脱庭先取引へ革命的な試み/第1回セレクトセール

<1998年 第1回セレクトセール>

 平成の競馬史を振り返る「Legacy~語り継ぐ平成の競馬~」は、平成10年(98年)のセレクトセール誕生を取り上げる。今や世界中の競馬関係者からも注目される地位を築いた日本最大の競走馬市場。世界初の試みだった当歳セリを中心にスタートさせた背景などを聞いた。【取材・構成=松田直樹】

 「ありませんか!」。セリ人の声に、一瞬の静寂が会場を包む。カコン。振り下ろされたハンマーの乾いた音がセリ終了の合図。1億円を超える落札馬すら見慣れた光景となった国内最大の競走馬セリ、セレクトセールの第1回は平成10年7月13、14日に行われた。

 日本国内では革命的な試み。日本競走馬協会会長代行の吉田照哉氏は「生産界も世界に追い付く必要があった」と話す。当時は生産牧場と馬主が直接、売買交渉をする庭先取引が主流。開かれた市場づくりの第1歩がセレクトセールだった。

 一声で軽々と数百万円が動く世界。開催前には海外のセリへスタッフを研修に派遣し、模擬セリを何度もこなした。吉田氏は「盛り下がらないようにさまざまな配慮をしました」と振り返る。上場段階で各馬のリザーブ価格を設定し、主取りも馬主番号で表示。テンポ良くやりとりが進むよう、入念に準備を進めた。

 上場馬は諸外国に反して、その年に生まれた当歳馬が約8割を占めた。吉田氏は「当歳セリは世界初の試み。馬主さんが生まれた途端に庭先で買うので、当歳でやるしかなかったんだけど」と語る。実情は“青田買い”対策だが、これが海外のホースマンに受けた。

 開催初年度にもかかわらず、外国人購買者は約30人が来場した。円安の影響もあったが、海外でも注目を集めたサンデーサイレンス産駒を筆頭に、有力産駒の品評会の意味合いもあった。海外のバイヤーが日本のセリに参入したのは初。市場原理を持ち込むことで売買の透明化を図り、日本馬の知名度を押し上げる起爆剤にもなった。

 第1回で取引されたマンハッタンカフェが菊花賞を制し、これまでに42頭のJRA・G1馬(障害除く)が誕生した。オークション形式の取引によって馬主の出費はかさむが、1頭の単価が上がることで牧場施設、繁殖牝馬への再投資が可能となり、好循環を生み出す。昨年は過去最高の173億円超となる売り上げを記録。年輪を重ねるように世界中からの評価も上がっている。

 ◆セレクトセールの売り上げ推移 第1回の98年は7頭の1億超え馬が誕生するなど48億5100万円。99~05年は当歳市場のみで、約50~80億円弱。06年から1歳馬市場が再開し、総売り上げは初の100億超えとなる117億5450万円まで跳ね上がった。08~11年は100億円を下回ったが、12年に再び100億円を突破。13年の117億6470万円以降、昨年の173億2700万円まで、毎年レコードを更新し続けている。

セレクトセールの売り上げ推移
セレクトセールの売り上げ推移