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野球の国から・平成野球史

守り重視 シリーズ4番清原交代/森祗晶8

92年10月、日本シリーズを翌日に控え握手をかわす西武森祇晶監督(左)とピースサインのヤクルト野村克也監督

平成の初め、プロ野球界は「西武黄金時代」の真っただ中にあった。森祗晶監督に率いられた1986年(昭61)から1994年(平6)までの9年間で、リーグ優勝8回、日本一6回。他の追随を許さない圧倒的な強さを誇った。今年1月に81歳を迎えた名将が当時を振り返った。

 ◇  ◇  ◇

野球は守りからか、攻めからか。永遠のテーマについて森に聞いた。

「やはり守りからだろうな。点を与えなければ負けないんだから。攻撃重視で点は取っても、ザルみたいな内野、外野なら勝てない。投手を中心とした守りというものが、第一だよね」

「慎重」「徹底」を大切にする森からすれば、至極自然な答えだった。防御力が西武の黄金時代を支えた。秋山、清原、デストラーデ。強力な「AKD砲」を擁しても、ぶれることはなかった。

「伊東は素晴らしいキャッチャー。清原も下手な一塁じゃない。二塁辻は名人。三塁石毛、堅実。ショート田辺、地味だけど肩は強い。外野は秋山、平野に笘篠が入れば、間を抜くのは容易じゃない。守りからつくったチームは大崩れしない。だが、どんな投手も木っ端みじんに打つ打線なんて、ありゃしない」

92年(平4)ヤクルトとの日本シリーズに、森の野球観は如実に表れていた。3勝3敗、勝った方が日本一という第7戦(神宮)。1-1の8回、清原が遊飛に倒れると、森は裏の守りから清原に代えて守備のいい奈良原を出した。そこまで17打席無安打とはいえ、同点の終盤に4番を下げた。

「守りを固めて、つまらん点を与えないことが第一。相手は後攻め。ミスから点を取られたら終わり。DH制がない。延長戦を考えた時、デストラーデと清原と両方、守備に置くのは危険。デストラーデはものすごく打っていた。清原に回ってくる打席の回数と守る回数を考え、デストラーデを残した」

先述の通り、清原の守備は下手ではない。防御を価値判断の上位に置き、石橋をたたいた。すると延長10回表、1死三塁の好機をつくる。打者は秋山。次打者は清原…ではなく奈良原だ。

「秋山を敬遠して、奈良原と勝負と思うじゃない。結果、秋山が犠牲フライで決着がついた。そこに野球の面白みがある。後日、野村監督に聞いた。秋山を歩かせようとは思わなかったのかと…」

野村克也は「それも考えたけど、秋山を歩かせたら、三塁辻。一塁秋山。バッター奈良原。3人とも足が速い。奈良原は長打力がなくても、何をしてくるか分からない怖さがあった。スクイズ。エンドラン。ダブルスチール。そう考えたら秋山の方が三振を取りやすいバッターだった」と説明した。

森は思いを巡らせた。「確かに(投手の)岡林との相対関係を考えたらね。ただ、スライダーが1個分、中に入った。ボール球だったら空振りしたかも知れない。勝負のアヤ。決して、秋山と勝負したのは間違いではない」。逆の立場だったら、果たしてどうしただろうか。「難しいな。やっぱり考えるな。正解はないよ」。森西武と野村ヤクルトの攻防は、防御を起点とした詰め将棋のような読み合いがあり、その攻防が野球好きを没頭させた。次打者が清原のままだったら、また違うドラマが生まれたのかも知れない。(敬称略=つづく)【古川真弥】

野球の国から・平成野球史

米参考ボールパーク化/コミッショナー語る未来図1

インタビューに応じるNPB斉藤惇コミッショナー(撮影・河野匠)

プロ野球の未来像を日本野球機構(NPB)斉藤惇コミッショナー(79)に聞いた。野村証券副社長、日本取引所グループCEOという経歴を持つビジネスマンは、どんな絵を描いているのか。

  ◇   ◇   ◇  

昨季のプロ野球は、1試合平均観客数(2万9779人)が初めて米大リーグ(2万8830人)を超えた。DeNAや広島といった15年前まで閑古鳥が鳴いていたチームが連日の大盛況。2004年(平16)には球団合併の対象だったロッテも球団買収後、初めて年間黒字を記録した。ネット通販のZOZOは球団経営に興味を示した。現状をどう考えるのか。

斉藤 球団数の増減は難しい問題だ。平成の大課題になって、近鉄が消えるとか大きな問題が起きた時に、真剣に新しい参加者の楽天などが討議された。今は非常に安定している。12(球団)で(セ、パが)6、6で。大洋、近鉄など財政的に厳しいところがあったが、今は観客が多い。特に球場を持っているところは収益が安定している。そうでないところも強いチームを持って、経済的な問題がない。だから球団を増やす、減らすという問題は、アクシデントがないと、普通の状態では、ないと思う。

12球団が適正という認識だ。一方で横浜、マツダなど球場の収容人数は限界に近づいている。大リーグは16から30と球団を増やしたが、日本は1958年(昭33)から12のまま。球団増への懸念は、1球団あたり利益の希薄化(ダイリューション)だ。

斉藤 (球団増は)1つの方策ではあるでしょう。「パイが大きくなる」と前向きに考える方も「全体は変わらないのに球団だけが増えて(収益の)ダイリューションを起こす」と考える方もいるでしょう。私が、どうあるべきとする問題だと思わない。総意で「確かに(ファンが)あふれ出したぞ」「じゃあもう1つ2つ」とファンの声がものすごく出てくれば。おかげさまで、球団を持ちたいという方が複数おられます。名前は挙げられませんが。

米国生活が長い。米国を参考に、球団が球場の経営権を所有してのボールパーク化を推奨する。

斉藤 球場施設をみんな持つのがいい。広島など球場のロケーションとか施設によって人気、収益が全然違います。球場のファシリティー(設備)をもう少しビジネス的に面白く。米国は、野球だけじゃなくオフの時に音楽会、フラワーショーとか非常に面白く造っている。3万人で満杯より、もう少し入る施設。これは私たちより、オーナーのビジネス感覚ですからね。(敬称略=つづく)【斎藤直樹】

高原のねごと

仲良しも存在しない「昭和43年会」理由はただ1つ

左から下柳剛氏、金本知憲氏、阪神矢野燿大監督

「オレがヤル!」をキャッチフレーズに掲げる指揮官・矢野燿大が「オレはヤラない!」と宣言した話から書く。

矢野は1968年(昭43)12月生まれ。有名な「3億円事件」が起こったこの年はプロ選手が豊作だったと言えるかもしれない。大リーグ経験組の野茂英雄。さらに長谷川滋利、高津臣吾がいる。阪神では前監督の金本知憲、下柳剛、そして矢野だ。阪神は同学年同士での監督交代となったわけだが、同じセ・リーグにはもう1人、同学年の監督がいる。

今季、昨季リーグ3連覇を達成した広島の指揮官・緒方孝市である。その緒方が先日、面白いことを言った。

緒方 43年生まれはいい選手が多かったんで「昭和43年会」とか、あってもおかしくはないんですけど。ないんです。これが。お互いに仲が悪いとかはないし、グラウンドとかプライベートでも偶然に会ったりすれば普通に話したりはしますけどね。

球界では古田敦也、山本昌らの「昭和40年会」、また三浦大輔、中村紀洋らの「昭和48年会」が有名だ。メンバー的には「昭和43年会」が存在してもよさそうなものだが「ない」という。念のため、矢野にも聞いてみた。

矢野 ああ。ないですね。以前につくろうかという話が出たこともあったけど、結局、できなかったですね。ああいうのは幹事役というか「オレがヤル!」っていう人間がいないとダメなんだけど、いなかったですね。オレもやらないしね。

「オレがヤル!」ではないのか。思わず突っ込んでしまう。まったく違う話だけど。

キャンプも実戦が中心になってきた。21日には宜野座で阪神と広島との練習試合が行われる。宜野座でのTC戦は04年以来、実に15年ぶり。諸事情があって組まれていなかった。だが「阪神宜野座元年」の03年には宜野座で行われた。そのとき仰天したのはケーブルテレビの生中継に両軍の指揮官が登場したことだ。

阪神はもちろん星野仙一。広島は山本浩二だ。そこに阪神チーフ打撃コーチだった田淵幸一も加わっての3ショット。練習試合とはいえ、ちょっと考えられない光景だ。ファンはもちろん、メディアも驚いた。この3人は1946年(昭21)の学年。「昭和21年会」の存在も聞いたことはないが仲は良かった。

新生・矢野タイガースと4連覇を目指す緒方カープの初対決だ。この2人が試合中に並んでテレビに出れば面白いがそんなことは起こらない。なので矢野の「ファンを喜ばせる」目標は、試合内容で達成してほしい。(敬称略)

野球の国から・高校野球編

カップルが手をつなぎマウンドを歩く/香田誉士史3

大学最後のリーグ戦を終えた香田(左)。右上は亜大の入来祐作投手、右下は亜大の森田剛史

指導者への思いに拍車をかけたのが、94年夏の得難い成功体験だった。

駒大4年時の夏休みを前に、香田は母校、佐賀商(佐賀)の臨時コーチとして甲子園に付き添った。大正時代創部という歴史の中で、OBたちから「甲子園出場では史上最弱」と言われたチームがあれよあれよと勝ち進み、県勢初優勝。最後は決勝史上初の満塁本塁打まで飛び出した。

香田 びっくりした。勝つたびに選手たちは「俺たちは強い」って、すてきな勘違いをしていった。あのチームで全国制覇できるんだから、北海道のチームでできないっていうことはないんだよ。

後に駒大苫小牧の監督になった時、この体験がどれほど励みになったことか。

この時、香田の指導者としての適性を見抜いていた人物がいた。東都リーグが誇る名将で、05年まで駒大監督を務めた太田誠(81)だ。

太田 香田はいいリーダーなんだと思った。選手時代もベンチで元気良く声を出していた。先天的に前向き。腐ることがない。練習中も、先頭に立って走っていた姿が目に浮かぶよ。

駒大苫小牧から太田のもとへ野球部監督の相談があった時「直感的に香田がいいと思った」と、真っ先に頭に浮かんだ。

香田 母校で指導者になりたかったから、商業科の教員免許を取るため大学に残っていた。なのに、おやじ(太田監督)が「次男なら、どこへ行ってもいいな」って。「あれ? 俺、2年間大学残るって監督に言わなかったっけ?」と思ったけど、逆らうなんてできないでしょ。

大学の総務部で振る舞われたカツ丼を「なんか丸め込まれちゃったな」と思いながらも、おいしく食べた。進路が、決まった。

北海道内ですら、高校野球で駒大といえば「ヒグマ打線」でセンバツ4強入りした駒大岩見沢が有名だった時代。社会科教員の資格はあったが、苫小牧と聞いてもピンとはこなかった。初めて駒大苫小牧を訪れたのは、95年の初冬。駒大苫小牧野球部は秋の室蘭地区予選で早々と敗れて以降、監督が不在だった。

香田 グラウンドに行ったら選手がランニングしていた。ユニホームは着ていないし、長髪もいる。「髪、長いんだね」って聞いたら「オフは伸ばします」って返事に愛想がない。

キャッチボールをさせても、塁間の半分の距離ですら悪送球やワンバウンドになった。専用グラウンドはあったが、どれだけ整備しても、一般生徒が当然のようにそこを突っ切って登下校した。

香田 正直「えーっ」て。自分がやってきた野球とはズレがありすぎた。一般生徒にもなめられてた。自転車でグラウンドに入るなんて、とんでもないよ。注意したら「こっちの方が近いべや」だって。放課後には、カップルが手をつないでマウンドの上を平気で歩いて行くんだから。こんな風に思われて、情けないチームだなって。

佐賀の名門校で甲子園に出場し、大学球界の最高峰でプレーしてきた身にとっては、異次元の世界。ゼロからのスタートだった。(敬称略=つづく)【中島宙恵】

(2018年1月29日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)

番記者コラム・オリックス

猛アピール続ける後藤、覚悟を胸にスタメン奪取狙う

後藤駿太は右二塁打を放つ(2019年2月20日撮影・渦原淳)

今季9年目を迎えるオリックス後藤駿太外野手(25)が、宮崎春季キャンプで猛アピールを続けている。ここまで紅白戦6試合に出場し、12打数4安打1打点1盗塁をマーク。後藤は「余裕を持って打席に立てている。いい準備ができて試合に臨めていると思います」と明るい表情で語った。

登録名を「駿太」から「後藤駿太」に変更して臨んだ昨季は悔しいシーズンとなった。新人の11年には開幕スタメンを勝ち取り30試合に出場。13年から5年連続で100試合以上に出場するなど、オリックスの中心選手として活躍。しかし昨季は33試合の出場にとどまり、打率も2割1分6厘と奮わなかった。

減俸となった昨オフの契約更改時には「悔しかった。情けないし『無』な感じで何もなかった」と悲愴(ひそう)感漂う表情で昨季を振り返った。しかし首脳陣の期待も込められ、今春のキャンプは1軍スタートで迎えた。

「1軍スタートだとは正直思っていなかった。このチャンスを生かしたい。首脳陣には全部見てほしい。言葉にすると責任も出てくる。それくらい自分にプレッシャーをかけないと。今年はそういう年なので」

現在打撃フォームの改善に取り組み、状態を上げてきた。「下半身をしっかり使って、あんまり振りすぎないことをテーマにしています。100%じゃない力でインパクトの時に体の力が抜けないように」。さらに「左肩が出ないように、なるべく胸が投手に見えないように意識しています。今は納得する形でできていると思う」と明かした。

20日の紅白戦でもアピールに成功。「9番中堅」で出場。5回1死走者なしからの第2打席。斎藤の高めの直球を右前に運び、守備がもたつく隙をついて二塁打とした。「常に次の塁を狙うのがチームの方針。あとは自分が外野をやっていてわかるんですけど、体が立った状態でゴロをとると次に投げにくいので」と説明した。

守備でも4回1死走者なしから宮崎が放った右中間に抜けそうな打球に追いつき見事キャッチ。試合後に西村監督は「駿太は守備が持ち味ですから。その中で打者でもアピールしてくれているので、外野の争いは激しくなりますね」と評価した。

後藤は「泥臭さというか、何事にも一生懸命な姿を見てほしいし、そうでなければいけない」と覚悟を口にする。23日から始まる対外試合に向けて「もっとチャンスは減ってくると思う。気を引き締めてシーズンと同じ準備をして集中力を持って臨みたい」と力を込めた。好調を維持し、激しい外野手のスタメン争いを勝ち取れるか、注目だ。【古財稜明】

野球の国から・平成野球史

1カ月で200億円買収劇/ソフトバンクの誕生

04年12月、福岡ドームで王監督(左)と握手する孫社長

2003年(平15)の福岡ダイエーホークス売却案に端を発した球界再編問題を掘り下げる。04年9月18、19日に「ストライキによるプロ野球公式戦中止」という事態が起こるほど、平成中期の球界は揺れた。それぞれの立場での深謀が激しくクロスし、大きなうねりを生む。

  ◇   ◇   ◇

ホークスにとって「平成」は激動の時代であった。昭和最後の年に南海からダイエーとなり、福岡に移転。そしてまたも球団は親会社の手を離れた。

1989年(平元)から16年目のシーズンが終わった04年秋。ダイエーがついに力尽きた。2兆円にも及ぶ有利子負債に苦しんだ小売業界の雄は、ついにホークスを手放した。福岡事業と称した球団、ドーム球場、ホテルの「3点セット」のうち、すでに1年前にドーム球場とホテルを投資会社である米コロニー・キャピタル社に売却。一線を退いていたダイエー創業者の中内功は「福岡事業は聖域」と言い続けたが、その思いもむなしく散った。

「球界再編問題」は近鉄とオリックスの合併に端を発したものの、この合併が表面化する1年も前から「ダイエー身売り」はくすぶり続けていた。球界の経営者は2つの合併を模索し、1リーグ移行を描いた。今日の12球団維持は、合併に徹底反抗したダイエーの“遺産”と言えなくもない。

王ダイエー5年目の99年にリーグ制覇。勢いそのままに、星野中日を下し日本シリーズを制した。リーグ連覇した00年は日本シリーズでの「ON対決」が実現した。ミレニアムを迎えホークスは強くなった。03年にも4年ぶりの日本一。そして04年…。右肩上がりのチーム状況に反比例して、親会社は自主再建を断念した。

産業再生機構入りは文字通り「国営球団」にほかならない。野球協約上、認められず身売りを余儀なくされた。余談ではあるが、当時、産業再生機構の社長であった斉藤惇が現在、プロ野球コミッショナーというのも何とも不思議な因縁を感じる。

ホークス買収に名乗りを上げたのは情報通信会社のソフトバンクだった。ダイエーの産業再生機構入りに歩調を合わせ買収に乗り出した。当時ソフトバンク本社の財務部長で、現在ホークスの球団社長兼オーナー代行の後藤芳光は約1カ月の短期間で案件をまとめた。

後藤 これまで多くの買収案件に携わったが、その中でもホークス買収は一番大変で難しかった。(買収案件として)話があったのは10月に入ってから。普通の買収案件であれば、1対1の話し合いで済むが、ホークスの場合は(ドーム球場を保有する)コロニー・キャピタル社、ダイエー本社、NPB、プロ野球選手会、銀行団、産業再生機構、それに福岡の地元経済界の7社会…。これだけのところと1カ月足らずで調整する必要があった。

買収総額200億円。内訳はドーム球場を含めた興行権を持つ運営会社(ホークスタウン)が150億円、球団は50億円だった。本格的に携帯電話事業に乗り出そうとしていたソフトバンクにとって、ホークスは最高の「広告塔」となった。(敬称略=つづく)【佐竹英治】

ソフトバンク球団社長兼オーナー代行の後藤芳光氏(18年11月28日撮影)
番記者コラム・楽天

ドラ7位小郷裕哉、遅咲きの大学時代いかした冷静さ

守備練習で軽快な動きを見せる楽天小郷(2019年2月4日撮影)

われながら、少し意地悪な質問だったと思う。「焦る気持ちも?」。17日までの実戦3試合で4打数無安打だった楽天ドラフト7位の小郷裕哉外野手(22=立正大)に聞いた。16日のロッテ戦ではドラフト6位の渡辺佳明内野手(22=明大)が12球団のルーキー最速で「対外試合1号」をマーク。翌17日のロッテ戦ではドラフト1位辰己涼介外野手(22=立命大)が実戦初安打を本塁打で飾っていた。

分かりきった問いに、小郷は的確な自己分析で返してくれた。「追い込まれた時の変化球、特に落ちる球が、大学生よりもいいところというか、自分に近いところで変化をするので、その見極めですね。ボールを長く見て、内側をたたき、セカンドより45度逆方向に打っていくイメージ。きれいなヒットを求めすぎているところがあるので、泥くさく、詰まった内野安打とかでもいい」。金森1軍打撃チーフコーチとの取り組みを理路整然と話した。

今年の楽天の新人野手では最も遅い指名だったが、プロ志望届を出したのは一番早かった。1年春からベンチ入りして2度の甲子園出場も経験した岡山・関西高時代に指名漏れを経験。当時6球団から調査書が届いていたものの、名前は呼ばれなかった。東都2部だった立正大に進んだ時のことを「大学野球を、ちょっと下に見ていたところもありました」と正直に告白する。すぐにレベルの高さに気付かされた。そして「誰も『ああしろ、こうしろ』とは言わない」。試合に出るために何をどう磨くか。ひたすら考えた。ベンチ入りは2年春、レギュラーになったのは3年春からだった。

「周りがプロと大学生という違いはありますけど、今の状況って、大学に入った頃と少し似ているんです。聞きにいけば教えてもらえるけど、誰も助けてくれるわけじゃない。自分がやるしかない。逆に、高校を出てすぐにプロに入っていたら、どうなっていたか。そんな風に考えることはありますよ」。大学での経験があったから、今の自分がある。22歳は必死に、それでいてどこか冷静にもがいている。【亀山泰宏】

高原のねごと

“助っ人あるある”ロサリオで明確、マルテよ対応を

練習を終え笑顔を見せながら宿舎に引き揚げるマルテ(撮影・上田博志)

この日、宜野座の最高気温は26度だった。「さすが南国・沖縄やな」。そう思うかもしれないが、この時期にここまで気温が上がるのは地元でもめずらしい。沖縄気象台は前日18日、同地方に「高温に関する異常天候早期警戒情報」を発表している。

この日の天気予報は午後から雨だった。午前中は蒸し暑さでフラフラになるほど。韓国KIAとの練習試合は当初の試合開始時間を10分だけ早めて始まった。しかしザーッと来た降雨に負け、中止になった。ファンもメディアも期待していた新加入ジェフリー・マルテの“対外試合デビュー”はお預けとなった。

さっさと宜野座を後にしたKIAには日本人コーチがいる。正田耕三。広島の内野手として鳴らし、引退後は阪神などでコーチを務めた。最近は韓国球界で指導を続けている。そんな正田の名前がメディアに盛んに出たのは昨春だった。理由は昨季、阪神にいたウィリン・ロサリオだ。

大リーグ経験のあるロサリオだが16、17年と韓国ハンファで2年連続3割30発以上をマークしたことで名を売り、阪神に来た。そのロサリオをハンファで指導したのが正田だったからだ。

期待通り、ロサリオは昨春のキャンプではすさまじい打棒を披露した。だが開幕後は調子が上がらず、1年限りで自由契約となった。正田にあいさつをすると、どうしてもその話題になってしまう。

正田 う~ん。なあ。あかんかったなあ。左のカベを意識し過ぎて右足がうしろに下がる変な打ち方になってたもんな。なんでかな。指導がうまくいかなかったんかなあ。

和歌山出身の正田は首をひねりながら、そう話した。指導方法については昨季から焦点になっていたが、それだけでもない。やはり日本独特の内角攻めで打撃を崩された面はあるのだろう。若者風? に言えば「助っ人選手あるある」なのだ。

新しく来たマルテには、そこをどう伝えているのか。打撃コーチの浜中治に聞いてみた。浜中は慎重だった。

「まだ特に何も言ってないです。対外試合もまだだったし。2、3日中には言おうと思ってますけどね。内角球を意識しすぎるな、ということでしょう。やはり、そこは戸惑うかもしれませんから」

新加入の外国人選手に対する他球団からの「内角攻め」は必ず起こる出来事だ。暑くなる、雨が降るといった予報も当たる昨今、最初から分かりきったことに対する対応はうまくやってほしいと願う。もちろん克服できるかどうかは本人の技量に関わる部分なのだが…。(敬称略)

満塁本塁打を放った元阪神ロサリオ(2018年8月7日撮影)

野球の国から・高校野球編

警察に2度補導…父が死んで荒れた/香田誉士史2

89年夏の甲子園2回戦、神戸弘陵戦で右翼へソロ本塁打を放つ佐賀商・香田

雪上練習で雪国のハンディを乗り越えた反骨心は、父の影響が大きい。香田は1971年、佐賀市で次男として生まれた。父明宏について「1本筋が通っていて曲がったことが大嫌いな人だった」。5歳上の兄博文の影響で小2で野球を始めてからは、父が道具を手作りし、毎日のように庭先で練習を手伝ってくれた。

小学生の頃、親戚一同が集まった正月の宴席での出来事だった。酔っぱらった親戚の1人が、当時、佐賀商野球部の兄に「高校入っても、補欠なら意味ないやろ」と絡み出した。「レギュラーかどうかなんて関係ねえや! 3年間、務め上げるのが大事なんだ」。取っ組み合いのケンカが始まりそうなほど激怒した父の姿が、忘れられない。

香田 誠実な人だった。おやじの考え方は、今も自分の根っこに染み付いている。試合に出なくても何とかしようという子たち、一流じゃなくても頑張る子ほど気になって仕方がない。それは、おやじから俺へのプレゼントだった。

電設工事の仕事をしていた父は、台風が来れば家々の屋根に上がってアンテナを直すなど、地域の人たちから頼られた。「おやじは俺のヒーローだった」。その父が49歳で他界したのは中学2年の時。食道がんだった。

香田 高校が佐賀工出身だったからラグビーが好きで。本当は俺にも佐賀工でラグビーをやって、花園を目指して欲しかったんだと思う。死ぬ間際に「お前は運動神経がいいけん、ラグビーせんか」って。それが、最後の言葉だった。

父を失った寂しさはなかなか埋まらず、私生活は荒れに荒れた。額の生え際に見事なM字を描くそり込みは、当時の名残だ。他校の生徒とケンカになって警察に2度、補導され、佐賀商の推薦入試にも落ちてしまった。でも、絶望はしなかった。「推薦がダメなら一般入試で入ればいい」。反骨心に、火が付いた。

小中高と同じチームでプレーした幼なじみで、現佐賀商監督の森田剛史(46)が、懐かしそうに振り返る。

森田 小学校の時は僕ら2人が主役で3、4番。中学の時は練習をサボっていたけど、高校に入ってからは見違えるくらい真面目に練習してた。彼の良いところは「徹底」なんですよ。

「推薦組には絶対に負けない」と決めた香田は、居残りの練習量で他を圧倒し、授業中も机の下でダンベルを手に肉体を鍛えた。高3の夏、甲子園で描いたアーチは努力の結晶だった。

プロを目指していたから、大学は東都リーグの強豪、駒大を選んだ。亜大へ進んだ森田は、リーグ戦で何度も対戦することになる。

森田 香田はバリバリのレギュラーではなかったけどムードメーカーだった。高校野球みたいに全力疾走。神宮ガイドブックに「駒大の香田君はベンチからレフトのポジションまで10秒で行く」って書かれてましたもん。神宮でそんな選手いないから目立っていた。

当時の東都はドラフト上位でプロ入りした選手がひしめいていた。「周りのレベルの高さを見たら全然違うじゃんって」。選手としての限界を悟った時、自然と選んだのが指導者の道だった。(敬称略=つづく)【中島宙恵】

(2018年1月28日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)

評論家コラム

阪神マルテ物足りない、修正能力ないと…/梨田昌孝

梨田氏のチェックを受けながらフリー打撃をするマルテ(撮影・上田博志)

昨季まで楽天監督を務め、4年ぶりに日刊スポーツ評論家に復帰した梨田昌孝氏(65)が19日、阪神の沖縄・宜野座キャンプを視察した。注目したのは中軸候補の新外国人ジェフリー・マルテ内野手(27=エンゼルス)。チームの浮沈を握る存在だけに、シーズンでの活躍に期待を込めて辛口の指摘と助言が相次いだ。【取材・構成=松井清員】

   ◇   ◇   ◇

KIA戦を前にしたマルテのフリー打撃を見たが、おとなしさ、物足りなさを感じた。最初の10~15球でセンターから右を意識するのは分かるが、キャンプももう19日目。体も一番動いてきて持ち味をアピールできる時期だが、その後も同じようなスイングで柵越えも少なく、パワーは感じられなかった。日本人を差し置いて起用する“中軸期待の助っ人”なら、20本塁打は打って欲しいのが監督の願いだ。これから状態を上げていくのだろうが、今日の時点では疑問符をつけざるを得ない。

試合前に行うフリー打撃は対戦相手、特に投手はよく見ている。そこで怖さを与えられるかどうかが重要で、実際の打席で優位に立てるか、不利に立つかの分かれ道になる。強引にでも引っ張って、甘い球がいけば危ないぐらいのスイングを見せることはとても大切だ。でもナバーロと同じく、2人のスイングに怖さは感じられなかった。甲子園では右打者に優位に吹く浜風がある。その浜風を利用するのが成功の近道で、引っ張って打球を上げる練習に時間を割いてもいいのではないか。

技術面でも気になる点があった。打ちに行った時に左肩が少し内に入る傾向がある。その分、真っすぐに遅れて差し込まれたり、変化球に泳がされる危険性がある。実際にこの日、打者に気持ちよく打たせるはずのフリー打撃でも、タイミングが合わない場面が目立ったのはそのためだ。相手が必死に抑えにくる試合では、もっとタイミングを外される可能性がある。その課題を早く知る意味でも、KIA戦を雨で流したのは残念だった。もちろん今後実戦を重ねる中で改善していくのだろうが、どれだけ修正能力を持っているかも成否を分ける。(日刊スポーツ評論家)

宜野座を訪れた本紙評論家の梨田氏、左は清水ヘッドコーチ(撮影・上山淳一)

高原のねごと

北條は“野球向き”広島支える東出コーチの面白発言

<練習試合:広島8-0韓国KIA>◇18日◇沖縄・コザしんきんスタジアム

8回裏阪神無死、遊撃内野安打を放つ北條(2019年2月17日撮影)

ホント、こんな試合を見せられたらかなわん。コザしんきんスタジアムで行われた広島と韓国KIAの練習試合。話題の長野久義は簡単に打つわ、勝負の10年目・堂林翔太もバックスクリーン弾だわ、メヒアもでかい1発だわ。鳴り物入りルーキー・小園海斗も出てくるし。極め付きは鈴木誠也の流し打ちで右翼席へたたき込む3ランときた。

「あんなの風ですよ。風」。韓国の知らない投手から打って、それがどうしたんだとばかりに笑う鈴木。確かに右方向へ強い風が吹いていたが、おそろしくビルドアップされた体でそう言われてもな。新しい背番号「1」が細く見えるではないか。この日に限れば投手陣もよかったし、ホント、こんなチームとペナントを争うのか。阪神。

コラムを書くこちらが弱気になっていても仕方がないのだが、なんとなくそんな気分でいると旧知の顔に会う。東出輝裕。広島の豪快な打線を指導する打撃コーチだ。声を掛けると「阪神は話題がないんですか」とニヤリ笑う。何を言うとる。いろいろあるぞ。あるかな。あんまり、ないかも。まあ広島の方が多いのは認めざるを得ない。

4連覇を目指す広島、話題の1つは小園をどうするか、かもしれない。これはもう勝手に書くが不動の遊撃手・田中広輔がいる現状で小園の出番は簡単には来ない。なにしろ3連覇の遊撃手だ。故障などのアクシデントは別にして、1軍キャンプに来ている小園だが、まずはファームでじっくりというところだろう。広島は甘くない。

それだ。阪神にも話題があるぞ。遊撃争いだ。真価が問われる北條史也に、ベテラン鳥谷敬。そこに挑戦するルーキー木浪聖也の存在だ。広島のそれとは何となく違う感じだけど阪神にとっては大きな問題だ。そこで東出が面白いことを言う。

「ショートね。新人の木浪はいいですね。でも北條は“野球向き”ですよ。ウエスタン(リーグ)でいっしょに戦っていた感じから言うとね」

野球向き? そりゃ、プロ野球選手だしな。

「なんていうのかな。例えばコーチとかに何か言われて、口でハイハイって言って腹のなかでは何を考えているか分からないような感じもありますし。元々、関西でしょ。関西人は野球向きですよ」

よく分からないが分かるような気もする。いい意味で北條にふてぶてしさを感じるのはこちらも同じ。この春、スイングも鋭くなっているし、鈴木誠也と同期の高卒7年目。4番打者とは言わないにしても攻守にしぶとい仕事を期待したい。(敬称略)

サブグラウンドで早出特守で汗を流す北條(左)と植田(2019年2月15日撮影)

野球の国から・高校野球編

「外に出ろ。白いか黒いかの違いだ」/香田誉士史1

全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える今年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。名物監督の信念やそれを形づくる原点に迫る「監督シリーズ」の第6弾は、2004年(平16)夏の甲子園で北海道勢初優勝を飾った駒大苫小牧の香田誉士史さん(46=現西部ガス監督)です。雪国の常識を覆す練習法で同校を史上6校目の夏2連覇へ導きました。「徹底力」と「反骨心」でハンディを乗り越えた開拓者の挑戦を全5回でお送りします。

05年1月、雪が残り、ピカピカに凍ったグラウンドで練習する駒大苫小牧の選手たち

「外に出ろ。グラウンドが黒いか白いかの違いだ」。香田がそう言った時、何人もの選手が耳を疑ったに違いない。04年の全国制覇で一気に知名度を上げた駒大苫小牧の冬の1日。外野ノックから始まり年々エスカレートしていった雪上練習は、いつしか紅白戦にまで発展した。一面真っ白の雪に覆われたマウンドには、後の沢村賞右腕で、現ヤンキースの田中将大も立ったことがある。

香田 将大には「甲子園だと思って投げろ」って言ったよ。ケガをする。肘を壊す。風邪をひく。そういう声はいっぱい耳にしたけど、言われれば言われるほど「うるせーよ」と。選手が、どんどん進化する。春が来なくてもいいなって思うほど楽しかった。

95年に、九州生まれの香田が駒大苫小牧に赴任してから長年「壁」となっていた冬は、10年近くたった頃、力を蓄える絶好の季節へと変貌していた。

北海道の冬は厳しい。1年のうち約5カ月もの間、グラウンドは雪に閉ざされる。太平洋に面し雪が比較的少ない苫小牧市も、例外ではない。その間、室内練習場や体育館で基礎練習を行うのが、この地方の常識だった。せっかく技術が上達しても、雪解けの頃には後退している。悩める香田を救ったのが、社会人野球の大昭和製紙北海道(94年にクラブチーム化の後、解散)で選手、監督として活躍した我喜屋優(67=現興南監督)だった。

我喜屋 北海道は冬は室内っていうのがある。「それじゃあ冬眠する熊さんと一緒だね」って言ったんだ。発想の転換。室内でも練習はできるけど、個人の動きしかできない。ならば、外でやればいい。

沖縄出身の我喜屋と佐賀育ちの香田は「外様同士」で馬があった。「目からウロコ。北海道人になりかけていた時にブスッて刺された感じ」という香田は、さっそく雪をどけ、選手を屋外に集めた。

香田の赴任4年目となる98年から在籍した磯貝剛(35=現室蘭シャークス監督)が苦笑いする。

磯貝 最初に聞いた時は「マジで!?」と思った。寒さは全然、感じない。恐怖心しかなかった。イレギュラーが多くてキツイけど、意外とやれちゃう。

練習をボイコットされたこともあった。スライディングでは二塁で止まれず、左翼前まで滑って行く選手がたくさんいた。それでも、春になって実戦を行うと、サインに対する反応は格段に良くなった。ヒントを与えた我喜屋が言う。

我喜屋 僕は香田の反骨精神を利用しただけ。寒い中で頭を使っていると、心も強くなる。雪解けとともに、精神力はもっと強くなっている。

西部ガスの新球場でコーチと話し合う香田誉士史監督(右)

04年夏からの3年間は、北海道民にとって「奇跡の夏」だった。全国高校野球選手権で深紅の大優勝旗が白河関どころか、一気に津軽海峡を越えた夏。翌年の2連覇。3年連続で決勝に進み最後は準優勝に終わったが、駒大苫小牧の活躍は北海道の短い夏を熱狂に包み「幻の3連覇」と呼ぶ人まで現れた。

小中高と一緒だった幼なじみの森田剛史(46=現佐賀商監督)は、香田のことを経営学者ドラッカーの言葉を借りて「チェンジリーダー」と表した。常識を覆すことを恐れず、変化を生む。初優勝時33歳の九州から北海道にやってきた青年監督の情熱と反骨心は、宿敵だった雪さえも溶かしエネルギーに変えた。(敬称略=つづく)【中島宙恵】

◆香田誉士史(こうだ・よしふみ)1971年(昭46)4月11日、佐賀県佐賀市生まれ。佐賀商で春夏3度の甲子園出場を果たし、駒大に進学。95年駒大苫小牧に赴任し、翌年監督就任。01年夏、同校を35年ぶりの甲子園に導き、04年夏、北海道勢初の全国制覇。翌05年には57年ぶり史上6度目となる夏の甲子園連覇を果たした。06年夏は早実との決勝再試合の末、準優勝。07年夏、初戦敗退後に辞任し、08年3月退職。鶴見大、社会人野球の西部ガスでコーチを務め、17年11月に西部ガス監督就任。家族は妻と2男。

(2018年1月27日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)

番記者コラム・日本ハム

ライバルだけど…いつも一緒 吉田輝星と柿木蓮

ブルペン投球する吉田輝星(左)と柿木蓮

プロ野球界のキャンプが幕を開け、同時に新人選手たちもプロ選手としてのキャリアをスタートさせた。ダルビッシュや大谷らスターを輩出してきた日本ハムに、今年も甲子園を沸かせた多くのルーキーが入団した。

特に注目を集めているのが、ドラフト1位吉田輝星投手(18=金足農)と、同5位の柿木蓮投手(18=大阪桐蔭)だ。昨夏の第100回の甲子園決勝で戦った準優勝投手と優勝投手。互いにU18日本代表メンバーとして戦った仲間であり、ライバルでもある。競い合う相手でありながら、面白いのはキャンプ中の行動がいつも一緒であること。

沖縄・国頭での2軍キャンプ中、必ずと言っていいほど、毎朝宿舎から徒歩で2人並んで球場入り。高卒新人投手は2人だけということもあるが、ほぼ同じタイミングでブルペン投球を重ねるなど、ともに刺激し合いながら前進している。宿舎ではもちろん同部屋。吉田輝は就寝時に、よくいびきをかくという柿木に「やかましいですね」と笑う。吉田輝も柿木も、互いの話題になると笑みがこぼれる。

16日、プロ初の実戦となった紅白戦では、両者先発投手として昨夏の甲子園決勝以来の投げ合いが実現。多くのファンが球場前で待ち構える中、2人並んで球場入り。ライバルはライバルだが、球場を出れば、同い年であり良きチームメート。互いに切磋琢磨(せっさたくま)し、成長へとつながっていく姿を追っていきたい。【山崎純一】

評論家コラム

ヤクルト・マクガフ脅威155キロは出る/中西清起

日刊スポーツの評論家陣が、阪神のライバルのセ・リーグ5球団を敵情視察する「潜入」企画。第4回は元投手コーチの中西清起氏(56)が18日、開幕で当たるヤクルトの浦添キャンプを訪問。

課題の投手補強に力を入れて先発期待のアルバート・スアレス(29=ダイヤモンドバックス3A)やセットアッパー期待のスコット・マクガフ(29=ロッキーズ3A)らを獲得したツバメ軍団に警戒感を強めた。【取材・構成=松井清員】

   ◇   ◇   ◇

中西氏が目を見張ったのは新外国人右腕コンビだった。先発期待のスアレスとセットアッパー期待のマクガフがフリー打撃に初登板。相手は塩見や西浦、山崎、奥村らの若手だったが、力強い真っすぐで圧倒する場面が目立った。

中西氏 ともにタイガースが苦手とする速球派だ。スアレスは147~148キロ出ていたけど、試合ではもっとアドレナリンが出て150キロは出るはず。より脅威なのはマクガフで、この日も最速が152キロ。こちらも試合では155キロは出るだろう。制球も安定していて、クローザーを張れる可能性もある素材だ。

昨年、首位広島に7ゲーム差の2位だったヤクルトのチーム打率は、リーグトップの2割6分6厘。一方投手陣の防御率4・13は同4位で、課題は明らかだった。そこでこのオフ、この両助っ人を獲得。日本ハムとのトレードでは、セットアッパーの秋吉を出して先発タイプの高梨を取った。また、ソフトバンク戦力外の寺原と五十嵐の実績組も先発と中継ぎで加入。野手の補強は日本ハムから移籍の太田1人で、力の入れ具合が顕著だ。ドラフトも1位の清水ら8人中5人が投手だった。

中西氏 昨年やりくりに苦しんだ先発と救援陣が相当厚みを増した。攻撃陣は山田哲やバレンティン、雄平らの状態が良さそうで相変わらず強力。広岡や村上ら若手の大砲候補も伸びている。阪神はただでさえ昨年ヤクルトに10勝15敗と負け越し、しかも10連敗で終わっただけに、開幕3連戦で当たるにはイヤな相手だ。開幕投手を務めるであろうメッセンジャーが強力打線を7回3、4点に抑え、打線が開幕に来るであろう小川から少ない好機を生かさないと勝機は遠のく。しかも開幕戦で流れを渡すと2、3戦目はより厳しくなる。ヤクルト戦後も巨人、広島と昨年の上位3強が続くだけに、浮沈を左右しかねない大事な3連戦だ。

ヤクルト新外国人右腕のスアレス(左)とマクガフ

評論家コラム

中日根尾センスは光る、ひ弱さ克服が課題/和田一浩

フリー打撃を行う中日根尾(左)。右端は和田氏(撮影・鈴木みどり)

日刊スポーツ評論家の和田一浩氏(46)が注目のゴールデンルーキー、中日ドラフト1位根尾昂内野手(18=大阪桐蔭)をチェックした。まだまだひ弱さは残るものの、センスの良さは間違いなく一級品だ。

   ◇   ◇   ◇

トス打撃をしている根尾の姿に、思わず見とれてしまった。どこかが特別に「すごい」という部分はないのだが、全身からセンスの良さがあふれていた。少し前まで金属バットを振っていた高卒ルーキーとは思えないような「しなやかさ」を持っていた。

打撃フォームで難しいのが「しなやかさ」を出すこと。バットをしなやかに振るためには、下半身から上半身、そして肘→手首、指といった関節を順序よく使う必要がある。ここがスムーズに流れると、それほど力を入れているように見えなくても鋭いスイングが可能。「硬い」と言われる打者は、この順番がスムーズに流れず、すべての箇所が同時に力が入ってしまうような打ち方になってしまう。

ただ、トス打撃からフリー打撃になると、さすがに力が入ってしまうのだろう。体幹に力があればいいのだが、まだまだひ弱い。トス打撃でぶれなかった軸回転ができず、バットの軌道も乱れていた。右ふくらはぎを肉離れし、十分な練習ができなかった分を差し引いても、まだまだ力強さに欠ける感は否めなかった。

2軍とはいえ、注目度の高さは半端ではない。ペッパーの初球で打ち損じただけでも、スタンドがざわめいていた。決して悪意のあるざわめきではなく、ほほ笑ましいざわめきだったが、キャンプで出遅れた「負い目」もあるだろう。性格が真面目な分、余計な圧力にならなければいいと心配になった。

痛めた右ふくらはぎというのは厄介な場所で、走る以外でも打撃や守備に影響することがある。焦らず、じっくりと一流選手の階段を上ってもらいたい。(日刊スポーツ評論家)

高原のねごと

大田成長させた日本ハム、伸び悩む藤浪もウチなら…

<練習試合:阪神4-4日本ハム>◇17日◇沖縄・宜野座

7回表日本ハム1死、大田は左越え本塁打を放つ(撮影・上山淳一)

日本ハム戦、もっとも盛り上がったのは残念ながら? 敵軍・大田泰示の本塁打だったかもしれない。前日から合流したデスク松井清員もぽか~んとした顔で「漫画みたいなホームランですね」。まさにそんな表現がぴったりの豪快なアーチだった。

大田は言うまでもなく巨人の08年ドラフト1位だ。東海大相模から鳴り物入りで入団した。しかし巨人での8年間は正直、伸び悩んだ。16年オフにトレードで日本ハムへ移籍。すると17年にいきなりキャリアハイの15本塁打をマーク。18年も14本塁打を放った。生まれ変わったと言っても過言ではないだろう。

日本ハムはおそろしい。ダルビッシュ有、大谷翔平の超大物を大リーグに送り出し、いまは阪神が欲しかった清宮幸太郎の成長を待ち、さらにはルーキー吉田輝星をじっくり育てている。セ・リーグの広島同様、新人選手の発掘、育成には他球団と比べても大きな力を持っていると言わざるを得ない。

補強の責任を持つGMは吉村浩だ。かつてデトロイト・タイガースで大リーグ・スタイルを学び、阪神でもフロントとして勤めていたこともある。旧知の吉村に「日本ハムはすごいでんな」という話をすると、決まってニヒルに笑いながらこう言う。

「まあ、ウチはロマン派なので。ロマン以外、何もありませんので」

ロマン派。分かるようで分からない。自分なりに解釈すれば、アマ球界で名前を残し、野球ファンが知っている選手を大事にしたいということのようだ。そして指揮官・栗山英樹も吉村と同様の感覚を持っている。そんな2人と雑談すると口をそろえるのが阪神のある選手に関してだ。

藤浪晋太郎。この日も試合後、栗山に藤浪の感想をたずねると「藤浪クン。いいですね。スケールの大きな選手は大好きです。本当に」と話した。吉村にしろ栗山にしろ、もちろん口にはしないが「ウチなら藤浪を超一流にできるんだけど」という自信を持っているように思える。

そんな日本ハムの前で好投を期待した藤浪だったが、正直、パッとしなかった。真っすぐの球速は出ていたものの、それで空振りを取れないし、制球もまとまらなかった。「りきんでましたね。もう少し攻めていきたかったけど」。リードした梅野隆太郎もそう表情を曇らせた。

藤浪の復活。矢野燿大率いる阪神の大きなテーマはそれだと思っている。いつも書くが、それは阪神だけでなく日本プロ野球の問題でもあるからだ。(敬称略)

3回表日本ハム1死一、三塁、清宮に中前勝ち越し適時打を浴びる藤浪晋太郎(撮影・上田博志)

野球の国から・高校野球編

「身体に電気が走った」智弁和歌山戦/前田三夫5

1998年夏の甲子園、浜田に敗れた帝京の前田監督(右端)と森本稀哲(右から3人目)

帝京監督の前田三夫は、指導に自主性を取り入れた。72年の監督就任から25年以上がたち、かつてスパルタが当たり前だった時代は過ぎた。時代の変化とともに高校野球も変わる。そう感じたからだった。

98年夏、森本稀哲(元日本ハム)に主将を任せたチームには、練習メニューや練習時間も自分たちで考えさせた。そのチームが、甲子園出場を果たした。

「その時は、やっぱり考えたよね。指導者としてこんなに楽なことはない。生徒にやらせれば勝てる。なるほどな。こういう方法もあるんだと。半面うれしかった部分がありますよ」

ただ拭い切れない違和感はあった。「甲子園に出れば、みんな目がギラギラしますよ。そういうものはなかったね。違う空気が流れている。ベンチの中が普通の練習試合みたい」。過去のチームは甲子園に入れば、コンビニなどを含めて一切外出禁止にした。ただ自主性を取り入れたチームには、それも許した。

甲子園では、3回戦でソフトバンク和田を擁した浜田(島根)に敗れた。最後の夏を終えた選手は、宿舎に戻って控え選手たちと抱き合う。レギュラーは謝り、涙で感謝を伝え合う-。

「そういう感動的な場面は今まではありましたよ。でも宿舎に帰ったら、レギュラーと補欠が『終わったぞー』って言って抱き合った。がっかりしたね。良かれと思って時代の流れに乗ったけど、今の帝京の野球部は違うと。自分自身、分からなくなりましたね」

スパルタもダメ、自主性もダメ…。「指導する上で何が一番いいのか。とにかくあえいでましたよ。だから原点を見たかった」。

秋季大会後、試験期間中に休暇を取って単身米国に自費で向かった。英語は分からない。「カンで乗ったよ」とロサンゼルスからサンディエゴにプロペラ機で向かった。パドレス-ヤンキースのワールドシリーズ真っ最中だった。ヤンキースが4連勝したシリーズで、パドレスファンの姿に心を動かされた。

「負けていても、点を取れなくてもスタンディングで選手を出迎える。これだなと。勝っても負けても感動というか、素晴らしいというものを、これからの帝京は見せないとダメ。そう感じましたね」

帰国すると、すぐに選手たちを集めた。帝京は昼休み3合ご飯を食べ、筋力トレーニングをすることで屈強な体をつくるのが伝統的だった。クロスプレーでは相手を倒すこともある。

「普通であれば知らんぷりしていたけど、手を差し伸べてやれと。キャッチャーに例えれば、打者がファウルを打ったら、バットを拾って、汚れがついていたら自分の、帝京の縦じまで拭いてやれ。そういうことをやっていこうと。そしてまた勝ち続けよう」

   ◇  ◇  ◇    

06年夏の甲子園。準々決勝で帝京は智弁和歌山に12-13で敗れた。9回に8点を奪って逆転したが、9回裏に投手を使い果たして5失点でサヨナラ負け。高校野球史に残る熱戦だった。

試合後、敗れた帝京にも、甲子園中から大きな拍手がわき起こった。

「背中というか、体に電気が走ったね。喜んでもらえたというのは、今までやってきたことは間違いじゃないんだと」

帝京は11年夏を最後に甲子園に出ていない。前田にとっては初出場後からの最長ブランクが続く。95年を最後に日本一からは遠ざかり、勝ち続けることはできていない。それでもOBはプロで活躍し、ファンに愛される野球は少しずつ浸透してきている。

「高校野球は時代とともに変わってますから、そういうものを感じ取っていかないと取り残されてしまう。そういう風に僕は感じたな。本当に挑戦ばかり。いくつになってもテーマというのが出てくるね」。高校野球100回大会の夏、69歳になる前田は47回目の新たな挑戦に歩みを進める。(敬称略=おわり)【前田祐輔】

(2018年1月26日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)

智弁和歌山・高嶋監督(左)と帝京・前田監督(2015年撮影)
評論家コラム

イチロー新打法で鋭いライナー性増える/和田一浩

イチローの新打撃フォーム(左)。右は2016年マーリンズ時代

マリナーズのイチロー外野手(45)が、新打撃フォームでメジャー19年目のスタートを切った。日刊スポーツ評論家の和田一浩氏(46)がイチローの“変化”に迫った。

   ◇   ◇   ◇

打撃フォームを変えたと言っても、オーソドックスなスタイルに直したという感じがする。確かに今までよりも低く構え、トップを作る前にもう少しだけ低くなってから打ちにいっている。ただ、スッと真っすぐに立ってから、体の軸を移動しながら打っていた頃より、基本に忠実な打撃フォームだと思う。

頭の位置が上下するのは良くないが、動いているのはトップを作るまで。慌てて動かすのはダメだが、この時点までに上下するのはまったく問題ない。むしろ低くしてから打ちにいくことで、下半身、特に軸足の左足に力がたまっている。今までは投手側に体の軸を移動させながら“2軸”で打っていたが、前に移動しない分、ボールを呼び込んで打てるだろう。

今までが“天才的”な打ち方で、なぜ変えたのかは、本人に聞いてみないと分からない。しかし、一流の打者というのは年齢を重ね、体調の変化やケガの影響などに伴って、毎年微妙な変化を加えるもの。自分自身の問題だけでなく、相手が研究し、攻め方を変えてくれば、その変化に対応するのと同じ。むしろ、変化に対応する姿勢と能力がなければ、長い期間、打ち続けることはできない。

個人的に言うと、今の打ち方の方が好きな打撃フォーム。打ち方だけで言うなら、ゴロを打ってスピードを生かした安打は減るだろうが、鋭いライナー性のヒットは増えると思う。

イチローは「一流」ではなく「超一流」の打者。実戦から離れていたハンディを逆に利用し、思い切った打撃フォームを試行錯誤しながらつくり変えたのだと思う。アッと驚くような活躍を期待している。(日刊スポーツ評論家)

新打法でフリー打撃をするイチロー(撮影・菅敏)

番記者コラム・ソフトバンク

東浜と千賀、若い2人が開幕を狙い生まれる効果

ブルペンで投げ込むソフトバンク東浜巨と千賀滉大

2人のエース候補がソフトバンクの投手陣を引っ張っている。東浜巨投手(28)と千賀滉大投手(26)だ。

このキャンプではともに開幕投手を目指し切磋琢磨(せっさたくま)しているが、投球面だけではなく精神面でもチームの中心になろうとしている。

例えば東浜は、育成ルーキーの重田から質問を受け、身ぶり手ぶりで投げ方を指導する場面があった。千賀もドラフト1位の甲斐野にアドバイスを送ったようで、17日の紅白戦で初実戦を終えた甲斐野が「ランナー出てからが大事やぞ、と言われていたので、意識して投げました」と話していた。

エース格といってもまだ2人は20代。若い東浜と千賀が周囲を見渡す立場になったことで、年の近い若手たちも声をかけやすく相乗効果が生まれているように見える。

ベテラン和田は以前、こう話していた。「2人が開幕を狙うというチームの状況は喜ばしい。大いに競争して、チームを引っ張っていってほしい。ぼくが入った頃は(斉藤)和己さん、スギ(杉内)、(新垣)渚と競い合ってやってきた。2人が先頭に立って柱になってもらわないと」。近い将来、00年代を超える「投手王国」が生まれているかもしれない。【山本大地】

評論家コラム

阪神藤浪の課題はセット時のシュート回転/中西清起

<練習試合:阪神4-4日本ハム>◇17日◇沖縄・宜野座

先発した藤浪晋太郎は3回を投げ2失点(撮影・奥田泰也)

阪神藤浪晋太郎投手(24)が17日、日本ハム戦で19年初の対外試合に先発したが、3回7安打2失点といまひとつの結果と内容だった。

140キロ台後半の真っすぐを“台湾の大王”こと王柏融外野手(25=ラミゴ)や、甲子園のスター対決となった清宮幸太郎内野手(19)らに簡単にジャストミートされたのはなぜ? 元阪神投手コーチで日刊スポーツ評論家の中西清起氏(56)が“宜野座の怪”を解いた。【取材・構成=松井清員】

   ◇   ◇   ◇

藤浪は総じて球質が悪かった。特にセットポジションになった時の真っすぐの多くが、タテ回転ではなくシュート回転。だからスタメンに左打者8人を並べてきた日本ハム打線に、140キロ台後半の真っすぐを簡単にとらえられる結果になった。右投手の球がシュート回転すると威力は落ち、特に左打者にはベース板付近で打ちごろの球筋になる。最速は154キロを計測したが、空振りを奪ったのはフォークの2球だけで真っすぐでは0というデータも分かりやすい。コントロールではなく、球威で勝負する投手が打者に“力負け”してはいけない。

象徴的な場面は、3回に4番王柏融に打たれた右前打だ。内角高めでボール気味の146キロ。そのコースにその球速の真っすぐを投げれば、通常はポップフライか空振りになるケースが多い。打者から見ればホップするような軌道で、バットの下に当たることが多いからだ。でも結果はフルスイングされての弾丸ヒット。続く清宮にも真っすぐを中前に運ばれたが、日本ハムの打者もスピードガンほどの球威を感じなかったと思う。

シュート回転の要因ははっきりしている。セットではフォームが少し開いて横振りになり、手首が立てられていなかった。これではスピンの効いた球質の良い真っすぐはいかない。恐らく今取り組んでいるワインドアップのフォームをまだ完璧にモノにできていないからだろう。本人も課題が分かったのか、登板後もブルペン投球に取り組んでフォームチェックしていた。タテ回転の真っすぐを投げられるように、実戦とブルペンで反復して体に覚えさせるしかない。ワインドアップの時は球質の良い真っすぐが多くいっていた分、課題は明確だ。

今年のタイガースは藤浪のデキに浮沈がかかっているといえる。チームが上位に行くためには1年間ローテを守って、最低160イニングは投げてもらわないと。藤浪が結果を出す、やらなければどうしようもない。開幕までに登板を重ねるごと、課題を消化していくことを期待したい。(日刊スポーツ評論家)

試合登板後、ブルペンで金村暁投手コーチ(右)と話す藤浪晋太郎(撮影・奥田泰也)

評論家コラム

試合を左右したDeNA飯塚が投じた1球/谷繁元信

<練習試合:巨人1-3DeNA>◇17日◇沖縄・那覇

巨人対DeNA 1回裏巨人無死一、三塁、飯塚(手前)は坂本勇を遊撃併殺打に仕留める(撮影・山崎安昭)

日刊スポーツ評論家の谷繁元信氏(48)が巨人-DeNAの練習試合を視察し、ある1球に注目した。初回無死一、三塁、DeNA飯塚が巨人坂本勇に投じた1球が、試合の中で大きな意味を持った。

   ◇   ◇   ◇

練習試合、オープン戦は主力選手も早々に代わることが多く、展開も変わりやすい。その中でも「この1球」という試合の分岐点が存在する。

巨人攻撃の初回無死一、三塁。安打と相手の落球というチャンスで、2ストライクと追い込まれた坂本勇が遊ゴロ併殺打を放ち、先制点を挙げた。この1球が両軍に大きな意味をもたらすと序盤に感じた。エラーの絡んだ得点機で先制し、併殺とはいえ、巨人にとって最低限、納得できる結果に思えるかもしれない。だがDeNAも大量失点につながりかねない場面で1失点にとどまり、飯塚も立ち直るきっかけをつかめた。

結局、巨人は接戦の形で試合はつくれたものの、攻撃の勢いが途切れた。一方でDeNAは主導権を譲ることなく、逆転勝ちにつなげた。1点取ってOKではなく、1点取られてもOKという展開。これはシーズン中にもよくあることだ。

飯塚にとっても大きな1球だった。3回1失点と乗り切り、アピールできた。キャンプのブルペン投球を通して見ていても、成長を感じる。2段モーションにして軸足に体重が乗るようになり、バランスもいい。元祖2段モーションの三浦投手コーチがおり、お手本が身近にいるのも生きているのだろう。先発ローテを争う中で「この1球」が流れを変えることもある。(日刊スポーツ評論家)

巨人対DeNA 1回裏巨人無死一、三塁、坂本勇は遊撃併殺打を打つ(撮影・山崎安昭)

野球の国から・平成野球史

「公共財」にふさわしかったのは/楽天の挑戦2

04年10月6日、公開ヒアリングの席に着く楽天・三木谷社長(中央)、手前左はロッテ瀬戸山代表、手前右は審査小委員会の豊蔵委員長

2003年(平15)の福岡ダイエーホークス売却案に端を発した球界再編問題を掘り下げる。04年9月18、19日に「ストライキによるプロ野球公式戦中止」という事態が起こるほど、平成中期の球界は揺れた。それぞれの立場での深謀が激しくクロスし、大きなうねりを生む。

  ◇   ◇   ◇

新規参入を申請した楽天とライブドアの第1回公開ヒアリングが、2004年(平16)10月6日に行われた。申請順でライブドア-楽天の順番。持ち時間は1時間30分だ。

報道陣は別室のモニターで審査の様子を見ることができた。1社1人、楽天への情報漏れを防ぐため、携帯電話とレコーダーの持ち込みは禁じられた。

矢継ぎ早に質問が飛んだ。「監督とGM」「観客動員見込みと根拠、集客方法」「スポンサー収入」「球場改修計画」「チーム構想」「成績の目標」…10分ほど時間を残して終えた楽天社長の三木谷浩史は「緊張しました。久しぶりに」と話した。

プロ野球の新規参入は、1954年(昭29)の高橋ユニオンズ以来のことだった。三木谷は「僕は楽天的なので。苦労を苦労とは、あまり思わない。これは面白いね、創意工夫のしがいがある。どうやる? みたいな気持ちがあったから、できたと思う」と回顧したが、同時に現実を客観視すると「常識的に考えれば…ユニホームもないし、スタジアムも老朽化して、使い物にならない。数カ月で始めなさいは、無理があるな。死にものぐるいでやらないと」とも思った。

日本興業銀行(現みずほ銀行)出身で、父の良一(13年に死去)は著名な経済学者。ビジネスの土台にステディー(安定)があり、ベンチャー精神とのかけ算で楽天という会社を伸ばしてきた。堅実さが懸念を抱かせたが、その哲学は思わぬ形で表面化する。

10月14日の第2回ヒアリングで、当時巨人の代表だった清武英利が急先鋒(せんぽう)となり、アダルトサイトに対する認識を問い詰めた。ライブドア社長の堀江貴文は「自動的に取り締まるのは技術的に難しく、パトロールを行っているが完全に排除するのは難しい」。三木谷は「クレジットカードの認証で本人確認を厳しくしており、青少年は完全に見られない。個人的にもあまり好きではない」と答えた。

野球協約の第3条(協約の目的)に「野球が社会の文化的公共財となるよう努める」とあり、審査の基準にも「公共財としてふさわしい企業、球団か」の項目がある。この答弁が潮目となり、一気に楽天有利へと傾いていった。

11月2日のオーナー会議で、楽天は満場一致で新規参入を認められた。

財務体質が決め手になった。審査結果を報告する資料には、03年の売上高と経常利益が記載されていた。楽天の売上高180億8200万円は、ライブドアと70億円以上の差があり、経常利益も30億円以上の開きがあった。三木谷の「財務的にも健全な経営ができる」との言葉には説得力があった。親会社の経営難が球界再編問題の原因である以上、楽天が選ばれるのは自然な帰結と言えた。

阪神のオーナー付シニアディレクターだった星野仙一は、参入するか思案していた当時39歳の三木谷を「今の球界には、あなたのような若い力が必要だ。頑張って」と励ましている。三木谷は恩を忘れず、チームが低迷していた10年オフに監督として星野を招聘(しょうへい)。二人三脚で強化し、参入から9年目の13年に日本一を成し遂げた。(敬称略=つづく)【宮下敬至】

評論家コラム

日本ハム王柏融「技術力」の秘密は軸足/和田一浩

<日本ハム紅白戦:紅組1-5白組>◇16日◇沖縄・国頭

日本ハム紅白戦 4回裏無死、中越えに本塁打を放つ王柏融(撮影・黒川智章)

日刊スポーツ評論家の和田一浩氏(46)が日本ハムの紅白戦を視察し、王柏融外野手(25=台湾・ラミゴ)をチェックした。バックスクリーン左にたたき込んだ“来日1号”に、確かな技術を感じ取った。

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台湾球界No.1打者の王が、どんな打撃をするか楽しみにしていたが、評判通りの「技術力」を持っている。日本ハムはロッテに移籍したレアードの穴を埋めるどころか、大きな戦力アップが期待できる。

2打席目に放った本塁打は、風の影響がなければセンターフライだっただろう。しかし、ホームベースから左中間に向かって吹く風に乗るような、やや左に切れていく“スライス回転”の打球だった。打ったのは、やや内角寄りの甘い直球だが、この球をセンター方向にスライス回転気味のフライを打つには、高い技術が必要。多少、窮屈な形になっても、バットを内側から出し、打球にスピンをかけるようなスイング軌道で打たないといけない。そして打球を押し込むパワーもある。

右投げ左打ちの打者が陥りがちの“弱点”がない。ネクストバッターでスイングをするところから見ていたが、軸足になる左足の使い方がうまい。右投げ左打ちの打者はスイングする際、利き足でない左足に力をためることが苦手で、内側に折れるタイミングが早くなる傾向がある。こうなると、打球を下半身で押し込めない。直球に対してドンピシャのタイミングが合った時はいいが、変化球にもろさが出る。台湾で素晴らしい成績を残せたのも、利き足でない左足を力強く、器用に使えるからだろう。選球眼もよさそうで、穴の少ないタイプ。本塁打を量産するような感じはしないが、ある程度の長打力もありそうで、日本ハムにはいないタイプの打者。どの部門でもレベルの高い数字を残せそうだ。(日刊スポーツ評論家)

日本ハム紅白戦 4回裏白組無死、本塁打を放つ王柏融(撮影・井上学)

高原のねごと

自主性重視の阪神キャンプ、福留は投手に自主的指導

室内練習場で福留孝介(左)は馬場皐輔(中央)と藤浪晋太郎と話し込む(撮影・奥田泰也)

午後、メイングラウンドではいわゆる「ケース打撃」が行われた。内野手争いに参加している上本博紀がいきなり大きな本塁打を放つなど、虎党からは歓声が上がった。

その同じ頃。宜野座ドーム、つまり室内練習場ではちょっとめずらしい光景が繰り広げられていた。ベテラン福留孝介が投手のようにセットポジションで構える。それを見守る馬場皐輔、浜地真澄、それに望月惇志といった若い面々。途中から藤浪晋太郎までリラックスした様子で加わった。そんな若い投手たちを前に福留が身ぶり手ぶりを交え、懸命に話しているのだ。

このキャンプ、福留はあまり目立っていない。自身の調子というより、若手を指導する様子が見受けられるという記事も日刊スポーツに出ていた。それにしても投手相手か。しかもセットポジション。笑顔を浮かべながらも真剣な様子で一体、何をしている。時間にして約30分。気になった。

福留 あれですか。最近の歌手の振り付けをね。ちょっと練習してたんですよ。盗塁を防ぐポイントですかって、ボクは盗塁をしないしね。ポイントって言っても分からないですよ。

とぼけた様子でそう話すベテラン。本当に誰かのダンスの振り付けをしていたのならそれはそれで楽しいところだが、もちろん、違う。明かしたのは馬場だった。

馬場 あれですか。う~ん。まあ走者から見たセットポジションのクセっていうか。そこを教えてもらっていて。それをみんなで聞いていたって感じですかね。

馬場は14日に宜野座で行われた楽天との練習試合で3盗塁を許している。試合後にその結果を反省し、対策を取る必要を口にしていた。この日もその練習に取り組んでいたのだが、そこに福留が飛び入りで指南役として加わったということだ。

馬場 内容はちょっと言えないというか、あれですけどね。いろいろと教えていただいて。なるほどっていうか勉強になりました。

かつては「プロは見て盗め」と言った時代もあった。だが最近の世の中、あるいは最近の若い人を相手に野球の世界だけでなく、そういう感覚は通用しない部分もある。しかも野手と投手という間柄。伝えられることは伝えてやろう、ということなのだろう。

指揮官・矢野燿大が選手の自主性を前面に出すこのキャンプ。ベテランも自主的に指導をしている。馬場のセットポジションからクセが消え、そこから発展してチームが強くなれば。困るのはライバルチームだけだ。(敬称略)

野球の国から・高校野球編

95年八丈戦の「事件」で考えたこと/前田三夫4

89年夏の甲子園決勝、試合後に笑顔で握手を交わす帝京・前田監督(右)と仙台育英・竹田監督

帝京監督の前田三夫は、89年夏にエース吉岡雄二投手(元楽天)を擁して、悲願の日本一に輝いた。仙台育英(宮城)との決勝は、延長10回、2-0で競り勝ち、深紅の大優勝旗を手にした。92年春は三沢興一投手(元近鉄)を中心にセンバツで初優勝。91年春からは4季連続甲子園に出場し、高校野球界は、帝京の黄金時代に突入した。

「その当時は、猪突(ちょとつ)猛進だから。勝てばいいというものが強かったですよ。勝っていけば、人間というのは脇が甘くなる。高校野球はファンも多いですから、勝ち方っていうのがありますよね」

前田の記憶にも強く残る“事件”は、95年夏の東東京大会4回戦、八丈戦で起きた。離島勢初の8強入りを目指したチームと対戦したが、序盤から力の差は歴然。5回で10点差がつけば試合は終わる。9点リードで迎えた6回裏1死一、三塁。左前打が出たが、三塁走者は本塁へ走らなかった。続く2者は力なく三振。コールド勝ちを避けることで、7回表に投手を調整登板させたかった。

試合翌日の日刊スポーツには、前田の「申し訳ないが、(エースの)本家に1イニング投げさせたかった。八丈には頭を下げたい」というコメントが掲載された。神宮の一部のファンは騒然となり、東京都高野連には30本近くの抗議電話が寄せられた。

「当時のピッチャーはヒジ痛があったので、痛み止めを飲んでどのくらいもつか試したかったんです。やっぱり見る方、相手からしてみれば面白くないですよ。真剣勝負ですから、相手の気持ちを考えなきゃいけないですね」

高校野球とは。スポーツマンシップとは。物議を醸す中で、帝京は勝ち続けた。甲子園に出場すると決勝で星稜(石川)を破って3度目の日本一に輝いた。だが前田は、心の底からは喜べなかった。

「甲子園で優勝したチームというのは、ただ勝つだけじゃだめなんだ。そういうものの考えというのが出てきましたね。私たちは高校時代からスパルタでやってきて、勝つためには手段を選ばなかったですよ。勝負の世界ですから。表現的には良くないけど、ずる賢くやったチームがうまい。鈍くさいチームはずるさがない。勝てば称賛される。そういう印象が強かった時代でしたね」

大会後、従来は甲子園の優勝監督が務めていた日本代表監督を辞退した。

「時代も変わっている。それと同時に高校野球も変化している。生徒は喜んでましたけど、指導者として、流れを感じ取れなかった自分に甘さがありましたね。後味の悪いものを残したら指導者の責任ですね」

高校野球は時代とともに変わる。ただ勝てばいい。スパルタで鍛える。そんな時代は終わりに近づいていた。

自主性。生徒自身の考えを尊重する言葉が、キーワードのようになって世の中に浸透し始めた頃だった。森本稀哲(元日本ハム)に主将を任せた98年夏。「帝京の野球は古いと、そういう声もあがってきた。それだったら時代も変わっているし、空気を読まなくてはいけない。だったら自主性というものを入れてみよう」。この決断で、再び前田は大きな壁にぶつかることになる。(敬称略=つづく)【前田祐輔】

(2018年1月25日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)

番記者コラム・阪神

球場バイト當真さん、超人・糸井にリベンジなるか

ボール拾いのアルバイトをする當間圭介君(右)は糸井嘉男とハンデ戦のポール走で競走したが抜かれてしまう…(撮影・加藤哉)

週末になれば数千人が訪れる阪神の沖縄キャンプ。大盛り上がりの宜野座球場で注目を集める球場アルバイトの男性がいる。當真圭介さん(22=大学生)だ。

2月2日には糸井と右翼ポールから中堅まで競争。数十メートルのハンディ戦だったが、5本走って1勝4敗と敗れ去った。ちょっとふっくらした体形で体重104キロ。巨体を揺らして激走する姿がテレビのキャンプ中継にも大写しになった。

當真さんは昨年キャンプでも糸井と激戦を演じた過去がある。今年も糸井から声を掛けられると予想。6キロの減量に励んでキャンプに臨んだ。実は激走の翌日には社会福祉士の国家試験を控えていたという當真さんだが、「糸井さんには、そんなことはお構いなしでした」と、言われるがまま激走したという。

キャンプの最終日には「20本やるからな!」と予告されているそうで、「もうちょっと絞ります」と頭をかいた。ちなみに試験の出来を聞くと「バッチリです」と笑顔。3月の試験結果と超人とのリベンジマッチに注目している。【桝井聡】

評論家コラム

阪神ジョンソン制球◎中継ぎ陣も分厚く/中西清起

シート打撃で好投した阪神ジョンソン(撮影・上山淳一)

阪神の新外国人ピアース・ジョンソン投手(27=ジャイアンツ)が16日、沖縄・宜野座でケース打撃に登板し、打者5人を無安打に抑えた。実戦形式のマウンドは来日初。日刊スポーツ評論家の中西清起氏(56)が右腕の投球を解説した。

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ジョンソンのケース打撃登板を見たが、まとまっていてコントロールで崩れそうな印象は感じなかった。軽快なフォームからストライクをポンポン。セットポジションやクイックも問題なかった。矢野監督も言っていたが、私も投手コーチ時代に中継ぎで活躍してくれたアッチソンと似たイメージだ。中でも木浪から空振り三振に取ったパワーカーブに相当自信を持ってるんじゃないかな。ただ今日は右打者から見て外に逃げる球だけで、内角に切れ込むツーシーム系は見られなかった。この球がないと打者に踏み込んでこられるので、次回登板はそのあたりにも注目したい。

ジョンソンが勝ちパターンで投げられれば、勝利の方程式はかなり分厚くなる。ここに能見、藤川、ドリスと安定感のある3人がいるからね。ただジョンソンはコントロールが良さそうなので、イニング途中、走者がたまってからでもいけるタイプかも。今後重ねる実戦登板も楽しみに見たい。(日刊スポーツ評論家)

ジョンソン(右)はシート打撃の登板を終え梅野隆太郎と指さしでたたえる(撮影・上山淳一)

評論家コラム

吉田輝星と柿木、切磋琢磨の構図うまい/谷繁元信

<日本ハム紅白戦:白組5-1紅組>◇16日◇沖縄・国頭

紅白戦で力投する吉田輝星(撮影・井上学)

日刊スポーツ評論家の谷繁元信氏(48)が日本ハムの紅白戦を視察し、ドラフト1位吉田輝星投手(18=金足農)と同5位柿木蓮投手(18=大阪桐蔭)の投球をチェックした。昨夏の甲子園決勝を投げ合った2人は、どちらも実戦向きとの見解だ。

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吉田輝、柿木と昨夏の甲子園決勝を投げ合った2人の先発だったが、経験値が高く、実戦向きと感じた。

吉田輝は今日に限れば、疲れからかボールにキレがなく、迫力を感じなかった。ただ横尾の2-1からのファウルなど「このカウントは稼ぎたい」というところでリリースのインパクトの強さを感じさせる直球を投げていた。身長が175センチで、角度を生めるダルビッシュ、大谷タイプではない。体のキレ、コントロール、配球や空間での勝負に磨きをかけなければならない。

バランスのいいフォームで下半身も右足から左足へと体重が乗り、上半身へと力を伝えて、トップにいい形で入っている。そこから「少し詰まらせよう」「少しタイミングを抜こう」とリリースの最後の強弱で、バッターとの空間の中での変化をつけてほしい。川上憲伸はそういうタイプで吉田輝も似ている面がある。

柿木は面白い存在だ。直球が動いていて、球の切れで勝負している。踏み出す左足が地面に着きそうで着かない独特のタイミングで、間がひとつできている。高校の時から大舞台で投げており、ちょっとしたマウンドさばきに落ち着きがあり、いいテンポで投げていて自滅するタイプではない。4月に1軍で投げている可能性もあると思う。

日本ハムがうまいと思うのは甲子園の優勝投手、準優勝投手をそろえたところ。例えるなら田中将大と斎藤佑樹が同じチームに入ったようなもの。ライバルとして負けたくない思いが、今日は柿木に表れていたように感じた。決勝で戦った2人が切磋琢磨(せっさたくま)して成長し合う構図を作っている。栗山監督に聞くと、順調に行けば2人ともオープン戦でどんどん使っていくと話していた。いろいろな課題を差し引いても、現段階で首脳陣に上で投げさせてみようと思わせる存在だ。(日刊スポーツ評論家)

帽子を飛ばしながら投球する紅組先発の柿木(撮影・江口和貴)

野球の国から・平成野球史

球界参入の突破口 検討委員会/楽天の挑戦1

04年9月24日、宮城県の浅野知事と知事室で談笑する楽天の三木谷社長

2003年(平15)の福岡ダイエーホークス売却案に端を発した球界再編問題を掘り下げる。04年9月18、19日に「ストライキによるプロ野球公式戦中止」という事態が起こるほど、平成中期の球界は揺れた。それぞれの立場での深謀が激しくクロスし、大きなうねりを生む。

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ストライキ突入か否か。選手会と経営者が最後の団交に臨もうとしていた2004年(平16)9月15日、楽天が球界参入へ乗り出す意向が明らかになった。

混乱の極みにあっての表明は、6月にライブドアが近鉄買収へ名乗りを上げた当時と比べれば粛々と報じられた。野球協約には、特例を除いて11月30日までに実行委員会、オーナー会議の承認を得なくてはならないと明記されている。コミッショナーの根来泰周は、時間切れを根拠に「来季は無理だと思う。もう(セ)6と(パ)5で、交流試合しかないと、僕は思う」と言った。

一方で同じ9月15日に、後に楽天にとって参入の突破口となる風穴が、日本プロフェッショナル野球組織(NPB)側から提案されている。「新規参入検討委員会(仮称)」の設立である。

ストライキ回避の切り札として、16日からの団交で持ち出そうと考えていた。新規参入の審査となった場合は、第三者にも情報を開示しながら、ガラス張りで行うという内容だった。

三木谷浩史は当時39歳。インターネットショッピングモール「楽天市場」で確かな基盤を築き、ビジネスを多角的に広げようとしていた。1年前から参入を検討してタイミングを探っていたが、そこに球界再編問題が当たり、踏み込もうと決断した。

「理由は2つあるんですよね。1つは、そもそもスポーツという素晴らしいアクティビティー(活動)に、楽天という企業も関わっていきたい。種類に関係なく、関わっていければいいなと。2つ目は、それまでのパ・リーグだったら数十億円の赤字を出しながらやっていたと思うんですけど、我々のやり方であれば財務的にも健全に経営ができるだろうと思いました」

労使の交渉は最後の最後で決裂し、9月18、19日にストライキは決行された。すると選手会会長の古田敦也が「次の週にはコロッと変わりました」と振り返るように、一気に事態が動いた。同23日、NPBと選手会は7項目の「合意書」にサイン。早期に「審査小委員会」を設立し、来季からの新規参入を目指す文言が盛り込まれ、再度のストライキは回避された。

球音のない2日間が世論を形成したことはもちろん、スト直前にNPB側が切ったジョーカーが、労使の緊張を緩和させる大きな役割を果たした。

審査小委員会による第1回の公開ヒアリングは、10月6日に行われることが決まった。直前に共同通信社が行ったアンケートでは、ライブドア支持が東北全体の40%。楽天は7%にとどまっていた。後発だった上に、当初は本拠地を神戸と定めてから保護地域の障害に当たり、仙台に変更した経緯があった。

「あらゆる質問に、素直に答えよう。選んでくれればいいな」。三木谷は水色のネクタイをきつく締め、審査に臨んだ。(敬称略=つづく)【宮下敬至】

番記者コラム・ソフトバンク

19年テーマ「走塁強化」がいよいよ見えてくる

ソフトバンク工藤監督

キャンプも「後半戦」に入った。リーグV奪回と3年連続日本一を旗印にしているソフトバンクの充実度はどうなのだろうか。「まあ、順調にいっていると思うよ」。工藤監督は言った。初日から故障防止と体力強化を目指し、ランニングメニューを課した。前日(14日)に柳田が右股関節外旋筋を痛めたものの軽傷。離脱者も少なく、全体的には及第点といった監督評なのだろう。

16日からA組は紅白戦が始まる。いよいよ実戦スタート。ここからは選手のふるい分けもある。17日に登板する新人4投手にとっては、文字通り「1戦必勝」の投球となる。工藤監督に不安要素を聞いてみた。「うーん、やっぱり先発投手かな」。千賀&東浜の開幕投手争いもあるが、残る4人がまだまだおぼろげだ。工藤監督の口からも千賀、東浜以外の固有名詞が上がって来ない。他球団がうらやむメンバーはいるものの、まだ工藤監督には確定要素がないようだ。いずれにしても実戦で監督をうならせる結果を見せつけるしかない。

キャンプ、シーズンを通じてのテーマである「走塁強化」は、まだその姿が見えない。「(担当コーチには)今後のことはちゃんと伝えてあるよ」。紅白戦、オープン戦を通じて徹底した「走る野球」を実践していくようだ。盗塁にしろ、ワンバウンド投球の積極進塁、外野飛球の打球判断、二塁走者のリードの取り方など。「走塁が強いと、(相手の)投手も投球が崩れたりするし、それはどんどんやっていくようにね」と、工藤監督は意気込んだ。

キャンプ中に開催した4度の勉強会もこの日で終業。いよいよ2019年型のホークススタイルが見えてくる。【佐竹英治】

野球の国から・高校野球編

蔦監督の隣に座っただけで「負けた」/前田三夫3

83年センバツで池田に敗れた前田監督(右端)ら帝京ナイン

80年春のセンバツ、帝京監督の前田三夫は伊東昭光(元ヤクルト)を擁して初めて甲子園の決勝まで勝ち上がった。延長10回0-1で高知商に敗れたが、全国制覇まであと1歩までこぎ着けた。

帝京で野球がやりたい。選手集めに苦労した時代は過去のものになり、そんな気持ちを持つトップ選手が集まるようになった。「甲子園で優勝したいという気持ちがものすごく出てきた頃かな。そして、手応え十分なチームが出来上がったんです」。83年春。帝京は「東の横綱」と称されたチームをつくりあげ、3年ぶりのセンバツ出場を果たした。

初戦の相手は池田(徳島)。蔦文也(享年77)率いる「西の横綱」だった。1回戦屈指の好カードに抽選会の会場は沸いた。

前田は33歳。自信に満ちていた。開会式前日に甲子園のバックネット裏で行う恒例の監督対談が、蔦との初対面だった。

「こう言っては失礼だけど、ただのおじいちゃんだろうと。僕自身の若気の至りで、普通であれば大先輩ですから僕の方から足を運ぶんですけど、そんな気持ちがなくて向こうから来てくれましたよ。かっぷくのある白髪頭のご老体だなという感じで、ごあいさつして。座ったんです」

並んで腰を掛けた瞬間に、嫌な予感がした。

「座った瞬間に圧倒された。負けたと思いましたね。この人には勝てないと思った。蔦さんが一生懸命持ち上げてくれるけど、目の奥は余裕ですよ。人間的なスキがあるのかと思ったら、スキがない」

試合は0-11の大敗だった。ベンチで足を投げ出した蔦が、手を掲げて「打て」のポーズを取ると、次々に長打が飛び出した。前田は「こんなすごい監督がいるんだったら甲子園で優勝は絶対に無理」とショックでふさぎ込んだ。

東京に戻ると、蔦の書物を読みあさった。広島からフェリーに乗り、誰にも気付かれないようにスタンドの最上段から蔦の采配を見に行ったこともある。「僕なりの結論的なものは、蔦さんは苦労の塊の人だ。修羅場をくぐり抜けた強さかなと。そういうものにたどり着いた」。

前田自身、母校ではない帝京で指揮を執り、厳しい指導に対する周囲からの反発を受けてきた。人一倍苦労をしてきたつもりだったが、まだ足りなかった。

「自分が一番苦手なもので、自分をつくりあげていかないとダメ。当時の校長先生に教壇に登るお願いをしました」

事務職員として指揮を執りながら、東洋大の通信教育で、5年かけて社会科の教員免許を取っていた。ただ「野球が面白くなった頃で、本音では教壇に登る決意は正直なかった」と言う。それが、池田戦の大敗で変わった。修羅場をくぐることが、蔦に近づく道だと信じた。「もともとは勉強の嫌いな生徒でしたから。人に教えるというのは責任がある」。練習後に3~4時間机に向かう日々が続いた。ノックを打ちながら翌日の授業内容に頭を悩ませた。「蔦さんに会って、また1つ挑戦することになりました」。そんな地道な思いが、実を結ぶ日がやってくる。89年夏のことだった。(敬称略=つづく)【前田祐輔】

(2018年1月24日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)