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昭和最終年の金足農の記憶 平成最終年でも鮮明

準々決勝 近江対金足農 9回裏金足農無死満塁、斎藤の三塁前スクイズで同点の生還をした三塁走者の高橋に続き二塁走者の菊地彪(下)が、サヨナラの生還を果たす(2018年8月18日撮影)

<カナノウを語ろう(5)>

やってくると思っていた。準々決勝、近江戦のサヨナラ機。予想通り、お家芸のツーランスクイズが決まり、胸のすく思いだった。

勝負どころで必ず抜く「伝家の宝刀」。成功も失敗も見たが、今でも鮮やかによみがえる記憶がある。

30年前の秋、秋田県大会準決勝の秋田経法大付(現明桜)戦、決勝点はツーランスクイズだった。近江戦と同じく三塁前に転がした。三走がヘッドスライディングで同点とした。カメラのファインダーをのぞくと、二走が勢いよく三塁を蹴り、頭から突入してきた。一塁手からの送球を捕手がミットだけでタッチすると、球がスルリと抜けた。生還が認められ、逆転勝ちした。球が宙に浮いた写真は翌日の東北版に載り、当時の嶋崎久美監督に「ニッカン、見たよ」と、感謝されたことを覚えている。

敗れた秋田経法大付は翌89年、平成最初の夏の甲子園でベスト4まで進出した。「あの写真を見て、夏こそ出ようと皆で誓い合いましたよ」。同年夏、兵庫県宝塚市の宿舎で当時の古谷孝男部長から耳にした。

平成最後の100回記念大会で、今度は金足農が準優勝。昭和最後の年に見た決勝ツーランスクイズは、30年の時を超えて雑草軍団に継承されていた。これぞ伝統であり、永遠に語り継がれる秋田の高校野球史の1ページだ。【86~89年・東北6県担当・赤塚辰浩】

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ソフトバンク1位吉住直撃「びっくりした」指名語る

筋トレでハードに追い込む吉住

 あけましておめでとうございます! 日刊スポーツ東北版が毎週木曜日に1ページ増で展開している「みちのくプラス!!」は今年も健在です。新年1回目は鶴岡東(山形)からソフトバンクにドラフト1位指名された吉住晴斗投手(17)の新春インタビューです。無限の可能性を秘めた原石の意気込みとともに、隠された一面にも直撃します。【取材・構成=高橋洋平】

 昨年のドラフトで起こった最大のサプライズと言っていいだろう。その年の日本一に輝くソフトバンクから吉住が“外れ外れ外れ”とはいえ、ドラフト1位で指名された。吉住本人や鶴岡東の佐藤俊監督(46)、担当の作山和英スカウト(48)までが、腰を抜かすほど驚いた。

 吉住 指名順位は下位か、育成だと思っていた。自分でもびっくり。まさか1位で指名されるとは…。

 吉住は新入団選手が全員参加する昨年12月6日の施設見学に欠席している。当日の庄内空港発、羽田空港行きの飛行機が悪天候で欠航。予定を変更して新潟まで特急に乗り、東京まで新幹線で移動した。羽田から福岡に着いたのは当日の夜9時ぐらいだった。

 吉住 かなり焦った。慌てて担当の作山スカウトに電話した。当日は午後1時集合で、12時半ぐらいに着く予定だった。飛行機が飛ばなくて、びっくりした。波乱のスタートでした(苦笑い)。

 翌7日の新入団記者会見では、同期たちと初めて対面した。3位の増田珠内野手(18=横浜)や5位の田浦文丸投手(18=秀岳館)の高校日本代表コンビを差し置いての1位指名に、期待の高さがうかがえる。背番号は26に決まった。

 吉住 同期は知られている人ばっかり。この人たちと一緒にやっていくんだなと。背番号は球団が決めた。自分の前には過去に、松中さん(信彦)が付けていた。そういう人たちに負けないようにと思った。

 新入団会見では、王貞治会長(77)と工藤公康監督(54)との3ショットが実現。固い握手を交わした。

 吉住 2人は今までテレビで見る存在だった。同じ場所にいるのが、すごいなと。これがプロ野球かと思った。

 ソフトバンクが吉住を高く評価したのは、類いまれな身体能力にあった。山形県では09年から未来の五輪選手育成のために「YAMAGATAドリームキッズ」を立ち上げた。吉住はその1期生に当たる。小4から中3まで五輪種目のバレーボールやスキー、レスリングなど、さまざまな種目に取り組むが、吉住は中2になった時点で野球専念を理由に、同組織を脱退した。

 吉住 その当時は野球が五輪種目じゃなかった。いろんなスポーツはやったけど、野球がなかったのでやめた。

 選出された小4当時には、立ち幅跳びで2メートル40を計測。全国の同学年男子の平均1メートル50を約1メートルも上回る数値だった。185センチ、83キロの体格を誇る現在でも50メートル走は6秒0を維持する。そんな、高い運動能力を誇る吉住はバレーボールやバスケットボールですぐに頭角を現したが、野球では苦労した。当時、母の真由美さんには「野球が一番苦手なスポーツかも」と弱音を吐いている。

 吉住 投げるそのものはできるけど、バットを持って打つのが苦手。道具を使うのが、あまりうまくなかった。自分の体で直接やるバスケとバレーは得意でも、バットとかラケットを扱うのは不得意。だから打撃も良くなかったのかも。

 現在は筋トレを中心に、プロ仕様の体づくりを行っている。読書好きで、今でも本を読んで独学の研究を続けている。この春は阪神藤川の本を読んで直球の握りをまねし、今夏は自己最速を2キロ更新する151キロをたたき出した。

 吉住 本を読んだりするのは好き。固定概念なく、取り入れられるので。

 両親の英則さん、真由美さんが調理師免許を持っている関係で、吉住は中学までスイーツを自分でつくるほどの腕前だった。

 吉住 スイーツ職人? そんなレベルじゃないですよ(笑い)。子供の頃、お菓子が家になかった。両親が料理人だったので材料は家にあって、親の影響で本を見ながら、クッキーやプリンとかはつくった。中学まではやったけど、今は忙しくてしてない。投手として指をけがしては駄目だし、入団してからは寮なんで自炊はしません。

 ソフトバンクの分厚い投手陣に加わる。吉住は現実的な目標を設定した。焦らず自分のペースで体をつくって、早期1軍に備える。

 吉住 7日から福岡に行きます。飛行機が飛べば(笑い)。乗り遅れないようにしないと。1、2年目は体づくり、3年目からは1軍で投げたい。

 鶴岡ではソフトバンクの地上波での放送は厳しい。だから楽天戦での凱旋(がいせん)登板が地元への最大の恩返しになる。

 吉住 ソフトバンクの放送はこっち(鶴岡)ではないので、仙台に戻ってきたい。楽天戦で帰ってくるのが一番、鶴岡の人たちに見てもらえる。

 入団交渉時には震える右手で「160キロ」としたためた。新しくつくった自分のサインは、スラスラと書いてみせた。

 吉住 文字だと考えないといけないけど、サインは書くだけでいいですね(笑い)。

<鶴岡東・佐藤監督が感じた可能性>

 吉住のドラフト1位指名は、佐藤監督の眼力なくして実現しなかった。視察に訪れた鶴岡二中で外野手だった吉住の走る姿をひと目見て、無限の可能性を感じ取った。高校入学後から本格的に投手に転向させ、1年夏の甲子園帰りから本格的に練習させた。同年秋の県大会はメンバー外。ひたすら基礎体力をつけ、秋の東北大会で初のベンチ入り。青森山田との1回戦を勝てば登板機会があったが、チームは敗戦。1年時には公式戦で投げる機会がなかったが、佐藤監督は「それが逆に良かった」という。

 佐藤監督 チームとして焦らず投げさせなかったことで、吉住の力が熟成された。結果的に力をためることができた。

 翌年春に県大会デビュー。いきなり日大山形との2回戦で145キロをたたき出し、同年夏の甲子園出場に貢献した。同監督は「自分はたまたま吉住に恵まれただけ。ドラフト1位として頑張ってほしい」と愛弟子の旅立ちを祝福した。

17年12月7日、ウエルカムパーティーでソフトバンク王会長(左)、工藤監督(右)と乾杯する吉住

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マー君「またやりたい」21万人Vパレード/復刻

2013年11月25日付日刊スポーツ紙面

<日刊スポーツ:2013年11月25日付>

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の11月25日付紙面を振り返ります。2013年の1面(東北版)は初のリーグ優勝、日本一になった楽天のVパレードでした。

 ◇ ◇ ◇

 ありがとう、マー君-。楽天田中将大投手(25)が24日、仙台市内で行われた優勝パレードに参加し、初のリーグ優勝、日本一の喜びに浸った。予想を超える約21万4000人のファンが沿道に集まり、公式戦無敗でチームを支えた殊勲者を祝福。田中にとっても初体験のイベントは、「一生の思い出」として記憶に深く刻まれた。また宮城県から県民栄誉賞、仙台市から賛辞の盾、兵庫・伊丹市からは市民栄誉賞を正式に受賞。ファンに感謝し、感謝された1日に感激した。

 「マーく~ん!」。沿道を埋め尽くしたファンの声援に、田中は感謝の気持ちでいっぱいだった。直前のセレモニーではテープカットに臨み、パレード中はそのテープを握りしめ、約21万4000人のファンに笑顔を届け、手を振った。約1・5キロを移動し、約30分間、幸せな時間を過ごした。想像を超えた至福のひとときを、「なかなか経験できることじゃない。ずっと自分の思い出に残っていくんだろうなと思いました」と感慨深そうに振り返った。

 このパレードのために、夜明け前からスタンバイしていたファンもいた。田中は「今日の通りを全面閉鎖するのは初めてということを聞いて、すごいなと」。開始の約3時間前までは小雨が降り、天候が心配されたが、スタート時間の午前11時には快晴に変わった。幸せを共有するのに、絶好のパレード日和となった。

 それぞれの選手に向けられたファンの声の中でも、田中への声援はひときわ大きかった。多くの笑顔と感謝の声に触れた田中は、「ありがたいですね。すごい歓声をいただいて、優勝した喜びをみんなで分かち合うことができて良かった」と素直な気持ちを口にした。

 感謝の思いを感じると同時に、多くの人から感謝された。この日、パレード前に村井県知事から「宮城県民に大きな夢と希望を与えてくれました。心より感謝します」と、県民栄誉賞を授与された。「チームのみんなで戦ってきた結果だと思っています」。パレード後には仙台市から賛辞の盾を、出身地の兵庫・伊丹市からは市民栄誉賞を贈られ、次々と「感謝」の意を告げられた。田中の残した数々の功績は、東北だけでなく遠い関西からもたたえられた。

 東日本大震災から2年8カ月。復興にはまだ時間がかかるが、消えかけた笑顔が戻り、歓喜と幸せに満ちた1日になった。田中は「すごくいいものでした。またやりたいですね」としみじみ言った。田中を中心に、選手と21万人超の観衆は一体となった。

※記録と表記は当時のもの

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楽天松井裕樹から野球少年たちへ贈る成功&失敗体験

楽天の松井裕樹

<わたしのツクリカタ:楽天松井裕樹(2)>

 東北ゆかりのスターたちに生い立ちやターニングポイントを聞く「わたしのツクリカタ」。楽天松井裕樹投手(20)の後編です。桐光学園(神奈川)に進学し、2年夏に甲子園で1試合22奪三振を記録。なぜ2年生でエースになれたのか、なぜ3年生の夏は甲子園に出られなかったのか。当時の成功・失敗体験を振り返り、野球少年たちへの助言を送ってくれました。

 やっぱり高校に入ってからですね。ターニングポイントってやつは。まず、中学3年の時に神奈川から千葉へ引っ越したんですよ。高校決まってたのに。で、毎朝5時1分の始発に乗って通っていたんですけど、もう無理だと。それから寮生活になりました。

 寮では野菜は苦手でほとんど食べませんでした。今となればバランスの良い食事が大事っていうのがよく分かるんですけど(笑い)。まぁ野菜ジュースを飲んでいたんで大丈夫だと信じていました。米は鬼のように食いましたよ。1食1・1キロ。テレビ見ながらなんで、1時間くらいはかかったかな。それで体を大きくした。結構きつかったです。

 野球をやっている中学生が読んでいるなら、これだけは伝えたい。中学から高校に進学する際のスタートダッシュはものすごく重要。僕は中学3年でチームを引退してから、むちゃくちゃ練習しました。大体リトルシニアって8月には引退なんですけど、そこからもずっとチームに行った。週に3回ですかね。強制ですよ(笑い)。3年間野球をやってきて、最後くらいは遊びたいっていう気持ちは分かるんですけど、グッと我慢する。だから僕は高校に入学したときに、おじけづかなかった。自分が良い位置にいるなぁと感じられましたね。自分の中に貯金を作れたと思います。

 いつからプロを意識し始めたかって聞かれるんですけど、僕の場合はプロ野球選手を目指した時期ってないんですよ。実は。やり始めた時からずっと、僕はなるんだって信じてましたから。よく分からない自信というか、そんな気持ちがあった。中学になってからですね、本当にプロになるんだろうなって思ったのは。

 よく身長が低いのでプロの夢をあきらめるというような話を聞きますが、僕は身長が低いのを言い訳にしたことはありません。低いなら低いなりに体を目いっぱい使えばいい。それで打たれて、限界を感じたらそれまででしょう。小さいからというのを言い訳にしたくないんです。

 人との出会いにも恵まれました。小学4年の時に塾で出会ったやつがいるんですけど、そいつがずっと高校まで一緒。鈴木航介って桐光学園ではキャプテンだった。僕が甲子園で活躍できて、マスコミの方にワーッと騒がれて結構大変なことになりました。でも航介は僕のことを特別扱いしないで、強く言ってくれたり、怒ってくれた。高校で取り巻くものが変わっても、本当に近くにいるヤツらはずっと変わらなかった。大きな存在です。

 高校2年の夏、甲子園で人生は変わりましたね。今治西戦が終わって、朝起きたら全紙スポーツ紙の1面。そこからマスコミの方が毎日のように押し寄せてくる。最初は良かったんですけど、3年の時は本当につらかったですね。だって、練習試合で負けて1面とか、裏面になるんですよ? もう勘弁してくれよって。最後の夏に甲子園に出られなかったのは、完全に重圧に負けたと思っています。

 あとは夏をなめていました。実は入学した時にこうなったらいいなぁっていう未来予想図を描いていたんです。1年生では県大会の決勝で負ける。2年生で甲子園に出場。3年生で甲子園優勝。2年生まですごく順調で、描いたとおりに行ったんです。でも、そこで調子に乗ったんでしょうね。3年生の夏は甲子園決勝にピークが来るように練習をしていた。そうしたら神奈川の準々決勝で横浜に負けた。

 あの年はメンバーも良くて、絶対に甲子園には行けると思っていましたから。慢心ですよね。僕がアドバイスできるならば、その日の試合が決勝だと思ってやるしかないということですね。夏は1試合ごとに強くなる。苦しんで、全力でぶつかることで、成長できるし、絆も深まっていく。僕のは失敗談ですけど(笑い)。(終わり)

 ◆松井裕樹(まつい・ゆうき)1995年(平7)10月30日、横浜市生まれ。中学3年に所属していた青葉緑東リトルシニアでは全日本選手権で優勝。桐光学園では2年夏の甲子園で10連続を含む1試合22奪三振の記録を樹立。14年に楽天にドラフト1位で入団し、15年から抑え。15年のプレミア12では侍ジャパンにも選出された。174センチ、74キロ。左投げ左打ち。

(5月19日付 日刊スポーツ東北版掲載)

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2016年5月19日付東北版紙面

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楽天松井裕樹 野球を始めた少年時代を語る

楽天の松井裕樹

<わたしのツクリカタ:楽天松井裕樹(1)>

 東北ゆかりのスターたちに生い立ちやターニングポイントを聞く「わたしのツクリカタ」。第3弾は、楽天の若き守護神・松井裕樹投手(20)を2週にわたってお届けします。1回目の今回は、野球を始めた小学校時代から中学時代まで、どのような練習をしていたのかを交えて話してくれました。プロになってつけている背番号「1」に関係する意外なエピソードも飛び出しました。

 野球は気付いたらやっていましたね。プロフィルでは、始めたのは小学校2年生の時になってます。オヤジが巨人ファンで、テレビ中継を見ていたら「野球やりたい!」って言い出したらしいんですよ。僕はあんまりよく覚えてないんですけど(笑い)。

 最初は元石川サンダーボルト(横浜市)っていうチームで、二塁手と三塁手をやってました。左利きの二塁手です。かなりレアじゃないですか。小学生の頃って利き腕も関係ないじゃない。それでうまかったら格好良かったんですけど、自分はめちゃくちゃ下手で、初めてもらった背番号は「22」。投手になったのは小学校3年生ですかね。左だからとりあえずやってみろ、みたいな。そこから投手人生が始まりました。

 小学校6年生の時に大きな目標ができました。それはベイスターズジュニアに入ること。5、6年生が対象のプロ12球団の選抜チームみたいなものなんですけど、5年生の時は1次試験は通ってたんですけど、次で落ちた。もう本当に悔しくて、悔しくて。ウチは元旦に今年の目標を家族の前で発表するっていうのがあるんですけど、6年生になる年は「ベイスターズジュニアに絶対に受かる」と宣言しました。

 なので6年生の時は全てをそれに向けてましたね。母親が結構厳しくて、ランニングも一緒に走りましたし、(打撃練習の一環で)シャトル打ちのシャトルも上げてくれました。あとはハッパのかけ方もすごかったですね。小学校の運動会のリレーの選手には死んでもなれって(笑い)。授業中にタイムを計測して、上位2人がなれるんですけど、もう必死。逃したら家に帰れない。おかげで1年から6年生までリレーの選手になれました。母親の愛情ですね(笑い)。

 小学生の時って体力=能力じゃないですか。リレーの足の速さも終盤にバテるかどうかみたいなところもあると思うんです。だからとことん体力を強化しました。よく聞かれるんですけど、当時の練習メニューは腹筋、背筋、素振り、あとはシャドーピッチングですね。本当に基礎的なことしかやっていないんです。それで、6年の時はベイスターズジュニアに選ばれることができた。まぁここまでやったら選ばれるだろうなっていうくらい真剣に練習しましたけど、本当に良かったです。

 中学に入ってからの練習内容も基礎トレですよ。中学では硬式の青葉緑東リトルシニア(神奈川)でプレーしました。ヤクルトの雄平さんとか楽天の榎本さんも出たチームです。今はロッテの2軍投手コーチになった小谷正勝さんに指導を受けましたけど、変わった練習では米びつのなかで米を握って握力を強化。テレビ見ながらギュッと握ってました。あとはダッシュ練習の時はスパイクを必ず履いていました。土をしっかりかむ分、ももの裏が発達したんじゃないですかね。結構驚かれるのが当時の投げ方と高校時代の時の投げ方が変わってないんですよ。ずっとピッチングしたいように、ピッチングしてました。変に直されなかったのが良かったと思います。

 ここまで振り返ってみて、実はエースナンバーって背負ってないんですよ。ベイスターズジュニアの時も背番号1は女の子でしたし、中学の青葉緑東リトルシニアも違った。でも、それが良かったと思います。自分が2番手ということは、エースであるライバル、目指す存在が近くにいるということなんです。それって、本当にありがたいんですよ。こいつを追い抜いてやろうみたいな気持ちが常に持てるんです。闘争心というか、向上心みたいな。練習も真剣に取り組めると思うんです。(続く)

 ◆松井裕樹(まつい・ゆうき)1995年(平7)10月30日、横浜市生まれ。中学3年に所属していた青葉緑東リトルシニアでは全日本選手権で優勝。桐光学園では2年夏の甲子園で10連続を含む1試合22奪三振の記録を樹立。14年に楽天にドラフト1位で入団し、15年から抑え。15年のプレミア12では侍ジャパンにも選出された。174センチ、74キロ。左投げ左打ち。

 ◆シャトル打ち バドミントンの羽根を使った打撃練習。野球のボールと違い飛ばないため狭い場所でも行える。軌道の変化があるため体のタメをつくったり、変化球打ちの練習にもなる。

(5月12日付 日刊スポーツ東北版掲載)

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2016年5月12日付東北版紙面

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指名待つ「みちのく日の丸カルテット」

左上から時計回りに仙台育英・平沢大河、佐藤世那、花巻東・高橋樹也、秋田商・成田翔

<みちのく選手運命の日/高校生編>

 プロ野球ドラフト会議が明日22日、東京・グランドプリンスホテル高輪(午後5時開始)で行われる。日刊スポーツ東北版では「みちのく選手 運命の日」と題し、高校・大学の注目選手を2回に分けて紹介します。第1回は、この夏U18W杯の高校日本代表として活躍した仙台育英・佐藤世那投手、平沢大河内野手、秋田商・成田翔投手、花巻東・高橋樹也投手(すべて3年)の「みちのく日の丸カルテット」。ドラフトを直前に控えた4人それぞれの思いに迫ります。

 ◆評価にとまどいも/仙台育英・平沢大河内野手

 地元宮城の球団・楽天は、既に平沢の1位指名を公言している。そんな“ラブコール”は本人の耳にももちろん届いている。「ありがたい」と喜ぶと同時に「評価だけ上がっている感じで、それに実力が伴っていない。逆に不安です」と戸惑いもあるようだ。

 今は「プロに入って苦労しないように、基盤となる体作りをしないといけない」と、毎日学校の室内練習場にあるロープを上り下りして、体を鍛える。甲子園3本塁打をマークした長打力に、範囲の広い守備と強肩。センスあふれる高校屈指の遊撃手ながら、常に人一倍の努力を自分に課す。それが平沢の1番の才能かもしれない。

 楽天の本拠地コボスタ宮城は、宮城県の高校野球大会でもよく使われており、平沢にとっては高校1年から慣れ親しんだ“ホーム”だ。「親しみがあります。来年は天然芝になるようですし、またコボスタでプレーするのが楽しみです」と話す。楽天、他球団にかかわらず、プロに入れば再び思い出の地で、ファンにプレーを見せることになりそうだ。「人間的にも成長したい。1日でも早く1軍に入りたい」と、もう目線は先を向いている。

 ◆投げ方変えない/仙台育英・佐藤世那投手

 佐藤は「不安です…」と素直な気持ちを口にした。同じ仙台育英の遊撃手平沢が高い評価を受ける一方、自分がそこまでの評価ではないことを肌で感じている。「できれば2人で選ばれたい」と期待を胸に、ドラフト当日を迎える。

 湯船の中で、水を入れた牛乳瓶を人さし指と中指にはさみ、上げ下ろしする。中学の時、桑田真澄氏に影響され始めたこのトレーニングが、代名詞であるフォークを生んだ。U18W杯では、その鋭く落ちるボールで米国やカナダの強打者を手玉に取り、日本のエースとして準優勝に貢献した。

 高校では最速146キロの直球とフォークが主体だったが「生きていくためにいろんなものが必要」と今後は、使える変化球を増やしていく構えだ。憧れるのはオリックス金子千尋と広島前田健太。「何を投げても的を絞らせない投手になりたい」と理想を語った。

 右肘を大きく後ろに引く独特のフォームは魅力的であると同時に、体を壊しかねない弱点にも受け取られる。だが佐藤はこうはっきり言う。「昔からこの投げ方を変えようと思ったことはない。どういうフォームでもやっていけることをプロの世界で示したいです」。

 ◆CSで投げたい/秋田商・成田翔投手

 最速144キロ左腕はプロ1本に絞って運命のドラフトを待つ。この日、秋田市内の同校グラウンドで「不安と楽しみの気持ちの両方です」と話した。身長168センチと小柄ながらキレのいいスライダーを武器に今夏の県大会で39回55奪三振。甲子園でも龍谷(佐賀)戦で秋田県勢甲子園最多の16三振を奪い、一躍脚光を浴びた。チームを80年ぶりの甲子園8強にけん引。U18W杯でも活躍した。

 社会人入りが有力だったが、甲子園や日本代表で刺激を受け、プロへの夢が膨らんだ。「小学生のころからの憧れでした。自分で決めたことなので責任を持ちたい。(指名)順位は関係ない。どこの球団でも、入ったら早く上に上がって結果を出したい」と夢を広げた。

 一方で「今までで一番緊張しています」と不安も隠さない。ただ一途にプロ指名を信じ、体力強化中心の練習を毎日2~3時間こなし、プロになる準備を進めている。「向かっていく気持ちは負けない。先発を任されたら100勝投手を目指したい」とアピール。さらに「いつか自分もクライマックスシリーズで投げたい」と、高校の大先輩、ヤクルト石川を目標に掲げた。

 ◆世那と成田に刺激/花巻東・高橋樹也投手

 日本ハム大谷、西武菊池らスター投手を輩出してきた花巻東から、また1人プロ選手が生まれようとしている。高橋のプロへの思いを後押ししたのは、世界の経験だ。「U18に選ばれて(プロに)行きたい気持ちが強くなりました」。U18W杯では、3戦6回無失点と左の中継ぎとして活躍。強豪社会人からのオファーがあったこともあり、しばらく進路は決まらなかったが、佐々木洋監督(40)、両親との話し合いを重ね、志望届提出期限数日前に結論を出した。

 低めに変化球を集められる制球力が高橋の武器だ。プロ入り後を見据え、今も高い意識で練習を続ける。「幅広い投球ができるように」と、最も熱心に取り組んでいるのが左打者へのチェンジアップ。参考にするのはともに日の丸を背負った東海大相模・小笠原慎之介の投球だ。「自分はまだ世那と成田に負けている」と同じ東北の2投手の存在も刺激になっている。

 生まれも育ちも岩手・花巻市。好きな食べ物を聞くと恥ずかしそうに「ひっつみ、です」と、小麦粉の団子が入った汁物の郷土料理を挙げた。「自分が雄星さんに憧れたように、後輩に目標とされる選手になりたい」と目を輝かせた。【高場泉穗、佐々木雄高】

 ◆ドラフト展望 東北の高校生1番の目玉は、仙台育英の遊撃手平沢だ。今夏は甲子園で3本塁打を打ちインパクトを与えただけでなく、直後のU18W杯で木製バットへの対応力の高さを見せつけ、評価をさらに上げた。既に楽天が1位指名を宣言しているが、高卒のスター候補とあって競合もありうる。投手では、秋田商・成田、花巻東・高橋の将来性豊かな両左腕を数球団がリストアップしており、指名は確実。高校日本代表のエース右腕仙台育英・佐藤世も10球団から調査書が届いており、指名がありそうだ。パンチある打撃が魅力の山形中央・青木、守備に定評のある聖光学院・佐藤都の捕手2人も、下位指名の可能性がある。

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