91年宝塚記念などを制したメジロライアンが17日午前9時35分、繋養(けいよう)先のレイクヴィラファーム(北海道洞爺湖町)で老衰のため死んだ。29歳だった。同馬は14日朝に体調が急変。立ち上がることの出来ない状態となり、徐々に衰弱を始めた。牧場スタッフも付きっきりでケアにあたったが、17日朝に息を引き取った。

 同馬は89年7月の函館競馬でデビュー(2着)。2勝目を挙げたひいらぎ賞から弥生賞まで3連勝を成し遂げ、皐月賞で3着に入った。次戦のダービーでは、史上最多となる19万6517人のファンが東京競馬場に詰めかける中、1番人気の支持を獲得。逃げ切ったアイネスフウジンの2着に敗れはしたが、実力を見せた。3冠競走最終戦の菊花賞もメジロマックイーンの3着でクラシック無冠に終わったものの、次戦の有馬記念はオグリキャップの2着。G1は勝ちきれないが、3歳時から一流の実力を示してきた。

 そして、4歳初戦の中山記念2着、天皇賞・春4着をへて、宝塚記念で念願の初タイトルを獲得。引退後は種牡馬としてG1・5勝馬メジロドーベル、天皇賞・春優勝馬メジロブライトなどを輩出した。種牡馬引退後も函館競馬場のイベントに登場するなど、長くファンに愛された。

 同ファームの岩崎義久氏は「つい最近まで元気だったので、本当に残念です。起き上がれなくなってからは徐々に弱っていって、治療もしたのですが・・・。牧場にはライアンの肌の繁殖もたくさんいましたし、うちのシンボルみたいな馬でしたから。さみしいですね。弱る前は年長のスタッフでも馬を引くのが大変なくらい元気いっぱいでした。ここまで長生きしてくれたので、大往生だったと思います」と別れを惜しんだ。

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