日刊スポーツ

東京五輪がやってくる

侍アスリート“五輪書”試合前のマル秘駆け引き/あなたの知らない世界4

「あなたの知らない世界」第4回は、試合の前から始まるさまざまな駆け引きを紹介する。競泳では選手がレース直前に集合する招集所でもドラマがある。また計量会場、入場口など試合に備えるエリアでも、さまざまな心理戦が繰り広げられている。あなたが見ている、アスリートの真剣勝負。実は始まる前に決着がついているかもしれない。新旧オリンピック(五輪)選手のエピソードを紹介する。

■“風”格の巻「決闘の気迫」競泳 北島康介

04年アテネ五輪 競泳男子の北島はライバルのハンセンを練習場からにらみ続け、心理戦を仕掛けていた

北島康介は、ライバルをずっと見ていた。04年アテネ五輪男子100メートル平泳ぎ決勝。練習場からブレンダン・ハンセン(米国)を凝視。1カ月前に世界記録を更新されたライバル。「目を合わせてこない。何より言葉は悪いけど『ぶっ殺す』ぐらいの気迫だった」。優位にあることを確信したのはレース直前。「コース台に上がる位置がいつもとは逆。こいつ緊張している」。金メダルで「チョー気持ちいい」が飛び出した。引退して5年の北島氏は「ハンセンは世界記録を出した後は態度が大きくなった。でも不安そうだと小さく見える。相手にどれだけ自分を意識させるか。やっぱり勝てないと思わせること。それが絶対王者の条件」と勝負のあやを語った。一方で「でも僕は絶対王者じゃなかった。勝つか、負けるか。そういうハラハラ感で皆さんが興奮してくれたのかな」と振り返った。【益田一弘】

04年8月、アテネ五輪競泳男子100メートル平泳ぎで雄たけびを上げる北島

■“水”面の巻「信は力なり」競泳 鈴木大地

88年9月、ソウル五輪男子100メートル背泳ぎで金メダルを決めガッツポーズする鈴木

88年ソウル五輪男子100メートル背泳ぎ決勝。招集所に緊張感と沈黙が満ちていた。当時21歳の鈴木大地は、同じく決勝に出場する田中穂徳と特に言葉はかわさなかった。いよいよプールに向かう直前、田中から健闘を誓い合う意味で、右手を差し出された。しかしぬっと伸びてきた手でそれを握っていたのは、隣に座っていたバーコフだった。デビット・バーコフ(米国)は予選で世界新をマーク。ばりばりの優勝候補だった。しかし田中の右手を握ったバーコフは顔面が真っ青で、目はうつろだった。「とても戦う選手の表情ではなかった」と田中。鈴木は持ちタイムで1秒以上劣ったが、直接対決で負けたことはなかった。バーコフによる世界新のビデオを見ても「おれ、こいつには負けませんよ」と鈴木陽二コーチに言ったという。「バサロ」を25メートルから30メートルに伸ばした秘策で金をもぎとったのは必然だった。

■“空”間の巻「怪物の所作」競泳 三木二郎

04年8月、アテネ五輪競泳男子200メートル個人メドレーで決勝進出を決めた三木二郎。手前はマイケル・フェルプス

04年8月14日、アテネ五輪競泳男子400メートル個人メドレー決勝。当時21歳の三木二郎(現日大コーチ)は招集所にいた。レースに出る選手が最後に点呼される場所。コーチらから最後の見送りを受けて、招集所からトップ8人だけの空間になる。三木は「皆が人生をかけて挑んでくる」。ピリピリした緊張感があった。その中でひときわ大きな男が思わぬ行動に出た。1人1人に「グッドラック」「グッドラック」と握手を求めていく。三木は「何がグッドラックやねん」とカチンときた。「怪物」マイケル・フェルプス(米国)だった。「余裕をぶっこいていた。皆に『自分が勝つレースだよ』と言い聞かせたかったのかもしれない」と三木。フェルプスは4分8秒26で金メダル。7位の三木は「金を争う選手は自己ベストが高いレベルにある。僕は決勝に残れるかどうか。余裕がなかった」。怪物の余裕はライバルたちにプレッシャーを与えた。

■香“水”の巻「臭わせ返し」柔道 向翔一郎

19年8月、柔道世界選手権の男子90キロ級で2位の向翔一郎(左端)はメダリストたちと記念写真に納まる

柔道では「臭(にお)い」も武器となる。試合で組んだ際に、汗を含んだ柔道着に触れると独特の臭いが鼻に突く。東京五輪男子90キロ級代表の向翔一郎(25=ALSOK)は試合前夜、海外勢の臭い対策としてお気に入りの香水を道着にかける。「なぜか海外選手は汗をかいても道着を洗わないで香水をつける。試合で脇を持ったり、寝技をかけたりするとその臭いが強烈で…」と苦笑い。多くの日本代表はこだわりの柔軟剤を使って洗濯しているが「臭いが弱く道着もペラペラになる」として、向は臭いでも相手を制圧するために“香水戦術”をとっている。【峯岸佑樹】

■“火”花の巻「割込み御免」レスリング屋比久翔平

19年12月、レスリング全日本選手権 男子グレコローマンスタイル77キロ級1回戦で一郷雄徳(上)を投げる屋比久翔平

試合の朝に計量が行われるレスリング。そこでは「横入り」がたびたび見られるという。先の東京五輪アジア予選で代表権を手にした男子グレコローマンスタイル77キロ級の屋比久翔平(26=ALSOK)は「体重を量るために列に並んでいると、堂々と横から割り込んでくる選手がいます」と証言する。過酷な減量、一刻も早く何かを口にしたい。その思いは皆同じだが、ずぶといというか、節操がないというか…。列車の乗り方1つでもきちんと列に並ぶのが日本だが、海外ではさまざま。ライバルより早く楽になりたいというけん制も含め、計量会場には毎回、「列争い」が繰り広げられている。【阿部健吾】

■境“地”の巻「沈黙は金」陸上 飯塚翔太

16年8月、リオデジャネイロ五輪 陸上男子400メートルリレーで銀メダルを獲得し喜びを爆発させる日本の、左から山県亮太、飯塚翔太、桐生祥秀、ケンブリッジ飛鳥

国内における陸上男子短距離の招集場は、周囲との駆け引きよりも、自分の世界に入り込むことを重視するようだ。飯塚翔太(29=ミズノ)は「特に100メートルは、みな基本的に走り終わるまで一言も話さない。レースのイメージを高め、集中を解きたくないとの意味が大きい」。海外は少し勝手が違うようで「特にアフリカの選手は仲のいい人同士で歌ったり踊ったり、ワイワイしている」という。ただ時代によって変化する部分もあり、過去には相手を目で威嚇したり、やや横柄な態度で“風格”を出し、その場の空気を支配しようとした人もいたようだ。【上田悠太】

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

東京五輪がやってくる

アスリートの「脱毛論」先駆者向に聞いてみた/あなたの知らない世界3

「あなたの知らない世界」第3回は、男性アスリートの脱毛事情を紹介する。近年、性別や競技にかかわらずアスリートの脱毛が当たり前になりつつある。東京オリンピック(五輪)柔道男子90キロ級代表の向翔一郎(25=ALSOK)もその1人。「脱毛=身だしなみ」だけでなく、そこには毛と競技力の意外な関係があった。【取材・構成=峯岸佑樹】

オンライン取材に応じる向翔一郎

柔道選手が脱毛!? 一昔前なら考えられなかったことだ。さらに毛深くない塩顔の向がなぜ…。謎は深まるばかりで、気になったので本人を“直撃”した。

向は開口一番、「柔道家ではたぶん自分が一番早いと思うけど、最近は脱毛をしている柔道選手も多い。他競技を見ても、美容室や肌のケアと同じ感覚でやってる」とさらりと言った。

きっかけは2年前。知人に誘われて、都内の店舗に月1回ペースで通い始めた。体毛は薄いが「肌が弱いのが弱点」で、ひげ剃(そ)り後の肌荒れ防止のために顔周りを中心に脱毛する。周囲では、テーピングを剥がす際の痛み軽減を理由に腕や足を脱毛する選手が多いという。ストレスで肌荒れも起こすため美容外科にも通う。入浴後などには、お気に入りの化粧品で入念に手入れするほどの徹底ぶりだ。

向翔一郎が使用してるスキンケア用品(ALSOK提供)

美意識の高さが、競技人口の普及や競技力向上の問題解決の糸口になる可能性があると主張する。いまだに「柔道=汗臭い」の根強い偏見はあり、「だからこそ清潔感が大事。自分の場合、身だしなみ以上の個性を出してしまうが、『強さ+かっこいい』と思われる日本代表が増えれば、柔道のイメージも変わると思う」と力説した。そのお手本の例として、常にダンディーな雰囲気を漂わせる男子代表の井上康生監督や、個性を大事にするスノーボード五輪2大会連続銀メダルの平野歩夢らを挙げた。

一方で、格闘技である柔道は相手を威圧する容姿も大きな武器となる。「胸毛が生えている選手は強い」との持論を持つ向は、大学院に進学して「胸毛と競技力の関係」を研究する考えもあった。「非常に興味深いテーマ。いつかはこの関係を検証して、答えを導き出したい」と、今も研究願望を抱く。

コロナ禍以降の国際大会は、代表最多の3戦に出場して経験値を上げた。現在は猛稽古に励んだ日大時代の「初心」をテーマに、3カ月後の大舞台に備える。「目立つのは畳の上。胸毛がなくても強いことを証明する。向翔一郎の柔道スタイルを突き詰めて頂点に立ちたい」。柔道界の異端児が、自分らしさを貫き一世一代の大勝負に出る。

■ウルフ 剃ると生やすのに力が必要と聞いた

東京五輪男子100キロ級代表のウルフ・アロン(25=了徳寺大職)は近年、トレードマークの胸毛に悩んでいた。17年世界選手権直前、約15キロ減量した肉体美を披露する目的でバリカンで胸毛を刈って初優勝した。これを機に「毛がない=けがない」との験かつぎで、翌18年大会でも剃ったが5位に沈んだ。「結果と胸毛は関係ない」と受け止めた一方、女性ファンから「胸毛だけは剃らないで」と書かれた手紙をもらい悩んだ。

18年9月、胸毛をそって世界選手権に臨んだウルフ・アロン

ある日、知人から「胸毛を剃ると生やすのに力が必要らしい」と聞いて、19年全日本選手権は体力温存の意味を込めて剃らずに臨んだ。そのかいもあってか、初の全日本王者の称号を手にし「胸毛はむしろ武器。五輪では名前の通りワイルドな感じでいく」と決意。姓のウルフを表すように25歳のオオカミは、金メダルという“獲物”を狙っている。

19年4月、胸毛をそらずに全日本選手権に臨んだウルフ・アロン

■競泳井狩 45分間の「剃毛ルーティン」

競泳選手は、当然のように体毛に気を使っている。東京五輪代表で男子400メートル個人メドレー井狩裕貴(20=近大イトマン)は、レース前夜に全身を剃り上げる。風呂場に入って、まずは「マイバリカン」で丸刈り。かみそりで手足の毛を剃り、背中の毛は仲間に剃ってもらう。45分間の「剃毛(ていもう)ルーティン」が、勝負レースへのスイッチだ。井狩は「音楽もいつもルーティンがあって、それをかけてやってます。水の抵抗が減る、物理的に軽減させる意味はあります」。丸刈りの20歳は、瀬戸大也とともに五輪メダルを狙っている。

井狩裕貴(21年4月撮影)

■ベッカム氏の美意識 メトロセクシュアルブーム

日本エステティック振興協議会は、男性脱毛の背景に関してさまざまな要因があると分析する。アスリートの場合、競泳は水の抵抗を防ぎ、フィギュアスケートは見た目の美しさ、サッカーやラグビーは外傷時の短時間処置の理由がある。欧米ではエチケットとして浸透しているが、国内では00年頃の「メトロセクシュアルブーム」が脱毛熱の火付け役となった。外見や生活様式へ強い美意識を持ち、その代表格がサッカー元イングランド代表のベッカム氏だ。ファッションの多様化も進み、短パンやクールビズにより半袖ワイシャツを着用する日が増えて一般男性にも拡大。コロナ禍でのオンライン会議で、自身の顔を見る機会が増加したことも一因と推測する。同協議会担当者は「自己投資の変化もあり以前の車などのモノではなくなってきた。年齢問わず美容に関心を持つ男性が増えている」と話した。

■5年で2倍以上の伸び

エステサロン大手「TBCグループ」は、男性専門店を99年にオープンした。現在は全国に48店舗を展開し、同社広報は「脱毛の新規申し込み件数はこの5年で2倍以上。時代とともに変化し、ひげの場合はデザイン脱毛などオシャレ目的も増えている」と説明。オーストラリアでサッカー選手として活躍した湯沢大佑さん(28)は昨年9月、都内に美容サロン「ORO」を開業した。現役時代に全身脱毛を経験し「むだ毛処理が不要になり、日々の時短生活につながる」とメリットを強調した。

◆向翔一郎(むかい・しょういちろう) 1996年(平8)2月10日、富山県生まれ。6歳で柔道を始める。富山・高岡第一高-日大-ALSOK。17、19年選抜体重別優勝。19年世界選手権銀メダル。左組み。得意技は背負い投げ。趣味は愛犬の散歩。容姿はカズレーザーに似ている。178センチ。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

東京五輪がやってくる

山本博が語る、どうなの?抜き打ちドーピング検査/あなたの知らない世界2

アスリートが身の潔白を証明し、競技の公平さを保つためのドーピング検査は、競技場内だけではない。代表クラスの選手たちにはいつ、どこで行われるのか分からない競技会外検査(抜き打ち検査)が待ち受ける。アーチェリー、オリンピック(五輪)2大会でメダルを獲得し、現在は24年パリ五輪出場を目指す山本博(58=日体大教)に話を聞いた。【取材・構成=平山連】

難解なドーピング検査について実体験を交えて語る山本博(撮影・平山連)

「日本アンチ・ドーピング機構(JADA)」のアスリート委員を2008~16年まで務めた山本は、競技者としても実務の観点からも検査についてよく知る人物だ。「一般の人に理解してもらいたいのはドーピング検査は競技場内のルールであって、犯罪ではありません」と強調する。

-初めてドーピング検査を受けたのは

山本 金メダルを取った82年アジア大会。それまで出場した国内外の大会では検査を受けたことがなかったから、当時のことはよく覚えている。88年ソウル五輪のベン・ジョンソン失格は、五輪という舞台でまさかドーピング違反があるとはと一番衝撃を受けたね。

-自身の五輪で印象に残っている体験は

山本 今でも覚えているのは84年ロサンゼルス五輪で銅メダルを取った時。検査ルームに冷蔵庫があって、中にはキンキンに冷えたビールが用意されてた。一日中屋外で試合してたから喉が渇いてて、1、2位のアメリカ人選手から「ヒロシ、どうだ」と渡されてさ(笑い)。3人で「Cheers(乾杯)」って言って、ぐいっと2、3本くらい飲んだかな(笑い)。あの時のビールの味は忘れられない。04年アテネで銀メダルを取った時は入ってなかったね。

-海外ではなぜ違反が絶えないのか

山本 オリンピックが国別対抗戦のようになってしまい、国の威信をかけて戦う考えが強くなった。メダル獲得で巨万の富を得るシステムになっている国もある。検査の手をすりぬけられるとうたうブローカーもいて、選手関係者に口利きする事例もあるとかうわさも聞く。

-日本は違反例が少ない理由は

山本 スポーツにおいて正々堂々と戦う道徳観が根強くあるのが背景にあると思う。不正を働いてまで勝って喜べるのかという考え方が浸透しているのは良いこと。世界に誇るべきことだね。

-他競技と比べアーチェリーの違反例が少ない

山本 薬を使って筋肉や酸素を蓄える量を増やしたって、アーチェリーには意味がない。精神面を安定させる薬はどうだと言われることもあるが、素の自分をコントロールした方が一番シューティングしやすいと思うね。闘争心を失っちゃったら、元も子もないよ。

-コロナ禍で従来の検査態勢のままでよいのか

山本 知らない人に排尿を見られながら、尿検査するのは嫌だよね。鏡がついたてになって後ろから眺めるような策もあるとはいえ、「濃厚接触」だよね。アスリートだけではなく、PCR検査で陰性が確認された検査員しか競技場内に入れない仕組みにするのが最低限の条件だよ。

一方でいつどこで来るのか分からない「抜き打ち」検査は、そういうわけにはいかない。国際大会に出場するような選手は、「ADAMS」と呼ばれるサイトに毎日の居場所情報を登録する。登録された場所に行っても検査ができない場合は「検査未了」となり、それが複数回あると資格停止など厳しい処分が科されることもある。山本自身も2度経験している。

山本 高校の教諭をしてた時、アーチェリー場にいた部員から「スーツ姿の大人の方々が山本先生を探してる」と連絡があった。行ってみると検査で指示に従ってやったけど、良い気持ちはしなかったね。部員たちは先生が何か悪いことしたんじゃないかと心配していた。プライバシーを保護する議論もしてほしいですね。

競技の公平性を期す上でドーピング検査は欠かせない。アスリートたちは、フェアなスポーツを守るために、競技外でも苦心している。

アテネ五輪・アーチェリー男子個人で銀メダルを獲得した山本博(2004年8月19日撮影)

◆ドーピング検査 アスリートから尿や血液といった検体を採取し、分析する施設へ送るまでを指す。禁止薬物使用の有無などは、世界反ドーピング機関(WADA)が認定した分析機関が行う。東京五輪を含む全ての国際大会ではWADAが公開する規定に基づき行われ、試合会場で行われる「競技会検査」と抜き打ちの「競技会外検査」の2つがある。

国際競技連盟(IF)などから検査対象者リストに登録されたトップアスリートは、毎日の居場所情報を提出する義務が生じる。1日1回、午前5時から午後11時までのどこかで「60分時間枠」を指定し、この枠で入力した時間と場所で検査に対応できなかった場合は、「検査未了」となる。12カ月で3回違反すると1~2年間の資格停止になる可能性がある。

<米陸上コールマンが居場所申告3度怠り>

抜き打ちドーピング検査の手続きに違反し、すでに東京五輪出場が絶たれた選手もいる。陸上男子100メートルの金メダル候補だった19年世界選手権覇者のコールマン(米国)は、スポーツ仲裁裁判所(CAS)から18カ月(20年5月~21年11月)の資格停止処分を科された。コールマンは19年1、4、12月の3度、検査に必要な居場所情報の申告を怠っていた。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

中川真依のダイビング

飛び込みW杯 最後の五輪きっぷに挑む注目選手/中川真依

今月18日から東京で開催される予定だった飛び込みワールドカップ(W杯)。コロナ禍の影響で延期になり、5月1日からの開催に変更になった。状況が状況なだけに、中止という選択肢もあったと思う。それでも、何とか開催へとつなげてくれた関係者の方々には、本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

特に今回は、東京オリンピックをかけた最後の舞台。私の経験からも、選手たちは試合を終えるまで、いつもとは比べものにならないほどのプレッシャーや緊張が続く。精神的にも肉体的にも、かなり追い込まれた状態になっていることを考えると、試合日程が変わってしまう事はかなりのストレスだと思う。

しかし、ここが踏ん張りどころ。みんな条件は同じだと腹をくくって、何とか最後まで走り抜けてほしい。

そこで今回は、オリンピック最終選考会であるW杯に出場する選手たちをご紹介したい。

3月の選考会で演技をする西田

<男子3メートルシンクロ>

まずは、ベテランの寺内健(ミキハウス)と坂井丞(ミキハウス)の2人から。ご存じの方も多いと思うが、寺内選手は5度のオリンピックを経験している飛び込み界のレジェンドだ。東京オリンピックでは、すでに3メートル個人とシンクロの両種目での出場が決まっている。しかし、今回はシンクロのみに出場する。シンクロのパートナーである坂井も、前回のオリンピックを経験している実力者。ベテラン2人の息の合った演技は、初めて飛び込み競技を観戦する方でも、十分にすごさを分かって頂けるだろう。

<男子3メートル板飛び込み>

残り1枠をかけ、須山晴貴(松江DC)と伊藤洸輝(日大)が世界の大舞台で日本人対決を繰り広げる。2人とも初のオリンピック出場を目指し、難易率の高い技を取り入れて挑戦する。須山の持ち味は、長身を生かしたダイナミックな演技。小柄な選手が多い日本では、その存在感を大いに発揮しているが、世界でどこまで通用するのか。一方で、伊藤は柔らかくしなやかな動きが持ち味。オリンピック出場資格は、準決勝18位以内に入ることが最低条件。そこからさらに、順位の良かった方が最後の1枠を獲得する。狭き門をくぐるのはどちらなのか。

<男子10メートル高飛び込み>

今回最も注目される種目だろう。若きホープである、玉井陸斗(JSS宝塚)と西田玲雄(近大)の2人が出場する。史上最年少でのオリンピック出場が期待されていた玉井。そんな中での延期だったが、開催が1年延びたことによって、さらに実力を高めた。演技の安定性にも磨きがかかり、W杯ではパワーアップした彼を見ることができるだろう。西田は成長期を乗り越え、体がしっかりと出来上がったタイミング。ここにきて高い難易率の技に安定性が出てきている。成長が著しい2人の活躍を、願わずにはいられない。

<男子10メートルシンクロ>

村上和基(JSS白子)、伊藤洸輝(日大)ペアが出場する。村上はオリンピック経験こそないものの、国際大会での経験が豊富なベテラン。経験の浅い伊藤を、どこまで引っ張っていけるかがカギとなるだろう。コンビを組んでからまだ日は浅いが、安定感のある演技とノースプラッシュを武器に、初のオリンピック出場を目指す。

3月の選考会で演技する榎本

続いて女子。

<女子10メートル高飛び込み>

W杯初出場の安田舞(日体大)と、既に東京オリンピックの出場権を獲得している荒井祭里(JSS宝塚)が出場する。若さの勢いで今回のチャンスをつかんだ安田は、挑戦者の気持ちで堂々と戦ってほしい。荒井は決して種目の難易率は高くないが、どんな状況でも安定した演技を見せてくれる。世界で活躍するためには、欠かせない精神力の持ち主だ。

荒井は、板橋美波(JSS宝塚)と組んでシンクロにも出場する。板橋は1度オリンピックを経験している分、荒井にとっては心強い存在だろう。2人は同じ所属で、長年一緒に練習している幼馴染。本番でも、息ぴったりの演技を披露してくれるに違いない。

<女子3メートル板飛び込み>

三上沙也加(日体大)に注目してほしい。2019年の世界選手権で5位という素晴らしい実績を残し、すでに東京オリンピック出場権を獲得している。大舞台を経験したからこそのプレッシャーもあるだろうが、彼女は世界でも数人しかできない大技「5154B(前宙返り2回半2回ひねり)」という武器を持っている。ぜひ、強い日本を今回も示してほしい。そしてもう1人は、最近、特に存在感を放っている榎本遼香(栃木DC)だ。国内では三上と優勝争いをするほどの実力がある。三上に続く個人の出場枠を獲得できる可能性を十分に秘めている。

榎本は、宮本葉月(近大)との3メートルシンクロにも出場する。仲のいい2人。姉妹のような関係をうまく活用し、息の合った演技を披露してくれることを期待している。

どんな状況下でも、選手の役目は試合に向けて己と戦い続けること。さまざまな意見があることは、選手たちも分かっている。それでも、前を向いて進むしかないのだ。目標や夢に向かって頑張っている選手たちの姿は、きっと胸に響くものがあると思う。スポーツの力を信じて、ぜひ温かい声援を送ってあげてほしい。(中川真依=北京、ロンドン五輪飛び込み代表)

ピッチマーク

18歳竹田麗央にワクワク 叔母は元賞金女王の平瀬真由美、母哲子は指導者

キャディーを務める母・平瀬哲子さん(左)と話す竹田麗央(2021年4月17日撮影)

KKT杯バンテリン・レディースでアマチュア竹田麗央(りお、18=熊本国府高3年)が4位になった。

元賞金女王、平瀬真由美(51)のめいっ子。平瀬の姉で、これまたプロの哲子(さとこ、52)の娘はツアー出場まだ4戦目。第1ラウンド(R)でツアー競技初のアンダーパー、71を出すと、翌第2Rでは大会コースレコードタイ記録「65」を出した。

何よりの魅力は「250~260ヤードぐらいです」という飛距離だろう。最終日に同組で回った優勝者、新世紀世代の山下美夢有を40ヤード前後も置いていく場面があった。見た限り、笹生優花にはかなわなくても、原英莉花、渡辺彩香ら飛ばし屋プロとどっこいどっこいか。そんな印象だ。

狙うアングルが違う。ドッグレッグホールでは1人だけ「え? そこ?」と思うような向きで構え、林越えを狙ったりする。身長166センチ、たくましい下半身。スイングのトップは決して深くない。インパクトからフォロー、フィニッシュにかけての「前」が大きい。ミート率は18歳だし、まだばらつきはあるが、芯を食った時は本当にすごい。弾道の高い「ビッグボール」でキャリーが出る。

第1Rスタート前のドライビングレンジで見た時、2球目のドライバーがすごかった。約220ヤード先(紙面で約210ヤードと書いたが、修正します)の高さ約20メートルの防球ネットを越えた。たまたま近くにいた平瀬が「ね、今、越えたよね?」と聞いてきた。「ここ、飛ぶ人はたまにネット越えるんだけど…」と恐れ入ったように笑った。

平瀬はツアー通算19勝で93年から2年連続、24、25歳で賞金女王になった。米ツアー参戦経験もある。ただ、プレーヤーとしてのタイプはめいっ子と違う。豪快ではなく、ステディー。つまり安定した、隙のなさが武器だった。「私は飛ばなかったからね。でも、この子は飛ぶのよ」。何度か一緒に回ったそうだ。「小学校、中学…だったかな。3回ほど。その時から飛ばしてた」。結構教えたのか? 「全然。そこはずっと見てる姉の役目じゃないですか。姉に“スイングはやっぱ打ち込まないとね。払い打ちじゃダメよ”なんて言っちゃったことはあるけど…」。練習中、プレー中に何度もめいっ子を見に来たが、近寄らず、離れて見ていた。たまに動画を撮ったりする。「だって、緊張させたらかわいそうじゃない」。とても大切な存在を見守る気持ちが伝わってきて、心が温かくなった。

平瀬と対照的に、母の哲子は実績あるプレーヤーではなかった。ツアー出場96戦で、ベストフィニッシュは96年雪印レディース東海クラシック19位。優勝、シード経験はなく、予選落ちの方が多かった。しかし、34歳だった02年を最後にツアーから身を引き、同年に導入された「ティーチングプロ資格A級」を取得。その後にLPGAジュニアゴルフコーチの資格も取り、一般ゴルファー、ジュニア、そして娘を教えてきた。

超一流のキャリアを持ちながら、一線を引き、見守る叔母。地道にティーチングプロの経験を積んできた母。粗削りで未知数の18歳がどんな選手に育つのか。わくわくする。【加藤裕一】

チェンジ

現役最年長75歳プロボウラー「ビッグジュン」コロナに負けず後進に道つなぐ

現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一

現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一(75=中野サンプラザ/(株)LTB)は今も、家族やトレーナーのサポートを借りて現役を続けている。プロ54年目を迎える自身にとっても、かつてない影響を及ぼしたのが新型コロナウイルスだ。若手選手を中心に先行きの見えない状況に不安の声も聞こえる。このままではボウリング界がさらに下火になってしまわないか。列島中を湧かせたブームを知っている数少ない現役選手として、後進のために何かできないか。コロナ禍というかつてない状況が、矢島の心に大きな使命感を抱かせている。

大きな弧を描いたボールを何度も放つ現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一

放たれたボウリングボールはまるで意志が備わっているかのように、大きく弧を描き10本のピンへと吸い込まれていく。レーンの先から「カラン、カラン」と小気味よい音が聞こえ、全ピンが倒れたことを告げた。

ストライク、ストライク、ストライク…。幾度となく訪れる快感に浸ることはない。矢島は額にうっすらと汗をにじませながら、約20メートル先のピンを目掛けて黙々と投げ続けた。いつしか周囲から呼ばれた「ビッグジュン」の由来は定かではないが、176センチの体格がプレー中はひときわ大きく見える。「大事なのはいかに自分の思った所にボールをコントロールするか。スピードがあっても、狙った所に行かなければストライクは取れません」。練習先拠点の東京・中野サンプラザ地下にあるボウリングセンターに週3回通って調整を重ねている。

現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一の投げたボール。全ピンを倒し「ストライク」を決めた

国内優勝41個という歴代1位のタイトル保持者。2016年にはシニアの国際大会で日本男子選手として初金星を勝ち取った。そんな現役生活54年目を迎えた矢島にとっても、新型コロナウイルスは大きな影響を及ぼした。今季出場した公式戦はわずか3試合。10試合以上が中止や延期を余儀なくされた。

デビュー当時からけんしょう炎に悩まされ

将来は酒屋を営む実家を継ぐのが親の方針だったため、大学進学の選択肢はなかった。ただ、高校卒業後、働くにしても、体を動かすことは続けたいと、各地でボウリングセンターができるなどブームが起きつつあった競技を始めた。

元々は趣味だったが通い詰める内に、インストラクターから腕を褒められた。「プロを目指さないか」と誘われ、19歳の1年間余りをプロテストに向けた練習に費やした。ボウリングセンターのスタッフとして働きながら、朝方や客が来ない時に練習に励んだ。1日400球以上投げ込んだ成果が実りプロテストに合格した。

喜んだのもつかの間、矢島の右腕はデビュー当時から悲鳴をあげていた。

「デビュー戦にどうしても出たいと医者に無理を言って痛み止めを頼んだ時には、医者から『試合に出れば壊れるよ』と脅されました」。それでも試合に出て優勝するのだから、歴代1位のタイトル保持者の片りんはデビュー当時から健在だった。手首の痛みは付き合っていかなければならないと覚悟し、試合前にはコンディションに応じてテーピングを替えたり、主治医と相談しながら競技に打ち込んできた。

練習前にテーピングを巻く現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一

70年代のボウリングブームをけん引

60年代後半から70年代前半にかけて、空前のブームが到来した。52年に国内初の本格的競技場「東京ボウリングセンター」が開場した。増加の一途をたどり、72年にはセンターの数は3697カ所(日本ボウリング場協会調べ)と最盛期を迎え、プレーするのに長時間待つことが当たり前だった。矢島は「公式戦に来るお客さんの数は今の10倍以上。一種の社会現象でした」と振り返る。

自身は日本プロボウリング協会創設第1期メンバー19人に名を連ねた。「さわやか律子さん」で名をはせた中山律子さんらとともにブームをけん引した。今では第1期の仲間たちは続々と引退し、第一線として残るのは矢島のみとなった。

50代半ばで肉体の衰え。かすむ「引退」。肉体改造と食生活の改善に着手

危機はあった。限界が来たのは50代半ば。試合中にも手の痛みを感じることが多くなり、若い頃のような無理がきかなくなった。思うようなプレーができなくなり、「引退」の2文字が頭をよぎった。

納得のいくプレーをもう1度したいー。往年の輝きを再び手に入れるため、肉体改造と食生活の改善に着手した。

パーソナルトレーナーの中村博さんが提唱する「筋肉を柔らかく強く」することに特化した独自トレーニングと出会って20年近くたつ。今も週3回取り組んでいる。間近でサポートしてきた中村さんも、矢島の変化をはっきりと感じている。

現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一の手

「最初の頃は『年だから』と弱音を聞いたこともありましたが、ここ10年間は聞きません」と語り、自身の理論を実践して年齢を感じさせないパフォーマンスを発揮していると敬意を示す。

妻の邦子さんは、競技中にも集中力が切れることなく好パフォーマンスを継続させる上で「糖質」に着目した。米よりパスタの方が長丁場の試合でも低血糖になりにくいと聞いて、日頃の食事メニューを変えた。「(夫は)すし屋に行っても米は食べない。意志が強くなければできないことです」。不断の努力で引退危機を乗り越えた。

「今もプレーできているのはあの時に変化を恐れず、新しいものを取り入れたから」と語るように、75歳を迎えてコロナ禍に見舞われても向上心は衰えることを知らない。最近はボールの穴のあけ方で軌道がどう変わるかに関心を寄せる。

練習や試合で欠かさず持って行く現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一の道具箱

ドリルでボールに穴を開けることも請け負う現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一

「良いボウラーは、優れたドリラーでもあります」と笑う。顔には、ボウリングに人生をささげてきた自負が見えた。

ブームをけん引し、数々のタイトルを取るなど、すべてをやり尽くしたように見える。高齢者にとって、より重症化リスクの高い新型コロナウイルスがまん延する中で、なぜ現役にこだわるのか。「けんしょう炎に悩まされながら、ずっとプレーしてきました。いろんな苦労をしたからこそ、コップやバッグが持てなくなるまで現役を貫きたいと覚悟ができました」。競技を続ける理由をさらに深掘りすると「やっぱりボウリングが好きなんです。今もずっとそのことを考えていますし、始めた時からずっと変わりません」と力強く語った。

手のひらはしわが目立つものの皮が分厚く、ボウリングと真剣に向き合ってきた足跡が垣間見える。矢島のモットーである「限りなき前進」は、閉塞(へいそく)感が漂う今の世の中だからこそ人々を前向きにさせる。

ボウリング場にも影響及ぼすコロナ

コロナ禍は選手だけではなく、拠点とするボウリング場にも大きな負担を強いる。2019年の現存する数は全国で738カ所(日本ボウリング場協会調べ)。最盛期の約5分の1まで減少した。各ボウリング場は経年劣化する全レーンの切り替えが数十年に1度必要で、その都度数億円の改修費がかかる。店主たちがなんとかつなぎ留めてきた経営を、コロナが廃業へと追い込まないか。ボウリング場に人を呼び込むために教室を開講するなど力を貸したいが、感染症対策でなかなかできないことでモヤモヤした気持ちが募る。

現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一が、練習拠点とする東京・中野サンプラザボウル

ボウリング人気低下に拍車をかけないか懸念

選手にとっても同様だ。矢島のようにボウリング場所属の選手でさえ、施設が開かなければ仕事にならない。所属先がない選手の場合はなおさら。死活問題に直面している。

現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一が、練習拠点とする東京・中野サンプラザボウル

公益財団法人笹川スポーツ財団の「新型コロナウイルスによる運動・スポーツへの影響に関する全国調査」(21年2月)によると、コロナの感染拡大前と後で実施率が減少した種目は、散歩に次いでボウリング(3.6%→2.0%)が2位に入った。

3密(密閉・密集・密接)の条件がそろう場所での運動が避けられている傾向があるようだが、矢島はコロナが競技の人気低下に拍車をかけないかと心配している。一般客になんとか戻って来てもらえるよう、各地で体験教室が開催できる日を心待ちにしている。

東京・中野サンプラザボウルで練習に励む現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一

「全盛期知る私には責任がある」

コロナ禍に負けるわけにはいかない。その思いを体現するかのように、75歳にして新たな試みを始めた。今年1月にスポーツギフティングサービス「Unlim(アンリム)」に加わった。資金面で苦労しているアスリートを応援する取り組みで、ファンから寄付という形で支援を募る。参加アスリートの中では最年長で、ボウリング界では初めて加わった。「今度公式戦にご招待しますよ」「現地で一度観戦してみて下さい」と担当者に伝えるなど、地道な営業活動を続けている。

矢島と交流があり、ボウリング通で知られる歌手でサザンオールスターズの桑田佳祐のポスター

ボウリング好きの歌手サザンオールスターズの桑田佳祐にはマイボールをプレゼントしたり、一緒にプレーしたりと交流を重ねる。桑田のリリースした「レッツゴーボウリング」の歌詞には、往年の選手とともに矢島の名も登場する。友人の粋な計らいに感謝しつつ、矢島自身が広告塔になることでボウリング界に関心を寄せる人が増えてほしい。そんな思いも新たな挑戦につながった。

華麗なフォームで練習に励む現役最年長プロボウラー「ビッグジュン」こと矢島純一(写真はすべて平山連撮影)

「ビッグジュン」との呼び名で親しまれるプロボウラーは、後期高齢者であることを全く感じさせないバイタリティーにあふれている。「私ができることはささいなことしかありませんけど、後輩たちがより良い活動につながることがしたい。全盛期を知る私には、その責任がある」。力強い言葉とともにどんな活動ができるかと模索する姿が印象に残った。

【平山連】

We Love Sports

陸上男子100m、世界10傑の7人がドーピング“クロ”栄光の光と影

19年9月、世界陸上の男子100メートルで優勝し、雄たけびを上げるクリスチャン・コールマン

地球の海が占める面積の割合、ビールと泡の黄金比率、運転免許の保有者。

それぞれ、約70%、7対3、10人中7人。パッと分かりやすい例えが頭に浮かばず、恐縮だが、「7割」と聞けば、おそらく、ほとんどの人が「多い」とイメージするだろう。

このたび、陸上界のあるデータが「10人中7人」になった。名誉なトップ10のリストは、視点を変えると、悲しき現実を浮き彫りにする。

陸上男子100メートルで東京五輪の金メダル最有力候補だったクリスチャン・コールマン(25=米国)が、21年11月までとなる18カ月の資格停止処分を受け、東京五輪に出られなくなった。19年世界選手権覇者であるコールマンの場合、居場所申告を3回怠ったことにより、ドーピング失格の同等の扱いとなった。実際に禁止薬物を使用したかは定かでないが、守らなくてはならぬアスリートの義務を破ったのだから、厳しい処分は当然だ。

この結果である。

男子100メートルのベストタイム世界歴代10傑のうち、7人がドーピング検査の資格停止処分の経験者になった。

そして“シロ”なのは、たった3人になった。

<世界歴代10傑>

○は歴なし。×は歴あり。

(1)9秒58 ウサイン・ボルト(ジャマイカ)○

(2)9秒69 タイソン・ゲイ(米国) ×

(2)ヨハン・ブレーク(ジャマイカ) ×

(4)9秒72 アサファ・パウエル(ジャマイカ) ×

(5)9秒74 ジャスティン・ガトリン(米国) ×

(6)9秒76 クリスチャン・コールマン(米国) ×

(7)9秒78 ネスタ・カーター(ジャマイカ) ×

(8)9秒79 モーリス・グリーン(米国) ○

(9)9秒80 スティーブ・マリングス(ジャマイカ) ×

(10)9秒82 リチャード・トンプソン(トリニダード・トバゴ) ○

ドーピングには「うっかり」の例も存在する。競技力向上とは関係ないヒゲの育毛、興奮剤、サプリメント、飲料に意図せずドーピングの成分が含まれていたなど。とはいえ、「7/10」という数字はどう考えても多すぎだ。

過去には、ともに当時の世界記録を塗り替える9秒79のベン・ジョンソン(カナダ)、9秒78のティム・モンゴメリ(米国)もドーピング陽性反応により、記録を抹消された。

資格停止処分などの制裁の代償を払ったとしても、罪を完全には拭うことはできないだろう。ドーピングのやっかいな点は、薬が抜けた後も、完全な公平性が保たれているとは言い切れないこと。1度ドーピングで力を出すことを覚えた体は、薬がなくとも、そのパフォーマンスを再現する可能性が高まるとも言われる。それを知って、上記のデータを目を通すと、心が痛くなる。栄光の影に闇が混在する。ボルトが世界中から称賛される理由は、実績はもちろん、クリーンを貫いたことも大きい。

スポーツの感動、興奮は、その瞬間に宿る。その筋書きなきドラマも、ドーピングによって、スポーツの精神に反し、本質をゆがめることが判明すれば、興ざめになる。

04年アテネ五輪男子ハンマー投げ。現スポーツ庁の室伏広治長官は、アドリアン・アヌシュ(ハンガリー)がドーピング違反により優勝剥奪となって、銀から金メダルに繰り上がった時、「うれしく思う」とした上で、「直接、表彰台で受け取りたかったのが本音」とも述べている。

その会見で、室伏氏は自筆のメモを報道陣に配った。「真実の母オリンピアよ。あなたの子供達が競技で勝利を勝ちえた時、永遠の栄誉(黄金)をあたえよ」。メダルの裏にギリシャ古代語で書かれた文章の訳だった。そして「金メダルより重要なものがある。本当の真実の中で試合が行われることが、どれだけ大切かと思って引用した」と力説した。

薬物使用によって競技力を上げるドーピングは、公平の精神に反し、応援してくれるファンの疑念を生み、そして自身の健康も害す愚かな行為だ。真摯(しんし)に向き合うアスリートの努力が正しく報われず、損をする。そんな事が、決して許されていいはずはない。【上田悠太】

◆上田悠太(うえだ・ゆうた)1989年(平元)7月17日、千葉・市川市生まれ。明大を卒業後、14年に入社。芸能、サッカー担当を経て、16年秋から陸上など五輪種目を担当。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

東京五輪がやってくる

柔道高藤の過酷な減量、栄養士助言で独自の方法/あなたの知らない世界1

今週の「東京五輪がやってくる」は、「あなたの知らない世界」を紹介する。第1回は、階級制競技の過酷な減量について。16年リオデジャネイロオリンピック(五輪)柔道男子60キロ級銅メダルで東京五輪代表の高藤直寿(27=パーク24)は、独自の減量法で最終調整を続ける。トップアスリートの失敗しない減量の極意とは-。中2から60キロ級で活躍する実力者は、試行錯誤を繰り返して最善策を見いだした。

昨年12月に体重を60キロまで落とした高藤直寿(パーク24提供)

高藤が進化に自信を見せている。今月上旬、1年2カ月ぶりの実戦となったアジア・オセアニア選手権(キルギス)を優勝で締めくくった。オリンピック(五輪)前の最終戦を終えて「この1年間の積み上げは間違っていなかった。残り3カ月はやり残しがないように、人生をかけて死に物狂いで準備する」と決意を示した。

95日後に迫る大勝負に向け、コンディションを左右するのが減量だ。最も過酷な最軽量級で15年間トップに君臨する27歳は、17年12月のグランドスラム(GS)東京大会決勝で全身がつるアクシデントに見舞われた。体に負荷をかける急激な減量に原因があった。これを機に、東海大の先輩の羽賀龍之介(29=旭化成)に栄養士を紹介してもらい、18年1月から助言を受けている。3年間計測したデータを参考に、試行錯誤を重ね、自身に適した減量法を編み出した。

本格的な減量は、試合1カ月前から始める。それまでに通常69キロ前後ある体重を、下地とする64キロまで落とし「ガチガチの減量」を開始。1日3回の食事の栄養管理を徹底し、心身の負担を軽減するために1週間1キロ目安で落とす。早く落としても、パフォーマンス低下が懸念されるため62キロ程度で現地入り。最終調整後、ホテルの湯船などで発汗して50グラム単位で水分調整し、試合前日の計量を59・7~59・9キロでパスする。

これが高藤流の減量で、ポイントは3点ある。

(1)食事のメリハリ 通常は制限なく好きな物を食べる分、減量期に入ると「減量=仕事」と割り切って前向きに励む。ご飯の量を減らして野菜を増やし、おかずも薄く味付けする。大好きなジュースもNG。試合数日前のご飯の量は500円玉サイズになり、フルーツなどで調整する。

(2)ストレスをためない 減量初期が最も空腹になり、満腹感を得るものを工夫して食べる。朝食は栄養価が高く、胃に優しいオートミールをおかゆ風に。好みでグラノーラやツナ缶、ホットミルクなどを加える。昼食は元柔道家の妻が考案した、糖質オフ麺など使った減量めし「高藤丼」を口にする。我慢の限界を超えたら食事制限なしのチートデーを作り、その分体を動かす。

(3)目標設定 「大会で優勝して、帰りに○○(店名)のステーキを絶対に食べる」などと最終ゴールを決める。精神面の支えとなり、大きなモチベーションになる。特に国際大会の往路の機内は「地獄」で、食事の際は寝たふりやゲームでごまかしながら「帰りは腹いっぱい食べてやる」と自身に言い聞かせる。

 

昨年12月には試合がないのにあえて60キロに落とした。コロナ禍で五輪が1年延期となり、試合勘と同様に減量の感覚を取り戻すためだった。全ては五輪で夢をかなえるため-。1年前に吉田秀彦総監督(51)からもらった手作りの金メダルを“本物”に変えることを誓う。

「リオ五輪の時よりも確実に強くなっている。吉田監督には『五輪で金メダルを獲得したら本物だ』と何度も言われているので、心技体全てにおいてもう1段上げて7月24日を迎えたい。五輪の借りは五輪で返す」

己の体と向き合う27歳の柔道家は、万全の準備を整えてリベンジの夏を迎える。【峯岸佑樹】

<自ら考えさせ食生活向上へ>

森永製菓トレーニングラボ(東京・港区)のアドバイザーで公認スポーツ栄養士の清野隼さん(35)が、高藤直寿の減量をサポートする。

大会7週間前から週1日を目安に胸囲や大腿(だいたい)囲、皮下脂肪の厚さなどを細かく測定。試合日から逆算して計画を立て、毎週の目標値を設定する。清野さんは感覚を大事にする高藤の性格を理解し、行動を押しつけるのではなく、注意点のみを伝え自律支援に徹している。それが自ら考える力を伸ばし、体重変化に応じた食行動の向上につながっている。

普段は筑波大体育系助教を務める陰の立役者は「年齢を重ねても、減量期間で体重がスッと落ちるのは高藤選手のトレーニングのたまもの。目標達成に向けたお手伝いができればと思います」と、金メダル獲得を期待した。

高藤直寿の減量をサポートする清野隼さん(撮影・峯岸佑樹)

◆柔道の計量 公式計量は試合前日に実施。30分前に仮計量があり、本番と同じ体重計に乗れる。試合当日に大幅な体重増の選手が多いため、無造作に選ばれた選手は当日計量も行う。規定体重の5%を超えると失格。60キロ級なら63キロ以内。服装は男子が下穿きのみ、女子が下穿きとTシャツを着用。全日本柔道連盟は国際大会の計量で失格した選手には、強化指定除外の罰則を科している。

◆高藤直寿(たかとう・なおひさ)1993年(平5)5月30日、埼玉県生まれ。栃木県で育ち、神奈川・東海大相模中、高-東海大-パーク24。11年世界ジュニア選手権制覇。13、17、18年世界選手権優勝。16年リオ五輪銅メダル。世界ランク4位。左組み。得意技は小内刈り。趣味はゲーム。好きな食べ物はラーメン。家族は妻、長男、長女。160センチ。

<レスリング高谷は慣例打破 8キロ以上は階級アップ>

減量がつきものの競技に挑む選手は、試合直前の過酷さを当たり前と捉える傾向は根強いが、レスリング界ではその慣例打破を掲げる選手がいる。男子フリースタイル86キロ級の高谷惣亮(32=ALSOK)は「体重の4%を超えると体にダメージが残る。8キロ以上は階級を上げた方が良い」と中高生に助言を続けている。

高谷惣亮の74キロ級当時の肉体。約10キロの減量が必要だった

体験談がある。12年ロンドン、16年リオデジャネイロの2回の五輪は74キロ級で戦った。最大減量幅は10キロ。めまい、手に力が入らないなどの症状の経験がある。そして何より「体重を落とすために、休むことが恐怖になる」。精神面のダメージが大きかったという。

18年1月から国際連盟が計量を前日から当日に変えた。従来は前日からの体重の戻し幅が勝負の分かれ目だったが、短時間ではもう戻せない。転機になった。「10キロ減らすので、戻らないですよね。それでは戦えない」。階級を上げた。

すると故障もしなくなった。効用を感じるからこそ、いまは「自分が勝てば、ナチュラルに近い階級でも勝てると思ってもらえる」と使命感がある。4月上旬のアジア予選では57キロ級の樋口黎が計量オーバーで失格になる姿も目の当たりにした。自身は準決勝に惜敗し、5月の世界最終予選に3度目の五輪をかける。【阿部健吾】

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

We Love Sports

宇野昌磨のコメントはいつも興味深い 世界歴代3位の記録に「何でだろう」

世界フィギュアスケート国別対抗戦エキシビション エキシビションで演技する宇野昌磨(代表撮影)

小学生の頃に算数で「コンパス」を使った。支点となる針を紙に刺し、鉛筆の部分で、ある場所に印を刻む。

4月18日、丸善インテックアリーナ大阪。18年平昌オリンピック(五輪)男子銀メダルの宇野昌磨(23=トヨタ自動車)は、今季最終戦となる世界国別対抗戦を終えた。オフシーズンへと入る節目に、約10カ月後に迫った22年北京五輪への思いを問われた。宇野はこのように言った。

「僕はやっぱり先のこととか、過去のこととか、あんまり気にしないというか…。気にしないというより、僕は今を一番気にしたいし、気にしてしまう性格なので。僕が今いるこの場所、昨日までの試合、そしてシーズンオフに入るにあたり、どうするべきかとかは具体的に考えています。先のことになると、その時、自分がどういう状態で、どういうコンディションで、(五輪に)出場できるのかも全然決まっていない。(五輪に対し)深くイメージすることは何もないです」

この言葉を、取材者の1人として、次の1年への「支点」にしたいと思った。

1156日前にさかのぼる。2018年2月17日、宇野は平昌五輪のフリーを終えて銀メダルを手にした。取材エリアで次々に質問が飛んだ。「五輪の雰囲気」を問われ、こう言った。

「五輪に最後まで特別なものは感じなかったです」

ここだけを切り取れば「五輪軽視」のようにも捉えられた。だが、取材歴1年足らずだった当時でも、その言葉が一貫した考えで成り立っていることは分かった。前年夏の時点から「五輪」「メダル」という質問に対して「僕の中ではどの試合も悔しい思いをしたくない。いい演技をしたい。それは、どの試合もかかわらず思う」と答えた。実際に五輪のリンクに立っても「1つの試合」というスタンスは変わらなかった。

宇野のコメントはいつも興味深い。勝手に想像したものと、違う答えを聞くことが多いからだと考える。

319・84点、世界歴代3位-。

国際スケート連盟(ISU)の公式サイトを開けば、今も17-18年シーズンまでの自己最高得点を確認できる(同シーズン終了後に新ルール採用でリセット)。宇野が羽生結弦(ANA)、ネーサン・チェン(米国)に次ぐ高得点を記録したのは、17年ロンバルディア杯(イタリア)だった。

得点を見た時に「大満足では?」と思った。だが、同杯に向けた練習の自己評価以上に高得点が出たことで、喜びは控えめだった。

「うれしさよりも『何でだろう』っていう気持ち。自分ができること、実力を出して、満足したい」

「見る者」と「する者」の、ギャップが興味深い。

逆の意味では、今季最終戦も同じだった。世界国別対抗戦はショートプログラム(SP)が9位、フリーが6位。演技を見て心配する声も多くあった。宇野は思いのほか前向きだった。

「もちろんふがいなさはありました。練習ができて、本番ができなかったら悔しい。(今回は)悔しいというより、ふがいない。この試合で気持ちが落ち込んだとかは、あまりありません。この試合に向けて練習してきた自分に、気持ちが入っていなかった。今後の教訓にして、生かしていきたいと思っています」

演技に対する一喜一憂ではなく、過程を反省した。

シーズンオフを経て、7月から来季が幕を開ける。

夏、秋、冬…。北京五輪は刻一刻と近づいてくる。

「今」を大切にする宇野の思いは、変化していくのだろうか。その答えは、現時点で誰にも分からない。

コンパスでいう「鉛筆」の部分。その着地点を楽しみに追いたい。【松本航】

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大ではラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月からは西日本の五輪競技やラグビーが中心。18年ピョンチャン(平昌)五輪ではフィギュアスケートとショートトラックを担当し、19年ラグビーW杯日本大会も取材。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

世界フィギュアスケート国別対抗戦エキシビション 演技をする宇野昌磨(代表撮影)
世界フィギュアスケート国別対抗戦エキシビション エキシビションで演技する宇野昌磨(代表撮影)
世界フィギュアスケート国別対抗戦・男子SPで演技する宇野昌磨(2021年4月15日 代表撮影)
世界フィギュアスケート国別対抗戦・男子SPの演技を終えて日本チームに向かって手を合わせる宇野昌磨(2021年4月15日 代表撮影)
米PGAツアーティーチング

トップコーチも絶賛する「パッシブトルク」提唱者 サショ・マッケンジー

ここ数年、欧米ゴルフティーチング界で注目集めているゴルフスイング研究者にサショ・マッケンジー教授がいる。日本ではあまり名前が知られていないが、欧米のゴルフ界ではパッシブトルクの提唱者として知られており、クリス・コモ(タイガーウッズ前コーチ、デシャンボーのコーチ)やショーン・フォーリー(タイガーウッズ元コーチ)、キャメロン・マコーミック(ジョーダン・スピースのコーチ)など、多くの一流指導者のティーチングに大きな影響を与え、ゴルフティーチング界の最先端をリードする存在だ。

■クリス・コモら一流指導者に大きな影響

サショ・マッケンジー教授

サショ・マッケンジー教授は現在、カナダのノバスコチア州にある聖フランシスコ・ザビエル大学で教鞭をとりながら、ゴルフに重点を置いた「スポーツエンジニアリング」と「バイオメカニクス」の研究をしている。ゴルフクラブの「パッシブトルク」に関する研究論文を発表すると、ゴルフ界に大きな影響を与え、欧米のトップコーチやPGAツアー選手に指導を行うようになった。欧米の研究者やコーチが参加するゴルフバイオメカニクスのコミュニティーでは中心人物としてリスペクトされている。その他に、ゴルフクラブやゴルフスイング測定機器の開発を行い、地面反力を効率的に使うためのゴルフシューズの開発にも関わってきたという。

私は以前からマッケンジー教授のスイング研究に興味があり、共通の友人であるクリス・コモに紹介してもらって勉強会などに参加するようになった。マッケンジー教授の研究は非常に興味深く、欧米のトップコーチたちが「ゴルフサイエンスの最前線だ」(クリス・コモ)、「私のレッスンメソッド・レッスン哲学に最も影響を与えたのはマッケンジー教授の研究だ」(ショーン・フォーリー)などと、称賛した意味が理解できた。

クリス・コモを指導するマッケンジー教授

ゴルフスイングはゴルフクラブという道具を使ってボールを打つ競技のため、クラブの動きを無視することはできない。身体の動きだけではなく、クラブに加わる三次元のフォースやトルクの働きを理解することで、ゴルフスイングのメカニズムを理解することができる。現代のゴルフティーチャーには「目に見えないもの」がどれだけ見えるようになるかが問われている。旧来のスイングプレーンや体の動きなどの目で見えるものではなく、バイオメカニクスなどの知識によって、フォースやトルクなどの「目に見えないものが見える」状態になることで、最適解を導くことができるようになる。私自身、マッケンジー教授の研究を学ぶことで、今まで学んできた多くのスイング理論に対しての理解が深まり、ゴルフスイングを分析し修正することが容易になった。

■スイング改善に欠かせないパッシブトルクの原理

ここ数年、ゴルフスイングにおいて「パッシブトルク」という言葉がすっかり定着した。トルクという言葉は以前から自動車のエンジンの性能を表すときなどに使われているが、回転軸を中心に発生する力のことだ。パッシブトルクの「トルク」とは回転やねじれの力のことで、「パッシブ」とは「受動的」だから、パッシブトルクとは「受動的に発生する回転の力」という意味になる。つまり自分で生み出すのではなく自然発生的に起きる力のことだ。この回転の力が正しく発生すると、クラブを自然とプレーン上に戻し、フェースを閉じていく。

パッシブトルクは誰でも知らないうちに発生させているもので、別に新しい打ち方でも、特別な人だけが使いこなせる力でもない。これまでも多くの名選手が経験に基づいて使ってきた力を、理論的に裏付けたものに過ぎない。アマチュアゴルファーも意識せずにパッシブトルクを使っているのだ。

ただ、パッシブトルクの原理を理解し、上手に使わないと適切なスイングができないだけではなく、ミスショットの原因にもなる。逆に言えば、パッシブトルクを正しく発生させればスイングの改善は容易にできるということだ。パッシブトルクを適切に使えれば、スライスの改善を行うことができるし、効率的にヘッドスピードを高めることができるので、飛距離を伸ばすことも可能だ。

■アマの手本はジェイソン・ダフナー

マッケンジー教授によると、PGAツアー選手の中では、セルジオ・ガルシアやジョン・ラームなどがパッシブトルクを効率的に使っているという。しかし、ガルシアのスイングは個性的すぎるし、ラームのスイングはスピードが速すぎてアマチュアが真似するには難しい。

彼がアマチュアの参考になる選手として名前を挙げたのは、ジェイソン・ダフナーだ。2013年の全米プロゴルフ選手権の覇者で、当時、ゴルフ界で流行した「ダフナリング」で覚えている人もいるかもしれない。ダフナーはフラットな1プレーンスイングの持ち主で、低くシャローなダウンスイングを行い、インパクトに向けてパッシブトルクを使ってクラブを振り戻している。アマチュアにとって体に無理なストレスを与えない1プレーンスイングなら真似をすることも可能だろう。

ゴルフチャンネルをはじめ、多くのメディアに出演

サショ・マッケンジー教授のスイング研究は高度でアマチュアには少しレベルが高いかもしれない。ただ、パッシブトルクの原理を理解することで、クラブの使い方を学びゴルフ上達に役立てることができる。「なぜ、そうなるのか」という原理原則を知ることでゴルフインテリジェンスを高め、ゴルフスイングのレベルを高めてほしい。

(ニッカンスポーツ・コム/吉田洋一郎の「日本人は知らない米PGAツアーティーチングの世界」)

◆吉田洋一郎(よしだ・ひろいちろう)北海道苫小牧市出身。2019年度ゴルフダイジェスト・レッスン・オブ・ザ・イヤー受賞。欧米のゴルフスイング理論に精通し、トーナメント解説、ゴルフ雑誌連載、書籍・コラム執筆などの活動を行う。欧米のゴルフ先進国にて、米PGAツアー選手を指導する100人以上のゴルフインストラクターから、心技体における最新理論を直接学び研究している。著書は合計12冊。書籍「驚異の反力打法」(ゴルフダイジェスト社)では地面反力の最新メソッドを紹介している。書籍の立ち読み機能をオフィシャルブログにて紹介中→ http://hiroichiro.com/blog/

We Love Sports

フィギュア海外選手の印象コメント トゥクタミシェワ「日本の匂い感じる」

演技を終え笑顔で引き揚げるエリザベータ・トゥクタミシェワ(代表撮影)

<フィギュアスケート:世界国別対抗戦>◇15日◇第1日

目の前に映し出される光景の、尊さを再確認した。

15日に大阪で開幕したフィギュアスケートの世界国別対抗戦。2年に1度行われる団体戦だ。日本の他にロシア、米国、フランス、イタリア、カナダが参加。新型コロナウイルスの影響で、19年大会と同じようにはいかない。観客数には制限が設けられ、ペン記者も現地取材は1社1人。写真も代表撮影となっている。

福岡で行われた前回大会は、現地で取材を行っていた。2年前を思い返しつつ、今大会の初日は、会社で映像を見ながらオンライン取材に入った。現地取材を複数人でできないもどかしさを感じながら、海外の選手たちの声を聞いていた。そこで印象に残ったコメントを、いくつか挙げたい。

   ◇   ◇   ◇   

◆アイスダンス

ガリアビエバ&トーロン(フランス)

「会場に入ってすぐに『本当に人がいる! すごいことだ!』と思いました」

ソシーズ&フィラス(カナダ)

「2人のコーチ以上の大人数の前で、長い間、演技をしていなかった。とても楽しかったです」

ハワイエク&ベーカー(米国)

「本当に私たち、ずっとずっと『日本でまた演技がしたい』と待ち望んでいました。最後に日本で滑ったのは世界選手権(19年、さいたまスーパーアリーナ)。日本で滑ることは、選手生活の中でも最高の経験です」

◆女子シングル

シェルバコワ(ロシア)

「世界選手権は無観客でした。日本はフィギュアスケートに対して、とても関心が高い国と理解しています。その応援を受けて、演じることができました」

トゥクタミシェワ(ロシア)

「日本に来ることができて、大変うれしい。日本の匂いを感じる。それがとてもうれしい」

◆男子シングル

ブラウン(米国)

「スケートをするのが楽しい国に、長く来られなくて苦しかったです。これだけのいい思いができる、日本に来られて良かった。今日の演技は日本のファンの皆様のためのものでした」

   ◇   ◇   ◇

思い返せば今季、グランプリ(GP)シリーズは「母国か練習拠点国、および近隣国の大会に出場」と制限があった。3月の世界選手権は無観客開催だった。

世界から選手が集い、観客が、その背中を押す-。

あらためて考えてみると、今季のフィギュア界において初めての光景がシーズン最終戦で広がっている。もちろん、最も大切なのは新型コロナウイルス対策。昼夜問わず難題に向き合い、運営に尽力する人たちへの感謝を胸に、最後まで取材を続けたい。【松本航】

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大ではラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月からは西日本の五輪競技やラグビーが中心。18年ピョンチャン(平昌)五輪ではフィギュアスケートとショートトラックを担当し、19年ラグビーW杯日本大会も取材。

演技を終え笑顔で拍手に応えるアンナ・シェルバコワ(代表撮影)
東京五輪がやってくる

五輪世代U24代表候補の人物相関図 OA枠3人なら15枠争う

人物相関図のサッカー編は、国内組を左、海外組を右に配置し、年齢を縦軸に据えました。五輪代表は24歳以下の年齢制限があり、25歳以上のオーバーエージ(OA)を3人まで加えることができます。18人枠をめぐって、こんな選手たちが東京五輪を目指しています。【取材・構成=岡崎悠利】

U-24人物相関図

五輪世代とはいえ、この相関図内では19人がA代表を経験している。兼任する森保監督は2つの代表を「1チーム2カテゴリー」と表現しており、多くの選手が経験を積みやすい環境となっている。最年少の候補は17歳のDF中野。3月の代表活動で抜てきされた、鳥栖U-18所属の現役高校生だ。MF久保は2学年上の先輩になる。

五輪世代の部活出身組は7人と少なくない。一方で海外挑戦を実現している選手だけで見れば不在だ。とはいえOA候補に入る選手も複数が部活出身であり、この7人の中から代表の中心になる選手が出てくる可能性も十分ある。

Jリーグを席巻中の川崎Fに縁を持つ選手も多い。現所属が3人、久保ら下部組織出身も含めれば6人と最大勢力だ。またG大阪の下部組織出身もMF堂安を筆頭に5人おり、この世代では育成の2大巨頭となっている。

U-24人物相関図(一部抜粋)

OA枠で上限の3人を起用することになれば、五輪世代で出場権を勝ち取るのはわずか15人。チームは6月にOA組を合流させて国際親善試合を2試合こなし、7月に本大会のメンバーを決定する。選手にとっては、次の活動が最後のアピールの場になる。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

We Love Sports

海老沼匡がいるといないでは全然違う 誰もが一目置き尊敬された柔道家

15年5月、単身修業のためにフランスへ。手には煎餅の紙袋が下げられていた

「柔道家」海老沼匡(31=パーク24)を巡る証言の中で最も印象に残っている言葉がある。

「本当の強さは優しさだということをみんなに伝えたんじゃないですか」

中学から6年間研さんを積んだ柔道私塾の「講道学舎」。会長を務めていた「ママさん」こと中山美恵子さんに当時の様子を聞いた時だった。引退を発表したいまだからこそ、その言葉が頭の中を駆けた。

強さは優しさ。「普通は厳しさが度を越していじめになったりするんだけど、彼はそれをすべて守ってましたね。自分が上級生になったときに、一番弱いことかを守っていく、正義感が強い」。高3では主将だった。寄宿制の寮部屋の主将部屋にまで、畳を模したフローリングを敷いた。寝ても覚めても「道場」だった。そのストイックな姿を後輩、仲間には決して強要しなかった。「魂のレベルが高い子。いやらしさがない。ねたみとかもまったくない。ただ柔道のことを真剣に考える。邪念がない」。ただ、無言で仲間に語りかけた。

己には厳しく、他人には優しく。それは、柔道の本質を体現していた。ママさんは当時、こうも語っていた。「彼がいる、いないでは日本のチームは全然違うと思います。彼がいることで日本が一番良い状態に仕上がると思います」。16年リオデジャネイロ五輪までの4年間、日本男子チームを取材して、この言葉の意味を常々感じた。誰もが一目置き、尊敬していた。「匡先輩は…」という言及を、他の選手から何回聞いただろう。

15年5月、フランスに単身修業に向かう、出発、帰国の成田空港での姿も思い出される。「殻を破る」。柔道一直線の青春。11、13、14と世界選手権3連覇。結果も残しながら、柔道以外の修業が、畳でも生きると井上監督に勧められた。旅立つ姿に1人で姿を見せた。空港のチェックインの仕方にも少し戸惑うなか、その右手にはフランスの柔道関係者への手土産という煎餅の紙袋。「これがいいかなと思って」と照れくさそうにした。きまじめさと、その何とも古風なチョイスに「柔道家らしさ」を感じた。

再び、約2週間後の成田空港。アプリも駆使しながらの刺激たっぷりのフランス生活を終えて帰国した。真っ先に言及したのは柔道の練習方法の違いについて。「僕ら日本人はきついことしてなんぼ、なところがあると思うんですけど、フランス人は楽しめばいいという感じがあって。みんな練習前とかじゃれ合って技の掛け合いとかしてるんです。好奇心でやっているのかなと」。知見が広まり、少し考え方も変わったのかと思ったが、続いた言葉は…。「いままで練習で楽しいことというのはなかった。ただ、日本が一番練習はしている。負けたくないと思いました」。その誇りと覚悟。やはり、海老沼匡は海老沼匡だった。

小学生の時。先に講道学舎に入門していた兄たちの試合を会場で観戦していた。熱心に誰よりも応援しながら、手にはノートが握られていた。兄たちの試合に限らず、見られる試合はすべて詳細を書き記していた。日本代表になり、井上監督、コーチ陣との情報共有のノートが渡された。試合の振り返りなど、事細かに、最も密度濃く書いてくるのは海老沼だった。ファイルは誰よりも厚くなった。

小さい頃から、変わらない。それは優しくあることも、柔道家としてどう屹立(きつりつ)していたかも。

「彼がいるといないでは、日本のチームは全然違う」。間違いない。指導者という立場で、ずっと日本を支えてほしい。【阿部健吾】

「講道学舎」の先輩になる古賀氏(右)と記念撮影。右から2人目が海老沼
東京五輪がやってくる

トビウオジャパンの人間関係丸わかり! 男女競泳陣の人物相関図

競泳日本選手権が10日まで行われ、東京オリンピック(五輪)代表33人が決まった。メダルを量産する花形種目の選手たちには、どんなつながりがあるのか。競泳は所属、大学に加えて、スイミングクラブ(SC)の存在が特徴的だ。トップ選手は少人数グループで練習を行う。それがSCの先輩、後輩ということも多い。競泳日本代表「トビウオジャパン」が、チーム一丸で戦える秘密がここにある。【取材・構成=益田一弘】

トビウオジャパン人物相関図

東京五輪代表は、11日から代表合宿をスタートさせた。4大会連続の31歳、入江は「初代表は、周りからちやほやされる。一番大事なのは五輪で結果を出すこと。地に足をつけるように後輩に伝えたい」と話す。個人競技だが、チームを感じさせる雰囲気がある。

競泳の特徴は全国にあるSC。日本代表でも「イトマン」「セントラルスポーツ」「東京SC(スイミングセンター)」に多くの選手が関係する。東京SCは平井コーチ-北島康介のタッグで金4個。その系譜は佐藤翔馬に受け継がれる。

大学のつながりもある。池江璃花子の日大は「フジヤマのトビウオ」古橋広之進氏らがOBで、長谷川、本多らも代表入り。東洋大の通称「平井チーム」は萩野、大橋、青木、酒井ら。早大出身組に中村、瀬戸、渡部ら。しかも選手たちは学校、所属、SCなど複数の関係性でつながっている。

トビウオジャパン人物相関図(一部抜粋)

日本水連は小学生の全国大会、世代ごとの強化合宿を行うため、有望選手は小さいころから顔見知りでもある。12年ロンドン五輪での松田丈志氏の名言「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」もつながりのたまものだ。東京五輪では、どんなつながりがスパークするのか、注目される。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

スポーツ百景

元麒麟児さん訃報「黄金の左」輪島「突貫小僧」富士桜 思い出すあの時代

76年1月、初場所で富士桜(左)と対戦する麒麟児

小学生の頃、大相撲に夢中だった。テレビ観戦に飽きたらず、全幕内力士をそろえた自作の紙相撲を楽しんでいたほどだ。毎場所楽しみにしていた一番が、麒麟児と富士桜の取り組み。突き押し力士の意地をかけた突っ張りの応酬は壮絶で、いつも白熱した。

麒麟児さんの突然の訃報に、当時の記憶がよみがえった。有名な1975年の天覧相撲での突っ張り合いが、富士桜と2人合わせて108発だったと知り、あらためて驚いた。まだ67歳。あの激しい相撲が命を削ったのか。古き良き時代の思い出が1つ欠けたようで残念でならない。

振り返れば、あの時代の力士は実に個性的だった。大好きだったのが陸奥嵐。相手のまわしに手がかかると、たとえ土俵の中央でも必ず豪快につった。荒勢のがぶり寄りは機関車のようだったし、横綱輪島の『黄金の左』から繰り出される左下手投げは、実に鮮やかだった。磨き抜いた技はどれも名人芸という趣きで、風情があった。

人気力士にはあだ名もあった。富士桜は『突貫小僧』で陸奥嵐は『東北の暴れん坊』だった。左をさしてしぶとく食い下がる旭国は『ピラニア』。投げやひねりなど多彩な技を持つ彼には『相撲博士』の異名もあった。かく乱戦法を得意とした小兵の鷲羽山は『ちびっこギャング』と呼ばれていた。相撲ファンはニックネームを聞くだけで、取り口が思い浮かんだ。

そういえば近年は得意技や取り口を象徴するような力士のあだ名を聞かない。引退した舞の海の『技のデパート』と高見盛の『ロボコップ』くらいで、なんだか寂しい。立ち合いからの突き押しで一気に勝負が決まる相撲が増えて、技の攻防が減ったことも一因かもしれない。『つり出し』や『うっちゃり』の決まり手は珍しくなり、熱戦の代名詞『水入り』もほとんど見なくなった。

熟練の技を磨き抜くのは時間がかかる。この半世紀で幕内力士の平均体重は124キロから160キロに増えた。体重を増やしてパワーをつけた方が手っ取り早いのだろう。確かに相撲内容は昔よりスピーディーで迫力があるが、どこか淡泊で味気ない。平成以降、社会は効率化と生産性にかじを切った。無駄をそぎ落とし、時間と労力をかけずに結果が求められる。力士の大型化とともに、そんな社会的な背景が土俵にも影響しているのかもしれない。

さて、『突っ張り』の富士桜と『つり』の陸奥嵐。いったいどっちの技が勝つのか。ともに関脇を経験した2人の職人対決もテレビ桟敷で楽しみにしていた。陸奥嵐に肩入れしていたのだが、なぜかいつも勝つのは富士桜。悔しくて紙相撲では陸奥嵐に手心を加えていた。ちなみに麒麟児というしこ名が小学生にはとても難しく、紙相撲力士の背中に書くのに難儀したことも一緒に思い出した。【首藤正徳】(敬称略)

東京五輪がやってくる

柔道日本の人間関係丸わかり! 男女最強布陣の人物相関図

柔道日本選手の人物相関図(※コーチの階級は担当階級)

人物相関図第2回は柔道編。男女14階級の代表選手と強化スタッフとの関係性をまとめた。出身や所属などのつながりを知れば、より柔道に親しみを感じるかも。全33競技で最もメダル量産が期待される日本のお家芸は、最強布陣で100日後に迫る東京オリンピック(五輪)に臨む。【取材・構成=峯岸佑樹】

全階級金メダルの目標を掲げる日本代表は、57年ぶりに開催される東京五輪に向け、着々と準備を進めている。全日本柔道連盟は、選手の準備期間確保を目的に早期内定制度を初導入。昨年2月までに男女13階級、同12月に男子66キロ級代表を決めた。五輪では世界選手権3連覇の男女混合団体も初実施され「ONE TEAM」が求められる。

(1)選手と強化陣の出身 東海大6人、筑波大5人、日大4人など強豪ばかり。神奈川・相原中出身者に女子代表3人がいる。強化陣も国際経験豊かな実力者が多く、日本代表の層の厚さが分かる。所属先ではパーク24、旭化成、コマツが複数の代表を抱える。

(2)選手とコーチの関係 「柔道の花形=重量級」といわれ、大役の強化委員長と男女監督は重量級出身者が務めている。男女ともに階級別に担当コーチを配置し、選手と密に連携を図る。大会では担当コーチがコーチ席に座り、選手に指示を与えるなど強固なつながりがある。

(3)16年リオ五輪代表 男子4人、女子1人で男子は半数以上がリオ組だ。2連覇を狙う73キロ級王者の大野将平以外は銀メダル以下でリベンジに燃えている。

自国開催のお家芸の意地にかけて、負けられない戦いが始まる。

○…「柔道界の画伯」こと元日本代表の石川裕紀さん(32)が、人物相関図のイラストを手掛けた。特徴をつかんだ柔らかいタッチで計28人を作成。五輪代表は白道着、コーチ陣は青道着と色分けするなど、分かりやすいポップなデザインを心掛けた。東海大時代に自身も五輪代表を目指した石川さんは「イラストは優しい感じですが、五輪では最強の日本代表の活躍を期待しています」と切望した。

柔道日本選手の人物相関図(抜粋)
全日本柔道連盟の山下泰裕会長(21年2月26日撮影)
伊藤華英のハナことば

五輪までの3カ月はとてつもなく濃い時間/伊藤華英

競泳の日本選手権が無事終了した。心からホッとした。コロナ禍で多くの懸念材料が頭をよぎっていたから。

オリンピック選考会は、2020年にあるはずだった。競泳選手にとって最高峰の大会であるオリンピック。それが延期となり、目の前から消えた。人生を懸けたレースが突然なくなる衝撃は、競技をやっていない私たちの想像をはるかに超えていたはずだ。

4年間努力し続けて、ようやく2020年がきたと思っていた選手がほとんどだろう。アスリートがよく口にする「恩返しできるレースをしたい」。アスリートとして自分を最大限に表現できる場所が大会なのだ。トップ選手になれば力を発揮する場所も限られるし、記録はハイレベル。チャレンジが簡単なわけはないのだが、大会がなくなってしまってはどうにもできない。

女子100メートル自由形で優勝した池江(左)は4位の大本と抱き合って喜ぶ

自分の競技者としての時間を思い返す。2004年アテネオリンピックで代表に入れなかった。すでに競泳の選考基準は現在と同様の厳しさだった。私は3位で落選し、人生のどん底と感じていたかもしれない。

今なら「他にも人生あるよ」と思えるが、当時の私は競泳に懸けていたし、競泳が自分の100%の評価だと感じていた。アスリートはそれほど競技に打ち込んでいるし、それがトップで戦うということだ。このごろはデュアルキャリアとも言われるが、またその気持ちの割合は別の話だ。

しかし、自身の競技力のアップデートを発揮する場所が無ければ、この価値さえも見失う。そんな自分自身の経験も踏まえ、今回選ばれた選手、選ばれなかった選手はアスリートとしてどんな姿勢を見せてくれるかが楽しみでもある。

松元克央(5日撮影)

アメリカのスイマー、ケイティ・レデッキー選手はロンドンとリオデジャネイロオリンピックで計5個の金メダルを獲得している。しかも現在、名門スタンフォード大学で心理学を勉強していて、この五輪延期中に全ての単位を修得したとワシントン・ポストが伝えている。彼女はロールモデル(模範となる人物)であるといえる。

現役時代、多くの海外のアスリートたちに「今はこの競技を自分で選択している」という印象を持った。「医学部を休学してオリンピックに出ている」とか、「将来は弁護士になって人を助けたい」とか、さまざまな背景が選手たちにはあるのだと知った。とんでもなく驚いたし、自分の立っている位置はなんなのか自問自答した。前述した通り、全てを競泳のために、という切迫詰まった生活をしていたから、ちょっとショックでもあった。「生き方」についてあまり考えていなかったからだ。

男子200メートル平泳ぎ優勝の佐藤(左)と2位武良

1年延期された今回の選考会。独特の緊迫した状況の中で、予選、準決勝とコマを進め、最後の決勝に全てをかける。それは競泳の醍醐味(だいごみ)でもある。「競技を通してどんな人になりたいか」。現役時代からコーチに言われていた。その意味を当時はぼんやりとしか考えていなかった。あのころの正解は、勝つことだった。

しかし、そのシビアな経験、体験をして得たものは計り知れないのだ。決断すること、実行すること、判断すること。これこそが、競技者としての強みだ。

日本代表としてのこれからの3カ月間。人生でとてつもなく濃い時間になるだろう。頂点を目指すこの時間は貴重であり、その経験は自分の将来の強みになる、価値のあることだと自分で認識してほしい。アスリートは自分の価値を自分で高められる。それこそが、希少であるのだ。(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)

ピッチマーク

松山と同様に畑岡奈紗が持つ“努力を続ける才能”メジャーVかなえる日必ず

松山英樹(29=LEXUS)のマスターズ制覇は、後に続くゴルファーたちに夢と希望を与えた。初挑戦から10年。なかなか勝てない中で、諦めずとてつもない努力を続けたことに頭が下がる。

畑岡奈紗(21=アビームコンサルティング)も、松山の優勝に勇気づけられた1人だろう。16年、17年と日本女子オープンでの連覇を果たし、18年から米ツアーに本格参戦。同年6月の全米女子オープンでは日本人初の10代でのトップ10入り(10位)を果たし、同月のアーカンソー選手権で初優勝。さらに全米女子プロ選手権で2位に入った。メジャー制覇は時間の問題と言われた。

しかし、19年3月に起亜クラシックで米ツアー3勝目を挙げた後は、なかなか勝てない状態が続いている。その間に同じ黄金世代の渋野日向子(22=サントリー)が、AIG全英女子オープンを日本人42年ぶりに制した。

松山と同じように、畑岡もものすごい努力を続けている。コースや練習場での練習に加え、ジムでの体力強化にも取り組んでいる。松山同様、米ツアー参戦当時に比べると、体の大きさや強さが格段に増した。アマ時代ナショナルチームで指導し、現在もサポートを続けているガレス・ジョーンズ・ヘッドコーチは「畑岡さんと同じくらいフィットネスジムで努力できる人は、この地球上にいない」とその練習量の多さ、継続できる意志の強さに舌を巻く。

米ツアーを回っていても、大会の前や期間中の練習量が圧倒的に多い。ジョーンズ氏が「週の初めに練習しすぎて土日に疲れないように」と心配するほどだ。そんな頑固なところも、松山に似ている。

努力をすれば、誰もが結果を出せるわけではもちろんない。しかし、ポテンシャルがあって努力を続ける才能と、強い意志を持っていれば、大きな栄光をつかむことができると松山は教えてくれた。今年はここまで米ツアーで苦しい戦いが続いている。松山の次に、今度は畑岡がメジャー制覇の夢をかなえる日が必ずくる。【桝田朗】(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)

We Love Sports

もう1人の男子メジャーV井戸木「雑念を培った技術で払いのけた」勝因分析

井戸木鴻樹(2013年5月31日撮影)

2013年の全米シニアプロで優勝し、日本男子初のメジャー制覇を果たした井戸木鴻樹(59=小野東洋)は、箱根にいた。シニアツアーの「ノジマチャンピオンカップ箱根シニア」(15~16日、神奈川・箱根CC)出場に備えての練習ラウンドをするためだった。

松山が日本人初のマスターズ制覇で日本中を揺るがしたが、8年前には井戸木がシニアとは言え、全米プロを制し話題となった。「ぼくはシニアで松山君はレギュラーだし、ましてマスターズ。素直にたたえたい。でも、僕もメジャーに勝った誇りは持っています」と言った。

もちろん、マスターズ最終日、4月12日(日本時間)の早朝はテレビにかじりついていた。

「インに入って、逃げたい、攻めたい、守りたい。そんな気持ちが交錯していたと思います。しかし、松山君はそのバランスを保つ集中力があった。自分の時もそうだったが、いろんな雑念が入ってくるが、その雑念を培った技術で払いのけたように見えた」と勝因を分析した。

井戸木が全米プロシニアを制した時は、神がかり的なパットを連発したが「松山君も要所、要所でいいパッティングをしていた。いや、パットだけでなく17、18番のドライバーショットは完璧だったし、グリーンをはずした時のアプローチもかみ合った。自分もそうだったけど、心技体がそろった時に勝てるのです」と振り返った。

実は井戸木は、13年に全米シニアで勝って以来、日本シニアツアーでも勝利がない。「今年で60になるけれど、またあの優勝争いの雰囲気を味わいたいですよ。松山君が大いに刺激になりました」。8年前の快挙により、日本シニアツアーでは永久シード選手になっているが「もう1度、力で優勝してシードを勝ち取りたい」と松山フィーバーの陰で、井戸木はひそかに闘志を燃やしている。

【82、87、89年マスターズ取材=元ゴルフ担当・町野直人】

◆井戸木鴻樹(いどき・こうき)1961年(昭36)11月2日、大阪生まれ。アマチュア時代に日本ジュニア優勝。83年にツアーデビュー。90年関西プロで初優勝し、ツアー通算2勝。167センチ、62キロ。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

ピッチマーク

渋野日向子、米本格参戦へ飛距離より精度磨く日々 強い気持ちで貫き通せ

渋野日向子(2021年3月撮影)

ANAインスピレーションで優勝したタイの新鋭パティ・タバタナキットはすごかった。4ラウンド平均のドライビング・ディスタンス(DD)が323・0ヤード。測定ホールはダウンスロープが入っていた。空気も違う。開催コース・ミッションヒルズがあるランチョミラージュは砂漠地帯。湿度5%なんて日もあった。

ボールの反発がよく、空気も乾燥していてキャリーが伸びる。WOWOWで解説していた岡本綾子さんは「(クラブで)1番手は違う」と言っていた。ランも30ヤード以上転がるシーンがざらだった。だから、323・0ヤードは額面通りと言いがたい。それでも、すごい。

逆の意味で朴仁妃もすごかった。DDは248・3ヤード。予選2ラウンド(R)平均は233・3ヤード。それでいて7位に入った。メジャーはエビアン選手権を除く4大会で通算7勝。世界ランク2位。まだ32歳だが、5年前に米ツアー殿堂入りしたレジェンドである。

予選落ちした渋野日向子のDDは263・0ヤードだった。

今は飛距離が落ちている。今年から取り組むスイング改造。トップの位置を右肩のラインぐらいまで低く、浅く。昨年限りで青木翔コーチから離れ、石川遼の助言を得て「スイングの再現性向上」「ショットの精度向上」を狙う試みの影響によることは明らかで、それは本人も認めている。実際、21年初戦ダイキン・オーキッドレディースで新スイングを見て、大きな変化に驚いた。同時に「ざっと言うと、米ツアーで戦うためです。もっと強くなっていくために必要なことなので」と説明する姿に強い意思を感じた。

それでも、どうしても飛距離は気になった。予選Rで笹生優花、第3Rで山路晶ら飛ばし屋に、30ヤード以上置いていかれる場面があった。だから「ショットの精度を求めるのはなるほどですが、飛距離への欲求はわきませんか?」と聞いた。

渋野 う~ん、今はないです。アメリカに行けば必要になると思うけど、今目指しているスイングができるようになれば、また伸びてくると思うので、今はないです。

男女を問わず、米ツアー挑戦に踏み切り、飛距離の差を痛感し、自分も飛ばそうとあがき、スイングを崩したり、体を痛めてしまったプロは多い。周りの選手より、ティーショットが飛ばない。グリーンを狙うショットの番手が1つ、2つ、下手をすれば3つ違う。番手が大きくなれば、スピンがかかりにくくなる。球も上がらない。するとチャンスにつかない。だから、悩み、苦しむ。

渋野の21年の米ツアー挑戦はANAインスピレーションから始まった。今週はハワイでロッテ選手権に出場。主催者推薦出場の道を探りながら、6月初旬の全米女子オープンを経て、6月末の全米女子プロ選手権まで約3カ月間、続く見込みだ。おそらくその後、日本に戻るが、来季の米ツアー本格参戦を狙い、11月のファイナルQスクール(最終予選会)にターゲットを絞っていく。

ちなみにANAインスピレーションの他の選手のDDはこんな感じだった。

飛ばし屋レキシー・トンプソンは308・5ヤード。

世界ランク1位高真栄(コ・ジンヨン)は265・5ヤード。

日本でも活躍した中国のフォン・シャンシャンは261・5ヤード。

タバタナキット、トンプソンのようなパワー・ゴルフは大きな潮流になりつつある。一方で朴仁妃、高真栄、フォン・シャンシャンらはショットの精度、アプローチ、パットの技術を突き詰め、スコアをまとめ、世界のトップに君臨する。

「周りからいろいろ言われることはあると思いますが、私は自分の信じたことを貫きます」。渋野が現状、求めているスタイルは後者だ。米ツアー遠征の3カ月間、時にはパワーヒッターに飛距離で後れを取り、時には自分よりはるかに精度の高いショットを見せつけられるだろう。それでも、強い気持ちをなくさず、頑張る渋野日向子を見てみたい。【加藤裕一】(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)

東京五輪がやってくる

陸上男子の人間関係丸わかり!100&400リレー人物相関図

今週の「東京五輪がやってくる」は、主要競技・種目の人物相関図を紹介します。まずは陸上男子100メートルと400メートルリレー編。脈々と受け継がれる系譜、伝統、そして思わぬつながりも発見できるかも。縦軸は100メートルの自己ベスト、横軸は年齢のグラフにもして、まとめました。小ネタとともにプロフィルも紹介します。【取材・構成=上田悠太】

陸上男子100メートル&400メートルリレー人物相関図

男子100メートル&400メートルリレー人物相関図(その1)

男子100メートル&400メートルリレー人物相関図(その2)

<小ネタ満載!!プロフィル>

◆サニブラウン(22歳)タンブルウィードTC プロ 現役

超マイペース。テレビ番組「ボクらの時代」では「1人で富士急行けます」。海外生活で日本食に飢え、帰国時のラーメンが至福。ゲーマー

◆多田修平(24歳)住友電工 現役

カメラ男子で一眼レフの写真は映えまくり。コミュ力最強。17年の初代表合宿はニンテンドースイッチ持参で先輩の心わしづかみ

◆白石黄良々(24歳)セレスポ 現役

黄良々(きらら)の由来は映画「幸福の黄色いハンカチ」で「人に幸せを与える人に」という願いが込められている。トレーナーは兄青良(せいら)

◆桐生祥秀(25歳)日本生命 プロ 現役

小学校ではサッカー少年でポジションはまさかのGK。今は陸上教室に力入れ「回す会話が得意でない」とMC力に課題を感じる。たまにコーヒーでプロテインを飲む

◆小池祐貴(25歳)住友電工 現役

北海道・立命館慶祥高ではアメフト、ラグビー、野球部から勧誘受ける。大学時代はすし屋のアルバイトで遠征費を工面した

◆ケンブリッジ(27歳)ナイキ プロ 現役

昨年からオートミールを始め「朝は米が食べられない」。学生時の苦手科目は英語。母はジャマイカで、サッカー日本代表FW鈴木武蔵の母と同じ会社で働いていた

◆山県亮太(28歳)セイコー 現役

趣味は釣り。2月に東京湾で50センチ級の真ダイGET。カープファンで広島の実家にある人形は衣笠祥雄氏から「さちお」と名付けた

◆飯塚翔太(29歳)ミズノ 現役

自宅では全裸生活。「壁の前に立ち1日の出来事を独り言でしゃべる」ことで話術磨く。リーダー的存在で慕われている。東海道新幹線に乗った時は富士山の写真を撮る

◆江里口匡史(32歳)大阪ガス社員 引退

日本選手権4連覇で18年引退。19年世界リレーのメディアレース400メートルリレーで陸連スタッフの2走を担い、報道陣を置き去りに

◆藤光謙司(34歳)東京陸協 プロ 現役

疲労回復に金箔(ぱく)を体に張る。競泳の中村克、卓球の吉村真晴、レスリング太田忍、スノボ成田童夢と5人組グループ「T3.」を結成し、ファッション、美容などでも活躍

◆塚原直貴(35歳)アスレティクス・ジャパン 引退

北京五輪は1走で流れをつくった。2月末に富士通を退社し、本格的に指導者の道に

◆高平慎士(36歳)富士通コーチ 引退

北京五輪は3走。現在は日本陸連のアスリート委員長。高いトーク力で、19年世界選手権の壮行会ではMCで会場を盛り上げた

◆末続慎吾(40歳)イーグルラン プロ 現役

200メートルで日本記録20秒03を持ち、03年世界選手権銅メダル。北京五輪は2走。今も現役で生涯貫くつもり。10日の記録会では100メートル10秒79(-0.7メートル)

◆土江寛裕(46歳)東洋大、日本陸連コーチ 引退

東京五輪強化コーチでリレーも指揮。数年前にオーストラリアで、釣りに短パンで没頭し、大量のサンドフライに刺され、強いかゆみが長くひかなかった。最近は2匹の猫を溺愛

◆朝原宣治(48歳)大阪ガス副部長 引退

北京五輪はアンカー。日本記録3度更新し、日本人初の10秒1台、10秒0台。走り幅跳びも含め、五輪4度、世界選手権6度出場

◆伊東浩司(51歳)甲南大女子監督 引退

23年前に10秒00を出した「アジアの風」。その日本記録は19年間も破られず。夫人は97年世界選手権マラソン金の鈴木(旧姓)博美氏

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

スポーツ百景

野茂英雄、中田英寿を超える松山英樹Vの衝撃 アジアゴルファー希望の光に

言葉が見つからない。あのグリーンジャケットを着る日本人が登場したのだ。快挙や偉業という表現さえも陳腐に思える。日本のマスターズ初挑戦から85年。全盛期のAON(青木功、尾崎将司、中嶋常幸)が計43回も挑戦して、はね返されたオーガスタの壁を、松山が乗り越えたのだ。「あっぱれ」と言うほかない。

米ゴルフのマスターズ・トーナメントで、日本男子初のメジャー制覇を果たし、グリーンジャケットを着て両手を上げる松山(AP)

4打差の首位でスタートした最終日。タフなセッティングに苦しんだが、集中は切れなかった。優勝の重圧による心のほころびを、長い修練によって会得した技の精度と強い信念で繕った。初出場から10年。やんちゃに見えた青年は、たくましい一人の大人になっていた。そして、夢に向かって進むいちずな姿の、何と美しいことか。祈りにも似た思いで、松山を見ながら思った。

コースは庭園のように美しいが、起伏のあるグリーンは鏡のように速く、カップの位置で天国と地獄ほどの差が生まれる。技術、経験、忍耐、運…すべて総動員しなければ頂点には立てない。アーノルド・パーマー、ジャック・ニクラウス、ゲーリー・プレーヤー、タイガー・ウッズ…歴代優勝者は伝説の名手ばかり。今はそれが誇らしい。

米男子ゴルフのマスターズ・トーナメントで日本人初優勝を果たし、パトロンからの祝福の拍手に応える松山(AP)

昭和の時代、「世界一」を名乗る日本人選手はボクシング世界王者かオリンピック(五輪)の金メダリストだけだった。突破口は野茂英雄。東洋人は通用しないと思われていた大リーグで奪三振を量産して、後続に扉を開いた。サッカーでは中田英寿がセリエAで初年度からゴールを連発。偏見と先入観を打破したことで、海外挑戦のうねりがスポーツ界全体に広がった。松山のマスターズ制覇は、あの衝撃を超える力と価値がある。日本人だけではなく、世界を目指すアジアのゴルファーたちの希望の光になったのだ。

95年6月、メッツ戦でメジャー初勝利を飾ったドジャース野茂

表彰式で松山はグリーンを囲んだ地元の観衆からやんやの喝采を受けた。あらためてスポーツの感動は国境も人種も超えるのだと思った。新型コロナウイルスの感染拡大で世界各地で分断が起きている。感染が広がった昨年3月以来、米国ではアジア系市民に対する人種差別が深刻化している。アジア人初のマスターズ制覇は、そんな暗い世相にも強い光を照らした。

グリーンジャケットを着た選手は、生涯にわたりマスターズから招待を受ける。来年以降も松山はオーガスタのコースに立つ。何だか今から楽しみになる。優勝争いが「順当」と言われる真のトッププレーヤーとして、どんなゴルフを見せてくれるのか。まだ29歳。松山英樹のドラマは、これから本当のクライマックスを迎える。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)

OGGIのOh! Olympic

コロナ禍、国民にとっても「安心安全」な五輪の開催を

「池江すごいね。感動したよ」。東京五輪代表に内定した池江璃花子に興奮する友人が、続けて「でも、オリンピックは中止なんだろ?」と聞いてきた。開催を疑問視するのも当然だろう。日本中を沸かせた競泳日本選手権と同時期に、新型コロナの感染が急拡大しているのだから。

池江の活躍による東京五輪への「追い風」も、新型コロナは吹き飛ばせない。12日には東京などが「まん延防止等重点措置」の適用対象になる。「準緊急事態宣言」で飲食店に時短営業が要請され、不要不急の外出自粛も求められる。開幕100日前でも、五輪ムードは高まってこない。

日本中で新型コロナ感染への警戒感が強まる中、国内を巡る聖火リレーにも違和感がある。密を避けてマスクをし、声を出さずに見守るだけなら、感染リスクが高くないのは確か。それでも、沿道の観客に眉をひそめる人は多いはず。醸成されるのは「機運」ではなく「不安」のようだ。

もちろん、有名人が走れば沿道は盛り上がるし、走ることを楽しみにしているランナーも多い。地方の活性化やスポーツ振興にも寄与できる。それでも「人流を抑える」とする一方で、スポンサーや関係者を連れた聖火の「大移動」には首をひねらざるをえない。

すでに、13、14日に予定されていた大阪府は、公道でのリレーを中止。沖縄など他県でも実施の可否、方法などが検討されている。急激にワクチン接種が進むことはないし、今後しばらくは感染拡大が続きそう。リレーを取り巻く状況がよくなるとは思えない。

最優先は東京五輪、パラリンピックを安心安全に開催することだ。聖火リレーが「どうでもいい」とは言わないが、あくまで大会がメイン。五輪運動の地方への広がり、地方の活性化やスポーツ振興など役割は多いが、それも大会が無事開催されてこそだ。

無理をして聖火リレーを続けることはない。オリンピック憲章には「聖火を主競技場に運ぶ責任は大会組織委員会が負う」とある。もちろん、IOCやスポンサーの意向もあるが、感染拡大が理由なら中止も許されるはず。事実、今大会の聖火もオリンピアで採火した後、ギリシャ国内リレーは沿道が「密」になるため途中で中止されている。

走ることを楽しみにしていたランナーもいる。聖火を見たいと思う人も多いだろう。ならば、大会後にリレーしてもいい。閉会式での消火は恒例だが、今回は特別。すでに1年間保管されるなど「何でもあり」なのだから。閉会式後に興奮とともに東京をスタート、47都道府県を逆ルートで福島まで戻せばいい。

各地でイベントを行い、五輪、パラリンピックで活躍した地元の選手にも参加してもらう。ワクチン接種は進んでいても、リオ大会のように銀座に80万人も集めるパレードは非現実的。各選手が地元でファンと触れ合う場になるし、聖火ランナーがメダリストと一緒に走れるかもしれない。

「オリンピックで池江を応援したい」と多くの人が思った。それでも、開催への不安は残る。今は、できる限り不安要素を取り除くこと。外国からの観戦者受け入れ断念には賛否あったが「大会を開催するためには、仕方ない」とプラスに考える人が多かった。

「安心安全な大会」は選手や関係者だけのものではない。国民にとっても安全で、安心できる大会でなくてはならない。世界各地で予選は続いている。選手たちの熱い思いに答えるためにも、五輪を迎える準備は万全であってほしい。観客数の制限も含めて、多くの人が「そこまでやれば、大丈夫。開催してほしい」と思える発信を積極的に続けることが、大会の成功につながる。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)

We Love Sports

スポーツ庁が掲げた透明性 迷いながら動く競技団体の姿が浮き彫りに

大根はもともと透明に近いってご存じでしたか? 

先日、子どもと教育番組を見ていたら、大根はもともとは透明に近い細胞や繊維質でできており、その間の細かい空気が反射、屈折しているので白く見えると、目からうろこの説明されました。煮ると透明のようになるのは、空気が減り、本来の色が見えるようになるから、だそうです。

「透明」という言葉に敏感に反応してしまったのは、先月9日に参加した日本体操協会による、今年10月に北九州で開催される体操、新体操の世界選手権の使用器具の選定会議があったから。そこでは、スポーツ庁が策定したガバナンスコードに見合う「透明性」の確保を掲げ、迷いながら動く中央競技団体(NF)の姿が浮かび上がっていた。

「7項目で審査しました結果、セノー・スピース様が総合得点600点、タイシャン様がが609点。小差ですがタイシャン様に決定しました」。

3月9日午後7時すぎ、自宅から参加したリモート取材でそんな声が流れた。同5時から行われていた選定会議では、体操器具メーカー2社の合同であるの「セノー(日本)、スピース(ドイツ)」陣営と、タイシャン(中国)陣営の2社がプレゼンテーションをし、その後の選定委員会の協議で決定する過程を報道陣に公開した。NFとして、大会の器具の決定を公開することは初と言っていい試みである。

先の東京オリンピック・パラリンピック組織委員会でも話題になった「透明性」。森喜朗前会長の女性蔑視発言による辞任を受けた後任人事で、候補者選定委員会の会議が、委員の名前を非公表、すべて場所時間を非公開で決定がなされ、「密室」という批判を浴びたのも記憶に新しい。日本連盟はこの世論にも左右されながら、スポーツ庁の掲げる旗頭に追従するために、器具を決定する様子を公開に踏み切った。

ガバナンスコードにはNFが順守しなければならない13の原則が示されており、今後はこの原則への適合状況を毎年公表(自己説明)するとともに、4年に1度定期的な審査(スポーツ団体ガバナンスコード適合性審査)を受ける必要がある。その説明へ向けても、プラス要素として考えて決断した。

進行は以下のように行われた。

入札参加者への日本連盟からの説明→コインを使った順番決め後に、各陣営の10分間のプレゼンテーションと質疑応答(オンラインで、競合相手は見ることはできない)→選定委員9人による審査、点数付け→結果発表。結果としてタイシャンが選ばれた。

ただ、この過程すべてを報道陣が視聴できたわけではなかった。提供された情報は「7項目で審査し、セノー・スピースが総合得点600点、タイシャンが609点」という検査結果のみであり、どのような議論が行われたか、各委員の項目ごとの点数配分などは開示されなかった。そして、各陣営の具体的な提示金額も非公表となった。

この事情について、後日に日本連盟に聞いた。まず、7項目の具体的な内容、各選考委員の点数については、今後開示していく方針であること。そして入札金額の提示に関しては、参加社の他の入札への影響を考慮したという。日本協会の顧問弁護士にも相談し、この金額を報道陣に決定前に開示した場合に、後日に逆に訴えを起こされる可能性を示唆されたため、非公表となったという。

後日に理由を聞いたのは、一部の非公表で思い出した例があったためだ。15年、柔道担当時代のこと。当時の山下泰裕強化委員長は、世界選手権代表を決める強化委員会を報道陣に公開する方針を示し、「日本のスポーツ界でも選考に不信感を抱く選手は多かった。透明化を図るため、柔道界が1歩踏み込んでやってみたい」と説明した。

この頃から叫ばれていた「透明」だが、この時は「透明度」に大きな疑問が残った。代表を決める強化委員会は2回あった。4月の選抜体重別選手権後、そして同月の男女の全日本選手権後。最初は男女7階級のうち男子は100キロ、100超キロ、女子は78キロ、78キロ超級を除く5階級の代表を決める。全日本の後を受けた2回目の委員会で、重量級を決め、そしてこれが重要だが、世界選手権は7階級+2人の代表を派遣でき、どの2階級に2人目を割り振るかを決める。

毎年、この2枠目こそが、各所属の綱引きが繰り広げられ、納得と不満を抱合し、火種になり得る議案だった。つまり、強化委員会の焦点は、ここにあった。

だが、山下強化委員長は2回目の委員会を非公表にすると一方的に報道陣に通達した。それでは公表という意義は半減どころではないという反論を受けながらも、最終的には強行した。当時も疑問をぶつけたが、これは「報道陣を利用した透明性という言葉の恣意(しい)的な乱用」ではないか。納得できなかった。

翻って、体操の案件である。具体的な金額の「非公表」という事では、一部の重要な情報の非提示で柔道と相似のように思えたが、内実は違い、そこに難しさがあった。取引先への不利につながる情報であり、訴えられるリスクがある。聞けば、納得できる理由だった。

おそらく、今後もガバナンスコードを推進するにあたり、同様の線引きの問題は頻出するだろう。何を公開すればいいのか、どこまで公開すればいいのか、報道陣に公開することがすべからく透明性の必須条件なのか。スポーツ庁は具体的な指針を示していない。各NFごとの事情に鑑みた面もあるが、「透明性」をノルマとされたおのおのが判断を迫られる。それが現状だった。

そもそも、である。大根と違って、元は透明ではないのだから、煮詰めても透明になることはない。透明にできない事情も出てくる。旧態依然からの脱却を目指す動きを歓迎しながら、その難しさも感じる一件だった。【阿部健吾】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

スポーツ百景

開閉会式の極秘情報漏えい問題、思い出した30年前のアルベールビル五輪

92年2月、アルベールビル五輪で女子1500メートルの銅メダルを手に笑顔を見せる橋本聖子

1992年2月のアルベールビル冬季オリンピック(五輪)開幕の半月前、私は開会式の極秘リハーサルにカメラマンと潜入した。

人気のなくなった夕刻で、氷点下5度まで冷え込んでいた。屋外の会場をプラカード嬢が本番の衣装で行進をする光景を隠れて撮影して、カラーの面で記事にした。当時も開閉会式の内容は秘密とされていたが、まだインターネットもない時代。日本のスポーツ紙の記事など、組織委員会がチェックしているはずもなく、当然おとがめもなかった。

極秘情報は開会式に出演する女性ダンサーを取材した時に聞いた。彼女らは組織委員会に大きな不満を持っていた。開会式までの長期間拘束の日当はわずか約3500円。宿舎はホテルではなく6人部屋のロッジで、バスタブはなくシャワーは18人に1基の割合という劣悪な環境だった。彼女らの大半は1回の舞台で10万円前後を稼ぐプロ。再三の改善要求にも組織委は応じる気配はなく「新聞で大きく報じてほしい」と彼女は私に訴え、非公開だったリハーサルの時間と場所まで教えてくれた。

約30年も前のことを思い出したのには理由がある。東京五輪・パラリンピック組織委員会が、週刊文春が掲載した開閉会式の内容を報じた記事に対して、発行元に掲載紙の回収と、ネット記事の削除を求めているからだ。前責任者の「演出案」の一部を報じたことが、著作権法違反や業務妨害などにあたるという主張だ。しかし、極秘情報の漏えいはそもそも組織内の情報統制のほころびが原因ではないのか。運営に不満を持つ人たちが少なからずいる気がしてならない。

昔から大会組織委にとって、開閉会式の内容はトップシークレット。それが一部とはいえ表に出たことへの怒りは理解できる。ただ発行元へ抗議したとしても、雑誌の回収や記事の削除の要求は度を超えている。「お上」が隠そうとするものを、すっぱ抜いて報じようというのがマスメディア。それは江戸時代の「瓦版(かわらばん)」から変わらない。それが庶民の関心事であればなおさらだ。しかも今は誰もが情報を発信できる時代。一昔前より情報はずっと漏えいしやすい。

組織委の橋本聖子会長は、現役時代から取材に協力的で、常に誠実に対応してくれる。議員歴も長く、メディア対応にたけていると思っていたので、今回は意外だった。コロナ禍で1年延期された今夏の開催に賛成している国民は依然として少数派。女性蔑視発言で森喜朗前会長が辞任し、開幕まで4カ月を切っても機運は盛り上がらない。その焦りやいら立ちで、組織委内も余裕がなくなっているのかもしれない。

もっとも演出案が一部漏えいしたくらいで、開会式の感動が薄らぐことはない。アルベールビル五輪のメイン会場で見た開会式は、リハーサルで目にしたものとはまるで違って見えた。そこに選手がいたからだ。東西冷戦が終結し、ソ連が崩壊して初めて迎えた大会。分断された旧ソ連の国々が一団となって五輪旗を掲げて入場し、ベルリンの壁が取り払われたドイツも東西統一チームで行進した。世界の雪解けを象徴するような平和な光景は、白銀を解かすほどまぶしかった。

その記憶も競技が始まると一気に薄れた。あの大会で私が最も記憶に残っているのは大会最初のメダルとなったスピードスケート女子1500メートルの橋本聖子の銅メダル。ちなみに開閉会式の選手入場後のセレモニーや、その後の演出プログラムについては、今やほとんど覚えていない。あらためて、五輪の主役はあくまでも選手なのだと思った。【首藤正徳】

アルベールビル五輪開会式で入場する日本選手団(1992年2月8日撮影)
東京五輪がやってくる

フランスの絶対王者リネールが3つ目の獲物に食いついた

柔道界の絶対王者こと男子100キロ超級でオリンピック(五輪)2連覇、世界選手権8連覇のテディ・リネール(32=フランス)が、4度目の五輪に向けて戦闘モードに入った。20年2月には国際大会の連勝が154で止まるなど不調な時期もあったが、完全復活の兆しを見せている。このほど、日刊スポーツの取材に応じ、五輪3連覇を狙う「負けない柔道家」が、今の思いを語った。【取材・構成=峯岸佑樹、ダグリー・ローレンス】

筋力トレーニングに励むテディ・リネール(本人提供)

フランスの王者が、虎視眈々(たんたん)と112日後の金メダルという“獲物”を狙っている。203センチ、140キロの巨体ながら俊敏さを兼ね備え、本番が近づくにつれて本来の筋骨隆々の肉体が戻りつつある。リネールは、3連覇を狙う東京五輪へ並々ならぬ決意を口にした。「毎日3個目のメダルのことを考えている。柔道の故郷でタイトルを取るためなら何でもするし、それを実現させるために日々前進している」。

コロナ禍で五輪が1年延期となり計画が狂った。「延期は想定外でショックだった」と動揺していたが、現実を受け止めて新たな取り組みを模索した。ロックダウン(都市封鎖)で外出制限が続く中、ジュニア時代から指導を受けるシャンビリー・コーチらとトレーニングプランを再考した。出稽古などができないため、自宅に本格的なジムを作った。筋力強化の器具や畳もそろえ、練習環境を整えた。従来より移動時間が減った分、「体の回復が早くなった」とメリットも実感した。

1月のマスターズ大会を制し、シャンビリーコーチ(右)と記念撮影するテディ・リネール(本人提供)

子供のころは陸上やサッカーなどに取り組み「戦うことが好き」と5歳で柔道を始めた。素行が悪く親を困らせたこともあったが、柔道が人間性を変えた。18歳で出場した07年世界選手権で井上康生らを破って初優勝。長い手足を動かし、右手で相手の奥襟を取って動きを封じる。慎重に試合を進め、十分な体勢になってから得意の大外刈りや内股で“一撃”する。指導3による勝利も多いことから「つまらない柔道」とやゆされることもあるが、安定感抜群の負けない柔道で白星を重ねてきた。

年齢を重ね、体重コントロールが課題だった。137キロをベストとするが、16年リオデジャネイロ五輪後の長期休養でケーキを食べ過ぎて165キロまで増量。栄養士の助言を受けながら減量に励んだが、成果が出なかった。20年2月のグランドスラム(GS)パリ大会3回戦では東京五輪代表補欠の影浦心に敗れ、約10年間続いた国際大会の連勝記録が154でストップ。同10月のフランス国内のクラブ選手権(団体戦)でも無名選手に敗戦するなど、負けないリネール伝説が崩壊していった。

栄養士が作った料理を食べるテディ・リネール(本人提供)

復活の転機は昨秋。これまで専属コーチやトレーナーを帯同した「チームリネール」で世界中を駆け回っていたところに、栄養士も加えた。毎日、栄養管理された食事を提供してもらい、そのおかげで減量に成功。1月のワールドマスターズ大会も制し、本来の動きが戻ってきた。この数カ月間は140キロを維持し「体重も減って、今までにないレベルで五輪への準備を進めている」と自信をのぞかせた。

東京五輪はコロナ禍の影響で海外からの一般客の受け入れを断念した。リネールは観客見送りに理解を示した上で、こう打ち明けた。

「世界中の人々が幸せな気持ちで五輪を迎えることは難しく、それは非常に残念なこと。ただ、アスリートにはスポーツの意義を伝える役目がある。自分は柔道を通じて、日本の組織が厳しく秩序や規律を守ることを知っている。日本なら世界中が安心する新しい五輪の形をつくってくれると信じている」

東京五輪では個人戦のほか、男女混合団体が初実施される。柔道大国フランスは決勝で日本と対戦する可能性がある。「金メダルを2個取る大きなチャンス。日本国民の前で世界で一番きれいな景色を見るよ」。母国での24年パリ五輪を競技人生の集大成と位置づけ、東京五輪は通過点と捉える。進化する32歳の絶対王者が、競技発祥国で新たな伝説を作ろうとしている。

テディ・リネールの専属栄養士が作った料理((本人提供)

<とっておきメモ>

甘い物好きのリネールには、ある「儀式」がある。遠征時に必ずキャリーバッグに大好きなお菓子(非公表)を複数入れる。お菓子はリスト化され、自身にとっての精神安定剤のようなもので「食べなくてもそこにあることが重要」と力説。影浦に敗れた20年2月のGSパリ大会時には、体重が150キロ超となり妻が厳しく体重を管理。子どものお菓子を鍵付きのキャリーバッグに入れるなどの対策を講じた。強さと優しさを兼ね備え、食いしん坊な世界一の王者。フランス国民に愛される理由が分かる。

19年11月、体重150キロ超で兵庫・尼崎市での国際合宿に参加したテディ・リネール

○…「打倒リネール」を掲げる男子100キロ超級は近年、めまぐるしく変化している。リオ五輪後のルール改正もあり、動けて技も切れるスプリンター系が優位に。18年世界王者のトゥシシビリ(ジョージア)や100キロ級から転向した19年世界王者のクルパレク(チェコ)、17年世界ジュニア覇者のタソエフらロシア勢が台頭。そこにリオ五輪銀メダルの原沢久喜が加わる。絶対王者は原沢に「求めているもの(=金メダル)は同じで誰にでもチャンスはある。五輪での再会を楽しみにしてるよ」とメッセージを送った。

◆テディ・リネール 1989年4月7日、フランス・グアドループ生まれ。パリで育ち、5歳で柔道を始める。07年世界選手権100キロ超級で、18歳5カ月の男子史上最年少優勝記録を樹立。08年北京五輪銅メダル。12年ロンドン、16年リオ五輪金メダル。得意技は大外刈り、内股。尊敬する人は井上康生。スポーツマーケティングの専門学校を経営するなど実業家としても活躍。愛称はテディベア。好きな食べ物はクスクス。家族構成は妻、子供2人。203センチ、140キロ。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

東京五輪がやってくる

五輪3連覇狙うリネールは柔道の枠を超えた「メガスター」全柔連ピエール氏

テディ・リネールについて語る柔道元フランス代表のピエール・フラマン氏(撮影・峯岸佑樹)

柔道元フランス代表で、全日本柔道連盟(全柔連)広報マーケティング委員のピエール・フラマン氏(49)は、男子100キロ超級で五輪3連覇を狙うテディ・リネール(32=フランス)を「メガスター」と評した。

ピエール氏は、柔道界の絶対王者の存在について「フランスで他のスポーツに例えると、サッカーのジダンクラス。柔道の枠を超えた『メガスター』で、国民から絶大な人気を誇っている。柔道以外のニュースで目にする機会もあり、老若男女が知っている」と説明した。

リネールはフランスで柔道家と実業家の顔を持つ。自身の冠番組で司会を務めたり、子供イベントなどに多々出演しているという。203センチ、140キロの巨体と名前からくる愛称はテディベアで、「優しいお兄さん」として国民から愛されている。怪力かつ俊敏で負けない絶対王者のため、20年2月のGSパリ大会3回戦で東京五輪代表補欠の影浦心(日本中央競馬会)に敗れた際は、非難の声が上がったという。「地元開催でもあり、特にこの負けはショックだった。体も絞れてなくてがっかりした。フランスメディアは、勝ち続ける人やお金持ちで成功している人が失敗しすると、厳しく批判する傾向もある」。

フランス国民も、東京五輪を経て24年パリ五輪での4連覇を期待している。リネールは「大舞台に強い」のが特長とし、「大会に向けてのピーキングが上手。特に五輪や世界選手権での、ここぞの場面で異次元の強さを発揮する。東京五輪決勝では、ぜひ前回と同じ原沢久喜選手と再戦してほしい」と期待を込めた。

5歳で柔道を始めたピエール氏は、78キロ級で96年スイス国際大会優勝やフランス体重別選手権準優勝など実績を誇り、27歳で一線を退いた。所属クラブの合宿で天理大を訪れたことで日本に興味を抱いた。フランス語教員として01年に来日し、京都・立命館宇治高などで勤務。立命館大柔道部のコーチも務め、パワーだけに頼らない日本柔道を学んだ。現在は都内のコンサルティング会社に勤務しながら慶大柔道部のコーチを務め、日本とフランスの橋渡し役を担っている。【峯岸佑樹】

五輪や世界選手権の金メダルを首などに下げるテディ・リネール(本人提供)
経営者としての顔を持つテディ・リネール(本人提供)
16年8月、リオデジャネイロ五輪・柔道男子100キロ超級決勝で原沢久喜(左)に攻めさせずに勝利するテディ・リネール
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バレー男子サントリー山村宏太監督「選手1人1人と向き合う」指導に共感

アスリートの指導者の考え方や選手との接し方には、時折共感を覚えることがある。14季ぶりにバレーボールのVリーグ優勝を達成した男子1部のサントリー山村宏太監督もその1人。1つ1つの質問に丁寧に答える様子や試行錯誤を続ける指導法を聞くと、等身大の姿で受け止める良き指揮官という一面が見える。今季から主将を務めた大宅真樹との関係は、理想の上司と部下の姿と重なった。

今月4日に千葉・船橋アリーナでプレーオフ決勝が行われ、パナソニックにストレート勝ち。就任1年目ながら、リーグ優勝獲得に貢献した。前回優勝時(2006-07)は現役選手として味わったが、以来14年遠ざかっていたリーグタイトル。山村監督は「みんなに勝たせてもらった」など大舞台でも物おじしないプレーを見せた選手たちを称賛した。

Vリーグ男子ファイナルを制し記念撮影に臨むサントリーのチームメートたち(2021年4月4日撮影)

昨年2月24日のチームの公式ツイッターには、「強くなれ。」と書かれた写真が投稿されている(https://twitter.com/sun_sunbirds/status/1231876852983054337)。泣き崩れるセッターの大宅を、当時コーチだった山村監督が支える1枚。その日はプレーオフ準決勝でジェイテクトと対戦し、1セット先取しながらも逆転負けを喫し3位となった日だ。

優勝後の会見で今季主将を担った大宅は「昨夜ぐらいから昨シーズンのジェイテクト戦が頭によぎっていて、勝って終われたのが良かった」と実感を込めた。指揮官にも大きな信頼を寄せ「(山村監督は)くだらない話も真面目な話もしてくれて、親子みたいな関係性でした」と話した。

山村監督自身は指導スタイルについて「型にはめず、選手1人1人と向き合うタイプ」。普段から選手と会話を重ねながら、時には解決策が見つからず選手と一緒に悩む。08年北京オリンピック(五輪)代表などを務め17年まで現役生活を送っていたことから「選手寄りの考えができる」と強みに挙げた。

山村宏太氏(2012年6月6日撮影)

引退後は指導者の道に進み、イタリアでコーチ留学を経験。「いろんな指導者の方と出会いましたが、自分の特性を考えた時にどの人にも当てはまらない。自分なりのスタイルを貫いていこうという思いがあります」。

就任以降特に時間をかけて話し合いを重ねた選手が、大宅だ。「(大宅は)キャプテンというプレッシャーの中、人間的にもプレーヤー的にも成長が見られたシーズンだった」。教え子の活躍に目を細めた。

今後目指すべき監督像について問われ「今後も選手に寄り添って、選手たちとともに成長できる監督を目指して。時にはいばらの道に進むこともあるかも知れませんが、僕はそういう監督になりたいです」。ひときわ熱量のこもった言葉だった。

報道陣から飛んでくる1つ1つの問いを「難しい質問ですね」と苦笑いを浮かべながら、時間をかけて丁寧に回答する。そんな姿を見たり大宅の話を聞いたりするうちに、選手に寄り添う良き指揮官のイメージだけではなく、理想の上司像にも当てはまるのではないかと思った。

新年度が始まりはや1週間余り。部下との付き合い方に悩む管理職の皆さんも、山村監督の考えを参考としてみてはいかが?【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

東京五輪がやってくる

北島康介氏が引退して気づいた 選手として五輪のフィールドを楽しみたい

競泳でオリンピック(五輪)2大会連続2冠の北島康介氏(38)は今、何を思うのか。昨年は東京都水泳協会会長、そして競泳国際リーグ(ISL)の「東京フロッグキングス」GMとしてコロナ禍で選手に試合の場を提供するために尽力した。競技そのものが持つパワーに魅了されて、選手に寄り添う立場となった「レジェンド」は、祭典の実現を願っている。【取材・構成=益田一弘】

東京五輪について語った北島康介氏(撮影・横山健太)

-東京五輪が近づいてきた

僕の仕事は、少しでも選手が話しやすいムードを作ってあげること。選手の言葉を届けたい。体操の内村選手が言うように、こういう状況だからこそできないじゃなくて、できるために何かを考えることが大事。選手に最高のパフォーマンスを出してほしい。コロナ禍があって、正直話しづらいし、言葉を選ばなきゃいけない。でも選手にはコロナ禍の1年だけではなくて、4年間の思いがある。

-3月には海外の観客受け入れが見送られた

観客に背中を押してもらえることは、選手にとって至福の時。水泳は世界と勝負できる種目と位置付けられて、花形スポーツで期待も大きい。海外の人にも見てもらいたいが、それが無理ならいろんな規制をつくって、日本の子どもたちに見る機会を与えてあげてほしい。僕自身も五輪を見て興奮したいし、選手からすごいパワーをもらいたい。

-現役アスリートに寄り添う姿勢を感じる

昨秋に競泳国際リーグ(ISL、ブダペスト)にGMとして参戦した。コロナ禍で国際大会がない中で、自分の役割として試合の場を提供したい、選手に還元したいと思った。「バブル(外部との遮断空間)」の中で約1カ月過ごした。世界各国から300人以上の選手が参加して感染者は出なかった。昨年8月には東京都水泳協会として東京都特別大会も行った。人数制限をして、出たくても出られない人もいたので、100%だったとはいえない。それでも選手の熱気をすごく近くで感じた。まっすぐ自信をもった表情、闘志。それを、選手が出しやすい雰囲気を作りたい。

北島康介氏の五輪メダル

-選手が最も望むことは何だと思うか

自分がパフォーマンスする舞台。死ぬ思いをするような練習の成果を出す機会。この環境に置かれれば、おのずとわかる。やるからには「ベストを出す」と考えているだろう。もちろん五輪の商業的な価値が高いことは選手も分かっている。でも「有名になりたい。五輪で優勝して、その後を考えています」というのはアスリートの精神とは少し違う。一生懸命やる。水泳でいえば、コンマ1秒でも速く泳ぐ。そこが根本。いろいろな問題があるけど、納得してもらえるように1つ1つ解決していく。1年前と比べてコロナ禍に対する対処方法も増えてきている。選手はルールを100%守ると信じてほしい。僕は五輪を見慣れている方だと思うが、それでも見れば、感動する。勝った負けたじゃないところで、その空間にいることで感じることがある。満場一致じゃないかもしれない。でも僕は五輪を通して成長してきた。水泳という狭い世界かもしれないが、間違いなく、五輪で世界の人たちと共有してきた時間がある。

-五輪の魅力とは

5年前にリオデジャネイロ五輪にいけなかった。それでもリオの現場にいって、初めて水泳以外の競技も見た。引退してから五輪の偉大さに気付いた面もある。うれしい気持ちがあった。いろんな競技を見て、すごさを肌で感じてほしい。僕はリオ五輪に出ていたら「次は東京なんで続けてもいいですか」と言ったかもしれない。選手としてこのフィールドを楽しみたかった、という思いは強い。

-競泳日本選手権で選手がしのぎを削っている

競泳の選考は、厳しい派遣標準記録(19年世界選手権決勝進出ライン)。決勝で突破して2位に入らないと五輪に出られない。コロナ禍でもハードルを下げるようなことはしていない。これは日本水連が作った本当に厳しいルール。ここを目指す選手を見てほしい。そして切符をつかんだ選手がどんな発信をしてくれるのか、楽しみにしている。

◆北島康介(きたじま・こうすけ) 1982年(昭57)9月22日、東京都荒川区生まれ。5歳で競技を始め、中2から平井伯昌コーチに師事。東京・本郷高-日体大。平泳ぎで00年シドニーから12年ロンドンまで4大会五輪連続出場。04年アテネ、08年北京で100メートル、200メートルと2大会連続2冠を達成。五輪は金4、銀1、銅2。世界選手権は金3、銀4、銅5。16年4月にリオ五輪の道が断たれて引退。20年6月に東京都水泳協会会長に就任した。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

中川真依のダイビング

トップ選手にも負けて成長する時期がある/中川真依

3月20日から21日にかけて、金沢プールで飛び込みの夏季ユニバーシアード(8月・中国)選考会が行われた。コロナ禍で無観客となってしまったが、選手たちは練習の成果を思う存分発揮できたことだろう。

女子3メートル板飛び込み決勝で演技をする三上

ユニバーシアードは、国際大学スポーツ連盟が主催する2年に1度の大学生の世界大会。オリンピックやアジア大会と同じように多くの競技が行われ、選手村も設置されている、とても大きな大会のひとつだ。

出場資格は、大会が開催される年の1月1日現在で17歳以上28歳未満であること。なおかつ、大学または大学院に在学中、もしくは大会の前年に大学または大学院を卒業した人という制限もある。

選手としても一番脂ののったこの時期。競技人生を掛けた最後の頑張りをみせる選手も少なくない。私の経験上ではあるが、ユニバーシアードでは、飛び込み競技は各国の2番手の選手が出場することが多い。なぜならトップ選手は、その年のメインとなるオリンピックや世界選手権といった最も大きな大会に照準を合わせ調整していることが多いためだ。

しかし日本は出場条件を満たしていれば、トップ選手を出場させる。そういった理由からも、ユニバーシアードでは日本はメダルを狙いやすい位置にあると感じている。

今回の選考会では、東京オリンピックの最終選考会であるワールドカップ(W杯)に出場を決めている選手も多数出場していた。

まずは男子10メートル。優勝したのは、安定した演技を披露した西田玲雄(近大)だった。予選では自身の最高得点を更新し、合計450.50点で決勝へ進出。決勝では、予選の点数には1歩届かなかったものの、練習の成果を十分に発揮した試合だった。

男子高飛び込み決勝で演技をする西田

次に注目したのは、女子3メートルに出場した三上紗也可(米子DC)だ。2019年7月に韓国・光州で行われた世界選手権では同種目で5位に入り、既に東京オリンピックの出場権を獲得している実力者である。予選では西田と同様、安定した演技で自己最高得点をマーク。しかし決勝では、小さなミスが続き2位に終わった。今回は世界の女子でも数人しか飛べない技、5154b(前宙返り2回半2回ひねり)を封印しての試合だった。

試合後、三上に試合の感想を聞くと、「誰かに負けることが久しぶりで悔しかったですが、また一から体を作り直して頑張ろうと前向きにとらえて練習しています。余計なプレッシャーが減って、まだまだ未熟でチャレンジャーの選手だと再確認しました」という答えが返ってきた。優勝できなかったことで逆に、挑戦者だったころの初心に帰ることができたようだ。

強くなればなるほど、周りからの「優勝」への期待が大きくなるのは当然である。しかし、優勝し続けることは本当に難しい。私も幾度となく経験した。

選手としてはつらいことではあるが、時には「負ける」ということが必要な時もある。悔しい思いこそが己を成長させ、次の目標への努力へとつながるからだ。

2人とも、とても素晴らしい実力を持ち、努力出来る才能もある。これからの活躍にも、引き続き注目したい選手たちだ。

間近に迫っていたW杯が予定通り開催できなくなり、ユニバーシアードの開催にも不安はある。今は、本当に心が折れそうになる試練が多いが、私は無駄な経験は1つもないと思っている。選手であれば、結果はもちろん大切だが、選手を終えた後の人生の方が長い。競技生活を通して、さまざまな感情を味わい、たくさんの経験を自分のものにしてほしいと思う。

(中川真依=北京、ロンドン五輪飛び込み代表)