<2009年12月4日付日刊スポーツ紙面掲載>
通算7000勝を達成した大井の的場文男騎手。これまで数え切れないほどのタイトルを手にしてきた地方競馬の名手は、独特なフォームとともに今もなお第一線で活躍している。53歳時にワールドスーパージョッキーズシリーズ(現ワールドオールスタージョッキーズ)出場を決めた2009年12月の特別インタビューを、復刻版として掲載します。
-地方競馬代表騎手選定競走の第2ステージが2戦とも1着。鮮やかな逆転劇だった。 「まさかこの年で夢みたい。昔から一生懸命という言葉が好きなんだけど、その通りにやっていればいいことあるって実感した。幸せです」。
-現在5896勝。驚くのは99年から連続で年間200勝以上と年齢を重ねるごとにペースを上げている点だ。体力維持の努力は半端ではない。
「40歳からは休みの土日は欠かさずクアハウスで体を鍛えて。ウオーターバイクを中心に3時間みっちりと」。
-夜も8時前に就寝、朝4時に起きて調教をつける。40代後半、凄惨(せいさん)な落馬事故で再起が危ぶまれる重傷を負った。
「落馬して倒れたところに追い込み馬が来て蹄(ひづめ)で口をまともに蹴られた。集中治療室に3日間。アゴの骨は砕け上下の歯がノコギリ状に欠けてほとんど駄目。それを抜くのが大変だった。これは苦しかった。痛かったあ。その跡にインプラントを十何本埋め込んだ。一昨年も落馬で脾臓(ひぞう)と腎臓は真っ二つに割れ内臓破裂寸前だった。2000CC以上出血してね。命が危なかった。また馬に乗らなきゃという気持ちだけ。まだまだ終われないぞと」。
-的場文といえば、あのダイナミックで踊るようなフォームが有名だ。動作の速さと振幅は昔とまったく変わらない。あの独特のスタイルはどうやって確立したのか。
「25歳ぐらいだったかなあ。体を使って必死で追ううちに自然と。あれで伸びるんですよ、馬が。意識しなくて気がついたらという感じで」。
-あれだけ上半身が激しく動いて逆に馬に負担はかからないのだろうか。
「自分は両ひざを締める力が人一倍強い。160キロもある土佐ノ海に足相撲で勝つんだから。その力でクラをガチッとはさむ。ひざがしっかりしているからあれだけ暴れてもバランスは崩れないんですよ。例えば運動会で子供を背中に乗せて走る競技があるでしょ。がんじがらめにすれば走りやすい。あれと同じ」。
だが、誰でもマネができるわけではない。もともと並外れた締めつけ力があった。それに肉や皮膚が耐えられなくて何度も裂傷を繰り返した。今ではくるぶしは1センチほど出っ張って化骨しカチンカチン。ふともも、ふくらはぎとクラに直接当たる部分は、まるで鋼のように硬い。一朝一夕にできない、まさに年代物だ。おいの直之騎手は言う。「馬の動きに逆らわない。理にかなっている。マネできない」。
-今をときめく内田博幸騎手(09年当時39歳)は教え子で、この世界に入るきっかけをつくった。
「内田とは田舎が同じ。その縁で中学2年の時に騎手にさせてくれって連絡が。当時から大成する予感はあった。何を教えても覚えが早い」。
-人気、実力ともトップクラス。あの地方NO・1戸崎圭太騎手(同29)にも追い比べで負けず、腕はいまだに超一流。引退の2文字はかすんで見えない。
「まずは6000勝を。辞めるのは乗ることで逆に迷惑になったと感じた時かな」。
-最後にWSJSへの抱負を語った。
「すごく楽しみ。もちろん力の限り頑張る。ただめったにない機会だし世界の騎手から何かを盗んで、もっとうまくなりたい。頂上はないから。頑張れば、どこまでもうまくなれると思っている」。
中年の星はあくまでもどん欲だ。