<G1プレーバック:2003年宝塚記念>

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の宝塚記念を紙面で振り返ります。2003年は単勝6番人気のヒシミラクルが早めに仕掛ける競馬で直線一気に差し切り。菊花賞と天皇賞(春)を合わせて3冠を制しました。

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<宝塚記念>◇2003年6月29日=阪神◇G1◇芝2200メートル◇3歳上◇出走17頭

 単勝6番人気のヒシミラクル(牡4、栗東・佐山)が今年の春G1を締めくくった。中団から早めに仕掛ける自分の競馬で直線一気に差し切った。これでこの春は天皇賞(春)と合わせて2冠。長距離馬の印象が強かったが、中距離でも強いことを証明した。史上初めて同競走に挑戦した今春のダービー馬ネオユニヴァース(牡3、栗東・瀬戸口)は4着、1番人気のシンボリクリスエス(牡4、藤沢和)は直線で伸びず5着に終わった。

 角田晃一騎手(32)だけは信じていた。ヒシミラクルの力を、そしてチャンスが来ることを。チャンスを逃さないためには、いつも通りの競馬をするだけだった。中団から早めに仕掛けて直線に向く。そこで馬群の内から外に出した。馬の間を割って差すような一瞬の脚はない。その代わりにいい脚を長く使える。距離ロスは承知のうえで馬にブレーキをかけるの避けた。

 直線半ば過ぎで先頭をとらえる。内にシンボリクリスエスの姿が見えたが、気にしている余裕はない。3角過ぎからずっと追い通しでいたからだ。先頭に立つと、今度は後ろからツルマルボーイが猛追してきた。角田は馬を信じて追い続ける。その思いがヒシミラクルに伝わった。首差を保ったままゴール。「本当に馬に感謝したい」。角田はレース後、開口一番そう言った。

 スタンドで見ていた佐山優師(60)は信じられなかった。思わず周囲の人たちに聞いた。「本当にヒシミラクルが勝ったの?」。状態は良かった。だが、2200メートルと距離が短い。何より相手が強すぎる。天皇賞(春)を制したときには堂々とインタビューに答えていた佐山師が、この日は少し早口だった。「勝ちたいのは山々だったが、相手が前走とは違った。どんな競馬をしてくれるのか楽しみにはしていたのだが」と語った。そしてこう付け加えた。「これでも結構興奮しているんだよ」。

 想像以上に馬が力をつけていた。「調教を見てても昨秋から力をつけているな、と感じていた」と佐山師は言う。角田も「器用さには欠けるが、馬がしっかりとしてきた。調教でも走るようになってきた」と成長を認めた。時計こそ変わりないが内容が違った。栗東坂路で52秒台をコンスタントに出せるようになった。そして馬がレースを覚えてきた。「今日の勝利が、馬が成長してきたのを一番証明していると思う」と佐山師は言い切った。

 今後は未定だが、夏は放牧の予定。2200メートルこなしたことで、秋は中距離路線も選択肢に入る。「1度走らせてみたい」と陣営が言っていた東京競馬場の天皇賞(秋)が最初の目標になりそうだ。角田は最後に言った。「これでもっと人気になってもいいかなと思います」。天皇賞(春)を勝っても、この日は6番人気だった。だが、秋は間違いなく人気は上がる。この日の勝利はヒシミラクルの評価を一気に高くするものだった。

※記録と表記は当時のもの

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