阪神JFとメチコ母娘との思い出/坂井コラム第9弾

 皆様いかがお過ごしでしょうか。今回は2歳G1特集号。さて、2歳のG1と言えば2年前の阪神JFに出走させてもらったことを思い出します。

 彼女の呼び名は「メチコ」ちゃん。私が彼女とコンビを組んだのは2歳の秋から3歳年明けの4戦でしたが、沢山の良い経験と思い出がありますね。

 G1を経験させてもらったのはもちろん、彼女を担当させてもらえたことは私にとって宝物の様な出来事でした。

 というのも、メチコのお母ちゃんは新馬の時から私が担当していて、私に厩務員さんとしての楽しさを教えてくれた「先生」のような馬でした。

 メチコ母の呼び名は「メッチャン」(あんまりひねりがないですね)。彼女が新馬デビューしたのが08年、もう10年近く前の話になります。

 その頃の私は、この仕事の難しさに悩む事も多かった様に思います。2年近く勝つことができなかったり、担当馬が故障してしまったり、担当馬が目の前で亡くなってしまったり。そんな事もあり「厩務員さんの仕事を続ける」自信を失いかけていた時でした。

 そんな時出会ったのが「メッチャン」でした。彼女の印象は「体質が弱い、おとなしい女の子」でした。激しいトレーニングをすると歩様が硬くなったりしていました。そして彼女の最大の敵は「暑さ」。夏バテのきつい子で、5月くらいになると、その症状と戦っていました。

 そんな彼女は、ほんまにすごい「根性娘」でしたね。どれだけ体が辛くても耐えて、競馬になるとその根性を発揮する。競馬ではとてつもないスタートダッシュをかましてそのまま押し切り勝ってしまう能力の高い馬でもありました。

 「メッチャン」のとてつもない根性を感じたのは、11年東日本大震災の時でした。翌日レースの予定だった私とメッチャンが小倉競馬場に到着した時、あの悲しい震災がおこり、競馬開催ができる状態ではなくなり、翌日8時間の道のりを栗東まで帰りました。体の少し弱いメッチャンには「から輸送」は結構なダメージでした。その後、競馬も無事再開される事になりましたが、もう1度長距離輸送を挟む事もあり、果たしてどこまで結果を残せるやろう。と思っていましたが、彼女は根性を発揮して見事に勝利してくれました。

 また、少し暑い春の出来事です。調教を終えて帰ってきた彼女は暑さにまいってフラフラで、私を見て「もう、あかん」と言って倒れたのです。これはあかん! と慌てて診療所に連れていくとショック症状が出て獣医師さんから「危険な状態」と言われたときは「何とか助けてください」と大泣きしたのを覚えています。獣医師さんたちの処置と、彼女の根性のおかげでその山を乗り越え、1週間の入院はありましたが、無事競走馬として復帰し、その後、勝利を挙げてくれました。

 私は、メッチャンと出会った事で、馬にはその馬によって体質も違えば対処の仕方も違うことを知りましたし、彼女の様な体質の子を競馬に持っていくために色々研究したり、勉強したりしました。そして、何よりも彼女に学んだのはどんな状況であっても前向きに頑張る根性。少々のことでは折れない気持ち。

 メッチャンは馬ではありますが、私にとっては「師匠」。彼女との出会いがなければ、私は馬とこんな風に向き合う前に厩務員さんを辞めていたかもわかりません。

 そして、「メチコ」はそんなメッチャンの娘ちゃんでした。メッチャンがお母ちゃんになるために生まれ故郷に戻り、子供を受胎したと昆先生から聞いたときは「楽しみですねー、会えるまで頑張らないと」なんて言うてましたね(先生はそんな私を見ながら「その頃までいたら結構な年齢になるぞ」と心配していましたが・・・笑い」。結局、この仕事が好きすぎて「メチコ」と出会えるまで厩務員さんを続けていました。

 メチコの札幌2歳Sまでは別の方が担当されていて、遠目に見ていた印象は「メッチャンと違って身体が柔らかくてすごいバネだな。瞬時の動きが素晴らしいな」と思いその能力をワクワクしながら見ていました。そんな彼女と秋初戦からコンビを組むことになり2歳500万特別で差のない2着、次の重賞「ファンタジーS」に挑みました。このファンタジーSというレースも何度か挑戦したことはあったのですが、3着が最高で、勝ってみたい!と思っていたレースやったんですが、メチコと挑戦したこの時も、あと少しというところで2着(こんなところでも私の2着病発動)でした。しかしながら、重賞2着で賞金が加算され、暮れの阪神JFに出走できることになったのです。

 2度目のG1挑戦がかなったことはもちろんですが、メッチャンの娘と一緒に行けるというのは、私にとっては格別でした(もちろん、どの子も私にとっては特別ですが)。

 レースは強いメンバーがそろっていましたが、直線坂の手前までは先頭と並んで、一生懸命走っていました。小柄ながらも一生懸命走る姿はお母ちゃんと重なるものがありました。

 その後、年明けに1戦して、メチコは休養に入りました。私はその後、この仕事を離れてしまったので、彼女とのコンビはここまででしたが、母馬も娘馬も担当出来る事はそんなにない中でこのような経験ができたことは私の宝物です。

 今はメチコも母メッチャンと一緒に生まれ故郷の牧場に帰って、お母ちゃんとしての人生を歩き出しています。

 この前、ジャパンC特集号でも書いた「レガシーワールド」に会いに行った後で、2人にも会いに行ってきました(厩務員さんとして担当させていただいた馬のほとんどが、ここの牧場さんのお馬さんなので、2人だけじゃなくいっぱい娘ちゃんがいるんですけどね)。

 2人とも相変わらずの美人さんで、競走馬の時とは違ってのんびり過ごしていました。厩務員さんを辞めてもこうして彼女たちに会いに行ける私は幸せやと思いますし、私を受け入れてくれはる牧場の皆様には感謝しかありません。

 メッチャンからメチコへ・・・そしてこれから2人の子供たちがターフにやってきます(もう、そうなればひ孫ですよ)。そんな、姿を想像してワクワクしながら・・・。

 今年の2歳ちゃんたちはどんなドラマを見せてくれるんでしょうね。さて、今回はこの辺りで。皆様ごきげんよう。

北海道への旅で牧場の馬とたわむれる坂井千晃さん
北海道への旅で牧場の馬とたわむれる坂井千晃さん