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番記者コラム・ソフトバンク

今季から専門医が心のケア 昨年は川崎宗則が退団

川崎宗則と柳田悠岐(右)

ソフトバンクのキャンプ地の宮崎・生目の杜には今キャンプ最高の3万1100人(球団発表)のファンが訪れた。アップ前からアイビースタジアムの観客席はほぼ満員。左翼側の外野芝生席も解放して練習がスタートした。守護神・サファテの合流もあって、スタンドからの歓声はいつも以上に大きかった。「見られてナンボ」のプロ野球。好プレーには拍手と大歓声。ミスにはため息とヤジが飛んで、選手も気が抜けない。

活気あふれるグラウンドで鍛錬の日々を送っているが、同時に中長期を見据えたチーム強化にも手を打っている。前クールは2日間にわたってスカウト陣は研修会に参加した。宮崎市内のホテルで計12時間。「強い組織づくり」と題して、外部講師を招いた勉強会に励んだ。さらに、チームには今季から心療内科のドクターが月に1回程度、ヤフオクドーム、ファーム施設を訪れ、カウンセリングを行うことになった。肉体の強化はもちろんだが、心のケアも図っていこうということらしい。昨年はチームの顔でもあった川崎が自律神経を病み突然の退団。チームを心身両面でリカバーしていく方針だ。

「強さ」を保つためには競争激化は必定。心身のタフさが要求される。競争をあおりつつ、しっかりリカバーしていこうということだろう。順調に日程を消化している今キャンプだが、少しばかり疑問もある。B組(リハビリ組含む)は、宮崎でキャンプを張らなければならないのだろうか? 全軍キャンプとしての利点も多いが、練習の効率性、若手選手への競争意識の植え付け、雨天時の対応…。立派なファーム施設(福岡・筑後市)との分散キャンプの方が本来目指すべき、チーム強化が図られる気もするのだが…。【佐竹英治】

野球の国から・平成野球史

「公共財」にふさわしかったのは/楽天の挑戦2

04年10月6日、公開ヒアリングの席に着く楽天・三木谷社長(中央)、手前左はロッテ瀬戸山代表、手前右は審査小委員会の豊蔵委員長

2003年(平15)の福岡ダイエーホークス売却案に端を発した球界再編問題を掘り下げる。04年9月18、19日に「ストライキによるプロ野球公式戦中止」という事態が起こるほど、平成中期の球界は揺れた。それぞれの立場での深謀が激しくクロスし、大きなうねりを生む。

  ◇   ◇   ◇

新規参入を申請した楽天とライブドアの第1回公開ヒアリングが、2004年(平16)10月6日に行われた。申請順でライブドア-楽天の順番。持ち時間は1時間30分だ。

報道陣は別室のモニターで審査の様子を見ることができた。1社1人、楽天への情報漏れを防ぐため、携帯電話とレコーダーの持ち込みは禁じられた。

矢継ぎ早に質問が飛んだ。「監督とGM」「観客動員見込みと根拠、集客方法」「スポンサー収入」「球場改修計画」「チーム構想」「成績の目標」…10分ほど時間を残して終えた楽天社長の三木谷浩史は「緊張しました。久しぶりに」と話した。

プロ野球の新規参入は、1954年(昭29)の高橋ユニオンズ以来のことだった。三木谷は「僕は楽天的なので。苦労を苦労とは、あまり思わない。これは面白いね、創意工夫のしがいがある。どうやる? みたいな気持ちがあったから、できたと思う」と回顧したが、同時に現実を客観視すると「常識的に考えれば…ユニホームもないし、スタジアムも老朽化して、使い物にならない。数カ月で始めなさいは、無理があるな。死にものぐるいでやらないと」とも思った。

日本興業銀行(現みずほ銀行)出身で、父の良一(13年に死去)は著名な経済学者。ビジネスの土台にステディー(安定)があり、ベンチャー精神とのかけ算で楽天という会社を伸ばしてきた。堅実さが懸念を抱かせたが、その哲学は思わぬ形で表面化する。

10月14日の第2回ヒアリングで、当時巨人の代表だった清武英利が急先鋒(せんぽう)となり、アダルトサイトに対する認識を問い詰めた。ライブドア社長の堀江貴文は「自動的に取り締まるのは技術的に難しく、パトロールを行っているが完全に排除するのは難しい」。三木谷は「クレジットカードの認証で本人確認を厳しくしており、青少年は完全に見られない。個人的にもあまり好きではない」と答えた。

野球協約の第3条(協約の目的)に「野球が社会の文化的公共財となるよう努める」とあり、審査の基準にも「公共財としてふさわしい企業、球団か」の項目がある。この答弁が潮目となり、一気に楽天有利へと傾いていった。

11月2日のオーナー会議で、楽天は満場一致で新規参入を認められた。

財務体質が決め手になった。審査結果を報告する資料には、03年の売上高と経常利益が記載されていた。楽天の売上高180億8200万円は、ライブドアと70億円以上の差があり、経常利益も30億円以上の開きがあった。三木谷の「財務的にも健全な経営ができる」との言葉には説得力があった。親会社の経営難が球界再編問題の原因である以上、楽天が選ばれるのは自然な帰結と言えた。

阪神のオーナー付シニアディレクターだった星野仙一は、参入するか思案していた当時39歳の三木谷を「今の球界には、あなたのような若い力が必要だ。頑張って」と励ましている。三木谷は恩を忘れず、チームが低迷していた10年オフに監督として星野を招聘(しょうへい)。二人三脚で強化し、参入から9年目の13年に日本一を成し遂げた。(敬称略=つづく)【宮下敬至】

評論家コラム

日本ハム王柏融「技術力」の秘密は軸足/和田一浩

<日本ハム紅白戦:紅組1-5白組>◇16日◇沖縄・国頭

日本ハム紅白戦 4回裏無死、中越えに本塁打を放つ王柏融(撮影・黒川智章)

日刊スポーツ評論家の和田一浩氏(46)が日本ハムの紅白戦を視察し、王柏融外野手(25=台湾・ラミゴ)をチェックした。バックスクリーン左にたたき込んだ“来日1号”に、確かな技術を感じ取った。

   ◇   ◇   ◇

台湾球界No.1打者の王が、どんな打撃をするか楽しみにしていたが、評判通りの「技術力」を持っている。日本ハムはロッテに移籍したレアードの穴を埋めるどころか、大きな戦力アップが期待できる。

2打席目に放った本塁打は、風の影響がなければセンターフライだっただろう。しかし、ホームベースから左中間に向かって吹く風に乗るような、やや左に切れていく“スライス回転”の打球だった。打ったのは、やや内角寄りの甘い直球だが、この球をセンター方向にスライス回転気味のフライを打つには、高い技術が必要。多少、窮屈な形になっても、バットを内側から出し、打球にスピンをかけるようなスイング軌道で打たないといけない。そして打球を押し込むパワーもある。

右投げ左打ちの打者が陥りがちの“弱点”がない。ネクストバッターでスイングをするところから見ていたが、軸足になる左足の使い方がうまい。右投げ左打ちの打者はスイングする際、利き足でない左足に力をためることが苦手で、内側に折れるタイミングが早くなる傾向がある。こうなると、打球を下半身で押し込めない。直球に対してドンピシャのタイミングが合った時はいいが、変化球にもろさが出る。台湾で素晴らしい成績を残せたのも、利き足でない左足を力強く、器用に使えるからだろう。選球眼もよさそうで、穴の少ないタイプ。本塁打を量産するような感じはしないが、ある程度の長打力もありそうで、日本ハムにはいないタイプの打者。どの部門でもレベルの高い数字を残せそうだ。(日刊スポーツ評論家)

日本ハム紅白戦 4回裏白組無死、本塁打を放つ王柏融(撮影・井上学)

高原のねごと

自主性重視の阪神キャンプ、福留は投手に自主的指導

室内練習場で福留孝介(左)は馬場皐輔(中央)と藤浪晋太郎と話し込む(撮影・奥田泰也)

午後、メイングラウンドではいわゆる「ケース打撃」が行われた。内野手争いに参加している上本博紀がいきなり大きな本塁打を放つなど、虎党からは歓声が上がった。

その同じ頃。宜野座ドーム、つまり室内練習場ではちょっとめずらしい光景が繰り広げられていた。ベテラン福留孝介が投手のようにセットポジションで構える。それを見守る馬場皐輔、浜地真澄、それに望月惇志といった若い面々。途中から藤浪晋太郎までリラックスした様子で加わった。そんな若い投手たちを前に福留が身ぶり手ぶりを交え、懸命に話しているのだ。

このキャンプ、福留はあまり目立っていない。自身の調子というより、若手を指導する様子が見受けられるという記事も日刊スポーツに出ていた。それにしても投手相手か。しかもセットポジション。笑顔を浮かべながらも真剣な様子で一体、何をしている。時間にして約30分。気になった。

福留 あれですか。最近の歌手の振り付けをね。ちょっと練習してたんですよ。盗塁を防ぐポイントですかって、ボクは盗塁をしないしね。ポイントって言っても分からないですよ。

とぼけた様子でそう話すベテラン。本当に誰かのダンスの振り付けをしていたのならそれはそれで楽しいところだが、もちろん、違う。明かしたのは馬場だった。

馬場 あれですか。う~ん。まあ走者から見たセットポジションのクセっていうか。そこを教えてもらっていて。それをみんなで聞いていたって感じですかね。

馬場は14日に宜野座で行われた楽天との練習試合で3盗塁を許している。試合後にその結果を反省し、対策を取る必要を口にしていた。この日もその練習に取り組んでいたのだが、そこに福留が飛び入りで指南役として加わったということだ。

馬場 内容はちょっと言えないというか、あれですけどね。いろいろと教えていただいて。なるほどっていうか勉強になりました。

かつては「プロは見て盗め」と言った時代もあった。だが最近の世の中、あるいは最近の若い人を相手に野球の世界だけでなく、そういう感覚は通用しない部分もある。しかも野手と投手という間柄。伝えられることは伝えてやろう、ということなのだろう。

指揮官・矢野燿大が選手の自主性を前面に出すこのキャンプ。ベテランも自主的に指導をしている。馬場のセットポジションからクセが消え、そこから発展してチームが強くなれば。困るのはライバルチームだけだ。(敬称略)

野球の国から・高校野球編

95年八丈戦の「事件」で考えたこと/前田三夫4

89年夏の甲子園決勝、試合後に笑顔で握手を交わす帝京・前田監督(右)と仙台育英・竹田監督

帝京監督の前田三夫は、89年夏にエース吉岡雄二投手(元楽天)を擁して、悲願の日本一に輝いた。仙台育英(宮城)との決勝は、延長10回、2-0で競り勝ち、深紅の大優勝旗を手にした。92年春は三沢興一投手(元近鉄)を中心にセンバツで初優勝。91年春からは4季連続甲子園に出場し、高校野球界は、帝京の黄金時代に突入した。

「その当時は、猪突(ちょとつ)猛進だから。勝てばいいというものが強かったですよ。勝っていけば、人間というのは脇が甘くなる。高校野球はファンも多いですから、勝ち方っていうのがありますよね」

前田の記憶にも強く残る“事件”は、95年夏の東東京大会4回戦、八丈戦で起きた。離島勢初の8強入りを目指したチームと対戦したが、序盤から力の差は歴然。5回で10点差がつけば試合は終わる。9点リードで迎えた6回裏1死一、三塁。左前打が出たが、三塁走者は本塁へ走らなかった。続く2者は力なく三振。コールド勝ちを避けることで、7回表に投手を調整登板させたかった。

試合翌日の日刊スポーツには、前田の「申し訳ないが、(エースの)本家に1イニング投げさせたかった。八丈には頭を下げたい」というコメントが掲載された。神宮の一部のファンは騒然となり、東京都高野連には30本近くの抗議電話が寄せられた。

「当時のピッチャーはヒジ痛があったので、痛み止めを飲んでどのくらいもつか試したかったんです。やっぱり見る方、相手からしてみれば面白くないですよ。真剣勝負ですから、相手の気持ちを考えなきゃいけないですね」

高校野球とは。スポーツマンシップとは。物議を醸す中で、帝京は勝ち続けた。甲子園に出場すると決勝で星稜(石川)を破って3度目の日本一に輝いた。だが前田は、心の底からは喜べなかった。

「甲子園で優勝したチームというのは、ただ勝つだけじゃだめなんだ。そういうものの考えというのが出てきましたね。私たちは高校時代からスパルタでやってきて、勝つためには手段を選ばなかったですよ。勝負の世界ですから。表現的には良くないけど、ずる賢くやったチームがうまい。鈍くさいチームはずるさがない。勝てば称賛される。そういう印象が強かった時代でしたね」

大会後、従来は甲子園の優勝監督が務めていた日本代表監督を辞退した。

「時代も変わっている。それと同時に高校野球も変化している。生徒は喜んでましたけど、指導者として、流れを感じ取れなかった自分に甘さがありましたね。後味の悪いものを残したら指導者の責任ですね」

高校野球は時代とともに変わる。ただ勝てばいい。スパルタで鍛える。そんな時代は終わりに近づいていた。

自主性。生徒自身の考えを尊重する言葉が、キーワードのようになって世の中に浸透し始めた頃だった。森本稀哲(元日本ハム)に主将を任せた98年夏。「帝京の野球は古いと、そういう声もあがってきた。それだったら時代も変わっているし、空気を読まなくてはいけない。だったら自主性というものを入れてみよう」。この決断で、再び前田は大きな壁にぶつかることになる。(敬称略=つづく)【前田祐輔】

(2018年1月25日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)

番記者コラム・阪神

球場バイト當真さん、超人・糸井にリベンジなるか

ボール拾いのアルバイトをする當間圭介君(右)は糸井嘉男とハンデ戦のポール走で競走したが抜かれてしまう…(撮影・加藤哉)

週末になれば数千人が訪れる阪神の沖縄キャンプ。大盛り上がりの宜野座球場で注目を集める球場アルバイトの男性がいる。當真圭介さん(22=大学生)だ。

2月2日には糸井と右翼ポールから中堅まで競争。数十メートルのハンディ戦だったが、5本走って1勝4敗と敗れ去った。ちょっとふっくらした体形で体重104キロ。巨体を揺らして激走する姿がテレビのキャンプ中継にも大写しになった。

當真さんは昨年キャンプでも糸井と激戦を演じた過去がある。今年も糸井から声を掛けられると予想。6キロの減量に励んでキャンプに臨んだ。実は激走の翌日には社会福祉士の国家試験を控えていたという當真さんだが、「糸井さんには、そんなことはお構いなしでした」と、言われるがまま激走したという。

キャンプの最終日には「20本やるからな!」と予告されているそうで、「もうちょっと絞ります」と頭をかいた。ちなみに試験の出来を聞くと「バッチリです」と笑顔。3月の試験結果と超人とのリベンジマッチに注目している。【桝井聡】

評論家コラム

阪神ジョンソン制球◎中継ぎ陣も分厚く/中西清起

シート打撃で好投した阪神ジョンソン(撮影・上山淳一)

阪神の新外国人ピアース・ジョンソン投手(27=ジャイアンツ)が16日、沖縄・宜野座でケース打撃に登板し、打者5人を無安打に抑えた。実戦形式のマウンドは来日初。日刊スポーツ評論家の中西清起氏(56)が右腕の投球を解説した。

   ◇   ◇   ◇

ジョンソンのケース打撃登板を見たが、まとまっていてコントロールで崩れそうな印象は感じなかった。軽快なフォームからストライクをポンポン。セットポジションやクイックも問題なかった。矢野監督も言っていたが、私も投手コーチ時代に中継ぎで活躍してくれたアッチソンと似たイメージだ。中でも木浪から空振り三振に取ったパワーカーブに相当自信を持ってるんじゃないかな。ただ今日は右打者から見て外に逃げる球だけで、内角に切れ込むツーシーム系は見られなかった。この球がないと打者に踏み込んでこられるので、次回登板はそのあたりにも注目したい。

ジョンソンが勝ちパターンで投げられれば、勝利の方程式はかなり分厚くなる。ここに能見、藤川、ドリスと安定感のある3人がいるからね。ただジョンソンはコントロールが良さそうなので、イニング途中、走者がたまってからでもいけるタイプかも。今後重ねる実戦登板も楽しみに見たい。(日刊スポーツ評論家)

ジョンソン(右)はシート打撃の登板を終え梅野隆太郎と指さしでたたえる(撮影・上山淳一)

評論家コラム

吉田輝星と柿木、切磋琢磨の構図うまい/谷繁元信

<日本ハム紅白戦:白組5-1紅組>◇16日◇沖縄・国頭

紅白戦で力投する吉田輝星(撮影・井上学)

日刊スポーツ評論家の谷繁元信氏(48)が日本ハムの紅白戦を視察し、ドラフト1位吉田輝星投手(18=金足農)と同5位柿木蓮投手(18=大阪桐蔭)の投球をチェックした。昨夏の甲子園決勝を投げ合った2人は、どちらも実戦向きとの見解だ。

   ◇   ◇   ◇

吉田輝、柿木と昨夏の甲子園決勝を投げ合った2人の先発だったが、経験値が高く、実戦向きと感じた。

吉田輝は今日に限れば、疲れからかボールにキレがなく、迫力を感じなかった。ただ横尾の2-1からのファウルなど「このカウントは稼ぎたい」というところでリリースのインパクトの強さを感じさせる直球を投げていた。身長が175センチで、角度を生めるダルビッシュ、大谷タイプではない。体のキレ、コントロール、配球や空間での勝負に磨きをかけなければならない。

バランスのいいフォームで下半身も右足から左足へと体重が乗り、上半身へと力を伝えて、トップにいい形で入っている。そこから「少し詰まらせよう」「少しタイミングを抜こう」とリリースの最後の強弱で、バッターとの空間の中での変化をつけてほしい。川上憲伸はそういうタイプで吉田輝も似ている面がある。

柿木は面白い存在だ。直球が動いていて、球の切れで勝負している。踏み出す左足が地面に着きそうで着かない独特のタイミングで、間がひとつできている。高校の時から大舞台で投げており、ちょっとしたマウンドさばきに落ち着きがあり、いいテンポで投げていて自滅するタイプではない。4月に1軍で投げている可能性もあると思う。

日本ハムがうまいと思うのは甲子園の優勝投手、準優勝投手をそろえたところ。例えるなら田中将大と斎藤佑樹が同じチームに入ったようなもの。ライバルとして負けたくない思いが、今日は柿木に表れていたように感じた。決勝で戦った2人が切磋琢磨(せっさたくま)して成長し合う構図を作っている。栗山監督に聞くと、順調に行けば2人ともオープン戦でどんどん使っていくと話していた。いろいろな課題を差し引いても、現段階で首脳陣に上で投げさせてみようと思わせる存在だ。(日刊スポーツ評論家)

帽子を飛ばしながら投球する紅組先発の柿木(撮影・江口和貴)

野球の国から・平成野球史

球界参入の突破口 検討委員会/楽天の挑戦1

04年9月24日、宮城県の浅野知事と知事室で談笑する楽天の三木谷社長

2003年(平15)の福岡ダイエーホークス売却案に端を発した球界再編問題を掘り下げる。04年9月18、19日に「ストライキによるプロ野球公式戦中止」という事態が起こるほど、平成中期の球界は揺れた。それぞれの立場での深謀が激しくクロスし、大きなうねりを生む。

  ◇   ◇   ◇

ストライキ突入か否か。選手会と経営者が最後の団交に臨もうとしていた2004年(平16)9月15日、楽天が球界参入へ乗り出す意向が明らかになった。

混乱の極みにあっての表明は、6月にライブドアが近鉄買収へ名乗りを上げた当時と比べれば粛々と報じられた。野球協約には、特例を除いて11月30日までに実行委員会、オーナー会議の承認を得なくてはならないと明記されている。コミッショナーの根来泰周は、時間切れを根拠に「来季は無理だと思う。もう(セ)6と(パ)5で、交流試合しかないと、僕は思う」と言った。

一方で同じ9月15日に、後に楽天にとって参入の突破口となる風穴が、日本プロフェッショナル野球組織(NPB)側から提案されている。「新規参入検討委員会(仮称)」の設立である。

ストライキ回避の切り札として、16日からの団交で持ち出そうと考えていた。新規参入の審査となった場合は、第三者にも情報を開示しながら、ガラス張りで行うという内容だった。

三木谷浩史は当時39歳。インターネットショッピングモール「楽天市場」で確かな基盤を築き、ビジネスを多角的に広げようとしていた。1年前から参入を検討してタイミングを探っていたが、そこに球界再編問題が当たり、踏み込もうと決断した。

「理由は2つあるんですよね。1つは、そもそもスポーツという素晴らしいアクティビティー(活動)に、楽天という企業も関わっていきたい。種類に関係なく、関わっていければいいなと。2つ目は、それまでのパ・リーグだったら数十億円の赤字を出しながらやっていたと思うんですけど、我々のやり方であれば財務的にも健全に経営ができるだろうと思いました」

労使の交渉は最後の最後で決裂し、9月18、19日にストライキは決行された。すると選手会会長の古田敦也が「次の週にはコロッと変わりました」と振り返るように、一気に事態が動いた。同23日、NPBと選手会は7項目の「合意書」にサイン。早期に「審査小委員会」を設立し、来季からの新規参入を目指す文言が盛り込まれ、再度のストライキは回避された。

球音のない2日間が世論を形成したことはもちろん、スト直前にNPB側が切ったジョーカーが、労使の緊張を緩和させる大きな役割を果たした。

審査小委員会による第1回の公開ヒアリングは、10月6日に行われることが決まった。直前に共同通信社が行ったアンケートでは、ライブドア支持が東北全体の40%。楽天は7%にとどまっていた。後発だった上に、当初は本拠地を神戸と定めてから保護地域の障害に当たり、仙台に変更した経緯があった。

「あらゆる質問に、素直に答えよう。選んでくれればいいな」。三木谷は水色のネクタイをきつく締め、審査に臨んだ。(敬称略=つづく)【宮下敬至】

番記者コラム・ソフトバンク

19年テーマ「走塁強化」がいよいよ見えてくる

ソフトバンク工藤監督

キャンプも「後半戦」に入った。リーグV奪回と3年連続日本一を旗印にしているソフトバンクの充実度はどうなのだろうか。「まあ、順調にいっていると思うよ」。工藤監督は言った。初日から故障防止と体力強化を目指し、ランニングメニューを課した。前日(14日)に柳田が右股関節外旋筋を痛めたものの軽傷。離脱者も少なく、全体的には及第点といった監督評なのだろう。

16日からA組は紅白戦が始まる。いよいよ実戦スタート。ここからは選手のふるい分けもある。17日に登板する新人4投手にとっては、文字通り「1戦必勝」の投球となる。工藤監督に不安要素を聞いてみた。「うーん、やっぱり先発投手かな」。千賀&東浜の開幕投手争いもあるが、残る4人がまだまだおぼろげだ。工藤監督の口からも千賀、東浜以外の固有名詞が上がって来ない。他球団がうらやむメンバーはいるものの、まだ工藤監督には確定要素がないようだ。いずれにしても実戦で監督をうならせる結果を見せつけるしかない。

キャンプ、シーズンを通じてのテーマである「走塁強化」は、まだその姿が見えない。「(担当コーチには)今後のことはちゃんと伝えてあるよ」。紅白戦、オープン戦を通じて徹底した「走る野球」を実践していくようだ。盗塁にしろ、ワンバウンド投球の積極進塁、外野飛球の打球判断、二塁走者のリードの取り方など。「走塁が強いと、(相手の)投手も投球が崩れたりするし、それはどんどんやっていくようにね」と、工藤監督は意気込んだ。

キャンプ中に開催した4度の勉強会もこの日で終業。いよいよ2019年型のホークススタイルが見えてくる。【佐竹英治】

野球の国から・高校野球編

蔦監督の隣に座っただけで「負けた」/前田三夫3

83年センバツで池田に敗れた前田監督(右端)ら帝京ナイン

80年春のセンバツ、帝京監督の前田三夫は伊東昭光(元ヤクルト)を擁して初めて甲子園の決勝まで勝ち上がった。延長10回0-1で高知商に敗れたが、全国制覇まであと1歩までこぎ着けた。

帝京で野球がやりたい。選手集めに苦労した時代は過去のものになり、そんな気持ちを持つトップ選手が集まるようになった。「甲子園で優勝したいという気持ちがものすごく出てきた頃かな。そして、手応え十分なチームが出来上がったんです」。83年春。帝京は「東の横綱」と称されたチームをつくりあげ、3年ぶりのセンバツ出場を果たした。

初戦の相手は池田(徳島)。蔦文也(享年77)率いる「西の横綱」だった。1回戦屈指の好カードに抽選会の会場は沸いた。

前田は33歳。自信に満ちていた。開会式前日に甲子園のバックネット裏で行う恒例の監督対談が、蔦との初対面だった。

「こう言っては失礼だけど、ただのおじいちゃんだろうと。僕自身の若気の至りで、普通であれば大先輩ですから僕の方から足を運ぶんですけど、そんな気持ちがなくて向こうから来てくれましたよ。かっぷくのある白髪頭のご老体だなという感じで、ごあいさつして。座ったんです」

並んで腰を掛けた瞬間に、嫌な予感がした。

「座った瞬間に圧倒された。負けたと思いましたね。この人には勝てないと思った。蔦さんが一生懸命持ち上げてくれるけど、目の奥は余裕ですよ。人間的なスキがあるのかと思ったら、スキがない」

試合は0-11の大敗だった。ベンチで足を投げ出した蔦が、手を掲げて「打て」のポーズを取ると、次々に長打が飛び出した。前田は「こんなすごい監督がいるんだったら甲子園で優勝は絶対に無理」とショックでふさぎ込んだ。

東京に戻ると、蔦の書物を読みあさった。広島からフェリーに乗り、誰にも気付かれないようにスタンドの最上段から蔦の采配を見に行ったこともある。「僕なりの結論的なものは、蔦さんは苦労の塊の人だ。修羅場をくぐり抜けた強さかなと。そういうものにたどり着いた」。

前田自身、母校ではない帝京で指揮を執り、厳しい指導に対する周囲からの反発を受けてきた。人一倍苦労をしてきたつもりだったが、まだ足りなかった。

「自分が一番苦手なもので、自分をつくりあげていかないとダメ。当時の校長先生に教壇に登るお願いをしました」

事務職員として指揮を執りながら、東洋大の通信教育で、5年かけて社会科の教員免許を取っていた。ただ「野球が面白くなった頃で、本音では教壇に登る決意は正直なかった」と言う。それが、池田戦の大敗で変わった。修羅場をくぐることが、蔦に近づく道だと信じた。「もともとは勉強の嫌いな生徒でしたから。人に教えるというのは責任がある」。練習後に3~4時間机に向かう日々が続いた。ノックを打ちながら翌日の授業内容に頭を悩ませた。「蔦さんに会って、また1つ挑戦することになりました」。そんな地道な思いが、実を結ぶ日がやってくる。89年夏のことだった。(敬称略=つづく)【前田祐輔】

(2018年1月24日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)

番記者コラム・巨人

吉川大幾「個人より巨人」でチームに活気もたらす

ウオーミングアップで声を張り上げる巨人吉川大幾(2019年2月9日撮影)

巨人が沖縄に入って2日目の投内連係中、ひときわ大きな声がグラウンドに響いた。沖縄キャンプから1軍に昇格し、二塁を守る吉川大幾内野手(26)だった。「クッキー」「ヤングマーン」「ナイスプレー」。新外国人のライアン・クック(31)は声を掛けられる度にニコッと笑って、吉川大に視線を向けた。単調にも見える練習が、大幾の声で活気にあふれた。

4年ぶりに就任した原辰徳監督(60)が、「鈴木尚広2世」の誕生を期待する中、候補の1人に挙がる。昨季はシーズン3安打ながら守備固め、代走など、貴重なユーティリティープレーヤーとして、1軍でプレーした。宮崎キャンプは2軍スタートも、3日の紅白戦で2安打を放ち、猛アピール。「たまたまです」と謙遜したが、走攻守で存在感を示した。

原監督時代に達成した2度の3連覇(07~09年、12~14年)では、ベンチ入り選手の層が豊富だった。大道(現ソフトバンク2軍コーチ)木村拓(故人)、古城(現巨人ファームコーチ)寺内(現BC栃木監督)ら途中出場の選手の活躍も光った。昨年でいえば、パ・リーグを制した西武熊代の試合前の声出しが注目を浴びた。

坂本勇、北村、楽天西巻と行った1月の沖縄自主トレ、吉川大は今季の意気込みを語った。「守備と足。自分はそこで勝負なんですけど、スキあらば狙っていく気持ちです。でも、1軍のベンチに座ってないと可能性も広がらないので、まずはそこから」と話した。原監督が求める「個人より巨人」でチームに貢献する。【久保賢吾】

三塁に滑り込む巨人吉川大幾(2019年2月5日撮影)
高原のねごと

江夏氏「あいつは異常体質」抑え挑戦藤川の若さ驚く

阪神キャンプ視察に来た江夏豊氏(右)にあいさつする藤川球児(撮影・奥田泰也)

球児は異常体質? 阪神、広島などで活躍した球界のレジェンド・江夏豊氏(70)が15日、阪神の沖縄・宜野座キャンプを訪れた。キャンプ訪問の指定席であるブルペン背後に陣取ると今季、抑え復活を狙う藤川球児投手(38)の投球に熱視線を送った。その口から出た言葉は「あいつは異常体質」。編集委員・高原寿夫がその意味を問い掛けた。

   ◇   ◇   ◇

お世辞を口にしない「レジェンド」が言うから意味がある。宜野座キャンプのブルペンを訪れ、例のサングラス姿で視察した江夏。視線の先には39歳を迎える今季、クローザー復活を目指す藤川球児の姿があった。藤川、どうでしたか? 虎番記者たちの問い掛けに独特の表現を使った。

「あいつ…。異常体質やな…」。

異常体質って。おどろおどろしいモノ言いには江夏ならではの称賛が隠されていた。

「ボールが若いな。年々、若返ってるんじゃないか。異常体質やな。抑え挑戦なんてたいしたもの。体力づくり、精神的なタフさ、それを養っていかないとね。本人がどれだけ気を引き締めてやれるか、だな」

自身、優勝請負人として数々の球団を渡り歩いただけに“抑え投手”の意味は誰よりも知る。

「球児のデキによって阪神の順位が変わってくるだろうし。7、8、9回の展開で逃げ切れるかが大きく左右する。元々、力はある投手。この何年かセットアッパーやったり、悔しい部分もあったと思う。それも心に秘めて球を投げてるんじゃないか。4番、エース、抑え、これは日本人がやるべきことだと俺は思っているしな」

自身の野球生活を振り返るとき江夏は「楽しかったのは広島時代やな」と笑う。優勝も経験できたしな、と説明する。だが同時にもっとも気に掛けている球団を聞かれると、必ず、こう言う。

「そんなもん、決まっとるやろ」。青春をささげたタテジマ、阪神への愛着は人一倍、強い。だからこそ最近の成績には不満が募る。

この日、指揮官・矢野燿大とあいさつを交わしたが、その点には「まあ、そんなに親しいわけじゃないしさ」と素っ気なかった。特に親交があるわけでもないそうで、それも“ならでは”の本音だろう。だが同時に阪神の指揮を執るものに対し、常に要望する思いは隠さなかった。

「タイガースの監督になったんだからな。今でこそ広島の時代だけど、関西は阪神だろ。それにセ・リーグ、日本のプロ野球は、やっぱり東は巨人、西は阪神で引っ張って…という形が一番盛り上がるんじゃないのか」

若いファンには「昭和の考え」と言われるかもしれない。だが、だからこその「レジェンド」でもある。強い巨人を倒して、リーグ制覇。平成ラストから新しい年号に移り変わるシーズンでも、江夏が夢見る球界、阪神のテーマは永遠だ。(敬称略)

阪神キャンプ視察に来た江夏豊氏(中央)にあいさつする矢野燿大監督、右は中西清起氏(撮影・奥田泰也)
野球の国から・平成野球史

「ファンの応援ありがたかった」古田/球界再編問題

報道陣に配られた「ストライキ決行のお知らせ」

2003年(平15)の福岡ダイエーホークス売却案に端を発した球界再編問題を掘り下げる。04年9月18、19日に「ストライキによるプロ野球公式戦中止」という事態が起こるほど、平成中期の球界は揺れた。それぞれの立場での深謀が激しくクロスし、大きなうねりを生む。

  ◇   ◇   ◇  

2004年(平16)9月10日、選手会長の古田敦也は、選手関係委員長のロッテ瀬戸山隆三球団代表と並んで会見に臨んだ。

大阪で2日間にわたって行われた労使交渉。同11、12日に予定されていた選手会によるストライキは、ギリギリで回避された。会見後、古田は瀬戸山に握手を求められたが拒否した。「まだまだ。何が起こるか分からないんでね」。

暫定的な合意書の冒頭に「大阪近鉄、オリックスの球団統合の実施時期を1年間延期するとの申し入れに対して、交流試合の導入をふまえた来季の影響等諸問題について具体的分析を行った上で速やかに回答する」との文言が入った。交渉期限の10日午後5時まで残り1時間を切ったところで、盛り込むことになった。

古田は「近鉄というチームが大阪に残る可能性があるのならば、ストをすることはできないと思った」と話した。経営者側が交流戦の導入を念頭にシミュレーションをする…結果、合併の凍結という結論が出るかもしれない。いちるの望みにかけた。

経営者側の思惑は違った。瀬戸山は会見直後「近鉄とオリックスの合併は覆らない。そのことは古田君も理解しているはず。どういうつもりで言ったのか」と言った。溝を埋める交渉が続いた。

同16日の協議で古田は「今まで出ていなかった数字が出ればチャンスも出てくると思ったが、そこの認識が違った」と話し、合併は覆らないことを認めた。その上で、10日の暫定合意書に記された「来季はセ・リーグ6球団以上、パ・リーグ『5球団以上』とすることを確約する」という文言を突いた。翌05年からの新規参入を認め「セ6パ6」の形を維持する-ストライキ回避の条件に定めた。

翌17日の協議は約10時間に及んだ。当初は会見の時間に設定されていた午後5時すぎ、両者は合意書の作成に入っていた。「来季からの新規参入に向けて『最大限の』努力をする」という文言を巡り、意見が割れた。経営者側は「結果を伴わない努力は許されないのか」と譲らなかった。

もう1つの言葉についても、取り扱いが紛糾した。「05年『以降』からの新規参入を認める」と記そうとする経営者側に対し、選手会側は『以降』に05年は含まれないと主張。あいまいさの排除を求めた。

午後8時49分、会見場の仕切りが外された。同9時7分、会見を前に文書が配布された。われ先にと殺到する報道陣。「ファンの皆様へ」と題された書面には、ストライキ実施が記されていた。古田は「迷惑をかけた」という言葉を2度使い、振り返った。

  ◇   ◇   ◇

ファンを含めて、本当にご迷惑をかけた。ここで妥協したら、止められませんでしたとなったら…ファンはたぶん、失望したと思うんですよ。「あの人たちには勝てない」と。で、10球団になったとしたら「ファンなんてやめた」という人が増えたと、僕は思います。ファンの方も署名を集めてくれたりして。にもかかわらず「やっぱりダメ」となると、失望する方も多くて、今みたいな繁栄も、なかったかも分からない。

やってみないと分からない。球団が減っていた方が、繁栄していると言う人がいるかも分からない。僕はそうは思わない。現実にストライキを2日間やって、次の週には「12球団、あった方がいい」に振れたのは大きかったと思います。次の週にはコロッと流れが変わりました。ファンが応援してくれたので…ありがたかったですね。迷惑をかけたので。

  ◇   ◇   ◇

コミッショナーの根来泰周は、ストライキ決行の責任を取って辞任した。(敬称略=つづく)【竹内智信、宮下敬至】

番記者コラム・ソフトバンク

ドラフト1位・甲斐野のほろ苦バレンタインデー

サインプレーの途中、工藤監督から指導を受ける甲斐野(撮影・梅根麻紀)

ソフトバンクの宮崎キャンプは14日、第4クールに入った。甘いバレンタインデーもドラフト1位甲斐野央投手(22=東洋大)にはちょっぴりほろ苦い1日となってしまったようだ。

午前中に行われたサインプレーの練習だった。走者を置いて、捕手からのブロックサインに対応して各種の守備フォーメーションを行うものだが、マウンドに上がった甲斐野の時にプレーが止まった。捕手甲斐からのブロックサインを受けたものの、甲斐野はきょとんとしたまま。2度やり直して3度目のサインでも、甲斐野は「?」 帽子のツバに手をやる「了解」のジェスチャーも返すことなく、マウンドにたたずんでいると、二塁手のベテラン川島から「甲斐野! アンサーは!」と大声が飛んだ。

甲斐野はサインを覚えていなかったわけではないが、少しばかり複雑化して捕手の甲斐がサインを送ったために、すぐには分からなかったようだ。本多内野守備走塁コーチは「ちょっと難しくというか、まあ普通のサインなんですけど、甲斐野はえっ? となってしまったんでしょうね。でも(サインを)3度もスルーしたらダメでしょ」と苦笑いしながらも、しっかり新人くんにクギを刺した。

「サインに戸惑ったりとかはなかったけども、分からないことはしっかり聞いていかないと。恥ずかしがらずにやりたい」。練習を終えると、甲斐野はそう言って口元を引き締めた。

ブルペン投球でも72球を投げ込んだが、満足いく投球ができなかったよう。「全然ダメでした。いい球が続かない。紅白戦までには何とかしたい」。キャンプインから順調に調整を続け、シート打撃登板では最速153キロの速球も披露。この日でキャンプも折り返し地点。疲れもピークかもしれないが、目標の開幕1軍入りへ、ここからがまさに踏ん張りどころとなる。【佐竹英治】

野球の国から・高校野球編

新聞紙で野宿でも…魅了された伊東昭光/前田三夫2

81年東京都春季大会準決勝の早実戦で登板する帝京・伊東昭光投手

22歳で帝京の監督に就任した前田三夫は、順風満帆なスタートではなかった。1月の就任直後から猛練習を課し、約40人いた部員は2週間ほどで4人になった。

当時のグラウンドは、全国クラスの強豪だったサッカー部と共用していた。

「90メートル四方のグラウンドで、半々で練習していましたね。サッカー部は200人以上いる。僕が最初にグラウンドに出て、2人しか来ない。2人どうしたんだって言ったら、かぜひきましたって。僕がキャッチャーやって1人が投げて、1人が打つ。打ちっ放し(笑い)。そういうこともしばしばありましたね」

最後まで残った4人のうちの1人が、とんねるず石橋貴明の兄だった。「体は大きかったけど、貴明と一緒で硬い。いかり肩でね。4番ファーストでしたね」。4月に新1年生が入学すると、ようやく試合ができる人数がそろった。

夏の大会直前には前田が生活していた学校近くの平屋で、4人に合宿生活を送らせた。「逃げられちゃ困っちゃう。それもあるけど、4人残ったわけですから、何かしてやりたかったですね」。約1カ月、朝起こして、朝食を準備し、4人分の手作り弁当を持たせた。昼は事務職員の仕事の合間に買い出しに出掛け、練習、そして夕食をつくった。「ボーナスも全部みんな費やしてね。バットもつくった覚えがある。でも苦じゃなかったね。野球が好きだったんだね」。

初めての夏の初戦、東東京大会1回戦で9-8と墨田工を破った。わずか4人からスタートしたチームは3回戦に進出して敗れた。前田はますます情熱的に動いた。

「当時の世の中はコマーシャル時代。テレビCMがはやって。帝京を売らなきゃダメだと思いました」

9月以降、地元を中心に275校の中学校を回った。当時の初任給は3万5000円。「とにかくお金はないですから自転車で。(埼玉の)川口とか蕨とか。バスなんか乗れないですから地図買って歩いて行って、頭を下げて」と奔走した。今ではもちろん考えられないが、無名だった帝京野球部をPRするために、自宅を訪問したこともある。「今日は泊まっていきなよって、一緒に寝た思い出もある。そこまで一生懸命だったんだね」。

少しずつ強豪チームから選手が集まるようになり、結果が出始めた。就任のあいさつで「甲子園に行こう」と言って、選手に笑われてから6年。78年春には初の甲子園となるセンバツに出場する。ただ、初戦の小倉戦(福岡)は1時間58分の完封負け。「サインが1つか2つしか出せなかった。選手も私自身も初めてで非常に緊張しましたね」。もっと甲子園で上位を狙えるチームをつくりたい。その時に出会ったのが伊東昭光(元ヤクルト)だった。

熱意をもって訪ねた帰り、JR錦糸町駅で最終電車がなくなった。「タクシーで帰るお金なんてない。駅の待合室で途方に暮れていたら、新聞を巻いているオジサンがいたんだよ」。11月の肌寒い夜中。前田もゴミくずの中から、新聞紙に手を伸ばした。

「暖かいんだよ。暖かい(笑い)。新聞は暖かい。それを覚えてね、怖いもんがなくなった(笑い)。帰りに電車なくても、昔は待合室は空いてたからね。よく寝たよ」

野宿も笑い話にするほど、伊東の存在は魅力的だった。川崎球場で初めて見た投球は忘れられない。「オレはまた甲子園に行くと思ったよ。あいつのピッチングを見てね」。(敬称略=つづく)【前田祐輔】

(2018年1月23日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)

番記者コラム・西武

手を振る長野にすぐ反応 内海の気配りが再会演出

西武キャンプにサプライズ訪問した広島長野(右)と握手を交わす西武内海

西武が春季キャンプを行う宮崎・南郷で「内海詣」が起こっている。

内海哲也投手を慕う元同僚の選手、コーチ、スタッフらが訪れている。昨年まで巨人で指揮を執った高橋由伸氏も訪ね、旧交を温めた。野球評論家の方たちも、新天地でどんな投球をしているのか? チームになじめているのか? その表情を見に、南郷までやってくる。

その中でも劇的だったのは、やはり同じ境遇で移籍することになった広島長野久義外野手だった。突如、駐車場から姿を見せ「内海さん投げてますか?」と、ブルペンへ直行。気を使って中には入らず、ファンと同じく窓から手を振った。ちょうどブルペン投球を始めたばかりの内海は、窓から一番近くで見える左端のレーンにいた。ざわつくファンと、なにやら仕切りに手を振る全身黒ずくめのガタイのいい男にすぐに気づき「お、チョーさん!」と驚きながら手を振りかえした。

このドラマチックな? 再会は、内海の気配りが演出したのかもしれない。キャンプ初日、最年長とあってブルペンに一番乗りすると、何も分からず右端で準備。投げ始めてから、右投げ投手と対面してしまうことに気づいた。左隣が右投手だと、顔を向かい合わせながら投げることになるからだ。「申し訳ないことをしてしまった」と、翌日から誰にも気を使わせることがないようにと、左端で投げ続けていたのだ。

新天地でも気配りを忘れない内海、そしてベストタイミングで登場したチョーさん。そんな2人だから、絵になる再会を果たしていた。【栗田成芳】

西武内海(奥)のブルペンに向かってファンと一緒に外から手を振る広島長野(手前)
評論家コラム

藤原の「実戦力」評価一変させた中前打/和田一浩

<練習試合:中日6-7ロッテ>◇14日◇沖縄・北谷

練習試合中日対ロッテ 4回表ロッテ2死一、二塁、中前適時打を放つ藤原。投手石川(撮影・清水貴仁)

日刊スポーツ評論家の和田一浩氏(46)が、ロッテのドラフト1位藤原恭大外野手(18=大阪桐蔭)の3安打をチェック。非凡な「実戦力」に着目し、評価した。

   ◇   ◇   ◇

いまさら説明の必要はないが、高校外野手でドラフト1位の評価を受けるだけで大したもの。速い球を投げる投手や、守備力や走力のある内野手と違い、外野手は相当な打撃レベルが求められる。第一印象は「細くて小さいな」で、活躍まで時間がかかりそうだと感じた。しかし実戦を見て評価は変わった。ある程度我慢できるなら、1年目からスタメン起用しても面白いと思えるレベルだった。

3本のヒットの中で「すぐにでもプロでやれるのではないか」と思わせたのは2本目のヒットだ。変化球への対応を頭に入れなければいけないフルカウントで、内角よりの直球に対し、やや差し込まれながら押し込むようなスイングで対応。ゴロでセンター前に抜けていった。金属バットに慣れている高卒ルーキーとは思えない打撃だった。

俊足の左打者は“当て逃げ”するように打ってしまうタイプが多く、そうやって打てばショートゴロで終わっている。さらに打者は差し込まれ気味のタイミングで打ちにいくと、こねるようなスイングになりやすい。金属バットに慣れている高卒ルーキーならなおさらで、そうやって打てばセカンドゴロ。しかし藤原は内側からバットを出し、ヘッドを押し込むように使って中前打にしていた。

フリー打撃では遠くに飛ばそうと力み、まだまだパワーは見劣りすると感じたが、実戦で一変。力みも消え、上半身と下半身のバランスも良くなり、ミート力がアップし、パワー不足を補えていた。スピードだけでなく、走塁面での隙もない。守備力は細かなところまで分からなかったが、多少打てなくなっても我慢できるレベルにありそうだ。

使い続けても体が大きくなるようなタフネスさがあれば、レギュラーで起用しても面白い。ここまで同じ高卒ドラ1のオリックス太田、広島小園を見てきたが、打撃の実戦力はNO・1。実戦力が「器用貧乏」にならないことに注意して、大きく育ってもらいたい。(日刊スポーツ評論家)

中日対ロッテ 8回表ロッテ2死一、二塁、三木の適時打で生還し、ナインとタッチする藤原(左)(撮影・滝沢徹郎)

評論家コラム

中日、ロッテの人生をかけた捕手争い/里崎智也

練習試合中日対ロッテ 3回裏中日1死、右越え先制本塁打を放つ加藤(撮影・清水貴仁)

ルーキー藤原の活躍が目立った中日-ロッテ戦。日刊スポーツ評論家の里崎智也氏(42)は静かで、でも激しい両軍の捕手争いに着目した。

   ◇   ◇   ◇

新監督になったチームに起こる一番の変化は、強くなる・弱くなるの前に、使われる選手が変わることが挙げられる。その好例が「8番捕手」で先発出場した中日加藤だった。

4回の守備で二塁走者のロッテ田村が飛び出した時のスローイングは驚いた。アウトにはならなかったが、肩の強さならソフトバンク甲斐にも劣らない強さがある。あの肩は武器になる。

3回には岩下から先制アーチを放った。12球団相手の今季初実戦で、1打席目の初球をホームラン。ドラゴンズは正捕手が定まっておらず、チャンスがある中で抜てきに応えた。ポジションを奪いにいく立場の選手たちにとっては、シーズンの活躍より2月、3月の活躍が大事だ。ここでアピールしないと開幕後の出番はない。インサイドワークやリードは試合に出れば後から身に付く。今は試合に出続けることが最優先。そのためには強肩やホームランと言った、目に見える結果、数字がほしい。

その意味で、田村に次ぐ第2捕手の座を狙うロッテ吉田も打席で“一発回答”した。こちらも12球団との初試合。途中出場して9回2死一塁からセンターオーバーの適時二塁打を打った。加藤も吉田も、ともに打撃を課題とする中、誰の目にも明らかな結果を残した。ただ、これだけでは足りない。レギュラークラスならこの時期の成績はアベレージでいいが、追いかける人間は結果を出し続けなければいけない。

このまま開幕戦に向けて、調子を落とすことなく競争を勝ち抜けるか。レギュラー組をおびやかせるか。追走するメンバーの頑張りは、全体の層を厚くすることにつながる。開幕まであと1カ月半。人生をかけた捕手争いに注目したい。(日刊スポーツ評論家)

練習試合中日対ロッテ 9回表ロッテ2死一塁、中越え適時二塁打を放つ吉田(撮影・清水貴仁)

評論家コラム

阪神望月は変化球でカウント取れるかが鍵/中西清起

<練習試合:阪神5-2楽天>◇14日◇沖縄・宜野座

ブルペンで福原コーチ(右)と話す中西氏(撮影・奥田泰也中西)

14日、阪神-楽天の練習試合を日刊スポーツ評論家の中西清起氏がチェック。阪神先発の望月に注目した。

   ◇   ◇   ◇

楽天戦に先発した望月はストレートに力があった。初回、銀次を二ゴロに仕留めた149キロは威力十分。昨年、中継ぎを経験し、今季は先発候補としてチャレンジしているが、第1段階としては合格点だろう。

もっとも課題もある。3回2死から乱れたように特に変化球でカウントを取れないからピッチングが苦しくなる。スライダー、フォークと球種自体も多くないだけに、いかに変化球でカウントを取れるかが先発投手として結果を残していけるかどうかのカギとなるだろう。

今後は投球回数を伸ばし、さらに先発としての適性が問われることになるわけだが、可能性は十分、感じさせてくれた。ガルシア、西を補強したとはいえ競争が激しくなれば、当然、チーム力は上がる。特に望月やこの試合で登板した馬場、浜地ら若手が頑張ることで先発陣の底上げをはかりたいところだ。(日刊スポーツ評論家)

練習試合・楽天対阪神 望月は楽天打線を3回1安打無失点と好投する(撮影・上山淳一)

野球の国から・平成野球史

加えられなかった「最大限」の3文字/球界再編問題

04年9月10日、ロッテの瀬戸山球団代表(右)に握手を求められたものの、応じずに退席する古田会長

2003年(平15)の福岡ダイエーホークス売却案に端を発した球界再編問題を掘り下げる。04年9月18、19日に「ストライキによるプロ野球公式戦中止」という事態が起こるほど、平成中期の球界は揺れた。それぞれの立場での深謀が激しくクロスし、大きなうねりを生む。

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5時間半に及んだ「労使交渉」で、とりあえず最悪の結果は回避された。2004年(平16)9月10日、オリックスと近鉄の球団合併に端を発した球界再編問題の労使交渉。ストライキ権まで確立した日本プロ野球選手会と経営側の双方が譲歩し、ストは先送りされた。

印象的なシーンがあった。交渉後の記者会見を終えた直後。NPB選手関係委員長の瀬戸山隆三(当時ロッテ球団代表)が笑顔で席を立った。「じゃあ、またやりましょう」。選手会会長の古田敦也に右手を差し出した。古田は苦々しい表情で握手を拒否。座っていた椅子をそっとテーブルの下に戻すと、瀬戸山に背中を向け会見場を後にした。

翌11日、12日に予定されていたストは回避されたが、問題が解決されたわけではない。選手会が持つ経営陣への不信感…。それは苦笑いで右手を引っ込めた瀬戸山にも分かっていた。

瀬戸山 僕は選手会がストはしないと考えてくれたことで、よかったと思って手を差し出したけれども、古田君が握手をしてくれなかった。まあ、あの場面は笑うしかないでしょう。でも、古田君の気持ちはよく理解できた。僕は経営者側の立場といっても下っ端で(球界の)経営者とはいえないけれども。『たかが選手』(7月8日に巨人渡辺オーナーが発言)のわだかまりもあっただろうし。とにかく誠心誠意、協議しましょうということしか、なかった。

選手会を支持する多くの野球ファンなどから「ヒール役」となった瀬戸山に対し、球団事務所や自宅に脅迫状が届いた。当時、千葉にあった自宅周辺にも不審者が現れ、身を隠しながら帰宅する日もあった。

瀬戸山 どうしても選手会は経営陣に対しての不信感がぬぐえなかったんじゃないかな。経営サイドが「12球団になるように努力する」と言っても「何かウルトラCを持っているのではないか」とね。

この1週間後、プロ野球史上初のストが決まる。瀬戸山は今でも悔やみ切れない思いがある。労使交渉の中で争点となった、ある文言である。「12球団維持に向けて努力する」に「最大限」の3文字を加えられなかったことだ。

瀬戸山 まだ経営側の一部のオーナーたちは『何か手だてがあるのでは』と思っていたんじゃないかな。交渉で来季12球団維持に向け「努力する」という文書に「最大限」を加えることを、巨人がめちゃくちゃ抵抗した。今考えてみると「最大限」という言葉を合意文書に入れていたら、ストは避けられていたと思う。

9月18日、19日…。球場から灯が消えた。(敬称略)【佐竹英治】

評論家コラム

中日根尾は欠点なし、上で使ったほうが/桧山進次郎

打撃ケージに入る中日根尾(中央)を見つめる桧山氏(右)。左は小笠原2軍監督(2019年2月12日撮影)

「根尾効果」の与田中日に要警戒だ! 日刊スポーツ評論家の桧山進次郎氏(49)が沖縄・読谷の中日2軍キャンプに潜入。ドラフト1位・根尾昂内野手(18=大阪桐蔭)の打撃練習をチェックした。プロ1年目から1軍の戦力になるのか。注目ルーキーを分析し、虎のライバル球団の今季を予想した。【取材・構成=田口真一郎】

   ◇   ◇   ◇

桧山氏は12日に沖縄・読谷のキャンプ地を訪れた。2軍でしかも平日にもかかわらず、約550人のファンが集まっていた。あいさつを交わした小笠原2軍監督は驚きの声を上げた。「ファームで、こんなのはないですよ」。桧山氏も大きくうなずき、根尾の存在感を肌で実感した。

「これだけのお客さんを呼べるということ自体、モノが違う。タイガースで言えば、藤浪もそうだが、甲子園で負けていない選手。スターだね」

室内練習場、メイン球場の両方で打撃練習をチェック。正確に白球をとらえる姿に、思わず見入った。

「8割ぐらいを芯に当てて、それだけでなく、ヒット性の当たりが打てる。やはり非凡なセンスを感じた。フォームは何の欠点もない。素直にバットで出て、柔らかい。バットコントロールも良さそうだ。高校時代にレベルの高い投手から打っている。対応力がないと、結果は出ない」

桧山氏は完成度の高さにうなった。開幕1軍の可能性はあるか。現在は右ふくらはぎの肉離れのリハビリ中で調整は遅れている。

「私も経験しているが、ふくらはぎの肉離れは癖になる怖い場所だ。開幕まで1カ月半あるので、間に合うとは思う。ただし、間に合わそうとするのは、避けた方がいい。体と相談しながら、ゆっくりやった方がいい結果が出るだろう」

それではシーズン全体を通し、根尾は1年目から戦力になるか。桧山氏は条件付きながら、その可能性を認める。

「確かに打撃は非凡だ。守備が通用するかはまだ分からない。打てなくても、他の選手がカバーしてくれるが、守備はチームプレー。無理に使うと、チーム内の不協和音が生まれかねない。1軍のレベルにあれば、上で使ったほうがいい。仮に打率2割2~3分でも誰も文句は言わない。その経験が2年目以降の飛躍に間違いなくつながる」

低打率でも1軍で起用すべき。そこに「根尾効果」を見る。昨年は松坂の加入で観客動員がアップした。近年はスター不在が課題だっただけに、根尾がナゴヤドームでプレーすれば、連日満席も夢ではない。

「お客さんが入れば、選手も張り切る。相手球団も戦いにくくなるよ」

マツダスタジアムのような熱気が名古屋でも生まれれば、脅威になる。ただでさえ、阪神は苦手としている球場だ。さらに今季から首脳陣を刷新。与田監督とは00年のチームメートで、今も交流がある。いかなる野球に変貌するのか。

「すごく冷静に物事を判断される方だった。故障の経験もあり、体のことも熟知している。選手の気持ちを分かった上で采配を振るでしょう。我慢強く、チーム作りに取り組まれるのでは。弱かった攻撃力が昨年、上がった。主軸がしっかりとして、機動力も生かせる。攻撃力はAクラスだ。後はバッテリーだけ。13勝のガルシアが抜けたのは痛い。そこを整備できれば、かなり怖い相手になる」

6年連続Bクラスからの脱却へ球団挙げて本腰で動いている。「根尾効果」でチーム全体が活気づけば、矢野阪神の強力なライバルになる。(日刊スポーツ評論家)

<中日の布陣候補>

捕手 大野奨、松井雅、加藤

一塁 ビシエド

二塁 堂上、亀沢

三塁 高橋、福田

遊撃 京田、根尾

左翼 アルモンテ、モヤ

中堅 大島、滝野

右翼 平田、藤井

先発投手 小笠原、又吉、柳、松坂、吉見、大野、山井、笠原、勝野、小熊、ロメロ

中継ぎ投手 田島、谷元、岡田、福谷、佐藤、梅津、祖父江、鈴木博、ロドリゲス、木下雄

◆中日の布陣 今季への補強は新外国人左腕のロメロとドラフト入団選手だけ。ビシエドの守る一塁以外は混沌(こんとん)としている。内野では残り3つのポジションを京田、堂上、ともに初の規定打席に到達した福田、高橋、そこに亀沢、ドラフト1位根尾らが競い合う。先発陣は山井らベテラン勢への期待が高くなる。ロメロは未知数。中継ぎ陣への負担を考えると、完投能力の高い大野雄に続く、若手の先発投手の台頭が待たれる状況だ。

フリー打撃を行う中日根尾(2019年2月11日撮影)

野球の国から・高校野球編

石橋貴明の兄ら4人だけ…部員激減/前田三夫1

3度の日本一を記念した石碑の前に立つ帝京・前田監督

控え選手だった大学時代こそが、監督人生の原点。全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える今年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。名物監督の信念やそれを形づくる原点に迫る「監督シリーズ」第5弾は、甲子園歴代3位タイの通算51勝(23敗)を挙げる帝京(東京)前田三夫監督(68)です。72年に就任し、現役監督として今も甲子園を目指して情熱的な指導を続ける姿を、全5回でお送りします。

    ◇   ◇   ◇    

帝京高校の正門をくぐると、校舎に向かって左側に、3度の日本一を記念した石碑が立っている。

かつてサッカー部と共用だったグラウンドは、全面人工芝の野球専用球場に生まれ変わり、外野フェンスに沿うような形で校舎が並び立つ。

東京を代表する帝京野球部の歴史は、そのまま前田の歴史と言っても過言ではない。1月の寒空の下でも、情熱的な指導は変わらない。

「夢多き青年だったけど、野球はそんなにうまくはなかったよね」

それが選手時代の前田だった。監督就任は72年。今もソフトバンク中村晃、日本ハム杉谷、阪神原口、DeNA山崎康、日本ハム松本らが現役で活躍する。そんな輝かしいOBの中で、最も有名な教え子は、80年に卒業したとんねるず石橋貴明かもしれない。高校3年時にベンチ入りメンバーから外れた自身と同じ“補欠”の1人だ。

「選手としては体が硬かった。ただね、高校時代から人を引きつけてましたよ。遠征なんか行って、昔はよく演芸会をやらせていたんです。石橋になると旅館に泊まっていた他のお客さんがみんな見に来てた。旅館のお母さんは、あんまりおもしろいんで、お小遣いをあげたいんだけどって。それはよしてくれって言いましたよ」

監督自身、血気盛んな20代だった頃。

「グラウンドの陰に隠れて野球部、サッカー部を集めておもしろいことをやる。だから『出とけ』って、学校の周りを走らせたこともある。それを忘れて帰っちゃったことありますよ(笑い)。そういうのを昔コントでやってましたよ」

デビューしたての頃、口にほくろをつけて前田の物まねをするのは、石橋の持ちネタの1つだった。「僕のまねで、のぞき見したんですよ、女風呂を。授業をやっていたらね、生徒たちみんなに冷やかされてね。石橋のところに、もうやめろって電話しましたよ」と懐かしんだ。

“補欠の代表”は、芸能界のど真ん中を30年以上歩んできた。「レギュラーはレギュラーの良さがありますけど、補欠は補欠の人間的な魅力がありますよ。だから僕は補欠の選手に言うんです。補欠には補欠の魅力があるぞって」

前田は千葉・袖ケ浦で生まれ育った。3人兄弟の末っ子で、高卒と同時に家を出るのが当たり前の家庭環境。就職先は東京・小平のブリヂストンタイヤから内定をもらった。それでも野球をあきらめきれない。両親に頼み込んで帝京大へ進学した。だが、3年まではベンチにも入れなかった。

「4年間、万年補欠ですよ。ただね、今、監督生活をしていると補欠の時代に得たものは非常に多かった。やはり補欠がいて、レギュラーがいる。補欠の役割というのは大きいなと、補欠の身でありながら知ることができましたね」

最上級生になってようやくつかんだ“ポジション”は一塁コーチだった。

「ダイヤモンドの中には入れないけど、その両脇だけど、このポジションは絶対に明け渡さないと。熱い気持ちがありましたね」

ノッカーや2軍監督を務めながら、一塁コーチとしてレギュラーを支えた。4年春には首都大学リーグ初優勝。そんな時に、帝京野球部監督の誘いを受けた。

結局4年間1度も公式戦には出場できなかった。決断の後押しになったのは、高校時代から抱き続けた思いだった。「甲子園の夢は持ってましたから。行けなかった悔しさも残ってる。監督として行こうという気持ちが湧いてきました」。

まだ大学4年生だった72年の1月15日、帝京のグラウンドに向かった。約40人の部員の前に立ち、覚悟を決めて切り出した。

「みんなで甲子園に行こうと熱い気持ちで話したら、当時の選手たちは笑いましたよ。笑われた瞬間に、ぞーっとしましたね。甲子園の3文字に対して笑うかと。それが不思議でならなかった。夢がないんだなと。怒りさえ覚えました」

若き前田の心に火が付いた。スパルタだった時代。甘えは一切許さず、緩んでいた野球部に厳しい練習を課した。約40人いた部員は、わずか2週間ほどで4人になった。

外様監督の厳しい練習は、職員会議の議題にも挙がった。それでも去る者は追わず、信念を貫いた。その4人の中の1人が、石橋貴明の兄だった。(敬称略=つづく)【前田祐輔】

◆前田三夫(まえだ・みつお)1949年(昭24)6月6日、千葉県生まれ。木更津中央(現木更津総合)では内野手で甲子園出場なし。帝京大卒業と同時に帝京監督に就任。甲子園は78年春の初出場から春14度、夏12度出場し、春は92年、夏は89、95年に優勝。通算51勝は高嶋仁監督(智弁学園-智弁和歌山)の64勝、中村順司監督(PL学園)の58勝に次ぎ、渡辺元智監督(横浜)に並ぶ歴代3位。主な教え子は伊東昭光、河田雄祐、奈良原浩、芝草宇宙、吉岡雄二、三沢興一、森本稀哲、中村晃、杉谷拳士、原口文仁、山崎康晃、松本剛ら。

(2018年1月22日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)

帝京高校グラウンド全景
番記者コラム・広島

ドラ1小園海斗「愛される能力」で名選手への可能性

松山(中央右)と迎コーチ(右)から指導を受ける小園(左から2人目)(2019年2月9日撮影)

珍しい光景だった。第3クール初日の9日。ティー打撃を行うドラフト1位小園海斗内野手(18=報徳学園)に、松山がスイングの手本を見せていた。後ろの軸足を内旋させながらリズムよく腰を回すと同時に、バットを肩口から地面に向かってけさ斬りのように軽く振り下ろす。まねする小園は、スムーズに振れずに苦笑い。その場に、迎打撃コーチも加わった。西川や東出打撃コーチも声をかけた。終始、和やかな雰囲気だった。

迎コーチはこの場面について「一連の動作の中で振る練習。まだ、手だけで振りにいっている部分がある」と説明した。下半身の動きにバットの連動させ、ヘッドの重さを感じながら無駄な力を入れずに振る訓練ということなのだろう。ただ、ここで言いたいのは技術的なことではない。

小園の「愛される能力」である。当初は「今年のドラ1はどんなもんか」という目で見ていたであろう先輩たちが、手を差し伸べたくなる雰囲気があるということだ。気を使うことの多い毎日だと思うが、物おじせずに輪の中に入る。アドバイスに真摯(しんし)に耳を傾け「吸収できることが多い」と話す。そういう振る舞いが、自然と人を引きつけるのだろう。

広島のショートには田中広という絶対的存在がおり、すぐにレギュラーになるのは難しい。それでも小園には野球の才能に加え、人間としての魅力がある。ファンからも愛される名選手になる可能性は、十分にあると思っている。【村野森】

評論家コラム

日本ハムのドラフト戦略で分かる先見の明/里崎智也

室内練習場で打撃練習する日本ハム野村(左)と万波(撮影・江口和貴)

日刊スポーツ評論家の里崎智也氏(42)が日本ハムの2軍キャンプを視察。好循環を生んでいるドラフト戦略に着目した。

     ◇     ◇     ◇

沖縄・国頭村の日本ハム2軍キャンプを訪れた。ドラフト2位、野村佑希内野手(18=花咲徳栄)と同4位、万波中正外野手(18=横浜)が打撃練習でのびのびスイングしていた。ともに体が大きく、まだ粗削りだが魅力的。日本ハムのドラフト戦略からは組織力の高さと先見の明を感じる。

強い組織は5年後、10年後を見越してチームを編成する。中田や大田もまもなく30歳。今のレギュラークラスの年齢を踏まえ、世代交代が進んだ時にどこが足りなくなるかを考えて、次世代をしっかり準備する。そこに魅力ある選手がいる。下位指名ならリスクも少ない。対して弱い組織は、選手を取ってからどう起用するか考える。

野村や万波を無理に1軍に連れて行かず、2軍でじっくり育てるのも組織として評価が高い。1位の吉田輝星投手(18=金足農)もそうだが、今使おうと思って指名していない。次世代候補をうまく高校生で編成している。トレードやFAで選手が抜けても、次に出てくる人材を育てている。

そういう戦略がうまいから、チームとしていい成績を残しやすい。この日、中田が左内転筋肉離れと診断されたが、主力が欠けても次を担う若手が出てくる。それは「たまたま」ではない。準備している。だから必ず代わりがいる。日本ハムは危機管理能力が高い。(日刊スポーツ評論家)

野球の国から・高校野球編

選手と監督の関係が一生続けば/中村順司5

05年5月、名古屋商大監督として選手にノックする中村

中村順司が文字で残した夢は、プロ野球選手だった。生まれ育ったのは福岡・中間市の炭鉱町。西鉄ライオンズの黄金時代で、少年たちは中西太、豊田泰光らスター選手にあこがれた。最盛期の炭鉱町には準硬式の野球チームがあった。三角ベースに興じ、中西らをまねて中村はバットを振った。常に野球が身近にあった。小学6年の作文に、中村は「将来の夢はプロ野球選手」と書いた。

同時に、心引かれた仕事があった。教員だった。

中村 夏休みや正月、友だちと一緒に担任の先生の家に遊びに行きました。そこに、ぼくらより前に教わった先輩がたも来られていた。ああ、先生っていいな。卒業してからも生徒が訪ねてきてくれると、先生へのあこがれのようなものが生まれたんです。

名古屋商大で教員免許を取得。卒業後の進路には社会人のキャタピラー三菱(当時)で野球を続けることを選んだが、心の中で教員になる将来像を育んでいた。

中村 将来は海とか山とか(がある)そういうところで先生になれたらいいなと。それが次の目標に変わっていった。都会で強いチームとか、そんなのでなくていい。監督になって甲子園に行こうとか、そんなのでなくて、野球という競技を、素晴らしいスポーツを伝えたいというのが原点でした。

忘れられない言葉があった。父亮を説得し、親元を離れて進学したPL学園で、PL教団の第2代教主・御木徳近が野球部に贈った言葉を書いた掛け軸を見た。中村がのちに座右の銘にした「球道即人道」の言葉。野球を学ぶ中に人としての道がある。社会人野球を7年続け、30歳の秋にコーチとして母校に戻るよう教団から請われた。進むべき道を決めるとき、中村の人生で再びこの言葉が光を放った。

中村 先生と生徒の関係のように、選手と監督の関係は一生続けばいいなと。卒業してもまた会いに来てほしいなと。コーチになってPLに戻ったとき、ああ、これを教えることが当時の2代目教主の求められたPL野球だなと思ったんです。

忘れられない風景もあった。最盛期の炭鉱町で理髪店を営み、7人の子供を育て上げた両親。中村の記憶にある父亮の姿は、昼食の茶漬けをかき込み、客でにぎわう店に大急ぎで戻る後ろ姿だった。そんな忙しい父がある日、中村を野球に誘った。「兄ちゃんの野球を見に行こう」と、6歳上の兄駿介が所属する東筑(福岡)野球部の試合を見に行った。親子は外野席のポール際に座り、試合を見て帰った。兄の帰宅後も、父はその日観戦したことなど何も言わなかった。

中村 なんかそっと見ていたおやじの背中っていうかな。それがずっとぼくの心に残っているんです。

黙々と働いて一家を支えた父。忙しい毎日でも、家族から目を離さなかった父。そういう存在がいることが、どれほど心を強くしてくれるのか。選手への愛情。見習うべき姿は、中村のすぐそばにあった。(敬称略=おわり)【堀まどか】

(2018年1月21日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)

番記者コラム・ヤクルト

元ソフト代表はサポートでも輝く 自身の経験を還元

ヤクルトの浦添キャンプをサポートしている元ソフトボール女子日本代表の永吉理恵さん

ヤクルトの浦添キャンプをサポートしている女性がいる。元ソフトボール女子の日本代表の永吉理恵さん(31)だ。

室内練習場で、選手やスタッフの方々の動きを見ている永吉さん。細やかな気配りで、声がかかる前に1歩先の行動を心がけていることがよく分かる。選手の要望に応えて打撃マシンの準備をしたり、ネットを用意したり。球技をしていたからこそ、できることなのだと思う。

現在は、出身地の福岡県在住。ソフトボールを通じて知り合った沖縄出身の先輩に紹介され、今年初めてキャンプの手伝いに参加した。ヤクルトは早出練習が午前8時半から始まり、夜間練習が終わるのは午後7時ごろ。「プロ野球選手を間近で見て、こんなに練習していることに驚きました。へとへとになるまで、やっているんだなあと。あと、いろいろな(練習法の)タイプの選手がいるんだなとか、そういう選手目線で見てしまいます」と話していた。

ティー打撃を行う選手の姿も、チェックする。軽いプラスチックの小さなボールを打つ練習方法を見て「私も打ってみたかったなと思います」と笑った。

友人に誘われ、中学でソフトボール部に入ったことが出合いのきっかけだった。強豪筑陽学園から社会人の日本リーグ1部レオパレス21やデンソーで外野手としてプレー。09~14年の間に、日本代表にも入り世界大会も経験した。15年シーズンで現役を引退し、昨年は大垣ミナモのソフトボールチームのコーチを務めた。スポーツとともに歩んできた人生。「人とのつながりがあって、やってこられました」と感謝する。

今、興味を持っているのはパラスポーツ。「自分は、今まで回りのサポートのおかげでやってこられたことが原点。リオパラリンピックでトレーナーを務めた方が知り合いで、話を聞いた時に『ウエートトレーニング1つでも、健常者の何倍もの時間がかかる。でも、サポートする人材が少ない』と聞いた」という。さっそく行動に移し、障がい者スポーツ指導員資格の初級を取得した。20年には東京オリンピック(五輪)が開催され「パラスポーツの波がくると思う。時間がある時も、少しでも何か手伝えたらと思っています」。選手の経験があるからこそ分かること、できることを、還元していくつもりだ。【保坂恭子】

評論家コラム

緒方監督1~3番悩む 未知数先発陣に隙/梨田昌孝

広島キャンプを訪れ、緒方監督(左)と談笑する梨田昌孝氏(撮影・栗木一考)

阪神は広島の連覇をストップできる? 4年ぶりに日刊スポーツ評論家に返り咲いた元楽天監督の梨田昌孝氏(65)が12日、丸が巨人に流出した広島キャンプに潜入し、緒方監督から「1番から3番までの打順に悩んでいる」との本音を引き出した。独走に歯止めをかけるべく、未知数な先発ローテーションにも付け入るスキを見つけた。【取材・構成=寺尾博和編集委員】

   ◇   ◇   ◇

日南はポカポカ陽気だった。強い日差しの天福球場。フェンス越えを連発していたのは鈴木誠也だ。飛ぶわ、飛ぶわ。こちらが日焼け止めを塗るのを忘れるぐらい、ほれぼれする打球が飛んでいくではないか。

新たにつけた背番号1がまぶしい。さらに体格も大きくなったようで、詰まった当たりも左中間スタンドに突き刺さる。グラウンドに降りて「体が重く感じないか?」と聞くと「大丈夫です」。今シーズンも30本から35本は打ちそうだ。

昨季の阪神は、この広島に20ゲーム差をつけられた。これを引っ繰り返すのは並大抵ではない。でも、今シーズンは「3番丸」が流出した。単純に打率3割6厘、39本塁打のバッターが抜けるわけで、戦力ダウンは免れないのではと思ってしまう。

そこで緒方監督を直撃すると「1番から3番をどう組むか悩んでるんです」と正直な答えが返ってきた。昨季は、タナ(田中広)、キク(菊池涼)、マル(丸)が基本形だったが、これが崩れた。オーダー再編を迫られた監督の心情は痛いほどわかる。

もちろん打線を固定できればベストだろう。しかし今年は左右のピッチャーによって替えざるを得ないのではないか。例えば、右投手の場合は、野間が1番、左投手なら1番菊池涼、3番長野とかね。

わたしとしては、1番から3番までの並びも注目しているが、4番鈴木に続く5番をだれが打つのかも興味深い。いろいろ組めるのは戦力層の厚さといえるが、そこにスキが見え隠れする。

またシート打撃では、ジョンソンは安定していたし、大瀬良もそこそこ。でも問題は、そこに続いて投げるピッチャーだ。野村はボールの出し入れで勝負するタイプだが、球筋は定まっていない。現時点で先発ローテーションは未知数といえる。

阪神にとって、広島は開幕からヤクルト、巨人に続く3カード目に対戦する相手。先発ピッチャーを早めに攻略して、チームに弾みをつけたい。(日刊スポーツ評論家)

梨田氏(右)と握手を交わす鈴木誠也(撮影・栗木一考)

野球の国から・高校野球編

「やっぱりPL出てる選手やな」/中村順司4

03年11月、中村(左)はPL学園時代の教え子、立浪和義(中央)の2000安打達成記念パーティーに参加。片岡篤史(右から2人目)桑田真澄(右)も顔をそろえた

1981年(昭56)巨人3位の吉村禎章(現巨人打撃コーチ)から、中村順司は多くの教え子をプロに送った。監督としての初代チームのエース西川佳明は、法大を経て南海(現ソフトバンク)の1位に。その後も桑田真澄(85年巨人1位)清原和博(同西武1位)立浪和義(87年中日1位)福留孝介(98年中日1位)らがプロに巣立った。各教え子の活躍が、PLブランドを揺るぎないものにした。12年に名球会入りし、今秋ヤクルトヘッドコーチに就任した宮本慎也もその1人だ。

宮本 ヤクルト入団時のバッテリーコーチだった柴田猛さんは、バントシフトでショートの僕の入るフリやタイミングを見て「やっぱりPL出てる選手やな」と言われたそうです。オリックスのコーチ時代の松山(秀明)さんが印象的だったみたいで「そんなに足は速くないのに、勝負どころで頼りになった」と言われてました。「PLの選手は、たとえレギュラー取れなくても何かで使えるヤツが多い」とよく話しておられました。

「使える選手」を生み出したものを、宮本はこう分析する。

宮本 例えば入学までは何でも正面で捕らないといけないと教わってきたのが、中村監督は「アウトにすることをまず第一に考えなさい」と言われた。そうなると逆シングルになっても仕方ないというのは、高校生にとっては衝撃的でした。当時の高校生の常識よりはみ出して教えていただいてました。だからいろんな考え方ができた。

画期的な指導が選手の柔軟性、多様性につながった。中村が導入した練習方法も奏功した。

宮本 普通の高校生なら5~6時間練習して、与えられたメニューをやっていく形。PLは全体練習3時間であとの自由時間をどう使うか。となると、考える時間が多くなる。PLには「付け人制度」があったので、先輩の練習を手伝い、周りを見たりしながら足りない部分を練習する。環境が良かったと思います。

全寮制で、寮生活は厳しかった。「少々のことには耐えられる根性が身についた」と宮本も苦笑する。

宮本 ただ考え方も技術もレベルの高い選手が多かったんで、いろんな話も聞けました。PLに行ってなかったら、たぶんプロには行けてない。高いレベルに必死に追いつこうと一生懸命にやっていたんで。

上級生の厳しい指導の中で理不尽な仕打ちがあっても、下級生に向上心をなくさせない。そのバランスがPL学園の環境だった。先輩が甲子園で結果を残し、一流選手へと成長していく。その過程があるから、後輩も続いた。「さらに…」と宮本が続けたことがある。

宮本 卒業後に中村監督の指導を振り返ったとき、やはり心に残っているのは「人としてちゃんとしなさい」ということ。人としてどうあるべきか、ということが監督の教えの基本でした。

体の仕組みを丁寧に説明し、ケガの防止に努める。合理的な指導で選手を上達させる。同時に中村は、教育者だった。(敬称略=つづく)【堀まどか】

(2018年1月20日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)

番記者コラム・オリックス

山本と頓宮の実家はお隣さん お立ち台でも並ぶか?

紅白戦2回表1死、頓宮裕真(左)は山本由伸に対し三塁ゴロに倒れる(2019年2月9日)

地元岡山から遠く離れた宮崎の地で、実家がお隣さんの2人が初対決した。3年目の山本由伸投手(20)とドラフト2位の頓宮裕真内野手(22=亜大)は岡山・備前市にある実家が隣同士。学年は2つ違う。伊部小時代はチームメートだったが、備前中では所属チームが異なった。約10年間の時を経て、プロの世界で2人の運命は交わった。

11日に行われた春季キャンプの紅白戦。結果はプロのキャリアでは“先輩”にあたる山本に軍配が上がった。1死走者なしの場面。初球は山本が習得中のシュートで見逃しストライク。2球目は真ん中低めへのカーブで見逃し。3球目、真ん中低めのカーブを頓宮が打って出て、三ゴロという結果に終わった。

山本は頓宮との対戦を終え、「ちょっと特別な気持ちになりました。野球をしているのを実際見たのが中学の時以来だったので、すごく新鮮というか、対戦できてうれしかったです」と感慨深げ。頓宮は「真っすぐでくると思っていました」と笑顔。「(山本は)プロの中でも一流の選手だと思っている。その面に関しては隣同士というのは関係なく、いい経験をさせてもらったと思います」と真剣な表情で語った。

幼少時代から仲良しだった2人が、プロの舞台でチームメートとして再会を果たした。いつの日か、山本が先発として快投し、頓宮が豪快な決勝本塁打を放つ。そしてヒーローインタビューでお立ち台の上で再び“お隣さん同士”となる姿が見てみたい。【古財稜明】

評論家コラム

オリックス山本由伸は先発でも十分通用/梨田昌孝

白組で先発したオリックス山本は2回4奪三振と圧巻の投球を見せた(撮影・渦原淳)

先発復帰に挑戦中のオリックス山本由伸投手(20)が、今季初実戦で奪三振ショーを演じた。11日、宮崎キャンプの紅白戦に白組で先発し、最速147キロの直球に5種類の変化球を絡ませ、2回を無安打無失点、4奪三振。打者6人で片付ける完全投球を見せた。日刊スポーツ評論家の梨田昌孝氏(65)はリリーフからの転向をかける山本の投球を解説した。

◇  ◇  ◇

山本の投球内容は、リリーフから先発への転向を強く意識していることをうかがわせた。2回6人の打者に対し、4人から三振を奪ったが、そのうち3人までが「5球以内」で仕留めたものだった。 楽天監督だった当時、奪三振を続けた則本の球数の多さを気遣ったことがある。そして三振をとるなら「5球以内」を理想に掲げた。三振に固執するあまり投球数がかさむと、次の登板に影響を及ぼすからだ。 その点、山本の計25球のピッチングからは、できるだけ球数を抑えながら、できるだけ長いイニングを稼ぐ投球を心掛けていることが感じられた。 昨季まで直球、スライダー系の球種で勝負するタイプだった。2回1死。頓宮を0-1から2球続けてのカーブで三ゴロに打ちとった。今までカーブを続ける配球など見られなかったから、ここもリリーフ役から変わった点だった。 今後は実戦でイニングを伸ばしながらのテストが続くはずだ。このまま順調に進めば、先発として十分に通用する。 (日刊スポーツ評論家)

オリックスキャンプを訪れ、西村監督(右)とあいさつを交わす梨田氏。中央は山田氏(撮影・渦原淳)