引退レースで勝利くれたフォニコ/坂井コラム第5弾

 皆様、お久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか。

 私は、高校以来の本州の夏で、暑さに負けてました。こんな暑い中、去年まではずっと外で仕事をしてたんですよね。この時期になると、厩務員さんをやめた去年の事を思い出します。

 と、いうわけで(どういうわけやねん)今回は、私の最後の競馬についてお話ししようと思います。

 厩務員さんをやめたのは昨年9月。引退したのは結婚が理由でした(女性厩務員さんの中には結婚しても続けてはる人は沢山いはります)。私の場合は相方さんの職種が急きょ変わることになり、そのお手伝いをすることになっていました。大好きな厩務員さんというお仕事。辞めるという決断が下せるまで悩みました。

 師匠である昆先生に話を聞いていただけなければ、今も辞めたことを後悔していたかもしれません。先生の事を少し書きたいと思います。

 昆先生は無口で、仕事に関してはとても厳しい方です。普段はとても優しいんですが、仕事の時は怖かった(笑い)。

 馬との付き合い方だけでなく、厩務員さんとしてのあり方、厩舎としての考え方。沢山教えていただきました。

 「競走馬を扱うプロなのだから、プロとしての仕事をしなさい」と言われた事は最も心に残っています。先生は常々、馬はもちろん私たちの事を見守ってくれる方なので私が悩んでいたことも見抜いてはったんやと思います。8月初めの札幌で「少し話そう」と声をかけてくれはりました。

 そこで私は、厩務員さんの仕事や馬が好きで、離れる決心がつかないことを先生に話しました。すると先生は

 「千晃の気持ちはわかるけど、次にする仕事(お手伝い)は簡単なものではないし、支えていかんと回らない。もし厩務員さんを続けながらお手伝いをして、忙しいからといってどちらかがないがしろになってもいけない。そうなったとき、全力で馬に取り組めなかったら、千晃自身が一番嫌なんじゃないか? 馬もかわいそうではないか?」

 その言葉を聞いて、はっとしました。私にとって馬に没頭する事が出来なくなってしまうことが一番いややし、何しろ馬も迷惑。そう思うと迷いも消えて決心することができました。

 先生には9月20日でやめる旨を伝えて、残りの厩務員さん人生を悔いのないように過ごそうと決めました。日は刻一刻と迫ってきて、最後の競馬の日「札幌競馬最終日・9月4日」となりました。

 その日は娘ちゃん2人とも競馬で5レース、7レースと続いていました。どうしても両方の娘ちゃんとパドックを歩きたいと思い、厩舎の先輩方に協力をお願いしました。厩舎の先輩と昆先生、数人の女性厩務員さん達だけに辞める事を伝えていたので、私のわがままなお願いを先輩方は快く聞いてくれはりました。

 2頭とも前走で権利をとっていたので「これで勝ったら本当に持ってる人やで」なんて先輩方に言われながら、レースに向かいました。

 5レースの娘ちゃんは残念ながら勝つことは出来ず、「勝つんはそんな簡単なことちゃうわな」なんて言いながら最後の競馬に向かいました。

 7レースの娘ちゃんは「フォニコ」と呼んでいて、新馬の頃から担当させてもらっている面白い子で、普段は呼んでもつれない感じなのに、自分が痛いときやしんどい時、治療などでいやな時、私の胸に顔をうずめてスリスリ。そんな「ツンデレ感」がとてもカワイイ娘でした。

 「競馬でパドックを歩くのはこれで最後か」と思うと泣きそうになったので、満面の笑みで歩いていました(競馬の後、何人もに“気持ち悪い笑顔やったで”と言われたんで結構な顔やったんでしょうね)。

 ジョッキーを乗せていざ本馬場入場。私はゲートをひくためにバスに乗ってスタート地点に向かいました。ゲートに誘導し、再び乗り込む。バスの中は、ラジオの実況が流れるのみ。フォニコは差し馬なこともあり、ほとんど名前も呼ばれません。直線に向いても呼ばれず

 「連闘で前走目いっぱい走って来てたし、なかなか難しいかな。無事に帰ってきてくれるだけで」なんて思いながら実況を聞いているとゴール直前・・・ 「大外からとんできたー」と最後の最後にフォニコの名前を叫んだんです。

 一瞬ポカーン。一緒にバスに乗っていた装蹄師さんに「勝ったんちゃうの?」と言われた瞬間、涙がこみ上げてきました。

 帰ってくるフォニコを見たらますます泣けてきて、ジョッキーがハイタッチをしようと出してくれはった手にしがみついて泣き、事情を知らない他厩舎の方や騎手さんは「一体何があったんだ」という目で見られていました(そりゃ、平場の500万で大泣きしてる人はそうそういませんしね)。

 先生は私が泣く事を予想してはったようで、周りに「人の引退レースなんや」と説明してくれてはったそうです(今思うとちょっと恥ずかしい)。

 ターフビジョンにも、TV放送にも延々流れていたそうで、後日「ねーちゃん、えらい泣いてたな」とか、「スタンド4階まで泣き声が聞こえたよ」と言われたり。

 フォニコを受け取ってからも涙が止まらず、ジョッキーから「もうー、千晃わかったから泣くなあ」と笑いながら声をかけてもらうとますます泣けて、立ってるのが精いっぱいでした。

 いつも「ツンデレ」なフォニコが最後にくれた最高のプレゼント。こんな感動があるから、厩務員さんという仕事は体力的につらいことがあっても、ケガをすることがあっても魅力的なんやと思います。

 レースの後、「感動しました。競馬ってすてきですね」と声をかけてもらえる事がとてもうれしかった。

 フォニコが勝ってくれたのはG1とか大きなレースではなかったけれど、感動を届けられる。それぞれの競馬には、色々なドラマがある。

 こんな感じで私の厩務員人生は幕を閉じました。この時期になると必ず思い出します。

 今からフォニコのレースでも見て(札幌のビデオです)思いに浸ろうかと思います(笑い)。

 それではみなさん、ごきげんよう。

結婚を機に厩務員を退職した坂井千晃さん
結婚を機に厩務員を退職した坂井千晃さん