日刊スポーツ

鈴木博美、伊東浩司夫妻「心の中に小出監督はいる」

鈴木博美、伊東浩司夫妻「心の中に小出監督はいる」

小出さん宅を訪ねた鈴木氏(右)と伊東氏(撮影・大野祥一)

97年世界選手権女子マラソン金メダリストの鈴木博美さん(50)は午後3時ごろ、前男子100メートル日本記録保持者で夫の伊東浩司さん(49)と弔問に駆け付け「私たちの心の中に小出監督はいる。まだこれからも見守ってくれると思います」と話した。

3月末に指導の第一線を退いた小出さんは「ゆっくり旅行したい」と話していたという。鈴木さんは「それはかなわなかったですが、ゆっくりしていただきたい」と悼んだ。

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山県が帰国「たぶん大丈夫」負傷の右太もも検査へ

山県亮太

陸上男子短距離の山県亮太(26=セイコー)が25日、遠征先のカタールから帰国した。

アジア選手権は100メートル準決勝後に右太もも裏に違和感があって決勝を棄権した。この日は「向こうで練習はしました。たぶん大丈夫です。一応、26日に検査があるので。それをやって」と話した。

次戦に予定する5月6日の木南道隆記念(ヤンマースタジアム長居)に出場する意向を示しているが、検査の結果も考慮に入れることになる。

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「芸者でも呼んで」小出さん希望賑やかお別れ会検討

00年9月、シドニー五輪女子マラソン表彰式の後、ひげをそったアゴを高橋尚子になでられ笑顔の小出義雄さん

24日朝に80歳で肺炎のため亡くなった小出義雄さんのお別れ会を開催する検討が25日、始まった。

関係者によると、すでに帝国ホテル(東京・内幸町)など一流ホテルの営業員が、小出さんが代表を務めていた佐倉アスリート倶楽部を訪れ、会場に関するオファーをしているという。生前に小出さんは「坊さんを呼ぶんじゃなくて、芸者でも呼んで、歌でも流せ」と言っていたという。実現すれば、湿っぽさなどない、にぎやかな会となりそうだ。

この日、千葉・佐倉市内にある小出さんの実家にはファンと見られる人も訪れていた。ともに、さくら斎場で開かれる通夜(28日午後5時)、告別式(29日午前9時)以外にもファン、関係者らが平成の名伯楽をしのぶ場ができるかもしれない。

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高橋尚子さんに「お前はこれからも輝け」小出氏遺言

弔問した後、涙ながらに話す高橋尚子さん

00年シドニー五輪金メダリストの高橋尚子さん(46)が、女子マラソン界の名指導者・小出義雄さんの死去から一夜明けた25日、千葉・佐倉市内の自宅へ弔問に訪れた。80歳で亡くなった恩師と約1時間対面した後、涙があふれ出た。入院中の小出さんからは「夢をかなえてくれてありがとう」と電話で感謝を伝えられ、最後に言葉を交わした4月18日には「お前はこれからも輝いていけよ」との遺言を授かったと明かした。

   ◇   ◇   ◇

高橋さんは沈痛な面持ちだった。午後1時40分から約1時間。今までの「御礼」「一緒に歩んできた思い出」などと恩師に語りかけた。ただ、いつもと違って目は閉じたままだった。「本当にすぐ目を覚ましそうで…。『高橋です』と言ったら、目を開けていなくても『分かるよ。声で』っていう言葉がいつも返ってきていたので。今日もそうやって目を開けてくれるんじゃないかと思って。すごく苦しい思いになりました」。涙がこぼれ落ちた。

3月下旬。小出さんから電話があった。「俺はあと1日、2日だよ」。最初はいつもの冗談かと思い「何言っているんですか」と返したが、様子が違った。「今までいっぱい走ってくれてありがとな。そして夢をかなえてくれてありがとうな」と感謝を伝えられた。米国にいた高橋さんは「大変なことが起きている」と急きょ、帰国した。それから何度も病院へお見舞いに行き、4月以降は手紙も「7、8通」渡したという。

最後に対面したのは4月18日だった。小出さんの意識もしっかりしていた。「俺もうダメだからさ。お前はこれからも輝いていけよ」と伝えられた。それが遺言となった。高橋さんは「弱い私を育ててくださり、オリンピック、世界記録も出させていただいたのは小出監督のおかげ。教わったことがすごくたくさんある。それを伝えていけるように。教わったことを忘れないようにしていきたいと思います」。その魂を受け継いでいく。【上田悠太】

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高橋尚子さん涙の弔問、死悟った小出氏から感謝電話

弔問した後、涙ながらに話す高橋尚子さん

女子マラソンの名伯楽・小出義雄さんが亡くなって一夜明けた25日、千葉・佐倉市内の自宅に高橋尚子さん(46)が弔問に訪れた。

午後1時40分に自宅に入り、約1時間の間、小出さんと対面した。その後、沈痛な面持ちで「今までの御礼と一緒に歩んできた思い出をお話をさせていただきました」と語った。

3月下旬に入院後、何通も手紙を送っていたという。「弱い私を育ててくださり、オリンピック、世界記録を出させていただいたのも小出監督のおかげ。1つ1つを振り返りながら、監督とお話をさせてもらいました」などと話し、涙をぬぐった。

3月下旬、米国滞在中に小出さんから電話があったという。「あと1日2日だよ」と言われ、「はじめは冗談だと思いました。『何を言ってるんですか』と返したんです」と振り返った。そして「『今までいっぱい走ってきてくれてありがとな。夢をかなえてくれてありがとな』と言われました」と偲んだ。その後日本に帰国し、何度もお見舞いに行ったことも明かした。

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大迫の意見で「強化委員会による推薦」の修正検討へ

大迫傑(19年3月1日撮影)

日本陸連が、男子マラソン日本記録保持者大迫傑(27=ナイキ)の問題提起を受けて、日本選手権の「強化委員会による推薦」の文言について、修正を検討することが25日、分かった。

尾県専務理事が都内で取材に応じて「あれ(強化委員会推薦)をやめてしまうとか、世界選手権メダリストなどの文言を入れるか。(強化部に)見直しについて、検討をしてもらいたいと思います」と口にした。検討の時期については、6月の日本選手権(一般種目)が終わった後になるという。

問題の発端は、大迫が自身のツイッターで、まだ出場資格のない1万メートルの日本選手権(来月19日、ヤンマースタジアム長居)の要項に記される強化委員会の推薦での出場を申請したが、断られたことを明かしたこと。同選手権の要項にある「強化委員会が特に推薦する本連盟登録競技者」がどのような選手を示しているのか、基準が明記されてないことを問題視した。その上で「なぜこのような項目を入れたのか。(強化委員会の)お気に入りの選手を出場させたいから」と苦言を呈した。

これに対し、日本陸連の河野匡・長距離・マラソン・ディレクターは「(間に人が入って、本人に)ちゃんと伝わっていなかったようだ。誤解がある」とした上で、推薦枠の適用について「ほとんど例がない」。そして基準の明記についても「どういうケースが出てくるか、想定できない」と否定的な意見を示した。

この見解に触れた大迫は再びツイッターで「明記できない規定は外すべきではないでしょうか」と訴えていた。

尾県専務理事はこの日「(要項の)伝え方の問題があった。そこは彼にとっても申し訳なかった」と陸連サイドの非を認めた。その上で「選手が主張する権利はあります。ただSNSではなかなか正確な主張はできないので、直接言ってもらいたかった部分はありますね」とも口にした。

大迫は「こういうツイートをする事は、僕自身にも余計なプレッシャーをかけるし、リスクがある事を理解してほしい。だけど声を上げていかないと、ずっと変わらない」と覚悟を示していた。その言葉は、日本陸連による推薦文言の再検討という形で、ひとまず実を結んだ形となった。

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日本陸連が小出義雄さんの功労表彰を検討

小出義雄さん(13年11月撮影)

日本陸連が、24日に亡くなった小出義雄氏(享年80)に対して、功労表彰を検討することになった。

尾県貢専務理事が25日、東京都内で明らかにした。尾県専務理事は、小出氏について「高校(駅伝で優勝)の実績から世界まで幅広く活躍された指導者。ほめることが育成につながるという信念をもっていた。高地トレーニングの実施もどこまでやれるかなど、科学的根拠も持っていた」と話した。

小出氏は多くのオリンピック(五輪)、世界選手権メダリストを輩出。その中でも00年シドニー五輪女子マラソンの高橋尚子は、陸上日本女子で五輪初の金メダルという金字塔を打ち立てている。尾県専務理事は「これからの検討になりますが、何らかの功労賞を。(日本陸連の)年間表彰(の場で)などで考えられると思います。女子マラソンの普及にも貢献されたかたです」と話した。

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有森裕子理事「渋谷と、日本陸連で元気と健康を」

渋谷区との「相互協力に関する協定」調印式セレモニーに出席した日本陸連の有森裕子理事(右)と尾県貢専務理事(撮影・益田一弘)

日本陸連が、健康増進として掲げる「ウェルネス陸上」を推進するため、東京・渋谷区との「相互協力に関する協定」の調印式セレモニーが25日、渋谷区役所で行われた。

日本陸連は6月1~9日で、全国でランニング人口の拡大、健康社会の実現を目指した「Running Week 2019」を開催する。第1回となる同イベントにおいて、「渋谷区全域15平方キロメートルの運動場」を目指す渋谷区と連携する。開催期間中は同区内の複合施設「渋谷キャスト スペース・ガーデン」がリーディングエリアとして、各種ランニング関連イベントを開催して、情報発信する。

会見には日本陸連の尾県貢専務理事と有森裕子理事が出席した。尾県専務理事は「すべての人がスポーツを愛し、習慣化する。渋谷区から国内のみならず、世界に発信できると思う。若者の街、渋谷に『スポーツタウン、シブヤ』という新たな称号がつく日も近いと思っております」と口にした。

また有森理事も「おしゃれな街、渋谷と、日本陸連で元気と健康をもたらす流れをつくれたことをうれしく思う。1人でも多くの人に走る喜びを感じてもらえるようにしたいと思います」と話した。

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美女アスリート木村文子が100m障害で優勝

<陸上:アジア選手権>◇最終日◇24日◇ドーハ

女子100メートル障害は木村文子(エディオン)が13秒13で制し、青木益未(七十七銀行)が3位となった。

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衛藤は走り高で銀 トレードマークの白いはちまき

<陸上:アジア選手権>◇最終日◇24日◇ドーハ

男子走り高跳びは衛藤昂(味の素AGF)が2メートル29で2位、戸辺直人(JAL)が2メートル26で3位となった。

2015年大会優勝の実績を持つ衛藤はトレードマークの白いはちまきを巻き、銀メダルを獲得した。2メートル23、26、29をいずれも3回目でクリア。粘りを発揮し「権利がある限り挑み続けるしかない。気合と手拍子のおかげ」と相好を崩した。

冬季も跳躍練習を重ね、踏み切りで重心が下がる悪癖の修正に努めてきた。「理想の動きはできているが、3回に1回。その確率を上げていければ一発でいけるようになる」と今後の課題を口にした。

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松枝博輝は5000mで銅メダル「素直にうれしい」

<陸上:アジア選手権>◇最終日◇24日◇ドーハ

男子5000メートルは松枝博輝(富士通)が13分45秒44で3位、服部弾馬(トーエネック)が4位となった。

松枝は、実力のあるバーレーンの2人に中盤から離されても落ち着いていた。「確実に取ろうと狙っていた3位なので、素直にうれしい」と銅メダルを喜んだ。

1、2位とは約8秒差。格上選手との差をいかに埋めるかが今後の課題となる。「トレーニングの時間を増やし、身を削っていかないと勝てない。そこを感じられたので、また精進したい」と覚悟を口にした。

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日本男子は1600mリレーで優勝、女子は3位

<陸上:アジア選手権>◇最終日◇24日◇ドーハ

1600メートルリレーの男子は日本(ウォルシュ、佐藤、伊東、若林)が3分2秒94で優勝。女子の日本(広沢、青山、武石、岩田)は3分34秒88で3位だった。

1600メートルリレーで日本は男女とも力走してメダルを手にした。男子は1走から首位に立ち、先頭を譲らずゴール。流れをつくったウォルシュは「結果的にメダルを取れたのはでかい。役割を果たせたのは良かった」とうなずいた。

女子はスリランカに0秒18差に迫られながらも表彰台へ。走り終わるとトラックに倒れ込んだアンカーの岩田は「必死に脚を回した。何とか3位に入れて本当に良かった」と笑みを浮かべた。

ただ、日本記録より男子が2秒余り、女子は6秒近く遅い。世界選手権の出場権が懸かる5月の世界リレー大会へ、ウォルシュは「次は日本新記録を出したい」と気を引き締めた。

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橋岡優輝が走り幅で優勝 両親名選手のサラブレッド

<陸上:アジア選手権>◇最終日◇24日◇ドーハ

男子走り幅跳びで20歳の橋岡優輝(日大)が日本歴代2位で今季世界最高に並ぶ8メートル22を跳んで優勝した。

橋岡の父利行さんは棒高跳びの元日本記録保持者で、母直美さん(旧姓城島)は100メートル障害の日本選手権覇者というサラブレッド。

1600メートルリレーの男子は日本(ウォルシュ、佐藤、伊東、若林)が3分2秒94で優勝。女子の日本(広沢、青山、武石、岩田)は3分34秒88で3位だった。女子100メートル障害は木村文子(エディオン)が13秒13で制し、青木益未(七十七銀行)が3位。男子走り高跳びは衛藤昂(味の素AGF)が2メートル29で2位、戸辺直人(JAL)が2メートル26で3位となった。

男子200メートルの小池祐貴(住友電工)は20秒55で2位。同5000メートルは松枝博輝(富士通)が13分45秒44で3位、服部弾馬(トーエネック)が4位となった。

橋岡の話 アジア王者になって(世界選手権の)参加標準記録を跳ぶのが一番の目標だった。達成できたので良かった。自分の跳躍に、より自信の持てる試合となった。

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鈴木博美さん「練習嫌いな私を諦めず…」小出氏悼む

97年8月、世界陸上アテネ大会 女子マラソンで優勝した鈴木博美と積水化学監督の小出義雄さん

00年シドニー・オリンピック(五輪)陸上女子マラソン金メダルの高橋尚子さんらを育成した名指導者の小出義雄さんが24日午前8時5分、千葉県内の病院で亡くなった。80歳だった。有森裕子さん、高橋さんらを五輪のメダリストに導いた名伯楽が平成の終わりとともに、この世を去った。

  ◇   ◇   ◇  

リクルート、積水化学で小出さんの指導を受けた97年世界選手権女子マラソン金メダルの鈴木博美さん(50)は感謝の念を示した。「中学生のときに声を掛けていただいてから、高校、実業団を通じて練習嫌いな私を、諦めることなく、根気強く育てていただきました。今、指導いただいていた頃の監督と同じ年齢になり、どれだけの情熱を持って指導にあたってくださったのかを知り、ただ感謝しかありません」と思いを表現した。

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「がはは」でその気 人の心つかむ名伯楽/悼む

00年6月、米国合宿から帰国し、高橋尚子と笑顔を見せる小出義雄さん

00年シドニー・オリンピック(五輪)陸上女子マラソン金メダルの高橋尚子さんらを育成した名指導者の小出義雄さんが24日午前8時5分、千葉県内の病院で亡くなった。80歳だった。有森裕子さん、高橋さんらを五輪のメダリストに導いた名伯楽が平成の終わりとともに、この世を去った。

  ◇   ◇   ◇  

合宿所に取材に行くと、小出監督から唐突に「いい選手が入ったんだよ~。何より足首がいい」などと言われることがよくあった。私に向かって話していたが、監督の声が聞こえるところに必ず、その選手がいた。「今度、取材してやってな、がはは」と言うと、その選手はうれしそうに笑っていた。こうやって選手をその気にさせるのだと、感心させられた。自宅におじゃました時、こんな話も聞いた。

「昨日の夜は週刊誌の記者が来た。事情を聴いたら『どうしても、記事を書かなきゃいけない』と言うんだ。何ページ分か聞いたら、4ページだと。彼も仕事で大変なんだ。4ページ分、しゃべってやったよ、がはは」

当時、一部週刊誌にはスキャンダルも狙われていたが、突っぱねるどころか味方にしてしまった。

人の心をグッとつかむ、名伯楽だった。【01、02、08~10年陸上担当=佐々木一郎】

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忘れられない言葉 非常識で常識を破れ/悼む

00年9月、シドニー五輪女子マラソン表彰式の後、ひげをそったアゴを高橋尚子になでられ笑顔の小出義雄さん

00年シドニー・オリンピック(五輪)陸上女子マラソン金メダルの高橋尚子さんらを育成した名指導者の小出義雄さんが24日午前8時5分、千葉県内の病院で亡くなった。80歳だった。有森裕子さん、高橋さんらを五輪のメダリストに導いた名伯楽が平成の終わりとともに、この世を去った。

  ◇   ◇   ◇  

小出のおっさん、早すぎるよ。まだ80じゃないか、男子マラソンの五輪選手を育てると言ってた夢も、まだ実現してないじゃないか…。と、ここまで書いて思いとどまった。きっと小出さんは「やぼなこと言うなよ。選手にも恵まれて、幸せな人生だったんだ。悔いなんかあるもんか」と笑い飛ばしているはずだ。大好きな駆けっこに情熱を注いで80年。実に濃密な人生だったろう。人生をどう生きたか。それを問えば「早すぎる」なんて言葉は薄っぺらい。満足しきった80年を私がとやかく言えない。ロマンを求め続ける姿は、うらやましくさえ思う。

シドニー五輪の前年、還暦を迎えた99年4月。都内の積水化学本社でインタビュー取材をした(日刊スポーツコムに掲載中)。スーツにネクタイ姿の窮屈な格好でも普段の“小出節”は健在だった。話し始めると止まらない。30分の予定が1時間半近くまで延びた。佐倉高の教員時代に「ウチの子を殺すんですか」と親に怒鳴られながらも、生理中の女子選手を当時の日本歴代3位で走らせたことなどを例に挙げ「非常識なことをやらないと常識は打ち破れない」と話した言葉は忘れられない。

シドニー五輪後、催事担当の部署に異動した私は、5月の本社主催イベントに高橋尚子の出演を依頼するため、千葉・佐倉の小出さんの自宅に毎夜のように日参した。酒席からの帰りなのか、帰宅は午前様が多かった。そんな時でも嫌な顔一つせず、話が競技そのものに脱線しようとも熱っぽく話していた。一通り話した後に「ところで今日は何の用だっけ」と言われ交渉不成立でも、これっぽっちも嫌な気はしなかった。

シドニー五輪で高橋尚子がフィニッシュする時も、ベルリンで世界最高記録を出した時も、いつも胃袋はビールで満たされ、そのにおいを嗅ぎながらの取材は実に楽しかった。そんな不摂生を改めようと最後は、大好きなアルコールを断っていたと聞く。でも、もう我慢しなくていいんです。天国では思い切り大好きなビールを飲んで、大好きな駆けっこを楽しんでください。【96~00年陸上担当=渡辺佳彦】

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小出義雄さん、死期を悟って…「いい人生だったな」

小出義雄さん(2013年11月17日撮影)

00年シドニーオリンピック(五輪)陸上女子マラソン金メダルの高橋尚子さんらを育成した名指導者の小出義雄さんが24日午前8時5分、千葉県内の病院で亡くなった。80歳だった。

死因は肺炎。3月下旬から入院し、一時の危篤状態から回復の兆しを見せていたが、容体が急変した。3月末には指導の第一線から退いていた。有森裕子さん、高橋さんらを五輪のメダリストに導いた名伯楽が平成の終わりとともに、この世を去った。

   ◇   ◇   ◇

平成の終わりまであと1週間。平成の陸上界を彩った名伯楽が亡くなった。3月26日に千葉・佐倉市内の自宅で倒れ、千葉・浦安市内の病院へ救急搬送された。一時は危篤状態に陥り、集中治療室(ICU)で処置を受けていた。笑いながら「あと2、3日だな」と口にしていたという。死期を悟ってか「俺、入院しているから」などと教え子らに電話をかけていたという。その後は回復の兆しを見せていたが、23日夜から容体が急変。午前8時5分に帰らぬ人となった。死因は肺炎だった。午後3時すぎ、亡きがらは千葉・佐倉市内の自宅に運ばれた。近所の住民ら弔問客が訪れた。

近年は入退院を繰り返していた。手術した心臓にはペースメーカーを入れ、肝臓、腎臓も弱っていたが、現場に強いこだわりを持っていた。3月10月の名古屋ウィメンズマラソンにも姿があった。自身が代表を務める佐倉アスリート倶楽部は3月末、実業団ユニバーサルエンターテインメントとの指導業務の委託契約が満了。同時に指導の第一線も退いた。それからわずか24日後の訃報。まさに現場に生きた指導者だった。入院前、親族には「いい人生だったな」と話していたという。

千葉・佐倉市出身。順大を卒業後、千葉県内の公立高校の教員となった。86年には市船橋高を全国高校駅伝優勝(男子)に導いた。88年に教師を辞め、実業団選手を指導するようになった。素材を見抜く力にたけ、選手の心をつかむ、褒めて伸ばす指導で多くのレジェンドを育てた。猛練習だけでなく、日本でいち早く高地トレーニングも導入するなど、科学的な視点も持ち合わせていた。五輪で女子マラソン初の金メダルを獲得した高橋尚子さんら育てた。92年バルセロナ五輪銀、96年アトランタ五輪銅の有森裕子さん、97年世界選手権金の鈴木博美さん、03年世界選手権銅メダルの千葉真子さんらも教え子だ。

まさに女子マラソン界の歴史と常識を塗りかえてきた平成の名伯楽。野武士のような風貌でも人気を博した。平成の時代をまっとうし、令和の前に天国へ旅だった。

◆小出義雄(こいで・よしお)1939年(昭14)4月15日、千葉県佐倉市生まれ。千葉・山武農高(現大網高)を出て一度は家業を継ぐなど働いた後、順大に進んで箱根駅伝に3度出場。千葉県の佐倉高や市立船橋高などで教員を務めてから88年に実業団のリクルートの監督に就任。97年に積水化学女子陸上部監督に就任。01年6月に佐倉アスリート倶楽部(AC)を設立し代表取締役兼監督に就任。02年12月に積水化学を退社し、佐倉ACに籍を置き、ユニバーサルエンターテインメントなどで指導していた。

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川内優輝「いい脚してるねと言われた」小出氏悼む

プロ転向激励会後に報道陣の取材に応じる川内(撮影・滝沢徹郎)

男子マラソンの川内優輝(32=あいおいニッセイ同和損保)が亡くなった小出さんとの思い出を語った。24日、地元埼玉・久喜市での「プロ転向激励会」後に取材に応じ「12年の千葉でのマラソンでゴール後に医務室で足を触られ『いい脚してるね』と言われた。高橋尚子さんのような多くのランナーを指導している偉大な人に声をかけられてうれしかった」と振り返った。

また、男子マラソン日本記録保持者の大迫が前日に日本選手権の推薦出場を却下され、日本陸連に批判のツイートをしたことについて「マラソンでも同じことがある。陸連推薦枠の基準がわからない。明確にしてほしい」と熱く語った。

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アジア選手権V桐生祥秀が帰国「10秒10は遅い」

カタールから帰国して囲み取材に応じる桐生

陸上のアジア選手権男子100メートルで日本人初優勝を果たした桐生祥秀(23=日本生命)が24日、カタールから成田空港に帰国した。

昨季は思うような結果が出ずに悩んだが「今シーズンは『あれではやばい』と危機感を持ってやっている」と奮起して優勝。来月19日に行われるセイコー・ゴールデングランプリ大阪に向けて「10秒10は遅い。出るレース数を考えると東京五輪はあっという間。しっかりと上げていきたい」と話した。27、28日に行われる織田記念は疲労を考慮して出場を見送る。

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瀬古氏「天国から力借りて」小出氏に五輪躍進誓う

小出さんの訃報を受け、取材に応じた瀬古氏

小出義雄監督の訃報を受け、都内で取材に応じた日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダー(62)は「最後にお会いしたのは3~4年前。体調が悪いという話は聞いていた。日本マラソン界の低迷期を救ってくれた方。残念で、悲しい」と沈痛な表情で話した。

男子マラソンが低迷していた90年代後半、小出氏から「男子選手は練習が少ないんだよ」と言われたエピソードを披露。「悔しかったが、そういう指導をしなくてはいけないと思った。24時間、マラソン、選手のことを考えていた人。我々も爪のあかを煎じて飲まないといけない」と偉大な先輩の思いを受け継ぐ覚悟を示した。来夏には男女そろってメダル獲得を目指す東京五輪が控える。「天国から少しでも力をお借りし、良い報告ができる結果を出したい」と話した。

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青学大・原監督「見抜く能力たけていた」小出氏悼む

青学大の原晋監督(2019年1月3日撮影)

青学大の原晋監督(52)が、TBS「ひるおび!」に、小出義雄監督逝去の報を受けて電話取材に応じ、「心にぽっかりと穴が開きました」と話した。

以下、原監督の電話取材

(小出監督の訃報は)ネットニュースで知りましたけど、実は3日前ぐらいから、佐倉アスリートで以前コーチをしていた私の高校の後輩から『小出先生が危ない』という情報はいただいていたんです。もっと元気で長生きして欲しかった。

私が箱根駅伝で初優勝した時に電話で『陸上界を盛り上げてくれて、ありがとうな。敵も増えるけど気にせず頑張れよ』とお話をいただいた。

(小出監督の印象は)ほめて育てるという印象はあるんですけれど、実際には個性を見抜いて叱ったり、アドバイスしたりしながら、その人の能力をあげるのにたけていましたよね。

陸上界の指導者はみんな小出先生のことを尊敬しています。高校駅伝男子も優勝させている。(教え子が)オリンピックも金、銀、銅、世界陸上も金、銅をとられて、『俺、あと箱根駅伝だけなんだよ』ということをおっしゃられて、『箱根駅伝やったら、俺、勝てるもんなぁ』と。『いやいや、ちょっと(大学駅伝には)こないでよ』という感じでした。

やっぱり、小出先生の指導を私も習いながら、褒めることの大切さ、そういうことを学ばしてもらったので、心にぽっかりと穴が開きました。

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高橋尚子さん「笑顔をもっと見たかった」小出氏悼む

高橋尚子さん

陸上の女子長距離の名指導者小出義雄さんが24日、千葉県内の病院で死去した。80歳だった。

教え子の1人で00年シドニー五輪金メダリストの高橋尚子さん(46)がコメントを発表した。

全文は以下の通り。

オリンピックでメダルを獲れたのも世界記録を出せたのも、今の自分があるのも小出監督のおかげです。弱い私を根気よく指導して下さって、一緒に走って下さって、自信をつけさせて下さって、監督の大切な時間を費やして下さって、オリンピックでメダルを獲らせて下さって、ありがとうございます、と何度言っても伝えきれないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。たくさんのことを教わりました。監督の笑顔をもっと見たかったし、お話しももっと聞きたかったです。これからは大好きなお酒をたくさん飲んで、思いっきりかけっこして下さい。

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有森裕子さん涙浮かべ「私は幸運だった」小出氏悼む

会見で有森さんは目に涙を浮かべながらも笑顔で故小出さんとの思い出を語る(撮影・垰建太)

小出義雄監督逝去の報を受けて、愛弟子で女子マラソン92年バルセロナ・オリンピック(五輪)銀、96年アトランタ五輪銅メダルの有森裕子さん(52)が24日、都内で取材に応じた。

今年3月の名古屋ウィメンズマラソンで会ったのが最後だったという。体調がすぐれないことは知っていたが「お元気で、指導する選手のことなど30分くらい話をしました。写真も一緒に撮りました」と話した。

リクルート所属時代に2人のコンビで多くのレースに出場した。最も思い出に残っているレースはアトランタ五輪。直前の米国の高地合宿で5000メートルを2本走ったが調子が悪く、タイムが上がらなかったという。「誰が見てももうやめとこうという状況でしたが、監督は“五輪で頑張るために、どんなにタイムが落ちてもいいからもう1本いこう”と。あの練習で3本目をこなして“できた”とまじまじ言ってくれたことを思い出す」と振り返った。

現役時代、有森さんは故障も多かった。そんなときにかけてくれた小出監督の言葉が強く印象に残っているという。「“何で”故障したのかと思うな。“せっかく”故障したんだから、と考えろ。物事に意味のないものはないと。あの言葉で立ち向かえた」。衝突することも多かったが「よく我慢してくれて、しっかりと向き合ってくれました。待って、信じて、育ててくれました。私は本当に幸運だったと思う」と、目を真っ赤にして天国の恩師に感謝の言葉を述べた。

会見で有森さんは目に涙を浮かべながらも笑顔で故小出さんとの思い出を語る(撮影・垰建太)

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小出義雄氏が死去、3月に指導一線退く 80歳肺炎

13年11月17日、試合後のミックスゾーンで談笑する小出義雄氏(左)と高橋尚子氏

陸上女子長距離の指導者として2000年シドニーオリンピック(五輪)マラソン金メダルの高橋尚子さんら数々の名選手を育成した小出義雄氏が24日午前8時5分、千葉県内の病院で死去した。80歳だった。死因は肺炎という。

1939年(昭14)4月15日、千葉・佐倉市生まれ。山武農高3年で全国高校駅伝3区を走り、チームは29位。4年間の浪人を経て、順大では箱根駅伝に3年連続で出場。65年から教員となり、千葉県立長生高-佐倉高-市船橋高と23年間、陸上部監督を歴任。佐倉高時代の78、79年に高校駅伝出場、市船橋高時代の86年には全国制覇。

88年にリクルート入社。同社ランニングクラブ監督を経て97年に積水化学女子陸上部監督に就任。01年に佐倉アスリート倶楽部(AC)を設立し代表取締役兼監督に就任。02年12月に積水化学を退社し、佐倉ACに籍を置き豊田自動織機やユニバーサルエンターテインメントなどで指導していた。2000年のシドニー五輪(オリンピック)で高橋尚子とタッグを組み金メダルを獲得した。ほかには有森裕子、鈴木博美、千葉真子らを指導していた。

今年3月31日、小出氏が代表を務める佐倉アスリート倶楽部が、実業団ユニバーサルエンターテインメントと結ぶ指導委託契約が満了。小出氏は自身の体調も考慮し、トップアスリートを育成する立場から外れることになった。

64年12月5日、小出義雄主将(中央)を先頭に、箱根駅伝の上位入賞を目指し練習をする58年初参加の順大チーム

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教え子千葉真子さん「いつも太陽のよう」小出氏悼む

パリのマラソンコース視察から帰国した千葉真子さん(左)と小出義雄さん(2003年6月27日撮影)

陸上競技の名伯楽、小出義雄さんが24日、千葉県内の病院で死去した。80歳だった。

教え子の1人で、2003年世界選手権女子マラソン銅メダルの千葉真子さん(42)は、自身のブログに「私の人生を変えてくれた小出監督、今まで有難うございました。」というタイトルで、今の思いをつづった。

全文は以下の通り。

監督と最後に電話でお話したのは、1ヶ月程前の事でした。

声はいつも通り張りがあり、以前入院されていた時よりも元気なくらいでした。

「3月で指導の第一線から離れる事になったのだけれど、これからもボランティアで教えていくんだよ」と今後も指導に関わっていく事を楽しみにされていました。

虫の知らせなのか、つい昨日、次女の正子さんに電話をし、状態が良くない事は伺っていましたが、あまりに突然の事に言葉が出ません。

思い返せば…陸上だけでなく、『人生』というのも教えて下さった監督でした。

どうせ苦しい事をやるのだから出来るだけ明るく楽しく頑張ろう!といつも太陽のように選手を照らして下さっていました。

そして、苦しい練習も「ちばちゃん一緒に頑張ろうな!」と、ポンと肩を叩いて選手に目線を合わせて下さっていた様に、選手の心を動かすコミュニケーション能力が小出マジックと言われた所以だと思います。

監督から教わった事は、これからも私の中で生き続けます。

そして、次世代のアスリートや子供達に受け継いでいけたらと思っています。

晩年は、大好きなお酒も、ドクターストップで飲めなかった分、天国で存分にお酒を飲み、ゆっくりと休んで頂きたいです。

心よりご冥福をお祈り致します。

03年1月、大阪国際女子マラソン前日会見で千葉真子さんの肩をもむ小出義雄さん(2003年1月24日撮影)

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高橋ら女子マラソンとともに…/小出義雄さん写真館

陸上女子長距離の指導者として2000年シドニーオリンピック(五輪)マラソン金メダルの高橋尚子さんら数々の名選手を育成した小出義雄氏が24日、死去した。80歳だった。

64年12月5日、小出義雄主将(中央)を先頭に、箱根駅伝の上位入賞を目指し練習をする58年初参加の順大チーム

1982年、マラソン日本歴代3位をマークした佐倉高・倉橋尚巳の肩に手をやる小出義雄さん(左)

1997年8月9日、世界陸上アテネ大会女子マラソンで優勝した鈴木博美と積水化学の小出義雄監督

1996年7月28日、アトランタ五輪女子マラソンで銅メダルを獲得した有森裕子(右)をスタンドで祝福する小出義雄監督

2000年5月18日、オリンピックスタジアム前で小出義雄監督とともにストレッチする高橋尚子

2000年7月2日、第43回札幌国際ハーフマラソン女子優勝の高橋尚子(右)と握手する小出義雄監督

2000年9月15日、シドニー入りし詰めかけた報道陣やファンに手を振りながらバスに向かう五輪マラソン代表の高橋尚子(右)と小出義雄監督

2000年9月24日、シドニー五輪女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子(左)の手を高々と掲げ、満面の笑みを見せる小出義雄監督

2000年9月24日、シドニー五輪女子マラソンで金メダルを獲得し会見を終えた高橋尚子(右)は待ち受けた小出義雄監督とあらためて握手を交わす

2000年9月24日、シドニー五輪女子マラソンで金メダルを獲得し表彰式のあとに会見した高橋尚子(右)はヒゲを剃った小出義雄監督のアゴをなでて笑顔

2000年10月2日、シドニー五輪女子マラソンで金メダルを獲得し帰国した高橋尚子と小出義雄監督(左)は出迎えにきた多くのファンと記念撮影

2000年10月7日、「第10回あっぷるマラソン」優勝報告会の小出義雄監督(左)と高橋尚子

2000年10月16日、富山国体の陸上競技会場で表彰された女子マラソンの高橋尚子は、国民栄誉賞授与に関し快諾の意向を示した。右は小出義雄監督

2000年10月30日、国民栄誉賞授賞式のために官邸入りする小出義雄監督と高橋尚子(代表撮影)

2001年1月18日、毎日新聞社社長から表彰されるマラソンの小出義雄監督

2001年1月28日、大阪国際女子マラソン大勢の報道陣に囲まれる中、小出義雄監督(右)から祝福を受ける渋井陽子

2001年2月4日、丸亀ハーフマラソンの会見の席上、小出義雄監督(左)から「昨日も一昨日も夜になるとメソメソ泣いていたんだ」と裏話を暴露されドテとテーブルに倒れ込む高橋尚子

2001年4年15日、ナイス・カップル賞を受賞した小出義雄監督(左)と啓子夫人

2001年11年18日、東京国際女子マラソンで小出義雄監督(左)と握手をする有森裕子

2002年9月29日、ベルリンマラソン2連覇した高橋尚子はゴールの後、黄色いバラを上げ声援にこたえる。左は小出義雄監督

2003年6月、パリのマラソンコース視察から帰国した千葉(左)と小出代表

2005年5月9日、高橋尚子独立会見で目を閉じながら話を聞く小出義雄代表

05年6月2日、日本選手権女子1万メートルで4位入賞を果たし世界陸上での代表を確実にした宮井仁美(左)はSAC小出義雄監督と大喜び

2007年2月、東京マラソンで優勝した新谷仁美ははしゃぎ過ぎの小出監督と一緒に「シーッ!」とおどける

2007年2月18日、東京マラソンで有森裕子は恩師小出義雄監督(左)、父有森茂夫さん、母有森広子さんと記念写真

2012年11月18日、横浜国際女子マラソン日本人トップの2位となった那須川(左)は小出監督に用意していたチョコレートでできた金メダルをプレゼントする

2013年11月17日、横浜国際女子マラソンのミックスゾーンで談笑する小出義雄監督(左)と高橋尚子氏

2017年1月22日、「第41回サンスポ千葉マリンマラソン」で記念撮影に納まるロッテ井上(左)と小出義雄氏(右)

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【復刻】名伯楽小出義雄さんの人心掌握術/インタビュー

07年、小出義雄監督と有森裕子さん(右)

陸上女子長距離の指導者として2000年シドニーオリンピック(五輪)マラソン金メダルの高橋尚子さんら数々の名選手を育成した小出義雄氏が24日、死去した。80歳だった。

99年4月18日付の日刊スポーツでは、平成の名伯楽のインタビューを掲載。今回、復刻版として再掲載します(所属、年齢などは当時のまま)。

◇   ◇   ◇

野武士の風ぼうは、下ネタをしゃべり出すと途端に親しみやすい顔になる。還暦を迎えた小出義雄監督(60=積水化学)。有森裕子、鈴木博美、高橋尚子と女子マラソンのトップランナーを世界に送り出してきた。ユニークな掌握術、先見性、そして情熱。根底にあるのは少年時代の「駆けっこ」への思いだ。

還暦祝いは本人の知らないうちに準備されていた。「うちのおっかーがさぁ『お父さん今夜は親せきと夕食に行きますよ』って言うんだ。それで朝練習後に鈴木や高橋にも『オレちょっと用事あるから夕方の練習は悪いけど見られない』って断ってな。そんでホテルに行ったの、汚ねぇ格好してよ。そしたら……ビックリこいたな、ハメられたよ。沢木君(啓祐=順大監督)はいるわ鈴木も高橋もおるわ、親せきは全部いるわで焦っちゃったよ。そんでもって赤い帽子とちゃんちゃんことランニングと真っ赤なパンツはかされてよお。参ったよ」。実際の60歳の誕生日(15日)より早い3月上旬のことだった。

ざっくばらんな話し方が、年ごろの女子選手の心もしっかりとつかむ。「女の子ってのはね、言葉には出さないけど心の中では『私をしっかりかわいがってください』とみんな思うわけ。だから平らに見ないといけないんですよ、平らに。これ難しいよね。15人いれば15の性格がある。例えば有森。『コレやれっ』て言うと、ピシッとやり返され、ケンカになりますからね。僕は2段下がって『有森先生、有森先生』って呼んでましたよ。鈴木の場合は友人関係か僕が半歩下がった感じかな。高橋は素直に『コレやれっ』って言うと『ハイハイ』とくる」。指導法は“15人15様”、その掌握術にはかすかなぶれもない。

基本は褒めることだ。「ハシにもボウにもかからなかった」無名時代の有森には「お前はいつも全力で、心で走っている。素晴らしい。だから強くなれるゾ!」と褒めまくった。「足の遅い子でも『お前は本当にいい子だ、強くなるよ』と言ってりゃいいんですよ。そうすると足が痛そうだから『練習休みな』って言っても『いや走ります』ときて、どんどん成長していく。言葉のアヤだよね」。

下ネタも武器になる。「選手の前でいつもエッチ話したり、そのものズバリ言ってやるの。下ネタ?もちろんです」。開けっ広げな指揮官の姿が精神的に追い詰められた選手を救う。「練習って苦しいんだよ。練習前なんか精神的なつらさからショボーンとして目がトローンとなっちゃう。それが練習が終わるとニコニコして口数が多くなる。練習前に少しでも、そんな明るい態度が欲しいわけ。苦しい顔はしてもいいけど絶対にイヤな顔しちゃいかん。監督が二日酔いでも、選手が『よーし、やるぞ』と輝いた目をしてたらいい練習ができる。だから一人ひとりの目が輝くような会話を持っていく、それだけよ。『監督、バカばっかり言ってないでしっかりしてください』て怒鳴られたらコッチの勝ちさ」。

話術で選手が動くのは、その裏に信念があることを知っているからだ。「やっぱり、指導者は何か1つ選手に勝つものがないとダメ。職場だって『あの課長すごいな』って部下に思わせるものがないと威張ってるだけじゃ『このヤロー』と思われちゃうよね。僕の場合はさ、情熱しかないんですよ。陸上が本当に好きなんだから僕。嵐でもひょうが降っても台風でも僕は『走るぞっ』て外に飛び出す。すると選手は焦っちゃう。『監督って本当に好きなんだ』ってね。そうすれば何言ったって陸上のことに関しては信用してくれるんですよ。有森も鈴木も言います。『監督、陸上のことは100%信用します。私生活は全然ダメですけど』ってね。アイツら(笑い)」。

教員時代に検診でがんと宣告され(実は誤診)入院した時も、コッソリと病院を抜け出し、教え子とグラウンドを駆け回った。知人が亡くなり葬儀委員長を任された時も、途中で抜け出した。「たった10分の練習を見るのに往復2時間も車を飛ばしたんだ。23年間の教員時代も、1升飲んで二日酔いになっても走りたいから1回も休んだことねえもん。それっほど好きなんだ、駆けっこがさ」。

走る喜びは少年時代に知った。「人間ってさ、小さいころの環境が、人生や性格を左右するよね。僕は小学校や中学校の先生に恵まれてね。走ることが好きでいろいろな大会に連れて行ってもらって、優勝したりするんだ。そうすると『義雄はすごいな、将来は箱根駅伝に出ろ、いやオリンピックだ』なんて言われるんだよね。それってな(しばし目を閉じて)うれしいもんだろ。よーしと思って、畑の周りをオヤジの地下足袋履いて走るんだよ。そうやって先生から夢をもらってね。先生や学校ってのはさ、生きる力を教える人、場所なんだよな」。

「胴長短足」でも「人が2歩で走る所を3歩で行けばいい」とマイナスには考えなかった。山の上り下りを使っての練習、鉄道の1メートル幅のまくら木を小走りでまたぎながら通った高校時代。ケンカと喫煙で無期停学になっても練習のためだけに学校へ通った。全国駅伝にも出場した。高校卒業後、その道はいったん断ち切られたかにみえた。

「箱根駅伝に出たくて出たくて仕方なかった。ある大学にも誘われた。でもね、貧乏な農家に育ったから行けなくてね。19歳の秋まで家で農業してたの」。だが、あきらめ切れない。「人間は1回しか生きられない、これは自分の人生だ、よーしっと黙って家を飛び出しちゃったんだ」。学費をためようと電話線工事のアルバイトなどで都内を転々。それでも「夢があった」という。陸上部のある会社を経て、22歳の春、順大への道が開けた。あこがれの箱根駅伝も1年から3年連続出場。誘ってくれた帖佐寛章監督(現日本陸連副会長)のスパルタ指導も苦ではなかった。だが絶好調で迎えた4年秋。右足のけんしょう炎で、箱根メンバーから漏れた。周囲にあたり、わめき泣いた。人生最悪ともいえるこの時が実は「監督」としてのスタートだった。

「人間は1回、ドン底を見ないとだめだ。人に対する感謝の気持ち、頑張りとか……出てこないよ。若い時ほどドン底を見た人間は強い。僕は五流のランナーで終わった。でももし一流だったら、どうすれば(平凡な選手が)速くなれるか、分からなかったろうね」。

65年、順大を卒業し千葉県立長生高の教員となる。当時、高校女子長距離は800メートルしか種目がなかったが、将来必ず男子並みに種目が増えると読み、そのためのデータを女子の練習を通して収集してきた。70年から赴任した佐倉高時代には、17歳の選手を女子マラソンに挑戦させた。「生理中に走らせたんだ。お母さんに『うちの子を殺すんですか』って怒鳴り込まれたけどね。その時のタイムが2時間41分台で、当時の日本歴代3位。その時はまだ全然、素質のない子がだよ?だから行けるの、2時間20分だって切れるの。高橋には2時間16分と言ってるけどビックリするような数字じゃないんだよ」。この時から始まった20年近いデータの積み重ねが、女子マラソンの指導で他を寄せ付けない強みとなる。

何百人という教え子を見てきた経験から、顔や肌の色つやを見ただけで体調は分かる。「もうすぐ生理が来そうだな、終わったばかりだな、今は集中して走らす時期だな、とかね。人間の体だもん。1日1日、一人ひとり全部違うさ。それによって練習メニューも変える。『今日はもう上がろう、オレと一緒に手つないで帰ろう』っていうサジ加減。メニュー通りに走れたら監督なんかいらねえよ」。そもそも練習メニューは過酷だ。朝練習も20、30キロは走る。「世界記録を作りたいなら世界記録を作る練習、五輪でメダルを取りたいならメダルを取る練習がある。非常識じゃなきゃ常識的な記録しか出ないんだよね」。

結果という裏打ちがあるからこの人の言葉は重い。有森が五輪2大会連続のメダルを、鈴木は世界女王となり、高橋は世界最高に1分と迫る驚異の日本最高記録を樹立した。

意欲はいっこうに衰える様子がない。教え子だけでシドニー五輪マラソン代表枠の3人を独占し、金メダルを狙うという夢が残っている。「もう2、3番じゃダメ。勝つこと。今は鈴木、高橋(の力)が抜け(出)てるよ、うん」。いつかは身を引かなくてはならないことも分かっている。「もうオレも60。いつかケジメをつけなくちゃいけないな」。それはいつごろ? 「うーん、分かんねえよ」。

選手の将来はしっかりと見据えるこの人が、自分のことになると言葉に詰まり、苦笑いした。

◆89年から約8年間、小出監督の指導を受け五輪2大会連続メダル獲得の有森裕子(32=リクルートAC)の話 初めてお会いした時の第一印象は「目がきれいな人だな」でした。とにかく走ることが好きで純粋な人。前の晩いくら泥酔しても翌朝、お酒のニオイをプンプンさせゼーゼー息を吐きながらでも必死になって私たちと走るんです。臭いしうるさいけど(笑い)、あの息遣いや顔を見てると本当に走るのが好きなんだな、って。ギックリ腰で走れなくなった時なんて、1週間で一気に白髪がバーッて出ちゃって……。この人から走ることを取ったら何もなくなっちゃうと思いました。その気持ちが選手に伝わるから選手もついていくんですね。

◆97年世界選手権女子マラソン優勝の鈴木博美(30)の話 (市船橋高から)約15年も見てもらっているんですが選手を含め、あれほど陸上競技に情熱を持っている人はいませんね。選手の疲労や体調を見抜く独特の勘、調整法のひらめきなどでも信頼できる人です。

◆女子マラソン日本最高記録(2時間21分47秒)保持者・高橋尚子(26)の話 いっしょくたではなく選手一人ひとりの個性を把握して、ちゃんと見てくださる監督です。選手がうれしい時も悲しい時も同じ気持ちで接してくれます。見かけは怖いけど決して違いますから(笑い)。

★小出義雄(こいで・よしお)

1939年(昭14)4月15日、千葉県印旛郡根郷村(現佐倉市)生まれ。農業を営む両親に姉3人、妹1人の7人家族。山武農高3年で全国高校駅伝の3区を走る(チーム29位)。4年間の浪人生活をへて61年に順大体育学部入学。3年連続で箱根駅伝を走る。65年から教員生活が始まり千葉県立長生高-佐倉高-市船橋高と23年間、陸上部監督を歴任。佐倉高時代の78、79年に高校駅伝出場、市船橋高時代の86年には全国制覇。88年からリクルート監督として有森、鈴木、高橋らを世界へ輩出し97年(平9)4月、積水化学へ移籍。家族は啓子夫人(47)と3女。二女の正子(25)も積水化学所属。

00年9月、シドニー五輪女子マラソンの表彰式後、会見した高橋(右)にヒゲを剃ったアゴをなでられ笑顔の小出監督

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小出義雄氏が死去、80歳 高橋尚子さんら育てる

13年11月17日、試合後のミックスゾーンで談笑する小出義雄氏(左)と高橋尚子氏

陸上の女子長距離の名指導者で、五輪金メダリストの高橋尚子さんらを育てた小出義雄(こいで・よしお)さんが24日、千葉県内の病院で死去した。80歳。千葉県出身。

千葉・山武農高(現大網高)を出て一度は家業を継ぐなど働いた後、順天堂大に進んで箱根駅伝に3度出場した。千葉県の佐倉高、市立船橋高などで教員を23年間務め、1988年に実業団のリクルートの監督に就任。マラソンで92年バルセロナ五輪銀、96年アトランタ五輪銅メダルを獲得した有森裕子さんらを育てた。

高橋さんらと共に積水化学に移籍した97年は世界選手権で鈴木博美さんを世界一に導き、2000年シドニー五輪で高橋さんが陸上の日本女子で初の金メダルを手にした。

選手を褒めて伸ばす指導と明るく豪快なキャラクターで知られ、高橋さんとの二人三脚は大きな注目を浴びた。01年に佐倉アスリート倶楽部を設立し、02年12月に積水化学を退社。04年に創部したユニバーサルエンターテインメント(当時アルゼ)などから指導を委託されていたが、近年は入退院を繰り返して現場に出る回数も減り、3月末で指導者を勇退した。

第41回箱根駅伝 小出義雄主将(中央)を先頭に、上位入賞を目指し練習をする順大チーム(1964年12月日撮影)

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マラソン高橋尚子、有森裕子ら指導/小出義雄氏略歴

00年9月、シドニー五輪女子マラソン金メダル獲得から一夜明け、高橋(左)からメダルを掛けられ笑顔の小出監督

陸上女子長距離の指導者として2000年シドニーオリンピック(五輪)女子マラソン金メダルの高橋尚子さんらを育成した小出義雄氏が死去したことが24日、分かった。80歳。

◆小出義雄(こいで・よしお)1939年(昭14)4月15日、千葉・佐倉市生まれ。山武農高3年で全国高校駅伝3区を走り、チームは29位。4年間の浪人を経て、順大では箱根駅伝に3年連続で出場。65年から教員となり、千葉県立長生高-佐倉高-市船橋高と23年間、陸上部監督を歴任。佐倉高時代の78、79年に高校駅伝出場、市船橋高時代の86年には全国制覇。88年にリクルート入社。同社ランニングクラブ監督を経て97年に積水化学女子陸上部監督に就任。01年に佐倉アスリート倶楽部(AC)を設立し代表取締役兼監督に就任。02年12月に積水化学を退社し、佐倉ACに籍を置き豊田自動織機やユニバーサルエンターテインメントなどで指導していた。2000年のシドニー五輪(オリンピック)で高橋尚子とタッグを組み金メダルを獲得した。ほかには有森裕子、鈴木博美、千葉真子らを指導していた。

00年9月、シドニー五輪女子マラソンのゴール直後、小出監督とともにスタンドのファンから祝福を受ける高橋(左)
03年6月、パリのマラソンコース視察から帰国した千葉(左)と小出代表
1997年8月9日、世界陸上アテネ大会女子マラソンで優勝した鈴木博美と積水化学の小出義雄監督
東京マラソン2007 有森裕子は恩師小出義雄監督(左)、父有森茂夫さん、母有森広子さんと記念写真を撮影した(2007.02.18)
オリンピックスタジアム前で小出義雄監督とともにストレッチする高橋尚子(2000年5月18日撮影)

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勝負弱さ消え桐生V 悪癖抑え加速、世陸でも輝ける

男子100メートルで優勝し、日の丸を掲げる桐生(ロイター)

<陸上:アジア選手権>◇22日(日本時間23日)◇カタール・ハリファ競技場◇男子100メートル

もう勝負弱い姿はない。陸上男子100メートルで日本記録を持つ桐生祥秀(23=日本生命)が追い風1・5メートルの決勝を10秒10で制した。この種目の日本選手の優勝は初めて。大舞台で不本意な走りが続いていた男がアジアの頂点に立ち、世界ランキングのポイントも大きく稼いだ。今回と同じ会場で開催される世界選手権の代表入りへ大きく前進した。

誇らしげに日の丸の旗を肩にかけ両腕を広げた。日本代表として初の個人種目のタイトル。桐生は「レースの中で成長できているのかなと思う。今年は違う。1番になれてよかった」と声を弾ませた。スタートは出遅れたが、焦らないのが成長。肩が上がる悪癖を抑え、グングンと加速した。頭を突き出すようにフィニッシュしU20世界選手権王者のゾーリ(インドネシア)に0秒03競り勝った。今秋の世界選手権が開催されるスタジアムで強さを示した。自信を深めた。

日本人ただ1人の9秒台スプリンターながら、個人では大舞台で輝けていなかった。16年リオデジャネイロオリンピック(五輪)は10秒23で代表3人の中で唯一となる予選落ち。17年世界選手権、18年ジャカルタ・アジア大会は日本選手権で不発に終わり、出場はリレーだけ。昨季はタイムも最高が10秒10。9秒98を出したのはもう過去の話。輝きを失い、もがいていた。

昨秋だった。来季の取り組みを模索していた時。土江コーチに真剣なまなざしで訴えた。

「100分の1秒、1000分の1秒でも速くなるのならば、それをやりたいです」

あふれすぎる才能にまかせ、欠けていたストイックさ、緻密さを追求した。1人暮らしを始めた社会人1年目はコンビニ弁当が多かったが、自炊中心で苦手の野菜も取る。練習ではコーチが撮影した動画を細かくチェックし、動きを修正。メンタル面のトレーニングも導入。昨季より1キロ増も、体脂肪率は下がる肉体も、変わった意識の表れだ。

今後へも価値ある1勝だ。アジアのタイトルを手にし、世界ランキングにおけるポイントも大きく加算される。世界選手権の男子100メートル代表選考に関し、日本陸連は参加標準記録(10秒10)を満たした日本選手権優勝者のほか、同記録を満たした上で世界ランキング上位順に選ぶとしている。今大会前までの世界ランク22位の桐生は世界選手権の代表も大きくたぐり寄せた。今大会で得たポイントは20年東京五輪にも有効だ。明るい未来が広がった。

男子100メートルで優勝した桐生(中央)(ロイター)

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