藤原英師「最大の目標」18頭だけの舞台/ダービー
<ダービーで春2冠へ エポカ堂々(2)>
エポカドーロを管理する藤原英師が、調教師として開業したのは01年3月。その年、いきなりダービーに送り出したのがテンザンセイザだった。京都新聞杯を制して賞金を加算し、本番は6着。助手として支えていた星川厩舎から引き継いだ馬で、思い入れは深い。
「開業の時に助けられた馬やからね。新規の厩舎やったから、まず周りに知ってもらわないとあかん。そのためにはどのレースに出たらいいか。ダービーや。馬の適性うんぬんじゃなく、厩舎の名前を覚えてもらうためには、ダービーに出る必要があった。それに応えてくれた馬。だから恩義があるわけや」
義理人情を大切にする師の言葉に力がこもった。実は、エポカドーロの馬主ユニオンオーナーズクラブ代表・藤原悟郎氏の父が、テンザンセイザの馬主という不思議な縁もあった。
初出走から9年後の2010年、ついに目標を達成する時が来た。「ダービートレーナー」の称号を届けてくれたのは、エイシンフラッシュだった。
「これはダービーを狙える馬やった。新馬戦6着後、3カ月休ませた。エポカドーロと同じやな。エポカは未勝利戦を勝った時に皐月賞を感じたけど、エイシンフラッシュは新馬戦でダービーを感じた」
直感通り、夢の舞台を制した。当時の師にとって、JRA・G1・3勝目だったが、格別だった。
「やっぱり自信にもつながるし、関係者にも恩返しできたと思うからね。ダービーに出走させるのは、常に目標にしている。たった18頭やからな。その舞台に上げるのは1年間の最大の目標やな」
今年は、エポカドーロが皐月賞馬として同世代6955頭の頂点を狙う。ただ、師の夢は国内だけで終わらない。
「日本競馬のレベルを上げたい。生産は欧米と肩を並べるところまで来た。でも、馬づくりの最終仕事を任されている我々はどうかと言われると、落ちるわな。その底上げが必要や。海外に行く機会があれば、どんどん行って日本をアピールしたい。ただ行くだけではなく、勝負できる馬をつくっていくためにも、日頃の積み重ねが大事なんや」
エイシンフラッシュはドバイと香港へ挑んだが、勝てなかった。エポカドーロも日本ダービー馬として、海外へ挑戦できるのか。府中の長い直線を先頭で駆け抜けた時、その先にある「世界」が見えてくる。(つづく)
◆藤原英昭(ふじわら・ひであき)1965年(昭40)6月29日、滋賀県生まれ。同志社大馬術部を経て89年から栗東・星川薫厩舎で調教助手。00年調教師免許取得、01年開業。JRA通算658勝(20日時点)、重賞47勝(G1・9勝)。今年は20日時点で35勝を挙げ、2位角居厩舎に11勝差でリーディング独走中。