往年の名手が1日限りの共演/ジョッキーマスターズ

<2007年:ジョッキーマスターズ>

 平成の競馬史を振り返る新連載「Legacy ~語り継ぐ平成の競馬~」。第5回は往年のダービー&オークスジョッキーが1日限りで復帰した平成19年(07年)4月22日の「ジョッキーマスターズ」。実際のレース同様の内容で行われた夢企画にファンは大興奮。乗り手、馬、補償など多くの問題を克服した舞台裏には、競馬関係者のファンへの思い、感謝があった。

 平成19年4月22日の東京第13レース。往年の名ジョッキーの1日限りの共演を約4万6000人のファンが見守った。輪乗りの中にはシンボリルドルフの勝負服を身にまとった岡部が、トウカイテイオーの安田隆が、メリーナイスの根本が、アイネスフウジンの中野もいる。杉本清氏の場内実況をバックにG1競走のファンファーレが鳴り響く。まるでG1のような大歓声だった。根本師は「輪乗りしながらスタンドを見ると人だかりで真っ黒でさ。G1よりも盛り上がってたよ(笑い)。わくわくしたね」と懐かしんだ。

 夢レース実現の根底にはファンへの思いがあった。当時、総合企画部で運営に携わったJRA広報部放送メディア課の中山登己彦課長は振り返る。「東京競馬場の記念イベントだし、今までに1度もやったことのないことをやろうと。そんな中、当時オーストラリアで人気だったレジェンドレース案が浮上して、アドバイザーだった岡部さんに相談したら賛同してくれまして。でも当初は、昔の勝負服を着て回ってくるだけでいいかと。そこから始まったんです」。

 実現には多くの壁もあった。何より出場する元騎手のコンディション作りが不可欠で、騎乗馬の選定、レース内容、騎乗者の補償など課題は少なくなかった。「いい企画だけど、実現は厳しいよね」。そんな声も聞こえる中、ひと役買ったのは根本師、加藤和師らの現場サイドだった。根本師は「補償とか問題は多かったけど、ファンに楽しんでもらうことが一番だからと加藤君とも話してね。先に進めてしまおうと新聞に大々的に報道してもらったんだ。でもアドバイザーの岡部さんがいなかったらジョッキーマスターズはなかった。俺と加藤君はただ背中を押しただけ」と経緯を説明。自身も娘が通う乗馬苑で体を慣らしながら本番に備えた。JRA、岡部、現場サイドが一致協力して課題を1つずつクリア。ファンの喜ぶ顔が見たい--関係者のそんな思いが根底にあった。

 大歓声の中、ゲートが開くと、勢いよく飛びだした松永幹がハナを奪った。3~4角で最後方の根本が豪快にまくって出る。直線では好位を追走した河内が本田、安田隆とのたたき合いを制し先頭でゴール。往年のダービー&オークスジョッキーによる共演。G1レースにも負けない、割れんばかりの大歓声だった。根本師は「輪乗りで『イベントだし、そっと行こうな』と言っていた岡部さんが、実は一番気合入っていた(笑い)。レースになると違う。プロだよね」と懐かしみ、「この企画は(世代で)1回限りじゃないと意味がない。次は武豊、横山典、蛯名たちが引退したら、またやって欲しい」と語った。JRAの中山課長も「皆が笑顔でいられる企画。鳥肌が立ちました」と振り返る夢企画。「ファンあっての競馬」を体現した、平成でも指折りのイベントだった。【取材=山田準、松田直樹】

 ◆ジョッキーマスターズ 東京競馬場グランドオープンの主軸イベントとして07年4月22日の東京競馬第13レースで開催。ダービーまたはオークスの優勝経験のある元騎手9人が参加。柴田政人師がスターターを務め、杉本清氏が実況、鈴木淑子氏がパドックリポート、田中勝春騎手が実況解説を担当。横山典弘騎手らが誘導馬に騎乗した。約4万6000人が観戦、チャリティーグッズの売り上げなど約626万円が能登半島地震災害義援金として全額寄付された。翌年の11月9日にもアジア競馬会議デーの記念イベントとして第2回が行われ、国内外の8人の元騎手が参加、河内洋師が連覇を飾った。

07年4月、東京競馬場でのジョッキーマスターズに出場した左から的場均調教師、3着安田隆行調教師、2着本田優調教師、優勝した河内洋騎手、中野栄治調教師、岡部幸雄氏、松永幹夫、加藤和宏、根本康広ら調教師たち
07年4月、東京競馬場でのジョッキーマスターズに出場した左から的場均調教師、3着安田隆行調教師、2着本田優調教師、優勝した河内洋騎手、中野栄治調教師、岡部幸雄氏、松永幹夫、加藤和宏、根本康広ら調教師たち