3冠ナリタブライアンまさかの千二挑戦/高松宮記念

<Legacy ~語り継ぐ平成の競馬~>

 来年4月、平成の時代が終わりを迎える。新連載「Legacy ~語り継ぐ平成の競馬~」で、平成の競馬史をいま1度振り返り、まとめてみたい。第1回は1996年(平8)、ナリタブライアンの高松宮杯挑戦。前代未聞だった3冠馬のスプリント戦出走。G1昇格初年度の高松宮杯で、話題を独り占めにした。【取材・構成=柏山自夢】

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 96年高松宮杯。G1昇格初年度にもかかわらず、特別レース登録から当日までの2週間、話題は1頭の馬で持ちきりになった。史上5頭目の3冠馬ナリタブライアン。羽生善治が前人未到の将棋タイトル7冠独占を成し遂げてから3カ月ほどたった頃のことだった。

 ブライアンが1200メートルに? の衝撃。担当の村田助手でも心境は同じだった。大久保正陽元調教師から知らされ「まさかと。先生、本当ですか? と聞いた覚えもある」。3馬身半、5馬身、7馬身。牡馬3冠は、走るたび着差を広げる大楽勝。同年暮れの有馬記念では初対戦の古馬を3馬身ちぎった。3歳にして日本の王道を極め、歴代最強馬論争にも名が挙がる存在となった。故障による休養もあり、4歳になった95年秋は3戦未勝利と失意も味わった。しかし96年に入って阪神大賞典1着、続く天皇賞・春も2着。得意の長距離路線を戦い「しっくりこなかったところが、ようやく良くなってきた。馬体も内臓も」と復活へ光が見え始めたなかでの出来事。厩舎には連日、批判の電話、手紙が殺到した。

 ただ、師の思いは変わらなかった。「オールマイティーな馬をつくりたかった」(大久保正陽元師)。思いとともに、理論も積み重ねてきた。「乗ったこともないくせに能書きをたれるな、という観念があった時代」。騎手として14年を過ごしたのも、調教師人生を見据えた結果。開業後は障害帰りのメジロパーマーで92年宝塚記念、有馬記念を制覇。76年天皇賞・春覇者のエリモジョージを1200メートル戦に起用したこともある(6着)。「勝者に拍手を送りつつ、心を鬼にしなきゃいかん」。そうして常識を打ち破ってきた自負があった。

 渦巻く賛否をかき消す魅力もあった。南井騎手(現調教師)に代わり騎乗した武豊騎手が振り返る。「周りは騒がしかったけど僕は楽しみだった。なんせナリタブライアンだからねえ」。レース当日。ブライアンは単勝2番人気に支持された。ブライアンなら-。期待に胸躍らせたのは、ファンも同じだった。

 さまざまな思いが交錯するなかゲートが開いた。先行勢の一角を狙うブライアン。しかし、殺到する他馬に阻まれる。中団後方で位置を上げられぬまま直線へ。ブライアンも伸びるが、前も止まらない。勝ち争いから脱落したヒシアケボノにようやく追いすがったところがゴール。前代未聞の挑戦は、4着に終わった。

 無理難題の出走だったのか? 大久保正陽元師は横に首を振る。「私には勝てるだろうという自信があった。それも間違っていなかったと」。ただその後、ブライアンは右前脚屈腱炎で引退。答え合わせはかなわぬまま終わった。その答えは皆の頭の中にある。武豊騎手は断言する。「もし絶好調の時のナリタブライアンだったなら、やれていたと思う」。20年が経つ今も薄れない確信、衝撃がある。まぎれもなく、ブライアンは平成の怪物だった。(つづく)

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