日刊スポーツ

沢木敬介の解説

日本代表、キック処理改善と単純ミス減を/沢木敬介

後半、相手と競り合うWTB松島(2019年9月20日撮影)

開幕のロシア戦に30-10と快勝した日本代表だが、前サントリー監督の沢木敬介氏(44)はあえて厳しく課題点を挙げた。

ボーナスポイントを加えて勝ち点5を獲得したことと、選手たちがW杯の怖さを意識したことを評価しながらも「キック処理のまずさ」と「単純なミスが多過ぎた」ことを指摘。アイルランド戦に向け、修正を期待した。

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4トライでボーナスポイントを含めて勝ち点5を獲得できた。さらに、選手たちが試合に満足せず、反省点を挙げていたこともポジティブだった。選手たちがワールドカップ(W杯)の難しさを分かっただけでも、大きな収穫。いいゲームではあった。もっとも、試合内容は手放しで喜べるものではなかった。修正すべき点があった。

(1)キック処理 これまでも課題と言われていたが、次のアイルランド戦に向けて改善しないといけない。キックメーター(キックでの獲得距離)は、日本の933メートルに対しロシアが1060メートル。キャリー(ラン)では相手の289メートルに対して653メートルと圧倒していただけに、処理ミスでのキックの劣勢が目立った。

次のアイルランドはもちろん、今後対戦するチームはコンテストキック(ボール獲得を競り合うハイパント)を多用してくるはず。まず、相手のキッカーに対するプレッシャーを徹底すること。キックの出どころを封じて、その精度を落とさせることが重要になる。

さらに、修正すべきはキャッチする選手のポジショニング。相手のキックを予測して、いち早く落下点に入ること。いいキャッチができるポジションに先に入ればミスも減る。わずか1週間でキャッチング技術を向上させるのは無理だが、相手キックを「予習」してポジショニングを修正できれば処理は安定する。

(2)ハンドリングエラー 日本は単純なミスが多かった。前半、日本は60%以上をロシア陣で戦った。相手陣22メートルラインを超えたエリアで30・4%もプレーしている。苦しんだのは、攻め込んでもミスでチャンスをつぶしていたから。ハンドリングエラーを減らすことも今後への課題になる。

試合後のリーチの話によれば、ボールがかなり滑ったとのこと。今大会のボールはグリップ力が増すように突起を単純な円ではなく星形に変え、数も増やしている。ハンドリングを安定させるためだが、汗などで水分を含むとスリッピーになることは変わらない。

自分だったら、水にぬらすなどボールを滑る状態にしてトレーニングをする。スリッピーなボールに慣れる準備も必要だ。アイルランドなど強豪国相手では、ボールを失うだけでなく1つのハンドリングエラーが失点に直結する。開幕戦でプレッシャーがあったのかもしれないが、単純なミスをしていては苦戦は免れない。まずはミスを減らすことを考えないといけない。

松島は調子がいい。3トライはすごいが、まあ想定内です。このくらいやるイメージはあったし、できる能力はある。後半から入った選手たちも、いい仕事をしていた。次のアイルランド戦に向けて、ポジティブな要素はある。ただ、世界ランキング1位のアイルランドが強いことは間違いない。勝つこと、たとえ敗れても確実にボーナスポイントを稼ぐこと。それができれば、また楽しい日本代表の試合が見られることになる。

後半、相手を華麗にかわしトライを決めるWTB松島(2019年9月20日撮影)

We Love Sports

梨紗子連覇から川井姉妹の五輪に 元代表の母も安堵

3位決定戦に勝って歓喜の涙を流す川井友(撮影・阿部健吾)

リオデジャネイロ五輪レスリング女子63キロ級金メダリストの川井梨紗子(24)が開催中の世界選手権優勝で東京五輪の代表に内定した。妹の友香子(22)も62キロ級3位で代表内定。「姉妹で五輪」をスタンドで見守ったのは、30年前の89年世界選手権日本代表の母初江さん(49)だった。

「今回は姉妹そろっての五輪出場が、川井家としての目標だから」。世界選手権に出発する前、初江さんは言い切った。「リオは梨紗子の五輪だったけれど、今度は2人の五輪」と話した。

正反対の性格の姉妹だ。「梨紗子は負けず嫌いで、何でもストレートに言う。友香子は読書や手芸が好きで、じっと考えるタイプだった」と初江さん。ともにレスリングを始めたのは小2だが「最初、友香子はやらないと思っていたし、始めてからもいつ辞めるかと思っていた」と話した。

姉を追って至学館高に入学した。ケンカをすると、すぐに2人から連絡が入った。「つまらないことでケンカしていた。でも梨紗子がいて友香子も心強かっただろうし、梨紗子も妹がいることで頑張れたと思う」と、高校生から離れて暮らす2人の成長を喜んだ。

レスリングを始める前の川井3姉妹。左から6歳の梨紗子、3歳の友香子、2歳の優梨子

2人に教えたのは「攻めることの大切さ」。金沢クラブで指導していた初江さんは「特に2人に言っていたわけではなく、私の口癖が『攻めなければレスリングじゃない』だった」。父の孝人さんも元選手、がむしゃらに前に出るスタイルでグレコの学生王者になった。「攻めのレスリング」は両親から受け継いだ。

ただ、友香子にだけ言っていたこともある。思慮深いだけに、悪いことも考える。弱気な言葉をはくことも多かった。「自分の言葉は自分の耳にも入る。弱気な言葉が弱気にさせる。思っても口には出すな、って何度も言いました」。初江さんはポジティブなことを口にするように言った。

今夏、世界選手権代表に向かう姉妹と撮った家族写真。左から友香子、父孝人さん、優梨子さん、梨紗子、母初江さん

当初は「2人そろって五輪に」という思いはなかった。リオデジャネイロ五輪に梨紗子のパートナーとして帯同した友香子は、姉の金メダル獲得直後「私も出たい」と言ったという。その日から東京五輪は「梨紗子の連覇」の大会ではなく「2人の大会」になった。

初江さん自身も目指していたのは五輪出場だった。しかし、実際に女子が五輪種目となったのは04年アテネ大会から。自分の夢がかなわなかったからこそ、五輪への思いは強い。「リオは終わったこと。今は東京だけを考えている」。まずは「姉妹で出場出場」という目標を達成した。次は「姉妹で金」。梨紗子と友香子、そして初江さんの目は来年の東京に向く。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

ラグビーW杯がやってくる

落選山本幸輝の「ビクトリーロード」友に残した思い

20日開幕のワールドカップ(W杯)に臨む日本代表には、チームソング「ビクトリーロード」が存在する。映画「耳をすませば」の主題歌「カントリーロード」の歌詞を、チームの歩みに変換。ムードメーカーのプロップ山本幸輝(28=ヤマハ発動機)が選曲と歌詞を担当した。W杯登録メンバーは31人。大会直前に落選した山本は、戦友たちへ思いを託した。

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8月28日、北海道・網走市。背中に「JAPAN」と記されたシャツを着た日本代表が、互いの存在を確認し合うように手拍子を始めた。先頭を切る山本の声は、わずかに震えていた。

♪ビクトリ~ロ~ド♪…

室内練習場に響く声を、続いて全員が包み込んだ。

♪この道~、ず~っと~、行けば~、最後は~、笑える日が~、来るの~さ~、ビクトリ~ロ~ド♪…

前日午後6時、宿舎内のミーティングルームに合宿参加の41人が集められた。2日後に世間へ知らされるW杯登録メンバー31人。その内部発表だった。耳をすませた山本の名が、スタッフに呼ばれることはなかった。どれだけ厳しい練習の後も円陣を作り、締めを担当する山本のかけ声で笑い合ってきた。だが、この時だけは違った。落選した10人はチームの全員と固く握手し、抱き合った。山本も整理しきれない複雑な感情を抱き、自室に向かった。

3月、日本代表候補合宿で円陣を組んでチームソングを熱唱する選手ら

エレベーターでは居合わせた仲間から「お疲れ!」と声をかけられた。その中で33歳の堀江が言った。

「おい、幸輝。俺は何も言わへんけどな」

山本は軽く会釈をし、エレベーターを降りた。1人になったはずが、後ろを堀江がついてきた。部屋で2人きりになると、公私で慕う先輩から切り出された。

「よぉやったよ、お前。ほんまに…。よぉやった」

涙がこぼれ出た。堀江の肩を押しながら「はよ、帰ってくれ~」と強がったが、あふれるものは止まらなかった。日本の誇りを胸に抱き、何度も隣でスクラムを組んできた。いつも励まし合い、歯を食いしばって走ってきた。そんな先輩の心遣いが、うれしかった。

山本 こういうのが「家族やな」と思った。代表はいろいろなチームから集まってくる。テーマは「ONE TEAM」。それが本当にできたんだと思った。

16年に代表入りし、初めはアピールで精いっぱいだった。「最初の2年間はチームのためというより、自分のため。選手の多くがそんな感じだった」。現体制の特徴の1つが半数近い外国出身選手。そんなチームを結束させる仕掛けに歌が用いられた。15年W杯イングランド大会では、ニュージーランド出身のツイが担当。ボブ・マーリーの「バッファロー・ソルジャー」の替え歌を作っていた。

今年2月、山本は東京で行われた日本代表候補合宿に参加していた。そこで偶然目を通した記事には「山本幸輝に(曲作りを)依頼している」とあった。リーチ主将のコメントに驚き「聞いてへん!」とツッコミを入れながら「やるしかない」と奮い立った。

同部屋は15年W杯代表の三上正貴だった。ベッドに寝ころびながら「みんなで歌いやすい歌」を1週間近く考え込んだ。2人でひらめいたのが「カントリーロード」。そこに代表の歩みが重なる歌詞をつけた。2学年下の流に披露すると「2回り目、3回り目とテンポを上げましょう」と提案を受けた。本気で曲作りに向き合った理由があった。

山本 代表にリーダーグループができて、みんながすごく引っ張ってくれていた。自然と「このチームのために何かしたい」という気持ちになった。そうやって「みんなで勝ちたい」という結束力が高まり、いいチームになっていった。

選手としてW杯に出られない悔しさはある。それでも所属先の静岡に戻り、今月6日の南アフリカ戦をテレビ観戦する自分がいた。

山本 今までの自分なら多分、他の選手の活躍が悔しくて見られなかった。でも、今の日本代表は本当に応援したい気持ちになる。

網走で歌った最後の「ビクトリーロード」は複雑だった。葛藤がありながら「最後の大仕事やな」と腹を決めた。声を張った。桜のジャージーを着られず、涙した1人として伝えたい。

山本 費やしてきた時間は全然無駄じゃなかった。感謝の気持ちがある。残ったメンバーは、チームのために頑張れる人たち。何とか、結果を残してほしい。

31人には歴史を変えるチャンスがある。力強い結束がある。最後に笑える日は、必ず訪れる。【松本航】

プロップ山本幸輝

◆山本幸輝(やまもと・こうき)1990年(平2)10月29日、滋賀・野洲市生まれ。小1で野球を始め、野洲中2年の終わりにラグビーへ転向。八幡工を経て近大。4年の最後にジュニアジャパン入り。13年にヤマハ発動機入社。16年11月アルゼンチン戦で日本代表デビュー。通算7キャップ。181センチ、118キロ。

沢木敬介の解説

バック3のキック処理がカギ 後半勝負/沢木敬介

<前回W杯代表コーチ 沢木敬介の展望>

日本ラグビー協会は18日、ワールドカップ(W杯)開幕のロシア戦(20日、味スタ)に臨む日本代表登録メンバー23人を発表した。

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最も重視すべきは、フィールドポジション。ロシア戦で大切なのは、どこで試合を運ぶかだ。ロシアの弱点は、自陣に入られた時の守り。全失点の70%は22メートルラインを割られてから奪われている。さらに、フェーズ(連続攻撃)を重ねられると弱い。日本は、ロシア陣深く入って粘り強く攻めることが重要になる。

日本とロシアの登録23人平均比較

逆に、日本陣に入れると厄介だ。ロシアのトライはセットピースからのものが多く、特にラインアウトからの攻めが得意。フィジカルでゴリゴリ来る。キックを使って陣地をとってくるだろうから、バック3(FB、両WTB)のキック処理がカギ。確実に処理し、有効なキックを使ってロシア陣で試合をしたい。

日本のロシア戦スタメン

W杯初戦、それも自国開催の開幕戦は重圧との戦いになる。通常とはまったく異なる状況で、いかに普段のプレーができるか。カギを握るのはキャプテンのリーチ。レフェリーといいコミュニケーションをとりながら、経験のない選手をリードすることだ。前半、硬くなって苦戦しても問題はない。ロシアは後半立ち上がりの失点が多い。しっかりと立て直し、後半突き放す。そういう展開になる可能性は十分にある。(前サントリー監督)

チアの木曜日

ブルーレジェンズ 多彩なフラッグパフォで魅了

激しい優勝争いを展開しているプロ野球・埼玉西武ライオンズ。その公式パフォーマンスチームが「ブルーレジェンズ」だ。西武の応援といえばフラッグ(旗)だが、彼女たちはそのフラッグを自在に使って、多彩なパフォーマンスを披露している。リーグ制覇、そして日本一へ-。選手、ファン、チアの思いは1つだ。

ライオンズの14度目の日本一を願って球場で踊るブルーレジェンズ(C)SEIBU Lions

「ブルーレジェンズ」のメンバーが手にするフラッグには、「WE ARE ONE」の文字と13個の星がデザインされている。今年、球団創立70周年を迎えたライオンズ。「13」は西鉄時代からの日本一になった回数だ。

彼女たちはチアの必需品であるポンポンを持たず、大中小3種類のフラッグを活用して球場を盛り上げる。試合前のパフォーマンスでは身長ほどの高さのビッグフラッグを全員が持ち、ダイナミックな演技を披露する。フラッグを手首で回したり、空中に投げてキャッチしたりとパフォーマンスは多彩だ。元メンバーで、昨季からディレクターを務めるYukiは「フラッグを使うことで、ファンの皆様との一体感を感じます」という。

フラッグを使った応援が特色だ

フラッグのほかにも、バトンを使った演技やバック転、バック宙などアクロバティックな演技も、それぞれのメンバーが披露している。マスコットのレオもバック転が得意で、昨季、榎田大樹投手がヒーローになった日には、背番号と同じ30回連続のバック転でスタンドを沸かせた。

ホームゲームでの彼女たちの“おもてなし”は徹底している。西武球場前駅ではマスコットのレオとライナとともに、ファンを笑顔でお出迎え。試合前のステージイベントや試合中も「バズーカタイム」「ダンスタイム」などさまざまなイベントがある。勝利時にはファンと一緒にフラッグを振りながら球団歌「地平を駈ける獅子を見た」を熱唱する。

試合前もステージで激しいダンスを披露

Yukiは「リーグ制覇、日本一に向けて、ファンの皆様とともに熱く応援していきたい」。目指すのは、ライオンズとして通算14回目の日本一だ。【元NFLチアリーダー松崎美奈子】

◆bluelegends(ブルーレジェンズ)2011年創設。メンバーは現在19人。メットライフドームでのダンスパフォーマンスやファンサービスのほか、ビジター試合や地方開催試合(大宮、群馬など)でもパフォーマンスを行う。各種メディア出演のほか、地域イベントや幼稚園訪問などのコミュニティー活動も行っている。

ラグビーW杯がやってくる

堀江翔太「体の全てを預けている男」との二人三脚

3大会連続のワールドカップ(W杯)に臨む日本代表フッカー堀江翔太(33=パナソニック)には「僕の体の全てを預けている」と語る存在がいる。15年W杯イングランド大会の約半年前の2月、首の手術を受けた。直後、京都・木津川市に治療院を構える佐藤義人氏(42)と出会った。トレーナーであり、ビーチサッカーの日本代表選手としても06年同W杯で8強。異色コンビによる二人三脚の足跡を追った。

17年10月、堀江翔太(右)のトップリーグ100試合出場を祝福する佐藤義人氏

W杯開幕まで2週間を切り、堀江が向かったのは小さな治療院だった。奈良に隣接した、緑豊かな京都・木津川市。今月8日から設けられた4日間の休養日のうち、3日間を佐藤と過ごした。最後まで体のメンテナンスにこだわり続けた。

堀江 パートナーですし、尊敬できる人。僕の体の全てを佐藤さんに預けている。佐藤さんが「そう」と言えば、僕はそうします。

始まりは4年前の15年春。W杯が半年後に迫った2月、首の手術を決断した。FW最前列で受ける衝撃が蓄積。首の骨が削れてとがり、神経を圧迫していた。約7時間の手術を乗り越えたものの、左手の握力は9キロにまで落ちた。複数の医師やトレーナーからは、決まって「W杯に間に合うかは分からない」と曖昧な答えが返ってきた。

手術から約3カ月後の5月、春に日本代表スタッフとなった佐藤に出会った。スクラムで味方のジャージーさえ握れず、ボールを扱うこともできない現状に焦っていた。素直に打ち明けると「治るよ。W杯も間に合う」と伝えられた。

堀江 「ちゃうな」と思った。みんなぼんやりとした答え。でも、佐藤さんは違った。ここまで言い切れる人はなかなかいない。「ここに懸ける」と思った。

半信半疑だった。それでも腹を決めた。佐藤から繰り返されたテーマは「中から詰めていこう」。見た目は分厚く見えていた体だが、骨格のバランスの悪さが理想の動きを妨げていた。使うダンベルは1~2キロ。地味なメニューは、時に4時間を要した。妥協は自分が許さない。佐藤が京都にいれば、毎日のように「ここ、どうしたらいいですか?」と電話を鳴らした。パナソニックの拠点である群馬から、京都へ車を走らせたことも1度ではない。

佐藤 本当に「彼氏、彼女じゃないか」っていうぐらい、常に連絡してきていた。いいかげんなことを言えば、彼のラグビー人生をダメにしてしまう。「一緒にやる」と決めた時点で、治療家生命をかける覚悟でした。互いが100%で努力しないと成り立たない。彼は心が折れて続かないようなメニューを、3~4時間かけて継続する力があった。信頼してくれるからこそ、期待以上のものを提供してあげたいと思った。

佐藤には確信があった。専門学校に通っていた21歳の頃、元サッカー日本代表中山雅史らを指導するトレーナーの夏嶋隆に出会った。治療は衝撃的だった。「何でこのケガで、こんなところを押すんだ…」。固定観念にとらわれない夏嶋の理論に影響を受けた。動作解析を繰り返し、研究を重ねた。「翔太のケガの原因は、首以外にもあった」。腕の筋肉、手首の位置、走りの癖まで、2人で徹底的に見直した。W杯のピッチに立つ目標は、本当にかなった。

堀江 9キロやった握力が30~40キロまで戻った。そりゃあもう、信じますよね。

18年7月、トレーニングを共にする堀江翔太(右)と佐藤義人氏

15年9月19日、世界を驚かせた初戦の南アフリカ戦。体を張って相手の猛攻に耐え、積極果敢に前に出て歴史的勝利をつかんだ。興奮が続く英ブライトンのピッチで、抱き合った。

W杯後も、代表スタッフから外れた佐藤と二人三脚は続いた。16年2月、スーパーラグビー「サンウルブズ」が始動。堀江は初代主将を務めたが、1勝1分け13敗に沈んだ。過密日程で左手のしびれが再発。試合前に軽く肩を当てただけで、体に痛みが走った。春が過ぎると「体がきついんで、1回来てください」と救いの手を求めた。宿泊中の都内ホテルへ佐藤が駆けつけた。

堀江 チームも勝てないし、首の調子も良くない。プレーしていても(心が)グラウンドにいなかった。

佐藤 (堀江)個人ではもうダメな領域だった。京都で試合の映像を見ているだけでも分かった。いろいろな負の要素を、一気に背負ってしまっていた。

17年春。群馬を離れ、堀江は奈良に短期賃貸マンションを借りた。佐藤の治療院に3週間通い詰めた。時にビーチへ出向き、走る際に左肘を少し外側に引く小さな癖まで見直した。下半身メニューでも重りは最高で30キロ。パワーの出力に関節周辺が耐えられなければ、再び首や膝を痛めてしまう。従来通り、体の内側からじんわりと鍛える地道な作業だった。その繰り返しでステップ、キレ、動きのしなやかさがよみがえり、進化にも至った。

昨年11月には右足首の疲労骨折で手術。4年前は手術直後に焦りを募らせたが、佐藤と描く復帰へ向けた道に不安はなかった。別メニューが続いた今年2月の日本代表候補合宿(東京・町田市)では歩行映像を撮り、その度に京都へ送った。今春の実戦復帰で、代表の中心に舞い戻った。

佐藤 出会った時、体に大きな爆弾を抱えていたけれど、それ以上に伸びしろが、たくさんあった。15年よりもむしろ、いい体になっている。一緒に頑張ってきた集大成を存分に発揮して、世界に堀江翔太のすごさを広めてもらいたい。

33歳となった今「40歳まで現役」を誓い合う。

堀江 僕1人だけでは、ここに来られていない。佐藤さんにも喜んでもらいたい。W杯で活躍する姿、日本の勝利で恩返ししたい。

3度目の大舞台。新しい歴史を切り開く準備はできている。(敬称略)【松本航】

16年4月、トレーニングを共にする堀江翔太(左)と佐藤義人氏

◆堀江翔太(ほりえ・しょうた)1986年(昭61)1月21日、大阪府生まれ。大阪・島本高、帝京大、ニュージーランド留学を経て、08年から三洋電機(現パナソニック)。09年に日本代表デビュー。現在61キャップ。13~14年はスーパーラグビーのレベルズ(オーストラリア)、16~19年はサンウルブズ(日本)でもプレー。家族は妻と娘2人。180センチ、104キロ。

ラグビーW杯がやってくる

ラグビーと外科医 福岡堅樹の人生変えた医師の支え

開幕が迫るワールドカップ(W杯)でトライ量産が期待される日本代表WTB福岡堅樹(27=パナソニック)。50メートル5秒8のスピードスターが歩んできたキャリアは、けがとの闘いだった。支えとなったのは福岡高時代に両膝の手術を受けた「まえだ整形外科 博多ひざスポーツクリニック」院長の前田朗氏(57)。日本の翼に、選手としての飛躍のチャンス、整形外科医を目指すきっかけを与えた出会いに迫った。

8月、パシフィックネーションズ杯の米国戦でWTB福岡は独走トライを決める

2010年12月30日、大阪・花園ラグビー場第3グラウンドで行われた全国高校大会2回戦。寒風が吹くピッチの右サイドで、福岡が右膝を押さえてうずくまった。対戦した大阪朝鮮高に大きくリードを許した後半17分、50メートル5秒8の快足で、ライン際を抜けようとした時だった。タックルを受け、踏ん張ろうとした膝に、体を支えるだけの力は残っていなかった。

グラウンドドクターを務めていた前田は、その瞬間をわずか数メートル先のピッチサイドで見ていた。「だめだ」。これ以上プレーできないことはすぐに分かった。「外に出なさい」。前田の声を確認すると、福岡はおだやかな表情で、うなずいた。医務室へと続く緩やかな坂道。18歳の青年は、体を預けた前田に頭を下げた。「先生のおかげで花園のピッチに立つことができました」。前田は涙をこらえ、言葉を返した。「帰ったら手術しよう」。

右膝の前十字靱帯(じんたい)断裂-。だが、この大けがを負ったのは、この日ではない。5カ月前の7月から、いつかこんな日がくることを、2人は分かっていた。

高2の夏合宿で左膝の前十字靱帯を断裂。「リハビリをしっかりすれば前と同じスピードに戻る」という前田の言葉を励みに、福岡はもどかしい日々に耐えた。ようやくピッチに戻ったのは、最終学年の5月。だが、そのわずか2カ月後に再び悪夢が待っていた。練習で足が芝に引っかかった瞬間、今度は右膝を激痛が襲った。どうにか立ち上がったものの、膝が動くはずのない左右にぐらぐらと動いた。「やばい」。焦りの中、前田のもとに駆け込んだ。告げられたのは、前十字靱帯の断裂だった。

10年12月、全国高校ラグビー本郷戦の後半終了間際、福岡WTB福岡がゴール前に迫る

前田 将来を考えて、すぐに手術した方がいい。

福岡 花園のために高校3年間やってきたんです。可能性が少しでもあるのなら、やりたいです。

同学年の布巻、松島らと比べ、全国的に名の知れた存在ではなかった。祖父が開業医で父は歯科医。幼少期からの憧れである医師を目指すため、大学でラグビーを続ける意思もなかった。だからこそ、多くの高校ラガーマンと同じように「花園」がすべてだった。手術をすれば、花園予選出場は絶望的。前田は患部の状況を何度も確認し、悩んだ末に「保存療法」を提案した。手術を回避し、周囲の筋肉を補強したりすることで「しのぐ」方法。前田は包み隠さず置かれた状況を伝えた。

「確実な方法ではないし、リスクもある。ずっと綱渡りしながらゴールに向かっていくようなもの。いつ落ちるか分からない。最後までいけたらラッキーだけど、落ちたら、その時は諦めなさい。予選で負けても、花園に行けても、大会が終われば手術だからね」

福岡はその膝で、福岡県予選の準決勝から戦列に復帰し、チームが敗れた花園2回戦まで、4試合でピッチに立った。前田は言う。

「医療において精神論はリスキー。『骨は俺が拾ってやる』は絶対にだめ。保存療法をすすめられたのは、彼自身の理解度の高さと、感情で動かず、冷静な判断ができる人間だと思ったから。正直に言うと、どこまで持つのかなという感じだった。試合のたびに、今日も持つかな…持った-。その繰り返しだった」

信頼関係のもとに成り立った前田の選択。その思いが伝わっていたからこそ、再受傷した日、福岡は感謝の思いを口にした。前田は「綱から落ちた時に、ちょうど向こう岸にたどり着いたんじゃないかな」と、しみじみと当時を振り返る。

信頼する医師の支えは、福岡の未来も大きく変えた。筑波大医学群を目指した浪人中、同学年の選手が大学で活躍する姿にラグビーへの熱がこみ上げてきた。「またラグビーがしたい。ここで挑戦しなければ後悔する」。医師を将来的な夢に変え、筑波大情報学群への進学を決意した。

天性の素質が開花するのに時間はかからなかった。20歳で日本代表に初選出。15年W杯日本代表に選ばれ、大学卒業後には強豪パナソニックとプロ契約を結んだ。そして2度目のW杯へ-。医学の道に進むため、ラグビーは20年東京五輪の7人制が最後と決めている。15人制での最後の大舞台を前に、福岡はきっかけを与えてくれた前田への特別な思いを語る。

「あの時、花園のピッチに立てていなければ、今の自分は間違いなくない。前田先生が選択肢を与えてくれなければ、代表になりたいと思うこともなかった。医学の中でスポーツ整形を目指そうと思ったのも先生の影響。けがをした不安の中、この人の言うとおりにすれば戻れるという雰囲気、安心感を感じた。W杯で活躍し、いつかは前田先生のような医師になりたい」

15年W杯南アフリカ戦前の福岡(左)と前田氏

医師として、自身と同じ医療の世界に飛び込もうとしている福岡に、前田が抱く期待も大きい。

「これからの子どもたちのためにも、彼にはラグビーと医師、2つを成し遂げてほしい。ラグビーだけ、勉強だけじゃなくていいんだって。両立じゃなく、順番にやる方法もあるんだって。今は勝手に、お父さんのような気持ちで彼が走っている姿を見ている。でも、僕は医師。何より、けがなくW杯を終えてほしい」

ラグビーと医療。運命の糸が絡みあい、日本が世界に誇るトライゲッターが生まれた。福岡は今でも膝に違和感があれば、前田のもとをたずねる。左膝の手術から10年。爆発的なスピードを生み出す両足には、1人の医師との物語が詰まっている。(敬称略)

【奥山将志】

◆福岡堅樹(ふくおか・けんき)1992年(平4)9月7日、福岡・古賀市生まれ。5歳でラグビーを始め、福岡高3年時に全国高校大会(花園)に出場。医者志望で複数の大学からの誘いを断り、1浪後に筑波大(情報学群)に進学。大学では2度の大学選手権準優勝に貢献。日本代表34キャップ。15年W杯日本代表。祖父は内科医、父は歯科医。175センチ、83キロ。

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己の道貫く角田夏実「柔道は『好き』でやっている」

友人と都内の有名タピオカ店を巡る角田夏実(左)

柔道の17年世界選手権女子52キロ級銀メダルの角田夏実(27=了徳寺大職)が14日、全日本実業個人選手権(兵庫・ベイコム総合体育館)に1階級下げた48キロ級で出場する。東京学芸大3年時以来、7年ぶりの最軽量級での挑戦となる。

27歳の柔道家が思い切った決断を下した。角田は9月某日、都内で階級変更した理由をこう説明した。「(世界選手権2連覇の)阿部詩選手と(17年世界女王の)志々目愛選手の2人が抜きんでていて、20年東京五輪代表もそのどちらかだと思っている。自分の可能性はほぼないし、だったら体重を落として48キロ級に挑戦するのもありかなと考えた」。代表3番手という現状を踏まえ、今春に所属の山田利彦監督に相談の上、挑戦を決意した。

減量に関しては、楽観的に考えていた。52キロ級の時は、大会前の追い込み稽古や食事節制などを行うと前日計量で51キロぐらいだった。試合の度に「ちょっともったいない」という感覚で、サウナなどで水抜きすれば48キロ級も可能と考えていた。48キロ級で大会に出場した大学3年時は、計量後のリカバリーに苦労したが、時間もたって了徳寺大に就職する際にも山田監督に「48キロ級でやってみたい」と相談した。しかし、社会人になったばかりの15年6月に大学時代に痛めていた右膝前十字靱帯(じんたい)の手術に踏み切った。手術の影響で、ウエート中心の生活が続き、上半身の筋力がついたことで体重は58キロまで増量した。そのため、まずは52キロに落とすことだけを考えた。

今回は、8月中旬頃から本格的に減量を始めた。48キロ級選手に減量方法について聞いて回り、食生活を見直して夕飯も控えめにするなど意識した。大会3日前には50キロとなったが、「50キロの壁」があると強調した。「ここからの2キロがなぜか落ちない。食事量も減っている分、疲れやすい…。組み勝てないし、受けも軽くなって、足も動かず投げられる。52キロの時と変わらないと思ったけど、想像以上に体の変化を感じる。自分でもびっくりしている」。これまでも多くのけがと付き合ってきたが、減量したことで腰も悪化しているという。

今大会を機に、本格的に48キロ級へ転向かと思いきや話を聞くとそうでもない。先月の世界選手権での阿部と志々目の結果を受けて、東京五輪代表がより厳しい立場となった。将来を見据え、柔道と向き合う中で教員への道などの選択肢もあったが、角田はこう答えを導き出した。

「柔道は『好き』でやっているもの。五輪は夢であるけど、最終目標ではない。五輪が無理でも、このまま柔道が楽しいと思ってやれるのであれば、それで良い。体が動くうちは柔道をやれるだけやりたいし、自分が納得するまで柔道を突き詰めたい。ゴールは次のパリ五輪でもないし、年齢でもない。そのために48キロ級に挑戦してみて、52キロとどちらが合っているのかということを体験してみたい」

仮に、48キロ級に本格的に転向した場合は、世界選手権2連覇で18歳のダリア・ビロディド(ウクライナ)との対戦も夢見る。練習では何度か組み合ったことがあり、「自分の力を試してみたいという気持ちもある」と素直な思いを語る。今は、柔道以外の時間も充実していて「毎日が楽しい」と笑みを浮かべる。減量で大好きな塩サウナに入りながら痩せる喜びや、出稽古後のタピオカ名店巡り、大会後にご褒美とする温泉ツアーや長距離サイクリングなど全てが柔道へのモチベーションとなっている。

寝技を武器とし、24歳で主要国際大会にデビューした遅咲きだ。経歴も異色で、型にはまらず「普通じゃなくいたい」と己の道を貫く。今大会も周囲に「何かやってくれそう」と期待を抱かせる。個人的に、トップアスリートで常に結果を求められる立場でありながら、競技を心から「楽しい」と言葉に出来ることは素晴らしいことだと考える。畳の上で、その楽しさを体現してくれるに違いない。27歳の柔道家の新たな挑戦が始まる。【峯岸佑樹】

今年5月に千葉から日光へサイクリングした角田夏実
48キロ級への思いを語る角田夏実(撮影・峯岸佑樹)
ラグビーW杯がやってくる

稲垣啓太の最強伝説 年長で40キロ超 幼稚園床貫通

新潟工高でのグラウンド開きで号泣する赤ちゃんを抱く稲垣啓太(撮影・峯岸佑樹)

日本代表プロップの稲垣啓太(29=パナソニック)は、ワールドカップ(W杯)前最後の休息日を利用して「原点」とする故郷の新潟へ帰省した。母校新潟工高の恩師や旧友らと一時の時間を過ごし、W杯8強へ決意を示した。地元関係者に話を聞くと、数々の「規格外伝説」が残っていた。

  ◇   ◇   ◇  

稲垣は不動の背番号「1」を背負い、2度目のW杯へ臨む。186センチ、118キロ。プロップでは驚異の体脂肪10%を誇る。数手先の動きを読み、ボールに向かう。タックルしてはすぐに起き上がる。世界基準の運動量と肉体の基礎は、原点とする故郷にあった。地元ではそれらにまつわる「規格外伝説」が残っていた。

少年野球で活躍した稲垣啓太(前列中央)

<伝説1 巨漢とこわもての風貌>3980グラムで誕生。幼稚園年長で40キロ超となり、ホッピングで遊ぶと遊技場の床が貫通した。100キロ超になった小5の健康診断では、回転式体重計の針が振り切って故障。1人だけ市内の健康センターで体重測定を行うことになった。中学では「今とほぼ変わらない体形」で野球に熱中した。「リアル版ドカベン」の異名を取り、強肩の大型捕手として甲子園常連校から誘いもあった。容姿が格闘漫画「グラップラー刃牙」の花山薫に似ていて、人に弱みを見せることを嫌い、どんな状況でも笑顔を見せない。テストマッチに勝利しても、左腕上腕二頭筋が断裂しても武骨な表情を貫く。海外チームから「ジャパニーズマフィア」とも呼ばれ、営業中の喫茶店で入店NGの経験もある。

4歳の時に友人と芋掘りする稲垣啓太(右)

<伝説2 豪快な食欲>学生時代は、うどん専門店「丸亀製麺」でメニューにない釜揚げうどん2キロを注文。うどん用のおけが「タワー」となって提供された。中華店では最初に「ラーメンとラーメン」がお決まり。左手にどんぶりを持ち、おかず替わりに別のラーメンを口にする。大盛りを頼まないこだわりもある。「カレーは飲みもの」として並盛りカレーなら10秒で完食。砂肝20本以上や、すし50貫以上は軽く平らげる。肉体改造に励んでからは食事管理して1日7食の7000キロカロリーを摂取。普段は酒を控えているが、帰省すると友人らと飲酒する。日本酒は1升(約1・8リットル)、レモンサワーはメガジョッキ(1リットル)で15杯以上飲む。

<伝説3 ストイックな減量>高校時代は成長期も重なり、体重は一時期120キロ台後半になった。高2夏の左膝靱帯(じんたい)損傷を機に、樋口猛監督(47)から「動けるプロップ」を志すために減量指令が下された。電車通学を自転車に変え、片道40分の距離を毎日往復。しかし、26インチのママチャリが悲鳴を上げてタイヤがすぐにパンク。車輪を支えるスポークも折れ、かついで帰宅した。我慢強く1週間続けたが、何度もパンクするため樋口氏に相談の上、断念した。食事制限は効果があった。独自で栄養学を猛勉強。高2秋の沖縄修学旅行ではビュッフェ形式の夕食で、ほぼサラダしか手をつけなかった。消灯後に空腹で眠れず、大量の水を飲んで胃を膨らませた。担任の高橋豊氏(39)は「部屋を抜け出して買い食いしてもおかしくないのに」と感心した。そのかいあって、半年で15キロ近くの減量に成功した。

新潟工高でのグラウンド開きで稲垣啓太に激励の言葉を述べる樋口猛監督(撮影・峯岸佑樹)

稲垣は8日に帰省して、自身が300万円を寄付した新潟工高の天然芝グラウンド開きに参加した。約600人の関係者から多くの激励を受けた。故郷で多くの伝説を刻んだ逸材は、W杯での恩返しを誓った。「新潟の未来のためにも8強にこだわりたい。日本代表、新潟県代表として世界の舞台で大暴れしてくる」。究極の「漢(おとこ)」を追求する“寡黙な仕事人”は、愛する新潟の声援を力に変えて6日後の夢舞台へ出陣する。【峯岸佑樹】

ラグビーW杯がやってくる

日本代表と「桜」つぼみから満開、受け継がれる重み

ワールドカップ(W杯)へ準備を進める日本代表のジャージー左胸には、桜のエンブレムが描かれている。その起源は1930年(昭5)9月、ブリティッシュ・コロンビア戦(カナダ・バンクーバー)。日本ラグビー初となる代表チームが付けた「桜」は、つぼみ、半開き、満開だった。それから約90年。現在は満開となった「桜」の重みを背負い、31人は20日開幕のW杯日本大会を戦う。

      ◇       ◇

下鴨神社「秀穂舎」に展示されている1930年の初代日本代表ジャージー(撮影・松本航)

つい1カ月ほど前、60~70年代の日本代表エースWTB坂田好弘(76=関西協会会長)は言葉を失った。赤と白の横じま、左胸にはエンブレム。それはレプリカで見ていた、つぼみ、半開き、満開の「桜」だった。

坂田 昔から日本は小さかったけれど、我々の時代も、代表として「桜」に誇りを持って戦ってきた。まさか、日本で最初のジャージーが残っているとは…。

下鴨神社「秀穂舎」に展示されている1930年代のものとみられる日本代表ブレザー(撮影・松本航)

現在、世界遺産の下鴨神社(京都市左京区)資料館「秀穂舎」に展示されているジャージーは、1930年9月のカナダ遠征で着用された。同遠征メンバーで84年に死去した鈴木秀丸のものを、息子の武村秀夫(元法大監督)が大切に保管してきた。坂田はそのジャージーを見つめると、73年10月の英国遠征(ウェールズ、イングランド戦)前、元監督の大西鉄之祐から聞いた話を重ね合わせた。つぼみのジャージーを手にした大西に「これが、なぜつぼみか分かるか? 先輩方は『(ラグビーの母国である)イングランドと戦う時に満開にしよう』という思いだった」と説明された記憶がある。

坂田 その時の大西さんの話で、初めて桜の物語を知った。「すごいな」と思って、鮮明に覚えている。

下鴨神社「秀穂舎」に展示されている1930年の初代日本代表ジャージー(右)と現在のジャージー(撮影・松本航)

なぜ、桜だったのか。そこには初代日本代表監督を務めた香山蕃(しげる)が「正々堂々と戦い、敗れる際には美しく敗れよ」という思いを込めたとされる。だが、実際に満開となったのは1952年(昭27)、戦後初の代表戦として英国の名門オックスフォード大を日本に迎えた時だった。坂田が代表初の英国遠征に参加した21年前。諸説あり、真相こそ不明だが、日本が初めて英国のチームと戦ったタイミングだった。

以来、満開となった桜のジャージーは、日本を背負う男たちの喜怒哀楽を包み込んできた。南アフリカから歴史的勝利を挙げた15年W杯で、その重みは世界にも認められた。「空飛ぶウイング」と評され、12年に日本人で初めて国際ラグビー殿堂入りしたレジェンドにとっても、親しみある「桜」に特別な思いを抱く。

坂田 桜の重みが軽くなった時期もあった。でも今の日本代表は、そのジャージーを奪い合うようになった。(W杯メンバー)31人は、その重みに耐えられる選手。ジャージーの重さは量っても同じ重さでしょう。でも、着た時には重みが違う。プライド、責任…。それを感じられる人が、着るジャージーだと思う。

8月29日、都内で行われた日本代表のW杯メンバー発表会見。ジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチ(49)は「桜のジャージーに袖を通す31人」という表現を用い、1人1人の名前を読み上げた。桜に込められた先人の思いは、さらに重みを増して、受け継がれていく。(敬称略)【松本航】

ピッチマーク

渋野日向子は日没まで練習「腹が減っちまったよ~」

日本女子プロ選手権コニカミノルタ杯 日が暮れ丸い月が出た午後6時20分、パッティング練習を行う渋野日向子(撮影・清水貴仁)

<女子ゴルフ:日本女子プロ選手権コニカミノルタ杯>◇第1日◇12日◇兵庫・チェリーヒルズGC(6425ヤード、パー72)◇賞金総額2億円(優勝賞金3600万円)

西の空へ、日が沈んでゆく。山肌を照らした夕暮れのきれいなオレンジ色も、そろそろ薄れつつあった。

会場の後片付けをする軽トラックのヘッドライトが時折、グリーンを照らす。周囲は暗くなり、ボールは見えなくなっていた。それでも、渋野日向子(20)は、練習をやめようとはしなかった。

9月12日に、兵庫・チェリーヒルズGCで開幕した女子ゴルフの今季国内メジャー第2戦、日本女子プロ選手権コニカミノルタ杯。第1日を2アンダーの11位で終えた彼女は、最後まで残ってパットの調整を続けた。もう、選手はほとんどいなくなっていた。

青木コーチが置くボールを打つ。5~6メートルのパットを外すと、悔しそうに頭を抱えた。それが入るまで、練習は終わらない。ちょうど日が完全に沈む頃、ようやく長いパットが入り、いつもの笑顔を見せた。

「やった~。終わった~」

昨年の今頃は、下部ツアーでもがいていた。観衆も、報道陣もまばら。あれから1年が過ぎ、この日は大勢のファンが、渋野の練習を最後まで見守った。5月に国内メジャーを制し、8月には全英女王となり、環境は劇的に変わった。それは、努力のたまものである。この日は午前11時40分とスタート時間が遅かったとはいえ、誰よりも練習をする。だからこそ、誰よりも早いスピードでここまで上り詰めた。

真っ暗になった会場には、まだ大勢のファンが待っていた。混乱を避けるために、一度はクラブハウスに戻った。だが、応援してくれる人々へ、後ろ髪が引かれる思いがあったのだろうか。しばらくしてから出てくると、全員にサイン入りのカードを手渡した。強くなっても、おごらず、誰にも優しい。それが人気の秘訣(ひけつ)だろう。

時計の針は午後7時を過ぎていた。汗だくで練習を終えた彼女は、運営スタッフ、報道陣らに「帰りま~す」と笑顔で手を振った。

「腹が減っちまったよ~」

どこまでも愛されキャラの渋野らしかった。【益子浩一】(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)

日本女子プロ選手権コニカミノルタ杯 第1R 11番でバーディーを決め拍手を受ける渋野日向子(撮影・清水貴仁)
伊藤華英のハナことば

北上市の水泳大会で過ごした幸せな時間/伊藤華英

「人があったかいところだな」

人生で初めて岩手県北上市を訪れた感想だった。岩手県は東日本大震災の復興や、水泳教室で多く訪れる場所なのだが、意外に北上市は初めてだった。

北上市民体育大会水泳競技を観戦

なぜ訪問することになったかというと、去年の11月に盛岡市で行われた友人の披露宴で北上市水泳協会の伊澤会長とお話をする機会があり、「ぜひ!北上市へ」とのオファーをいただいたことがきっかけだった。約2年越しに約束を果たせると思っていた。

私の親友も結婚を機に北上市に住んでいたこともあって、訪問を心待ちにしていた。その親友は同級生で、ウエートリフティングの日本記録を持っていたアスリート。大学院もゼミは異なったが、いろいろ苦楽を共にした大切な人だ。

私が普段、足を運ぶのは、大きな国際大会や、日本選手権、インカレなどの全国大会が多い。ただ県規模の大会でのゲストスイマーなどもある。今回は北上市の水泳大会「第29回北上市民体育大会水泳競技」。私はこういうローカルな試合がとても好きだ。水泳を頑張っていた子供の頃を思い出して、気持ちが穏やかになるからだ。

東北新幹線の北上駅を降りると、北上市水泳協会の方が待っていてくれた。こんなとき、地方の方は決まって「遠いところまでありがとうございます」と言ってくれる。でもいつも私が思うのは「こちらこそ、呼んでいただいてありがとうございます」という感謝の気持ちだ。

駅から車で10分ほどの場所にあるプールへ向かう。いつも地元の方は車の中でたくさん話をしてくれる。

「オリンピックって本当にすごいよね。たくさんオリンピックまでに努力した人を見てるし、その場所に立てたっていうだけですごいって身にしみてわかるんだ」と、とてもうれしいことを言ってくれる。現役時代は褒められると「私はもっと上に行きたいのに褒めないで」とか思ったりもしたが、今は素直にありがたいと思う。

「華英さんの時代はほんとうにいい時代だったと思う。戦争もなかったし、努力ができたんだから」。ちょっとした一言に人生を考えるヒントもあり、会話は本当に時間を彩るものだなと感じる。

そんな自分の競技人生を振り返りつつ、あっという間に会場に着いた。どんな会場なのかと思っていたが、活気のある高校のプールだった。敷地内では野球部を始め、サッカー、ラグビーの練習もして元気いっぱいの雰囲気だった。プールの場所がわからず、何か発表の練習をしている女子学生に「プールどこですか?」と聞くと、元気いっぱい丁寧に教えてくれた。「なんかいいなあ」と心の中で思った。

北上市の水泳大会の様子

プールに着くとすぐ会長が出て来てくれて、いろいろ話をした。北上市体育協会の方もいて、手作りのイベントだった。審判員に親友の旦那さんがいて、とても安心した。地元感って大事だな。改めて感じる。参加者は老若男女さまざま。

「伊藤華英さんが来ているので、サインをもらっていいそうですー!」とアナウンスが流れると、たくさんの地元スイマーや、黒沢尻北高校水泳部の選手たちが、私のもとへTシャツやタオルを持ってやってきた。その中に私の昔のサインを持っている方がいて、この隣に書いてくださいと言ってきた。どこでどうつながっているかわからない。思わず「当時、変な態度してなかったかな」と冷や汗をかいてしまう。

引退しても、こうやってスイマーとして過ごせる時間が幸せだなと最近は思う。

隣にいて話をしてくれていた会長が、突然いなくなった。どうしたのかと思ったら、レースに出ていたのだ。これも地元の試合の醍醐味(だいごみ)。運営を行い、レースにも出場できる。参加されている方とも交流できる。

北上市体育協会の会長に「こんなイベントどう思いますか?」と聞かれた。私は、こういう小さい大会こそ大事だと思う。年代を超えて人が交流できる場所。子連れの方も多くいて、みんながその子供をどこの子供か知っている。成長を見守れる。

スポーツがいろんな人のコミュニティーの場所になっていく。スポーツの可能性は産業レベルではもちろんだが、幸福度を上げられる場所になると私は心から信じている。

大変だとは思うが、これからも北上市水泳連盟、北上市体育教会のみなさん頑張ってください!ありがとうございました。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)

ラグビーW杯がやってくる

優勝候補はエディー率いるイングランド/沢木敬介氏

<沢木敬介氏大胆予想>

優勝はイングランド-。前サントリー監督の沢木敬介氏(44)がワールドカップ(W杯)日本大会を大胆に予想した。20日の開幕を前に、出場20チームが続々と来日し、各キャンプ地で最後の調整に入った。直前のテストマッチまで分析した沢木氏は、前日本代表ヘッドコーチのエディー・ジョーンズ氏(59)率いるイングランドを高く評価。1次リーグ各組の勝ち上がりと合わせて大会の「見どころ」を解説した。【取材・構成=荻島弘一、奥山将志】

沢木敬介氏

-いよいよ開幕が迫ってきました。もちろん、日本も気になりますが、優勝争いも楽しみです

沢木 まあ、ニュージーランドか、期待を込めてイングランドか。あとは、アイルランドあたり。ティア1の強いチームは、しっかりと決勝(11月2日)までを考えてコンディションを保ってきますから。

1次リーグ組み合わせ

-まずは各組の予想をお願いします

沢木 A組はアイルランドが抜けている。あとはスコットランドと日本。2勝1敗同士のリーグ最終戦で決まるパターンですね。もちろん、日本には初の1次リーグ突破を期待していますし、可能性はあります。

-B組はどうですか

沢木 間違いなく順当にニュージーランドと南アフリカ。両チームが初戦でいきなり当たる。南アはよくなっているし、特にFWは素晴らしい。ただ、経験値という点ではニュージーランドの方が上。初戦に対する戦い方を見ても、ニュージーランドが勝ちそう。

-C組のアルゼンチンはどうですか

沢木 やはりイングランドとフランス。アルゼンチンはメンバー選考に苦しんだ。海外でプレーしている選手の何人かは呼べていないし。ただ、もともと力はあるし、初戦でフランスを食えば(C組は)もめますね(笑い)。イングランドは初戦がトンガだし、大会への入りが楽。

-D組はウェールズとオーストラリアですか

沢木 日本と並んで台風の目の可能性があるフィジーがいる。日本と対戦した時よりメンバー的によくなっている。初戦がオーストラリアなのもおもしろい。オーストラリアはフィジーに負けるようなことがあると、次のウェールズで2敗。そこで終わる可能性も。

ラグビーW杯の優勝回数

-優勝候補を1つ挙げるなら、やはりニュージーランドですか

沢木 ニュージーランドは強いです。コンディションもベストでしょう。それでも、イングランドを挙げたい。期待も込めてですけれど。6日のイタリア戦を見ても、仕上がりはすごくいい。順調に準備してきた感じ。もともと、エディー(ジョーンズ)は大会に向けて逆算して綿密に準備をするコーチですから。

イングランドを率いる前日本代表ヘッドコーチのエディー・ジョーンズ氏

-経験豊富な選手が多い中、7人制から転向したWTBルーリー・マコノキーら経験のない選手もいます

沢木 SHベン・ヤングズとかプロップのダン・コールとか2回のW杯を知っている選手を入れながら、思い切った選手も入れる。こうやって、チームに刺激を与えるのもうまい。

-ニュージーランドも好調のようですが

沢木 ベテランプロップのオーウェン・フランクスを外したけれど、誰が出ても高水準のラグビーができるのが強み。3連覇は簡単ではないけれど、十分にその可能性はあります。

ラグビーW杯歴代成績

-ニュージーランドの弱点があるとすれば

沢木 全員にアタックの意識が強く、攻撃力は素晴らしい。ただ、押される展開には脆(もろ)い。カウンターなどアクシデンタルの形でトライを奪われると、意外と引きずる。劣勢になった時に「脆さ」が出ますね。

-世界ランク1位になったアイルランドは

沢木 いいチーム。自信をつけてきたのも大きい。SOジョナサン・セクストンが負傷から戻って、さらに安定した。A組本命は間違いないが、優勝となるとどうかな。やはり、イングランドが本命。次はニュージーランドか。開幕するのが、楽しみです。

チアの木曜日

アルバルクチアリーダー 「最高の景色」をもう1度

プロバスケットボールBリーグで2連覇を達成したアルバルク東京。その専属チアが「アルバルクチアリーダー」だ。中国で開催中の男子ワールドカップに日本代表が13年ぶりに出場。バスケットボールが盛り上がりを見せる中、10月開幕のBリーグ19-20シーズンで3連覇を目指すアルバルクを、チアリーダーたちが全力で後押しする。

3連覇を目指すアルバルク東京を激しいダンスで後押しする(C)ALVARK TOKYO

アルバルク東京は5月のチャンピオンシップ決勝で千葉ジェッツを接戦の末に下して、リーグ連覇を達成した。それは、「アルバルクチアリーダー」にとっても歓喜の瞬間だった。キャプテンMISAKIは「最高の景色が見られて、本当にうれしかったです」、バイスキャプテンのSATSUKIは「シャンパンファイト(ビールかけ)は最高の思い出です」と振り返る。

「アルバルクチアリーダー」の熱気あふれるパフォーマンスはBリーグでも有名だ。試合前には「A Warrior’s Call」の曲に乗って激しいダンスを披露し、一気に観客をゲームに引き込む。タイムアウトではさまざまなダンスを踊り、時にはコミカルでかわいらしいダンスも披露する。

熱気あふれるパフォーマンスには定評がある

パフォーマンスを支えているのはハードな筋トレだ。練習ではメンバーがペアになって、体幹トレーニング、腹筋、背筋などを鍛える。足元や内ももを強化するスクワットも欠かさない。1時間の筋トレの後は2時間の踊り込み。1分ほどの曲を、連続で20曲踊ることも恒例だ。

さらに、ディレクター兼コレオグラファー(振り付け)の須長順子さん(JUBI)がメンバーに求めているのは、仲間を思い合う心だ。シーズンに数回、3時間ほどのミーティングを行う。どんなチームを目指すか、そのために自分が何をできるかを、全員で徹底的に話し合う。泣き笑いしながら胸の内を共有することで、メンバーの絆は深まっていく。

10月5日にアリーナ立川立飛(東京・立川市)で開幕する新シーズンで、アルバルクはリーグ3連覇を目指す。SATSUKIは「チームやファンの皆さんと一丸となって3連覇を目指します」と力強い。【元NFLチアリーダー松崎美奈子】

◆アルバルクチアリーダー 2016年創設。前身はトヨタ自動車アルバルクチアリーダー。年に1回オーディションを開催してメンバーを決定する。ホームゲームでの応援パフォーマンスのほか、イベント出演などを行う。

ピッチマーク

渋野効果に負けない…男子も新大会など猛アピール

青木功氏(2019年4月17日撮影)

女子ゴルフは、8月のAIG全英女子オープンを制した渋野日向子を中心に盛り上がりをみせているが、女子に負けじと男子は違ったアプローチでファンの獲得を狙っている。

9月2日に都内で会見が開かれ、20年7月8~12日、茨城・取手国際GC東西Cで「ゴルフパートナー・プロアマ」が開催されることが発表された。主催は総合ゴルフショップを全国で展開するゴルフパートナーで、プロがアマと4日間ともラウンドする形式。米ツアーではペブルビーチ・ナショナルプロアマなどが開催されているものの、国内では男女を通じて初の試みとなる。

「4日間、プロとアマでやることにすごく期待している。迫力、ホスピタリティー、いろいろとアマがプロの魅力に取りつかれるのでは」と話した日本ゴルフツアー機構(JGTO)の青木功会長は「結構、女子の方ばかりやられていますけれど男たちもできるんだということをやっているので広めていただきたい」と報道陣に向けてもイチオシ新大会として猛アピールした。

このゴルフパートナー・プロアマは、プロが通常の4日間大会としてプレー。並行してアマが8、9日にダブルス戦(120組240人)、10日の予備日を挟んで11、12日にスクラッチ戦(60人)に臨む。ラウンドはプロ、アマが2人ずつ計4人の組み合わせ。JGTO副会長を兼務する選手会会長の石川遼は米ツアー参戦時に同形式の大会出場経験があり「今から楽しみ。出場を目指すアマの方、日本のファンの方に楽しんでもらえるように、選手としてもできる限りのことをやりたい」と解説。プロがアマにアドバイスするシーンが多くありそうな新タイプの大会に期待感を示した。

大会開催は来年だが、アマが盛り上がる展開は目前に組まれている。本大会出場を目指すアマの予選会は11月から全国20会場で開催される。募集人数は2500人。ダブルス戦120組(240人)、スクラッチ戦60人の枠を懸けた熱い戦いがスタートする。青木会長は「ゴルフのファンやプレーヤーが増えると思ったので、ゴルフパートナーの社長にお願いしました。こういう楽しみ方があるということを伝えたい」と説明。このアマ予選会で新大会の認知度も広まりそうだ。

10月には日米両ツアー共催の新大会、ZOZOチャンピオンシップ(10月24~27日、千葉・習志野CC)が開催される。タイガー・ウッズ(米国)、松山英樹、ロリー・マキロイ(英国)らが参戦を表明し、石川の推薦出場も発表済み。プロとアマで国内男子の注目度がグッと高まるスケジュールが組まれる。青木会長は「私が会長になったら1試合でも2試合でも大会を増やそうと石川遼君と2人でやってきて、少しずつ浸透してきたことをうれしく思います」と手応えある笑みもこぼした。渋野効果で人気上昇中の女子とは違った展開で、男子も注目度を上げるチャンスを演出しつつある。【藤中栄二】(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)

ラグビーW杯がやってくる

8強へレフェリーを徹底分析して味方に/沢木敬介氏

<沢木敬介氏解説>

いよいよ迫ってきたキックオフ。日本は目標の1次リーグ突破に向けて、4試合を通したマネジメントをどうするのか。前回大会を日本代表コーチとして経験した沢木敬介氏(44)は一般にはあまり知られない「レフェリー対策」にも言及した。レフェリーを味方につけながら、ホームの利を生かす。日本ラグビー界きっての「知将」が大会の裏側を切った。【取材・構成=荻島弘一】

6日、南アフリカ戦の後半、フランカーのリーチ(左手前)らスクラムを組む日本

-開幕間近。最後の実戦となった南ア戦後、リーチ主将はレフェリーのジャッジに疑問を呈し、試合中のコミュニケーションの重要性を語りました。本大会ではレフェリーとの関係も、勝負の鍵となりそうです

沢木 レフェリーの傾向はすごく大切です。だからこそ、徹底して分析します。好きなプレーや嫌いなプレー、時間帯やエリアによる笛の傾向も調べます。開幕のロシア戦はオーウェンズ氏(ウェールズ)。前回大会決勝も吹いた世界で最も評価の高いレフェリーです。経験もあるし、マネジメントもうまい。

-特徴があるのですか

沢木 あまり笛が多いタイプではないですね。ペナルティーをさせないようにスムーズに試合を回す。コミュニケーションが大事。よい印象を与えることで、有利に試合が運べる。

-具体的には、どんなコミュニケーションを

沢木 リーチ(キャプテン)を中心に、早い段階でいいメッセージを送る。笛の後で「どう見えているのか」とか。「今のプレーはグレーに見える」と言われたら、チームの中で共有して繰り返さないように。ラインオフサイドが続けば、大げさに下がってみせるとか。そういうコミュニケーションで笛の吹かれ方をコントロールできる。

1次リーグA組日本の日程と担当レフェリー

-他の日本戦担当レフェリーの特徴は

沢木 アイルランド戦のガードナー氏(オーストラリア)は、どちらかと言えば笛が早い。サモア戦のペイパー氏(南アフリカ)はインプレー(実際に試合をしている時間)が短かったけれど、最近は長くなってきた。いずれも、偏りがあるタイプではない。日本にとっては悪くないです。

-試合前にはレフェリーミーティングもあります

沢木 すごく重要で、両チーム別々にやる。相手のスクラム映像を見せながら「これ、ペナルティーですよね」とか、モールディフェンスの映像で「オフサイドですよね」とか。また「自分たちはこういうプレーをする」という情報を伝えたりする。駆け引きの部分もあるし、戦術などをクリアにすることにもつながります。

-今回は前回と違ってホームの利もあります

沢木 ケガ人などの対応は海外と全然違う。海外の大会で、移動に十何時間もかけて合流しても、コンディションは絶対によくない。ホームだとケガをしても入れ替えを含めた対応がスムーズ。治療もすぐに受けられるし、リカバリーの部分でもプラス。施設面もいいですから。それだけでも、圧倒的に有利です。

ラグビー日本代表

-海外だと言葉などの問題もありますね

沢木 15年の時はリエゾン(通訳兼世話係)といいコミュニケーションがとれた。リエゾンはすごく大事ですね。パイプがあって、動けるか。それがホームだと自由にできる。食のストレスもなく、移動も楽。それを生かしたいですね。

-前回大会は移動も大変でしたか

沢木 全部バス。選手はきつかったでしょうね。警察のエスコートがついたけれど、日本はつかない。日本は渋滞があって、新宿から府中まで15分が、混むと1時間かかる。慣れない外国チームは大変ですね。

-日程的にも、前回は中3日の試合での回復に苦しみましたが、今回は最短でも中6日です

沢木敬介氏

沢木 その試合に集中した、より戦術的なメンバーの組み合わせができます。中3日だと体力的にもきついし、ここで無理をしたら、次出られないとかを考える必要もある。間が短いと、けがの回復が不透明な選手は次の試合のメンバーに入れにくいが、中6日だとメンバー登録まで日があるので、ぎりぎりまで粘れる。そこは全然違うと思います。

-15年大会では、出場機会のなかったベテラン広瀬がチームをまとめました

沢木 悔しさの中で自分の役割をまっとうした。彼には相手の分析をしてもらっていたし、試合に出られない若手の精神的なサポートもしていた。W杯は特別な大会です。今回も、経験あるベテランの存在はポイントになると思います。

We Love Sports

響いた長州力の怒声 厳しさ、激しさの裏に隠れた情

長州力

プロレスを担当していたことがある。もう30年以上前で、国内に新日本、全日本、全日本女子の3つの団体しかなかった時代だ。

新日本の取材で鹿児島を訪れた時のことだった。親しくしていた若手レスラーからデートに同行してくれと頼まれた。彼には鹿児島にガールフレンドがいた。選手とファンとして知り合ったが、試合で全国を回るレスラーは忙しい。2人にはなかなか会う機会がなかった。「久しぶりなので照れくさいから、一緒に来てくれないか」ということだった。

大会前日の夜、鹿児島市内のホテルの最上階レストラン。僕は居心地悪さを感じながら2人のぎこちない会話を聞いていた。そこに現れたのは長州力と維新軍のメンバー、アニマル浜口、谷津嘉章、キラー・カーンたちだった。新日本マットは当時、猪木をトップとする本隊と長州維新軍が激しい抗争を繰り広げていた。

彼と彼女に緊張が走る。巡業先で宿舎を抜け出してのデート。それを敵対する長州らに見られるのはあまりにもバツが悪い。僕も含めた3人が1時間ほど顔を伏せて沈黙を続けていると、長州らは食事を終えて席を立った。テーブルが離れていたから気づかれなかったのか。2人はホッとして顔を見合わせたが、その後の会話はよりぎこちなくなってしまった。翌日には試合もある。早めに切り上げて会計に向かうと、係の女性はこう言った。「長州様がお済ませですので…」。

一夜明けた大会会場。彼は礼を言わなければと意を決し、長州維新軍の控室のドアをノックした。まだ開場前で体育館にはファンの姿もなかった。彼が部屋に消えた直後、中から聞こえてきたのは肉体がぶつかり合う音とパイプいすがひっくり返る音、そして長州らの怒声だった。「コラーッ、ここはお前の来るところじゃねーッ。バッカヤローッ、出ていけーッ」。気がつくと鼻と唇から流血し、目を真っ赤に充血させた彼が目の前に放り出されていた。維新軍に袋だたきにされた彼はひざまずき、肩を震わせて何も言わなかった。その後、前座試合でリングに上がったその顔は、試合前なのに赤黒く腫れ上がっていた。

僕もその日一日、怒りと怖さに震えていた。純粋に礼を尽くそうとした彼に対して、そこまでする必要があるのか。あまりにも理不尽すぎないか。当時は記者が維新軍の控室に入ることは厳禁だったが、彼が礼を伝えられたら僕も続いて部屋に入るつもりだった。この出来事を境に長州はより取材しにくいレスラーになった。

僕はその後、プロレス担当を離れ、彼との交流も途絶えていた。鳴かず飛ばずの中堅レスラーになっていた彼はある時、髪を金色に染め上げて新日本本隊に牙をむくアウトローに変身。危険な角度で相手をマットにたたきつけるバックドロップでテレビ中継にも登場するようになった。長い期間ではなかったが、プロレスラーとして確かな輝きを放っていた。その姿を見て思った。彼をつくったのは、あのときの長州ではなかったかと。

長州力、67歳。今年6月26日に東京・後楽園ホールで現役に別れを告げた。恐ろしいほどの厳しさ、激しさの裏に情を隠し、プロに徹して戦い抜いてきたのだろう。あの鹿児島で長州力というレスラーの本質の一端に触れることができていたのだと、今更ながら思う。(敬称略)【小堀泰男】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

ラグビーW杯がやってくる

日本8強入りカギはBP 前回敗退要因/沢木敬介氏

<沢木敬介氏解説>

前回15年大会、南アフリカに勝った日本はボーナスポイント(BP)に泣かされた。勝ち点で順位をつける1次リーグで、「4トライ以上(勝敗に関係なく)」「7点差以内の敗戦」で加算されるBPの意味は重大。前回大会で日本代表コーチを務めたサントリー前監督の沢木敬介氏(44)は、その価値を強調する。BPを意識した戦い方ができるかどうかが、日本が目標とするベスト8進出へ、カギを握る要素だという。【取材・構成=荻島弘一】

沢木敬介氏

-前回大会のこともあって、BPの重要性は何度も指摘されていましたが

沢木 大切ですね。リーグ戦の戦い方に影響してくる。例えば前回大会のように、3勝1敗で3チームが並ぶこともある。アイルランドの負けは考えにくいけれど、このパターンが一番影響を受ける。

-2勝1敗で並んでスコットランドと最終戦で対戦するケースでもBPが絡んでくる場合があります

沢木 勝てばいいので、精神的には楽。ただ、そこまで、仮に日本がBPを4取って勝ち点12、スコットランドがBPを1つも取れずに8だとしたら、直接対決で敗れてもBPを1取ればベスト8進出になる。負け試合でも2取れば、2敗でも4。これは1勝分の勝ち点と同じですから。

-特に初戦のロシア戦が重要になりますね

沢木 リーグ戦の進め方が有利になるし、各国が最も格下と思えるロシア戦ではBPを狙ってくるから取りこぼしは避けたい。だから、何が何でも4トライ奪わないと。取っておけば、日本よりも後にロシアと対戦する他国に「BPを取らなければ」というプレッシャーも与えられます。

-アイルランド戦やサモア戦はどうでしょうか

沢木 アイルランド戦はそもそも接戦にもちこまないと勝てない。だからBPを意識した特別な戦い方をする必要はありません。ただ、負けの場合でも、BPを最低でも1は取っておきたい。サモア戦も実力を考えれば、勝つだけではなくBPが欲しい。日本が決勝トーナメント進出を争うのは、アイルランド、スコットランド。だから、この2試合もBPが重要です。

今大会、2勝1敗で並んだスコットランドと対戦する場合をシミュレーション

3すくみの場合はBPの勝負

-15年大会ではBPは意識していたのですか

沢木 南ア戦は、まったく頭になかった。コーチ陣の中では、負けてもBPをというのはあったけれど、選手とは共有していない。前回は24年間勝っていない中で迎えた大会。とにかく勝利がすべてでした。

-結果的にはBPに泣くことになりました

沢木 サモア戦はBPが必要だというのは分かっていました。ただ、グラウンドで戦う選手たちがまず考えるのは勝利。トライ数ではなく点差。それぐらい、選手はサモアのプレッシャーを感じていました。

-コーチ陣はBPを意識しても、選手には伝えなかったのですか

沢木 具体的には何も伝えていません。BPのことよりも、勝つことが大前提。例えば、南ア戦だって最後の場面で、コーチ陣はPG狙いを指示したのに、リーチはスクラムを選択した。実際にやっている選手にしか分からない感覚ってあるんですよ。

-選手もBPのことは分からなかったのですね

沢木 フミ(SH田中)は「トライ、BP取りにいこう」と話していたみたいですが、そこはリーダーの判断。チームとしては、サモアに絶対に勝つというアプローチでした。

2015年W杯B組 日本のBP

-今回は前回とはBPについての考えも違います

沢木 前回の目標は勝つこと。今回はベスト8に進む大会で、日本が初めてBPを考えて戦う大会です。試合の終盤になれば、BPを取りにいくかの判断が必要になる。特にリーダー陣は考えなければいけない。15年を経験した選手は、その重要性を分かっている。

-それを全員が理解できているかですね

沢木 練習から、シミュレーションすること。「残り何分、何点差、ペナルティーをもらった。何を選択する?」。そこまで必要。リーチが分かっていても、それを共有しないと。

-共有できていない選手がいると、どのようなリスクが出てきますか

沢木 例えば、ラストワンプレーで、3トライ取っていて8点リード。トライを許しても1点差で負けはないという場面なら、4トライ目を狙いにいくべき。その意識を共有していないと、ボールを持った選手が簡単にタッチに出してしまう可能性もあります。逆に、同じ場面でも順位を争う相手だと「7点差以内の負け」でBP1を与えるリスクもある。いろいろなケースが考えられるし、BPは戦略的にも使えるんです。

-1次リーグは台風などの場合は試合は延期ではなく中止。そういうパターンもありえますね

沢木 その場合は引き分けで勝ち点2を分け合います。コーチ陣はいろいろと考えているだろうし、選手との共有も必要。ファンの人には、勝利数だけでなく、BPも意識して観戦してほしいですね。

◆W杯1次リーグ順位決定方法 各組上位2チームが決勝トーナメントに進出する。勝ち=4点、引き分け=2点、負け=0点の勝ち点制で争う。4トライ以上、7点差以内の敗戦には、それぞれボーナスポイント1点が加算される。勝ち点が並んだ場合は(1)直接対決(2)得失点差(3)トライ数差(4)得点数(5)トライ数で決着。ここまで並んだ場合、前回は世界ランキング上位チームが上位だったが、今回は抽選となる。

◆15年大会1次リーグB組 日本が初戦で南アフリカに勝って勝ち点4を手にしたが、敗れた南アも7点差以内惜敗と4トライでBP2を獲得した。日本は続くスコットランドに完敗。その後サモアと米国に勝ったが、BPは1つもとれなかった。日本は南ア、スコットランドと3勝1敗で並んだが、BPの差で3位。W杯史上2度目の「3すくみ」はBPで決着し、日本は3勝で1次リーグ敗退した初のチームになった。

沢木敬介の解説

南ア戦収穫 相手キック精度落とせるか鍵/沢木敬介

南アフリカ戦後半、フランカーのリーチ(左手前)らスクラムを組む日本のFW陣(2019年9月6日撮影)

ポジティブな敗戦-。4年前のワールドカップ(W杯)で南アフリカ撃破に貢献した元日本代表コーチの沢木敬介氏(44)は完敗の南アフリカ戦を振り返って言った。

注目したのはスクラムとタックル。戦前に「合格点」と話していた数字に近く、7-41の完敗にも「点差ほど落ち込むことはない」と断言した。開幕まで2週間を切ったW杯に向けて、データに希望を見いだした。

   ◇   ◇   ◇

点差だけ見るとショックな負け方かもしれないが、まったく心配はない。逆にポジティブにとらえていい敗戦だと思う。優勝を狙うような強豪相手に通用した部分、逆に課題となるところ。それが明確に分かった試合だった。だからこそ、ポジティブになれる。

まずスクラム。確かに押されたところもあったが、マイボールはしっかりとキープできていた。南アのスクラムは今、世界のトップレベル。そこと互角に組めたのは大きい。ここで耐えられたことは、他のチームとやる時に自信になる。

南アフリカ選手の突破を止めるフッカー坂手(右)(2019年9月6日撮影)

そして、タックル。成功率81・5%は、試合の前に「合格点」としていた85%には届いていない。後半に疲れが出たのか75・9%と落ち込んだためだが、前半だけなら86・1%と十分な数字だった。フィジカルの強い相手と、互角に戦えていたのは大きな収穫だ。

モールトライを許さず、近場をパワーで「ゴリゴリ」攻めてくるのにも対応できた。FWのバトルは健闘していた。ただ、それを80分間続けるのは課題。タックル成功率のように後半になると数字が落ちる。高いレベルで80分間続けないと、強いチームには勝てない。

日本はポゼッション(ボール保持率)で57・9%と南アを上回った。キャリーによる獲得距離も654メートルで458メートルをしのぐ。パス本数も191対68と圧倒的だった。それでも、トライは1本対6本。ただボールを持ち、パスを回しても、トライは奪えない。問題はどこでボールを持ち、どこで相手に持たせるかということ。そのマネジメントの差が得点差になった。

相手のハイパントをキャッチする松島(2019年9月6日撮影)

気になるのはキック。日本はWTB松島や後方に下がったSO田村の裏に精度の高いキックを蹴られ、そのボールを再獲得された。南アが再獲得を狙って蹴ったハイキック12本のうち半数近い5本を取られた。対照的に日本は6本蹴って再獲得は1本だけ。この差がそのまま結果に出た。

より相手のキッカーにプレッシャーをかけて、キックの精度を落とさせるところが重要だ。逆に日本はキッカーが余裕を持って精度の高いボールを蹴ることができるように、相手のプレッシャーから守らなければならない。ここは、W杯に向けての修正点になる。

日本がW杯で戦うA組で最強とみられるアイルランドの守備は、この日の南アにも似ている。具体的に言えば、守備の時に上がり目のポジションをとるFBの背後が狙えるということ。この日、それが見えたこともW杯への収穫になる。

4年前の南ア戦、日本は周到な準備を重ね、それまで隠していたサインプレーでトライも奪った。この日の日本には、まだまだ見せていないサインプレーがあるはず。それを隠したままW杯本番を迎えられる。本番まで2週間、ポジティブな大敗の中にこそ、日本が目指すベスト8へのヒントは詰まっている。

南アフリカ戦後、観客にあいさつする日本代表選手たち(2019年9月7日撮影)

ラグビーW杯がやってくる

4年前南ア戦のように語り継がれる勝利を地元大会で

<15年9月20日南ア戦>

敵陣深くでリーチがスクラムを選択。右タッチ際から左へ展開し、立川の飛ばしパスを受けたマフィが相手を引きつけ、大外で待つヘスケスへ。途中出場のトライゲッターは、相手のタックルを受けながら、インゴール左端に体ごと飛び込んだ…。34-32。日本ラグビーの歴史が動いた。

 ◇    ◇    

15年9月19日、ラグビーW杯イングランド大会 日本対南アフリカ 終了間際、劇的な決勝トライを決めるヘスケス(撮影・PIKO)

今回のワールドカップ(W杯)日本代表で、あの南アフリカ戦のピッチに立っていたのは、堀江、田中、リーチ、松島、トンプソン、ツイ、稲垣、マフィ、田村の9人。4年間でメンバーは大きく変わった。だが、「スポーツ史上最大の番狂わせ」と世界から称賛された一戦は、次の世代の選手が進むべき道を、明るく照らし続けてきた。 当時、帝京大4年で、常勝軍団の主将を務めていたのが坂手。寮の部屋で興奮のあまり眠れずに朝を迎えると、岩出監督から声をかけられた。「この試合はチーム全員で見よう」。集合した食堂には、1学年下の姫野の姿もあった。エディー・ジョーンズHCから代表合宿に呼ばれた経験を持つホープも、当時は足のけがに悩まされていた。「プレーできていれば、もしかしたらあそこに自分も…」。悔しさはあった。だが、それ以上に日本人として誇らしかった。「4年後、日本大会は、絶対に自分が出る」。覚悟を決めた。

サントリー入社2年目の中村は、都内のスポーツバーで試合を見た。代表落ちした胸のつかえは、自らの未熟さを認めることで消えた。「今の自分のレベルではこの場では戦えない。ふに落ちたというか、自分にフォーカスすることで納得できた」。足りないものと向き合い、4年後へと視線を移した。

4年前、ジャージーをもらえず、スタンドから声をからした福岡は、世界から認められるトライゲッターへと成長した。控えだった田村は、絶対的な司令塔として、攻撃のタクトを振り続けてきた。再戦を前に、堀江は言った。「あれはもう過去の栄光だと思っている」。4年間、立ち止まることなく歩んできた自負が、短い言葉ににじみ出た。

日本が世界で勝てない時代から代表として戦ってきた堀江、田中、リーチらが新たな歴史をつくった。そして、彼らの背中を追いかけてきた選手たちが、今月20日、桜のジャージーをまといW杯の舞台に立つ。1つの勝利が、日本ラグビーを変えた。次なる標的は、強豪アイルランド、スコットランド。「あのアイルランド戦が」「あのスコットランド戦が」-。語り継がれる勝利が、また次の世代へとバトンをつなぐ力となる。開幕まで、あと13日だ。【奥山将志】

ピッチマーク

渡辺彩香、苦悩の日々に光明 渋野ら台頭も枯れない夢

日傘を差して2番ティーを待つ渡辺(2019年9月6日撮影・浅見桂子)

「こんな感覚は3年ぶりですかね。このままもう、球が打てなくなるのではないかという恐怖心と戦っていました」

ツアー通算3勝の渡辺彩香(25=大東建託)は、遠くを見つめながらそう漏らした。自分がどこへ向かっているのかも分からない。それは、真っ暗なトンネルを歩いていた過去を思い出しているようでもあった。

9月6日、茨城県北部の常陸大宮市で開幕したゴルフ5レディースの第1日。渡辺は4バーディー、ボギーなしの68で回り4アンダーの14位で発進した。60台を出すのは今季2度目。昨年から不振にあえぎ、今年はここまでツアー24戦に出場し19戦で予選落ち。80台をたたくこともあった。

12年にプロテストに合格し、14年にツアー初優勝。翌15年には2勝を挙げて年間獲得賞金1億円を突破した。まばゆいばかりの輝きを放った時期は、遠い昔の出来事になっていた。

172センチの長身から放たれるドライバーが、最大の魅力だった。それが唐突に、最大の弱点となる。

いつからか、ドライバーを持てなくなった。

「ひどかったですね。打ってみないと(球が)どこに行くか分からなくなった。右にも左にも出る。あれほど気持ち良く打てたドライバーが、気持ち良くない。その場しのぎでやるしかなくなっていました。

私、超ネガティブなんです。もう、ドライバーが打てなくなるんじゃないかと、このまま良くならないと思っていました」

ただ絶望感に襲われた。いつ復調するかも分からない。もう2度とあの球が、最大の武器が戻らないのではないか。自問自答を繰り返しながらも、ひたすらに練習し、打つことを、復活を、諦めなかった。

「やり続けてきた練習が、ようやく試合でも打てるようになってきました。今までは練習でできても、試合ではできない。

ずっと悪いなら、まだ納得できるんですけど、調子が良くなったと思ったら、また悪くなることの繰り返し。『もう、無理だ』と思ったこともありましたし、精神的にキツイ時期があった。続けてきたのは根本的なこと。突っ込まず、フェースの向きと位置を考えた」

女子ゴルフ界は、急激な勢いで若い世代が力をつける。98年度生まれの黄金世代が次々とツアー優勝を果たし、渋野日向子(20)は男女を通じ日本勢42年ぶりにメジャーを制した。渡辺が不振にあえいだこの1年間で、構図は変わりつつある。そんな現状を、冷静に受け止める。

「自分もそういう(勢いのある)時があった。早い段階で、頑張れた。今の若い子は、みんなうまいですよね。私は、久しぶりにストレスがなくショットが打てることがうれしいです。今までは不安でしかなかったけれど、今は100%で打てる。不安はゼロです」

16年7月の全米女子オープン最終日。最終18番パー5で勝負に出た第3打を池に落とし、リオ五輪出場を逃している。悔し涙に暮れたあの夏から、3年の月日が流れた。

当時、目の前にあった五輪出場は、今は、はるか遠くにある。それは、苦悩と葛藤の日々が長かったことを物語っている。

それでも、彼女にはまだ、枯れることのない夢がある。賞金シード権復活と、4年ぶりのツアー優勝へ。

「気持ちが前向きになった。状態が良くなると、すぐに結果が欲しくなりますね」

9月19日で26歳になる。まだまだ、老け込む年齢ではない。【ゴルフ担当=益子浩一】

優勝トロフィーを掲げる渡辺(2015年11月1日撮影・丹羽敏通)
渡辺彩香
ラグビーW杯がやってくる

南ア戦タックル成功率85%以上相手3T以内で成功

沢木敬介氏

<沢木敬介氏に聞く南ア戦のポイント>

ワールドカップ(W杯)前最後の実戦となる南アフリカ戦。開幕直前の強豪との一戦で、日本代表が最終確認すべきポイントは何なのか。サントリーで3季監督を務め、15年W杯では、日本代表エディー・ジョーンズ・ヘッドコーチの参謀役も務めた沢木敬介氏(44)に、ずばり聞いた。

  ◇   ◇   ◇  

「15年の再現」を期待される人は多いだろうが、現時点での力を比較すれば、勝利は簡単ではない。それぐらい今の南アフリカは状態が良い。8月のアルゼンチン戦を見たが、スクラムが相当強く、選手たちから出ているエナジーもすごかった。W杯が行われる日本で、しかも相手が4年前に負けた日本。モチベーションも相当高いだろう。南アフリカにとっては、本番前にチームが結束するための最高の試合と言える。

日本は仮に負けたとしても、下を向く必要は全くない。あくまで、言葉通りの「プレパレーションゲーム」だ。作りあげてきた、今のラグビーのベースの部分が南アフリカ相手にどれだけ通用するか。そこで手応えを得られれば、十分ポジティブな試合と言える。

チームとして確認したいのは3点。1つは、南アフリカが武器とする世界トップクラスのフィジカルにどこまで対抗できるか。2つ目は、セットピース。直前のゲームだけに、隠さないといけない部分もあるが、本番のアイルランド戦を考えても、南アフリカに通用すれば大きな自信になるだろう。最後はフィットネス。強度の高い試合の中でどれだけ走れるか。「走り勝つ」のは日本の根幹の部分。超満員の会場で開幕戦と同じナイター。最高の環境で、本番を想定した最終確認ができるだろう。

数字的には、タックル成功率85%以上、相手を3トライ以内に抑えることが出来れば理想的だ。その2つがクリアできれば、勝ち負けに関係なく、収穫の多いゲームと言える。

けがを考えても、選手起用も難しい試合となるが、「南アフリカに通用する選手=ティア1を相手に戦える選手」であることは間違いない。SO松田力也など、これまでプレー時間が少ない選手が活躍すれば、それ以上の明るい材料はない。(前サントリー監督)

ラグビーW杯がやってくる

6日南ア戦 新型天然芝ティフグランドで再び感動を

日本-南アフリカ戦が6日夜、埼玉県熊谷市で行われる。会場の県営熊谷ラグビー場は、もう1つの「大勝負」に挑む。昨年4月にワールドカップ(W杯)開催12会場で唯一の新型天然芝「ティフグランド」を導入した。試合の勝敗を左右するスクラムなどにも影響するため、W杯本番を前に大会関係者は目を光らせている。

ティフグランドが導入された県営熊谷ラグビー場

絶対に失敗が許されない戦いが始まる。熊谷ラグビー場は約124億円かけた改修工事で、天然芝も全面リニューアルした。国内会場で初となる新品種「ティフグランド」を導入し、ピッチの最終調整も続く。埼玉県公園スタジアム課の榎本恒彦氏(51)は「日本代表には最高のピッチで大暴れしてもらいたい。4年前の感動を次は熊谷で再現してほしい」と大金星を期待した。

ティフグランドは米ジョージア大が開発。従来の天然芝に比べて日陰に強く、6割程度の光で生育する。緑色の期間が長く耐久性もあり、回復も速いのが特徴だ。14年サッカーW杯ブラジル大会の会場だったベイラ・リオスタジアムなどでも使用され「ベストピッチ賞」を受賞した。芝の生産、販売を手掛けるチュウブ(本社・東京都中央区)が17年に県に提案。ラグビーにおいて芝は重要な要素で、同7月にパナソニックと立正大によるスクラム実験を実施した。「根の強度が高くて芝がめくれない」「スパイクにしっかりと絡む」など高評価を得て、採用が決定した。

約2万4000人収容の熊谷ラグビー場は昨年10月、こけら落としでトップリーグ(TL)の試合を開催。その後もTLや高校の試合で使用したが、代表戦は02年のトンガ戦以来となる。今回は15年W杯で歴史的勝利を挙げた南アフリカ戦で注目度も高く、チケットはすでに完売。県や市の担当者は過去に2万人規模の運営経験がなく、緊張感が漂う。

芝を管理する県の男性担当者は毎日約3時間、ミリ単位で葉先を刈り込む。神経と愛情を注いで「激戦に負けないピッチ」を目指している。当日の芝の長さは25~27ミリ。サッカー場の10~20ミリ程度と比べると長く、選手の足への負担が軽減されるという。今年は長梅雨で日照不足にも悩まされた。男性担当者はこう言う。「言い訳はできない。試合後、芝について反応があるようではダメ。選手が気にならないのが一番。南アフリカ戦が成功すれば、本番の3戦も大丈夫。W杯初戦の気持ちで臨む」。

W杯前哨戦となる重要な一戦まで残り1日。毎年、全国高校選抜大会が行われる「東の聖地」が、世界に誇れる最高の環境を整える。【峯岸佑樹】

チアの木曜日

電通キャタピレッツ「仕事と両立」1000人超目標

アメフトXリーグの電通キャタピラーズのチアが「電通キャタピレッツ」だ。結成2年目の若いチームで、今季は21人が所属。メンバー全員が広告会社の電通やグループ社員だ。「仕事とチアの両立」がモットーで、観客動員のために社内でデモンストレーションも行っている。

結成2シーズン目を迎えた電通キャタピレッツ

「電通キャタピレッツ」は昨年デビューした。一昨年12月、電通キャタピラーズが入れ替え戦に勝ってXリーグ1部昇格を決めた。それに伴い、電通社内の経験者を集めてチームを結成する話が持ち上がった。

その中心となったのが、慶大出身で現キャプテンの西井萌と立大出身の川島里佳子だ。2人とも大学時代にチアリーダーを務め、東京6大学野球などで応援していた。2人が社内で声をかけ、女性16人が集まった。

チア、ジャズダンス、バレエなどメンバーの出身はさまざま。元フィギュアスケート選手や地下アイドルもいた。近くの体育館を借りて、仕事終了後に週2、3回の練習を重ねた。昨年6月のパールボウルでお披露目し、秋シーズンから本格的に始動した。

サイドラインのダンスの振り付けはメンバー全員で考えた。応援でスタンドがどっと沸くのが「電通コール」。これも彼女たちのアイデアだ。チアの「エブリバディー・デンツウ」のコールに合わせて、全員が「デンツウ」と声を張り上げる。西井は「観客席は電通やグループの社員がほとんどで、アットホームな雰囲気です。皆さん思い切り『デンツウ』と叫んでいますよ」と笑う。

「1000人動員プロジェクト」も展開中。昨季の1試合のホーム観客数は788人が最高で、今季は1000人超えを目標にしている。その一環として、昼休みに社内でストレッチやダンスなどのチアエクササイズのレッスンを行った。ここでも最後は「電通コール」が響き渡った。

8月にスタートした新シーズン。メンバーは男子1人を含め21人に増えた。川島は「昨季はとりあえずチームを成り立たせるのが目標でしたが、今季は他チームに追いつけるようにレベルアップしていきたい」。西井は「メンバーは最前線で仕事をしていますが、仕事とチアをどちらも妥協なく両立させていくのが目標です」と話した。

電通キャタピレッツの応援風景

◆電通キャタピレッツ 1000人動員プロジェクトの一環で、社員の子供を対象にキッズチア教室を開いたことも。電通キャタピラーズは今季、X1 AREA EASTに所属。トップリーグのX1 SUPER昇格を目指すチームを21人のチアが後押しする。

ラグビーW杯がやってくる

大相撲のスカウトも 具智元の「大食い伝説」とは

韓国出身の日本代表プロップ具智元(グ・ジウォン、25=ホンダ)は、6日の南アフリカ戦に向け、都内で最終調整を続けている。7月の宮崎合宿で右手甲を骨折したが完全復活。スクラムの要としてパワーは健在で、その源は食事にある。中3から4年間過ごした大分県佐伯市では、数々の「大食い伝説」を残してきた。

具智元(右)が相撲の九州大会で食べた巨大佐世保バーガー

具は学生時代から練習と同じぐらい食事もストイックだった。鶴谷中3年時に佐伯市へ移り住み、当時は178センチ、94キロと体格は決して大きくなかった。しかし、元韓国代表で「アジア最強プロップ」と呼ばれた父東春さんの影響もあり、成長期を迎えて一気に食事量が増えた。佐伯市内では「食いしん坊」としても知られていた。

伝説(1)日本相撲協会スカウト 鶴谷中3年時、「思い出づくり」も兼ねて即席相撲部に参加。焼き肉店でファミリーセット4皿(12人前相当)以上を注文し、九州大会では巨大佐世保バーガーを平らげて団体での全国大会出場に貢献した。「機敏な動きでセンス抜群」と、同協会関係者からスカウトの電話もあった。

相撲の全国大会で活躍する具智元(左)

南国の大盛チャーシュー麺(撮影・峯岸佑樹)

伝説(2)おやつは佐伯ラーメン 日本文理大付高時代に毎週、ラーメン店「南国」へ通った。南国は佐伯市出身の力士、嘉風もこよなく愛する名店。土日の昼食後、寮から徒歩で片道1時間かけて、学割価格の大盛りチャーシュー麺とご飯を3セット以上注文した。しかし、徒歩で帰宅すると、その頃には腹が鳴っていた。他店では、メニューにないトリプル(3玉)や替え玉を10回以上頼み、スープがなくなって店員が無料追加してくれたことも。けがしても豚骨ベースの「佐伯ラーメンを食べれば治る」が口癖だった。

伝説(3)夏祭りの英雄 高2の時、夏祭りの大食い大会に飛び入り参加。大人に交じって、カレーライス600グラム、特産のくじゃく(ゆで卵が入った練り物)2個、コカ・コーラ500ミリリットルを一気に飲み干して圧勝した。「あの子は何者なんだ」と市民を驚かせた。

佐伯市を離れてから6年が経過したが「第2の故郷」への思いは強い。今でも年に数回、母校や飲食店などへ顔を出す。現役引退後は兄智充(27=ホンダ)と飲食店経営を夢見るほど食べ物が大好きで、体格は183センチ、122キロまで成長した。16日後には日本代表としての誇りを胸に夢舞台へ臨む。「佐伯のみんなに成長した姿を見せたい」。大食漢の恩返しの挑戦が始まる。【峯岸佑樹】

南国に貼られている具智元の応援ポスター

We Love Sports

プロ奥原希望が五輪金へ確信得た世界唯一のラケット

奥原希望(2019年7月27日撮影)

8月25日までスイスで行われていたバドミントン世界選手権の女子シングルスで、奥原希望(24=太陽ホールディングス)は決勝でインドのプサルラに完敗して準優勝に終わった。「素晴らしい舞台で、ふがいない試合をして申し訳ない」と号泣したが、準決勝までの戦いぶりで確かな手応えをつかんだように思えた。

今年1月にプロ転向。目の前の1勝も大事だが、常に東京オリンピック(五輪)を見据え「完成形」を目指し、自分のスタイルを研究し続けている。

そんな中、今年5月にミズノ社と研究を重ねた新しいラケット「ALTIUS 01 FEEL」が完成した。15年12月に契約を結んでから約4年。1年の半分以上を遠征で海外で過ごす奥原と、テストをする時間もなかなか取れなかったというが、ようやく納得のいく製品が出来上がった。

開発に携わった同社の三宅達也氏(31)は「ラケットは靴とかと違って本人にしか分からない。時間がない中で、要求しているものがうまく作れず、4年間で500本近くは作ったと思う」と苦労を明かした。

細かいデータをたくさん出したこともあったが、本人の感覚と違う時も。「勝ってくれているのであればいいのかな」と結論付けたこともあった。

同社は20年ほど前からバドミントンのラケットは作っていなかった。今回の契約で、昔作っていた職人が復活。ゴルフクラブに携わる職人が軽量でぶれにくいシャフトを作り、野球の道具に携わる職人がヘルメットで使用している素材を使ってコーティングした。

さまざまなスポーツの用具を扱っているミズノならではの技術が融合したラケット。見た目も性能にもこだわる奥原に最適なものを提供することができた自負があるという。

17年までは球を“つかみにいく”ことを中心に作っていたが、ブレーキがかかり、つかみすぎではないかと考え、奥原に「球持ちも大事だが、もう少しはじくのもいいのでは」と提案。少ない力でもシャトルが飛ぶ機能を意識した。さらに開発を続け、インパクトの直前に手首を返す「ねじれ」の動きがシャトルにしっかりと伝わるようになり、今回の最新型にたどりついた。

奥原は「シャトルをつかんでコントロールする、ということをテーマにやってもらった。つかむ感覚以上に、はじいて鋭い球がいくように作ってもらった。プレーの幅が広がっているのを実感している」と大きなラリーを得意としていた奥原の攻撃のバリエーションが広がった。

気圧の変化でもストリングス(糸)が伸びて感覚が変わる。シャトルのつかみ感と反発力という、一見相反する2つの性質を兼ね備えたストリングス。ミズノの社員の汗と苦労が染み込んだ試行錯誤のラケットで、奥原は勝利をつかんで、東京五輪に向かう。(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆松熊洋介(まつくまようすけ) 1977年(昭52)4月30日、福岡県生まれ。日刊スポーツ入社後、編集局整理部、販売局を経て、18年12月より東京五輪・パラリンピックスポーツ部に異動。現在、ラグビー、バドミントン、バスケットボール、ソフトボール、アイスホッケー担当。

奥原希望(2019年7月27日撮影)
ピッチマーク

石川遼「鉄の意志」で見せた挫折からはい上がる強さ

長嶋茂雄招待セガサミー・カップで優勝し優勝杯を掲げる石川遼(2019年8月25日撮影)

男子ゴルフの石川遼(27=CASIO)が「強さ」をみせてくれた。1カ月半ぶりのツアー再開だった8月下旬の長嶋茂雄招待セガサミー・カップで4日間、トップを守り続け、自身初の2大会連続優勝したその強さももちろんだが、その戦い方に、心が震えた。

13年に米ツアーに参戦したが、なかなか結果につながらず17年に撤退した。18年から再び国内に主戦場に置いているが、頭には常に世界挑戦がある。今季は腰痛の影響で4月の東建ホームメイトカップを欠場し、5月の中日クラウンではプロ転向後、初めて棄権した。世界は遠い道のりかと思われたが、ツアーに出場しない間、肉体、スイングを改造しただけでなく、戦い方も変えた。

米ツアーに参戦する海外勢は、飛ばし屋が多く存在する。飛距離を求めるがあまり、自分の良さを消してしまう選手が多い。石川も飛距離にこだわり、ドライバーの調子を落としたが、今は違ったアプローチから世界に挑もうとしている。外国勢と対等に戦うため、プライドもかなぐり捨てて「飛距離を伸ばすより、飛んで曲げない人とグリーンにいったら同じくらいの距離にいるというところで戦う」ことを選択。アイアンショットで戦う「鉄の意志」を固めた。国内に戻り、選手会長を務め、競技の普及などに尽力し、多忙を極める中でも、ずっと挑戦する気持ちを失ってはいなかった。

アマチュアだった15歳でツアー優勝を果たし「ハニカミ王子」として時の人となった。若くして勝利を積み重ね、米ツアーに挑戦し、そして、挫折した。それでも、諦めず、肉体、思考に変化を加え、雪辱の機会を模索することは、勇気が必要なはず。正直、今後日本に居続けてもだれも何も言わないはずなのに、そこから逃げずにはい上がろうとする思いは、競技以上に強さが感じられた。

大会後、義理の母の死を伝えた。木曜日に亡くなり、その死とも対峙(たいじ)していた。闘病中だったとはいえ、最愛の人の死を受け止めるにはあまりにも短い時間だ。それでも、出場に踏み切った。「変わらず頑張る姿を見せたかった」と胸中を吐露したが、葛藤と戦っていたことは想像に難くない。その前日、AIG全英女子オープンを制し、注目を集める渋野日向子(RSK山陽放送)の話題になると「たくさんの人から応援されていることを忘れないでほしい。ボールには人の思いが乗っかる。応援されている方が絶対に力になる」と話していたが、そんな思いも支えていたのかもしれない。

逃げずに逆境、苦しみに立ち向かうことの意味を、だれよりも知っているんだろうと思う。僕らも立場は違えど、社会で暮らし、人の死に直面することもあれば、挫折を繰り返す。人生に迷うこともあるが、そんな時、アスリートに、励まされ、勇気をもらい、その姿に自身を投影させ、もう1度、もう1度と心が奮い立つ。だからこそ、スポーツに熱狂するんだと思う。石川にも、間違いなくそう思わせてくれる強さがある。

今後、10月開催の日本初開催となる「ZOZOチャンピオンシップ」(千葉・習志野CC)で久々に米ツアーに参戦する。石川遼の第2章の幕開けと言ってもいいその戦いも、また、僕らに何かを伝えてくれるんだろうと思う。今から心待ちにしたい。【松末守司】

(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)

長嶋茂雄招待セガサミー・カップ 優勝スピーチで目元を赤くし義母が亡くなったことを話す石川遼(2019年8月25日撮影)

ラグビーW杯がやってくる

観戦者の対応がW杯成功のカギ&東京五輪への試金石

スタジアムには早めの来場を-。ワールドカップ(W杯)開幕まで3週間を切り、大会組織委員会は観戦者へ呼びかける。大会準備も大詰め、国内12会場は観客に対してもスムーズな運営を目指す。これまでの大学やトップリーグのラグビー観戦とは違う「特別な大会」。来年の東京オリンピック(五輪)、さらに20年以降の「レガシー」となるように、観戦者対応への準備も本格化する。

   ◇   ◇

「90分前までにはスタジアムに」。大会組織委員会は、観戦者に呼びかける。先月まで行われたパシフィック・ネーションズカップ(PNC)では、W杯に向けた「予行演習」が行われた。通常の国内大会と違うのは入場ゲートでのセキュリティーチェックだ。

「長い場合だと、60分お待ちいただくこともある」と組織委は話す。到着がギリギリだと、待っている間にキックオフされる可能性もある。PNCでは「問題はなかった」が、多くの観客を見込むW杯本番では何があるか分からない。

スムーズな入場のため、組織委は持ち物にも注意を促す。「危険物はもちろんですが、飲食物も持ち込めません」。入場前に弁当や飲み物を買っても、持ち込めない。通常の観戦とは大きく違う。さらに、長傘もアウト。制限は多い。

「荷物は少なく、持ち込み禁止を守っていただければ、チェックの時間は短縮できる」と、組織委は観客への理解を求める。飲食物はスタジアム内の売店で購入することになる。

ただし、ここにも問題があった。PNCでは売店に長蛇の列。買えたころには試合が始まっていたという声もあった。何の列か分からずに並び、結局目当てのものを購入できないというケースもあった。組織委は「何の列かが分かるように表示するなど、対策をしたい」。テスト大会で出た課題は解決を目指すという。

チームや選手は、W杯を理解している。大会側は配慮し、チーム側も準備をする。問題は観客。普段から観戦するファンも、国内大会との違いに戸惑うことがあるはず。ましてや、W杯で初めてラグビーを見る人も多い。海外からも多く訪れる。観戦者のマナー喚起や意識改革は、大会成功のために必須な要素だ。

W杯での経験は、来年の東京五輪・パラリンピックにも直結する。両組織委員会は提携を結び、現場レベルでの情報交換も行っている。「19年W杯から20年東京大会へ」という言葉も使われる。「ラグビーW杯の成功が、20年大会につながる」と、東京大会組織委員会の森喜朗会長は話す。

中でも、観戦者の意識が変わることは大きい。東京大会組織委員会は暑さ対策に取り組んでいる。中でも入場ゲートをスムーズに通すことは最重要課題。W杯で「早めの行動」「荷物の削減」ができれば、来年につながる。観戦者のマナーや意識は重要。これが、将来のスポーツ観戦のための「レガシー」になる。

6日に行われるW杯前最後の日本代表戦(対南アフリカ、熊谷)も、本番のテスト。今回は熱中症対策としてW杯では禁止のペットボトル持ち込みもOKになる(詳細は日本ラグビー協会HPで)。組織委ではID登録をしたチケット購入者向けのメッセージや観戦ガイドツイッターなどSNSを使って観戦者への情報提供、協力の呼びかけを行っている。いよいよ迫ったW杯開幕。準備の締めくくりは、観戦者への対応だ。【荻島弘一】

We Love Sports

先の柔道がカンフル剤 後のレスリングも良き流れを

男子66キロ級 阿部(右)を下して決勝進出を決め雄たけびを上げる丸山(撮影・河野匠)

8月25日から9月1日まで聖地・日本武道館で行われた柔道の世界選手権でうれしい「遭遇」があった。客席を歩いていると、目の前に現れたのはレスリング男子フリースタイル57キロ級の高橋侑希(25=ALSOK)だった。向こうもこちらに気づき、軽くあいさつを交わす。「いや~、いい雰囲気ですね。阿部選手と丸山選手、どっちが勝つのかなあ」。その日は男子66キロ級の日。世界選手権2連覇中の阿部一二三と、その阿部に2連勝中の丸山城志郎が準決勝でぶつかるまであと1時間といった会場だった。

英語での選手紹介、ライトを駆使したショーアップ、席を埋める観客を埋める観客の姿に、迫る自身の世界選手権のイメージをふくらませていたのかもしれない。9月14日にカザフスタンで開幕する世界一決定戦は、17年以来の優勝をねらい、メダル獲得で東京五輪の代表に内定する大一番。会った日は都内で長期の代表合宿中で、午後の激しい練習を終えて武道館に駆けつけていた。もともと興味津々だった柔道の試合を生で観戦する好機を逃すまいと、その翌日も姿を見せ、男子73キロ級で大野将平が二本持つ柔道で圧倒する姿も目に焼き付けた。「すごすぎです! かっこよかったです」。世界舞台での同世代の日本選手の奮闘は何よりのカンフル剤になっただろう。

レスリングと柔道。そもそも前者の日本への普及の源流は後者にある。日本レスリング界の始祖、八田一朗は早大柔道部時代に輸入スポーツとしてのそれに魅了され、日本での振興に人生を駆けていった。1930年代、黎明(れいめい)期は柔道家たちが転向、もしくは兼業していくことで競技人口を増やしていった。32年のロサンゼルス五輪に初参加した7人の日本代表はみなが、柔道の高段者だった。

この歴史の発端を知らずか、女子レスラーからも高橋同様の効能が聞かれた。女子53キロ級で世界代表の向田真優は、合宿先の新潟県でテレビ越しに丸山の激闘を見届けた。阿部との準決勝。序盤に足を痛めて引きずる苦境を次第に挽回し、表情を崩さない静かな必死さで阿部を追い詰めた姿。最後は浮き技で技ありを奪って勝ち、直後の決勝も合わせ技で一本勝ちをした。「気持ちの強い方がやっぱり勝つのかなと。丸山選手をみていてそれを感じました。私は気持ちの部分が課題だと思っているので」とけがを不屈の姿勢で乗り越えた丸山から大きな確信を得ていた。

おそらく他のレスラーも何らかの形で柔道の結果を見聞きしたと思う。そして、「自分も…」とわが身に照らしたはずだ。来年の東京五輪でも柔道が先でレスリングが後という流れは同じ。広くチームという観点から見れば、共闘である。今年の「予行演習」でも良き流れを期待したい。【阿部健吾】

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

ラグビーW杯がやってくる

「ワラビーズ」愛称に騙されるな/オーストラリア

<村上晃一氏の強豪国分析(5)>

■世界ランク6位オーストラリア

オーストラリア代表には、そのエンブレムから「ワラビーズ」という、かわいい愛称がある。しかし、ワールドカップ(W杯)での実績は華やかだ。過去8大会で4度決勝に進出して2度優勝。ニュージーランドが「スピード」、南アフリカが「パワー」なら、オーストラリアは「組織」。世界をけん引する2強に勝つため、新戦法を編み出すなど、知恵と工夫を凝らすのがワラビーズ流だ。

2014年から指揮を執るマイケル・チャイカ・ヘッドコーチ(52)は、イタリア、アイルランド、フランスなど世界各地を渡り歩いた経験豊富なコーチだ。15年大会で準優勝して以降は、国際試合で18勝24敗2分。いまひとつの戦績に解任論も出たが、W杯を前にチームを立て直してきた。

ボールあるところに必ず現れるフランカーのマイケル・フーパ-、抜群の突破力を誇るCTBサム・ケレビらを軸に、パスを多用して攻め続けるスタイルを磨き、8月10日にはNZに47-26で快勝したのだ。この試合では、13年以降ワラビーズを離れ、欧州でプレーしていたジェームズ・オコナーがCTBとして先発復帰した。18歳で代表デビューした天才も29歳。円熟のスキルでワラビーズの攻撃力を押し上げるのは間違いない。甘いマスクも手伝って日本大会のアイドルになる可能性も十分にある。