<G1プレーバック:1993年ダービー>

 プレーバック日刊スポーツ! 過去のダービーを紙面で振り返ります。1993年はウイニングチケットが優勝し、柴田政人騎手が19回目の挑戦で悲願のダービージョッキーに輝きました。

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<ダービー>◇1993年5月30日=東京◇G1◇芝2400メートル◇4歳◇出走18頭

 柴田政人騎手(44=高松きゅう舎)が19回目の挑戦で悲願のダービージョッキーに輝いた。予想通りアンバーライオンがペースメーカーを務めたが、中団に待機した1番人気ウイニングチケットが3コーナー過ぎから一気にスパート。直線坂下で先頭に立ち、そのままビワハヤヒデ、ナリタタイシンの追撃を振り切って皐月賞(4着)の雪辱を果たした。

 16万を超える大観衆の声援を受けて、柴田政騎手がこん身の力を込めてウイニングチケットを追いまくった。ゴールまで、あと100メートル。内から宿命のライバル岡部の操るビワハヤヒデがスルスルと脚を伸ばし、外からは春のクラシック全冠制覇を狙う武のナリタタイシンが猛然とスパートをかけてきた。

 内、外から迫る蹄(てい)音を聞きながら「もうひと息だ。我慢してくれ!」。柴田政は愛馬にシッタの言葉をかけ、腕も折れよとばかりに手綱をしごく。3強マッチに、場内の興奮はピークに達した。左の視界にビワハヤヒデの影がチラッと映ったが、ウイニングは辛くも半馬身だけ踏ん張り、先頭で栄光のダービーゴールに駆け込んだ。

 期せずして沸き上がる“マサト”コール。地鳴りのようなファンの祝福を耳にして、柴田政の胸にグッと熱いものが込み上げてきた。騎手になった時から追い続けてきたダービー制覇の夢が、今、現実のものとなったのだ。興奮と喜びで胸がいっぱいになり、知らぬ間に涙がほおを伝わっていた。

 19回目の挑戦で、見事にダービージョッキーの仲間入りを果たした柴田政は、早くから今年のウイニングチケットにかけていた。数年前から体力の衰えを自覚するようになり、親しい人には「精いっぱい頑張っても、現役生活はあと3年くらい」と漏らしていた。「今年が最後のチャンス」。そんな決意で臨んだに違いない。

 前日29日は親しい小島貞騎手と調整ルーム(騎手の宿舎)で酒を飲みながら、故戸山調教師の思い出話にふけり、ぐっすりと眠った。そしてこの日は、朝から勝負の鬼と化していた。気迫のこもったプレーで2、5、6レースを制覇。気力の高まりが頂点に達したダービー時には

 「ふだんの柴田さんとは表情が違っていた。輪乗りの時なんか、怖くて声をかけることさえできませんでした」(橋本広騎手)というほど闘志を表に出していた。いってみれば柴田政の執念が持たらした勝利でもあったわけだ。

 晴れの表彰式を終えてインタビューに臨んだ柴田政は「返し馬の時から落ち着いていたので、勝てそうな予感があった。1コーナーではうまく内に入れたし、道中の折り合いもピッタリ。4角ではまだ手ごたえ十分だったので、いけると思いました」と、会心のレースを振り返った。皐月賞では早仕掛けが非難されたが「あの乗り方がベスト」との信念を貫き、4角2番手の積極騎乗で鮮やかにうっ憤を晴らした。

 自らもダービー初制覇を果たした伊藤雄師は「マサトを男にしてやれて本当にうれしい。1コーナーをうまくさばいたのが勝因。最高のプレーだった」と好騎乗を褒めたたえた。

 ウイニングチケットはこの後、1カ月ほど北海道に放牧に出し、2冠目の菊花賞に備える。「秋は京都新聞杯からスタートを切り、菊花賞、有馬記念のコースを歩む予定」(伊藤雄師)と、すでにローテーションも決まっている。「子供っぽいところが抜ければ、まだまだ強くなる馬。秋が楽しみだね」と、柴田政は早くも2冠どりを夢見ている。

※記録と表記は当時のもの

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