エアグルーヴが作った札幌記念→天皇賞・秋新ローテ

<1997年(平9)>

 新しいローテーションの先駆けへ-。平成の競馬を振り返る「Legacy 語り継ぐ平成の競馬」では、平成9年(97年)札幌記念の勝ち馬エアグルーヴに迫る。管理した伊藤雄二元調教師(81)は、天皇賞・秋へのステップ戦として札幌記念を選択。そこには馬に負担のかからない北海道の涼しい気候、適度な間隔を空けてG1の大舞台に進む綿密な計算があった。【取材・構成=久野朗】

 伊藤雄二元調教師には、札幌記念を使う明確な狙いがあった。「天皇賞から逆算した。札幌記念を使えばローテが楽になるんですよ」と懐かしむ。天皇賞・秋を目指す有力馬は当時、夏に放牧を挟み10月の毎日王冠、京都大賞典(ともにG2)から始動するのが王道。それとは異なるローテは、充実期に入った牝馬エアグルーヴに、古馬最強の称号を手にさせたいとの思いが強かった。

 10月始動となれば、暑さがまだ残る9月に追い切りをする。「必要以上に調教が強くなる。夏負けすることもある」。札幌記念から天皇賞・秋までなら2カ月の間隔とゆとりがある。北海道は本州よりはるかに涼しい。馬の負担もかからない。そのため伊藤元調教師は、エアグルーヴが6月のG3マーメイドSを制覇した後、函館に移動させた。

 海に近い函館は、内陸の札幌より気温は上がらない。97年の函館競馬場にはまだ調教用ウッドコースはなく、ダート追いが主流。「雨も塩分を含んでいる。ダートコースはパサパサにならない。脚元にやさしいんですよ」と、現地の気候まで把握していた。輸送を考慮してレース2週前に札幌に移動したが、1週前追い切りに騎乗した主戦・武豊騎手は当時「調整の難しい馬が、これだけ順調に行くこと自体、珍しいぐらい」と話している。それまで骨折や熱発で何度も休養していた前年のオークス馬が、北の大地で軌道に乗った。

 札幌記念にはG1・2勝のジェニュインが出走したが、1番人気は譲らなかった。ライバルが4着に敗れたのとは対照的に、エアグルーヴは2着に2馬身半差と完勝した。9月に栗東に帰厩し「調整はうんと楽でしたね。息を持つようにする調教で十分でした」。思惑通りに進んだ調整を強みに、80年プリティキャスト以来、17年ぶりに牝馬が天皇賞・秋を勝った。その年は年度代表馬にも選ばれた。

 その後、夏の札幌記念をステップに05年ヘヴンリーロマンス、11年トーセンジョーダン、16年モーリスが天皇賞・秋を制した。今ではトレンドともいえるローテ。エアグルーヴは、まさにそのルートを切り開いた先駆者だった。

 ◆秋の重要ステップ エアグルーヴ以降、札幌記念には秋のG1を狙う有力馬が数多く出走するようになった。09年ブエナビスタはオークスを制した後に、始動戦として選択(2着)。3歳牝馬としては異例のローテで話題となった。14年には凱旋門賞に挑むハープスター(1着)とゴールドシップ(2着)が国内最終戦として出走。2頭のワンツーで決着した。

97年の札幌記念を制したエアグルーヴと武豊騎手
97年の札幌記念を制したエアグルーヴと武豊騎手