚を持って欲しいかなという部分はある。このままじゃ良くない。自分が変えたい、変えなきゃダメだと強く思った。昔の私を知っている人は、ガンガン言っているのを見るとびっくりすると思う。

自分も変わり、チームも変わった。主将は今季から副主将だった奥田に譲るが、チームを支えていくことには変わらない。

本橋 昨季開幕前は片手で数えるぐらいしか練習できていなかったし、そんな中で引っ張っていくのは大変な部分もあった。すべて背負わなくていいとなったことで気は楽になったかな。奥田も去年から責任感も出てきたし、任せられると。

自粛期間中は、埼玉の実家で大好きなピアノを弾き、リフレッシュ。練習再開は6月中旬まで延び「早くみんなに会いたい。バスケがしたい」と、はやる気持ちを抑えながらトレーニングを続けていたという。「期間が空いたのでワクワクしている。こんなに待ち遠しいのは初めて。お客さんが入れば、モチベーションは全然違う」と有観客での開催を喜んだ。

平均年齢24歳の若いチーム。「全員が積極的に持ち味を出せるのがいいところ。新人とか関係なく自分のプレーを出せたら勢いに乗っていける」と手応えを感じる。本橋は26歳ながら上から2番目の“ベテラン”だが「今が一番頑張り時かな」と気合十分。東京五輪を「1つの大きな目標」と位置付ける本橋が、チームを4強に引き上げ、来夏の大きな目標まで一気に突き進む。【松熊洋介】(日刊スポーツ・コム/スポーツコラム「WeLoveSports」)

◆本橋菜子(もとはし・なこ)1993年(平5)10月10日、埼玉県生まれ。小学校からバスケットボールを始める。志木中学校から明星学園(東京)に進学。高3でインターハイ3位。早大3年時には全日本大学選手権優勝。16年に東京羽田に入団。18年に日本代表初選出。19年アジア杯では4連覇に貢献し、MVPを獲得。164センチ、A型。

19日に初戦を迎える東京羽田ヴィッキーズの本橋菜子((C)Wリーグ/東京羽田ヴィッキーズ)
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アーチェリー18歳園田稚、緊張の五輪選考会で一皮

3月に静岡で行われた東京五輪代表2次選考会に出場した園田(撮影・平山連)

アーチェリー東京オリンピック(五輪)代表入りを逃した園田稚(わか)(18=足立新田高3年)が、敗戦を糧に一皮むけようとしている。史上最年少の16歳で日本代表に名を連ね、17歳で世界選手権に出場した逸材。88年ソウルに出場した中込恵子以来となる現役女子高生での五輪代表入りを目指したが、2次選考会で敗退した。

選考会終了後、人目をはばからず涙した18歳は、尊敬する12年ロンドン女子団体銅の早川漣を追い掛け、追い越したいと胸に秘め練習に打ち込んでいる。

2次選考会から半年が経ち、24年パリ五輪に向けて歩み始めた園田は確かな成長を遂げている。8月の記録会では女子リカーブの部(72射、720点満点)で677点。自己記録を10点更新、さらにジュニア女子日本記録を塗り替えた。充実ぶりは表情にも現れている。口元を緩ませにこやかな姿が戻っていた。

3月に静岡で行われた2次選考会では違った。持ち味の早打ちは途中から影を潜め、最終選考に進める5位と6点差で競り負けた。競技後は口数が少なく、涙にぬれた顔はショックを隠しきれない様子だった。アーチェリー界の期待を背負ったニューヒロインは、当時どんな思いで戦っていたのか。選考会終了後も気になっていたことを本人に聞いた。

園田が真っ先に挙げたのは、かつて経験のないプレッシャーだった。昨年6月の世界選手権に出場したとはいえ「オリンピックが懸かる舞台は、今までにない緊張感でした」。駆け付けた大勢の報道陣、各選手から伝わる強い意気込み。強風という悪条件も影響して思い通りにいかず、途中から気持ちが折れた。

早川(右)の後を追う園田(撮影・平山連)

そんな時に声を掛けてくれたのが、かねて慕う早川だった。「漣さんは『大丈夫、まだいける』『風がこう吹いているから…』と何度も話し掛けてくれて、あきらめモードの自分を鼓舞してくれました」と振り返る。

エリートアカデミーに在籍する園田は、早川と同じくNTC(ナショナルトレーニングセンター)を拠点に練習している。園田が点数が伸び悩んだ時にはアドバイスをしてくれたり、選考会後には「ゆっくり休んで」と励ましてくれた。一緒に東京五輪の舞台に立つことが、いつしか夢になっていた。かなえることができず、選考会直後は悔しさで何もできなかった。

選考会の反省からコンディションの良しあしにかかわらず、一定の状態を保って練習ができるよう心掛けている。いかに平常心で的と向き合えるかが鍵になる。「10点狙うと決めたら入れる。そうじゃないと勝てません」。

24年パリ五輪への抱負を尋ねると「これまで韓国が金メダルを多く獲得してきましたけど、パリでは自分が金メダルを取ります」。高々に宣言した言葉を4年後に現実のものとするため、18歳は奮起する。今度こそ自分が主役になるために。【平山連】(日刊スポーツ・コム/スポーツコラム「WeLoveSports」)

オンライン取材で半年前の2次選考会の心境を語る園田(撮影・平山連)

中川真依のダイビング

飛び込み界の星、リスタート大会で2冠/中川真依

玉井陸斗の演技(2020年2月9日撮影)

8月29~30日に、大阪市の丸善インテック大阪プールで飛び込みの関西選手権が行われた。

まだまだ新型コロナウイルスの感染者数が増え続けている中での試合だったため、かなりの衛生管理と厳重な警戒態勢で行われた。

毎年行われている関西選手権は、日本選手権の出場権を獲得するための選考会の1つでもあり、いつもなら各種目に何十人もの出場者がいる。

それが今年はどの種目も10人前後。

コロナ禍で軒並み試合が中止されている中では希望の試合となったが、やはり活気は少なかった。

それでもやっと出来た選手たちの活躍の場。

現地へ行くことは出来なかったが、関西選手権では初の試みであるYouTubeでの生配信で私も選手たちの演技を見ていた。

そして今回の試合でも目を引いたのは、やはり玉井陸斗だった。

新型コロナウイルスの影響で、プールや練習場が閉鎖され限られた環境での練習だったとは思うが、今大会でもキレのある動きで高難度の技をしっかりと決め、会場を湧かせていた。

3メートル板飛び込みと高飛び込みの2種目優勝という最高の結果だった。

解説者から「練習ではあまり決まっていなかったが試合では決めてきた」という情報が流れてきた。

飛び込み競技では、試合前の練習でいくら失敗している技でも、試合での一本が決まれば勝てることもある。

それもまた本人の実力であり、飛び込み競技の面白さのひとつだ。

世界レベルの試合でも、練習ではそれほど決まっているように見えない選手が、試合になると確実に決め、高得点をたたき出す勝負強い選手は何人も見てきた。

運も実力のうちというが、13歳の玉井陸斗は「努力の出来る天才」にプラスして「勝負強さ」もあるのかと思うと、この先の活躍が楽しみで仕方がない。

どれだけ練習を積んでも、試合での緊張は試合でしか味わえない。その中での自分の動きをコントロールする力も必要な感覚だ。

そして、選手にとっても指導者にとっても、小規模でも試合がある事は目標設定がしやすくなり、今後の課題などを見つけるためにもとても重要な役割をもっている。

大変な時期ではあるが、少しでも早く選手たちが安心して競技に打ち込める環境が整うことを願っている。

(中川真依=北京、ロンドン五輪飛び込み代表)

ピッチマーク

永峰咲希、母が手を焼く昭和の香りを漂わす一面

日本女子プロ選手権コニカミノルタ杯で優勝した永峰咲希(代表撮影)

プロ7年目の永峰咲希(25=ニトリ)が、日本女子プロ選手権コニカミノルタ杯で勝った。

黄金世代、ミレニアム世代、笹生優花ら今春高校卒業の新世紀世代。20歳前後の活躍ばかりが目立つ時代に、20代半ばのプロが国内メジャーのビッグタイトルを手にしたのは、ツアー活性化の点で意義深い。それがまた永峰のようなタイプだったのが、おもしろい。勝手にそう思っている。

永峰は18年4月フジサンケイクラシックでツアー初優勝した。当時プロ5年目の22歳。ルックスも母香奈子さん譲りでキュート。ブレークしても良さそうだったが、そうならなかった。

初優勝から日本女子プロ選手権まで、出場66試合でトップ10は8試合だけ。昨季は賞金ランク45位でシード確保に苦労した。単純に結果が出ないから目立たない。それはある。ただ永峰自身、目立つのが苦手という性格も影響したと思う。

ガッツポーズをしない。バーディーを取ると、キャップのツバに軽く手を添えるだけ。普段はニコニコしているのに、ここぞの場面では逆に笑顔を控える。

4、5年前だったか、香奈子さんが嘆いていた。

「プロのメークさんにせっかくきれいに化粧してもらったのに、すぐ落としたんです。“何で? そのままでいいじゃない”と言っても、本人はフンッて」

用具使用契約を結ぶテーラーメイド社が公式HPで新製品発売に合わせ、永峰の画像をアップした。髪のたなびく、美しい横顔。見る者がハッとする、彼女の持つ素朴なイメージをいい意味で裏切る“オトナのビジュアル”だった。ところが、撮影後30分もせず髪形を戻し、化粧を落とした。

世間的なオシャレに興味がない。見かねた香奈子さんに化粧道具を買いに引っ張っていかれたりした。

お気に入りの服装はジャージー。家の中だけでなく、外出時も着る。

少年漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」をこよなく愛し、同じく“両さん好き”の父賢一さんが買って来ると、喜々とし、連載終了時はショックを受けた。

若手プロ、いや世間一般の若者が“自己発信ツール”として積極的に活用するインスタグラムなどSNSにも手を出さない。

ボーイッシュで、今どきの女性的ではない素顔を持っている。

それがゴルフになると「味」になる。興味のないことには見向きもしないが、興味がある、大事、必要と思えば、徹底的に打ち込む。周囲にどう言われようが絶対に信念を曲げない頑固さ。自分の価値観を信じ、コツコツ積み上げてきた。

日本女子プロ選手権の優勝オンライン会見で、永峰は言った。

「私のモットーは、人に迷惑をかけない、なんですけど…」

人に迷惑はかけません。でも、それ以外は一切、好きにやらせてもらいます-。華やかさがクローズアップされる女子ゴルフ界にあって、永峰咲希のようなキャラクターは貴重だ。もっと強くなって、令和の時代に、平成生まれで昭和の香りを漂わすプロに…。骨太なプロになることを期待している。【加藤裕一】(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)

米PGAツアーティーチング

「メジャー男」ケプカがパッティングコーチを変えた

PGAツアー通算7勝のうち4勝がメジャートーナメントという「メジャー男」ブルック・ケプカが9日に全米オープン(9月17日~20日、米国ニューヨーク州・ウィンゲッド・フットGC)の欠場を表明した。2107年から優勝、優勝、2位と抜群の相性を誇る全米オープンを欠場するのは、本人もファンもさぞかし残念だろう。

■得意の全米オープンを欠場

ケプカは昨年秋の左膝の手術以来不調が続き、WGCフェデックス・セントジュード招待では復調の兆しも見えたが、体の状態が思わしくないらしい。先月に行われた全米プロゴルフ選手権でも、ラウンド中にトレーナーのマッサージを受ける姿も見られた。

ケプカをメジャートーナメントで見ることができないのは残念だが、早く体の状態を改善して再び豪快なプレーを見せてほしい。

ティーを刺して軌道の修正をするケプカとピアース

そのケプカのホームページにあるティーチングメンバー一覧から、最近になってパッティングコーチのジェフ・ピアースの名前が消えた。ピアースはかつてブッチ・ハーモンのアカデミーに所属していたコーチで、2013年から長らくケプカのパッティングコーチを務めてきた。ピアースは気さくな性格で、ツアー会場で指導方法を教えてくれたり、勉強会にも参加させてもらったことがある。

ピアースにケプカのパッティングについて話を聞いたことがあるが、ケプカはパッティングストロークがアウトサイドイン軌道になる癖があるという。そのため、グリーンにティーを指して、軌道を修正するためのドリルを頻繁に行っていた。軌道やフェースの向きなどのメカニカルが改善したうえで、距離感を向上させるための練習にも取り組んでいたという。

距離感の指導をするピアース

しかし、今季のケプカのパッティング・スタッツは過去最低だった。ストロークス・ゲインド・パッティングは初めて100位台となり、特に2メートル以内のカップインの確率が低く不調は明らかだった。

パッティングの不調にあえぐケプカは、WGCフェデックス・セントジュード招待で、パッティングコーチ、フィル・ケニオンに助言を求めたことを明かしていた。ケニオンはロジカルな分析にたけているパッティングコーチで、トミー・フリートウッドやヘンリク・ステンソンなど多くの選手を指導している。

ケプカがケニオンに教わったのは、パッティングに関して今まで以上にロジカルな要素を取り入れようとしているからだと思う。2メートル以内のパッティングの成功確率を高めるためには、軌道やフェースの向きだけではなく、入射角やボールの転がり方など細かいデータを分析する能力が必要になる。

もちろんピアースのティーチングスキルも優れているが、感性とロジカルを融合したティーチングを得意としており、ケニオンとは異なるタイプのコーチだ。今まで以上に高度なパッティングスキルを身につけるため、一流選手の指導経験が豊富で、高度なティーチングを得意とするケニオンの指導を受けたのだろう。

■指導者の本当の喜びは生徒の卒業

当初、ケプカはセカンドオピニオンとしてケニオンに教わったと思っていたが、ピアースとコーチ関係を解消したということは従来の取り組みに限界を感じていたのだろう。ケプカとピアースはタッグを組んだ7年の歳月で、4つのメジャータイトルを手中に収めた。ピアースは十分役目を果たしたと思うが、「メジャーしか興味がない」と公言するケプカにとって、さらなるレベルアップのためにパッティングコーチの変更は必要な選択だったのだろう。ケプカの視線の先には、4大メジャートーナメントの制覇「キャリア・グランドスラム」の達成があるのかもしれない。

ステンソンなど有名選手を指導するケニオン

コーチ目線でピアースの心情を察すると、長年ケプカの勝利に貢献してきただけにつらい気持ちもあるだろう。しかし、選手とコーチには出会いと別れがつきものだ。選手が同じコーチとずっとタッグを組み続けるというケースもあるが、大半のケースではコーチが変遷していく。小学生が、中学生になり、高校生になるにつれて教わる内容が変わっていくように、ツアープロもジュニアから若手、トッププロ、ベテランへと階段を上っていくにつれ、必要なアドバイスも変わってくる。

選手が成長し、ステージが上がれば上がるほど、高度な指導が必要になる。たいていの場合、選手が次のステージに進むと、従来のコーチでは対応できなくなり、次のステージのコーチにバトンタッチしていくものなのだ。

頭ではわかっていても、選手が離れていくのは、コーチとして寂しいものだ。選手と出会った頃は、コーチも選手の成長に喜びを感じ、充実した日々を送る。結果が出れば喜び合い、不調の時は状況を改善するために奮闘し、チームとして喜怒哀楽を共にする。

だからこそ、別れの時は「自分にもっとできたのではないか」と後悔が募ることもあるし、寂しい気持ちにもなる。しかし、子供の成長を喜ぶ親のように、指導者の本当の喜びは生徒の成長だ。指導者にとって一番の報酬は、成長した生徒が卒業し、新たな道を歩み始める後姿を見送ることなのではないだろうか。

ケプカとピアースのコーチ契約解消の真実はわからない。しかし、互いの成長につながる新たなスタートであってほしいと願いたい。

(ニッカンスポーツ・コム/吉田洋一郎の「日本人は知らない米PGAツアーティーチングの世界」)

◆吉田洋一郎(よしだ・ひろいちろう)北海道苫小牧市出身。2019年度ゴルフダイジェスト・レッスン・オブ・ザ・イヤー受賞。欧米のゴルフスイング理論に精通し、トーナメント解説、ゴルフ雑誌連載、書籍・コラム執筆などの活動を行う。欧米のゴルフ先進国にて、米PGAツアー選手を指導する100人以上のゴルフインストラクターから、心技体における最新理論を直接学び研究している。著書は合計12冊。書籍「驚異の反力打法」(ゴルフダイジェスト社)では地面反力の最新メソッドを紹介している。書籍の立ち読み機能をオフィシャルブログにて紹介中→ http://hiroichiro.com/blog/

We Love Sports

菅氏OBの空手部 伝統守るたった1人の女子部員

菅官房長官が所属した法大剛柔流空手道部で、現在唯一の現役部員として奮闘する市瀬さん(本人提供)

新しい仲間を待ちわびながら、その女子空手部員はたった1人で稽古に励んでいる。偉大なOBの存在も励みにして。

法政大3年の市瀬恵さんは、2年生の春に空手を始めた。所属するのは剛柔流空手道部という公認サークルで、創部50年以上の歴史を誇る。多くのOBの1人が、次期、自民党総裁、首相の有力候補と目される菅義偉氏。その大先輩について市瀬さんは「直接お会いしたことはありませんが、当時のことを知る方から、努力家で根性のある方だったとうかがっています」。

総裁選に臨む大物OBから刺激を受け、後輩たちの稽古現場もますます活気づいているかと思いきや、どうやらそうともいえないようだ。部員不足が顕著だったところを、コロナ禍が直撃。練習はままならず、少なかった部員はさらに減った。キャンパスで新入生を直接勧誘する機会は8月を過ぎてもまだなく、実質的な部員は現在、市瀬さんしかいない。つい先日には頼りにしていた主将の退部も知り、「びっくりしたし、ショックだった」。戸惑いを感じつつも、「自分が主将をやる覚悟はできている」と腹をくくる。

空手歴はまだ1年半程度。中学時代は合唱部に所属し、長野・松商学園高に進学すると、放送部員として全国大会に出場した。「運動神経はよくない」と苦笑いを浮かべるが、大学に入る前から尊敬していた2人の人物がいずれも空手経験者だったことから、いつか自分も空手をやってみたいと憧れ、現在のサークルに途中入部した。

感染症拡大の影響で道場に通えない今は、オンラインで岡崎監督らから指導を受け、形の練習などに励む。ときには動画サイトで、東京オリンピック(五輪)に出場する清水希容らの演武を研究。一流選手の動きを憧れのまなざしで見つめながら、「いつか少しでも近づければ」とモチベーションにしている。

入部当初は稽古についていくだけで大変だったが、周囲から丁寧な助言を受け、少しずつ上達してきた。「体力がついてきたと思うし、考え方にも柔軟性が出てきた」と自らも成長を感じている。それだけに、サークルを存続させたいという思いは強い。「先輩たちが築いてくださった伝統を守りたい。でも1人では力不足。どうしたら仲間を増やせるかを考えている」。

新入部員獲得にあたり、まさに時の人となりつつある菅義偉の名前は大きなインパクトを持つ。「でも、そこだけを強調しすぎては本末転倒になってしまう。もちろんその知名度の高さに力を貸してもらいながら、剛柔流空手道部の魅力そのものを伝えていきたい」。たった1人の現役部員は、どんなときでも前向きな気持ちと冷静さを忘れない。それは先輩から後輩へ、脈々と受け継がれてきた要素の1つかもしれない。【奥岡幹浩】(日刊スポーツ・コム/スポーツコラム「WeLoveSports」)

伊藤華英のハナことば

この時代のスタンダードを探っていく/伊藤華英

先日、久しぶりに「スポーツ笑顔の教室」に夢先生として参加した。東日本大震災復興支援「スポーツこころのプロジェクト」の活動の1つだ。

被災した子供たちの「こころの回復」が目的とされている。日本サッカー協会を運営本部として、公益財団法人スポーツ協会、日本オリンピック委員会、日本サッカー協会、日本トップリーグ連携機構の4団体が主催する事業。大きなプロジェクトであることは、これだけの団体が主催していることでも分かる。

「スポーツ笑顔の教室」に参加

今回は新型コロナウイルスの影響で初めて「オンライン」での授業となった。

本来なら、現地に出向いて身体を動かすプログラムを実施する。この時間はアイスブレイク(初対面の緊張をほぐす行動)にもなる。そのあと教室に移動し、夢先生が自身の経験などを子供たちに話すトークセッションを行うのだ。

私は現役引退後、このプロジェクトが好きで多く参加してきた。

ただ今回はトークのみ。同じフィールドでリアルに伝えていたのとは異なる環境だから、やる前は不安が大きかった。しかし、今回担当した岩手県久慈市の中学生のみなさんは、画面越しでも一生懸命聞く姿勢が伝わってきてとてもうれしかった。このような状況になってから、直接触れ合うスポーツの普及活動がなかなかできなかったので、うれしく感じた。

掛け合いなどはどうしても多少の時差が生まれてしまうが、私自身は充実感があった。このオンラインに関しては「合わない」「向いてない」などネガティブな意見もある。だが、きっとスタンダードの一部になる。当たり前が当たり前でなくなっていくのを私たちは今体感している。ある意味、すごい時代に生きている。

 

私自身、プライベートでもオンラインのトレーニングを受けたりしている。参加している方は、神戸、静岡など居住地もさまざまでなかなか面白いし、意外と一体感みたいなものも生まれ、ストレスがないと感じる。

また、同じ産院で同じ時期に出産した母親仲間たちとも、産後にオンラインで時間を合わせて話したりした。なかなか会えないので、とても癒やしの時間にもなった。

ウェビナーの普及も早かった。家で各種セミナーを視聴できることは、私を含めた子育て世代にとっては魅力的でもある。聞きたいシンポジウムがあっても、会場に足を運ぶことが極めて難しいからだ。

もちろん、良いところばかりではない。スポーツなど、複数の人間が何かを一緒にやることに関しては、まだまだ課題がある。ともに同じ空間でスポーツを楽しむことがまた「普通」になってほしいと思う。

新たなスタンダードと、これまでのスタイルをうまく融合させていきたい。目的と目標のバランス、ソフトとハードのバランスが大切なことなのだろう。どちらも必要でどちらも重要。相反したものが、リスペクトし合っていく。こんなことが必要なのだと思う。

きっとこの先、この時代に合った、かつサステイナブルなものが根付いていく。私もいろんなチャレンジをしたいと最近思い始めている。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)

We Love Sports

ビーチバレーの相棒探しは恋人選び“浮気”はご法度

NTCビーチバレーボール競技特別強化拠点の川崎マリエンで練習する清水啓大(左)と村上斉(左から2人目)(撮影・平山連)

「ビーチバレーボールのペア組みは、恋人選びと似ているんです」。東京五輪出場を目指す清水啓輔(33=フリー)は独特な表現を交えて語る。清水がこう表現するのは、より良いパートナーを見つけようと各選手たちが動向を探り合う様子を言い表している。

2人1組で行うビーチバレーは、2人が出場した大会で得たポイントの合計が国内ランキングに反映される。上位チームになればNTC(ナショナルトレーニングセンター)の関連施設を優先的に使えるだけではなく、東京オリンピック(五輪)出場権を争う戦いにも加われる。戦略的な観点から、1、2シーズンという短い期間でペアを解消するケースも珍しくない。

清水、村上斉(31=ADI・G)組は、日本バレーボール協会が選出する強化指定選手だ。清水は最新の国内ランキング12位(1135ポイント)、一方の村上は9位(1272ポイント)。合計が2407ポイントで、チームランキングは4位。上位6チームが出場できる東京五輪日本代表決定戦(1枠)に出場し、代表入りを目指している。

2人がペアを組むのは、約4年ぶりだ。16年リオデジャネイロ・オリンピック(五輪)アジア大陸予選日本代表決定戦に挑んで決勝で敗れたが、リザーブチームとして日本代表に選ばれた。その後はそれぞれ違う選手とペアを組んでいたが、共通の目的である来夏の東京大会出場へ再結成した。

清水は村上とペアを組むまでの約1年間、意中の相手が見つからなかった。それでも、国内ランキング上位を維持するため大会に出場してポイントを獲得しなければならず、各大会ごとに周囲に掛け合って急造チームで臨んでいた。「ビーチバレーボールは実力でのし上がる世界。より上位の選手と組みたいと思っていたので、ペア選びは妥協できませんでした」と振り返る。

上位ペアが解消されるとのうわさが出ると、すぐさまラブコールを送った。電話やメールで「ペアを組みたい」と単刀直入に意思を伝えることもあれば、1度食事に誘って相手の真意を確かめることもある。上位陣の動きに呼応して他のペアも立て続けに組み替えるケースがあり、清水は「まるで恋人を『シャッフル』しているみたいです」と独自の見解を述べる。

実際にペア結成しても、苦労は尽きない。ほとんどのチームが、移動や食事のほか、遠征先の宿泊部屋さえも共にすることになる。活動資金が乏しいため遠征費を節約したいからだ。普段仲良くても、長期になると煩わしさを感じてストレスがたまることもある。ビジネスライクな付き合い方をしていたり、けんかが絶えず冷め切っていたりと、各チームで特徴が分かれるようだ。

より良いパートナーを見つける上で、ご法度なのは「浮気」。複数の選手へ同時にラブコールして返事待ちをすることや、ペア解消を伝えないでパートナー探しをするのは相手との信頼を大きく損なう。目的を達成するために短期的に見たら良いことでも、長期的には禍根を残しかねない。他の選手と良い関係を築きつつ競技を続ける上で、度が過ぎた駆け引きはマナー違反になる。

清水は「昨日の敵はきょうの味方になるのが、ビーチバレーボール。他のプレーヤーを邪険にしていたら、できませんよ」。

4年ぶりにペアを組む村上から選ばれたのは実力だけではなく、相手を思いやる誠実さも評価されたからだろう。落ち着きを払った33歳の姿には、味方を包み込む優しさを感じさせる。どんな経緯でチームが結成されたのか-。これもまた、ビーチバレーの別の楽しみ方かもしれない。【平山連】(日刊スポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

得点が決まって互いをたたえ合う清水啓大(左)と村上斉(撮影・平山連)
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少しずつでも…トーナメント関わる人々の待遇改善を

日本女子プロ選手権練習日のドライビングレンジ。奥に見えるのが各メーカーのツアーバン(撮影・加藤裕一)

今年の国内女子ツアーも、日本女子プロ選手権コニカミノルタ杯で5戦目になった。コロナ禍で開催に踏み切った主催企業には、感謝しかない。主催者として億単位のお金を出し、万が一の際のリスクまで背負うのだから。一方、厳戒態勢の大会を重ねる中で「もっとこうしたら、大会が充実するのでは…」という部分もいくつか見えてきた。感謝を大前提に「できれば」の思いで、書いてみたい。

まずメーカーのクラフトマン、つまりクラブ担当の作業について。彼らはツアーバン(トーナメントカーとも言う)でコースにやってきて、選手の要望に応じ、シャフト交換をしたり、ライ角などを調整する。通常時は練習ラウンドに同行したり、ドライビングレンジ(打撃練習場)で実際に選手が打っている様子、球筋などを見て、自分なりの意見を持った上で選手のフィーリング、意見を聞き、作業に入る。いわゆる「フィッティング」だ。

ところが、今はそうはいかない。コロナ対策で「密」や極力接触を避けるとの理由で、練習ラウンドの同行はおろか、ドライビングレンジの立ち入りも禁止。「選手の球」が見られない。居場所は基本的にトーナメントカーの中だけだ。

あるクラフトマンが言う。「たとえば、選手が“球が右に行く。捕まらない”と言ってきたら、それをそのまま信じるしかない。自分はスイング、球筋を実際に見てないんですからね。結局、ロフトを立てて、ヘッドを左に向けたりして、調整したクラブを渡します。でも、本当にそれが正解なのかと不安が残ります」

プロと職人の会話が一方通行なら、プロのパフォーマンス向上につながらないおそれもある。まして、それが女子プロなら…。「男子プロなら(一方通行でも)ほぼいいんです。クラブのこと、わかってますから。でも、女子プロは男子よりクラブそのもの、構造、理屈をわかってない場合が多かったりしますから」。

せめてドライビングレンジで、すぐ近くでなく、10メートルほど後方からでも、ロープで囲ったエリアからでも選手の練習を見られたら、選手とクラフトマン両者にとって、よりよい成果が得られると思うのだが…。

ちなみに選手の用具はクラブだけじゃない。クラブに付随するシャフト、グリップのメーカーもあって、担当もいるのだが、彼らはコースに入ることすらできないのが現状だ。

あとプロキャディーの食事、衛生面について。彼らは通常、クラブハウスに出入りし、食事も選手ととったり、トイレも済ますことができる。しかし、今はクラブハウスへの立ち入りが制限されており、食事はコンビニで買って、持ち込み、仕事の合間を縫ってキャディーの待機場所で食べるパターンが多い。日本女子プロ選手権では冷蔵庫が準備されたようだが、それもない時は買ってきたものが傷む可能性があり、菓子パンだけだった、という話もある。10キロ以上のバッグを担ぐ力仕事なのに、酷な話だ。

大会は開催コースによって、クラブハウスの規模や設備も違う。そのため一律同じに、というのは無理な話かもしれない。しかし、せめて、どうにかなるものなら…。できる範囲で、少しずつでもトーナメントに関わる人々の待遇改善に期待したい。【加藤裕一】(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)

We Love Sports

田村大さん描く「スーパーヒーローの必殺技」に期待

田村さんが描いた大坂なおみ

「スポーツの力」とは何か。コロナ前より、その役割、意義が問われ、そのパワーについて注目が集まる。アスリートを題材にしたイラストで世界的人気を博す田村大さん(36)。なぜスポーツを題材にするか聞くと、「力」に関して1つの答えがあった。

「アスリートって『スーパーヒーロー』なんだと思うんです」

似顔絵の国際大会(16年)で世界一となり、アーティストで生きると決めた3年前。「大人になってヒーローとして見ている対象は何なんだろう…」と考えたという。日本では、漫画の主人公の多くは子ども。一方でアメリカンコミックは、成熟した大人が主役。ヒーローが、体を鍛えて強くある。「米国人はその姿を見て、家族を大切にしたり、鍛えて格好良くいようと思っているのでは? 日本では誰なんだろう?」。

頭に1つのフレーズが浮かんだ。「ヒーローインタビュー」。試合で活躍した者の時間。「まるでスーパーパワーを手にして飛んだり跳ねたりしているようで、生身の体ですよね。そこにみんな夢を託して応援している。かなえてくれる存在だと」。その確信が、いまやインスタグラムでフォロワー10万人超えの創作活動の原点だった。

「日本人が見るとアメコミみたいに見えるし、米国人が見ると日本の漫画に見える。その間がオリジナリティーです」。作品は躍動感に満ちる。「そのスポーツの中でよりエネルギーを発しているシーン、勝負どころを選ぶようにしています」。夢中になった「ドラゴンボール」などの漫画を思い返しながら、「まさに必殺技を出している瞬間、ですよね」と形容する。J1ヴィッセル神戸のイニエスタ、ボクシングの村田諒太など、描いてきた選手は多様だ。

アスリートの躍動する姿を間近で見る機会が少ない今だからこそ、描かれた絵が与える強さ、速さ、美しさが印象を濃くするのかもしれない。「引き続き、世界を代表するアスリート、スポーツのシーンにどんどん関わっていきたい」。絵を楽しみに、直接この目で「必殺技」を見られる時も待ちたい。【阿部健吾】(日刊スポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

山田幸代のラララ・クロストーク

海外からきたアスリートの挑戦を伝えたい/山田幸代

初めまして、スポーツアンカーの山田幸代です。

これから、ニッカンスポーツ・コムのコラムメンバーとして、Joinさせていただくことになりました。

なにとぞよろしくお願いいたします。

山田幸代

まずは、簡単に自己紹介をさせてください。

私は、1982年生まれの38歳で、ラクロスというマイナースポーツのプロフェッショナルとして、現在も活動しています。そして、そのラクロスを通じて世界で活躍するたくさんの選手の皆さんと接点を持たせていただき、そこから学んだことを、スポーツアンカーとして伝える仕事をさせていただいております。

日本では、まだなじみの薄いラクロスですが、世界では、アメリカを中心に広がってきているスポーツです。4年に1度、ワールドカップが開催されており、世界では現在63カ国の国が加盟しています。

元々、カナダ含む北米のネイティブアメリカンの格闘の儀式として始まったスポーツで、日本では、現在2万5千人ほどの競技人口がいます。

私も京都産業大で2001年からラクロスをはじめ、2005年には日本代表としてワールドカップに出場し、5位に。その後、「子供たちの夢の1つにラクロス選手になりたいと言ってもらえるようなスポーツにして、子供たちのスポーツの選択肢を増やしたい!」という思いから、プロ規定のなかった中、ラクロスだけで生活をしている選手になり、普及に尽力したいとプロ宣言し、プロラクロスプレーヤーとなりました。

日本代表として出場した世界大会では、世界の壁を痛感し、思ったような結果を得ることができませんでした。

では、世界トップレベルの国と日本との違いが何なのか。ということを見つけ出したいと思い、世界の強豪国であるオーストラリアに移籍をしました。

ラグビーのように、違う国へ移籍をすることを人生で1度だけ許されているラクロスの規定を使い、2017年にはオーストラリア代表としてワールドカップ、ワールドゲームズという世界大会に出場し、ワールドゲームズでは銅メダルを獲得しました。

オーストラリア代表になるまでには、さまざまな悔しい経験をしてきましたが、2カ国以上でプレーを経験してきている中で、学んできたこと、感じてきたことがいくつもあります。

その中から、文化や生活の違いやリーグやチーム内の日本での当たり前の違いなど、みなさんにぜひお伝えしたい「海外選手の他国での挑戦」というテーマで発信させていただきたいと思っています。

取材をして、選手たちへインタビューをさせていただいた中から、自らの感じることや、お伝えしたいことをまとめ、この場所でみなさんと共有をしていきたいと思います。

なぜ、海外の選手に特化したコラムにしたいのか。それは、海外の選手が自国でプレーするのではなく、他国で挑戦することがどれほどの覚悟が必要で、大変なことなのか、を自らが実感したからです。また、その中で結果を出すためには自分の変化を怖がらないことを学んだり、環境との調和などがいかに大切か、また自らの芯を貫かなければならいない場面など、たくさんの意思決定が必要なのです。

 

私は2007年、オーストラリアにチャレンジしたいと思った時に、英語が全くできなくて、それでも「何とかなるだろう」と、甘い考えで海を渡りました。子供の時からずっと、チャレンジすることが好きで、頑張ったら頑張っただけ結果が出るものなんだろうと信じてやり続けてきました。楽観的な性格なんです。

しかし、言葉が伝わらない、わかってもらえないという“ランゲージバリアー"は、想像以上に高い壁でした。生まれて初めて「なんともならないこともあるのだ」と実感させられたのです。

海外挑戦で大きな期待とワクワク感の中で飛び込んだ私でしたが、とても悔しい思いや、苦労もすることになりました。

例えば、私生活の面でも、アイスクリーム屋さんに行ったときに「バニラアイスクリーム」を注文しても「チョコレートアイスクリーム」が来てしまったり、チームメイトが「月曜日の練習会場はスタジアムだよね?」と聞かれたときに、何を聞かれているかわからず何でもかんでも「イエス!イエス!」と答えていたので、本当は練習がお休みの日だったのに、違う情報を与えてしまったり。本当に、迷惑をかけてしまったことや、思うように私生活を送れなかったりと大変な経験をしました。

それほど、「言葉」という伝達ツールは、必要不可欠で、スポーツの中でも絶対に無くせないものなんだということです。

ラクロスがマイナースポーツだから通訳を帯同できないことが問題なのではなく、自らの言葉でどれだけコミュニケーションが取れるかということが、大切だと海外経験から学びました。

日本にも、野球、サッカー、バレーボール、バスケットボールなど、さまざまなスポーツで海外から選手が来日し、各チームに加入しています。

しかし、その選手たちもとても大きな苦労や、日本の文化でわからないことがあったり、またはチームに対して、国に対して期待をすることなど、本人の中で考えていること感じていることがたくさんあるのだと思います。

自分の経験を踏まえて、海外からの選手たちへたくさんのことを聞いていきたいと思い、このコラムでのキーテーマとさせていただきました。

このコラムを通して日本の文化に触れ、日本のスポーツを盛り上げてくれる海外からのスーパースターたちのアスリートとしての、また人としての素晴らしさをお伝えできればと思います。

そして、現役アスリートとしてしか聞けないことやマイナースポーツだからこそ知りたいメジャースポーツの苦労など、いろんな視点からスポーツアンカーとして、みなさんに真意をお伝えできるよう頑張りますので、ぜひよろしくお願いします。

(スポーツアンカー 山田幸代)

We Love Sports

豪雨から2カ月…ラグビー不毛の地にできたつながり

昨年12月に人吉市で行われたラグビー体験会(人吉ラグビー協会提供)

熊本県南部を中心に甚大な被害をもたらした豪雨から、9月4日で2カ月となる。人口3万人ほどの人吉市では球磨(くま)川が氾濫。広範囲が浸水し、今も復旧に向けた作業が続く。

人吉ラグビー協会の西智之会長(54)は、最近も市の中心部である九日町へ出向いた。2カ月前と比べて町並みはきれいになった。それでも車を降り、歩いて銀行へ向かう度に、被害の大きさを実感するという。

「2カ月が経過しますが、まだ泥のにおいがします。ラグビーをしていて、グラウンドで感じる土のにおいとは、また違うんです。いろいろな物が混じったにおい。(16年の)熊本地震も経験しましたが、今回の水害はまた違いますね」

この春、人吉ラグビー協会が発足した。西会長が代表を務める人吉ラグビースクールは、4月から本格的な活動をスタートするはずだった。だが、新型コロナウイルスの影響で、いきなり活動の自粛が続いた。

「今、正式に登録されているスクール生は8人です。上は小4、下は幼稚園。コロナはどうしようもないけれど、勧誘の意味でも痛かったですね。子どもたちも『いつラグビーできるの?』と言っていました」

6月に感染対策を施し、少しずつ活動を再開。だが、次は豪雨に見舞われた。

「本当に『命があっただけ、良かったね』という状態。スクールの子の家は、天井まで水が届きました。協会関係者も床上浸水だったり、車が流されたり…」

コロナと豪雨は「機会」を奪った。練習会場の「中川原公園」には球磨川の土砂が流れ込み、美しい芝生は姿を消した。他のグラウンドにも仮設住宅が建ち、小学校は避難所となった。

不毛の地に、ラグビー文化を根付かせたい-。

始動の動機はシンプルだった。昨秋のW杯日本大会。西会長らは人吉市でパブリックビューイング(PV)を企画した。最初は15人程度だったが、準決勝では約25人が集った。熊本市のえがお健康スタジアムでは2試合が行われた。ラグビー熱は人吉でも実感した。

「この町のラグビー経験者は私を含めて、数人だと思います。ほそぼそと企画したPVにラグビー経験が全くない子どもが来て、その子らに『体験会をやってほしい』と言われました」

12月15日、中学生チーム「熊本サンデーズジュニア」を招いて体験会を開いた。そこに市内の子ども50人以上が集った。簡単なパスや、コンタクトバック相手の突進。笑顔があふれる時間だった。現在は人吉ラグビー協会の事務局長を務め、競技経験のない横山隆一さんが力強く呼びかけた。

「ラグビー協会を立ち上げよう!」

協会メンバーは約10人。手作りの組織が生まれた。

2カ月前の豪雨を経て、西会長には気付きがある。

「全く知らない、会ったこともないラグビー界の人たちが手を差し伸べてくれる。『ラグビーのつながりっていいな』と思います」

関係者を通じて11年W杯日本代表ロックの北川俊澄(39=日野)から連絡を受けると、人吉ラグビースクールに対してオリジナルジャージーの提供を打診された。他のトップリーグチームはもちろん、遠くは岩手・釜石市で活動するNPO法人「スクラム釜石」からも支援の連絡を受けた。

9月からは人吉市に隣接する山江村の小学校を借り、スクールの活動を本格的に始める。秋には被災者とラグビーに親しむイベントも企画する予定という。西会長は自らに言い聞かせるように、こう言い切った。

「来てしまった災害は仕方がないです。去年のW杯でラグビーは『人に勇気を与えられるスポーツ』と知ってもらえたと思います。そこに住んでいる人間が、どうやって元気になっていくか。人吉ラグビー協会も、その役に立ちたいです」

生まれ育った町の傷は簡単に癒えない。それでも必ず立ち上がる。【松本航】(日刊スポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大ではラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月からは西日本の五輪競技やラグビーが中心。18年ピョンチャン(平昌)五輪ではフィギュアスケートとショートトラックを担当し、19年ラグビーW杯日本大会も取材。

昨年12月に人吉市で行われたラグビー体験会で笑顔を見せる参加者(人吉ラグビー協会提供)
今年8月に公園の一角で行われた人吉ラグビースクールの活動(人吉ラグビー協会提供)
今年8月に公園の一角で行われた人吉ラグビースクールの活動(人吉ラグビー協会提供)
豪雨の被害を受けた人吉市の中川原公園。これまでは芝生がきれいな場所だった(人吉ラグビー協会提供)
豪雨の被害を受けた人吉市街地(人吉ラグビー協会提供)
豪雨の被害を受けた人吉市の中川原公園(人吉ラグビー協会提供)
We Love Sports

1億円分の餃子契約?B1大阪と大阪王将が爆笑動画

大阪のチームとスポンサーのコラボによるインターネット動画に、笑いと反響が広がっている。

バスケットボールBリーグ1部(B1)の大阪エヴェッサは先日、世界初となる餃子1億円分の大型契約を所属選手と結んだとする特別動画を公開した。これはクラブのパートナーである大手餃子チェーン、大阪王将とのタイアップ企画の一環として収録されたもの。笑いどころが詰まった約9分間の作品で、当初はエイプリルフール用に準備されていた。しかし新型コロナウイルス感染拡大の影響が深刻化した4月1日時点での社会情勢から公開に踏み切れず、1度はお蔵入りになっていた。約半年を経て、いまようやく日の目を見ている。

ポイントガードの合田怜(27)が架空の契約発表会見に臨み、安井直樹社長(35)とともにシュールなやりとりを生真面目な表情で熱演。台本にはないアドリブも交えながらの収録となったそうで、チーム広報の田中美紗紀さんは、「2人とも笑いをこらえきれず、何テークも撮り直した」と明かす。NGがあまりに多かったため、「“餃田”選手は合計約4人前、おそらく20個ほど餃子を食べていたのでは」。ちなみにこの田中広報も、会見の司会進行役で動画に出演。貴重な脇役として、クールな演技で存在感を放った。

エヴェッサと大阪王将がパートナー契約を結ぶさい、双方でまず最初に設定したのが「オモロイやん!」というキーワードだったという。それに基づき、「大阪の企業同士だからこそできるオモロイ企画でプロモーションをしましょう」と、プロジェクトはとんとん拍子で進行。田中広報は、「大阪のノリの良さが出た企画では」とうなずく。

タイアップ第2弾として、大阪王将の店舗で収録した「食レポドッキリ」動画も投入。連動企画として餃子券が進呈される企画をSNSで展開するや、開始から3日間で約1400フォロワーが増加。「クラブ史上初めて」という反響を得て、「これまでエヴェッサを知らない方に知っていただく機会となった」(田中広報)。趣向を凝らして制作したオリジナル動画が、クラブの認知度を高めている。

新たなシーズンの開幕まで残り1カ月。大阪の強豪チームはコートから熱戦を届ける準備をしつつ、まずは動画でファンを笑顔にしている。【奥岡幹浩】(日刊スポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

中川真依のダイビング

最初の五輪後に生理を調整しようと決めた/中川真依

私はもともと生理不順で、生理が月に2、3回くることもあった。幸い生理痛はほとんどなく、ただ人よりも生理が多いだけだと思っていた。

いつも生理が終わった後は気持ちがスッキリしているせいか、試合ではいいパフォーマンスができ結果も良かった。

2008年の北京オリンピックでも幸運なことに生理後に試合が来るという日程で、順調に決勝まで進んだ。

そんな中で迎えた決勝当日の朝。

なんと来るはずのない生理が今までに経験したことのない痛みとともにやってきた。立てないほどの痛みの中、はいつくばってドクターの元へ行くと、「きっと緊張やストレスからホルモンバランスが崩れてしまったのだろう」と言われ、痛み止めとおなかを温めるマットを借りて、決勝へ出発するまでの間、部屋で寝ることにした。

決勝では痛み止めの効果で痛みこそ無かったものの、違和感と「また痛みがぶり返したらどうしよう」という不安を抱えたまま試合に臨むことになってしまった。

初めてのオリンピックで決勝に進出できたことは大きな収穫ではあったが、大舞台では緊張だけでなく思わぬ事態と戦わなければならないという、自分がコントロールできない部分の難しさを思いしらされた。

ロンドン五輪準決勝での筆者

そして迎えた2012年ロンドンオリンピック。同じ過ちは繰り返すまいと、北京オリンピックでの経験を生かし、婦人科でピルを処方してもらい思い切って生理を調整してみることにした。

しかし、それが違う形となって私に試練を与えることとなった。

処方されたのは超低用量ピル。それでも私の体は過剰に反応し、むくみや筋肉の弱体化を招いてしまったのだ。

私より先にトレーナーがその変化に気づき、すぐに飲むのをやめたが、運動の負荷に筋肉がついていけなくなっていた。その結果、腹筋の肉離れや首の捻挫を招いてしまい、思うように練習が出来なくなってしまった。

その代償は試合のギリギリまで引きずり、オリンピックに向けて挑戦していた高難度種目の練習やケガの治療に加え、増えてしまった体重を戻すことに毎日必死だった。

なかなか元の感覚には戻らなかったが、人生をかけてつかみ取ったオリンピックを悔いなく迎えるために最善を尽くし、何とか戦える状態にまで持っていった。

しかし、さらに試練は続いた。

準決勝が始まる1時間前にギックリ腰になってしまったのだ。準決勝敗退。北京オリンピックのリベンジはかなわぬ夢となって終わってしまった。

この結果をどう受け止めればいいのかすぐには答えが出ず、その意味を自問自答する日々が続いた。

海外の選手は若い頃から当たり前のようにピルを使って生理を調整していた。

しかし私は、人一倍薬を飲むことへの抵抗心があり、自然の中での自分と向き合うことを優先してきた。ドーピングの心配もあり、風邪でもなるべく薬に頼らないようにしていたが、自分が服用するものへのきちんとした知識や、自分に合うものを選べばなにも問題なかったのかもしれない。

後になって、超低用量ピルと言われるものにはいくつも種類があり、人によって合うものと合わないものが存在することを知った。

時間に余裕をもって、信頼できるドクターとともに、自分の体に合ったものを服用すれば、ピルは女性の強い味方になってくれるはずだ。

私の経験が、これから活躍する女子選手たちの役に立ってくれれば幸いである。

(中川真依=北京、ロンドン五輪飛び込み代表)

チアの木曜日

GRITS TOPAZ、チアと仕事や学業など両立

今回は、「GRITS TOPAZ(グリッツトパーズ)」。今年6月に誕生した横浜市初のプロアイスホッケーチーム横浜GRITSのオフィシャルチアリーダーズです。チームの特徴や抱負などを聞きました。

グリッツトパーズ(C)YOKOHAMA GRITS/Photo by Michi ISHIJIMA

6月に誕生した横浜グリッツのキーワードは「競技人としても企業人としても一流を目指す」。選手はプレーしながら、それぞれが企業に所属し、競技活動と仕事を両立させている。チームは、働き方改革として“デュアルキャリア”の実現を目指している。

同時に誕生したチアチームのグリッツトパーズも、仕事や学業などチア以外の活動を両立。メンバーは、企業の正社員やダンスインストラクター、大学生などさまざまなバックグラウンドを持つ。

チアと仕事や学業などを両立させるグリッツトパーズ(C)YOKOHAMA GRITS/Photo by Michi ISHIJIMA

キャプテンを務める岩橋綾音さんは、Xリーグの元チアリーダーで、現在は1児の母。今回チアリーダーとして現役復帰をする。「ライフステージの変化によって、何かを諦めざるを得ないと思っている方の背中を押せるような存在になりたい」と意気込みを話す。

メンバーの長谷川万紘(まひろ)さんは、立教大チアダンス部に所属していたが、2年時にけがをして手術と1年間におよぶリハビリを経験。復帰したものの、目標にしていた全国大会がコロナで中止となった。その後、就活で客室乗務員を目指すも、採用試験も中止。卒業後、「もう1度、何かに向かって仲間とともに熱くなる経験がしたい」と就活とチアを両立できるグリッツトパーズのオーディションを受験した。

ディレクターの大嶋さん

ディレクターの大嶋夏実さんは「チアは人生のキャリアを形成する1つの過程であり、武器になるべき存在。チアリーダーが持っているホスピタリティーや活力は、社会に出たときに必ず生きてきます」と話した。自身も、チアと学業や仕事を両立。競技チアの強豪中大付高でチアを始め、中大3年時には15年世界大学チアリーディング選手権大会POM部門で優勝。卒業後は大手広告会社に勤務しながら、バスケットボール日本代表オフィシャルチアリーダーズ「AKATSUKI VENUS」の第2、3期のキャプテンとして活動した。

「学生時代からのチア活動を通してつらい時こそあいさつと笑顔を忘れないこと。どんな壁にぶつかろうとも諦めない気持ち、忍耐力、行動力、仲間を信じる心、飛び込む力などのチアスピリットの大切さを学びました。それが今の仕事に生かされています。例えば、得意先の方と良い関係を築くために、笑顔やホスピタリティーを日頃から意識するようになりました。任された仕事への責任感にもつながっています」と話した。

サービス業のメンバー、高山奈那さんは、活動を通して「“どんな時も笑顔を貫く”というチアリーダーの経験を、仕事においても失敗や困難を笑顔で乗り越える力に変えていきたいと思います」と話した。

チーム名には、希望や勇気を与え、夢や目標に向かって後押ししてくれる“宝石(トパーズ)”という意味が込められている。

チームは3つのイメージ「GRIT(やり抜く力)」「POSITIVE(前向きな)」「GRACEFUL(気品ある)」を大切にしている。自分が決めた目標は前向きにやり抜き、人とのコミュニケーションや立ち居振る舞いを通して、気品あふれる女性となることを目指している。

今後について、大嶋さんは「チアリーダーとして、パフォーマンスのみならず、社会で活躍する女性のロールモデルとしても必要としてもらえるチームになることが目標です」と話した。(おわり)

◆GRITS TOPAZ(グリッツトパーズ)20年6月創設。拠点は横浜市。ホームリンクはKOSE新横浜スケートセンター。人数は10人。練習は横浜市内で週1回、約3時間。試合でのパフォーマンスのほか、地域イベントやボランティア活動などを行う。

We Love Sports

「花園あると信じて」いつもと違う夏の高校ラグビー

サンガスタジアムbyKYOCERAで記念写真に納まる京都成章と常翔学園の選手たち(撮影・松本航)

<常翔学園34-22京都成章>◇30日◇サンガスタジアムbyKYOCERA

帰り支度を終えた高校ラグビーの名将が、真新しいロッカー室から出てきた。

「夏休み初めての試合。練習ばっかりやってたから、どれぐらい強くなってるんかが、分からんかった」

昨年度の全国高校大会で4強入りした常翔学園(大阪)野上友一監督(62)は、そう言ってほほえんだ。

8月30日。京都・亀岡市に今年新設されたサンガスタジアムbyKYOCERAで、初めてのラグビーが行われた。位置づけは「交流試合」。相手は昨年の花園準々決勝で27-24と競り勝った、京都成章だった。

この日は前半を14-12で折り返すと、後半は互いに多くの選手を入れ替えた。最終スコアは34-22。勝利した常翔学園は相手防御ラインを突破後、裏のスペースで巧みにパスをつないだ。FWのモールも光った。

序盤の猛攻は、まさに「水を得た魚」だった。前半2分に華麗なBKの連係で先制トライを奪うと、同7分にはモールで2トライ目。早々に主導権を握った。試合後、常翔学園のロック木戸大士郎主将(3年)は感慨深げに振り返った。

「試合は近畿大会以来です。そこからずっと練習。暑い中やってきて『やるしかない』と思っていました。本当に楽しかったです」

直近の試合を調べてみると、2月23日。近畿大会の第5代表決定戦だった。「夏休み初」どころか、半年も遠ざかった実戦だった。

その第5代表決定戦では関西学院(兵庫)を22-21で破り、3月に行われる予定だった全国選抜大会(埼玉・熊谷)の切符を手に入れていた。だが、新型コロナウイルスの影響で大会は中止。6月、約3カ月ぶりに再始動したが、8月の長野・菅平合宿を見送った。

OBでチームを90年から率いる野上監督は言った。

「ずっと大阪におる夏は、中学生以来ちゃうかな」

例年は大阪に比べて涼しい菅平で、全国の強豪と多くの試合をこなしてきた。だが、今年は学校の隣に位置する淀川の河川敷で練習漬け。暑さと戦い、教え子は踏ん張った。監督は「あとはゲームフィットネス。楽しみ」と期待を込める。

いつもと違う「夏」-。

それは相手の京都成章も同じだった。常翔学園と同様に菅平合宿を見送った。湯浅泰正監督(56)は「難しさ」の一端を明かした。

「石橋をたたいて、慎重にここまできました。菅平に120人強の部員で行くとなると(感染予防策の)管理も難しくなる。それ以外でも、練習試合30分前に『もしかしたら…』という体調不良が分かり『やめておこう』となったこともあります。30分前でも分からない。『明日』がどうなるか、分かりませんよね」

学校の方針でフェースシールドが1人1個配られ、食事の際に使用。実戦は7月末から行い、この日の交流試合が6試合目だった。

「子どもたちに『1戦1戦、一瞬一瞬を大事にしよう』と伝えています。もちろん(冬の)花園があると信じ、準備するしかありません。今を大事に、かみしめながら挑戦する。充実した日々を過ごしています」

自粛期間中、京都成章の3年生部員はオンラインで仲間とつながり、全員で小論文に取り組んだという。「コロナ禍で得たもの」「大人になったら」「目標がなくなった時、何をやるか」…。20分程度で800字にまとめた。最初は苦しんだが、SO辻野隼大主将(3年)は成長を実感する。

「制限時間内で何かをしないといけない。ラグビーの理解度はもちろん、小論文では考える力がつきました。今年は『(体の)デカさよりも賢さ』というラグビーをしたいです。どのチームも(例年通りに練習を)できていない3カ月(3~5月)を、充実させられた。それは成章にとって、プラスになると思います」

今冬、全国高校大会は第100回の大きな節目を迎える。悩み、考え、いつもと違った環境で鍛えた夏が、まもなく終わる。湯浅監督の言葉通り「明日」は分からない。それを承知の上で、集大成を披露する場があってほしい。【松本航】(日刊スポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大ではラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月からは西日本の五輪競技やラグビーが中心。18年ピョンチャン(平昌)五輪ではフィギュアスケートとショートトラックを担当し、19年ラグビーW杯日本大会も取材。

サンガスタジアムbyKYOCERAで初めてのラグビーの試合に臨んだ京都成章(右)と常翔学園(撮影・松本航)
京都成章との交流試合でモールからトライし、喜びを爆発させる常翔学園の選手たち(撮影・松本航)
サンガスタジアムbyKYOCERAでの交流試合を前に整列した京都成章の選手たち(撮影・松本航)
ピッチマーク

少ない試合でも話題豊富 可能性感じた女子ゴルフ

笹生優花(2020年8月28日代表撮影)

女子ゴルフの国内ツアー取材は、第2戦のNEC軽井沢72から、記者が競技会場で取材できるようになった。と言っても、コース内を歩き、選手のプレーを見ることはできない。従来、プレスルームが置かれていたクラブハウスにも入ることはできない。練習場横の駐車場に建てられたプレハブの仮設プレスルームが記者の居場所だ。

朝、会場に着くと、まずは検温と顔認証での身元確認。検温で異常がないと、その日限りの検温済みステッカーをシャツの左腕の部分に貼り、晴れて取材が可能となる。基本、選手のプレー中は、仮設プレスルームで待機。前面のリーダーボードと、時折映る中継局テレビの映像で、その日の動きを確認する。

それでも、プレーを終えた選手と対面で、取材する機会は設けられた。プレーを終えた選手が上がってくる18番ホールからクラブハウスへ向かう間のわずかなスペースだった。プレスルームからそこへ向かうにも、いちいち検温のポイントを通り、顔認証で身元確認する。新型コロナウイルス感染症対策のため、猛暑の中、何往復もするのは酷というものだが、仕方ない。

昨年11月以来、久しぶりに嗅ぐゴルフ場の芝のにおいは格別だった。女子ツアー開催のゴルフ場とは思えないほどの静けさ。そういえば、昨年のNEC軽井沢72は、AIG全英女子オープンで優勝した渋野日向子の帰国2戦目で、早朝から選手の車も会場入りが遅れるほどのシブコ渋滞で大にぎわいだった。

久しぶりに生で見る選手の顔が、キラキラ光って見えた。調子が出ないときの鈴木愛の独特な表情、黄金世代とそれより下の年代の選手たちのフレッシュな笑顔と、出場機会の限られた選手の鬼気迫る表情。リモート会見では分からないちょっとした表情の動き。今までなら当たり前だった取材現場の日常が、どれだけ貴重なものであったか。あらためて実感させられた。

NEC軽井沢72では、笹生優花という新たなスターが誕生した。開幕戦から2戦連続で、若い世代の活躍が去年以上に目立ってきた。開幕戦での渡辺彩香の復活V。そして、AIG全英女子オープンでの上田桃子のキャリアハイ6位という大活躍。コロナ禍で今年前半の活躍の場は奪われたが、少ない試合の中でも話題豊富。女子ゴルフの可能性を大いに感じさせてもらった。【桝田朗】(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)

チアの木曜日

猿田彩さん チアリーダーは「自分の理想像」

今回は、NFLチアリーダーのオーディションに挑戦中の猿田彩さんです。「理想像がチアリーダー」と、大学から始めたチアに魅了された理由を聞きました。

       ◇     ◇

猿田さんは大学3年時、ハワイ大学に留学したことが、自分の理想を描くきっかけになった。約4カ月間、現地のチアダンス部で活動。きっかけは「大好きな踊りで人にエネルギー与えながら、ボランティアや福祉の活動ができる。自分がやりたいこととマッチしていると思いました」。バスケットボール部などの応援活動のほか、授業のカリキュラムで、学校へボランティア訪問もした。

猿田さんはNFLチアリーダーのオーディションに挑戦中

メンバーは、10~30代の男女19人で、日本人は猿田さんだけ。元NBAダンサーがいたり、キャプテンだったメンバーはNBAダンサーに合格した。「彼女たちは私が入部したその日から、何かあればいつでもメッセージして、と声をかけてくれました。自主練も誘ってくれました。人に熱く、温かい。そんなチアリーダーになりたい、と思いました」。

帰国後は、NFLチアリーダーのワークショップに参加、さまざまなダンスレッスンにも通い、多くのチアリーダーからさらに影響を受けた。「皆さんパワーがあって、エネルギーにあふれていて、毎回毎回、元気をもらいます。ユニホームを着ている、着ていないに関係なく、そういう女性に近づきたい。自分の理想像がチアリーダーなんです」と話した。

ハワイ大学で(猿田さんは2列目左から3番目)

考え方も変化した。「昔の自分だったら、何かあったら最低限で物事を考えるようなタイプでした。でも今は、これもチャンスと捉えてプラス! プラス! に考えられます。チアの持つ力です」。さらに「第一印象が良くなって、初対面で話しかけられることが増えました。自分から積極的に話しかけるようにもなって、日常がより楽しくなりました!」。ワークショップでは「緊張してる子に話しかけてみよう、鏡の前を譲り合おう、と思えるようになったのはチアリーダーのみなさんのおかげです。それによって、“一緒にがんばる仲間”にも出会えました」。

大学4年時には自分の可能性を求めて、チアの本場・米国への挑戦を決めた。ダイナミックにみせるダンスを学び、体作りのためにトレーニングや食事療法に取り組んできた。

大学卒業とともに3月上旬に渡米。5月にはNFLのバッカニアーズとベンガルズを受験した。新型コロナウイルスの影響で、通常の受験とは異なり、書類審査とビデオ審査で挑戦。バッカニアーズこそ突破できなかったが、ベンガルズは予選とセミファイナルを通過した。5月下旬の一時帰国後、6月上旬にはファイナル受験で再渡米した。

現在は、ファイナルの日程待ち。今後に向けて「周りのチアリーダーたちの考え方を身近に感じたいです。それを吸収して、良いと思った部分は自分に当てはめて、成長していきたいです。オーディションに向けて、周りへの感謝の気持ちを持って、今年はバーチャルですが、Enjoy the process、この過程も大切に楽しみたいです」と話した。

猿田彩さん

◆猿田彩(さるた・あや)静岡県生まれ。小3からクラシックバレエを始め、中学・高校では創作ダンス部に所属。大学からチアダンスを始めた。ジャズやコンテンポラリーダンスが得意。158センチ。

伊藤華英のハナことば

スポーツの価値について議論してみよう/伊藤華英

甲子園で行われた交流試合。東海大相模に勝利し、校歌を歌う大阪桐蔭ナイン

コロナ禍で東京2020大会が1年延期となり、他にも数々のスポーツ大会が中止、延期になった。この状況の中で、さまざまな側面から「スポーツ」について考えることが多くなった。

高校生の大会ではほぼ唯一の全国規模となった先日の甲子園交流試合は、感染予防策を徹底し、無観客で全16試合を無事終了した。高校球児たちの思いを乗せた大会を見ると久しぶりに気持ちが前向きになり、明るくなった。この大会を行った意味は大きかったと感じる。

こんな日本のスポーツ界だが、「スポーツってどんな価値があるの?」と最近は常に自問自答している。そんな中、以前にもこの欄で紹介した井本直歩子さんの書いた記事が心に響いた。アトランタオリンピック競泳日本代表で、私自身のセカンドキャリアに大きく影響を与えた人だ。その内容は、スポーツの必要性を問うものだった。

「こんな時にスポーツかと言う人もいる。もちろん今は感染の状況や安全性などを鑑みながらになるが、私はだからこそスポーツの必要性を考えるべきだと思う」「それは豊かな国も貧しい国も変わらない」

彼女は国連児童基金(ユニセフ)職員、教育専門官でギリシャ在住。バックグラウンド(アスリートキャリア)から現在の活動に至るまで、1本の糸が通っている。こんな人もなかなかいない。オリンピックでの経験から、素晴らしい想像力と向上心と意欲が紐(ひも)づいて、人生を生きている。その姿を見ると、私にとってずっと尊敬する人なのだと思う。

少し振り返ってみる。井本さんが出場したアトランタオリンピックは1996年。国立スポーツ科学センター(JISS)が建つ前だ。日本のエリートスポーツ政策はその後に本格化した。2000年にスポーツ振興基本計画が当時の文部省で策定され、2001年にはJOCゴールドプラン、このあとJISSが建設され、日本アンチ・ドーピング機構、スポーツ振興くじ助成もできた。2011年にスポーツ基本法ができ、これに基づく今後10年間のスポーツ振興が、2012年にスポーツ基本計画において策定されたのだ。このエリートスポーツに対しての関心が高まる以前に彼女はさまざまな自身の知見から現在の道を開いている。

日本のスポーツへの関心が今、どうにかいい方向に向かってほしいと感じている。「競技する場所」がある、スポーツがあることがどんなに素晴らしいことなのか。

アスリートから得るものは多い。私がオリンピックに出場した時、テレビを見た友人が何か自分でもできることはないかと夜、走りに行った話を聞いた。それからランニングが習慣となり、スポーツが自身に根付いた。小さな話かもしれないが、こういったきっかけも人生において重要なものだと思う。

スポーツ、音楽、芸術。もっともっと、この価値を議論する場所があっていい。「そんなの必要ない」の言葉で跳ね返すのではなく、議論する。意見を言い合う。もちろん反対でもいい。賛成でもいい。さまざまな側面の意見が根本的にいいものを生むことに気がついて、相手の意見を尊重し、ディスカッションできる場所が増えたらいい。スポーツのあり方、価値について考えていたらこんな気持ちになった。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)

We Love Sports

「アレオ」が快挙アシスト、田中希実は小野市の希望

8月23日、セイコーゴールデングランプリ女子1500メートルで4分5秒27の日本記録を樹立した田中

7月末日時点で人口4万8216人。そんな兵庫県の中南部に位置する小野市が、全国的にスポットライトを浴びる1日となった。

8月23日、東京オリンピック(五輪)のメイン会場となる国立競技場。陸上のセイコー・ゴールデングランプリ女子1500メートルで、田中希実(20=豊田自動織機TC)が14年ぶりに日本記録を更新した。無心の走りで4分5秒27をたたきだし「うれしい気持ちを祐梨子さんに伝えたい」とほほえんだ。

「祐梨子さん」とは、田中が塗り替える前に日本記録を保持した小林祐梨子さん(31)。2人はそろって小野市出身。田中は以前から「祐梨子さんはいろいろな場面で私の名前を出してくださって、とてもうれしいです」と感謝してきた。

新記録樹立から一夜明けた24日、小野市は早速、垂れ幕の製作準備に入った。田中は7月にも3000メートルの日本記録を18年ぶりに更新。すでに庁舎には、その快挙を祝うものを設置している。わずか1カ月半で垂れ幕2本…というところにも、快進撃のすごさが伝わってくる。

コロナ禍の明るいニュースに市の担当者も喜んだ。

「小林祐梨子さんが(08年)北京五輪に出場されて、田中さんも東京五輪の候補になってくる。本当に喜ばしいことです」

快挙の裏には小野市の“アシスト”もあった。新型コロナウイルスの影響で大会中止が相次いでいた今春。4月にオープンした「小野希望の丘陸上競技場」は閉鎖されることなく、市民の利用が継続された。小野市では、緊急事態宣言中も市内の感染者はゼロ。利用時には3つの密を避けるなど感染拡大防止策を施し、市はさまざまな対応をシミュレーションした。

そうして、陸上競技場の「日常」は守られていた。

普段は京都の同志社大に通う田中だが、大学の授業はオンライン。通学時の生活拠点としている兵庫・尼崎市から戻り、地元の小野市に腰を据えられた。田中はその期間を振り返った。

「県外への合宿は控えましたが、小野市に4月から陸上競技場が新しくできて、県内でトレーニングをできました」

二人三脚で歩んできた父の健智コーチ(49)は、地元への感謝を語っていた。

「週に1~2回、1時間だけでも競技場を使えたのは自分たちにとって幸せで、恵まれた環境でした。コロナで閉塞(へいそく)感のある世の中でしたが、心の部分でも、窮屈な思いをせずに取り組めました。他の地域では走っていたら罵声を浴びせられたり…ということも聞きました。それが一切無かったのが、本当にありがたかったです」

その話の流れから、続けた言葉が印象的だった。

「自分たちは走ることでしか(思いを)表現できないので、だからこそ『結果を出したい』という思いが、より強くなりました。中高生も大会がなくなって、思いをぶつける場がなかなかない。自分たちの時代では全うして、燃え尽きて、次のステップに行けているのに、その場がない人に対して『頑張ろうよ』と言っても『違うでしょう』となると思います。それなら『自分のステージで頑張っている』ということを見せることで、何か伝わるものがあれば…と思っています」

「小野希望の丘陸上競技場」は、オープンした今年4月から1年間、一般市民の利用料を無料に設定している。競技場の愛称は「アレオ」。394件の応募からイタリア語やフランス語で「行け!」「頑張れ!」を意味する「アレ」と、小野市の「オ」を組み合わせた作品が選ばれた。

込められた思いは「行くぜ! 小野」。

世界へ羽ばたく二十歳の背中は、きっと地元市民の希望となる。【松本航】(日刊スポーツ・コム/スポーツコラム「WeLoveSports」)

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大ではラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月からは西日本の五輪競技やラグビーが中心。18年ピョンチャン(平昌)五輪ではフィギュアスケートとショートトラックを担当し、19年ラグビーW杯日本大会も取材。

8月23日、セイコーゴールデングランプリ女子1500メートルで4分5秒27の日本記録を樹立した田中(左)
米PGAツアーティーチング

ミケルソンの参戦で話題に 米シニアの楽しみ方

シニアツアーに参戦するミケルソン

PGAツアーはフェデックスカッププレーオフシリーズで盛り上がっているが、米国シニアツアーであるPGAチャンピオンズツアーも盛り上がっている。6月に50歳を迎えたフィル・ミケルソンが24日に開幕する米シニアツアー「チャールズ・シュワブシリーズ at オザークナショナル」(ミズーリ州オザークナショナルゴルフクラブ)への参戦を決めたという。

■試合勘を保つためシニア出場を決断

新型コロナウイルスの感染拡大でイレギュラーなシーズンとなった今季のPGAツアーだが、ミケルソンはトップ3に3度入ったものの、1度も優勝はない。先週開かれたプレーオフシリーズ第1戦のザ・ノーザン・トラストは2日目で予選落ちしたため、次戦に進むことができず今シーズンの出場機会はすべて失われてしまった。

とはいっても、9月に入れば、PGAツアーは2020-2021年の新しいシーズンが始まり、17日からは全米オープンがニューヨーク州のウイングドフットGCで開幕する。ミケルソンは既にマスターズ、全米プロ、全英オープンを制しており、この大会で初優勝を果たせば、キャリアグランドスラムの達成となる。

今回はシニアツアー参戦といっても本格的なものではなく、悲願の全米オープン制覇に向けた調整の一環として参戦を決断したのだろう。

しかし、ミケルソンがシニアツアーでどのようなプレーをするのか、多くのファンが楽しみにしていることだろう。

■アマの参考になるシニアのプレー

ゴルフの試合をテレビ観戦することが好きな人も多いと思うが、シニアツアーに注目している人はそれほど多くはないかもしれない。最近、CS放送のゴルフ専門チャンネルで、米チャンピオンズツアー(シニアツアー)の解説をする機会が多いのだが、アマチュアにとってシニアの試合は参考になる点が多いと感じる。

PGAツアーの試合では、スター選手による異次元の飛距離や超美技の「ショー」を堪能することができる。しかし、そのショーをアマチュアが自身のゴルフの参考にすることは現実的ではない。それに比べて、知略と技術を駆使してコースを攻略するシニアツアーは、アマチュアのゴルフ上達の参考になる部分が多い。

シニアツアーのコースセッティングは、PGAツアーに比べて距離も短く、ラフやグリーンの難易度も落としてあり、アマチュアが普段回っているコースセッティングに近い。そのため、ターゲットの選定やクラブの番手選び、グリーン周りのクラブ選択などは非常に参考になる。

PGAツアー、チャンピオンズツアーの両方を解説していて気づいたのだが、PGAツアー選手に比べて、シニアツアー選手はグリーン周りでパターを使う頻度が高い。グリーン周りのラフが長く、傾斜にピンを切ってあるPGAツアーに比べ、グリーン周りのラフが短く、グリーンスピードもピンポジションも厳しくないシニアツアーではパターを使うことができる状況が多いのだ。

熟練したショートゲームの技を持っているシニアツアー選手でも、パターを使える状況では躊躇なくボールを転がしている。アマチュアはパターで打てる簡単な状況でもウェッジを持ちたくなるかもしれないが、シニア選手を見習ってミスの確率の低い選択をしてみるといいだろう。

チャンピオンズツアーは7月31日~8月2日に行われたザ・アレイチャレンジで再開し、PGAツアー17勝のジム・フューリックがシニアツアーデビュー戦で初勝利を挙げて話題を呼んだ。ちなみにこのとき優勝争いをしたのは、こちらもシニアツアールーキーのブレット・クイグリーだった。

クイグリーはPGAツアーでは未勝利で現役時代にほとんど活躍できなかった選手が、突如シニア入りしてから活躍し始めるところも興味深いところだ。ミケルソンやヒューリックのようなPGAツアーでもバリバリ活躍する選手がどのようなプレーをみせるのか気になるところだが、いぶし銀のシニアツアー選手たちに注目しても面白いだろう。

ぜひ、みなさんもミケルソンのデビュー戦、チャールズ・シュワブシリーズ at オザークナショナルに注目してほしい。

(ニッカンスポーツ・コム/吉田洋一郎の「日本人は知らない米PGAツアーティーチングの世界」)

◆吉田洋一郎(よしだ・ひろいちろう)北海道苫小牧市出身。2019年度ゴルフダイジェスト・レッスン・オブ・ザ・イヤー受賞。欧米のゴルフスイング理論に精通し、トーナメント解説、ゴルフ雑誌連載、書籍・コラム執筆などの活動を行う。欧米のゴルフ先進国にて、米PGAツアー選手を指導する100人以上のゴルフインストラクターから、心技体における最新理論を直接学び研究している。著書は合計12冊。書籍「驚異の反力打法」(ゴルフダイジェスト社)では地面反力の最新メソッドを紹介している。書籍の立ち読み機能をオフィシャルブログにて紹介中→ http://hiroichiro.com/blog/

We Love Sports

田中希実が日本新「無心」生んだ非常事態と父の激走

セイコーゴールデングランプリ陸上2020東京 女子1500メートル、4分5秒27の日本記録を樹立した田中(2020年8月23日撮影)

国立競技場で23日に行われた陸上セイコー・ゴールデングランプリ。女子1500メートルで田中希実(20=豊田自動織機TC)が4分5秒27をマークし、日本記録を塗り替えた。この“新国立での日本新1号”が生まれた裏側には、約30分前に、元選手で父の健智コーチ(49)が、競技場の外で人知れず繰り広げた“激走”のアシストがあった。

日本記録を打ち立てたあとの記者会見で田中は「レース前にトラブルがあって頭が真っ白になった」と明かした。そのトラブルとはシューズに関するもの。世界陸連により先月、800メートル以上のトラックレースでは靴底は厚さ2・5センチ以内と新たな基準が設けられた。田中の所属チームはそれに合わせたシューズを用意していたはずだったが、レースの約25分前、選手招集が始まった段階になり、新基準に適していないとの指摘を受けた。

スタート直前に発生した緊急事態。チームメートは競技場に持ち込んでいた別の靴に履き替えるなどして対応したが、あいにく田中の予備シューズは競技場近くの宿舎に置いてあった。健智コーチは大急ぎでそれを求め、競技場とホテル間を「往復10分」で疾走。現役時代は長距離走者だった健脚を発揮し、時間までにバトンならぬシューズをしっかりと娘に手渡した。そのスパイクを履いた田中は「無心」で駆け抜け、14年ぶりの日本記録を樹立した。

同志社大3年の田中は大学の陸上部には所属せず、父の指導を仰ぎながら親子二人三脚で東京五輪を目指している。レース後に健智コーチは「あのトラブルがあったことで雑念がなくなり、開き直って走れたのでは」と、快記録を打ち立てた娘の走りに笑顔。「世界を目指すという言葉が、うそじゃなくなった」とうなずいた。【奥岡幹浩】(日刊スポーツ・コム/スポーツコラム「WeLoveSports」)

女子1500メートルで日本新記録を出し優勝した田中希実(2020年8月23日撮影)
米PGAツアーティーチング

今こそオンラインレッスンでゴルフの知識を得よう

新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあり、欧米のゴルフティーチングにおいて、今まで以上にオンラインゴルフレッスンは欠かせないものになっている。

■離れた場所でも指導が受けられる

スマートフォンで気軽にスイングを動画撮影して送ることができるので、わざわざスクールや練習場に通わなくてもいいので感染リスクを減らすことができる。

ジム・ハーディー(右)、マット・クーチャーのコーチでプレーン・トゥルースの共同代表のクリス・オコネル(左)と筆者

オンラインレッスンのメリットはなんといっても場所や時間に縛られず、離れた場所にいるコーチの指導が受けられることだ。自分のスイング動画をコーチのもとに送ればマンツーマンと同じようなレッスンを受けられる。地元のクラブプロ以外に選択肢を広げることができるので、遠く離れた有名コーチに指導を受けることもできる。やる気さえあれば、日本のアマチュアゴルファーでも米国のコーチから指導を受けることも可能だ。

■PGAでも当たり前に

このようなオンラインを通したレッスンは、アマチュアだけでなくPGAツアー選手とコーチの間でも当たり前になっている。

米国内を転戦するPGAツアー選手はコーチを試合に帯同できないとき、自分のフォームの映像を遠く離れた場所にいるコーチに送りアドバイスを求める。コーチはテキストメッセージやビデオ通話など、その時の状況によってコミュニケーションツールを変えながらアドバイスをする。

普段からオンラインでやりとりをすることで、お互いの考えを理解することができるし、方向性がブレずにスイングを改善していくことができる。

1対1のレッスンだけではなく、セミナー方式や講義方式のティーチング動画も増えていて、YouTubeを探せばいくらでもゴルフに関するレッスン動画を見つけることができる。ただし、こうした動画は玉石混交。十分に気を付けて信頼できる動画を選んでほしい。

■オンラインを通じて良質な知識を

米国の巨匠コーチの1人に、ジム・ハーディーというコーチがいる。「The Plane Truth for Golfers」という本で提唱した「スイングには1プレーンスイングと2プレーンスイングの2つのタイプがある」という理論で有名だ。私も4年ほど前、ハーディーが主宰する「プレーン・トゥルース」のティーチング・プログラムを受講して資格を取ったが、プログラム受講者向けのオンライン動画コンテンツが充実しているのが特徴だった。

オンライン動画は100コンテンツほどあり、1プレーンスイングと2プレーンスイングの構築方法やそれぞれのスイングの直し方など細かく細分化され、非常にクオリティーの高いものだった。ティーチング・プログラムは1日9時間×3日で終わるが、その後も動画で復習できるため非常に役に立った。

座学をみっちり行う

この動画が本当に役に立ったのはテストの時だった。以前、米国人のコーチにプレーン・トゥルースのティーチング資格を取得したという話になった時、「よくあの難しいテストに受かったな」と驚かれた。ティーチング・プログラムによってはテストをしなかったり、簡単な設問程度のものがあるが、プレーン・トゥルースのテストは「落とすためのテスト」だった。

テストはオンライン動画を見ながら行う形式なのだが、応用問題ばかりなので、動画の内容をしっかりと理解したうえで、自分の頭で考えることができないと答えることができない。問題は100問ほどあり、80%正解しないと合格しないのだが、最初のテストでは40%ほどしか正解できず不合格。追試は2回まで受けられるのだが、1回目の追試も60%で不合格。背水の陣で挑んだ2度目の追試でやっと合格することができた。

問題が非常に難しいため、動画コンテンツを何度も見返さなければいけなかったが、これが理論を理解するうえで役立ったと思う。プレーン・トゥルースは受講者に何度も動画コンテンツを確認させ、理論の理解度を高めるようにテストを難しくしているのかもしれない。

■復習するたびに気づく

インターネットの普及で、一般の人でもティーチングに関する高度な知識を簡単に手に入れられるようになったが、1度見ただけでわかったような気になってはいけない。知っていることと使えることには大きな差があるので、自分に役立ちそうな知識は繰り返し学んでほしい。復習をするたびに気づくことがあるし、そこから応用に広がる可能性もある。

アマチュアがコーチと同等レベルの知識を身に着ける必要はないが、スイングの基本的な動きや、スイング理論の根本を学んでおけば、レッスンを受けたときに、コーチの言いたいことを理解する手助けとなる。

オンラインが発達した時代の恩恵を十分に活用して、良質の知識やスキルを身につけよう。

(ニッカンスポーツ・コム/吉田洋一郎の「日本人は知らない米PGAツアーティーチングの世界」)

◆吉田洋一郎(よしだ・ひろいちろう)北海道苫小牧市出身。2019年度ゴルフダイジェスト・レッスン・オブ・ザ・イヤー受賞。欧米のゴルフスイング理論に精通し、トーナメント解説、ゴルフ雑誌連載、書籍・コラム執筆などの活動を行う。欧米のゴルフ先進国にて、米PGAツアー選手を指導する100人以上のゴルフインストラクターから、心技体における最新理論を直接学び研究している。著書は合計12冊。書籍「驚異の反力打法」(ゴルフダイジェスト社)では地面反力の最新メソッドを紹介している。書籍の立ち読み機能をオフィシャルブログにて紹介中→ http://hiroichiro.com/blog/

We Love Sports

カヌー羽根田ら自粛でのブランク脱却へ激流に対峙

2020年東京五輪の競技会場として新設されたカヌー・スラロームセンターの完成披露式典で、カヌーに乗ってテープカットする羽根田卓也(2019年7月6日撮影)

東京オリンピック(五輪)会場のカヌー・スラロームセンターで、代表選手たちが再び汗を流している。コロナ禍の影響などで利用できない状況が続いていたが、先月下旬より、まずは五輪出場内定者を対象に練習可能になった。

16年リオデジャネイロ五輪銅メダリストの羽根田卓也(33=ミキハウス)は再開直後、「この激流を楽しみに、自粛中ずっと過ごしてきた」と喜んだ。

自粛期間中には、自宅の浴槽でパドルをこぐ羽根田の様子が話題を集めた。現在ともに練習に励む足立和也、矢沢亜季の日本代表選手も、それぞれが工夫をこらし、水上での感覚をイメージしてきた。

存分に練習できない悔しさを味わったからこそ、いま感じる喜びは大きい。本番コースで生き生きとした表情を浮かべる3人を、日本カヌー連盟の塩沢寛治強化部長は「水を得た魚のよう」と表現した。

とはいえトップ選手だからこそ、感覚を完全に取り戻すことは容易ではない。リカバリー(回復)トレーニングに取り組む現在の各選手の動きは、「本来のものに戻るには、もう少し時間が掛かりそう」(塩沢強化部長)。半年近いブランクの影響を埋めるべく、連日、本番コースで激流に対峙(たいじ)する。

開催が1年延期されたとはいえ、残された時間は限られている。強豪スロベニアでは、早くも5月末には国内大会を実施した。日本もどこかでペースを上げていく必要がある。

塩沢強化部長は「試合感覚は大事。いずれはレース形式のタイムトライアルなどを行えれば」

そのためにも本番コースを有効活用し、まずは調子と感覚を取り戻すことに注力する。【奥岡幹浩】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)