ツインターボ圧勝「逃げの中舘」名を馳せた/七夕賞

<93年七夕賞>

 平成の競馬史を振り返る「Legacy ~語り継ぐ平成の競馬~」は、平成5年(93年)七夕賞で大逃走劇を演じたツインターボ(笹倉)を取り上げる。中舘英二騎手(現調教師)とのコンビで、2着アイルトンシンボリに4馬身差の圧勝。当時、福島競馬場の多くのファンを驚かせ、「逃げの中舘」を強烈に印象づけた快速馬は、昨年福島競馬場の「思い出のベストホース大賞」にも選ばれた。【取材・構成=水島晴之】

 ツインターボがゲートに入ると、中舘騎手は静かに目を閉じた。出ていく馬についていく。その感覚だけを研ぎ澄ました。「乗り役が隣の馬を見たり、うまく出そうと意識すれば緊張感が伝わり、逆に突進したり出遅れたりする。人が動かなければ、馬も安心して立ってられるんです」。

 スタートのうまさを買われ、初コンビを組んだのが93年七夕賞。追い切りにも乗ったことはない。第一印象も「暴走するイメージ」と良くなかった。パドックではおとなしいが、返し馬にいくと猛獣と化し、4コーナー奥の待避所に突っ込む形でようやく止まった。「結構危なかった。あれでひと仕事終わった感じ」と気難しさに手を焼いた。

 それでも雑念を振り払いスタートに集中。8枠16番から五分に出ると、スピードが違った。前半3ハロンは33秒9、1000メートル通過は57秒4。3角では後続との差が7、8馬身に広がった。明らかにオーバーペースだが「ガツンと行く感じではなかったし、無理に控えると、どこへ飛んでいくか分からない。軽いタッチで行きたかった」と、ラップより走りのリズムを重視した。

 この時の感覚を中舘師はこう表現する。円を描くように、その輪を徐々に大きくしていく。「後ろの馬の蹄音が聞こえたら終わり。でも3、4コーナーで少し手応えが戻ったから残れるかな、と。あんなに離している(2着に4馬身差)とは思わなかった。この馬は自分の競馬さえすれば、結果はどうあれ誰も文句は言わない。だからプレッシャーはなかったですね」。

 逃げの中舘は、師匠である加藤修甫師(故人)の助言によって生まれた。デビュー4年目(87年)は、年頭から2カ月以上も勝ち星がなく、それを見かねた師から「とりあえず逃げてみな」とアドバイスされた。それからはスタートを研究する日々。達人と言われた田村正光氏(元騎手)をお手本に試行錯誤を繰り返した。ゲート内で目を閉じるのもそのひとつ。時には追い込み馬を意識的に出遅れさせて、タイミングのズレを測ったこともある。

 自分なりにスタートの感覚をつかみ、周囲からも認められ始めた頃、出会ったのがツインターボだ。「逃げの中舘を世間に広めてくれたし、自分の騎乗スタイルが確立できたという意味では、思い出に残る馬ですね」。勝つか惨敗か。けれん味のない逃走劇は、このコンビだからできた。

 ◆福島競馬場「思い出のベストホース」 福島競馬場100周年を翌年に控えた昨秋JRAが実施。特設HPで福島競馬場で活躍した馬を募集。総投票数960票(85頭)のうち、ツインターボ(93年七夕賞以外に91年ラジオたんぱ賞も逃げ切り)が半数近い471票を集め、ぶっちぎりの1位。2位ゼーヴィント(38票)以下を大きく引き離した。ちなみに93年七夕賞の行われた7月11日当日の入場人員4万7391人は、現在も福島競馬場レコード。

中舘英二調教師
中舘英二調教師