日刊スポーツ

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15歳金戸凜に涙なし 夢は親子3代五輪出場の先

女子高飛び込み準決勝 1本目の演技を行う金戸(撮影・鈴木みどり)

異変が起きていたのは、明らかだった。16日の水泳世界選手権女子高飛び込み準決勝。親子3代での五輪を目指す金戸凜(15=セントラルスポーツ)の入水が大きく乱れた。70点台が欲しい種目で38・40点。2本目の44・55点と2本連続失敗。この時点で18人中18位。金戸はプールから上がると飛び込み台の下ですぐ右肩に氷〓(ひょうのう)をあてていた。

午前の予選は333・95点で5位通過。「足は震えてました」と笑ったが、堂々とした振る舞いは世界選手権初出場の緊張を感じさせなかった。その得点は準決勝に置きかえても5位相当だった。何もなければ、祖父母、両親に続く「金戸一家」で通算11度目の五輪は近いはずだった。

「何か」が起きたのは準決勝1本目だった。演技自体は75・00点で成功。しかし入水直後に右腕が水流で後方にもっていかれた。高さ10メートルからわずか2秒弱、時速50キロ近くのスピードで水面に飛び込む衝撃は大きい。金戸は肩関節が柔らかく、特に右肩は自由度が高い。それは入水時のノースプラッシュを導くために、水面ぎりぎりまで腕の角度を調節できる武器でもあるが、その分だけ痛めやすい。父の恵太コーチは「やっちゃいけない角度にいってしまって。右肩が柔らかすぎて。水流を支える筋力はまだないので」。15歳は右肩が外れるような衝撃に襲われていた。

右肩は春先に痛めた。その後は肩の状態と相談しながら、調整を行ってきた。7日の韓国入り後は10メートルの練習を減らして、低い台から飛んで感覚をキープ。恵太コーチは「試合は1番いい体調でできるように。10メートルの本数はいつもの量の5分の1ぐらい。さじ加減がデリケートですね」。1週間の目安が40本を考えれば、現地での本数は10本弱。コンディション最優先で臨んだ予選5本はレベルの高さを見せつけた。ただ1日で予選→準決勝を戦うスケジュールは、リスクを伴っていた。

金戸はまだ15歳で、本格的にウエートトレーニングをやる年齢ではない。恵太コーチは「筋力をつけて固める時期じゃない。17、18歳で筋トレを入れる感じになる。彼女の競技人生を考えれば、あと10年ぐらいはあるので」と将来を見据えている。恵太コーチ自身は3大会連続五輪出場。右肩を鍛えていないのは15歳の可能性を狭めないためだ。それだけに大会前は「親としてはけがをせずに元気で帰してやりたい」と言っていた。

金戸は1本目が終わった時、父から「続けるか?」と聞かれて「続ける」と答えた。3本目が終わって最下位になったが「やるしかないな。あと2本だから自分の演技をしよう」。残り2本は64・40点、62・70点と立て直した。合計285・05点の17位で準決勝敗退。父は「立派に飛んだと思います」と娘を褒めた。

金戸に涙はなかった。「気持ちは悔しいです。でも肩をいいわけにしたくない。初めての世界選手権はとにかく楽しかった」と言った。五輪切符は持ち越しになったが「今回は五輪の内定をもらいにきたわけじゃない。世界選手権のメダルをとりにきた」ときっぱり言った。15歳は「親子3代の五輪出場」だけにとらわれることなく、その先を見据えている。【益田一弘】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

〓は(古とウカンムリを縦に並べて縦棒を貫き、下に襄のナベブタを取る)

◆益田一弘(ますだ・かずひろ)広島市出身、00年入社の43歳。五輪は14年ソチでフィギュアスケート、16年リオで陸上、18年平昌でカーリングなどを取材。16年11月から水泳担当。

女子高飛び込み準決勝 決勝進出を逃した金戸(右)は父恵太コーチとプールを去る(撮影・鈴木みどり)
We Love Sports

具智元と恩師の深い師弟関係「ラーメン食べような」

恩師の激励に笑みを浮かべる具智元(撮影・峯岸佑樹)

恩師の思いを力に変える。ラグビー日本代表は17日、パシフィック・ネーションズカップ(PNC、27日開幕)に向けた宮崎合宿を打ち上げた。

実戦形式の強度の高い追い込み練習で故障者も出たが、チームテーマである「One Team」を体現して、6週間を駆け抜けた。

取材中、印象的な出来事があった。9日の練習でプロップ具智元(グ・ジウォン、24=ホンダ)が右手甲を骨折した。「全治4~6週間」との診断で、PNC出場は絶望的となった。その後の全体練習には参加出来ず、別メニューでの調整が続いた。太眉に愛くるしい笑顔の「ぐーくんスマイル」がグラウンドから消え、険しい表情で首やふくらはぎなどを黙々と鍛えた。65日後にW杯が迫り「焦っている」と本音を漏らし、必死に体と気持ちをコントロールしながら、自身と葛藤しているようだった。

そんな状況を察してか、“救世主”が現れた。具の骨折を報道で知った、大分・日本文理大付高時代の恩師、染矢勝義元監督(51)が12日、サプライズで激励に訪れた。有給休暇を取って、大分県佐伯市から車で片道約2時間かけて駆けつけた。一般客と交じりながら、ネット越しでトレーニングする教え子をじっと見つめた。練習後、「智元!!」と呼び掛けると、懐かしい声に気づいた具は「ぐーくんスマイル」で恩師に歩み寄った。がっちり握手を交わし、限られた数分間で互いの思いを精いっぱい伝えた。染矢氏は「本番はW杯」と何度も繰り返し、「休むことも大切だ。今は焦らず、しっかり治した方が良い。高校時代とは違うんだ。元気がないのは(高校時代の愛称の)デニーらしくない。あとは自分を信じて前だけを見ろ」などと優しい口調で具の気持ちを和ませた。

実は、染矢氏は激励訪問だけでなく、もう1つサプライズを準備していたが、失敗に終わった。前日夜、佐伯市内の理髪店で具と同じ髪形に散髪したが気づかれなかった。「デニーカットは似てなかったのかな(笑い)。こんなハードな練習が続いたら、俺の髪形なんて気づかないのも当然。デニーは大分の宝だし、ちょっとの時間だったけど、少しでも元気が出てくれたらそれだけで良い」。

韓国出身の具は、中学、高校時代に育った佐伯市を「第2の故郷」と言う。地元のとんこつラーメンが大好物で、染矢氏も別れ際にこう言ったほどだ。「また、ラーメン食べような」。ラグビーの文言はないが、この一言に深い師弟関係を強く感じた。ラーメンをすすりながらラグビー談議をする画が頭に浮かぶ。ラグビーと故郷を愛する24歳は、この試練を乗り越えて初の夢舞台に臨む覚悟だ。【峯岸佑樹】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

別メニューで調整中の具智元を見守る染矢勝義氏(撮影・峯岸佑樹)
ラグビーW杯がやってくる

日本ラグビー発祥の慶大グラウンド/蹴球発祥記念碑

<日本ラグビーの聖地(1)>

今週は、日本ラグビーの「聖地」を紹介する。第1回は、日本ラグビー蹴球発祥記念碑。日本に初めて慶大にラグビーを伝えたとされる田中銀之助の曽孫で、元慶大ラグビー部監督の田中真一さん(52)に聞いた。

慶大ラグビー部が汗を流す日吉グラウンドの片隅に、細長い石碑がある。11年度から2季、監督を務めた田中真一は、その「日本ラグビー蹴球発祥記念碑」の前で一礼してから練習の指導をするのが日課だった。

慶大日吉グラウンドにある「ラグビー発祥の地」の記念碑

慶応高を率いた10年度に9季ぶりの花園出場へ導いた。かねて政治家になる夢を抱き、16強進出した大会後に退任。慶大監督の就任要請を受けたのは、その直後だった。だが同時に、衆院選神奈川4区の候補者として最終面接に残っていた。断腸の思いで、1度はOB会に断りを入れたが、胸にはしこりがあった。

「私のDNAは慶大の監督をすることを、求めているのではないだろうか」

意を決し、面接の席で「ご辞退申し上げます」と政治家の道を断った。日本に初めてラグビーを伝えたとされる田中銀之助の曽孫は、目の前にあった夢を諦めて、監督を引き受けた。

銀之助の祖父に、幕末から明治を生きた平八がいた。生糸商売で財をなし「天下の糸平」と呼ばれた。1878年(明11)に東京株式取引所を設立。伊藤博文と親好があった。横浜にガス灯、熱海に電線をひいた。日本を豊かにしようとした精神は孫の銀之助に伝わり、学習院在学中の14歳でイギリスに留学しラグビーと出会う。帰国後、旧知の仲であるクラークとともに慶大、学習院大で教えた。

銀之助の孫にあたる真一の父洋一(享年59)は、慶応高時代、54年度の全国高校ラグビーで日本一になった。ラグビーを強制されたことは一度もなかったが、真一には思い出がある。

「物心がついていない幼い頃から、秩父宮に慶早戦を見に連れて行かれました。僕はドカベン、巨人の星に憧れて野球をしていたが、ラグビーをやるのは宿命なんだと思っていた」

慶応高ではSHとして高校日本代表候補に選出され、慶大1年時の日本選手権ではトヨタ自動車を破るのを見届けた。神戸製鋼では萩本光威、堀越正巳らの控えではあったが、日本選手権7連覇も味わった。

11年12月、慶大監督時の田中真一さん

「ラグビーは人生そのもの。人間は苦しくなると諦めてしまうが、仲間のため、家族のためと思うと、頑張れる。『ONE FOR ALL、ALL FOR ONE』の精神は、誰かのために-。それは僕が、政治家を目指す理由のひとつでもあります」

慶大の監督を2季務めた後に、真一は銀之助の父が興した田中鉱山があった岩手を基盤にして政治家の道へ再出発した。現在は東京に戻り、参院議員の秘書として動き回る。

「平八の開拓者精神がなければ、銀之助はイギリスには行っていなかった。日本で初めてラグビーをしたあの日、ここでワールドカップが開かれることを誰が想像したでしょう。ボールを持って走る素晴らしさ、日本を豊かにする発想を残したい」

今年、日本にラグビーが伝わって120年になる。(敬称略)【益子浩一】

ピッチマーク

今年の全英オープンはどんなドラマ誕生するか?

全英オープン選手権公式練習 2日目5番、パットの練習をするタイガー・ウッズ(2019年7月15日)

男子ゴルフのメジャー、全英オープンが18日から開幕、4日間の熱戦が繰り広げられる。会場は1951年以来、実に68年ぶりの北アイルランド開催で、ロイヤルボートラッシュGC(7344ヤード、パー71)が会場となる。開幕直前まで注目選手の話題が豊富な19年最後のメジャー大会。いくつか紹介したい。

<1>16歳でコース記録 地元の北アイルランド出身で、14年大会以来2度目の大会制覇をロリー・マキロイ(英国)は16歳で出場した北アイルランド選手権の時、同じコースで「61」のコースレコードをマーク。「ボク自身の成長を振り返る時に必ずあのコースを思い出す」と自ら口にする会場。5年ぶりの大会Vが期待されており「この大会でさらに記録が更新されるといいんだけどね」と意気込んでいる。ツアー公式サイトの優勝予想でも堂々の1位に入った。

<2>秘密兵器? メジャー4勝のブルックス・ケプカ(米国)にとっては初めてのコース。相棒のキャディー、リッキー・エリオット氏はポートラッシュ生まれで何度もコースをラウンドしているという。17年、18年の全米オープン連覇、そして18、19年の全米プロ選手権の連覇の時もバッグを担いできたエリオット・キャディーのアドバイスは大きなサポートになりそうだ。ツアー公式サイトの優勝予想でも2位に入った。

<3>ダイエット メジャー5回を含む米ツアー通算44勝のフィル・ミケルソン(米国)は全英オープンに備え、わずか10日間で15ポンド(約6・8キロ)も減量してきたと自らのSNSなどで公表。49歳のミケルソンは「体をリセットするためだ。これでよりよいプレーに役立つかどうかは分からないが、ベストを尽くすために必要なことは何でもやろうと思っている」と明かした。効果はいかに?

4月のマスターズで復活優勝したタイガー・ウッズは昨年大会で優勝争いを展開して6位フィニッシュ。4度目の大会制覇、サム・スニード(米国)の保持する通算82勝に並ぶ記録にも注目が集まる。また日本勢も松山英樹を筆頭に、稲森佑貴、今平周吾、藤本佳則、浅地洋佑、池田勇太、堀川未来夢、アマチュアの金谷拓実(東北福祉大)の8人が出場する。今年の優勝賞金が4万5000ドル上がった193万5000ドル(2億1285万円)になった世界最古のメジャー「THE OPEN」。今年はどんなドラマが起こるのか。【藤中栄二】(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)

ラグビーW杯がやってくる

ファイト一発の精神と宿沢氏の思いが一致/大正製薬

ラグビーボールを持ち笑顔を見せる大正製薬の梅岡久マーケティング本部長(撮影・松熊洋介)

<日本代表を支える(特別編)>

今回は休刊日特別編として、ラグビーを支え続けてきた企業を紹介する。低迷期の日本代表を01年から支えてきたのは「リポビタンD」で知られる大正製薬。15年大会でようやく人気に火が付き、今大会は大会のオフィシャルスポンサーを務める。宣伝よりもラグビーの盛り上がりのために力を注いできた同社の熱い思いに迫った。

「スポンサーの意義とは、スポーツを応援し、健全なる精神の育成と人間の成長をサポートしていくもの。社会的価値の向上であり社会貢献である」。18年間日本代表を応援し続ける同社の根幹には、上原明会長(78)のこの思いがある。

長く低迷期を支えてきた苦労が実ったのは、日本が躍進を遂げた15年ワールドカップ(W杯)。上原氏ら同社幹部は19年大会でW杯のスポンサーになることを検討していた。初戦の南アフリカ戦後、休みを利用して英国へ飛び、スポンサーのやり方を学んだ。当時同行した梅岡久マーケティング本部長(48)は「プロモーションしなくてもみんな(サポートしていることを)知っている。アピールの必要もない。何もしなくても社会活動の結果として企業価値が上がっていると感じた」と話す。

同社が日本代表を応援し始めたのは01年。上原氏が仕事上で付き合いのあった、元日本代表監督の故宿沢広朗氏(享年55)から「日本代表のスポンサーをやって欲しい」と依頼を受けた。上原氏は「ラグビー部もないのになぜ」と疑問を抱いた。同社は「アンチ」を作らないよう、個別にスポンサーを引き受けない方針だった。それでもリポビタンDのCMでおなじみ「ファイト一発」の「努力、友情、勝利」というコンセプトと、ラグビーの「One For All,All For One」の精神が一致すると宿沢氏の思いを承諾した。

日本代表とはいえ、当時は試合のテレビ中継も少ない時代。15年W杯を迎えるまで支援していることを知らない社員も多数いた。それでも梅岡氏は「宣伝がメインではない。子どもたちへの応援とラグビーの発展。健康産業なので間違ってない」と、熱い思いで活動を続けてきた。

15年W杯後には日本代表の活躍にスタッフを含め50人全員に100万円の報奨金を贈呈した。上原氏が「直接渡したい」と自ら代表スタッフと対面し、その旨を伝えた。大きく報道され、選手だけでなくファンからも「ありがとう」の言葉をもらった。梅岡氏は「スタッフにあげたことを選手が喜んでくれたのがうれしかった」と振り返った。

自国での大会で、さらなるラグビーの盛り上がりを期待する。12会場の自治体へ出向き、地域の大会も応援。準備は整いつつある。梅岡氏は「W杯後がもっと大事。代表は引き続きサポートしたい。子どもや学生の応援もしていく。ラグビーが普及しないと健全な心身の成長のサポートにならない」と、その先も見据えている。【松熊洋介】

ラグビーW杯がやってくる

DJでお客さんの気持ちを1つに/DJ KOO

<ラグビー好き著名人(5)>

TRFのリーダーでタレントとしても活躍するDJ KOO(57)は高校時代に楕円(だえん)球を追った。ワールドカップ(W杯)開幕が近づくにつれ、そのテンションは日に日に高まっている。

ラグビーW杯日本大会を楽しみに待つDJ KOO

「気持ちを1つに盛り上がっていこう トライ DO DANCE!」

DJ KOOはラグビーW杯開幕が近づき、テンションは上がりまくっている。「もう毎日、興奮しています。いろんなところでラグビーの話題を目にするので、うれしい限り」。注目するのは前回大会で史上初の2連覇を果たしたニュージーランド。「ここ数年で一番強いんじゃないですか!? 強さと迫力は見てみたいです」と声を弾ませる。

ド派手な格好にサングラス。今の姿からは想像しづらいが、千葉・柏日体高時代はラグビー部だった。入学式で勧誘を受け、練習に参加。先輩たちが組む頑丈なモールから「どんなことをしてもいいから、そのボールを取ってみろ」と言われて挑戦するも、全く奪えなかった。ボールへの執着心、激しい肉弾戦。その魅力にひかれた。高3時は副主将でチームをまとめ、SOとして攻撃を組み立てた。「いろいろな技を使い、ボールを取られないよう前に進めていく。いろんな要素を考えてましたね」。

その考え抜いた経験は厳しいDJ界、芸能界を生き抜く上で役立ったという。音楽プロデューサー小室哲哉さんの下で経験を積んだ。「小室さんがおっしゃること、望むことを分かろうと忠実に実行し、それを何とかいい形で、自分のものにしようとしていました」。厳しい先輩たちの下で培われた精神面もそう。「目の前のことを迷いなしにやっていく精神的な部分など、自分のやってきたことの考えの中には常にラグビーがありました」と話す。

ラグビーを盛り上げていくために、こんなビジョンも持つ。「ラグビーを初めて見る人にも、スポーツエンターテインメントとして見ていただけるようにしたいですね。DJ活動を通じ、お客さんにテンションを上げてもらい、見てもらうのも手だなと。DJ付きのパブリックビューイングとかもいいですよね。僕が選曲するTRF、globeとか平成の名曲をかけたり。J-POPのミリオン特集とかやりたいですね」と笑う。以前、日本歴代屈指のSO松尾雄治さん(65)から伝えられた「お客さんをいろんな形で楽しませてあげることが必要だから。精力的にやってください」の言葉も胸に刻んでいる。

「熱い熱いエールは絶対選手に届くし、その気持ちで選手は絶対変わる。ラグビーW杯は新しい令和の時代を元気づけてくれる開催だと思います」とDJ KOO。最後に日本代表へ「力いっぱい戦ってください。力いっぱい応援をしています」とエールを送った。【上田悠太】

ラグビーW杯がやってくる

アリバイタックルと平尾さんの言葉/村上てつや

<ラグビー好き著名人(4)>

ラグビー好きの著名人に魅力を聞くシリーズ第4回は、5人組人気ボーカル・グループ「ゴスペラーズ」のリーダーを務める村上てつや(48)です。幼少期にプレーした思い出、歌手としてラグビーから受けた影響などを語りました。

ラグビー愛を語るゴスペラーズの村上てつや

ラグビーファンの父の影響で小学2年から楕円(だえん)球を追いかけ始めた村上。中学、高校はサッカー部に所属したが、現在もスケジュールが許す限りトップリーグの会場に通うなど、ラグビーへの愛情は変わらない。

村上 魅力は何と言っても迫力。そして、継続して形勢が逆転する中に、肉弾戦とスキルフルなプレーが共存していることですね。5メートル四方の中に20人ぐらいがいるような時もあれば、選手と選手の距離が60メートルぐらい離れている時もある。あの伸縮感は他のスポーツでは味わえない醍醐味(だいごみ)だと思います。

新日鉄釜石、平尾誠二に憧れた幼少期。当時の記憶の中には、その後の人生観にも影響を与えた、忘れられないタックルがあるという。

村上 当時、自分たちは芝生のグラウンドで練習していたんですが、ある日、土のグラウンドで試合があったんです。タックルしたくないなあと思っていたら、ギリギリ届くタイミングでそういう場面がきた。一応、追いかけるんですけど、うそなんですよ(笑い)。最後はトライを取られる直前に諦めなかった的なアリバイタックルです。そしたら、監督が「村上、よく粘った」って。その時ですね。自分の中で「こんな恥ずかしいことはない」「これが一番やっちゃいけないことだ」って(笑い)。このプレーは僕の人間形成に大きな影響を与えましたね。

早大在学中に「ゴスペラーズ」を結成。ヒット曲を出すまではスポーツとも距離ができたが、下積み時代にも、ラグビーから受けた影響は少なくなかった。

村上 平尾さんの本を読んで「チームは真のリーダーだけでは動かない。瞬間、瞬間でイメージリーダーが必要だ」という言葉に出会ったんです。リーダーはリスクを取るが、イメージリーダーはノーリスクで良い。自分もプレーヤーでありながら、どうやってみんなをまとめるのかに悩んでいる時で、グループで音楽をやることに対してすごく楽になりました。押さえつけるのではなく、遊ばせてなんぼ、独創的でなんぼなんだって。周りに言いたいことを言わせて、そいつが見ている景色を自分もまず見てみる。そこまではやらないとリーダーはできないということを、平尾さんの言葉から学びました。

日本開催のワールドカップ(W杯)。ラグビーに影響を受けてきたからこそ、多くの人にその魅力を知って欲しいと願う。

村上 見て欲しいのは、あれだけ激しいプレーをしているのに、レフェリーと相手をリスペクトし、小競り合いが起きないところ。本当はカッカしているけど、レフェリー、主将の言うことを聞く。あのメンタルのあり方は観戦していて自分自身も襟を正せるし、本当に見ていて気持ちがいいです。日本代表の選手の方は開催国というプレッシャーを感じると思いますが、それを良い意味で味わいつつ、前回大会の1つ先の景色を見せて欲しいですね。

◆今年メジャーデビュー25周年を迎えるゴスペラーズ初のトリビュートアルバム「BOYS meet HARMONY」が好評発売中だ。6月19日には、昨年のツアーの模様を映像化したBlu-ray&DVD「What The World Needs NOW」もリリース。ヒット曲「永遠(とわ)に」「ひとり」なども収録されており、注目を集めている。

伊藤華英のハナことば

「遠隔指導」で成長する子どもたちに刺激/伊藤華英

長く続けていることがある。

岩手県大船渡市を訪問することだ。長いと言っても、4年目。オリンピックの周期1回分だ。そう考えると短い気もするし、長い気もする。

大船渡市での東北「夢」応援プログラムの様子

訪問する頻度は、1年のうち2回または3回。回数が重なると地元の知り合いも増えていき、訪問するのが楽しくなる。

これも東北「夢」応援プログラムのおかげだ。このプログラムは、公益財団法人東日本大震災復興支援財団が主催していて、アスリートが子供たちにスポーツなどの指導をするというものだ。そのやり方も「最近」の手法で、最初と最後は現地に行って直接指導するのだが、基本は月1回の遠隔指導で行う。現地に行けなくても、「スマートコーチ」という動画送信ツールを使用することによって、実際に会ったように指導ができる。

私はプログラムの「夢応援マイスター」として、送られてきた動画にコメントや指導のメモを付けて返信する。子供たちも私の声を聞くことでリアリティーが生まれ、コメントを読んで自身の泳ぎを振り返ることができる。だから上達が早い。1年経過したときの成長には著しいものがある。

その月1の動画を私もとても楽しみにしていて、子供たちのメッセージに私自身が元気づけられることがほとんどだ。この手法なら物理的な距離の問題を解決してくれるし、私にとっては、どこでもいつでもできる!という点でとてもポジティブな取り組みの1つになっているのだ。

先日訪問したのは、この1年のキックオフイベント「夢宣言」のためだった。「今回はどんな子供たちなのかな」とリストを見ると、小学1年生から中学生。泳いで指導をしていると、子供たちは私の側に寄ってきて家族の話をしたり、お父さんの年齢を伝えてきたり、本当にいろんなことを話してくれる。

でも、プールサイドで初めて会ったときは、カッチカチで緊張感あふれる表情だった。「シャイな子供たちが多いかな」そう思っていたが、「プールに入るよ!シャワー浴びてきてね!」。この言葉を聞いた瞬間、笑顔がはじけるのだ。不思議なものだ。

こんなとき、いつも思うことがある。私は講演もさせてもらうのだが、途中で少し運動を入れるようにしている。ただ座って話を聞いているだけよりは、少し運動したほうが、人生経験の多い大人でさえ笑顔になる。体を動かすことが元気を生むと感じるのだ。

だから、いつも水泳レッスンは活気にあふれる。

キックもっと大きくしてね! その言葉に一生懸命、体を目いっぱい動かす子供たちは本当に輝いている。スポーツを通して、という言葉があるが、スポーツが若者はもちろん世代を問わず大きな役割を果たすのだといつも思う。

「頑張る」スポーツは「苦しい」スポーツではないのだ。楽しいから頑張れる。頑張るから楽しい。

大船渡市での東北「夢」応援プログラムの様子

子供たちの「夢宣言」で今回多かったのは、「大船渡のこのきれいな自然をずっと残していきたい」という言葉だった。これを聞いて、子供たちが描く未来はどんな世界であって、今の世界はどう見えているんだろうと思いをはせた。

ある著名な漫画の作家さんが言っていた。「妄想すること、イメージすること。これを子供の時にできるか。自分は常に見えない世界を思い描いてそれを作品にした」。なんでも調べれば分かる時代になったが、誰も誰かの未来を決めることはできないし、知らない世界はまだたくさんある。子供たちにそのことを知ってもらいたいと思った。

水泳というスポーツを通してのたった1つのイベントではあるが、この復興プログラムで私自身も多くのことを学んでいる。参加する子供たちにも、夢ってなんだろう。未来ってなんだろう、と考えてもらうきっかけになればと思っている。

楽しみな1年が、また始まった。大船渡のみなさん、今年もよろしくお願いします!

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)

ラグビーW杯がやってくる

ラグビーで培った「あぶ刑事」走り/舘ひろし

<ラグビー好き著名人(3)>

高校時代にラグビーを始めた俳優舘ひろし(69)は、ワールドカップ(W杯)日本大会PRキャプテンを務める。俳優業の根本には「紳士スポーツ」とされるラグビー精神があった。芸能界屈指のラグビー通が日本大会の意義を伝えた。

ラグビー愛を語る舘ひろし(撮影・中島郁夫)

ダンディーの原点は、ラグビーだった。男の色気を漂わせ、格好良くスーツを着こなす69歳。舘は俳優業の基盤には、学生時代に夢中になったラグビーがあることを打ち明けた。「ラグビーは紳士スポーツ。本能的で荒っぽいイメージだけど、自己犠牲があり、相手や審判へ敬意も表す。僕の原点はラグビーにあると思っている」。

高校時代の舘ひろし(石原プロモーション提供)

進学校の愛知・千種高で競技を始めた。俊足WTBで、SH以外のBKは全てこなした。主将を務めた2年時にはチームを県8強に導いた。3年になると大半が大学受験を控えて引退する中、「未練がある」として最後まで競技を続けた。根性論の「水を飲むな」「うさぎ跳びをやれ」などの猛練習で、ラグビー精神を学んだ。過酷な日々の中でもオシャレを忘れず、オールブラックス(ニュージーランド代表)好きだったため、1人だけ白ではなく黒ジャージーを着て練習に励んだ伝説も持つ。引退後は毎年正月のOB会に出席し、部員不足に悩むラグビー部のために、運動能力が高い学生の勧誘活動などにも積極的に協力する。

ワイルドな演技もラグビーで培った。人気ドラマ「あぶない刑事」での腕を振らない独特の走り方は「ラグビーボールを拳銃に持ち替えただけ」と秘話を明かし、アクションシーンで転ぶのも「土の上で擦り傷だらけだったせいか、抵抗がない」とさらりと言う。ラグビー観戦は習慣化され、代表戦の他、トップリーグやスーパーラグビー、欧州6カ国対抗などの海外試合まで録画視聴する。「世界のラグビーはエンターテインメント。反則やトライまでのつながりを細かく見返している。台本を覚える合間とかに見ているため、結構、忙しい(笑い)」。

15年W杯イングランド大会を観戦する舘ひろし(石原プロモーション提供)

日本がW杯で8強入りするためには、1次リーグのスコットランド戦(10月13日、横浜)が大勝負になると予測。特に“精密キッカー”ことSHレイドローを警戒し、「成功率を考えると、日本が勝利するためには2トライ以上の差が必要だと思う。寒い国との対戦が多いので、残暑を味方にして世界一のフィットネス(運動量)を見せてほしい」と期待した。PRキャプテンとして、アジア初開催となる日本大会の意義も伝えた。「開催12都市だけでなく、キャンプ地などの地方でも世界の超人類と触れあえる絶好の機会。文化交流も楽しみながら、日本中で開催される秋のお祭りを満喫してほしい」。ダンディーな元ラガーマンは、気持ちは熱く、頭は冷静に、2カ月後の大舞台を心待ちにした。【峯岸佑樹】

◆舘(たち)ひろし 本名・舘廣。1950年(昭25)3月31日、名古屋市生まれ。愛知・千種高でラグビーを始める。医学部受験を諦め、千葉工大在学中にオートバイチーム「クールス」を結成。その後、俳優デビューし、ドラマ「西部警察」「あぶない刑事」など代表作は多数。18年9月にW杯日本大会PRキャプテン就任。趣味はゴルフ、乗馬。181センチ。

チアの木曜日

早大SHOCKERS 世界でも珍しい男子チーム

世界でも珍しい男子だけのチアリーディングチームが早大SHOCKERS(ショッカーズ)だ。昨年のNHK紅白歌合戦に出演し、5月公開の映画「チア男子!!」のモデルになるなど知名度、人気とも急上昇中。今年3月には米国遠征も行い、チアの本場の観客から大きな喝采を受けた。

ダイナミックな演技で観客を魅了する早大SHOCKERS

SHOCKERSは早大公認サークルで、部員はマネジャーを含めて57人。昨年の紅白ではHey!Say!JUMPのバックで演技を披露した。モデルとなったアニメや映画も製作され、嶋田基弘代表(3年)は「SNSなどを見ると、注目度が増していることを実感します」。岡村希一副代表(同)も「紅白は家族や親戚がみんな見てくれた。親孝行できました」と笑う。

この4月、セレクションに合格した23人の新入生が入部した。永瀬涼練習長(同)は「高校で体操をやっていたのは毎年1、2人で、ほとんどが未経験者です。運動部出身だけでなく、吹奏楽部や帰宅部だったという人もいます」。入学式の後にキャンパスで行うSHOCKERSのパフォーマンスを見て、憧れを抱いて入部を希望する新入生が多いという。

珍しい男子チアとして注目度、人気は急上昇中だ

練習(正規練)は週4日、都内の体育館を借りて行っている。1日4時間、スタンツ(演技)の練習をみっちりと行う。バック転など基礎的な動きは、部員それぞれが「自主練」で鍛えるという。土日はほとんどイベント出演で埋まっている。かなりのハードスケジュールだ。

さまざまなイベントや大会で演技を披露

今年3月には米ダラスで開催された「NCAオールスターナショナルズ」で演技を披露した。米国でも男子だけのチアは珍しく、SHOCKERSの演技は大きな反響を呼んだ。「日本でも出られる大会は限られている。それならば本場の大会に出場して刺激をもらおうと思いました」(嶋田代表)。学生たちが企画し、自腹で8泊10日の遠征を行った。岡村副代表は「男子チアは徐々にですが認知されてきている。採点部門がある大規模な世界大会ができたらいいですね」と力を込めた。

◆早大SHOCKERS(ショッカーズ)04年4月に結成された、日本の男子チアチームの草分け。チーム名は「仮面ライダー」の悪の組織ショッカーと、見る人に衝撃(ショック)を与えたいという思いから命名された。チームカラーは黒と黄色で、ショッカーの黒い服装と稲妻をイメージしている。8月11日に東京・文京シビックホールで「SHOCKERS FESTIVAL 2019」を開催する。ちなみに日本の大学男子チアは、早大の他に明大、首都大東京、駒大、名古屋の大学合同チームがあり、社会人のOBチームを含めた全国大会が毎年開催されている。

ピッチマーク

29歳“ルーキー”宮里美香、挑戦止めず道ひらいた

アース・モンダミン・カップで2位に入った宮里美香(2019年6月30日撮影)

黄金世代の活躍が際立つ女子ゴルフツアーで、ひそかに注目している選手がいる。今季から主戦場を米国から日本に移した宮里美香(29=NTTぷらら)だ。

09年に国内ツアーを経験せず米ツアーに飛び込んだ。今年、山口すず夏(環境ステーション)が、プロに転向してすぐに米ツアーに挑戦しているが、当時、女子では異色と言えた。3日間開催が主な日本の女子の大会とは違い、毎週のように広い米国を移動しながら4日間開催が続く。高校を卒業してすぐに、過酷な環境を強いられながらも果敢に挑み続けて、12年のセーフウェイクラシックを制するなど活躍し、申し分ない実績を積んできた。

17年に賞金シードを失い再び、選択を迫られた。日本に戻るか、それとも一線を退くのか、悩んだのは想像に難くない。もちろん、ここで身を引いても、その道程、実績を考えれば、皆がねぎらいの言葉をかけただろう。それでも、諦めず、新たな戦いに身を置く決意をした。若手と同じように、予選会に出場し、27位で通過、日本ツアー参戦にこぎつけた。

宮里は日本女子プロゴルフ協会(LPGA)の会員ではない。過去、10、13年に日本女子オープンを勝ち、会員資格を得るチャンスがあったものの、退路を断っての米ツアー参戦だっただけに登録はしなかった。そのため、今季、賞金シード権(50位以内)を取るか、優勝しないと来年のツアー出場は不透明な状況になる。1年目から厳しい現実を突きつけられたにもかかわらず、「挑戦」を止めなかった。

いきなり結果を求められる“ルーキー”年。序盤は調子が上がらなかったとはいえ、焦らず日本式のルーティンを身につけるなど日本ツアーの環境に順応することに務め、その時を待った。気温の上昇とともに、心技体がかみ合いだし、成績も徐々に上がった。6月下旬のアース・モンダミン・カップ(千葉)で今季最高の2位。賞金1580万円を獲得し、今季の獲得賞金を2800万円台に乗せ、シード権確保の約2300万円を超えた。大会後、会員登録について聞かれると、「はい、なります」と即答した。現実と真っ向から対峙(たいじ)し、再び重い扉をこじ開けてみせた姿は、単純に格好良いな、と思わせてくれた。

進む道は1つではない。紆余(うよ)曲折があっても「挑戦」がぶれなければ新たな道がひらける。「勝つこと。それだけ。シンプルに勝つこと」と、今後の目標を掲げた。米国での9年間で培った経験と技術は「いろんなショットが要求されるコースを回ってきた。自分のゴルフがまだ少しずつ変わりつつあると思うし、いろんなバリエーションは持っているつもり」と話したように、プライドとなり、自身の武器になっている。

29歳の“ルーキー”の挑戦。米国仕込みのゴルフで、日本で何を見せてくれるのか、しっかりと目に焼き付けていきたい。【松末守司】(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)

ラグビーW杯がやってくる

スクール☆ウォーズのラグビー熱を再燃/山下真司

<ラグビー好き著名人(2)>

「ラグビー好き著名人に語ってもらう」第2回は、俳優の山下真司。84年に放送されたドラマ「スクール☆ウォーズ」で弱小高校を全国優勝に導く熱血監督を演じた。その後ラグビーに興味を持つようになり、35年たった今でもその思いは画面の中と同じように熱かった。

ラグビーボールを手に力強い表情を見せる山下真司(撮影・横山健太)

山下が一番印象に残っている試合は15年大会の日本-南アフリカ戦だ。映像を見ると、スクール☆ウォーズのシーンがダブるという。

山下 選手は本当に死ぬかもしれないという覚悟で戦ったと思う。(モデルとなった伏見工高の)山口良治先生の教え子が日本代表になっていたりもするので、見ていたらドラマのシーンがよみがえってくる。実際に教え子が活躍しているような錯覚に陥るのが自分にしかできない楽しみ方。

ドラマでは「今からお前たちを殴る!」というシーンが有名。

山下 当時はラグビー部員に話を聞きにくかった。自分たちは偽者で「違うよ」と言われそうで、会うのも避けてました。山口先生も実際にぶっ飛ばしたのは1度だけで、練習の方が厳しかったみたい。

今では“体罰”になってしまう行為だが殴る意味を教えたかったという。

山下 あしき習慣といえばそれまでだが、根性を入れるという意味で心に戒めるのが目的。それがなくなり、日本のスポーツ界も変わってきたが、尊敬心という意味では今も昔も変わらない。接し方も変わり、勘違いする子どもが増えた。大人が教育しなければいけない。甘やかしとフランクに接するのとは違う。

ドラマでラグビー人気に火を付けた山下は、魅力を語り出したら止まらない。

山下 もともとは3K(きつい、危険、汚い)と言われていたが「One For All、All For One」という言葉にあるように感動、絆、感謝(3K)があるスポーツ。社会人としても通用するメンタリティだし、人間形成には最高。それぞれが役割をこなして1つのトライを15人で取りにいく。ファイターのような武士の魂を持っていてかっこいい。オールブラックスのハカも命懸けな心を感じる。

日本代表の試合は会場にもよく見に行く。前回の活躍で期待も高まる。

山下 リーチは英語もできて選手とコミュニケーションも取れる。小さい体で2メートル級の選手に立ち向かう田中などいい選手がたくさん。日本も8強以上の実力はある。前回の五郎丸のようにスターが出てきて欲しい。子どもたちが盛り上がるし、みんな求めている。

スクール☆ウォーズで生まれたラグビーとの縁。自国開催に自身も積極的に広報活動を行っていく。

山下 4年に1度の世界が注目する大会なのに、ガラガラのスタジアムを見せるわけにはいかない。まだまだ働き掛けが少ないと思う。ドラマから30年以上たっているけど、40代、50代の心にみんな残っている。ラグビー熱がないわけではない。心の中にある熱いものを見せて、知らない人に興味を持ってもらいたい。そのためには何でもやる。

山下は「スクール☆ウォーズ世代」のラグビー熱を再燃させ、全国民とともにワールドカップ(W杯)を盛り上げ、日本のドラマチックな勝利を願っている。【松熊洋介】

◆山下真司(やました・しんじ)1951年(昭26)12月16日、山口県下関市生まれ。下関商卒業後中大文学部入学。文学座付属研究所卒業後劇団NLTに入団。79年の「太陽にほえろ!」にレギュラー出演。84年熱血教師役を演じた「スクール☆ウォーズ」が最高視聴率20%を超すヒット。その後も「ケータイ刑事」シリーズや「食いしん坊!万才」などドラマやバラエティー多方面で活躍中。

ラグビーW杯がやってくる

奇跡信じ熱い思いでヒーロー揺り起こせ/麻倉未稀

ラグビーW杯公式球を手に笑顔を見せる麻倉未稀(撮影・林敏行)

<ラグビー好き著名人(1)>

今週はラグビーを愛する著名人が、その魅力を語る。初回は伝説的テレビドラマ「スクール★ウォーズ」の主題歌「ヒーロー」を歌う麻倉未稀(58)。歌詞と同じ“熱い”思いでワールドカップ(W杯)の盛り上がりと、日本の勝利にエールを送った。

不良がバイクで廊下を走り抜け、校舎のガラスをたたき割る。ラグビーを題材にした不朽の名作ドラマ「スクール★ウォーズ」のオープニングから「ヒーロー」のイントロは流れ出す。

〈歌詞〉愛は奇蹟を信じる力よ 孤独が塊(こころ)を閉じ込めても ひとりきりじゃないよと あなた

もともとはカバー曲だが、麻倉には歌いながら、伝えたい思いがある。

麻倉 この歌で言いたいことは、負けても勝っても、信じることで何かをつかむことができる。また信じることで、奇跡が起こる。歌を作るのもそうですけど、ラグビーでも、どこか心の中に孤独、怖さが備わっているような気がします。信じる力で、みんなとチームワークが取れるようになっている時、奇跡が訪れるんじゃないかな。

前回のW杯。日本は南アフリカにラスト1プレーで逆転し、歴史的な勝利を刻んだ。「南アフリカ戦は日本全体が信じる力に包まれていたじゃないですか。日本は深夜でしたけど、ラグビーをあまり知らない人も、代表が頑張っている姿を見ていましたから。そういう力はどこにいても、通じるものがあるんじゃないかなと」

〈歌詞〉 You need a hero 胸に眠るヒーロー 揺り起こせ 

スタンドの声援は選手の背中を押し、力となる。ラグビー場で歌う時、心掛ける。「お客さん全員が選手にエネルギーを入れるように、『みんな団結しろよ』『団結しないと勝てないぜ』と思いながら歌っています」。そんな思いも届いてか、勝利の女神にもなっている。昨年5月、スーパーラグビーのサンウルブズ-レッズ戦のハーフタイムで「ヒーロー」を歌った試合で、サンウルブズは63-28の快勝。それはシーズン10戦目にして初勝利だった。

「ヒーロー」を世に送り出して以降、よく言われることがあるという。「あのドラマを見て、ラグビーを始めました」「あの曲をかけながら練習をしていました」。その時には「ラグビーの人気に少しは役だったのかな」と感じる。「すごくうれしいです」と笑う。

W杯開幕まで、あと2カ月に迫った。PR活動にも積極的に参加してきた麻倉は「2、3年前はすごく遠い気がしていましたが、気が付くと今年。早いですね」。最後に日本代表にもエールを送った。「もちろん勝って欲しいですし、自分たちの試合を続けて欲しいです。日本もラグビーがもっと浸透していけばいいなと思っています」。【上田悠太】

ラグビーW杯がやってくる

W杯初戦前夜、平尾監督から届けられた手紙/松田努

<俺のW杯(5)>

主にFBで活躍した松田努(49)は、ワールドカップ(W杯)に4大会連続で日本代表に選出された。苦い思い出もあるが、世界と戦ってきた誇りを胸に、ラグビーの魅力を全国に伝え続けている。

ラグビーW杯に4大会連続で選出された松田努氏(撮影・松熊洋介)

「あまりいい思い出のないラグビー人生でしたから…」。控えめに語る松田の言葉には、W杯で結果を残せなかった悔しさがにじむ。

95年大会でニュージーランドに17-145の大敗を喫した。「ボールを取られたらすぐにトライ。早く終わってくれと思っていた」と打ち明ける。ほかの選手とは「日本に帰って空港で生卵を投げられたらどうしよう」と心配していたほど。帰国時は特にハプニングはなかったが、それは逆に注目度の低さでもあると痛感した。

今度こそ「勝って日本に凱旋(がいせん)」と臨んだ99年大会。選手、コーチ、スタッフが1つとなって世界に挑んだ。中心選手にもなり、最高の状態で迎えた。「外国人選手も加入して本当に強かった」と手応えを感じていた。初戦のサモア戦前夜、以前は選手としても一緒にプレーした平尾誠二監督(故人)から選手に手紙が届けられた。当時のことを鮮明に覚えている。

手紙の一部は、こうだった。

「いざという時にいてくれないと困るし、いつも助かっている-」

心が奮い立ち「さあやるぞという気持ちになった」。

気合十分で挑んだ試合だったが、前半途中で肩を脱臼して交代。リズムを失ったチームは1勝もできず、再び悔いの残る大会となった。「他の選手が慣れないポジションでプレーせざるを得なくて申し訳なかった」と責任を感じた。

16年12月、ラグビーW杯2019開幕1000日前記念カウントダウンイベントに出席する元日本代表・松田努氏

苦い思い出も多いが、それまでのW杯8大会のうち、4大会で選出されたのは松田と元木由記雄の2人だけ。「唯一自慢できることかな。CTBと合わせるのが得意だったからだと思う。4大会も経験していれば、いろんなBKラインがある。故平尾監督の時は神戸製鋼を中心としたラインだったり、その後は広めになったり。それに一番順応できた」と前向きに話した。

13年の引退後、アンバサダーに就任。子どもたちへの指導も行いながら、W杯を盛り上げる活動を行っている。「自分自身がやれることは限られているが、W杯に関連することはいの一番に協力する覚悟でやりたい」と話す。W杯の記憶を最高の喜びに変えようと、裏方役に回った今は大会の魅力を伝えながら全国を飛び回っている。【松熊洋介】(敬称略)

◆松田努(まつだ・つとむ)1970年(昭45)4月30日、埼玉県生まれ。草加高でラグビーを始める。関東学院大に進学し、FBに転向。同大在学中に91年W杯メンバーに初選出。93年に東芝府中(現東芝)に入社。03年までW杯4大会連続で選出。13年3月に43歳で引退。同年5月に19年W杯アンバサダーに就任。日本代表43キャップ。娘凜日(りんか)さん(17)は国学院栃木ラグビー部3年で7人制女子日本代表。

ラグビーW杯がやってくる

細かいこと気にしないのもラグビーの良さ/伊藤剛臣

W杯について語る元日本代表の伊藤氏

<俺のW杯(4)>

野性的な動きで日本代表を引っ張ったNO8伊藤剛臣(48)は99、03年ワールドカップ(W杯)に出場した。46歳になる18年まで現役を続けた魂のタックラーが、熱き思いを語る。

  ◇   ◇   ◇  

「『お前は男なのか』と試されているようなもの」。代名詞のタックルを、伊藤はそう表現する。ひたむきなプレーでファンの心をつかみ、46歳までピッチで体を張り続けた。そんな男が「特別な試合」と語るのが、03年のW杯オーストラリア大会初戦スコットランド戦だ。11-32で敗れはしたものの、後半20分まで欧州の強豪と互角の試合を演じ、地元タウンズビルのファンから「ブレイブ・ブロッサムズ(勇敢な桜の戦士たち)」と称賛された。

桜のジャージーをまとった伊藤を突き動かし続けたのは、95年W杯の悪夢だった。まだ代表に手が届かず、神戸製鋼の若手だった当時、日本がニュージーランドに145失点の歴史的敗戦を喫した。「あまりのショックで吐いた」伊藤は、同時に「日本ラグビーの誇りを取り戻す」と胸に誓った。初出場の99年大会は先発の座をつかめず、チームも全敗。そこから中核に成長し迎えたのが、32歳で臨んだ03年大会だった。節目の代表50キャップ目のスコットランド戦。W杯初先発の舞台で、伊藤は燃えた。

通常は1試合で10回程度のタックルが、この試合は実に25回。「箕内主将、大久保、広瀬、元木、大畑…。チームにタックラーがそろっていたし、俺も負けるかって。チームのために体を張る姿は心に響く。それを痛感した試合だった」。

2度目のW杯で待望の勝利はつかめなかったが、力は出し切った。最後の米国戦後、現地のバーで酒を飲んでいると、知り合いの海外チームのコーチに声をかけられた。「イトウ、(NZの伝説的なNO8)ジンザン・ブルックがいるから紹介してあげるよ」。だが、同じテーブルにいた日本選手の顔を見つめ、伊藤はその誘いに首を振った。「野球で言えば、王さん、長嶋さん。でも『いいんだ、ジンザン・ブルックは。おれはこいつらと飲んでいるんだ』って。日本のプライドを少しは取り戻せたと思えた大会だった」。

18年に引退し、日本開催のW杯は大会アンバサダーとして迎える。ラグビーと向き合い続けてきたからこそ、伝えたい思いがある。

「味わってほしいのは、W杯の祭り感や緊張感、規模感。海外のファンは試合前に酒を飲んで、試合中も、終わってからも飲む。それでも暴れないのがラグビーの良さ。ノーサイドの精神がお客さんにもあるし、そういう文化も楽しんで欲しい。ルールが分かりにくいと言われるが、細かいことを気にしないのもラグビーの良さ。そもそも、神経質なやつは体なんて張れないですから(笑い)。選手、スタッフを信じて応援しましょう」。【奥山将志】(敬称略)

◆伊藤剛臣(いとう・たけおみ)1971年(昭46)4月11日、東京都荒川区生まれ。法政二高でラグビーを始め、法大3年時に大学選手権優勝。94年に神戸製鋼入社し、12年に退団。同年、トライアウトを受け釜石シーウェイブスに入団。18年に現役引退。ポジションはNO8。日本代表キャップは62。

01年6月、ウェールズ戦で突進する日本代表の伊藤剛臣(手前)
ラグビーW杯がやってくる

品位、情熱、結束、規律、尊重の5大価値/増保輝則

00年5月、フィジー戦でプレーする増保輝則(左)

<俺のW杯(3)>

早大出身の増保輝則(47)は、戦後最年少(当時)となる19歳3カ月で日本代表に選出され、ワールドカップ(W杯)は3大会に出場した。現在は大会アンバサダーとして普及活動する中で、必ず伝えているラグビーの魅力がある。

  ◇   ◇   ◇  

日本代表ジャージーを着て豪快に駆けた大型バックスは今、全国津々浦々を大使として駆けている。増保はそこで、ラグビーの特徴を示した5つの価値を伝えている。

「品位」「情熱」「結束」「規律」「尊重」

「ラグビー憲章といって、(国際連盟の)ワールドラグビーは公式に定めているものです」。プレーし、指導し、競技規則を作り、適用する際の基本原則を網羅する5つの言葉で、それが最も知ってほしいことだという。「現役の時は知ってましたけど、なかなか意識は…。引退して良さを考えた時に再認識しましたね。なかなか他のスポーツにない」。講演などで口にし、草の根的に広めている。

今思い返すと、初海外遠征の地から体験していた。90年に高校日本代表の主将として訪れたのは、伝統国スコットランド。「すごいもてなしをしてもらった」と感謝する。前年89年に日本代表が同国代表に歴史的勝利を挙げていたが、敵対心より温かさを感じた。いい宿を用意してもらい、ジュニア世代にもかかわらず、6万人以上収容のマレーフィールドで試合もさせてもらった。そこには「品位」であり「尊重」があった。「年齢とか関係なかった。文化を感じましたね」。若くして、本場でこの競技の本質に触れた。

90年に早大に入学後、その才能ですぐに日本代表へ。91年のW杯初戦は前年に経験していたマレーフィールドでのスコットランド戦だった。唯一の10代選手は「緊張感がすごくてフワフワして。試合の記憶がまったくない」と回顧するが、その後の記憶は鮮明だ。試合後に行われた「アフターマッチファンクション」。長机に両軍向き合い、2時間以上の夕食をする「当時はまだアマチュアの慣例でちゃんと食事をした。それで一気に仲良くなる」。それが文化だった。

もともと87年の第1回大会をテレビ観戦し、ひかれたのがスコットランドだった。特にギャビン・ヘイスティングス。当時は珍しい大型FBの芸術的なキック、躍動感のとりこになった。高校での初遠征、W杯初戦での感慨はひとしおだった。そして今年は、日本代表が1次リーグの最終戦で同国と対決する。「チャンスは十分ある。いかに相手の選択肢を絞るために接戦をしていくか」。憲章に掲げる5つの価値を体現しながら、勝利することを願っている。【阿部健吾】(敬称略)

◆増保輝則(ますほ・てるのり)1972年(昭47)1月26日、東京都生まれ。城北中2年でラグビーを始める。城北高3年時には高校日本代表主将を務める。早大から94年に神戸製鋼入社。現役引退した04年から06年度まで監督。ポジションはWTB。W杯は91、95、99年大会に出場。日本代表キャップ47。

チアの木曜日

トリコロールマーメイズ ホームタウン活動多数

「トリコロールマーメイズ」はサッカーJ1リーグ横浜F・マリノス公式チアリーディングチームだ。日産スタジアムでは選手の入場時やハーフタイム、勝利時に登場し、パワフルで華やかなパフォーマンスでホームゲームを盛り上げる。チアチーム独自のファンクラブもあり、年に3回、交流会などを行っている。

ホームの日産スタジアムでポーズを取る「トリコロールマーメイズ」(C)CHEERLEADERS ASSOCIATION

チーム結成は08年6月。ホームゲームでのパフォーマンスのほか、横浜市、横須賀市、大和市でのイベントや小学校訪問、交通安全運動など年間を通してさまざまなホームタウン活動に多数出演している。今シーズンのトップチームは16人。20代前半が中心だ。チームポリシーは「子供たちが将来、チアリーダーとして活躍するためのロールモデルになれること」。チアはラインダンス、スタンツ(組み体操)、フラッグの3つを組み合わせているのが特徴だ。

スタンツ・ディレクターのSaoriさんは「スタンツは土台となるベース、後ろから支えて指示を出すスポット、一番上でポーズを決めるトップから成り立ち、4、5人で演技をします。お客さんとの距離が近いトリコロールランド(スタジアム場外の広場)ではきれいさ、ピッチでは高さを生かしたパフォーマンスを見せています」と話す。

練習は週3回。月、火曜午後8時から10時までディレクターとともに行い、土曜はトップチームだけで行っている。サブキャプテンのYuiは幼い時からクラシックバレエを習っていたが、チア歴は3年。「踊りが好きで、生まれも育ちも横浜なので、横浜で踊れる場所はないかなと探しました」。

サブキャプテンのYui

チームにはファンクラブもあり、80人が登録。男性が中心で地方ファンもおり、大きな励みになっている。「普段はファンの方と話す時間がないのですが、運動会など交流会が年に2、3回あるので、大切な時間になっています。マーメイズのファンからマリノスのファンになってもらえればうれしい」とYui。

チームを運営する「一般社団法人チアリーダーズ協会」代表理事の前岡宏佳さんは「サッカーのチアはバスケとアメフトとは違って、地位が確立されていないところがあります。試合になくてはならないものになるためにはどうしたらいいのかを模索しています」。人魚たちはマリノスを後押しするため、一丸となっている。

◆トリコロールマーメイズ 08年6月結成。トップチーム16人、ユースチーム5人。清水エスパルスとはコラボで演技を披露することも。横浜市を中心に県内でスクールを開催しており、講師派遣しているものを合わせると生徒数は約500人。

ラグビーW杯がやってくる

釜石が点から線に W杯で恩返し奮闘/桜庭吉彦さん

<俺のW杯(2)>

87年の第1回大会からワールドカップ(W杯)3大会に出場した桜庭吉彦(52)は、釜石の未来を見つめる。伝説的な強豪、新日鉄釜石に入社して34年。愛するラグビーと釜石市のために、192センチの大型ロックが奮闘する。

      ◇       ◇

1つ1つの点がつながるから線になる。過去から現在、そして未来へ-。秋田工高で花園優勝、新日鉄釜石入社、W杯3大会出場、東日本大震災、そして釜石でのW杯開催…。桜庭は、点がつながる先を見据えていた。「W杯はゴールではない。このW杯がスタートになるんです」。

ラグビーW杯日本大会アンバサダーの桜庭吉彦氏

W杯開幕が迫り、大会アンバサダーでもある桜庭は準備に多忙な日々を送っている。「特に輸送のところですかね。新幹線駅からのバスと三陸鉄道などを使います。27日の日本-フィジー戦が最終テストになります」と話した。

震災直後、変わり果てた市街地に「再生できるか、立ち直れるのか」と苦悩した。W杯誘致も「葛藤があった」と明かした。「背中を押してくれたのは被災した人たち。復興に、未来につなげたいと語っているのを見て、何もしない自分が恥ずかしくなった」。

3大会出場で、W杯は知っている。だからこそ、釜石開催は「普通なら想像できない」という。95年大会でニュージーランドに大敗した。「あれでラグビー界は本気になった。平尾(誠二)さんが監督になり、トップリーグができて、いろいろな歴史があった」。振り返る先に、釜石開催があった。点が線になった。

釜石愛が強い。「根っこになっていることがある」と明かす。85年1月15日、日本選手権前の高校東西対抗に出場した。国立競技場のグラウンドに飛びだした時、背中にかけられた「桜庭、頑張れ」という声援。7連覇を目指す新日鉄釜石の応援団からだった。

「前年の秋、日本代表の釜石合宿の時、ちょうど入社試験だった。グラウンドで松尾(雄治)さんに呼ばれ『来年入る桜庭です』と見に来ていた人に紹介してくれたんです」。それで釜石ファンから声援が送られた。「勇気をもらって、頑張れた。釜石に恩返しがしたい、ためになりたい、と思った」と話した。

「復興した姿を世界に発信するのは大きな意味がある」と桜庭は話す。ただ「成功」の意味は少し違う。「大会後、レガシーとしてスタジアムをどう活用するか。さらに地域の活性化にどうつなげるか。それができて成功」という。

目指すのは、多くの市民の参加。「観客、ボランティア、訪れる人を迎える。何でもいい。かかわることが未来への自信になる」という。「そこに地元チームとしてどうかかわるか。強く、愛されるチームを作らないと。満員のスタジアムで試合をする。それが、今の夢ですね」。点と点をつなぐ線が明るい未来に向くように、桜庭は決意を胸に言った。【荻島弘一】(敬称略)

◆桜庭吉彦(さくらば・よしひこ)1966年(昭41)9月22日、秋田・潟上市生まれ。秋田工高2年の時に野球部からラグビー部に転向。192センチの長身を生かしてロックとして活躍し、3年で花園優勝し、85年に新日鉄釜石入り。86年に19歳で日本代表に選ばれ、キャップ43。87、95、99年W杯に出場した。02年に新日鉄釜石がクラブ化した釜石シーウェイブスのヘッドコーチに就任、現在はゼネラルマネージャー。

ラグビーW杯がやってくる

心むしばまれた7万人の声 日本でも/広瀬佳司さん

<俺のW杯(1)>

今週は日本代表としてワールドカップ(W杯)で奮闘した名選手たちに母国開催への思いを聞く。第1回はキックの名手として3大会に出場した広瀬佳司(46)。99年大会での痛恨のミスから思い描くホームスタジアムの雰囲気づくり、ホスピタリティーへの願いとは…。

00年5月、フィジー戦でキックする広瀬佳司

1本のキックの乱れを、今でも鮮明に覚えている。99年10月9日、ウェールズの首都カーディフにあるミレニアム・スタジアムで、広瀬は蹴り上げたボールの行方を追っていた。「長すぎた…」。そのハイパントをキャッチしたのは母国開催のW杯で初優勝を目指すウェールズの主軸ガレス・トーマス。プレゼントボールを見逃してもらえず、カウンターを受けてトライを献上。前半は15-26と食らい付いた試合は、「一気に相手のペースになった」。最終スコアは15-64。「100%完璧に80分間戦わないとダメなのに」と今も責任を口にする。

SOとして無類のキック精度を誇った。高校、大学と毎日100本の練習で磨いたプレースキックは、トヨタ時代の05-06年トップリーグで成功率92・9%も記録。その黄金の足の感覚を狂わせた要因を、「プレッシャーをずっと受け続けていたから」と思い出す。

会場は7万人以上の超満員。屋根が閉じられ、歓声が渦巻く。隣の選手のサインの声も聞こえず、「ヘッドホンをしているようだった」。観客が歌い出し、相手の1プレーごとにうなりのような声が起きる。その異様な“ホームアドバンテージ”を前半から感じ続け、心がむしばまれていった。「強烈でした。だからこそ、今度は日本でそんな雰囲気をつくり出したい」。

翻って、悔恨は今、日本開催での願いに転化させている。例えば、もう1つの経験も思い当たる。「早稲田戦ですね。あれも異様だった」。打倒社会人に燃える大学王者の早大と激突した06年の日本選手権2回戦。「試合の1週間前から早稲田が勝つような空気がつくり出された」。当日の会場に満ちたのは早大への期待感。プレーへの沸き方などが重圧となって24-28で負けた記憶も、今は雰囲気の大切さに結びつく。

「日本でもジャパンが勝つ環境をつくり出せると思う。応援が力になるというのは、本当ですから」。99年大会ではジャパンを率いるジョセフHCとともに戦い、今も親交は厚い。誰よりも日本の勝利を願う男だと知っているからこそ、チームを後押しをする会場をつくり上げてほしい。現在は大会組織委員会でレガシー局に所属し、普及などを担う。スタジアムで日本を勝たせる空間をつくり上げたら、それも貴重なレガシーになる。【阿部健吾】(敬称略)

広瀬さん

◆広瀬佳司(ひろせ・けいじ)1973年(昭48)4月16日、大阪府高槻市生まれ。7歳でラグビーを始め、島本高-京産大を経て96年トヨタ自動車入社。正確なプレースキックで04、05年度にトップリーグの得点王、ベストキッカーの2冠を獲得。ポジションはSO。W杯は95、99、03年大会出場。日本代表キャップ36。

ラグビーW杯がやってくる

大野監修ルールブック準備の府中市/イングランド他

<公認キャンプ地(5)府中市、海老名市、上富田町>

ワールドカップ(W杯)出場20チームを迎える公認キャンプ地は全国で55件、61自治体。最終回は府中市(東京)、海老名市(神奈川)、上富田町(和歌山)の取り組みを紹介する。

府中市などが作ったルールブック

府中市(イングランド、フランス) 三鷹市、調布市と連携して制作した「ルールブック」(A5判32ページ)が注目されている。日本代表歴代最多の98キャップを誇る「鉄人」大野均(東芝)が監修を務め、8万部を準備。市内の小中学校で配布した。プロップは像、ロックがキリン、SHは猿などと各ポジションを動物に例え、分かりやすさが話題を呼び、市外からも問い合わせが相次いでいるという。トップリーグのサントリーと東芝の練習場、W杯の開幕戦が行われる東京スタジアムが市内にあり、15年W杯後から「ラグビーのまち府中」を合言葉に掲げてきた。担当者は「W杯で終わりでなく、2チームとはその後も協力しながら市を盛り上げていきたい」と意気込みを語った。

市内の全小学校でロシア代表歓迎給食としてピロシキ、ボルシチが出された

海老名市(ロシア) 1年前の動揺がうそのように、ロシア受け入れの準備が進んでいる。18年5月、当初、同市をキャンプ地とする予定だったルーマニアが、出場資格のない選手が予選でプレーしたとして失格となり、ロシアが繰り上がりで出場を決めた。同市担当者は「朝礼でルーマニア語のあいさつを練習し始めた直後で、驚いた」と振り返るが、そこからロシアへの市を挙げた“猛勉強”が始まった。大会を応援する「えびなラグビーサポーター」は募集300人に対し395人が応募。学校給食でピロシキが出されるなど、開幕が近づくにつれて市内の機運も高まりつつある。ロシア-スコットランド戦では市からバス6台でロシアの応援にかけつける予定だ。

18年3月、和歌山・上富田町に寄贈された花園のポールへキックする元日本代表大西将太郎氏

上富田町(ナミビア) W杯未勝利国を6大会目での初白星へ後押しする。強豪の大阪朝鮮高が03年、花園初出場を決めた府予選前に直前合宿を実施。昨年も女子サッカーU-20日本代表「ヤングなでしこ」が同地でチーム力を高め、U-20W杯初制覇につなげた。15年和歌山国体が迫った13年にスポーツ観光推進協議会が発足し、和歌山県協会の滝本拓哉理事(32)は「不思議な縁があるパワースポットと感じてもらえている」。天然芝2面、人工芝1面、室内練習場、トレーニングジムを持つ同町の特産品は「ひょうたん」。今月8、9日にナミビアのルスウェニョ駐日特命全権大使が視察した際には「三拍(瓢)子そろう」「無病(六瓢)息災」といわれる縁起物として歓迎式で贈呈した。

We Love Sports

100m決勝3レーン川上拓也「盛り上げる役者に」

19年6月27日、陸上日本選手権男子100メートル準決勝で力走する川上(撮影・鈴木みどり)

大注目の陸上日本選手権男子100メートル決勝は28日、福岡・博多の森陸上競技場で行われる。

今季9秒97の日本新記録を樹立したサニブラウン・ハキーム(20=フロリダ大)を軸に、前日本記録の9秒98を誇る桐生祥秀(23=日本生命)や、27日の準決勝でサニブラウンに次ぐ10秒09で決勝進出を決めた小池祐貴(24=住友電工)らが優勝候補。その決勝でサニブラウンと真横の3レーンを走る男が、準決勝で自己記録タイの10秒24をマークした川上拓也(24=大阪ガス)だ。

6年前の春。東海大浦安高3年の川上は、千葉県内で家族と焼き肉ランチをしていた。食事の合間に何げなく開いた携帯電話。飛び込んできた「桐生、10秒01」の文字を、今も忘れない。当時洛南高(京都)3年の桐生が、織田記念国際で出した10秒01の好記録に「何かの間違いかな!? ありえへん!」と驚いた。短距離界のスターへと上り詰める同学年の姿が、はるか遠くに感じた。

千葉県出身の川上が陸上を始めたのは中1だった。友人に「入ろうよ」と誘われ、陸上部への入部届を出した。

「足はクラスで3番目ぐらい。入る部活を迷っていたら誘われたんですが、陸上部のウインドブレーカーが格好良くて『欲しい!』ってなりました。小学校の頃はサッカーをやっていたけれど、桐生とかみたいに『ちゃんとやっていた』のではなく、遊びみたいなもので…」

中2までは思ったような活躍ができず、心の中では「辞めたいな」と考えていた。100メートルの自己記録は12秒03。中2で11秒25の桐生とは、その時点でも差があった。

だが、転機は突然訪れた。3年になり、厳しかった顧問の異動が決定。去り際に、言葉をかけてくれた。

「全国大会に行けるから、頑張れよ」

無名な自分に対する期待を知り、それはモチベーションへと変化した。

「陸上を好きになって、スパイクについても自分で調べるようになりました。中2までは土兼用を履いていたけれど、中3でオールウエザー(ゴムのトラック用)があることを知って、それを使うようになった。記録が伸びていくと、陸上がもっと楽しくなった」

3年時は師の言葉通りに全国大会初出場。それでも当時の中学記録となる100メートル10秒64をマークした日吉克実や、桐生らは遠くにいた。

「その辺りの速いメンバーにはコミュニティーがあって、僕はその外にいました(笑い)」

東海大浦安高、中央大、そして大阪ガス入社後も、常に同学年の桐生や小池の背中を追ってきた。高校では2人との接点も増え、国際大会ではゲームをする仲にもなっていたが、実力差を痛感する場面は変わらず多かった。17年9月に桐生が日本人初の9秒台をたたき出した日本学生対校選手権も、同じレースを走っていた。

「桐生、小池、日吉…。みんなに勝ちたい気持ちはずっとあります」

迎えた今季。2月に英バーミンガムで行われた室内競技会男子60メートルで、6秒54の室内日本新記録をマーク。朝原宣治が1997年に樹立した記録を、22年ぶりに0秒01更新した。技術は大きく変えていなかったというが、オフにスタートからの1次加速でスムーズに足を動かす方法を見つけた。得意の序盤をさらに磨き、主戦場の100メートルでも記録が向上。そして、博多にやって来た。

日本選手権の決勝進出は過去1度。17年大会(大阪)で5位となったが「当時の力は出し切れた。ただ、(サニブラウン)ハキームには60メートルの時点で抜かれ、多田も速かった」と満足している様子はない。

川上は強いライバルが数多くいる、現在の男子短距離界を歓迎する。

「僕は『この世代で良かった』って思っています。モチベーションになる。100メートルが盛り上がっている中で、去年まで『役者』の中に入れていないのは、自分でも分かっている。僕も競技者としてやっている身としては(100メートルを)盛り上げる1人でありたい。盛り上がっている中でも、もっと盛り上げる役者になりたい」

さらに力を込めた。

「座右の銘は中3の時の担任に言われた『自分の人生、自分が主役』です。(今後も同世代を)ずっと追いかけていく、追いつきたい気持ちは変わらない」

2年前の決勝は追い風0・6メートルでの10秒38。成長を証明し、同学年のライバルたちと競い合う舞台が、まもなくやってくる。【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大とラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当し、平昌五輪ではフィギュアスケートとショートトラックを中心に取材。

19年6月27日、陸上日本選手権男子100メートル予選 1着で予選を通過した川上拓也(右)と2着のケンブリッジ飛鳥(右から2人目)
19年6月27日、陸上日本選手権男子100メートル準決勝2組を1位でゴールしたサニブラウン(中央)。左は川上(撮影・鈴木みどり)
ラグビーW杯がやってくる

ユニホームに「長崎タータン」使用/スコットランド

<公認キャンプ地(4)長崎市>

日本のライバルになるスコットランド代表は、長崎市で大会期間中に合宿を行う。アバディーン市と友好関係がある長崎市には、スコットランド特有の格子柄をアレンジした「長崎タータン」がある。スコットランド代表は、このチェック模様をユニホームに入れることを決めた。長崎市の関係者は、1次リーグ突破をかけて戦うことになるかもしれない日本-スコットランド戦で両チームを応援する。

  ◇   ◇   ◇  

今年4月、長崎市にビッグニュースがもたらされた。同市は10年にスコットランド北西部の「アバディーン市」と友好関係を結び、交流を続けてきた。スコットランド協会のマーク・ドットソンCEOが来日し、「長崎タータン」を同代表のユニホームの襟の裏につけて臨むと発表した。

県選抜チームのユニホーム(長崎市スポーツ振興課提供)

「タータン」はスコットランド特有のチェック柄の模様。長崎タータンは、16年8月にスコットランドのタータンを管理する協会からデザインを寄贈された。県ラグビー協会のカラーである緑をベースに、市の花であるアジサイをイメージした紫を入れて作られた。中高生や県選抜のユニホームに取り入れられており、ネクタイやハンカチなどを県内の試合で販売している。長崎市スポーツ振興課の山戸俊一さん(30)は「意味のあるタータンなのでうれしい。長崎市のレガシーです」と語る。

長崎市は、全国で最初に事前キャンプ地に内定した。15年イングランド大会で現地の子どもたちとラグビーの試合を行うなど長崎をPR。同年12月にドットソンCEOらが視察に訪れ内諾した。交流のきっかけは1859年に訪れたグラバー氏にまでさかのぼる。同氏は西洋式ドック(造船のための設備)を建設し、造船の街としての礎を築くなど長崎市の発展に貢献。現在庭園として公開されているグラバー邸は、従業員の制服やごみ箱にタータンのデザインが入り、国の重要文化財に指定されている。母国の人物を今もたたえる長崎市に同協会が感銘を受け、現在もラグビーを通じて文化を共有し合っている。山戸さんは「(スコットランドの)協会の人たちが長崎にラグビーを広めようとしてくれて本当にありがたい」と話した。

9月中旬に来日するスコットランド代表の選手たちはペーロン(手こぎの船)に乗って子どもたちと交流する。平和公園と原爆資料館も訪れる予定。出迎えの準備も進んでいる。のぼりやポスターはもちろん、市内小中学校にラグビーコーナーを設け、給食でスコットランドの料理を食べる。イベントも計画中だ。「まだ認知度が低いので子どもからお年寄りまでもっと広めていきたい」と山戸さん自らスポンサー集めに県内を奔走する。

ワールドカップの1次リーグ最終戦(10月13日)では日本と対戦する。決勝トーナメント進出をかけた一戦になるかもしれない。市内ではパブリックビューイングを予定しており、山戸さんは「ほとんどの人が日本の応援になると思うけど、私たちは両チームを応援します」と話す。長崎市は複雑な思いを胸に、スコットランドの旗を振りながら両チームの突破を願っている。【松熊洋介】

ラグビーW杯がやってくる

「温泉」押せ推せ!タトゥー万全対策/NZ、豪など

<公認キャンプ地(3)大分県別府市>

ニュージーランド、オーストラリア、ウェールズ、カナダを、別府市が公認キャンプ地として迎え入れる。大勢の外国人観光客をもてなすために、名物の「温泉」を世界へアピール。1月に動画サイト「You Tube」に投稿したPR動画の再生数は15万回を超えた。日本と海外で考え方に差のある、タトゥーへの配慮も万全だ。

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湯上がりの男が腰にバスタオルを巻き、上半身裸で走りだす。迫り来る市民をステップでかわし、警察に「タックル」されたかと思えば華麗な「オフロードパス」。ボールに見立てた湯おけを落とせば、砂風呂に隠れていたレフェリーから「ノックオン」をコールされ、駅前で「スクラム」を組む。そんなラグビーと温泉を掛け合わせた動画「NO SIDE」が注目されている。

別府市役所が動画サイトYouTubeに投稿した動画「NO SIDE」のワンシーン

同市役所のラグビー・ワールドカップ(W杯)推進課の森修二郎さんが発起人となり、企業からアイデアを募って完成させた。森さんは「せっかく海外から大勢のお客さんを受け入れるのだから、温泉を使わない手はありません」と名物で直球勝負。世界での反響も大きく、市内の宿泊宿は順調に予約で埋まってきているという。

動画「NO SIDE」のワンシーン

年間外国人観光客の9割がアジア圏から。一方で欧米からは数千人程度だというが、W杯期間中だけで数万人を見込んでいる。そこで懸念されるのが「タトゥー」問題。欧米ではファッション的位置づけであり、ニュージーランドのマオリ人にとっては伝統的な文化の1つ。そんな観光客をがっかりさせないための工夫もばっちりだ。

外国人観光客向けの温泉サイト「ENJOY ONSEN」を企業と共同作成した。サイト内には温泉にまつわる情報が英語で記載されている。その中に「タトゥーがあっても入浴可能な100の温泉」と題した地図を作成。グーグルマップ内に入浴可能なアイコンが表示され、大浴場に入浴可能な温泉は水色、貸し切り湯のみはオレンジ色、足湯・手湯は青色と一目で分かる。森さんは「せっかく来てもらってがっかりさせたくないですから」と受け入れ態勢を整えている。

強豪チームのキャンプ地にもなっているだけに、長期にわたって熱を帯びそうだ。「大会を盛り上げるのはもちろん、これを機にリピーター客も増やしたい」ともくろむ。母国に帰国しても“湯冷め”させないほどの、熱いおもてなしの準備は整っている。【佐々木隆史】

チアの木曜日

ビッグブルーチアリーダーズ 桜梅桃李で咲かせる華

今週はアメリカンフットボールXリーグの強豪IBM BigBlueの専属チア「BigBlue Cheerleaders」(BBC)を紹介する。JAPAN X BOWLでは2年連続して富士通に敗退。その悔しさを胸に頂点を目指すチームを、BBCがファンと一体になって盛り上げる。元NFLチアリーダーの松崎美奈子さんがリポートする。

日本一を目指すチームにエネルギーを送る「BigBlue Cheerleaders」

「桜梅桃李(おうばいとうり)」。古くから日本に伝わるこの言葉が、BBCが創部以来掲げているチーム理念だ。メンバー1人1人が内面からの輝きを大切にし、独自の華を咲かせることを目指している。

BBCにはダンスやチアリーダーとして、さまざまな経験を持つメンバーが集まっている。力強くセクシーな華、元気で爽やかな華、愛らしいかれんな華、笑顔が満開の華、大きな声でリーダーシップを発揮する華-。個性や得意なものを生かしながら、自身の魅力を開花させている。

チームイメージは「Cool & Beauty」。香りや輝きはそれぞれだが、チームになると「凜(りん)とした美しさ」を保ち、一致団結する。使用する曲も50曲ほどあり、ヒップホップやジャズ、ポンポンを持つダンスなどバリエーションが豊富なことも特徴。毎試合新しいダンスを取り入れながらファンを楽しませるパフォーマンスを披露する。

ポンポンを持って踊るキャプテンKana

キャプテンのKanaは「個々の個性を大切にしつつも、BigBlue Cheerleadersとしてまとまりのある華が咲き誇る、そんなチームを目指しています。日本一を目指す中で、それにふさわしいチアリーダーになれるようにと口に出し、自分を鼓舞しています」と話す。

バイスキャプテンMaika

IBMは日本社会人選手権JAPAN X BOWLに過去3度出場(14、17、18年)したが、いずれも富士通に敗れ、惜しくも準優勝。今月17日に行われた東日本社会人選手権決勝パールボウルでも、オービックに敗れて準優勝。今年こそ、優勝という大輪の華を咲かせるために、チームとBBC、ファンが1つになる。

◆BigBlue Cheerleaders(ビッグブルーチアリーダーズ)1993年創設。ホームグラウンドは筑波大。メンバーは12人で、社会人を中心に構成。トライアウトを年に2回行いメンバーを決定。週に2回、約3時間の練習を都内で行う。IBMの試合応援以外に、チームのPRを目的としたイベントやボランティア活動を年間通して行う。

松崎美奈子さん

◆松崎美奈子(まつざき・みなこ)元NFLセインツのチアリーダー。管理栄養士。帰国後はキッズやジュニア向けの「チアと食育講座」を開いたり、チアリーダーたちを取材し、多くの人を笑顔にする「チアアップマインド」を発信している。

We Love Sports

“e”はエンターテインメント 気軽に熱く大きな夢

ライトアップされたステージ上には、2つの長テーブルが並んでいた。4人ずつに別れて座り、視線を下に向ける選手たち。知恵を振り絞り、狙いを定めて指を動かすと、巨大モニターにプレー画面が映し出された。

固唾(かたず)をのむ選手らが、握りしめているのはスマホ。勝負を決めるファインプレーが出ると、スポーツ観戦さながら約460人のファンらの大歓声が会場中に響き渡った。

モンストグランプリ2019アジアチャンピオンシップの台湾予選大会の試合の様子

モンストグランプリ2019アジアチャンピオンシップの台湾予選大会の試合ステージ

舞台は台北。人気スマホアプリ「モンスターストライク」のアジアNO・1を決める「モンストグランプリ2019アジアチャンピオンシップツアー」台湾予選が、5月26日に行われた。優勝したチーム「邊縁肥宅」が、7月13、14日に千葉・幕張メッセで行われる決勝大会への進出を決めた。

モンストグランプリ2019アジアチャンピオンシップの台湾予選大会で優勝したチーム「邊縁肥宅」

「モンストグランプリ2019アジアチャンピオンシップ」は、株式会社ミクシィが主催する大会で、過去4回は「チャンピオンシップ」として日本国内だけで行われていた。そして今大会から初めて海外のチームが参加。台湾の他に香港でも予選大会が行われ、国内外7カ所で行われた予選を勝ち抜いた計10チームが、7月の決勝大会でアジア初代チャンピオンを決める。

スマホアプリ「モンスターストライク」は、株式会社ミクシィ内のブランド「XFLAG」が提供している。13年10月にリリースしてから、今年の4月までで世界累計利用者数が5000万人を突破した大人気アプリゲーム。味方のモンスターを引っ張り、おはじきやピンボールのように敵に当てて倒して遊ぶゲーム。操作性も簡単で誰でも気軽に遊べることができる。大会では2チームに分かれて、ステージをクリアするスピードで競い合うが、1人でも十分に楽しめるゲームになっている。

指やタッチペンでスマホ画面上の味方モンスターを引っ張って、相手にぶつける。単純な動作だからこそ、さらに夢は広がる。XFLAGモンスト事業本部の鶴見彩子氏は「今後はもっと多くの障がいのある方にも遊んでもらいたいと思っています」と話す。例えば、手が動かせなくても口でタッチペンを使うことができるかもしれない。携帯1つあれば気軽に遊べるため、家でも、ベッドの上でも、車いすに乗りながらでも、どこでも遊べるのではないか。そう鶴見氏は考える。

またライブエンターテインメント事業部の比奈本真部長は「eスポーツの“e”はエレクトロニックの“e”ではない。エンターテインメントの“e”だ」と力説。eスポーツは誰もが気軽に楽しめることができ、まだまだ多くの可能性を秘めているスポーツだと考えている。7月の決勝大会は、優勝賞金4000万円で賞金総額は1億円と夢がある。大会会場も派手なライトアップや音響設備が施され、さながら人気アーティストのライブ会場のような雰囲気が漂う。エンターテインメントの要素がふんだん盛り込まれる予定だ。

モンストグランプリ2019アジアチャンピオンシップの台湾予選大会の会場に詰めかけたファン

日本は他の先進国に比べると、まだまだeスポーツへの関心や社会的地位は高くない。だが台湾では17年にeスポーツが国の正式なスポーツ産業として認可。プロの選手がグッズの広告として登場するとすぐに完売するなど、社会的地位が高く、同じアジアとして日本の手本になる部分も多そうだ。

「eスポーツはスポーツではない」という声が、国内ではまだ多いのが現実。例えば野球やサッカーなどのように、泥まみれになりながら、過酷な練習に耐え、自分の限界に挑戦するような競技に比べれば、たかがゲーム、と認識されるのもおかしくない。だが強度は違うかもしれないが、eスポーツのプロ選手も長時間の練習や何日もかけて緻密な作戦を練り、勝つために努力を惜しまない。

そして大会会場も、野球やサッカーなどの試合と同じように、ファンの熱気やエンターテインメントに富んだ雰囲気がある。百聞は一見にしかず。7月に千葉・幕張メッセで行われる大会で、eスポーツの熱気を体験できる。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

モンストグランプリ2019アジアチャンピオンシップの台湾予選大会の会場の様子

モンストグランプリ2019アジアチャンピオンシップの台湾予選大会で優勝したチーム「邊縁肥宅」
ラグビーW杯がやってくる

郷土料理のW杯給食で文化交流/南ア、ジョージア

<公認キャンプ地(2)静岡県御前崎市>

「公認キャンプ地」シリーズ第2回は静岡県御前崎市。過去2回の優勝を誇る南アフリカとジョージアを受け入れる。なじみが薄い両国の文化を学ぶために、幼稚園や小中学校の給食で「ワールドカップ(W杯)応援メニュー」と題した郷土料理を提供している。

  ◇   ◇   ◇  

6月上旬、学校給食の献立表に一風変わった“珍品”が登場した。ソフト麺、牛乳、ナポリタンソース、キャベツとコーンのサラダ、果物の定番メニューに加え…オジャクリ。ジョージアの代表料理で、ジャガイモや豚肉などを塩こしょうで炒めたものだ。「これ何? 見たことない」「おいしい」。教室ではこんな声が飛び交い、児童たちは笑みを浮かべながら珍味に舌鼓を打った。

6月に提供されたジョージアのオジャクリ(上段右)(御前崎市提供)

ジョージアのオジャクリが提供された6月の献立(御前崎市提供)

昨年8月、御前崎市が南アフリカとジョージアの公認キャンプ地に決まった。市は、子供たちが両国の文化に親しめるようにW杯給食を企画。給食センターの栄養士がインターネットで調理方法を調べて、試作を繰り返した。食べやすいように日本風のアレンジも加えた。今年1月から大会期間中の10月まで月1回実施し、市内の幼稚園5園と小中学校7校(計約3200食)に両国の郷土料理を交互に提供する。4月には、南アフリカの国民食「ボボティ」を献立に加えて、好評だった。牛肉入りグラタンのような仕上がりで、おかわりする児童らが続出したという。市商工観光課の増田智明氏(25)は「両国を身近に感じるには、分かりやすい食が一番。学校給食を通じて、W杯の機運醸成にもつながると信じている」と期待した。

御前崎市役所のロビーのW杯特設展示スペース(御前崎市提供)

商工観光課の職員が毎週水曜日に着ているオリジナルポロシャツ(御前崎市提供)

市民への認知度向上のため、市役所ロビーには両国の代表ユニホームを始めとする特設展示スペースも設置。商工観光課の職員10人は、自費購入した静岡県製作の赤のオリジナルポロシャツを毎週水曜日に着用してアピールする。背中には、日本対アイルランドなどエコパスタジアムで行われる試合日程が記載されている。増田氏はこう願う。「世界のトップ選手が訪れる貴重な機会。積極的に交流を図り、開催都市だけでなく、御前崎市も覚えてもらいたい」。約3万2000人の小さな街の大きな挑戦が始まる。【峯岸佑樹】

ラグビーW杯がやってくる

02年W杯で縁 同じおもてなしを/アルゼンチン

<公認キャンプ地(1)福島県>

今週はワールドカップ(W杯)に出場する20チームが、大会期間中に過ごす「公認キャンプ地」(23都道府県、61自治体)を紹介する。第1回はアルゼンチン代表を受け入れる福島県。02年にサッカーW杯日韓大会で同代表と縁が生まれ、17年後のラグビーW杯につながった。

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02年サッカーW杯日韓大会でアルゼンチン代表をもてなした福島県の熱い思いが、地球の裏側に届いた。ラグビーW杯の日本開催を知った福島県企画調整部のメンバーは、日韓大会時の資料を組織委員会に提出し、公認キャンプ地に立候補。これを読んだアルゼンチンのラグビー協会が同県を再び選んだ。同課の今里英生氏(54)は「当時から携わっていた人たちはとても喜んでいます」と話した。

02年日韓大会の練習会場はJヴィレッジ。11年3月の東日本大震災で、事故のあった福島第1原子力発電所から約20キロの距離にある。県内には被害のあとが残る場所もある中で選ばれたことに今里氏は「来年は東京オリンピック(五輪)もある。風評被害もあった中、スポーツができるということをアピールしたかった」と話した。

福島県川俣町で毎年10月に行われている「コスキン・エン・ハポン」(開催事務局提供)

実は以前からアルゼンチンとの交流を図っていた町がある。市内から20キロほど離れた人口約1万3000人の川俣町では75年から毎年10月に、国内最大級の中南米音楽祭「コスキン・エン・ハポン(日本のコスキンの意)」を開催している。同国のコスキン市で行われる音楽祭にならい、ケーナ(竹製の縦笛)などの音色を響かせて「コンドルは飛んでいく」などの曲を演奏するもので、現在は開催は40回を超え、3日間でのべ6000人が訪れる。

ケーナの音色はアルゼンチンでは誰もが知っており、日韓大会ではJヴィレッジで演奏した。「コスキン-」の斎藤寛幸事務局長(63)は「バティストゥータ、オルテガら選手たちは大喜びだった。その後も日本での試合にツアーを組んで見に行ったこともある」と話す。同町には今でもアルゼンチンの文化が根付いている。

ラグビーW杯でも同じおもてなしで出迎える。斎藤氏は「地球の反対側に来て、自国の音楽でお祝いされたらうれしいと思う」と語る。音楽祭の行われる10月は大会の真っただ中。「みんなで応援に行ったり、パブリックビューイングで盛り上げて、音楽祭につなげたい」と意気込む。さらに同町では8月1日を「アルゼンチンの日」として大使館の人を講師に迎え、小学生中心に、文化、風土などを教えるイベントも行う。

福島にまたアルゼンチン代表が来ることに斎藤氏は「縁がありますね。日本でアルゼンチンを応援している町はあまりないと思う。スポーツや音楽に国境はない」と話している。【松熊洋介】

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狭き門の東京五輪チケット 秋以降のチャンス狙おう

落選を知らせる五輪チケット公式サイトの画面

東京オリンピック(五輪)チケットの当選結果が20日に発表された。当たって喜ぶ人もいるが、外れて残念がる人も。大会組織委員会は「今後の販売戦略もあるので」と販売枚数や当選倍率など一切明らかにしていないが、周囲には「なんだよ。ちっとも当たらないじゃないか」と毒づく友人が多かった。

「狭き門」だったことは間違いない。チケット申し込みのための大会ID登録者は約750万人もいた。チケット総数は招致段階で780万枚と、ほぼ登録者と同じ。登録者全員が1人10枚申し込めば、単純計算で当選確率は10分の1。最大の30枚申し込んだとすれば、30分の1になる。

今回は国内一般用で、実際に販売されたチケットは海外分やスポンサー分などを除くもの。過去大会の例では7~8割と言われている。さらに、開閉会式や陸上、競泳の決勝など人気競技に申し込みが集中したことで、倍率は高くなった。「宝くじ並み」とまではいわないが、当たりにくかったことは間違いない。

「もう、いいよ。東京五輪なんか見にいかない」と怒り交じりに言い放つ友人を「まあまあ、そう言うなよ」となだめる。「2次募集はあるの?」と聞かれるなど、今回の抽選がチケット確保の唯一の機会だと思っている人は多い。だが、販売は第1弾が終わっただけ。まだチャンスはある。

秋以降には、先着順販売が始まる。すべての国内一般向けのチケットが抽選販売の対象だったため、基本的には売れ残りが対象になる。もっとも「今後の販売状況や席の配分を再検討するなどで、新たなチケットが出てくる可能性はある」と組織委員会。意外な「人気競技」が販売されるかもしれない。

さらに、来春以降は窓口での一般販売も始まる。ここまでに残ったチケットのみの扱いになるが「何でもいいから五輪を見たい」という人にとっては、貴重なラストチャンスになる。

また、来春以降には「公式リセールサービス」もある。転売を厳しく禁じられているチケットだが、何らかの理由で行けなくなった場合に公式にリセールされるというもの。開閉会式などとんでもない掘り出し物が見つかる可能性も0ではない。

ただ、今回サイトがパンクしたように、先着順販売や公式リセールには、希望者が殺到する可能性が大。単純に先着順にするのか、何かしらの対策を講じるのか、今後検討される。世界選手権など単独競技の国際大会にはない魅力がある五輪。競技だけでなく、周囲の盛り上がりなども一見の価値はある。子どもなら、数十年後も胸を張れる経験になるはずだ。「どうしても五輪が見たい」なら、次のチャンスにかけよう。【荻島弘一】

ピッチマーク

4日間回って奥深さに触れた本場米国のゴルフ文化

「4日間よく歩いたな。ゴルフが好きになっただろう?」。ゴルフの全米オープン選手権が行われた米カリフォルニア州ペブルビーチ・ゴルフリンクスの18番ホールのスタンド裏で、青木功プロからねぎらいの言葉をかけていただいた。第1日から、記者は連日松山英樹(27=LEXUS)に18ホール付いて回った後に、本社コラム「青木功のグリーントーク」の取材をするのが日課になっていた。

毎日同じホールを18番まで回るのが、仕事とはいえ最初は苦行に思えた。しかし、回っていくうちに、海に面した美しい風景や、ギャラリーの人々の楽しそうな顔に、こちらも歩くのが楽しくなった。第3日には日本から来た老婦人に「ずっと松山さんに付いていらっしゃるのね。ご苦労さま」と声を掛けられた。そのご婦人とは最終日まで何度もお会いして、笑顔であいさつを交わした。

コースを回っているうちに、ギャラリーの歓声で、近くのコースでも、選手のショットの良しあしが分かるようになってきた。グリーンに乗っても、バーディーを狙えないほどカップまでの距離が長いと、拍手もない。いいショットをすれば誰であろうと大歓声が待っている。パットを外すと、スタンド中が自分のことのように悔しがる。「回っていると、ギャラリーの声で、上位の成績が分かったりするんだ」と青木プロも話していた。

コースの中では、6番ホールが好きだった。海に臨む崖沿いにつくられていて、第2打は海に突き出た岬のようなところにあるグリーンに打ち上げる。松山が最終日にダブルボギーを打ったコースだった。第1打を右の崖沿いのプレーできない場所に打ち込み、第2打もグリーン横の深いラフでペナルティー。海と風。大自然にあらがうようにプレーした松山は「海が怖かった」と思わず本音を漏らした。

本場米国で、しかもビッグゲームを初めて取材して、当たり前のことだろうが、ゴルフが文化として根付いていることを感じた。ギャラリーも楽しみ方は人それぞれ。家族でピクニックのように来ている人もいれば、誰かを応援に来ている人もいる。毎日最終組は午後7時ごろのホールアウトだったが、最後まで見ないで引き揚げる人も多数いた。初めての体験だったが、ゴルフの奥深いところにちょっとだけ触れた気がした。【桝田朗】

(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)

We Love Sports

八村塁、NBA入りでも変わらぬ旧友との付き合い

明成を優勝に導いた左から富樫洋介、三上侑希、八村塁、納見悠仁、足立翔(2015年12月29日撮影)

NBAドラフト1巡目、全体9位でウィザーズから指名を受け、一気に世界に注目されるようになった八村塁(21)が最近はまっているのは恋愛バラエティー「テラスハウス」だった。宮城・明成高の同級生で現在中大バスケットボール部に所属する足立翔(4年)は「この前連絡したら、向こうの友だちに広めているみたい。結末を先に教えるのはNGです」と笑って話した。

普段はいたって陽気な性格。寮生活も仲間とゲームをしたり誰とでも仲良く話すごく普通の青年だ。W杯アジア予選で八村が帰国した際に足立と一緒に食事をした同大の三上侑希(4年)は、その時のことを「バスケの話はしたけど、あとはあまり…」と話す。たわいのない会話で内容はほとんどで覚えていないという。八村にとっても2人にとっても普段から仲のいい親友と会っただけのこと。会計も割り勘だった。

それでも八村はバスケットに関してはまじめだった。高校入学時は控えめで目立つ存在ではなかったが、半年ほどで頭角を現した。動画などよく見て熱心に研究し、まじめに練習に取り組み、飛躍的に成長した。オンとオフがはっきりしていて、試合会場に入ればスイッチが入り、写真やサインなどを断る場面も。三上は「技術の伸びが尋常じゃなかった。チームメートを鼓舞したり、1人で30点以上取る試合もあった」とすごさを語る。

仲のいい友人が世界で注目されるスターになった。足立は「昔から有言実行。言ったことは必ず成し遂げていた。ずっと抱いていた夢を実現するのはすごい」と褒めた。三上は「次はごちそうして欲しいですね。米国に試合を見に行きたい。チケットくれないかな」と、4億円プレーヤーにちょっとだけおねだり。これから厳しい世界に飛び込んでいく八村だが、青春時代を過ごしてきた親友との付き合いが今後も変わることはない。【松熊洋介】