同期約20人。残ったのはヤスと私2人/坂井コラム第16弾

 皆様、いかがお過ごしでしょうか。今回は天皇賞・春特集号ですね。

 「女性厩務員のできるまで」を書かせていただいて丸1年。これも、読んでくれはる皆様のおかげでございます。ほんまに、ありがとうございます。

 さて、1周したということで、昨年のコラムを読み返してみました。このコラムの題にもなっている「女性厩務員のできるまで」について書いていました。

 というわけで今回は初心にかえって馬と関わるスタートとなった高校時代のお話をしたいと思います。

 私が競馬に興味を持ったのが中学生の時で、「厩務員さんになりたい」と親に打ち明けたのが高校生の時だったというのは前に書きましたが、そのために何をすればいいかということは全くわからずにいました。

 なので、進路指導の時、高校の担任の先生に進学はせず、厩務員さんになりたいと伝えました。すると、先生は教え子に私と同じ道を目指して牧場で修業している子がいるから話を聞きに行こうと牧場まで連れていってくれました。

 牧場に行くと先輩はこの仕事の大変なこと、体力をもっとつけないとやっていけないことなどいろいろ厳しいことを言われました。

 私はどんくさく、スポーツもしていなかったし、やっていたことといえば演劇部にいたのでその基礎体力をつけるランニングくらいでしたが、それも嫌いでどうやってサボろうか・・・と思うくらい運動が苦手でした。

 でも厩務員さんになるからにはそんな体力づくりも「嫌いだから」と言っていられないと真面目にやるようになりました。

 ですがこれだけでは厩務員さんになるには程遠いと思い、知り合いの調教助手さんに尋ねたところ、「乗馬はやっておきなさい。京都競馬場に乗馬センターがあるから行ってみるといいよ」と教えてくれはったので翌日すぐにセンターへ向かい申し込みをしました。ここから、私は初めて馬と触れ合うことになるのです。

 初めて馬に乗るということになって、初心者ばかり(同期というやつですね)が集まりました。はじめに調馬索といって先生が下で操る馬に乗って馬の動きに馴れることから始めます。

 その順番を待っているとなぜ乗馬をはじめたのかという話になりました。同期20人近くいたと思いますがその8割が「厩務員さんになりたい」という目標を持つ「ライバル」でした。もちろんその中には女の子も何人もいました。

 しかし乗馬を続けていくにつれ、同期が1人、また1人とやめていき、ほんの数人しかいなくなってしまいました。最終的に同期の中で厩務員さんになったのは私とヤスと呼んでいる男の子と2人でした。

 ヤスとは年齢も同じで牧場に修業しに北海道に行った年も同じだったので、お互いを刺激しあえる良いライバルでした。どちらが先に厩務員さんになれるかと競い合う気持ちがあったから、きつい修業でも頑張ってこれたんやと思います。

だからこそ、お互いが厩務員さんになれたときはほんまにうれしかったですね。

 私が厩務員さんをやめてしまった今でも、京都競馬場の乗馬センターで(同期ではないですが)一緒に馬に乗って、今はトレセンで働く仲間たちと集まったりします。

 なぜか毎回私が幹事に任命されていますが・・・(笑い)。そんな乗馬センター時代からの仲間ですが、調教助手のヤスをはじめとして、騎手さんになった人もいますし、誘導馬に乗ったり、競馬の時のゲート裏で馬を引いたりする職員さんになった人もいます。

 もちろん、中央競馬だけでなく、笠松競馬の騎手さんになった人や盛岡競馬で調教助手さんになった人、馬券の発売払戻のシステム開発の会社に就職した人など、切磋琢磨(せっさたくま)しながら一緒に乗っていた仲間たちです。同じ目標をもって青春時代を過ごしてきた仲間だからでしょう。今でも、集まればその頃の話題でお酒がドンドンすすんでいきます。

 乗馬センターで一緒に乗っていた仲間の中で厩務員さんになった女子は私だけでしたが、トレセンに入って先輩女性厩務員さんと話していると「私も京都競馬場の乗馬センターで乗っていたよ」という方も何人かいはりました。

 厩務員さんや騎手さんになりたいから乗馬を始めている人も多いので当然なのかもしれませんが、意外と京都競馬場乗馬センター出身の先輩方が多いので驚きました。

 そうして過ごしてきた、高校時代ですが「厩務員さんになる」という目標に1点の迷いもなかったかと言われるとそんなことはありませんでした。私はビックリするほどどんくさく、馬に落ちずに乗れるようになるまで人の3倍の時間が必要でしたし、馬が引っ掛かって暴走したこともありますし、障害もうまく跳べなかった。

 厩務員さんになってから高校の恩師にお会いした時も「坂井ほどどんくさい子がほんまになれるとは、思ってなかった。正直諦めて進学するというてくれへんかな、と思ってたんや」と言われるんやからよほどやったんでしょうね(笑い)。

 「もしかしたら私にはむいてへんかもしれん。こんなことなら、大好きな演劇の道も考えようかしら」とほんの一瞬、頭をよぎった事もありました(もちろん、演劇の道も簡単なものではないし、何より才能がなかった)。

 でも、触れ合った馬の温かさとなついてくれるかわいらしさに、「やはり私には馬しかない。この道で生きていこう」と心に決めたのです。

 今となっては厩務員さんになれたからこそ、担当したお馬さんたちに普段ではできない経験と、感動をもらえたので、ほんまに諦めんでよかったなと思います。

 そしてこの経験があったからこそ今がある。これからも、「小さなことからコツコツと」書いていけたらな、と思っていますので皆様、よろしくお願いいたします。

 それでは今回はこの辺りで。皆様、ごきげんよう。

「厩務員になることを諦めずに良かった」と話す坂井千晃さん
「厩務員になることを諦めずに良かった」と話す坂井千晃さん