「大井の帝王」が真のレジェンドになった!! 的場文男騎手(61=大井)が12日、東京・大井競馬場で行われた第5Rを1番人気シルヴェーヌで勝利し、佐々木竹見元騎手の地方競馬最多勝利を更新する7152勝目を挙げた(JRA、海外の5勝は除く)。73年10月16日の初騎乗から4万567戦目。

 幾度となく駆け抜けてきた大井の直線はこの日、新記録への滑走路となった。この日2鞍目となる5R。初出走のシルヴェーヌを従えて後続を突き放すと、競馬場は一層の拍手と大歓声に包まれた。最後は手綱を緩めゴールに飛び込んだ。鳴りやまぬ歓声に右手を挙げて応え、馬上で何度も頭を下げた。重圧から解放され、笑顔に安堵(あんど)の表情が入り交じっている。「(残りの騎手人生は)短いかもしれないですけど、これからも1つ1つ大事に乗って、ファンの皆さんの期待に応えられるように頑張ります」。誠心誠意の言葉で思いを伝えた。

 勝ち星を量産していくうちに、いつしか「大井の帝王」と呼ばれるようになった。大井リーディング獲得は85~04年の20年連続を含む21回。「若い頃はむちゃくちゃ勝ったよね。自分でもよくあんなにやったと思う」と感慨深げに振り返る。何より、馬を動かすことには自信があった。当時は早朝3時から調教に乗りっぱなしの日々。現在と比べ、調教をつける人も少なかった。「半端じゃなく忙しかった。仕事はしたね」。加えて筋力トレーニングに八潮公園でのランニング。鍛錬を重ねた日々が、還暦ジョッキーの礎を築いた。99年から16年まで年間騎乗数が1000回以上(昨年は998回)。騎乗馬の多さが減らないことが数字を積み重ねることができた要因でもある。

 デビューから44年10カ月。数え切れないけがとの戦いもあった。馬に蹴られて前歯が吹っ飛んだことも、脾臓(ひぞう)と腎臓が真っ二つになって死の淵をさまよったこともある。7000勝へ残り14勝とした昨年3月には、レースで左手を骨折。新記録目前の今年6月には、レース中の落馬で足を20針縫う傷も負った。復帰後は重圧からか、1勝が遠かった時期もある。「逃げても2着。追い込んでも2着・・・」と、思わず天を仰いだこともあった。トンネルを抜け、白星を積み重ね始めると「腕が鈍ったから磨いてくるよ」とジョークを飛ばし、話し好きなおじさんと化す。子や孫ほど年の離れた若手と追い比べを演じ、レース後には冗談を言い合う。そんな飾らない人柄も魅力の1つだ。

 中学の頃に福岡から上京し、およそ半世紀。努力と負けず嫌い根性を武器に、「競馬界の帝王」となった。「この大井競馬場、これからもずっと続きます。不滅です。(今後は)無理でしょうけど、東京ダービー2着10回ですから。もうちょっと乗ろうかな」。生粋の馬乗りが歩む道にはあと1つ、宿題が残っている。【渡辺嘉朗】

 ◆的場文男(まとば・ふみお) 1956年(昭31)9月7日、福岡県生まれ。73年10月16日デビュー、同年11月6日にホシミヤマで初勝利。昨年まで33年連続年間100勝以上を挙げ、地方競馬全国リーディング2回、主戦の大井リーディングを21回獲得。また、61歳3カ月23日の地方競馬最年長重賞勝利記録を持ち、地方重賞は153勝。今年3月に地方最多騎乗記録も更新。家族は夫人と1男1女。勝負服は赤・胴白星散らし。通称「大井の帝王」。

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